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特 集

2018/05/05

特集01

拉致問題に進展は・・・? 横田家41年の戦い

横田哲也さん。
サラリーマンとして働き盛りの49歳。

(横田哲也さん)
「どこにでもある風景で…特別視されるような絵柄じゃないんですけどね。
 どこの家にも普通にある光景ですよね」

どこにでもある家族の光景。
写っているのは双子の兄と両親、そして…。

(横田哲也さん)
「めぐみちゃんって呼んでましたね。
 姉だったら「ちゃん」なんておかしいんですけど、
両親が「めぐみちゃん」って呼ぶんで
私も「めぐみちゃん」って呼んでいたように思います」

4歳年上の姉、横田めぐみさん。
弟思いの優しい、そして明るい姉だった。
東京、広島、新潟。
転勤族の父とともに各地で過ごした日々。

両親と双子の兄弟が微笑むこの写真。
その目線の先には、カメラを構えるめぐみさんがいたはずだ。

(横田哲也さん)
「笑いが絶えず楽しく、家族団らんの中心、
 太陽的な存在ではありましたね。
 本当に笑っていましたね。いつも楽しく…。
 バレエをやっていたのでね、
 そういうのを見せつけたかったんじゃないかと思われるんですけど。
 ちゃんとカメラがわかってますよね、どれも」

横田めぐみさんが忽然と姿を消したのは
1977年11月15日。
めぐみさん13歳。弟たちが9歳の時だった…。

新潟市中央区。
新潟の中心部にほど近い町で、事件は起きた。

(ディレクター)
「バドミントンの練習を終えた横田めぐみさんは、
 2人の友人と共に午後6時25分頃、この校門を出て自宅方面に向かいました」

中学校から自宅までは歩いて20分ほどの距離。
10分後、2人目の友達と別れためぐみさんは、
バス通りを、自宅に向かって歩いた。
しかし、自宅まであとわずかという交差点で、
警察犬はその痕跡を見失っている。

(ディレクター)
「拉致現場から坂を下りると、海が広がっています」

拉致現場から歩いて数分の距離にある、日本海。
日が暮れると…このように真っ暗になる。
家族が探し回っていたその夜、めぐみさんは、沖合を進む船の中にいた…。

激しく泣き叫んだため、暗い船倉に
40時間以上も閉じ込められたというめぐみさん。
壁をかきむしったため爪が剥がれそうになり、その手は血だらけになったという。

一方の横田家。
誘拐なのか、家出なのか?
まったく手がかりが掴めないまま、時は過ぎていった…。

(横田哲也さん)
「特に両親なんかは新潟の町や旅行に行く先で
 姉に似ているような人物を見ると先回りしてこういう風に見たり…など
 ということをしていましたし、どんな場面でも逃さずに探すんだという思いが
 特に両親には強かったんじゃないですかね」

驚くべき情報がもたらされるのは、
失踪から20年後のことだった。
北朝鮮の元工作員が「めぐみさんは拉致された可能性がある」と語ったのだ。

(元工作員・安明進(アンミョンジン)氏)
「70年代の半ばだったと思います。
 教官は「あの女(めぐみさん)は、自分が新潟から拉致した。
 子供だとは知らずに拉致した」と話していました」

この時から拉致被害者「横田めぐみ」の家族として、
横田家の新たな日々が始まった。
拉致被害者家族連絡会が結成され、横田滋さんが代表に就任。

国交のない北朝鮮に向き合うためには、
日本の世論を動かさなければならない。
拉致被害者家族たちは街頭に立ち署名活動を行った。

(横田滋さん・1997年)
「署名してくださった方がですね、
 救出にむけて関心を持って支持して頂けることは
 有難いことだと思っています」

拉致事件の前夜は、滋さんの誕生日だった。

(横田滋さん・2002年)
「少しはオシャレに気をつけてね」ということで、
 携帯用の櫛をくれた。いつも持ち歩いていて、
 革も変色してしまっている」

この一本のクシが、先の見えない救出活動を支えてきた。

横田めぐみさん帰国への期待が大きく膨らんだのが、活動開始から5年後の2002年。
小泉総理大臣が訪朝した時だった。しかし…

(小泉首相・2002年)
「帰国を果たせず亡くなられた方々のことを思うと
 痛恨の極みであります」

北朝鮮側の回答は5人生存、8人死亡。
のちに訂正されることになるが、
横田めぐみさんは1993年、28歳の時に自ら命を絶ったという説明だった。

(横田滋さん・2002年)
「結果は死亡という…残念なものでした…」

 (横田早紀江さん・ 2002年)
「本当にめぐみは犠牲になり、
 また、使命を果たしたのではないかと私は信じています。
 本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと、
 私はそう思うことでこれからも頑張ってまいりますので…」

北朝鮮が示したのは拉致された時に持っていた
バドミントンのラケットとそのカバー。
めぐみさんが間違いなく拉致されていた、という証拠だった。

さらに、めぐみさんの娘・キム・ウンギョンさんの存在も明らかになった。
探し続けた娘の面影を留める北朝鮮の少女。
その衝撃的な展開に、横田家は翻弄されていく。

(横田哲也さん)
「芸能人であればテレビカメラがくれば嬉しい話なんでしょうけど、
 一般人はテレビカメラなんて欲していないですからね。
 それが一気に別世界に放り込まれるわけですから。
 困惑の連続ですね」

北朝鮮側から断続的にもたらされるめぐみさんの足跡。

(横田滋さん・2004年)
「これはめぐみが北朝鮮に
 連れて行かれた直後のものだと思われます」

(横田早紀江さん)
「本当に苦しみながら泣きながら連れて行かれて
 こんな知らないお部屋で…誰に写されたのかわかりませんが
 本当にかわいそうでなりません」

2004年には
北朝鮮から遺骨とされるものが提出されたが、
日本のDNA鑑定で偽物ということが判明している。

拉致された後のめぐみさんの生活についても、
帰国者の証言から少しずつわかってきた。

めぐみさんの拉致から9か月後に
拉致された曽我ひとみさん。
平壌の招待所でめぐみさんと出会い、3回にわたり一緒に生活をした。

曽我さんによると、一緒に服を作りに行ったり、
買い物に行ったこともあったと言う。

曽我さんと別れた後のめぐみさんに繋がるのがこの人物だ…。

(記者)
「今、1機の飛行機が羽田空港に降り立ちました…」

大韓航空機爆破事件の実行犯、
金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚。

2010年7月、初めて日本の地を踏んだ。

(金賢姫・1990年)
「私が一緒になって日本語教育を受けた
 李恩恵(リウネ)という女性は日本から来た日本女性です。

日本語教官だった李恩恵(リウネ)とは、
拉致被害者田口八重子さんのこと。

この頃、田口さんと同居していためぐみさん。
証言によると、金淑姫(キムスクヒ)と呼ばれる工作員に
日本語を教えていたとされている。

(金賢姫・2009年)
「横田めぐみさんが死んだとは思えません」

軽井沢にある鳩山元総理の別荘で面会を果たした
金元死刑囚と横田夫妻。
金氏は「同僚に連れられて一度だけ、めぐみさんに会ったことがある」と話した。

(横田早紀江さん)
「猫を何匹も飼って可愛がっていたとか話していたので、
 小さい時によく野良猫を拾ってきて、
 小屋の中でミルクをあげていたことを思い出して
 相変わらずやっているんだと懐かしい思いで聞かせていただきました」

両親が捜し続けるなか、
北朝鮮で大人になっていっためぐみさん。
1986年、21歳の時に結婚。翌年、娘・ウンギョンさんが生まれたという。

(横田哲也さん)
「北朝鮮に拉致されてどういう暮らしをしていたのかわからない中で、
 子供をもうけることが出来たということを見ることができたのは
 命が受け継がれているという、それは非常に良かった、
 生きている人が本当につながっている人がいるんだっていう思いがあって…」

孫との面会が実現したのは、2014年3月、モンゴルでのことだった。
夫妻にとってひ孫にあたる
ウンギョンさんの娘を抱くことも出来たという。

(横田滋さん・2014年)
「(ウンギョンさんは)まんまる顔で、
やはり同じ家系なのかなっていうのが…」

期待と失望を繰り返し、過ぎていった長すぎる時間。

(横田早紀江さん)
「よいしょー」

(横田早紀江さん)
「本当に急いでもらわないと。
 お父さんがめぐみちゃんだとわかる間に
 会わせてあげないといけませんと、
 いつも言っているんですよね」

去年11月。
足腰の弱くなった滋さんは、
介護施設に通う日々を過ごしていた。
いま滋さんは85歳、早紀江さんは82歳になる。
そしてめぐみさんは、53歳。どんな姿になっているのだろうか?

(横田早紀江さん)
「あの頃のめぐみちゃんしか思い出さないね」
(横田滋さん)
「うん」

滋さんは、持病の影響で少しずつ
話すことが難しくなってきていた…。

(横田哲也さん)
「高齢者ですから、年相応の身体の弱りというのは
 両親ともにきていますね。
 元気なうちにこの問題が解決して姉と抱きしめあえる日が来ないと
 なんのために40年闘ってきたのかわかりませんから」

そして今、北朝鮮を取り巻く環境に、劇的な変化が訪れている。
米朝首脳会談に臨むトランプ大統領は、
「拉致被害者を家族の元に連れ戻すため努力する」と話している。

41年目にして訪れたこの状況に、
横田早紀江さんは…。

(横田早紀江さん)
「必ずその日が来ると信じて、
 当たり前の生活ができるようなことを願って
 これからも頑張ってまいりますので…」

双子の兄・拓也(たくや)さんは家族会の事務局長として、
哲也(てつや)さんは事務局次長として
拉致被害者の救出活動に取り組んでいる。

そして、めぐみさんがプレゼントしたクシは、
いまも父・滋さんを支え続けている…。

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