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#2916月29日(日)10:25~放送
アメリカ/ニューヨーク

今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。帽子デザイナーとして奮闘する横山寛久さん(37)と、東京に住む父・武久さん(69)、母・恵子さん(66)をつなぐ。日本の大学では生産工学を学んだ寛久さん。父は「なぜ帽子だったのか知りたい」といい、母は「ちゃんと安定した収入を得てくれれば…」と、案じている。

 マンハッタンのアパートにアトリエ兼住居を構える寛久さん。2003年に立ち上げたブランド「ヒロヒサ&ルイス」は、既存の概念にとらわれない独創的かつ大胆なアイデアの帽子が魅力だ。フルハンドメイドで作られ、デザインから販売までを寛久さんがたった一人で手掛けている。

 2008年には世界で唯一の帽子専門誌といわれるイギリスの「ザ・ハットマガジン」のコンテストで日本人として初めてグランプリを獲得し、表紙を飾った。寛久さんは「まだまだ無名だが、この賞のおかげでビジネスはやりやすくなった」と話す。

 日本で大学を卒業したものの、そのまま会社に就職することに疑問を感じた寛久さんは、具体的な目標もないままNYへ。帽子作りを始めたのは意外な理由からだった。親からのサポートがなくなり、生活のために独学で帽子作りに挑む決意をしたのだ。「何かをして稼がなければと。モノづくりは元々得意だったので、いろいろ探したら、帽子が一番簡単そうに見えて。自分にもできるんじゃないかと(笑)」と寛久さん。

 その後、日本に一時帰国し、実家で帽子デザイナーとして本格的に活動する準備を進めた。しかし、当時高校の校長をしていた父とは、仕事について話すことは一切なかったという。寛久さんは「お互いあまりにやってきた仕事が違いすぎて。話してもぶつかっていたと思う」という。

 現在は、4年前に結婚した美容師の妻・祥子さん(32)と共働き。帽子デザイナーとして高い評価を受けるようになったものの、まだまだ生活は安定しているとはいえない。それでも妻は「これからどうなっていくのか将来が楽しみ」と前向きで、寛久さんも「将来は妻と半分帽子、半分美容室のめちゃくちゃカッコいい店を持てたら」と夢を抱く。

 帽子デザイナーとなって11年。今の自分と同じ37歳の頃にはすでに2人の子供を持ち、不自由のない生活をさせてくれた父。「今の自分は家庭を作り上げていない。少しでも安定を目指せるように、営業をするとかして認知度をあげなければとは考えている。でも結婚していなければ、たぶん営業などしていなかったと思う」と寛久さん。“売れなくても納得のいく帽子作りをしたい”という思いと、“生活を安定させなければ”との思いの間で揺れながらも、さらに上を目指して奮闘を続ける。

 そんな寛久さんに日本の両親から届けられたのは、母手作りのぐい飲みと日本酒。家族が揃った時にいつも飲むお酒だ。瓶には「今度ゆっくり仕事の話を飲みながら聞かせてください」とメッセージが書かれていた。寛久さんは「僕の方こそ聞かせてほしい。有意義な話が聞けると思う。向こうは成し遂げていますから」と、しみじみと語るのだった。