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#3734月17日(日)10:25~放送
アメリカ・ペンシルバニア

 今回の配達先はアメリカ東部のペンシルバニア州。人もまばらな田舎町で、彫刻家として奮闘する吉野美奈子さん(48)と、富山に住む父・正夫さん(76)、母・フミ子さん(74)をつなぐ。OLをしながら25歳の時に美術大学へ入り直し、単身ニューヨークへ渡った美奈子さん。両親は「娘は“今日を目いっぱい生きているから、明日死んでもいい”という。ただ、何十トンもの大きな石を扱う仕事。ケガが心配」と案じている。
 美奈子さんが制作活動をするのは、ペンシルバニア州レイックウッドにある作業場。現在彫っているのは、ニューヨークを流れるハドソン川の“主”であるチョウザメをモチーフにした大きな作品だ。すでにハドソン川の畔には美奈子さんの彫刻が2体飾られており、それらを購入した会社が、新たに発注してくれたものだという。これまで数々の賞を受賞してきた美奈子さん。最近はこのような野外展示用の巨大な彫刻の依頼が増えているという。
 普段はニューヨークで暮らしているが、彫刻制作のために使っているこの作業場は、実は石材会社の一角を間借りしているもの。彼女の作品に惚れ込んだ石材会社社長が、無償で支援してくれているのだ。巨大な彫刻は石を動かすだけでも重機が必要な重労働だが、この会社の社員が協力し、アシスタントも務めてくれているという。
 実は美奈子さん、日本にいる時は旅行会社に勤めるごく普通のOLだった。厳しい両親の元、自分の夢を抑え込んで育ったが、25歳の時、芸術への思いが抑えきれなくなり、武蔵野美術大学に入学。働きながら6年かけて卒業した。美奈子さんは「自分がやりたいことは自分にしか分からないし、周りの環境がYESというかNOというかも、サイコロを振ってみないと分からない。でも、そこからしか一歩は踏み出せない。一歩踏み出せば何かが変わる」という。
 芸術への一歩を踏み出した美奈子さんは、仕事を辞め、2001年、単身ニューヨークに美術留学。当時の専攻は絵画だったが、あるきっかけから彫刻の道へと進むことに。「NYの建築現場でたくさんの大理石がゴミ箱に捨てられているのを見た。それがとても可哀そうで…。“助けて”と言われているようだった」。大理石の引き取り先を懸命に探したが見つからず、結局自分でその大理石を彫ることに。すると、初めて彫ったその作品が、彫刻協会の新人賞を受賞。すぐに買い手も現れたという。そんな不思議な巡り合わせがきっかけで、美奈子さんは彫刻家の道を歩み出したのだ。
 子供の頃は、いつも母が手作りした服を着ていたという美奈子さん。「10歳のある日、母が余り布でポシェットを作ってくれるというので、私はアップリケのデザインを考えながら、2人で朝まで徹夜をしました。それがとても楽しかったんです。その時、ものを作るという私の中の“タネ”が開花したのかも(笑)」と美奈子さんはいう。
 25歳でやっと歩み出した、本当に進みたかった道。その人生はずっと挑戦の連続だったという。自分の気持ちに正直に突き進んできた美奈子さんに、日本の両親から届けられたのは、母が40年ぶりに編み針を手に編んでくれたレッグウォーマー。「寒い土地での彫刻制作。身体を冷やさないように頑張ってほしい」という思いが込められていた。美奈子さんは「両親は“この仕事をいつまでやってるんだ”と思っているんだと思っていました。これでOKをもらった気がしますね。両親は孫の顔を見たかったと思いますが、私の子供は彫刻。これからも思う存分作品作りに取り組んで、たくさんの“孫”たちを地球にいっぱい作りたい」と語るのだった。