◆ことばの話2660「しょーまへん」

夕方の生番組「情報ライブミヤネ屋」で、芸能人の不倫の話題に関する街頭インタビューで、70代の大阪のおばちゃんが、
「しょーまへん」
と言っていました。なんだろと、しょーまへんって・・・あ、そうか、
「しょうおまへん」
か!もう少しわかりやすくすると、
「しょうがおまへん」
「しゃーない」ということですね。早口で言われると、それを聞いた大阪以外の人は、何を言っているのかわからないんでしょうねえ・・・。ま、しょーまへん。
2006/9/29


◆ことばの話2659「紀陽力」

和歌山市に行った時、街中の看板に、
「紀陽力」
と書かれた文字が目に入りました。最近、「人間力」とか、なんでもかんでも後ろに「力」をつけて、「○○力」とするのがはやっていますが、紀州・和歌山もついに軍門に下ったか、と思ってよく看板を見ると、「紀陽力」ではなく、
「紀陽カード」
でした。紀陽銀行の出しているカードの名前のようです。なーんだ。カタカナの「カ」と漢字の「力」は、やはりよく似ているのですね、というお話でした。
ちなみに、和歌山市駅の近くに
「留置接骨院」
という看板も見えました。なんだか、ずっと留め置きされそうな・・・そんなことはない!ですね。看板っておもしろいですね。
2006/9/29


◆ことばの話2658「先入れ、後入れ」

泊り勤務の日、会社に行く前のお昼ご飯、自宅でA社の「カップ担担麺」を食べました。これは都ホテル東京の「チャイニーズレストラン四川」橋本暁一シェフ監修の、本格的なカップ麺なんだそうです。食べようとしたら、
「調味料、液体スープ、特製辣油は先入れします」
と書いてありました。この、
「先入れ」
という言葉は、「先に入れる」という意味はわかるし、ごく普通の言葉のように見えますが、実は新しい言葉なのではないかと感じました。その説明書きには後ろの方には、
「後入れ」
という言葉も出てきました。これも意味はわかりますが、専門用語のようですね。
それでその説明書きに従って手順を進めようとしたら、さっきの説明書き続きには、改行してこう書かれていました。
「とめんがもどりません」
は?なんだ、これは。さっきの文章とつなげて読むと、
「調味料、液体スープ、特製辣油は先入れしますとめんがもどりません」
となるではないですか!じゃあ、「先入れ」しちゃ、いけないんだ!
なんでこんなややこしい書き方をするのでしょうかねえ?
「粉末スープを先に入れてください。残りの調味料はすべて、お湯を入れて4分後に、あとから入れてください」
と書けば、わかりやすいのではないでしょうか。
Googleで検索すると(9月29日)、
「先入れ」=5万0800件
「後入れ」=4万1700件
ありました。「先入れ」「物流用語」としては、
「先に入れたものが先に出る」
で、その言葉と対になって使われる「先入れ先出し」は、
「保管物品が長期保存によって劣化することを防ぐために物品を取り出す場合に保管経過時間の長いものから順に取り出すこと」
とありました。
「先入れ先だし」=3万1700件
また「先入れ」「カップめん」の2つのキーワードで検索すると、111件でした。その中には、
「かき揚げは先入れだが」
「甘み とコクを加えるたっぷりのキャベツの先入れかやく」
「先入れすると麺が 戻らない」
「『粉末スープ』(先入れ)と『液体スープ』(後入れ)」
とありました。なお、「後入れ」「カップめん」の2つのキーワードは、381件でした。
2006/9/29


◆ことばの話2657「NHKアクセント辞典に見るシチとななの変化」

前回に続いて、「数詞」に関する考察です。今度は「7」を「シチ」と読むか、「なな」と読むかという問題です。新・旧『NHKアクセント辞典』で比較してみました。

*『NHK日本語発音アクセント辞典』1985年版(=旧)1993年第25刷
*『         同         』1998年版(=新)第1刷

上記の新・旧両辞典の巻末にある「数詞+助数詞の発音とアクセント一覧」を参照・比較して、「七」の読み方が「シチ」か「なな」か、助数詞別にチェックした。
全般に「なな」が多いが、中には「シチ」と読む助数詞もある。それを、
(1)「シチ」としか読まない助数詞
(2)「シチ」がメインで、( )付きで「なな」も採用している助数詞
(3)「なな」がメインで、( )付きで「シチ」も採用している助数詞

に分類してピックアップした。その際に、新・旧両辞典に載っているものと、新辞典で新たに採用されたものに分けた。

[新・旧両辞典に載っている「シチ」=38語]
(1)「シチ」としか読まない助数詞(10語)
位(官位)、月、時、時限、女(姉妹・順序)、第○日、男(兄弟・順序)、男(人数)、人、年生
(2)「シチ」がメインで、( )付きで「なな」も採用している助数詞(6語)
時間、次元、女(人数)、人前、年、回忌
(3)「なな」がメインで、( )付きで「シチ」も採用している助数詞(22語)
騎(古典で)、行、号、字、周年、台、段、度(回数)、度(温度)、度(体温)、度(角度)、版、番、分(割合・ブ[七分咲き])、幕、毛(モウ)、目(モク)、文(モン)、問、匁、夜(ヤ)、里

[旧辞典だけに載っている「シチ」=15語]
(1)「シチ」としか読まない助数詞(0語)
・・・・なし・・・・・
(2)「シチ」がメインで、( )付きで「なな」も採用している助数詞(1語)
[七日七夜]
(3)「なな」がメインで、( )付きで「シチ」も採用している助数詞(14語)
位(一般)、合、乗、段(一般)、デニール、杯、敗、第○番、分(フン)、編、ポイント、面、羽(ワ)、割(ワリ)

[新辞典で新たに採用された「シチ」=7語]
(1)「シチ」としか読まない助数詞(0語)
・・・・・なし・・・・・
(2)「シチ」がメインで、( )付きで「なな」も採用している助数詞(0語)
・・・・なし・・・・・・
(3)「なな」がメインで、( )付きで「シチ」も採用している助数詞(7語)
条、題、第○日、代目、度目、尾、名(メイ)

[ま と め]
もともとの「七」の読み方は「シチ」であったが、商業上、「イチ(一)」と混同されることを避けて、明治期に「なな」という読み方が出てきた。B.H.チェンバレン氏の『日本口語文典(第三版)』(明治31年、1899年)には、

『商売人はよく「しちじっせん」の代わりに「ななじっせん」と言うが、こう言わなければならないものでもないし、品がある言い方でもない。』

とあり、当時の「新しい言い方」(=なな)に対する受け止め方が記されている。
新・旧両アクセント辞典で「七」を「シチ」と読む助数詞の数は、以下のとおり。
<採用されている助数詞の数> (1) (2) (3) <計>
(旧)274語 10語 7語 36語 53語
(新)270語 10語 6語 29語 45語
(残りの、旧辞典で274−53=221語、新辞典で270−45=225語は、「七=なな」としか読まない。)

上記の通り、旧辞典に収録された助数詞の総数は274語で、そのうち「シチ」と読む助数詞は、
(1)10語、(2)7語、(3)36語
の計53語であった。これに対して、新辞典に収録された助数詞の総数は270語と微減。新たに採用された「シチ」と読む助数詞は、
(1)0語、(2)0語、(3)7語
すなわち、
「条、題、第○日、代目、度目、尾、名(メイ)」
7語に過ぎない。逆に、新辞典で削除された(消えた)「シチ」と読む助数詞は、
(1)0語、(2)1語([七日七夜])、(3)14語
の計15語でありその、詳細は、
「位(一般)、合、乗、段(一般)、デニール、杯、敗、第○番、分(フン)、編、ポイント、面、羽(ワ)、割(ワリ)」
である。

明治期に「シチ」に代わって新しく「なな」という読み方が登場し、その後、百年ほどの間に「なな」が主流になってきた。旧辞典から新辞典に変わった13年の間にも、その流れはゆっくりと進み、それに伴って「シチ」という読み方の助数詞が減った(7増15減)のではないかと思われる。

これに対して、そもそも「シチ」に代わって「なな」という呼び方が登場したきっかけは、「イチ」と聞き間違う恐れを排除するためだったのだから、「イチ」の聞き違う恐れのない助数詞との組み合わせの場合(例「七人」・・・「一人」は「イチニン」ではなく「ヒトリ」と読むため)は、「シチ」の読み方を復活させて良いのではないか、という考えもある。(NHK・柴田実氏など)ただ、「十七人」(ジューシチニン)は「十一人」(ジューイチニン)と混同する恐れもあるため「ジューナナニン」という読み方も残す、という。
伝統的な「シチ」にくらべ、新しい「ナナ」は「口語的・俗語的性格」を持つ。
よって、口語、話し言葉(会話)でよく使われる助数詞については「ナナ」が許容される一方で、書き言葉でよく使われる助数詞には「なな」よりも「シチ」を用いる方が適当ではないだろうか。
言葉は変化していくものだが、その変化に身を委ねるのか、それとも伝統的な読み方を墨守すべきか。その間の立たされている放送局のアナウンサーであるが、状況に応じて使い分けることが求められる。
「七」の読み方に関しては、どうしても意見の分かれるものに関しては、「ナナ」「シチ」を併記することで、どちらを選択するかは言葉の市場の流れ、もしくは各放送局の判断に委ねてはどうだろうか。
2006/9/29


◆ことばの話2656「『6』と『8』の促音化についての一考察」

現在、新聞用語懇談会放送分科会では、「助数詞」についての討議を重ねています。その中で特に、「43語の助数詞」の前につく「数詞」の読み方について個別の討議をしているところです。これに関しては、年に5回しかない放送分科会の席だけでは討議しきれないので、関西と関東で小委員会を設けて検討を重ね、その結果を持ち寄って相違点だけを放送分科会の席で話し合うということになりました。その検討の結果を自分なりに分析した考察を載せます。文体が「です・ます」ではなく「だ・である」調ですし、ちょっと専門的でややこしいかもしれませんが、興味のある方は読んでみてください。
********************************
「6本(ロッポン)」「8歳(ハッサイ)」など、数詞「6」「8」と助数詞の結合に見られる促音化は、母音の無声化が進んだ状態である。よって、無声化の起こる条件が促音化の必要条件である。
母音の無声化は、母音[i][u]が、主として狭い子音[p、t、k、s]などにはさまれるか、語末の拍でアクセントの山がこないキ・ク・シ・ス・チ・ツ・ヒ・フ・ピ・プなどの母音に起こる。
「6」は「roku」なので、後ろに続く助数詞の頭の子音が[p、t、k、s]などの場合に、「無声化」ないし「促音化」が起こる。
中でも助数詞の頭が[k]であれば、100%促音化する。(例:6回、6期、6区、6件、6個)
[s]の場合は、無声化はするが促音化はしない。(例:6歳、6誌、6筋、6世帯、6艘)
[t]の場合は、無声化はするが促音化はしない。(例:6対、6地域、6対、6艇、6頭)
[h]の場合は、いずれも促音化するとともに、助数詞が半濁音化(p)する。(例:6発、6匹、6分、6辺、6本)
「8」の場合、「8」は[hati]である。後ろに続く助数詞の頭の子音が[p、t、k、s]などの場合に、「無声化」ないし「促音化」が起こる。
中でも助数詞の頭が[k]であれば、促音化してもおかしくないが、しなくてもよい。(例:8回、8期、8区、8件、8個)促音化しない方がきっちりとした感じがする。一般に、促音化した音は、俗語的・話し言葉的で、正式ではないように聞こえる傾向がある。
[s]の場合は、促音化した方が「通り」が良さそうである。但し、シ・ス・セは、促音化しなくてもよい。(例:8歳、8誌、8筋、8世帯、8艘)
[t]の場合も、促音化した方が「通り」が良さそうである。但し、タ・チ・テ・トは、促音化しなくてもよい。(例:8体、8対(ツイ)、8地域、8点、8頭)
[h]の場合は、いずれも促音化するとともに、助数詞が半濁音化(p)するが、「6」の場合に比べると、促音化しなくても十分通用する。(例:8発、8匹、8分(フン、プン)、8辺、8本)

促音化は、「6(8)+助数詞」が頻繁に使われることによって「一語化」していることの表れでもある。「連濁」やアクセントの「コンパウンド」と同じ原理であろう。
「6本」「8歳」のような例を、助数詞以外に求めてみると、
「小学校」(ショウガクコウ→ショウガッコウ)
「鉄柵」(テツサク→テッサク)
「学会」(ガクカイ→ガッカイ)
「激昂(激高)」(ゲキコウ→ゲッコウ)
などがあげられる。
逆に「二語意識」が強ければ促音化しない。(例・「熱気球」=ネツキキュウ)
ただ、最近の若者は「数詞」と「助数詞」を分けて二語意識を持つ者が多いことから、促音化しない傾向にあるのではないか。その原因は、(連濁や促音化といった)例外を覚える必要がないということと、年上の人との会話の中で、そういった例外ルールを学ぶ機会が減ったこともあろう。
そもそもこういった例外ルールは「発音のしやすさ」によって変化した形が定着したものだが、現代においては「発音のしやすさ」よりも「例外のない少ないボキャブラリー」でいかに切り抜けるかの方向にあるようだ。
参考までに、五段活用動詞の中には、その活用パターンに忠実に従うと、
「行きて」「言いて」「走りて」
となるところ、実際の現代口語では、
「行って」「言って」「走って」
というふうに、「イ音便になるべきところで促音便になる」ものがある。これに関しては、『留学生と見た日本語』佐々木瑞枝・武蔵野大学(=旧・武蔵野女子大学)教授(執筆時は横浜国立大学教授)が、
「てフォーム」
と呼んで記している。
以上を鑑みるに、問題となる(意見が分かれる)のは、「8」の[k]、「s」のシ・ス・セ、「t」のタ・チ・テ・トと「h」である。(上に挙げた例で言うと、8回、8期、8区、8件、8個、8誌、8筋、8世帯、8体、8地域、8点、8頭、8発、8匹、8分、8辺、8本)である。
これらを見ると、「6」よりも「8」の方が、促音化するかしないかに関しては、揺れている。これは、「6」よりも「8」の方が、使用頻度が低いからではないか。また、促音化したときの音「ハッ〜」で始まる同音異義語が、「ロッ〜」で始まる語よりも多いということも関係しているかもしれない。
結局「8」に関しては、「促音」を取るか「無声化」を取るかという選択を行なわなくてはならない。発音しやすく言い慣れていて一般的な「促音」(ハッ)を、自ら使ったり耳にするケースが多いとは思うが、ニュースのような「場」で俗っぽく聞こえる「促音」を使うのかどうか、という判断になる。番組や場に応じて使い分けていくしかないだろう。
2006/9/29

(追記)
2007年1月、宮崎県で鳥インフルエンザの発症が確認されてニュースになっていますが、その中で、
「600羽」

「ロッピャッパ」
と読んでいるのを耳にしました。しかしこれは、なんだか不安定な感じがします。
新聞用語懇談会放送分科会で作成中の「助数詞の読み方」で、「羽」の「100」のところを見ると、
「ヒャク」「ヒャッp」
と併記してあります。ですから「100羽」の場合は、「ヒャクワ」「ヒャッパ」両方ともOKでしょう。ただし、この前に「6」が付いて「600羽」になると、どちらでもいい、という感じではなく、
「ロッピャクワ」
となるのではないでしょうか?なぜならば、
「促音が2回続くのを避けようとしている」
からではないでしょうか?
「600」という数字の読みは、
「ロッピャク」
として、既にゆるぎないものになっています。「ロクヒャク」とは絶対に言いません。
これに対して「100羽」の読み方には揺れがある。だから「ロッピャク」の方が優先されて促音を認めるけれども、それに続く部分で「ヒャッパ」と促音が入ることは排除されるのではないでしょうか?
たとえば、「母音の無声化」の場合も、原則どおりに全て無声化になるのではなく、原則に従うと無声化が続いてしまう場合には、そのうちのどれかが有声化することがあります。それと似たようなことが起こるのではないでしょうか。そう思いました。
2007/1/24
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