◆ことばの話375「インド人もびっくり!!」

昔、カレーのコマーシャルで

「インド人もびっくり!!」

というのがありました。
「カレー=インド」
というステレオタイプな考え方を助長したためか、はたまたインドからの抗議によってか、こういった表現は次第に表舞台からは消えたようですが、いまだに完全に消え去った訳ではなく、雑誌やお店の看板などでお目にかかることがあります。
また、この「インド人」の部分にいろんな国の名前を入れて

「○○人もびっくり!!」

という表現も、陳腐ではありますが、なにか面白味を持って使われることがあります。
インターネットで調べてみると、結構、出て来ますね。カレーのCMのセリフ(コピー)だったのですが、それが「明治キンケイ印度カレー」なのか「メタル印度カレー」なのか?両方の説があるようです。はたまた、立川談志師匠が言い出したという説まで。
あのコマーシャルももう30年以上前でしょうから、記憶も薄れていきますよね。
実は昨日と今日、続けて昼食にカレーを食べに行ったのですが、なかなか、インドの人に
「“インド人もびっくり”という言葉、言い方は、だめですかね?」
と聞く勇気がありません。
インターネットの検索エンジンでこの表現がどのくらい使われているか、調べたところ、

YAHOO=約1390件
インフォシーク=618件

でした。ホラ、まだ結構使われていますね。

このホームページをご覧の、日本語が読めるインド人の方、是非、使っていいものなのかどうか、ご教示下さい、お願します!
2001、7、27

(追記)

アメリカはボストン在住のIさん(以前、読売テレビに勤務していた先輩)から、「インド人もびっくり」に関する情報を頂きました。
それによると、このCMは1964年9月29日から放送(あるいは発売)された、ヱスビーの「特性ヱスビーカレー」のコマーシャルで、この中で若き日の芦屋雁之助さんが、頭にターバンを巻いたインド人を演じていたそうです。また、長門裕之さんのバージョンもあったということです。(ヱスビーのホームページによる)
その後、この「インド人もびっくり」が使われなくなった経緯については、まだ分かっていません。
2001/8/7
(追記2)

「におわない納豆」を関西地区で販売している旭松が、新たに「カレー味の納豆」を発売したそうです。納豆のタレが「カレー味」なんだそうですが、そのパッケージには、シーク教徒と思しき、ターバンを巻いたインド人の顔が描かれています。そしてその横に添えられたコピーは、

「インド人もなっとく」

これは、「インド人もびっくり」のパロディであるのみならず、「インド人も納豆食う」という意味でもあるのではないでしょうか。・・・食わへんのとちゃうか・・・。
2001/8/13

(追記3)

M・Kシャルマというインド人の方が書かれた「喪失の国、日本〜インド・エリートビジネスマンの“日本体験記”」(文藝春秋・2001、3、1)という本の中で、日本の「本場インドカレーのお店」を初めて訪れた時の様子を描いた中で、こんな記述が出てきました。

ところで日本のカレーはすべて粘液状のもので、材料は固形スープのような形で市販されている。ブームに火をつけた商品のCMのキャッチは「インド人もびっくり」であったというが、たしかに私は「びっくり」した。これらの商品はどれも「本場インド風」を謳い、決して「純日本風」を謳っていない。どのメーカーもそんなふうに大嘘をつくのは、インドのイメージを付与した日本風食品の方が売れるからだが、そのことは同時に、日本人にとって、本当のインドの味は受け容れ難いものであることを物語っている。
(183〜184ヘヘ゜ーシ「゛激辛カレーを食べる」の項)

やっぱり「インド人もびっくり」したんだ。でも「おいしくて、びっくり」したのではなくて、「あまりにインドと違うから、びっくり」したんですね。
シャルマさんはこのほか、

チキンと野菜はともかく、インドのレストランでは絶対に存在しないビーフと、ひじょうに存在しにくいポークが、日本では主役なのである。どこでこのような誤解が生じたのだろうか。これではまるで、悪意に満ちたブラックユーモアだ。(178ヘ゜ーシ゛)

とも書いています。1989年にインドに行った時に思ったのですが、やはりインドでは、ヒンズー教徒にとって神聖な“牛”を「ビーフ・カレー」として食べたりはしないし、イスラム教徒が食べない「ポーク(豚肉)」も、避ける傾向にあるようです。
しかし以前は人によっては、エア・インディアの機内で「ビーフ・ステーキ」を頼む人もいて、1980年代初めまでは、実際に「ビーフ・ステーキ」も用意していたそうですが、インド国内から非難する声が上がってなくなったんだそうです。なぜそれまで、聖牛思想のあるヒンズー教徒が83%を占めるエアー・インディア機内で、「ビーフ・ステーキ」が出ていたか?というと、国の基幹産業であるこの航空会社を提供した財閥の一族が、「(ヒンズー教徒ではなく)拝火教徒だったから」なんだそうです。(28〜38ヘ゜ーシ゛「インド国営航空の“牛肉”)の項)

なかなか異文化を理解するのは難しいなと、「夏はカレー!」のコマーシャルを見ながらお盆の最終日に考える私でした。
2001/8/16
(追記4)

先日、「情報ライブミヤネ屋」のあとのコマ−シャルを見ていたら、昔聞き慣れた、あのコマーシャルソングが聞こえてきました。
「♪メタルー、インドー、カレーー!」
ああ、懐かしいと思って聞き入っていたら、最後にこんなコメントと文字が!
「インド人もたまげた!」
こっちがたまげた!「インド人もビックリ!」じゃないんですね、21世紀の「メタル・インドカレー」は!ホントにたまげました。
2009/1/26


◆ことばの話374「中国なまりの日本語」

「ズームイン!!朝!」の中でラーメンを紹介するコーナーで、担当のアナウンサーが、

「こちら、おいしいあるよ」

というふうな、「中国人がしゃべる日本語」のような話し方をしました。

これに関して、部内などで、

「あれはいけないのではないか?」

という声が上がりました。

「中国人風日本語」のしゃべり手としては、手品のゼンジー北京さんがいますが、これは芸風として既に定着、世間に認知されていると考えていいでしょう。

だからその「ゼンジー北京さんのマネをした」ということならOKなのでしょうか。

昔の話になりますが、石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」の中に出てくる中国人のメンバーは、やはりゼンジー北京さんのような日本語を話していました。当時は(もう30年くらい前でしょう)何の疑問もなく使われていたのでしょうが、今、このアニメをやるとなると、お断りを入れるとか、いろいろ対応を考えなくてはならないのではないでしょうか。

もしこれが、「フランス人がしゃべる日本語」「アメリカ人がしゃべる日本語」「ドイツ人がしゃべる日本語」だったらどうでしょう?

これらは、特に問題ないのではないでしょうか。

では「韓国人がしゃべる日本語」は?

きっとだめでしょうね。こうやって考えると、中国人、韓国・朝鮮人のしゃべる日本語のマネに関しては注意が必要だと言うことです。

なぜか?

日本人が彼らに対して日本語を話すように強制した歴史があり、それが十分に出来ないことをバカにするような態度をとった、という過去があるからではないでしょうか。



同じことは外国人に対してだけではなく、実は日本人同士に関しても起こり得ます。共通語(標準語)と方言の関係です。方言をバカにする、あるいは笑いものにすることと、根は同じように感じます。

以前、アメリカ映画やテレビの吹き替えで、南部の黒人が出てくると、必ず「東北弁」に吹き替えられていたことなども同じような感覚があるのではないでしょうか。(必ずしもそれだけではないでしょうが。)そう言えば、ジャッキー・チェンの映画の吹き替えでも、

中国人風日本語をしゃべる人が出てきたことがあるように思いますが、どうでしたっけ。

いわゆる「お笑い」の系統に、他との違いを「おかしいと感じる」=「笑う」という図式があります。

例えば、他局ですが、明石家さんまさんの「からくりTV」では、「英語がしゃべれない日本人」の「おかしな英語」を笑います。トンチンカンな答えをするお年寄りを笑う「ご長寿クイズ」、ふだんはしっかりと働いているお父さんが、酔っ払ってだらしなくなって、おかしなことをするのを笑う「サラリーマンクイズ」、おかしな動作を繰り返す、おかしな女優・中村玉緒さんの「玉緒が行く」など、「しっかりしているのが当たり前」という規範から外れたものを「笑う」というのが番組のコンセプトでしょう。これはVTRの中にとどまらず、スタジオの解答者にも、天然ボケ派の人(西村知美、浅田美代子)を配しているところにもみられ、いかに「これでもか!」とたたみかけて来ているかが分かります。

というより、「笑い」にはそういう要素があると言うことです。(全てではないでしょうが。)

しかし、この「笑い」には、やはりTPOがあるということではないでしょうか。

こういった「笑い」を全否定する訳ではありませんが、使うシチュエーションなどに、配慮をすることは必要でしょう。

2001/7/16

(追記)

アメリカ南部の黒人の訛りは「東北弁」ではなく「北関東弁」(埼玉、群馬、茨城県あたり)のようです。

2003/8/4


◆ことばの話373「カラザ・オーク・セピア色」

今回は、あわせ技です。忘れないうちにこの驚きを伝えようと思って。タイトルの3つの言葉はそれぞれまったく関係ありませんん。それではまず、「カラザ」から。



*「カラザ」

「ニワトリの卵の中の、黄身の両端についている紐状のものを何て言う?」


と聞かれたので、

「カラザでしょ?」

と答えました。すると、

「どんな字を書く?」

というので、

「殻座。卵の"殻"に、座布団の"座"」と答えると、

「ブーッ!カラザは英語やねん。嘘やと思ったら、辞書引いてみて」

えーっ!ほんとー?と思いながら辞書を引くとそこにはちゃんと

「chalazaラテン語」

と書かれていました。いやあー、ずっと「殻座」は日本語だと思ってた!いやあ、驚いた!!



*「オーク」

「オーク(OAK)というと何の木でしょう?」


当然、私は「樫(かし)の木」と答えるところですが、どうも違うらしいのです。

「歴史をかえた誤訳」(鳥飼王久美子著・・・くみこ。「く」の字がなかったのでごめんなさい「王と久」をあわせた字です。/新潮OH文庫)という本(158ページから161ページ)によると・・・



つまり英語の「オーク」は日本の「楢(なら)」なのだった。最初に誰かが「樫」と誤訳し、それが長らく定着し、辞書でも踏襲されてきたという。岐阜県清見村で、二十年以上も前から木と取り組んでいる集団「オーク・ヴィレッジ」代表者、稲本正氏の指摘である。(1997年3月2日付朝日新聞「天声人語」)



と言うことなのだそうだ。「オーク」は、「樫」ではなく「楢」だったのだ・・・ほんまかいな。ほんま?「なら」良かった。あな「かし」こ。



*セピア色

「セピア色」というと、古くなった写真の黄褐色のあの色。ああ、なつかしいかな・・・と思っていたのですが、「人はなぜ色にこだわるか」(村山貞也著・KKベストセラーズ)によると(272〜273ページ)



セピアとは、元来、コウイカ属のイカの名であり、その墨からとる顔料をもセピアというのである。(中略) つまりセピアとは黒っぽい色なのである。黒褐色、灰褐色、暗褐色なのであって、けっして黄褐色ではない。



とあるではないですか。なぜ、そうなったのかについても、



昔の写真館では写真(もちろん黒白のモノクローム)を撮ったあと、感光しない部分、つまりポジで黒になる部分を若干ソフトにするため、銀を硫化処理して少し褐色がかった灰色に落とした。そして、そのほうが黄色っぽく変色することも少ない。(中略) その灰(暗)褐色をなつかしむ人が、カラー万能の時代になったいま、「セピア時代の写真はなつかしいなあ」という。そしてその対象に、あの黄色く変色した写真も仲間入りしてしまったのだ。



と記してありました。そうかあ、セピア色って、そうだったのかぁ。

今回は40歳を前にした私が、「目からウロコ」の出来事、3連発でお伝えしました!

いやあー驚いた!この話をした相手の人も大概「へぇー!」と驚くのですが、その後のひとことも大概、

「で、それがどうしたん?」

確かに、人生、このぐらいでは変りませんわ。

2001/7/23


◆ことばの話372「黒一点」

会社のエレベーターに乗った時のこと。ドアが開くと、女性ばかりでほぼ満員。奥の方で一人の男性社員が「ホーッ」とためいきをもらしながら、

「よかったー、ようやく男が乗ってきてくれたぁ」

それを見た私は、

「紅一点ならぬ、黒(こく)一点ですね。」

と言うと、

「こくいってん?白(はく)一点じゃないの?」

という答え。そこで調べて見ました、「黒一点」か「白一点」か。白黒つけようじゃないか。

ところが、辞書をひいても「黒」も「白」も出ていないのです。

そこで、インターネット検索で調べてみると、

YAHOOでは、

「黒一点」・・・約867件

「白一点」・・・110件

インフォシークでは、

「黒一点」・・・407件

「白一点」・・・68件


という結果が出ました。ということは、やはりいるんだ、「白一点」というのを使う人が。割合としては、「黒」85:「白」15といったところでしょうか。

しかし辞書に載っていないのは気になる。そこでインターネットの掲示板で、「皆さんはどちらを使いますか?」と聞いたところ、なんと「普通は、緑一色でしょ。」という答えが返ってきました。

みどり?なんで?と思いましたが、そもそもこの「紅一点」と言うのは、中国の詩人、王荊公の石榴詩「万緑叢中(ばんりょくそうちゅう)、紅一点」という一節からとられたもので、本来の意味は、青葉の中に一輪の赤い花が咲いているように、「唯一つ異彩を放っているもの」と言う意味でそこから転じて「多くの男性の中にただ一人の女性がいること」(広辞苑)という意味になったそうです。

そこから考えると「(緑の中に)紅一点」の逆の状態は「(紅の中に)緑一点」になるというのですから、説得力があります。

実際にインターネット検索で「緑一点」を引いてみると、

YAHOO・・・39件

インフォシーク・・・30件


という結果が出ました。「黒」「白」よりは、はるかに少ないですが、確かに「女性の中に男が一人」と言う意味で「緑一点」は使われているようです。学のある方が使っているんじゃないでしょうか。

いずれにせよ、「俗語」の域は出ないようで、まだ辞書には載っていないようです。でも、確実に使われてますよね。

白と黒は、勝負の世界、例えば相撲の世界では(白星と黒星では)まったく逆なのに、ここでは「白一点」と「黒一点」が同じ意味で使われているというのも面白いですね。

それと、「紅一点」の「紅」に対応して「白(一点)」ですが、「紅」の字ではなく意味上の同義である「赤」に対応して「黒(一点)」というのも注目です。字面で対応するなら、「白」の方が正しい気がしますが、いかがでしょうか。

2001/7/23

(追記)

「思いちがい辞典」(別役実著・筑摩書房1999)という本の中で、「コウイッテン〜紅一点」について書いた文章がありました(74〜76ページ)。



「男たちに取りまかれた女は良くなるが、女たちに取りまかれた男は悪くなる」と言われている。(中略)「まさしくその通りだよ」と、或る高校の先生はその経験に基づいて断言してくれた。「男子校に入った少数の女生徒は、みんな優秀だったばかりでなく更に優秀になったが、女子校に入った少数の男生徒は、みんな馬鹿だった上に更に馬鹿になった」

この点も、厳密に考えれば他にさまざまな要因がありそうだが、こんなことはことさらに厳密に考えてみたってしょうがない。少なくとも「そうしたことがあるらしい」と知っていればいいのである。ともかく、この「男に取りまかれた女」のことを「紅一点」と言う。対して、「女たちに取りまかれた男」のことを言う例がないのは、それが何の感興ももたらさないからであろう。(中略)この種の感興は男性側の美意識によるものであり、女性側から見た場合は別だという考え方もあるが、必ずしもそうではなかろう。




などと書き連ね、「最近は演劇の世界でも女性の志願者が増えてきたが、舞台の上で、女性がいっぱいで男性が少ないという形にはならない。それは演劇界でも"紅一点"的な"関係のありよう"が望まれているからだ」と結論づけているのですが、「紅一点」の反対の言葉が出てきている現状から考えると、別役さんの考え方とは違う方向に、時代は進んでいるのかもしれないな、と感じました。

2001/8/8

(追記2)

2003年2月21日の朝日新聞家庭欄「父のひとりごと」というコーナーで、「なぜ母親ばかり!?」と題したコラムを書いていた会社員の中谷克彦さん(36)が「黒一点」を使っていました。

「私は今年度発足したPTA役員を引き受けたが、他の役員は全員母親。役員会どころか通常の保護者会に出席しても見事に女性ばかりでまさに『黒一点』状態!」

この中谷さん、写真は白黒なのであまりよくは分かりませんが、お顔はそんなに「色白」というわけでもなさそう。まあ「白一点」よりも(色黒な男性の場合は)使いやすいのかも知れませんね。

2003/2/21
(追記3)

2004年4月6日、日経新聞の「プロムナード」というコラムで作家の星野智幸さんが、まさにこの「黒一点」というタイトルで書かれています。
同業者の友人4人とお花見に行った時に、男は星野さん一人だったことから「黒一点」と言われたという話から、本当に「黒」なのか?「白一点」ではないか?個人的には「青一点」と呼んで欲しい、というようなことを考えた話、そしてあとになって実は「紅一点」の原典が漢詩であり、そこから考えると「女の中に男が一人」は「緑一点」と言われるべきであることなどが記されています。
そのほか、高校の教師をしている人のホームページで「『紅一点』の反対語はなぜ無いのか?」というコラムも見つけました。ここでは、漢詩の原典に触れることなく、
「紅一点の反対語が"無い"のは、男性優位社会において男であることは『無標(普通のことであること)』で、女であることは『有標(特別なこと)』だからだ」
としています。これは私と同じ考えですね。今後は「逆」になる可能性もなきにしもあらず、いや、分野によっては、もう逆になっているという局面もあることでしょう。だから、新しい言葉は生み出されて来るんですよね。

2004/4/8

(追記4)

斉藤美奈子さんの著書で、
「紅一点論」(ちくま文庫)
というのを見つけました。アニメと伝記の共通点について、豊富な用例を元に読み解いていくもので、その中に「アニメの世界では、紅一点から紅二点に変わりつつある」という話も載っています。平成ことば事情966「ハリケンジャーと仮面ライダー龍騎」に書いたものを思い浮かべました。ここにうつしておきましょうか。

『ただ、「あれ?」と思ったのは、「ハリケンジャー」3人の衣装の色と性別の関係です。昔の「ゴレンジャー」では、女性は「ピンク」の衣装を身につけて「モモレンジャー」とか言っていたのですが、このハリケンジャーの中の女性は「水色(青)」の衣装を身にまとっているのです。名前は「ハリケンブルー」だって。これは「ピンクは女の色」のように「色と性別の関係を固定的に捉える」ことへのジェンダー論者からの批判的な意見に配慮したのかも知れません。』

たしかに女性は「5分の1」から「5分の2」に増えていたので、「紅一点」ではなくなってはいましたね。

2004/7/18



◆ことばの話371「搬送」

先日の放送用語懇談会で、「搬送」という言葉に関して、TBSの委員からこんな意見が出ました。



「辞書を見ると、"搬送"の意味は"荷物を運ぶこと"となっている。しかし、実際には、病人やけが人を救急車で病院に運ぶ場合にも使われている。このことに関して、視聴者から"おかしいのではないか?"という問い合わせがあったが、いかがなものか?」



なるほど、考えもしませんでしたが、確かに人を運ぶ場合にも「搬送」は使われていますね。また、



「広辞苑では3版までは"人や荷物を運ぶこと"になっていたのに、4版から"荷物を運ぶこと"になっている」



という指摘もありました。本当かな。本当だとしたら、なぜだろう?

直接、広辞苑編集部の方に聞いてみました。

その結果は・・・



「4版から記述が変ったということはありません。確かに"搬送"は"荷物などを運ぶこと"になっていますが、そもそもこの言葉は、軍隊で物資を運ぶ時に使われていたようなので、そのイメージが強い人には、人に使うと違和感があるのではないでしょうか。別に人に使ってもおかしくはありませんね。」



という答えでした。

また、友人の医者に、現場で「搬送」という言葉を、患者さんなどを運ぶ時に使うか?と尋ねたところ、「よく使う」ということでした。



「救急車に患者さんを乗せて運ぶ時も"搬送"、病院内で病室から検査室に移送する時も"搬送"、亡くなられた後、霊安室に運ぶ時も"搬送"。いずれも自力で歩行できない時です。」



という答えでした。

つまり、辞書の記述はどうあれ、人を運ぶのに「搬送」は使うということですね。

2001/7/20

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