◆平成ことば事情3640「企画書がないと比較しようがない」

6月16日の「情報ライブミヤネ屋」で、大阪府の橋下知事の発言を取り上げました。これまで自民・公明寄りだった橋下知事が、民主党のシンポジウムに出席するというニュースです。ニュースでは橋下知事のインタビュー発言を字幕スーパーでフォローしていました。その中に、
「政権与党の自民、公明はまだ(マニュフェストを)出されていないので、まだ企画書がないですから」
というものがありました。私は、何気なく聞き逃したのですが、プロデューサーの一人・Yさんが、
「今のスーパー、おかしくないですか?」
と話しかけてきました。
「『企画書がない』ではなく、『比較しようがない』って橋下さんは言ったんじゃないでしょうか?」
ああ、なるほど、
かくしょがない」
かくしようがない」
「き」と「ひ」が違うだけで、アクセントも似ている!早口で言うと、あまり違いが分からないですね!
あとでDVDを3回再生させて確認したところ、やはり橋下知事が言ったのは、
「比較しようがない」
でした・・・あちゃあ、えらい間違いや。でも、何となく意味は通ってしまったんだよなあ・・・。
2009/6/16



◆ことばの話3639「耳通りが良い」

『ウェブはバカと暇人のもの〜現場からのネット敗北宣言』(中川淳一郎、光文社新書:2009、4、20)を読んでいたら、
「『日本企業の特徴』について語るときに年功序列・終身雇用は耳通りが良いのでよく使われるだけ」
という一文が出てきました。この中で使われている、
「耳通りが良い」
は、初めて「耳」にしました。よく、
「耳触りが良い」「耳あたりが良い」
などと使われる言葉と、ほぼ同じ意味でしょうね。「耳ざわりが良い」は、「間違った使いかただ」と随分、叩かれますが、この「耳通りがよい」だと、なんだかスッキリ聞こえる気がしますね。Google検索だと(6月16日)
「耳通りが良い」 = 123件
「耳通りがよい」 =   9件
「耳触りが良い」 = 945件
「耳触りがよい」 = 638件
「耳ざわりが良い」=1300件
「耳ざわりがよい」= 324件
「耳当たりが良い」=1010件
「耳当たりがよい」= 364件
「耳あたりが良い」=1080件
「耳あたりがよい」= 393件
で、「耳通りが良い(よい)」は件数が少なく、新しく作られた言葉だと思われます。
一番多いのは「耳ざわりが良い」、ついで「耳あたりが良い」、そして「耳当たりが良い」。ここまでが1000件以上。いずれも決して多いとは言えない件数ですね。
(「耳ざわり」に関しては、「平成ことば事情176」「185」「258」で書きました。)
・・・と、ここまで書いて、既に「平成ことば事情258耳ざわり3」の「追記10」に「耳通りが良い」を書いたことに気付きましたが・・・ま、いいか!項目立てておいた方が。
2009/6/16
(追記)

似たような意味の別の表現としては、
「耳心地の良さ」(『週刊文春』2001628日号・近田春夫のコラム)
「聞こえのいいこと」(伊坂幸太郎『魔王』講談社文庫:2008)
のほか、2009年7月30日の日経新聞「社会保障政策 厚労相に聞く」という記事でも、舛添要一構成労働大臣(当時)が、翌31日の自民党のマニフェスト(政権公約)発表を控えて、
「政権党として国民に聞こえのいい政策ばかり並べるべきではない」
「聞こえのいい」という表現を使っています。それを日経新聞も、
「聞こえのよい政策 財政滅ぼす」
と大きな見出しにしていました。
2009/10/14


◆ことばの話3638「ちょっと考えなあかんと思うで」

朝、4歳の娘を保育所に送るときの会話です。
「あんなぁ、○○ちゃんなぁ、きのう泣いてん。そんでなー、北村先生のせいとちゃうのになぁ、北村先生がわるいっていうねん。」
ふーん、よくわからないけど、何か腑に落ちない出来事があったのでしょう。そこで、
「そう。それは、あかんなあ」
と適当に相槌を打ったところ、娘は憤慨してひとこと。
「あれはちょっと、考えなあかんと思うで。」
考えなあかんと思うって・・・一体、何歳のセリフなんだ!?とても4歳とは思えない大人びたセリフ・・・。ふだんきっと私か妻が、こんなことを言っているんでしょうね。
子どもって、本当に恐いなあ。「家庭内録音機」みたいな存在ですねえ・・・これは、考えなアカンな。
2009/6/16


◆ことばの話3637「限界集落」

1年前の記事ですが・・・・。
2008年6月19日の朝日新聞朝刊に、
「限界集落と呼ばないで」
という記事が出ました。その前にも宮崎県の東国原知事が、そう主張しているという記事が各紙に出ていました。
その同じ日(6月19日)の産経新聞夕刊には
「“限界集落”救う廃パソコン」
という見出しの記事が出ていました。奈良県の話題です。
ネットを検索すると6月13日の西日本新聞に、
『限界集落と呼ばないで 宮崎県知事、町村長が訴え 新名称 全国公募へ 東国原知事「明るいイメージに」』
という記事があったので、発信源は宮崎で、全国紙よりも地元紙・発なのだなと思いました。その記事によると、
『宮崎県は12日、「限界集落」に替わる新たな呼称を全国から募集すると発表』
『県内の山間部住民から「地域活性化に一生懸命頑張っているのに、「限界」はやる気をなくす」「使わないで」などの要望があった』そうで、東国原知事は、
「宮崎県は『限界集落』の呼称を使っていない。『希望集落』のような、中山間地域が元気で明るい未来に向かうイメージの呼称が良い」
と呼び掛けていると記されています。
また、各省庁や自治体はここ数年、さまざまな呼称をひねり出しているとして、
「小規模・高齢化集落」(農林水産省)
「維持・存続が危ぶまれる集落」(国土交通省)
「基礎的条件の厳しい集落」(内閣府)
「生涯現役集落」(長野県)
などが紹介されています。しかし、「問題への対応は省庁、自治体ごとにバラバラ。呼称を統一する動きはみられない」という側面も。
また、「限界集落」の定義として、
『65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、冠婚葬祭や農業用水、生活道の維持管理など社会的共同生活の維持が困難な集落。大野晃・長野大教授が高知大時代の1991年に「山村の高齢化と限界集落」と題した論文を発表、当初は学術用語として使われた。05年に農水省が限界集落の実態を調査して以降、過疎化や高齢化が進む農山村問題の象徴となった。国交省が06年に過疎地を対象に行った調査によると、将来消滅の恐れがある集落は全国に2641、うち九州は372。』(2008/06/13付 西日本新聞朝刊)
とありました。

あれから1年、2009年5月28日・29日に新潟で開かれた新聞用語懇談会春季合同総会の席で、産経新聞の委員から、
「『限界集落』という言葉は使ってもいいのか?」
という質問が出ました。
「ある支局から『高齢化が極端に進んで、まるで「限界集落」』といったような表現は使えるかとの質問を受けた。これまでも西日本新聞さんが、これについての企画記事を掲載なさったことや、テレビでも時々報じられたりしていることは存じているが、一方では住民感情を考慮して総務省などの公式文書からこの語が消えたといったような話も。個人的な感想では、自治体や集落の存続を脅かす危機的な状況を表すには、そして警鐘を鳴らすには非常にインパクトの強い呼称で、だからこそこういった呼称は積極的に用いた方がよいと思っているのだが、各社では何か議論の対象になったり読者から声があったりというようなことはなかっただろうか?」
というものです。これに関して各社からは、
「1997年に北見工業大学の大野晃教授(当時)が提唱した概念。北海道では、言葉を超えて、事態はさらに進んでいる。」
「去年、宮崎県内で『“限界集落”という表現はキツイ』という声が出たことで、言い換える動きが県内であって、全国から呼び名を募集したところ『いきいき集落』というのが採用されたが、全然使われていないようだ。」
「用語としての『限界集落』の使用は問題ないが、『まるで“限界集落”』のように『まるで』をつけた形など、比喩では問題があるケースも。その意味では、最近見かける『限界団地』という言葉などは少し問題か。」
「深刻な事態を訴えるのにピッタリの言葉なので、使用は規制していない。」
というような意見が出ました。
実はこの会議の数日前に、まさに産経新聞の記事で、
「高齢化率が50%を越えた“限界団地”」
という記事を目にしていたので、「最近使われることが増えてきているんだなあ」と、改めて感じました。
こうやって改めて読み直してみると、「大野晃先生」という方がキーパーソンのような感じですね。調べてみると、
「大野 晃」=1940年生まれ。長野大学環境ツーリズム学部教授。高知大学教授、北見工業大学教授を経て2005年から現職。高知大学名誉教授。千曲線流域学会会長、日本村落研究会副会長、日本農業法学会理事などを歴任。専門は環境社会学、地域社会学。日本全国の山村地域のほかルーマニア、スウェーデンなど世界各地の条件不利地域の比較研究、村落研究を続ける。綿密なフィールドワークを経て1988年に「限界集落」の概念を提唱。四万十川や千曲川研究の成果を踏まえた「流域共同管理論」も唱える。山村再生や地域づくりのアドバイザーとして活躍中。長野県上田市在住(2008年11月現在)
ということのようです。
2009/6/10


◆ことばの話3636「爆ぜる」

『おんなのひとりごはん』(平松洋子、筑摩書房:2009、3、20)所蔵の「ひとり焼き肉のハードル」の中に、
「爆ぜる」
という言葉が出てきました。おそらく、
「はぜる」
と読むのだと思います。
「かんかんに熱くなった石鍋の肌のうえで、ごはんが爆ぜているのだ。」
という文脈でした。うーん、なかなか、いい感じの言葉ですね。感じが出ています。
「爆」は常用漢字ですが、もちろん、「は(ぜる)」という訓読みは、「爆」の常用訓の中にはありません。『広辞苑』には「はぜる」で「爆」の字で載っていました(もう一つ、もっと難しい漢字も載っていました)。
続けて読んでいると、もう一回、出てきました。
「そこへスッカラを差し入れ、じじじ、ぱちぱち、爆ぜる音をお囃子に、鍋肌からごはんを引きはがさながらさくさく混ぜてゆく。」
うーん、こちらもシズル感と言うか、擬声語が大変効果的に、おいしそうに使われていますね。「石焼きごはん=ビピムパプ」の様子を描いているのですが、すぐにでも「石焼きビビンバ」が食べたくなってきました、今、昼飯食べたばかりなのに。
Googleで検索したら(6月10日)
「爆ぜる」=31800
「はぜる」=20500
でした。
2009/6/10
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