◆ことばの話・番外編「読売新聞・論点」
12月24日の読売新聞『論点』に、「謙譲語の価値 見直そう」というタイトルで、放送における敬語の使い方について書きました。こちらにも載せておきます。
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読売新聞「論点」(2003年12月24日掲載)
「放送の中での敬語」(新聞見出しは「謙譲語の価値 見直そう」)
読売テレビアナウンサー・道浦俊彦
日本語ブームの中で取り上げられるのは「言葉の乱れ」「若者言葉」「カタカナ語」、そして「敬語」である。「プロ」の日本語の使い手であるがゆえに、お手本として注目を浴び、また批判の矢面に立たされるアナウンサー。お手本としての責任感をひしひしと感じる。
私も委員の一人として参加している日本新聞協会新聞用語懇談会の放送分科会で、先日「放送における敬語」が議題となった。その中で、アナウンサーがプロ野球のヒーローインタビューで、こんな聞き方をしたという話が出た。
「あの場面、どんなお気持ちで、お打席に立ってらっしゃったんですか?」
こんな「敬語」を使うアナウンサーがいたら、視聴者のうちの何人かは、すぐに「こんな過剰な敬語はおかしい」とテレビ局に抗議の電話をかけるのではなかろうか。
視聴者はなぜ、過剰な敬語に過敏に反応するのか?そこに、テレビというマスメディアが持つ特性に由来する理由がある。それは「『インタビューをする相手』と『視聴者』という、立場の違う人に対して、同時に敬語を使う必要がある」ということである。もしアナウンサーがインタビュー相手を大いに高めた言い方をすれば、それを見ている視聴者は、「アナウンサーが私に対して、相対的に低い扱いをした。」と感じ、いたくプライドを傷つけられる。逆にアナウンサーが、ぞんざいな口の聞き方でインタビューを行ったら、インタビューを受けた選手は「丁寧な扱いを受けていない」と腹立つであろうし、その選手に感情移入して見ている視聴者は、今度は「選手に対する口の聞き方がなっていない」と怒るであろう。つまりアナウンサーは、インタビュー相手と視聴者という二者に対する「敬語のバランス」を考えながらしゃべる必要があるのだ。
最近もう一つ、テレビのアナウンサーも含めて、若い人の使う「敬語」で気になる傾向がある。
「それ、貸してもらっていいですか?」「見せてもらっていいですか?」
というような物言いである。「何が気に障るのか?どこもおかしくないではないか」という方も多いかもしれない。しかし私は「〜してもらっていいですか?」という英語の直訳ふうの形が、シンプルなだけに安直に感じるのである。本来この手の質問は、
「それ、貸していただけませんか?」「見せていただけないでしょうか?」
というふうに「いただく」という謙譲表現の方が敬意が高く「あるべき姿」だと感じるのだ。「便利さと敬意は反比例する」ものである。
便利さを追い求める日常生活を、我々は日ごろ当然のように感じているが、そもそも「敬意」と「便利さ・簡便さ」は、バランスをとりながら成り立っている。日々、その微妙なバランスに気を配りながら言葉を使うという態度が、テレビの中のアナも、テレビの前のあなたにも、求められているのではなかろうか。
(2003、12、5執筆)
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その後、読んでくれた人の反応です。
・「謙譲語はたしかに大切ですが、使いすぎて『慇懃無礼』なのも困りますね。」
・「なかなかおもしろく読んだけど、紅白(歌合)の司会者が、自分の局の番組に出るのに会見で『司会を担当させていただくことになりました』という謙譲表現を使っていたのが気になる。」
・「奥様・お子さまへの素敵なクリスマスプレゼントですね。記事の内容もさることながら、男前ですねえ。東京の男子高校生のことばでいうと『かっけぇ』っていう感じです。」
(注・原文のまま。手を加えていません・・・・本当です!)
・「あ、『論点』のおじさんだ!」
・・・・円楽さんじゃあないんだからって、それは「笑点」や!!
2003/12/25
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