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特 集

2018/01/06

特集01

最大の人道危機 ロヒンギャ難民の実態

バングラデシュ南東部の町、コックスバザール。
全長120キロに及ぶ海岸線はこの国随一の観光地として知られる。

服が濡れるのもかまわず海に入りインド洋に沈む夕日を眺めるのが、
バングラデシュの人々のリゾートでの過ごし方だ。

町の中心地から、車でおよそ1時間。

見えてきたのは…。

(ディレクター)
「このあたりからもう丘を埋め尽くすように建物が建っているのがわかりますね。
 これロヒンギャの方々の暮らしているキャンプですね」

コックスバザールの郊外にある難民キャンプ。
ミャンマーを追われてこの国にやってきたロヒンギャ難民たちが暮らしている。
一体今ここで、何が起きているのか…?

(ディレクター)
「本当に山をただ削っただけという感じの階段が」

踏み固められた細い道に沿っていくつものバラックが立ち並ぶ。
そして、丘の上に立つと…。
 
(ディレクター)
「ものすごい数の難民たちの家でですね、
 山が埋め尽くされている様子がよくわかります」

拡大を続ける巨大難民キャンプ。
この光景は、ほんの一部でしかなかった…。

バングラデシュ南東部、コックスバザール郊外に広がる
ロヒンギャ難民キャンプ。

(ディレクター)
「ご覧ください!ものすごい数の難民たちの家でですね、
 山が埋め尽くされている様子がよくわかります」

夕暮れを迎えたキャンプには人々のざわめく声が響き渡る…。
見渡す限り、ありとあらゆる場所を覆い尽くすように建てられた難民たちの家。
しかしこの光景もごく一部に過ぎない…。

ドローンが映し出したのは地平線の先まで果てしなく続く難民キャンプ。
自然保護区だった12平方キロメートルの森林を切り拓いて今も広がり続けている。

現在、バングラデシュに暮らすロヒンギャ難民はおよそ95万5000人。
香川県や和歌山県の人口に匹敵する数だ。

バングラデシュと国境を接するミャンマーの「ラカイン州」。
ロヒンギャたちは本来、この地域に住んでいた。
しかし今、この土地を離れバングラデシュへとやってきているのだ。
一体、なぜなのか?

およそ200年前にラカインに定着したロヒンギャは、
仏教国のミャンマーでイスラム教を信仰してきた。
ミャンマー政府は国民として認めず「不法移民」として厳しく扱ってきた。

去年8月、ミャンマー軍の治安部隊と
ロヒンギャの武装集団が衝突したことをきっかけに
治安部隊による掃討作戦は激しさを増した。

“民族浄化”とも言われるミャンマー側の攻撃。
わずか3か月余りで65万5000人のロヒンギャが難民として
バングラデシュへと渡ったのだ。

(ディレクター)
「あー、見えてきましたね。
 この向こうにミャンマーが見えてきました」

川の向こうは、ミャンマーだ。
多くのロヒンギャたちが上陸したこの場所だが
先月上旬から、その流れは止まっているという。
もはや川の向こうにロヒンギャの人々は残っていないのかもしれない。

国を離れ、難民となったロヒンギャたち。
一体ミャンマーで何があったのか?

ミャンマーで9歳の息子を殺されたという。ジャマル・ホサインさん。

(ジャマル・ホサインさん・55歳)
「ある日モスクに行くと大勢の兵士たちが私たちをとり囲みました
 そして目の前で発砲を始めたのです」

なんとか逃げることが出来たジャマルさん。
そこで大勢の子どもが殺されるのを見たという。

(ジャマル・ホサインさん・55歳)
「まさにここにいるような、こんな子供達が殺されました。
 遊んでいた大勢の子供たちを取り囲んで撃ったんです。
 生き残った子供も、ナイフで何十回も刺されて殺されたのです」

ロヒンギャの子供たちが描いた絵。
その多くに描かれているのは、自動小銃。

銃口から飛び出す弾丸。

真っ赤に塗られたナイフ。実際に見た者にしか描けないものだ。

多くを語らない子どもたち。
その目はどんな地獄を見てきたのだろうか。

7人の子供がありながら夫を殺され、難民になったファテマ・カトゥンさん。
たくさんの赤ん坊が殺されるのを見たという。

(ファテマ・カトゥンさん・40歳)
「おっぱいを飲んでいる赤ん坊を引きはがして放り投げたのです
 こうやって地面に叩きつけたあと足で踏みつけたのです。
 赤ん坊が何か罪を犯したというのですか?」

妊婦は腹を踏みつけられ赤ん坊は火をつけて焼かれたという。
その凄惨な証言に我々は言葉を失った…。

(ディレクター)
「こちらはキャンプの配給所になります。
 ここで配給をもらうためにですねもう沢山の方が炎天下の中ズラーッと
 配給の順番を待っています」

(難民キャンプの人々)
「5時間!5時間だよ」

配給券を片手に延々と待ち続ける難民たち。
キャンプ内には仕事もなくロヒンギャ達の生活の大部分は配給に依存している。

すると、次の瞬間…!

(ディレクター)
「いまですね、難民たちが一斉に押し寄せました!
 バリケードが決壊しましていま現場は大混乱になっています!

痺れを切らした群衆がゲートに殺到。ムチで叩かれ、追い返される。
まるで、囚人のような扱いだ。

この日、難民たちに配られたのは毛布。
そして、ジャガイモ。
こうした配給が毎日のように繰り返され、難民キャンプの生活は成り立っている。

(ディレクター)
「難民の方たちはどういった暮らしをしているのでしょうか?
 こちらのお宅にお邪魔できるということで、行ってみたいと思います」

4か月前にこのキャンプに移ってきたというセヌアラさん、20歳。
両親、4人の弟妹との7人暮らし。寝床となっているのは、このゴザだ。

(ディレクター)
「これを?こういう感じですか?
 ペラペラで薄い、ペラペラですよ。
 カチカチの床に。このペラペラの布団を敷いて寝るということですね」

料理には、部屋の中にあるカマドを使う。
風向きによっては煙は全て室内に入ってくるが
そんなことを気にする者は、誰もいない。

(ディレクター)
「家の外なんですけど、こちらトイレになります」

家の外に作られたトイレ。下水施設はなく、そのまま川へと繋がっている。

トイレだけでなく、あらゆる汚水が垂れ流しの状態だ。
汚水のすぐ横で、沢山の子供達が遊んでいた。
その多くは裸足であり、中には裸の子どももいる。
ちょっとした切り傷でも大きな炎症を起こしかねない環境だ。

(日赤医療チーム 高原美貴さん)
「きょうはまだましです。雨が降ったらこの坂はツルツルになります」

そんなロヒンギャ難民たちを医療面で支える日本人たちがいる。
日本赤十字社=日赤の緊急支援チームだ。
去年9月から、医師、看護師などを派遣。様々な形で医療支援を行っている。

こちらは、キャンプ内に作られた仮設診療所。
この診療所一つで、周囲に住む5000人をカバーするという。

イスラム教の赤十字にあたる「赤新月社」と協力して運営されるこの診療所。
受付、診察から薬の配給までジャパンクオリティーの医療を難民たちに提供している。

(診察を受けた人・65歳)
「ミャンマーで治療を受けたことはありません。
 ここで受けることができてとても嬉しいです」

一方、こちらは常設の診療所。
去年12月に完成したばかりで地域の医療拠点となっている。

男女別の診察室やレントゲン室などを兼ね備え
より本格的な医療活動を行うことができる。
緊急派遣から3カ月。日赤が施設の完成を急いだのには理由があった…。

(日赤医療チームリーダー 高原美貴さん)
「一番恐れていたのは下痢性疾患、いわゆるコレラです。
 これらが大流行し始めたら大勢があっという間に死ぬというのが見えていました。
 日赤としてはここのエリアのコレラ治療センターになる施設を
 準備しますということでやりました」

そのためこの施設はコンクリートの床と排水溝を備え
汚染エリアを塩素消毒できるようになっているのだ。

春以降、雨季が近づくにつれて感染症が拡大する可能性は高い。
その日を前に、日本人医療スタッフの戦いは続く。

コックスバザール近郊にあるミャンマー系の部族が住む村。

ミャンマーの人々は、ロヒンギャ問題をどう捉えているのか?
我々はある家族の意見を聞くことができた。

(ブリ・ラカインさん・60歳)
「作り話かもしれないし…真実かもしれない。
 でも、ミャンマーに住む親戚からは「ロヒンギャが悪い」と聞いています
 ミャンマーの仏教徒(ラカイン族)もかなり殺されたと聞いています。
 仏教徒も殺されているんですよ」

ミャンマーの仏教徒とロヒンギャ。
その対立は根深く、ミャンマー人のロヒンギャに対する感情は激しい。

生きる支えだった一人息子を亡くしたロヒンギャ難民のカリム・ウラーさん。
日本からやって来た我々にあることを必死に訴えた。

(カリム・ウラーさん・75歳)
「私の息子の遺体がどこにあるのか?
 もしわかったら教えてください。私は息子について知りたいんです!」

我々が遺体の行方を調べることは不可能だ。
それでも彼は、訴え続ける。

(カリム・ウラーさん・75歳)
「こんなことなら死んでしまいたい。本当に苦しいんです…」

そしてまたコックスバザールの一日が終わる。

しかし、キャンプの外に出ることを禁じられた
ロヒンギャ難民たちが、海に沈む夕日を見ることはない。
国際社会が手をこまねく中、ロヒンギャたちの過酷な日々は今も続いている。

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