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#2436月9日(日)10:25~放送
モンゴル/ダルハン

今回の配達先はモンゴル第2の都市ダルハン。この町で小学校の新米先生として奮闘する岡本悠希さん(25)と、京都に住む父・光浩さん(55)、母・法子さん(53)をつなぐ。家族に猛反対されたまま日本を飛び出した悠希さん。「“相談してもどうせ父親に反対される”と、娘はモンゴル行きを決めてから報告した」と母。以来、父とはまったく連絡を取っていないという。今でも娘のモンゴル行きに納得できない父は「早く帰って来て欲しい」と、帰りを待ちわびている。

 1990年に社会主義体制が崩壊し、ここ10年で著しい近代化が進むモンゴル。悠希さんが勤めるのはダルハンにある小中高一貫教育の「ナラン総合学校」だ。ここは日本の教育をそのまま取り入れたモンゴルでも唯一の学校。その背景には、世論調査で“モンゴルが最も親しくすべき国”として日本が1番に挙るほど、モンゴルが親日国ということがある。校長も「これまでモンゴルでは『知識』が一番と教えてきた。でもこの学校では日本人の『思いやり』を第1に教えたい」と話す。

 赴任してまだ8ヵ月の悠希さんは、小学生1年から6年までの音楽と、1年生の日本語を担当している。モンゴルの一般的な学校では、音楽の授業は歌うだけで、生徒が楽器を弾くことはないが、この学校では日本と同様に楽器の演奏も行う。楽器はすべて日本からの寄附だという。一方、日本語の授業は、まだ習い始めたばかりでよく理解出来ない1年生たちの集中力は途切れがち。なかなか私語が止まらないが、モンゴル語が喋れない悠希さんは注意することもできずに悪戦苦闘する。見かねたモンゴル人の先生が子どもたちを叱って、ようやく教室が静かになる。悠希さんは自分の力不足を痛感させられ、思わず涙ぐんでしまう。

 現在の収入は日本円で月1万5000円程度。アパートの一室を同じ学校に勤める日本人女性とシェアして暮らしている。家賃と光熱費は学校の負担だが、それでもギリギリの生活だという。家には電話もパソコンもない。

 長女として生まれた悠希さんは、子供の頃から何をするにも父の言うことを忠実に守ってきたという。中学・高校では美術部に所属し、将来は絵で生活したいと考えていたが、父からは「現実を見ろ」「夢を見るのもいい加減にしろ」と怒られた。大学卒業後は父の強い勧めで銀行に就職したが、わずか2年でやめてしまった。「端から見たら安定した職業でしょうけど、毎日同じ事の繰り返し。刺激がなく、ずっと“何か違う”と思っていた」と当時を振り返る。

 そんな悠希さんが選んだのは、かねてから興味のあった海外で教師として働くことだった。「父に縛られることなく、自分の力で本当にやりたいことをやろう」と、誰にも相談せず資格を取り、2012年、モンゴルへとやって来たのだ。「父には“どうせ遊びに行くようなもんやろ”と言われた。“ちゃんと先生をやっているよ”と言いたいですね」と、悠希さんはいう。

 悠希さんが現地で奮闘する姿を見た父は「立派に教えていて、ちょっと見直した。しっかりしていて、びっくりした」と、その成長ぶりに驚く。そんな父が娘に届けたのは得意料理の八宝菜。子供の頃からよく食卓に並んだ岡本家の定番メニューだ。久しぶりの“父の味”に、悠希さんは「お父さんの味がします。家にいるみたい」と懐かしみ、「お父さんの気持ちは嬉しいし、帰って又仲良く過ごしたいけど、最初の志を全うさせて帰りたい。そして、父に“お前、変わったな”と言ってもらえるように頑張りたい」と、新たな決意を語るのだった。