◆ことばの話2430「無観客試合」

これも古い話ですが。
去年の4月29日、FIFA・国際サッカー連盟は、3月30日にピョンヤンで行われたワールドカップ・アジア最終予選の「北朝鮮−イラン戦」で、観客が暴徒化するなどの混乱が生じたことで、北朝鮮に対してホーム主催試合の開催権はく奪と観客の入場禁止処分という重い処分を決定しました。これで、北朝鮮で6月8日に予定されていた最終予選の「北朝鮮−日本戦」は、
「第3国の中立地で、無観客で実施」
されました。これを指して、
「無観客試合」
という言葉がマスコミで出たのですが、これがとても「アナウンサー泣かせ」でした。言いにくいなあ、「ムカンキャクジアイ」。
なんとかこの言葉も言うことができて、試合も勝って、ドイツワールド・カップ出場も決めたわけですが、スタジアムには「観客がいない」のですが、「報道陣などは、いる」ので、時々どよめきや歓声が聞こえました。

実はこれまでにも「無観客試合」というのはあったそうですが、私は見たのは初めてでした。4月29日の共同通信の記事によると、

『世界各地で行われた無観客試合の中継をみると、ベンチから飛ぶ指示、ボールを蹴る音、選手の息づかいなど、普段は大観衆の歓声にかき消されている音が想像以上にクリアに聞こえることに驚かされる。』

とありました。また日刊スポーツのネットの記事(5月1日)では、

『2004年12月の欧州チャンピオンズリーグ、ローマ−Rマドリード戦は、サポーターの不祥事でホームのローマが無観客試合の制裁を受けた。中継では、選手同士が「もっと右に開け!」と声を掛け合ったり、監督が「あそこは2だって言っただろう(2はサインプレーの暗号の1つとみられる)」と怒鳴ったり、キックしたボールが発する鈍い音などが、そのまま茶の間に流れた。フィールド際の集音マイクがいかに性能がいいかということが、現地で話題になったほどだった。』

そうです。実際に日本対北朝鮮戦もそうでしたね。一種、異様な感じではありました。そうこうしているうちに、いよいよドイツ・ワールドカップ本番まで、あと5か月と迫ってきましたが、なんとこの時期に、今回のワールドカップでは、ベルリンのスタジアムでの開会式を行わないと、FIFAのブラッター会長が発表しました。理由は「芝をいためる」ということですが、私は1990年のイタリア・ワールドカップの開会式を、ミラノのサンシーロ・スタジアムで、生で見た時の感激は今も忘れられません。「素晴らしい」の一言でした。サッカーの大会であるとともに、その国の芸術の全てを表現する場でもある「ワールドカップの開会式」は、何らかの形で是非、開いていただきたいと思うのであります。
2006/1/15
(追記)

2005年の4月15日のテレビ朝日「報道ステーション」で、保安上の理由でハンドボール東アジア選手権での日中戦が、「無観客試合」になった様子を伝えたと、中宮 崇著『天晴れ!筑紫哲也NEWS23』(文春新書)の201ページに書いてありました。
2006/3/6


◆ことばの話2429「醸し出てる」

去年のメモが出てきました。2005年11月29日のNHKラジオ第一放送村上信夫アナウンサーが、ゲストのことを評して、
「醸(かも)し出てる」
という言葉を使いましたが、これに違和感を覚えました。普通は、
「醸し出している」
と言うと思うのですが。そもそも「醸す」とはどう言うことなのか?何か発酵させているような感じがしていますが。『新明解国語辞典』を引くと、
「かもす」=(1)コメ・マメに麹(コウジ)を仕掛け、時間を掛けて醗酵(ハッコウ)させ、酒・しょうゆなどを作る(2)何かをしているうちに、ある事態・状態を徐徐に作り出す。
とあります。「醸し出す」も引いてみると、
「かもしだす」=(ある気分を)作り出す。
とあります。やはり「醸し出す」はあっても「醸し出る」は載っていません。醗酵するのではなく、人為的に醗酵させるのですから、ここはやはり「醸し出す」でしょうな。「醸し出る」だと自動詞、勝手に出てくるのですから。
問題は「醸し出す」が「醸す」+「出す」という複合動詞であるということと、自然とある雰囲気が立ちのぼってていることを言い表す適当な表現が思いつかなかったということでしょう。ちょっと回りくどい言い方になりますが、
「醸し出されている」
と受身形にすれば、なんとか言いたいことが表せたのではないかなと、傍目八目では思います。
2006/1/12


◆ことばの話2428「小泉チルドレン」

これも去年の残り物。
2005年新語・流行語大賞(見事、大賞!)にも選ばれた「小泉劇場」の中核は「小泉チルドレン」でした。これを初めて耳にした時の感想は、
「辻元清美さんは『土井チルドレン』だったな。でも議員は一人だから、今や『土井チャイルド』かな?それにしても、チャイルドやチルドレンというには、佐藤ゆかりさんも、片山さつきさんも、みんな年食ってねえか?杉村太蔵くらいかな、チャイルドって感じなのは。そう言えば昔、『フラワー・ピープル』とか『フラワー・チルドレン』ってなかった?」
てなことを考えていたのでした。
その頃に『現代用語の基礎知識2006』の執筆依頼が来たので、「小泉チルドレン」についても書くのかなと思ったら、
「『小泉チルドレン』は、政治用語のところで既に取り上げますので、こちらでは結構です。でも『○○チルドレン』という言い方について書いてください。」
とのことでしたので、書きました。それをここに掲げます。

★○○チルドレン
2005年9月11日の衆院選で、小泉純一郎総理の息のかかった「新人」議員たちのことが「小泉チルドレン」と呼ばれた。この「○○チルドレン」という呼び名、10年ほど前には、土井たか子・社民党党首のもと議員となった福島瑞穂氏、辻元清美氏らが「土井チルドレン」と呼ばれた。さらに小沢一郎・新進党党首の下で1年生議員となった人たちは「小沢チルドレン」と呼ばれた。その昔「フラワー・チルドレン」というのもあった。
インターネットのGoogle検索(2005年9月30日)では、「小泉チルドレン」=8万5600件、「土井チルドレン」=314件、「小沢チルドレン」=197件、「フラワー・チルドレン」=1万件。
「チルドレン」は「派閥」と似ているが、従来の政治手法である「派閥」とは違う形で集まっていることを強調するために、「派閥」という言葉は使わない。
「チルドレン」と「○○派」の違いは、まず、派閥構成員の力量の違いにある。「チルドレン」は、構成メンバーが領袖に比べて非力すぎ、領袖に取って代わることはない。しかし「派閥」の場合は、継承者の椅子を狙うナンバー2、ナンバー3という有力者がいる。「群雄割拠」が「派閥」、「トップとその他」が「チルドレン」。「チルドレン」は付きまとっているだけで、ドンの力が頭一つも二つも三つも飛び抜けているので、「派」にはならない。「チルドレン」は、所詮「子ども」ということか。
また「その派閥の領袖が、与党にいるかどうか」という要素も大きい。小沢、土井は、与党ではなかったので「○○派」ではなく「○○チルドレン」。その考え方でいくと、小泉は与党の総裁であるので、「小泉派」としてもよいのだが、「自民党をぶっこわす」を標榜して派閥をぶっ壊す人なので、「与党であって与党でない」立場にある。よって、野党と同じように「チルドレン」となってしまうのではないか。
Googleで「○○チルドレン」の「○○」に、人の苗字を入れて検索したところ(9月30日)、「菅チルドレン」=73件、「青木チルドレン」=21件、「野中チルドレン」=17件、「武部チルドレン」=30件、「鳩山チルドレン」=1件で、「神崎」「志位」「前原」は0件であったが、「田中チルドレン」=354件。この「田中」は田中角栄・元総理ではなく、田中康夫・長野県知事である。また「岡田チルドレン」=50件だが、こちらは民主党の岡田克也・前代表ではなく、2年ぶりの優勝を決めた阪神タイガースの岡田彰布監督を指していた。(なお「岡田チルドレン」は、1998年、岡田・現監督が、阪神2軍の打撃コーチに就任して12年ぶりにウエスタンリーグで優勝した時に育てた、浜中おさむ・田中秀太・関本健太郎といった選手のことで、「小沢チルドレン」になぞらえて岡田門下生を呼んだもの。日刊スポーツの井之川昇平記者が命名したという。)
「チルドレン」と同じようなものに、吉田茂・元総理の「吉田学校」があった。池田勇人、佐藤栄作などが「吉田学校」の生徒。自由党入党・総裁就任後に、少なかった子飼いの勢力を拡張するため、吉田は多くの官僚出身者を国会議員に引き立てた。これが「吉田学校」と呼ばれたグループである。しかしこれ以外に「○○学校」があったかと言うと、小説のタイトルとしては『池田学校』『角栄学校』があるが、「吉田学校」ほど一般的ではない。(「学校」と言うからには「先生と生徒」という関係。「派閥」は大人同士、「チルドレン」は「親子」という関係性。)
また、小泉が総裁になってすぐの選挙では、「小泉チルドレン」ではなく「小泉親衛隊」という言い方が一般的だった。これは既に政界に身を置く若手政治家が、本来の所属派閥を超えて、草の根的に小泉を応援するという流れの中でそう呼ばれていたので、新人議員ではなかった。この「親衛隊」という言い方は、小沢一郎にも「小沢親衛隊」と使われた。この場合は、新進党とか新生党とか自由党という党本来の枠組み以上に、小沢個人に心酔して付いていく信奉者に対して使われていたようだ。

ということでした。

2006/1/12
(追記)

1月18日、自民党の松本和巳衆議院議員(40、千葉7区選出)は、自派の出納責任者らが公職選挙法違反(買収)の罪で有罪判決を受けた責任を取って、辞職しました。これで「小泉チルドレン」は82人になりました。
松本氏はドラッグストア大手「マツモトキヨシ」の創業者の孫で、衆院議員を2期務めた父・和那氏の後継として当選。森派に所属する一方、「小泉チルドレン」の一人として自民党一年生議員でつくる「83会」のメンバーとして活動していました。補欠選挙は4月に行なわれます。
2006/1/26


◆ことばの話2427「制作か製作か」

先日(11月20日)、日本テレビの『バンキシャ』を見ていたら、最後に出てきたクレジット(字幕)が、
「製作著作・日テレ」
になっていて「あれ?」と思いました。と言うのもテレビの番組を作る場合は、
「制作」
映画の場合は、
「製作」
を使うと、私はなぜだか覚えていたのです。
そこでさっそく日本テレビの用語の担当者・Oさんにメールで問い合わせたところ、返事が届きました。それによると、
『日本テレビでは著作権法29条により、番組の著作権者が日本テレビにある場合は、
「製作著作」
を使うことで統一しています。最近は、なんだろうマークを付けて日テレとする場合も可としています。このケースで「原則不可」のケースは、
「制作著作日本テレビ」「製作・著作日本テレビ」
です。著作が外部の場合は、
「企画制作 日本テレビ 製作著作○○制作会社」
となります。かっては、
「制作 日本テレビ」

を使ったケースがありますが、10年ぐらい前から上記のようになっています。
ということでした。
ふーん、そうだったのか。
ところが1月3日に放送された、イチロー選手が出演したフジテレビのドラマ『警部補・古畑任三郎』の最後のクレジットは、
「制作フジテレビ・共同テレビ」
とありました。
著作がつくと『製作著作』なのかなあ?付かないと「制作」なのかなあ?
読売テレビが作っている『ザ・ワイド』の最後のクレジットも、そう言えば、
「製作著作・よみうりテレビ」
でした。ニュース番組では最後にクレジットが出ないので、あまり気づかないまま、10年も経ってしまったのですかねえ・・・。
2006/1/12
(追記)

実は、前にほぼ同じようなことを書いていました・・・。平成ことば事情844「制作と製作」で、2002年の9月20日に。
さて、それとは別に、読売テレビでは「製作」「制作」どちらを使っているのか、著作権部のM氏に聞いてみたところ、
「読売テレビでは『制作』を使います。著作権法上は『製作』も『制作』も同じ。どちらを使ってもよい。しかし、社(放送局)によってバラツキがあるのが現状。」
というお答えでした。うちは「制作」だったのか。でも「ザ・ワイド」は「製作著作」という日本テレビ方式の表記を使ってますけど・・・。
「え?そうだっけ?・・・チェックします・・・あ、本当だね。『ザ・ワイド』は、日本テレビの制作から、読売テレビの制作に変わってまだ日が浅いのと、東京で作っているから、日本テレビ式の表記になっているのかなあ・・・」
とのことでした。その後確認した、同じ東京で作っている読売テレビの番組『新・どっちの料理ショー』は、
「制作」
でした。
2006/3/31
(追記2)

3月31日に放送していたTBSの「ハプニング大賞」、番組最後のエンドロールでは、「製作著作 TBS」
でした。最近のロールスーパーは、スピードがメッチャ早くて、なかなか確認しづらいのですが、なんとか目を凝らしてみました。
2006/4/3


◆ことばの話2426「念を送る、念波」

川上弘美の『此処彼処』(日経新聞社)の「千日前」を読んでいたら、
「熱く濃い念波を送る」
という表現がありました。「念波」=「ねんぱ」ですかね。
これと同じように、
「念を送る」
という言葉を、よく、うちのアナウンス部の大田アナウンサーが使っていました。
GOOGLE検索では(11月11日)
「念を送る」=1万2600件
「念波」=2万9100件

でした。.
でも・・送れるのか、そんなものを?テレパシーやテレキネンシス(だっけ?)を使えるということか?
この「念」や「念波」は、
「思い」「願い」
のことではないのか?
もしかしたら、「念」「念波」は、「気づかれない流行語」なのかもしれませんねえ・・・でも違うかも。「念」には「念」を入れて検討するために、この原稿、書きかけたまま寝かせておいたら、年を越して2006年になってしまいました・・・。
2006/1/11
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