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#3837月3日(日)10:25~放送
アメリカ・フロリダ

 今回の配達先はアメリカ・フロリダ州オーランド。ここで世界一を目指すプロウェイクボーダーの手塚翔太さん(22)と、静岡に住む父・康文さん(42)をつなぐ。父の影響でウェイクボードを始め、12歳でプロになり、17歳で本場アメリカへ渡った翔太さん。父は「実力はアメリカでも負けてないと思う。日本ではいつも2人で一緒に練習をして、全国の大会を巡っていた。成長ぶりを見たい」という。
 オーランドは300以上もの湖や人工池が密集し、世界中からウェイクボーダーが集まるウェイクボードの聖地。数多くのプロたちがこの街を拠点に活動しており、翔太さんもその1人。現在世界ランクは5位で、7社とスポンサー契約を結んでおり、その契約料だけで生活は十分成り立つという。
 翔太さんが父の指導のもと、ウェイクボードを始めたのは8歳の時。翌年いきなりジュニアの日本一になり、天才少年と話題になった。10歳の時にはアメリカで行われた世界大会に出場。「衝撃を受けました。小さいころからDVDで見ていたスーパースターたちが大会に出ているんですから。かっこよくて、将来は絶対にアメリカに渡ろうと決めました」。
 その後、わずか12歳でプロに転向し、国内のタイトルを総ナメ。父と二人三脚で全国の大会を巡る日々だった。翔太さんは「父はとても厳しくて怖かったけど、それがあったから成長できた」と振り返る。その言葉に、父は「息子は自分の分身のようなもの。だから弱さも分かる。そこで背中を押すのは親しかいない。でも厳しくするのはつらいことだった」と明かす。翔太さんは、「親には金銭的負担もかけたし、家族みんなが僕中心で動いていた。活躍して恩返しができれば」と感謝する。
 翔太さんは高校へは進学せず、夢を叶えるべく17歳で単身アメリカへ。それから5年。メキメキと力をつけ、去年ついに世界最高峰の大会「X-GAME」で銀メダルを獲得した。しかし満足はしていない。「アメリカではイヤというほど2位を取って来た。今年こそ優勝したい」と翔太さんは意気込む。
 そんな彼の名を知らしめたのは、2014年のカンクン大会で成功させた横に3回転する技「1080°」。公式の大会で成功したのは後にも先にも翔太さんのこの1回のみという幻の大技だ。そして今シーズンは、横に2回転しながらボードを掴むという高難度の技に挑む。トップレベルに近づくほど、アクロバティックな技は増え、常にケガのリスクが伴う。
 いよいよシーズン開幕戦。大会は強風の影響で転倒する選手が続出し、波乱の幕開けとなった。優勝候補の一角と目されていた翔太さんも、新技を携えて世界一の称号に挑んだが、惜しくも転倒。まさかの予選敗退となってしまった。
 そんな翔太さんに父から届けられたのは1枚の写真。14歳の時、大事な大会で予選落ちした時に撮られた写真だ。うなだれる翔太さんに父が何かを語りかけている。「この写真は覚えています。この時も今と同じ、負けるなどあり得ない状況で…。でも父は“お前はできるんだから”と言ってくれました。この写真は、“こういう悔しさがあっての今なんだ”ということを伝えたかったのかもしれませんね」。敗北に打ちひしがれたときに怒鳴りつけてくれたのも、慰めてくれたのも父だった。「僕のことを一番分かってくれ、大会の結果も一番気にしてくれている。だからこそ、いい結果を届けたい。そろそろ本当に勝ちたい」。翔太さんは父のためにも、世界一になることを改めて誓うのだった。