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#2119月30日(日)10:25~放送
ドイツ/ヴァルテンベルク

 今回の配達先はドイツ・ヴァルテンベルク。40歳を前に脱サラし、バグパイプ職人へと転身した薗田徹さん(46)と、兵庫県西宮市に住む父(73)、母・道子さん(70)をつなぐ。父は「ずっとサラリーマンをやると思っていましたが…。私も脱サラをしたので反対はしなかったが、食べていけるのか心配」といい、母も「それまでキャリアを積んできたので、心の中は葛藤でした。40歳を前に家族を抱えての脱サラは厳しいのではないか」と案じている。

 バグパイプはスコットランドの楽器と思われがちだが、かつてはヨーロッパ全土に伝わる民族楽器だったという。しかし、半音が出ない、音域が狭いとの理由から、近代音楽の発展と共に衰退し、19世紀にはほとんどの国でその文化が途絶えてしまった。だが40年ほど前から、その伝統を甦らせようという動きがあり、少しずつ職人も増えてきているという。

 徹さんのバグパイプは1から10まですべてが手作り。先輩職人から基本だけを教わり、あとはすべて自分で研究を重ねてたどりついたオリジナルの設計だ。加工技術は木工職人や家具職人のもとに何度も足を運んで少しずつ身につけていったという。プロのバグパイプ奏者・トーマス・グンダマン氏は「彼のようにオリジナルを作るのは、ほかのメーカーでは見られないこと。中世の頃はいろいろな国の職人が各々のアイデアでオリジナルモデルを作っていた。彼がやっているのはまさにそういうこと。素晴らしい!」と絶賛する。

 高校生の時にイベントで見たバグパイプに心ひかれ、ずっと趣味で演奏を続けてきた徹さん。11年前に大企業の駐在員として家族と共にドイツに赴任し、脱サラしてバグパイプ職人に転身した。「バグパイプの魅力はまだ十分浸透していないので、もっと広がってくれれば。多くの人が手にしやすいように価格は安く設定しているが、どこまで続けられるか…」。妻と12歳になる双子の娘さんを抱え、楽器製作での収入は決して十分とは言えないが、妻の環さん(44)は「元々腕一本で何かやりたいと憧れているようなところがあった。職人への転身も“あ、来たか”という感じでした(笑)。でも、なんとかなるかなと思っています」と大らかな気持ちで徹さんを支えている。

 一方、脱サラをする際に何の相談もなく、報告を受けただけの両親は驚くばかりだったという。徹さんは「心配かけてすまないと思っている。私の楽器を一人でも多くの人が使ってくれれば、それが両親への恩返しになるのかな…」と話す。そんな両親から届けられたのは、高校生の頃、剣道に熱中していた徹さんがいつも面の下につけていた手ぬぐい。“あの頃のように好きなことに夢中になって頑張ってほしい”との思いが込められていた。久しぶりに手ぬぐいを頭に巻いた徹さん。「楽器作りも和魂洋才で、日本人としての心を忘れずに取り組みたい」と、気持ちを引き締めるのだった。