ウェークアップ

毎週土曜 あさ8時〜

辛抱
ウェークアップ

特 集

2018/11/10

特集01

イラク・モスルリポート イスラム国が残したモノ

その街にたどり着くのは、簡単ではなかった。
イラク国内を走る幹線道路。
そこにはいくつもの検問所が設けられ、行き交う者を厳しくチェックする。
そして、見えてきたのは…

(菱田雄介ディレクター)
「モスルへと入ってきました。 1年3か月前まで、
 「イスラム国」に支配されていた街です。」

モスルの街は、中心を流れるチグリス川によって東モスルと西モスルに分けられている。
橋を渡り、西モスルに入ると、街の様相は一変する…。

(菱田雄介ディレクター)
「言葉を失うほどの激しい破壊ですね。
 わずか3年ほどの間に… 一体何があったんだというくらい、
 激しい破壊の跡が残されています。」

我々はまず、この地区で一番高いビルに入った。
かつてはホテルだったというこの建物。かろうじて残った階段を登っていくと…。

(菱田雄介ディレクター)
「こちらの部屋なんですけども、中に入ると激しく砲弾を撃ち込まれた様子がわかります。
 砲弾、銃弾、激しく撃たれていますね。そしてもう一度こちらご覧ください。
 何か炸裂した跡が残っています。」
「足元に薬莢がものすごい数、転がっています。」

(菱田雄介ディレクター)
「うわ、うわぁ… ものすごい光景ですね。
もう徹底的に破壊されているのがわかります。」

イラク第2の都市、モスル。
200万人が暮らしていた街は2014年6月10日、
過激派組織「イスラム国」に占拠された。
イラク戦争によって弱体化していたイラク軍は、抵抗することもできなかった。
アメリカの支援を受けた有志連合による「モスル奪還作戦」が始まったのは、占拠から2年後のことだった。

「第二次世界大戦以来、最も激しい市街戦」と言われた戦闘で、
少なくとも1万人以上の市民が死亡。「モスルの戦い」は苛烈を極めた。
ホテルの最上階は、その激戦の舞台だった。

(案内人 カリーム・ボタネ氏)
「イラク軍がホテルを取り戻した時、
 ここはスナイパーポジションとして使われたんだ。
 やってみようか…。」
「兵士は銃を構えて…椅子にこうやって座り、ここから撃ったんだ。
 穴が沢山開いているだろう?
 ターゲットによって別の穴から攻撃したんだよ。」

壁に直接描かれていたのは、ターゲットとなる建物までの距離と方角。
生々しい、市街戦の痕跡だ。
「イスラム国」の支配地域を取り囲み、ビルを1つ1つ制圧していくイラク軍…。
「イスラム国」およそ5000人に対し、有志連合軍はおよそ10万人。
西モスルの建物は、空爆や砲撃で徹底的に破壊された。

(菱田雄介ディレクター)
「私は15年ほど前、この近くのホテルに泊まりました。
その時、この辺りは大変に賑やかだったことを覚えています。」

これは、フセイン政権時代のモスルの街。
実は菱田ディレクター、イラク戦争前のモスルの街を撮影していた。
独裁政権下ではあったが、人々は日常生活を営み、街には賑やかな音が溢れていた。
しかしいま、街は静けさに包まれている…。

(菱田雄介ディレクター)
「ここが、ヌーリ・モスクと呼ばれるモスクがあった場所です。
 イスラム国の建国が宣言された、まさにその場所です。」

15年前に撮影された、破壊される前のヌーリ・モスク。
高さ45メートルの傾いた塔は街のシンボルとして、800年以上に渡って
親しまれてきた。
しかし、この場所は思わぬ形で注目を浴びることになる。

「イスラム国」の指導者 アブー・バクル・バグダディ。
まさにこの場所で、自らをイスラム世界の指導者である「カリフ」であると主張し、
イスラム国家の樹立を宣言したのだ。

「イスラム国」の黒い旗が至る所に掲げられた、モスルの街…。

イスラムの教えを独自に解釈し、厳しい統治を行った「イスラム国」。
音楽や絵画などの芸術活動や、タバコなどの嗜好品を禁止。
女性の外出は厳しく制限された。
さらに奴隷制を復活し、教義に反するものは残酷に処刑された。

中心部にある、この広場では…。

(目撃者 サーディル・アシール・サレハ(17))
「ここでは斬首による処刑が行われていました。
石打ちで処刑された人もいました。」

(菱田雄介ディレクター)
「私の後ろに見ているこのビルは、処刑に使われたということです。
 ビルの屋上から下に向けて人を落とす…といいうことが行われていたそうです。」

街の至る所で繰り返された残虐な処刑。
「イスラム国」はこうした映像をインターネットを通して拡散。
世界を震え上がらせた…。

(菱田雄介ディレクター)
「いま、イラク軍の車に同乗してですね、西モスルの旧市街へと入ってきました。」

イラク軍のパトロールに同行し、旧市街へと入る。
このミダン地区は、「イスラム国」が最後まで抵抗を続けた場所だ。

(菱田雄介ディレクター)
「ちょっと臭いがしますね。
 ああーーー、なるほど。こちらが遺体ですね。「イスラム国」の兵士の遺体…です。
 手を歪めて、膝を折って、2人分ですね。」

「イスラム国」制圧からおよそ1年。残されているものは、遺体だけではない。

(菱田雄介ディレクター)
「このトリガーを引くと、爆発するという自爆ベルトです。
 自爆ベルトがまだ…。
 ここに残されているんですね。」

今もモスルでは不発弾による被害が後を絶たない。
およそ1時間のパトロールで、自爆ベルトは2本見つかった。

次第に追い詰められていった「イスラム国」。
最後は市民をこの地域に集め、「人間の盾」として利用した。
拒否したものは、処刑されたという。

(人間の盾として使われた人
 アンマル・サーディク・クルシッド・アブダッラー(31))
「私たちはここに閉じ込められて…「盾」として利用されたんです。
 逃げ込んだ民間人は、空爆でたくさん殺されましたよ。
 ほらあそこでは、14人も殺されたんです。」

多くの犠牲を払って解放されたモスル。
解放後、市民の間には深いわだかまりが残った…。

(菱田雄介ディレクター)
「モスル郊外のアラジュハディという地区に来ました。
 この辺りは「イスラム国」に協力した人が多く住んでいる地域だということです。」

モスルが占拠されたとき、自ら進んで「イスラム国」に協力した者も
仕方なく協力を強いられた者もいた。
今、その多くが社会の厳しい目にさらされている。

マジダ・アブドゥルワヒドさん。
4人の子供を育てる母親だが、夫は「イスラム国」に関わったとして収監されている。

(マジダ・アブドゥルワヒドさん)
「夫は貧しいけれど真面目な人です。
 「イスラム国」に協力しろと言われましたが、
 「子供と一緒にいたい」と断ったんです。」

夫・ハムドさん。
昼は鶏肉を販売し、夜は駐車場の監視員として働く子煩悩な父親だった。

しかし、4人の兄弟は違った。
「神のために命を捧げる」として「イスラム国」に参加し、戦死したという。
このことを恨みに思った人物が夫を告発したのではないかと、妻は訴える。

「協力者」の疑いをかけられた家族は、仕事に就くこともできない。
現在は地域の人々の援助で生活しているが、まったく先の見えない状況だ。

(マジダ・アブドゥルワヒドさん)
「収監されて1年1ヶ月、生きているのか死んでしまったのか、全くわかりません。
 私も子供たちももう限界なんです。
 夫は無実だって、誰にも訴えても信じてもらえないんです!」

「イスラム国」の時代に生まれた子供で父親が収監中の場合、出生届は受理されない。
2歳の息子は、このままだと配給ももらえず、学校に通うこともできない。

こうした「戸籍のない子ども」が将来、
新たなテロリストになる可能性が懸念されている。

(菱田雄介ディレクター)
「破壊された街の中に、こんな綺麗な学校ができたんですね。」

廃墟の中で生まれ変わった小学校。
しかし、地下室には、「イスラム国」時代の記憶が眠っていた…。

(菱田雄介ディレクター)
「イスラム国時代の教科書がないかと聞いたら、こっちに来ました…。」

散乱する書類をかき分けて何かを探す。
そして渡されたものは…。

(菱田雄介ディレクター)
「「イスラム国」の旗が描かれている本です。中を見てみましょうか…。
「イスラム国」時代の教科書ですね。」

「学校関係の「イスラム国」の作った書類なんですけれども、
きちんと書式が整っていてサインもされてハンコも押されている。
彼らなりの行政システムを作って、この地域を支配していたということですね。」

アハマット君。12歳。
「イスラム国」時代、学校では何が教えられていたのか?

(ISの学校で教育を受けた子ども アハマットくん(12))
「武器について勉強しました。ピストルや銃弾の使い方とか…。」
(菱田雄介ディレクター)
「銃の撃ち方を習ったの?」
(アハマットくん(12))
「そうですね……はい。」

戦闘員を育成するために行われた「イスラム国」の洗脳教育。
学校で処刑映像を見せられることもあったという。

(アハマットくん(12))
「たくさん見ました。教えを破った背信者3人が首を斬られるのを見ました。
 イギリス人も手を縛られて、首を斬られていました。」

学校は綺麗に生まれ変わったが、心に深く刻まれた恐ろしい記憶が消えることはない…。

人を殺すことを教え込まれた子どもたち。
今、イラクでは住民たちの精神的なケアが大きな課題となっている。

NPO法人・JIM-NET(ジムネット)、日本イラク医療支援ネットワークの佐藤真紀さん。

この日訪問したのはモスル近郊の街から避難してきた家族。
6歳のアーデルくんは、小児がんにかかっているという。

(菱田雄介ディレクター)
「お腹にすごい傷が…。」
(NPO法人・JIM-NET 佐藤真紀さん)
「腫瘍があって手術したみたいですね。」

2004年に結成されたJIM-NETは、戦争で見過ごされがちな「小児がん」の患者を中心に、
イラクで医療支援を続けている。

JIM-NETが拠点としているのが、クルド人自治区・アルビルにあるナナカリ病院。

(佐藤真紀さん)
「JIM-NETは毎月、ここに薬をいれているんですね。」

本来イラクでは、薬は政府が用意することとなっている。
しかし「イスラム国」との戦闘に予算が取られ、病院では薬が不足している。
この病院の薬の3分の1は、JIM-NETが調達したものだ。

2014年から中断していたモスルの病院への支援も、ことし3月に再開した。

現地情勢がより安定するまでJIM-NETがモスルに入ることはできない。
薬はモスルからやってきた医師に手渡された。

このようにして、1、2ヶ月に一度、モスルの病院へと薬が届けられているのだ。
しかし、同じ病院の一角では…。

(菱田雄介ディレクター)
「焼け焦げた薬など病院の一部ですが、こうやって薬がまだ中に入っていますけど…。
 これ、点滴の瓶が焼かれてそのままの形で残っています。」

大切な薬が焼け焦げたまま放置されていた。
実はこの病院、「イスラム国」の時代には、兵士たちを治療するために使われており、
そのため、イラク軍の空爆を受けたのだ。

ボロボロに傷つきながらも診療を続けるモスルの病院。
日本のNPOが運んだ薬は重い症状に苦しむ子どもたちの元に確実に届いていた。

(菱田雄介ディレクター)
「こちらは東モスルなんですけれど、このように市場が立っています。
 バナナ、オレンジ、横にあるのが…、ザクロが、すごく新鮮そう!」

今、東モスルでは街に人が戻り始めている。市場には新鮮な野菜や果物が並び‥。

このようなブックカフェもオープンしている。
小説も音楽も禁止された「イスラム国」の時代では決して許されなかったことだ。

結婚式場では途切れることなく披露宴が行われていた。
モスル解放後、若者の結婚率は急上昇しているという。

「イスラム国」の脅威は去ったのだ。
しかし、街に仕事はなく、復興に対する支援もない。人々の心には、深い傷が残っている。

ある人は言った。このままでは「イスラム国」以上の過激派が再びやってくると。

メソポタミア文明を育んだ大河、チグリス川。
悠久の時を流れるこの河はきょうもただ、流れ続ける。

BACK NUMBER

btnTop