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特 集

2018/03/03

特集01

コソボ独立10周年 復興へターゲットは日本!?

(花火の音)

先月17日、独立記念日を祝うコソボ国民。
 参加者たちが掲げたのは
コソボの国土を描いた国旗だった。

(ディレクター)
「独立を祝うイベントが行えわれています
 たくさんの人が訪れています」


人気歌手によるコンサートも開かれ
かつて“ヨーロッパの火薬庫”
と言われたこの国に平和が訪れたことを
印象づけた。

(コソボ人女性)
「紛争が終わり、独立記念日を迎えるという
 夢を実現できて感無量です」
(コソボ人男性)
「私たちの父親世代が戦争で
 戦ったことを誇りに感じています」
(コソボ人男性)
「われわれアルバニア人は
 国を守るために多くの犠牲を払ってきました。
 だからこそ、この日を迎えられてうれしいのです」

翌日には、ハシム・サチ大統領のもと、
警察と治安部隊などによるパレードも行われ
コソボの独立を承認する国の大使らが招かれた。
式典には日本の外務大臣政務官の姿もあった。

(議会の宣誓)
「20年前、自由や独立を信じるものは少数でした。
 10年前、まともな国家を築くことができると
 考えるものは少なかったです。
 ところが、われわれはそれを実現できました」

しかし、独立から10年たったいまも
セルビアを筆頭に中国、ロシア、スペインなど、
民族問題を抱える国は独立を認めていない。
そのためコソボは国連に加盟できずにいる。

この国がたどった過酷な歴史。
1990年代後半、セルビア共和国の一部だった
コソボは、独立を求め立ち上がる。
これがコソボの人口の90%以上を占めていたアルバニア人と
セルビア人との民族紛争へと発展し、
およそ10年に及ぶ泥沼の争いとなった。
 NATOや国連の介入などもあり、
2008年2月、コソボの独立宣言で一応の決着を迎えることとなる。

(サチ首相(当時)2008年)
「ようやくこの日が訪れました。
 本日、コソボは誇り高い主権国家として、
 独立を果たすことができました」

現在、コソボの人口はおよそ178万人。
国土は岐阜県とほぼ同じ大きさだ。
長く続いた紛争の影響で、
産業の育成は遅れ、
ヨーロッパでも特に貧しい国の
ひとつとされている。
国民一人あたりの所得は、
日本円で年間40万円ほどにすぎない。

この国が今、力を入れようとしている
産業がある。
そのターゲットは、日本人だという。

(コソボ共和国 産業貿易省 観光政策担当 
  ジェマイル・プラナさん)
「私たちはコソボの歴史、文化、伝統など
 観光資源を生かして外国人観光客の誘致拡大を
 目指しています。
 特に、日本人観光客の呼び込みを積極的に
 進めています」

今も残る“危険な国”というイメージを
払しょくするためにも、
観光産業を盛り上げ、より多くの人に
平和になったコソボを知ってもらおうと言うのだ。
実際、日本の外務省は去年5月、
コソボの殆どの地域で危険情報を解除している。
とはいえ、なぜ日本なのか?

(産業貿易省 観光政策担当 ジェマイル・プラナさん)
「日本は先進国であり、働き方や文化、
 国民性など日本人観光客を通じて
 私たちが学べるからです」

今年中に観光課を局に格上げし、
人員を倍増する計画だという。
コソボ政府は、観光客の増加を見込んで
2013年に新ターミナルを整備。
空港は天井が高く広々とした空間になっている。
空港と都市部を結ぶ高速道路も整備された。

こちらの通りの名前はビル・クリントン。
由来は、もちろん元アメリカ大統領だ。
銅像まで建てられている。
コソボ紛争でアメリカを中心とした
NATO軍が軍事介入したことへの
感謝の気持ちを表してのことだという。

クリントン通りに面した店の名前は、ヒラリー。
コソボ国民のアメリカへの強い愛着がうかがえる。

背の高い鐘楼が際立つ大聖堂は、
アルバニア人のマザー・テレサを称えて建てられたものだ。
「ノーベル平和賞」を受賞した偉人は、民族の誇りでもある。

そして観光の楽しみの一つコソボのグルメ。
肉料理が中心だ。
こちらは、肉と野菜のグラタン。

(ディレクターリポート)
「ミートソースに野菜のうまみがでてますね」

5時間かけてじっくりと煮込んだ牛肉。
コソボの伝統料理のひとつだ。
グルメでも観光客を魅了できると、
自信を見せていた。

一方で、民族問題が完全に解決したわけではない。
そのシコリはコソボ国内にある
世界遺産で垣間見られた。
山間に佇むセルビア正教会デチャニ修道院。

バルカン半島に現存する
中世の教会の中では最大だという。
14世紀半ばに建立された修道院の内部には、
1000人を超える聖人が描かれている。

この他、国内にある3つの修道院や教会が
世界遺産に登録されているのだが、
コソボの独立を認めない国があるため、
ユネスコはコソボではなく、
セルビアの世界遺産として登録している。
さらに・・・

(ディレクターリポート)
「教会の周りには、いまもNATOの
 治安維持部隊が残り、監視をしています」

正教会はセルビア人にとっての聖地。
この場所でアルバニア人と衝突する可能性は
否定できない。
今も尚、紛争のシコリは残っているのだ。

紛争の歴史は、コソボならでは観光資源でもある。

政府は、砲弾の跡が残る建物を、
観光客が入りやすいよう保存、整備している。
こうした"紛争の痕跡"も、
国の歴史を物語る資料として生かし、
観光地化を進めているのだ。

そして、コソボ治安部隊の案内で向かったのは、
今も数多くの地雷が埋まっているという場所。
空港からほんの15分ほどの距離だ。

(コソボ治安部隊)
「ここは危険地帯です」

道路のわきには、英語とアルバニア語で書かれた“地雷”の文字。
今も国内の111か所で地雷撤去が行われている。

道の反対側、地面が掘り起こされているのは、
撤去作業を終えた場所。
国内にある地雷の完全撤去には、
早くてもあと8年はかかるという。
その存在は直接、人を傷つけるだけでなく、
農業ができる土地を奪っているのだ。
農作物の収穫高は、紛争前に届いていない。

かつての民族対立を象徴する町、ミトロビツァ。
 今でも橋を隔ててアルバニア系の住人と
セルビア系住人の居住区に分かれている。
紛争当時、橋はバリケードで封鎖され
簡単には行き来できなかったが、
2016年に撤去され自由に行き来できるようになった。

(ディレクターレポート)
「橋を渡りセルビア系住民地区に来ますと、
 セルビアの国旗がいたる所で掲げられています」


違いは国旗だけではない、
使われる言語がアルバニア語からセルビア語に変わる。
市民らがくつろぐ、すぐ横には、
コソボの独立を批判するポスターが貼られていた。
民族問題の根深さがうかがえる。
しかし、居住区に暮らすセルビア人たちの思いを聞くと。

(髭の男性)  
「私の意見では共存は確実なものだと思います。
 なぜなら、物事が少しずつその方向へ動いているからです」
(長髪の男性)
「和解と信頼の構築、および共存。
 我々は(両民族)そのために努めるべきです。
 それは決して簡単ではないでしょうが、
 若者のために未来を築き上げるように努力するべきです」
(20代女性)
「私の(大学の)同級生の中にもアルバニア人がいるので、
 何の偏見も先入観もありません。
 (アルバニア人の)同級生が一緒にいるなら、
 私としては向こうに渡ってもかまいませんし、
 行き来してもかまいませんが、一人では不安です」
(産業貿易省 観光政策担当ジェマイル・プラナさん)
「アルバニア人にもセルビア人にも
 人種差別のデメリットしかありません。
 境界線の橋ではなく、友好の橋に変えたいと考えています」

分断の象徴だったこの町で
融和への模索が続いている。

コソボには、古都といえる街もある。
南部に位置するプリズレン。
起源は古代ローマにまで遡り、近年ではオスマントルコに支配されるなど、
多種多様な文化が根付く町だ。
イスラム教のモスクやキリスト教の教会が共存している。
町を見下ろす城塞跡は、人気のスポット、
11世紀に築かれたもので、かつて国の都だった。

(ディレクターレポ―ト)
「ありました。日本語で
 “ARIGATOGOZAIMASU JAPAN”
 と書いてあります」

プリズレンの市庁舎の壁には、
コソボの独立を承認した国の言葉で
「ありがとう」と書かれている。

(産業貿易省 観光政策担当ジェマイル・プラナさん)
「独立後も日本政府は、経済的な支援を積極的に
 実施してくれています。
 日本との協定についても近い将来、話し合う予定です
 日本企業による投資のメリットは多大で、
 コソボで奇跡を呼び起こすと信じています」

独立から10年、「コソボ紛争」の傷は今も残っている。
国連加盟を目指す中、民族問題や雇用問題など、
国家として乗り越えなければならない課題は多い。
紛争のイメージを払しょくし、どのように観光客を誘致していくのか
復興へのプロジェクトは始まったばかりだ。

     

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