◆ことばの話850「JF」

インターネットを見ていたら、こんな記事に目がとまりました。



「略称『JF』の使用差し止め〜東京地裁」



何だろうと思ってみてみると、「JF」をローマ字の略称として使ってきた「日本フードサービス協会」が、最近「JF」を略称に決めた「全国漁業協同組合連合会(全漁連)」を相手に、「JF」の「使用差し止め」の仮処分をを求めた、という記事でした。
ちなみに読み方は、
「日本フードサービス協会」は「ジェフ」、
「全国漁業共同連合会」は「ジェイ・エフ」

というふうに違うのです。果たしてどちらの言い分が通るのか。
ところで、これに関連したことで、一つ気になるお話を。
商法の改正で、この11月1日から、ローマ字表記の会社名の登録が可能になります。どういうことかというと、たとえばこれまで、「NTTドコモ」という会社は商号登録する場合には
「NTT」
というローマ字(アルファベット)は使えなかったので、カタカナでもって
「エヌ・ティー・ティー・ドコモ」
という表記での登録をしなくてはならなかったのですが、これからは、
「NTTドコモ」
でよくなるというわけです。
でもこれに伴って、われわれアナウンサーにとっては困ったことが起きます。上の「JF」問題のように、「ジェイ・エフ」と読むのか「ジェフ」と読むのかわからないケースが出てくるということなんです。全部アルファベットにルビを振ってくれると助かるんですけれど。なかなか音声のことまで考えてないんですよね、書類の仕事って。文字で書けば済むわけですから。ハアー、また悩みが一つ増えるう。



2002/9/30


◆ことばの話849「とごる」

実家に行った時に(男なのに実家とは!と言う方もいらっしゃるでしょうが、まあ、大目に見てください。)母がこんな質問をしてきました。
「ねえ、水の中に粉かなんかを溶かして、溶け残った状態をなんて言う?」
「え?そりゃ、“とごる”やろ」

と私。それを聞いた和歌山県出身の私の妻が、
「そんなこと、言わない。」
「え!言うで。“とごってる”って言うよ。」
「ほらな、やっぱり“とごる”は、伊賀の方言なんやわ。」

私の両親は三重県の伊賀上野の出身です。その影響でか、私もなんの不思議も違和感もなく、この年まで「とごる」を使ってきました。意味は「沈殿する」「溶けきらずに残る」です。ずーっと、共通語だと思ってた!
会社で広島出身のNアナウンサーに聞いても「知りません」と言うし、他のみんなに聞いても「“とごる”なんて知りません。」という答え。ただ一人、静岡県焼津市出身のHアナウンサーは、
「“とごる”でしょ、言いますよ。」
という答え。静岡でも言うのか。確認のためにHアナと同郷で、実家が50メートル位しか離れていないと言うKプロデューサーにも聞いたところ、意外にも、
「そんなこと言いませんよ!」
という答え。一体どうなってるんだ?
『日本国語大辞典』を引くと、載ってました、載ってました。



「とごる」=(方言)(1)沈殿する。よどむ。愛知県尾張、三重県志摩郡、奈良県宇陀郡、和歌山県(例文)「底にとごる」「この油は大分とごってゐる」:△とごるう(奈良県宇陀郡)、△とごむ(奈良県吉野郡)
(2)沈む。三重県志摩郡
(3)煮こごる。尾張宮、岐阜県養老郡「魚がとごる」



名詞形としての「とごり」も載っていました。その例文は斎藤緑雨の「おぼろ夜」(1899)から、
「憎いなも持って見ねば苦労がおしふる浮世の底、とごりの正体は唯振ったではわかりませぬ。」
という一文が紹介されています。斎藤緑雨は三重県は伊勢の出身とか。やはりそのあたりの言葉なんでしょうね。
でもHアナウンサーの出身地・静岡県焼津は、『日本国語大辞典』には。この方言の使用地としては載っていなかったぞ。これは新しい情報かもしれませんね。



2002/9/30



(追記)



その「とごる」に「沈殿」をキーワードに加えて、Googleで検索してみました。その結果、51件の「とごる、沈殿」が検出できました。それを読んでみると、やはり方言なのですが、どの地域で使われているかが分かりました。インターネット上で「とごる」を「方言として使う」と書いているのは次の地域です。
<三重県>
・伊勢志摩
・四日市市
・津市
・松阪市
・鈴鹿市
・桑名
・浜島町
<和歌山県>
・和歌山市
・有田市
・新宮市
・和歌山県北部
・田辺市
(紀州弁、というまとめもあった)
<愛知県>
・三河地区
・田原町
・名古屋市(名古屋では使わないという記述もあった)
<奈良県>
・十津川村



こんなところでした。



2002/10/1


◆ことばの話848「『きわまりない』と『きわまる』」

「悪質きわまりない」と「悪質きわまる」。
皆さんはどちらの方がより「悪質」だと思いますか?
どうだろなー、どっちもかなり「悪質」なことは間違いないんだよなー。
向かいの席に座っているHアナウンサーに聞いてみました。
「そりゃあ、“きわまりない”の方が悪質でしょう。」
「けど、“きわまる”も、結構、悪質な感じがするよ。」
「もともとは、決められた限度いっぱいの“きわまる”よりも、それを超える“きわまりない”の方が、より程度が大きかったのでしょうけれど、みんなが“きわまりない”をよく使うものだから、かえって“きわまる”と言った方が新鮮に聞こえて、程度が大きいように聞こえるんじゃないでしょうかね。」
なーるーほーどー。

なかなか説得力があると思いませんか?
一応ここまで論議をしてから国語辞典を引いてみましょう。なじみの『新明解国語辞典』。



「きわまる(極まる)」=それから先は無いという所まで達する。(例)「極まる所を知らない荒廃」「失礼(卑劣)極まる」「進退谷(きわ)まる」「感極まる」
「きわまりない(極まり無い)」=限りが無い(例)「不健全極まり無い(=この上なく不健全だ)」「無謀極まり無い(=この上なく無謀だ。無謀極まる)」



おっと、最後の(例)で「極まりない」の用例の中の( )の中に「極まる」が出てきているぞ。つまりほとんど使用上は区別なく使えるということなのかな。
インターネットのGoogleでいつものように検索してみましょう。
悪質きわまりない・・・・168件
悪質きわまる・・・・・・40件



悪質極まりない・・・・・・758件
悪質極まる・・・・・・・・・90件



きわまりない・・・・2万2800件
きわまる・・・・・・・・6080件



極まりない・・・・・7万9300件
極まる・・・・・・・1万6800件



ということで、やはり「極まりない」の方がよく使われています。それも「ひらがな」より「漢字」の方が、頻度が高いですね。Hアナの指摘は、現状を反映したもののようです。



2002/9/30


◆ことばの話847「深みと高み」

9月23日の彼岸の中日、和歌山県の有田川で、溺れた4歳の女の子を助けようと飛び込んだ男性二人が溺れて死亡するという、いたましい事故が起きました。この川は、「親水護岸」といって、川岸がなだらかなコンクリートの階段になっていて、それが川の中まで続いているという構造のもので、コンクリートの階段が終わったところで、川底が流れにえぐられて水深が急に深くなっていて3メートルほどになっているんだそうです。二人はその深みにはまってしまったものと見られています。
さて、その「深み」という言葉。似た言葉に「高み」「極み」がありますが、この「み」ってでしょうか?これの反対語の「浅い」「低い」には「浅み」「低み」って言葉はありませんよね。なぜなんだろうか?
『日本国語大辞典』で「み」を引いてみました。
「み」=(接尾)形容詞または形容動詞の語幹に付いて名詞を作る。
そのような状態をしている場所をいう。「高み」「明るみ」「深み」など
その性質・状態の程度やその様子を表わす。「さ」と比べると使われ方は限られる。「厚み」「重み」「苦み」「赤み」「面白みに欠ける」「真剣みが薄い(たりない)」など。
<補注>(2)の中には、漢語の「味」と混同して意識され、「味」をあて字として用いることも、近代には多い。



なるほどなるほど。ちょっとわかってきましたぞ。
これをもとに、同僚のHアナと「み」について話し合いました。
私:「『み』は『明るみ』とは言うけど『暗み』とは言わないよね。『明るい』と『暗い』は反対語だけど、同じ方向に向かったベクトル上の、程度の差を表すものだからそのベクトルのたどり着く先というかその方向性を示す『明るさ』の方には『み』はつくけど、単なる程度の低いことを表す『暗い』という言葉には『み』は付かないんじゃないのかな。『深み』「『浅み』についても同じことが言えるんじゃない?『高み』と『深み』はベクトルの向きが逆なだけだから。」
H:「いや、私は『み』はその場所を示す、ということで言うと、本来というか普段ある場所=『ケ』の場所が『暗い』方にあって、そこから目指す方向が『明るい』方向、これに対して『み』が付いて『明るみ』、ここは『ハレ』の空間なんですね。そこを示す時には『み』がつくと思います。」
私:「神の高みか。『み』には何か神聖なものがあるのかもしれないね。」



こうして「み」の論議は「深み」にはまっていき、秋の夜は深まっていったのでした・・・・。



以上、「み」ちうらでした。



2002/9/25


(追記)



その後もHアナウンサーと話を深めました。
「重み」は言うが「軽み」は言わない。能や俳句では「かろみ」というのは例外的に言う。
「うまみ」とは言うが「まずみ」とは言わない。
「厚み」とは言うが「薄み」とは言わない。
また、「深み」「高み」と「深さ」「高さ」との違い、つまり「み」と「さ」はどう違うのか?
「広さ」「狭さ」とは言うが、「広み」「狭み」とは言わない。
これは「み」はその対象そのものの中に入っていく感じだが、「さ」は客観的な尺度としてのそのものという感じがする、ということなのだろうか?

などなど、謎はさらに深くなるのでした。



2002/10/1


◆ことばの話846「M教師」

9月23日の毎日新聞「教育面」に、こんな大きな見出しが。
「進む『M教師』追放」
なんだ?この「M教師」というのは、何か“秘密の匂い”がするぞ!
本文をよく読んでみると、
「指導力不足教員」のことを以前から「M教師(問題教師)」
と読んでいたそうです。
なーんだ「問題教師」の「問題」が「M」ですか。よかった・・・じゃないよくないですよね。
毎日新聞の記事によると、この「M教師」に関して、これまで教育委員会も頭を痛めてきたと言うのです。その理由は「免職や停職という処分にもできるが、訴訟を起こされる恐れもあるから」というのですが、これって、何かおかしいですよね。
一般の公務員に配転するには本人の同意が必要で難しいため、行く先々の学校で問題を起こす「評判」のダメ教師が教壇に立ち続け、保護者らの不満が高まっていたとも、毎日新聞は書いています。実際そんな先生に来られたら一番迷惑なのは子供たちですよね。
先日、後輩の子供が小学校から帰ってきて、こんなことを言ったそうです。
「日本は悪いね、お父さん。昔いっぱい北朝鮮の人を殺したから、だから拉致されたりしたんだね。」
驚いたその後輩が、誰がそんなことを言ったのかと子供に聞くと、なんと
「学校で先生が、そう話した。」
と答えたそうです。これも「M教師」ではないでしょうか!悪い意味で、指導力ありすぎです。一番感受性の高い影響を受けやすい小学校の時点で、教師の存在が、非常に重要なのは言うまでもありません。
京都市では1996年度から指導力不足の教員を授業からはずす制度を導入、また1〜2年程度の個別指導で改善が難しいと判断した場合は退職を勧め、この制度に基づいて退職した教師は、1996年度〜1999年度には各2〜8人、2000年度に14人、2001年度には17人と年々増えており、女性が38人と7割以上を占めるのだそうです。
ただし、学校側が客観的判断もなしに一方的に「M教師」の烙印を押してしまうケースも起こらないとは限りませんので、第三者によって客観的に判断する機関が必要かもしれません。
ところで、Googleで「M教師」を検索したところ、驚いたことに10万9000件も出てきました!教師の隠語なんでしょうけど、それだけ隠語を使う教師がインターネット上にいるということなのか、隠語だからこそアングラなこの言葉がインターネット上にたくさん出て来るのか?そのあたりはどうなんでしょうね。それだけたくさん「M教師」がいる、ということならば、目も当てられません・・・・。



2002/9/24


(追記)



『新ことばのくずかご84−86』(見坊豪紀、稲垣吉彦、山崎誠:1987、1、10)に、「M教師」が出ていました。(43ページ)「問題教師」のことを指すとして、読売新聞の1984年12月4日の朝刊9面に載っていたそうです。結構昔から言われていたのですね。そういう教師が、昔から(20年以上前から)いたということですね・・・。



2005/9/16

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