◆ことばの話3460「御影堂の読み方」

先日、新人のYアナウンサーがニュース番で、たしか東本願寺だったと思いますが「御身拭い」のニュースを呼んでいました。その中で、「御影堂」を、
「みかげどう」
と読んでいました。私がこれまで25年間で読んだことのあるニュース原稿で「みかげどう」と読んだことは一度もありません。たいてい、
「ごえいどう」
あるいは、
「みえいどう」
と読んでいました。「ごえい」も「みえい」も仏さんの仏像のことを指します。それを納めた「お堂」が「ごえいどう」であり「みえいどう」です。「みかげどう」では、京都ではなく神戸にあるのかと思ってしまいます。
そこで、本人に電話をして聞いたところ、
「原稿に『みかげどう』とルビが振ってあった」
と言うではありませんか。報道デスクに訊いたら、
「たしかにそう、ルビが振ってあった」
と。そこで、
「これまで『みかげどう』なんて呼び方は一度も聞いたことがないから、もう一度、お寺に確認してください」
とお願いしたところ、やはり正しくは
「ごえいどう」
でした。仏教関係の言葉の読み方は、慣れないと難しいものですが、毎年、恒例行事で出て来るようなものは、事前に勉強しておくことが大切です。日頃の勉強がモノを言います。自局のニュースはもちろんのこと、よそのニュースなどきっちり見て「へえー、こんな読み方をするのか」と勉強してください。
ただ報道デスクによると、
「お寺の人に聞いた時に、お寺の人も『みかげどう』と言っていたと、記者は言っている」
そうですが、思うにお寺の人は、「ごえいどう」の漢字の説明をしてくれたのではないか?
「漢字だと『みかげ』堂ですね」
とかなんとか言ったのではないか?推測にすぎませんが。
いずれにせよ、確認したら「ごえいどう」だと説明したのですから、正しくは「ごえいどう」なのでしょう。
そしてきょう(25日)の各紙朝刊(読売・毎日・産経・朝日)に、
『2011年の「宗祖・親鸞」の750 回忌に向けて、東本願寺の御影堂の大規模な修復工事がほぼ終わった』
という記事が載っていました。どの新聞も、「御影堂」には、
「ごえいどう」
と振り仮名が付いていました。また、その「御影堂」は、
「宗祖・親鸞の御真影(ごしんねい)=木像を安置している」
と、毎日新聞に書かれていました。「クリスマス」に東本願寺の話題というのもなんですが、ご参考までに。
2008/12/25
(追記)

2009年1月21日の朝刊(読売、朝日、毎日、産経)に、西本願寺の「御影堂」で、10年間にわたる「平成大修復」が終わって、報道陣に公開されたという記事が載っていました。内陣の柱などにおよそ6万枚の金箔を張り直して、荘厳な輝きがよみがえった、と読売新聞は記しています。2011年に迎える「宗祖・親鸞」の「750回大遠忌(だいおんき)」に向けての修復だったそうです。この記事でも、各紙とも「御影堂」には、
「ごえいどう」
とルビが振ってありました。
2009/1/21


◆ことばの話3459「保育ジョ」

12月23日の日本テレビ「ニュースZERO」で、「保育所が足りない!」という特集を放送していました。その中でリポートした女性キャスター板谷由夏さん「保育所」を、
「ほいくジョ」
と読んでいたので、違和感がありました。実は先日(12月のはじめ頃、たしか6日か7日)、NHK大阪の男性アナウンサーが、
「ほいくジョ」
と読んでいるのを聞いて、「おかしい!」と思ったことがあったのです。その翌日ぐらいに大阪に来られた、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに、
「私を含め、関西の人間の感覚では、『ほいくジョ』と濁るのはとても違和感があります。普通は『ホイクショ』と濁らないで言うんですけど・・・」
と、そのことについて尋ねてみると、こういう答えが返ってきました。
「ああ、それは関東では普段の言葉として『保育所』が、ないんですよ。普通の話し言葉では『保育園』って言います。だから公式文書とか役所の書き言葉として『保育所』が出てきた時に『ジョ』と濁っても、関東人は違和感がないんだと思いますね。」
そうだったのか!たしかに関西でも「保育園」という言葉も使いますが、日常会話の言葉として使うのは「保育所(ほいくショ)」ですね。そういった違いがあったのか!
元々、「所」の読み方に関しては、
「関東はジョ、関西はショ」
という傾向があることは言われていますが(平成ことば事情557「ショかジョか」をお読み下さい。平成ことば事情1412「セイユショかセイユジョか」もどうぞ)、その中でも全国的に「ショ」と「濁らない傾向がある言葉」の一つが「保育所」だったはずなのに。やっぱり「ほいくジョ」は、違和感があります・・・。
2008/12/23
(追記)

2009年1月27日の「ニュースZERO」で、キャスターを務める女優の板谷由夏さんが、「保育所」問題の第2弾(?)の取材をしていました。今回は「自宅が保育所」になる「保育ママ」の現状を取り上げていました。その中で板谷さんは「保育所」を、
「ホイクショ」
濁らずに言っていました。VTRのナレーションの中で、1回だけ「ジョ」と濁ったようにも聞こえたのですが、それ以外は全部「ショ」と清音で発音していました。もしかしたら、結構「濁らないんだよ!」という意見が届いたのかもしれません。
取材VTRの中に出てきた若いお母さんはインタビューに答えて、
「保育園」
と言っていましたから、やはりNHKの塩田さんが言うとおり、関東では話し言葉としては「保育園」が一般的で、「ホイクショ(保育所)」は行政用語なのかもしれません。
2009/1/28
(追記2)

故・米原万里さんの親友で、イタリア語通訳の田丸公美子さんの最新刊『シモネッタのドラゴン姥桜』(文藝春秋:2009、1、10)を読んでいたら、こんな記述が。
「四月から入園したのは、家からも見える距離にある民間の保育園だ。」(70ページ)
やはり関東では「保育園」のようですね。「幼稚園」と「園」で揃えるためでしょうか?
「入所」だと「刑務所」みたいだから避けられたのでしょうかね??
2009/2/2
(追記3)

NHK放送文化研究所の塩田雄大さんからメールを頂きました。それによると、『放送』という雑誌の1936年(昭和11年)11月号に「『放送の言葉』に関する事項」という記事があって、1935年(昭和10年)の間に各地の放送局(=現在のNHK)に寄せられた投書のうち、ことば関連のもの(748通)をまとめて紹介したものなのだそうです。その中に、次のような投書が紹介されていたそうです。
『「営業所(ジョ)」「散宿所(ジョ)」「出張所(ジョ)」は「所(ショ)」の方よくはなきや。』
これに対して、当時の放送用語委員会の見解は、
『「所」の「ショ」「ジョ」は画一的に取扱ふこと能はず、慣用に従ふ。』
となっていたとのこと。この投書は「広島放送局」に宛てられたものなので、つまりラジオ(この人が聞いたのが全国放送なのかローカルなのかはわかりませんが、広島エリアで聴取したもの)では「〜ジョ」と放送されているが、広島(=西日本)の感覚では「〜ショ」のほうがふさわしい、ということが「戦前」にもあったようだ・・・という情報でした。


これが2009年4月のメールでした。
あれから4年、きょう(2013年5月21日)の日本テレビのお昼のニュース「ストレイトニュース」では、男性アナウンサーが「保育所」を、
「保育ショ」
濁らずに読んでいました。日本一待機児童が多かった横浜市が、3年で待機児童「ゼロ」を達成したというニュースでした。

2013/5/21


◆ことばの話3458「気づき」

先日、教育関係の新聞記事を読んでいたら、
「気づき」
という言葉が出てきました。もちろん「気づく」という動詞の連用形が「名詞」になったものです。「なんとなく耳慣れないな」と思っていたら、きょう、会社の同期のI君と話していたら、
「気づきが大切なんや」
と、この「気づき」が出てきました。
「その“気づき”って、教育関係の専門用語?」
と聞くと、
「行動心理学の本なんか読むと出てくるな。見えていても見ていないような場合に、それに気づくことが大切、という感じで使われているよ。」
とのこと。『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』には載っていませんでした。『広辞苑』には載っていましたが、
「気付き」=気が付くこと。心づくこと(例)「お気づきの点」
と、ごくごく普通にしか載っていませんでした。『三省堂国語辞典』「気付く」の欄の「名詞形」として「気づき」と載っているだけでした。
ネット検索では、(Google、12月22日)
「気付き」=508万件
「気づき」=786万件
なんと!そんなに出てくるの!「気付き」の一番最初に出てきたのは「IT情報マネジメント」というサイトで、
「“気付き”のコミュニケーション――機能や仕組みの説明は理解に結び付かない」
という使われ方でした。そのほか、
「知的な気付きについて」「IT経営教科書“気付き”事例集」「気付きを与えてくれるうまい広告いろいろ」「仙台中小企業診断士 社長の気付き」「気付き支援のためのシステム」
などなど。もう、「気付き」だらけです。こんなに「気付き」があふれているなんて、ちっとも「気づき」ませんでした。
そして「づき」が平仮名「気づき」のトップに出てきたのは、「気づきとは=はてなキーワード」というサイトで、それによると「気づき」とは、
「コンサルティング用語。人間が、自分や自分の会社を改善するためには、この気づきが必要とされている。問題点に気づかないと反省も、対処もできないから。問題点に気づくことによって、ものごとを見える化する努力を始めたり、品質や生産性や組織の改善をしようとする原動力となる。」
と書かれていました。

おお、ここに出てきた「見える化」という言葉も、なんだか先日読んだ本に出てきたぞ。「気付き」と言い「見える化」と言い、
「意味はわかりやすいけど、こなれていない感じ」
が、思いっきりするなあ。NHKがよく使う「受け止め」もこの仲間なのかなあ?
「気付き」と「見える化」『現代用語の基礎知識2009年版』で引いてみたところ、「気付き」は載っていませんでしたが、「見える化」は載っていました!「経営・産業」の欄です。
「見える化・可視化」=多様に見える企業活動を具体的にして、目で客観的にとらえられるようにすること「目で見る管理」ということもある。(以下略)
なるほど、経営方面の言葉でしたか。教育も関係あるけど。冒頭の同期のI君によると、
「アメリカ型の金融資本主義がはじけて、注目されているのが“気付き”や“見える化”だ」
と言うことですが、
「それって、ある種の宗教みたいだよな。“マインド”に訴えかけるんだろ?」
と言うと、
「そのとおり!そういう側面もある」
「まあ、資本主義も民主主義も、“広義の宗教”と考えられなくもないしなあ」
ということで、なんとなく納得したのでした。
2008/12/22
(追記)

『日本代表の冒険 南アフリカからブラジルへ』(宇都宮徹壱、光文社新書:2011、2、20) という「サッカーファンでないと読まないであろう、分厚い一冊」を読んでいたら、174ページに、こんな文脈で「気付き」が出てきました。
「私自身、大会前に初めてデンマークを訪れてみて、さまざまな発見や気付きがあったし」
著者が2010ワールドカップ・南アフリカ大会で、日本がデンマークと対戦するのを前に書いたもの。こんなところにまで「気付き」が!
2011/4/12


◆ことばの話3457「真っ赤な偽物」

報道部のWさんが、質問してきました。
「いま、『真っ赤な偽物』とうちのニュースで読んでいたのですが、『真っ赤な嘘』は聞いたことがありますが、『真っ赤な偽物』も、言うんですかね?」
「うーん、『真っ赤な』は『明らかな』ということだから、言うんじゃないかな。亡くなった米原万里さんの小説に『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』という作品もあったよ。一応、調べてみるけど」
と答え、辞書を引きましたが、「真っ赤な」の用例で出てくるのは「うそ」ばかりです。「偽物」はありそうで出てきません。「真っ赤な」と付くもので関連のありそうなものを、ネットで検索してみました。Google検索(12月17日)では、
「真っ赤な偽物」=   6100件
「真っ赤な本物」=    79件
「真っ赤なにせもの」= 135件
「真っ赤なニセ物」=  582件
「真っ赤なニセ者」=  744件
「真っ赤な嘘」= 11万3000件
「真っ赤なウソ」= 5万5800件
「真っ赤なうそ」= 1万2400件

「真っ赤な真実」=2万7800件
「真っ赤な本当」=  4450件
「真っ赤なホント」= 4920件
「真っ赤なホントウ」=  3件
「真っ赤な贋作」=   596件
ふーむ、やはり「真っ赤な嘘」が圧倒的で「11万3000件」。「ウソ」「うそ」もそれぞれ1万件以上出てきます。それに対して「真っ赤な偽物」は6100件。桁違いに少ない・・・とは言え、6000件以上あるということは、「使われている」ということですね。
言葉の問題に詳しい早稲田大学非常勤講師で、このほど『非論理的な人のための論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー携書:2008、12、20)を上梓された飯間浩明さんにメールで、
「『真っ赤な偽物』という表現は“OK”でしょうか?」
と伺ったところ、早速、丁寧なお返事が届きました。
『私の語感ではOKです。
新聞記事データベース(主要4紙)では、
「真っ赤な嘘」=52件
「真っ赤なうそ」=236件
「真っ赤なウソ」=181件
それに対して、
「真っ赤なにせ」=4件
「真っ赤なニセ」=14件
「真っ赤な偽」=28件
ということでした(「もの」は「物」または「者」が含まれるので直前で切って検索しました)。数としては、「にせ(もの)」は「うそ」にだいぶ負けていますね。でも、使われてはいます。
数字の差は、自然さの差以外に、それを使う機会が多いかどうかも関係すると思います。「うそ」は日常茶飯的に遭遇しますが、「にせもの」は、骨董の趣味のある人でもないかぎり、遭遇する場面は限られていますね。それが検索結果に反映しているのではないでしょうか。』
そして、もう一つ伺いました。
『「真っ赤な」を「偽」には使っても「真」(=本物)に使うことが少ないのはなぜでしょうか?』
これについては、
『これは難問ですね。ただ、あることばが、それ自体はニュートラルな意味なのに、特定の意味のことばと結びつくということは、しばしばあると思います。たとえば、「前代未聞の」と言う場合、よい場合も悪い場合もあるはずですが、今では「前代未聞の不祥事」などと、悪い意味で使う人が多いようです(「前代未聞の快挙」など、よい場合に使うのを「誤用」と決めつける人さえいますが、それには賛成できません)。
「真っ赤」も、いつしか「偽」と結びつきやすくなったということなのでしょう。では、なぜそうなったのかというと、ほとんど説明できませんが……。なぜでしょう。われわれの日常では、「偽」が問題になることが多いのに対し、「真」が問題になることはあまりないせいでしょうか。ニュースでも、耐震偽装とか、産地偽装はニュースになりますが、本物を売っていてもニュースになりませんね(これはこじつけでしょうか?)。
語源としては、「まっか」は「ま+あか」であり、「あか」は「あきらか」と関係があるのは間違いないでしょう。』
飯間さん、ありがとうございます。ということで、
「『真っ赤な偽物』という表現もOK」
ということでいかがでしょうか?
2008/12/18


◆ことばの話3456「ほっこりの意味」

先日、用語懇談会の放送分科会で、毎日放送のベテラン委員・Mさんが、こんな話をしてくれました。
「『ほっこり』という言葉は、今使われているような『ほっとする』『あったかい』という意味ではなくて『疲れた』という意味なんだよなあ。」
「ええ!そうなんですか!」
一同、ビックリ。早速(と言っても、だいぶ経ってからですが)辞書を引いてみました。『広辞苑』を引くと、
「ほっこり」(1)あたたかなさま。ほかほか。狂言の用例=「ほっこりとして一杯飲まう」(2)(上方方言)ふかし芋。(「膝栗毛」から用例)(3)もてあまして疲れたさま(用例なし)。
と3つの意味が載っていて、1は「あったかい」の意味で、私たちが普段使う「ほっこり」、2は「お芋」、これも暖かい(温かい)ことからの類推での使われ方でしょう。そして3番目にMさんがおっしゃる「疲れた」という意味が載っていました!ただし、用例はありませんでした。
「暖かい」と「疲れた」のどちらの意味が“初め”なのかはわかりませんが、たしかに両方の意味があるのですね。そこで『精選版日本国語大辞典』で「ほっこり」を引いてみると、こちらは6つ、意味が載っていました。その1番目と5番目が「暖かい」と「疲れた」の意味のようです。
(1)いかにも暖かそうなさまを表す語。*かたこと(1650)五「ほっこりはあたたまるかた與欠。是もほは火成べし」
(5)うんざりしたり、困り果てたりするさまを表す語。*浮世草子・諸芸独自万(1783)「イヤモ世話なもので、ほっこり致しました」
ということで、用例の演題から言うと、「暖かい」意味の方が100年以上古いようですね。しかし、「疲れた」の方も江戸時代からある意味なのですね。勉強になりました。
2008/12/22
Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved
スープのさめない距離