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特 集

2018/06/23

特集01

沖縄戦没者遺族からの356通の手紙

陸軍歩兵第32連隊第1大隊長・伊東孝一。
1000人の部下を束ねる指揮官を務めていた。
太平洋戦争末期、伊東がいた戦場、それは…

1945年3月、アメリカ軍の上陸で始まった沖縄戦。
圧倒的な物量を前に日本軍は持久戦を展開、
一般市民も巻き込んだ泥沼の戦いとなり、
6月23日までの3か月間で、
20万人以上が犠牲となった。

伊東はこの過酷な地上戦で
1000人いた部下の9割を失い終戦を迎えた。

戦後まもなく連絡先が判明した部下の遺族、
一軒一軒に手紙を書いた。
生き残ってしまった上官として
遺族に、部下の最期を伝える責任があると考えたからだ。

遺骨に代わり沖縄から持ち帰った
サンゴを砕いて同封した。
手紙の数は500通を超えた。

そして、残りの人生を部下と共に歩もうと、
亡くなった部下の写真を送って欲しいと書き添えた。

(手紙を託された浜田哲二さん)
「これが伊東大隊長からお預かりしている帰ってきた返信
 一通一通にそれぞれのご家族の思いが書かれているので」

伊東の下に届いた返信は356通にものぼった。
 そこに記されていた遺族の思い。

戦後、間もない時期、死を美化する言葉がある一方
率直で悲痛な思いも綴られていた。

(遺族からの手紙 御厨さん 妻) 
「全く犬死に同様でございます」
「大隊長様、真に失礼ではございますが、
 本当に夫は死んだのでございましょうか」
(木村さん 母) 
「体の帰られた方は本当に幸福と思います」
(芝原さん 弟)
「貴官生存して、我が家に帰られし時、
 親兄弟、親類に至るまで、さぞや喜んだことだろう」 

生きて帰った上官に対する強烈な皮肉。
伊東は、手紙を「墓場まで持っていく」と心に決め、
70年以上もの間、封印し続けてきた。

手紙を託され、遺族の下へ返す活動をしている浜田さん夫妻。
手紙の存在を知り調査を始めた。
すると、ある遺族からコピーでもいいので、
もらえないかと言われ、
相談したところ…。

(浜田哲二さん)
「コピーではなく原本をご遺族に渡してあげなさいと、
 もう(戦争が)終わってから70年が過ぎているので、
 この手紙自体も遺族にとっては相当
 大切なものになるのではないかと、おっしゃられて、 
 ご遺族へお返しするということになりました」

3月、浜田さん夫妻は、手紙を返還するため
ボランティアの大学生らと共に山形へと向かった。
歩兵32連隊は、そのほとんどが
山形県と北海道の出身者で占められていた。

この日、訪ねた手紙の送り主は、後藤さと子さん、

夫の豊さんは33歳で亡くなった。

手紙には夫亡き後、生まれたばかりの息子と
生き抜いていく決意が記されていた。

手紙の受け取りに現れたのは息子の隆さん。

(後藤隆さん)
「なんだか突然電話いただいて、
 なんなんだと思って、頭がおかしくなったんじゃ
 ないかと思って自分で」
「これが俺の親父の写真ですね
 これが、今も生きている連れ合いのさと、だね」

手紙を書いたさと子さんは97歳。
 老人ホームで元気に暮らしている。

(後藤隆さん) 
「戦死した後に再婚したんです」
「おやじ違いの兄妹が3人いるわけです」

母は、隆さんが大人になるまで
実の父の存在を明かさなかった。

「仏壇の引き出しに写真が入っていた、
 おふくろ、この写真、誰の写真だと聞いたら、
 俺の父親の写真と言われた」
 「大人になられてからの話しですか」
 「もちろん」
 「それまでは、お父様のお顔を
  分からなかったということですか」
 「分からなかい」

母はなぜ話さなかったのか?
それを息子は、この手紙で知ることになる。
70年間語られなかったその気持ちを。

(学生の手紙の朗読)
「このお手紙を現代風に書いてきたので」
「読ませていただきます」
「先日はご書面ありがとうございました。
 常に覚悟はしていたものの世が敗戦ゆえ、
 なんとかしてと、淡い望みを持たぬわけでもごいませんでした」
「過去のことは考えても何にもならず、将来の生活に
 身を固めて、父の顔も知らない一子、隆を 一人前に育て上げ、
 故人の意志を継がせるべく決心いたしました。
 時節柄、ご自愛のほどをかしこ   伊東大隊長様」

(後藤隆さん)
「まさか73にもなってから、
 こういう事がおこるとは夢にも思わなかったです。
 ありがとうございます」
「お届けできて、私たちも(うれしく)思います」

生きるために、かき消した夫への思い。
それが、手紙を通じてよみがえった。

次の日、同じ山形県の別の遺族を訪ねた。
手紙の送り主は妻の鈴木よねさん。

小学校の教員だった
夫の鈴木良作さんは38才で命を落とした。

この手紙にもまた、
3人の子供たちを育てる決意がにじんでいた。

長男の和夫さんと、
次女の美根子さんがその手紙を受け取った。


(学生の手紙の朗読)
「私の家は、12才の男の子と10才の女の子と、
 8才の女の子と私だけですので、
 毎日毎日、何回となく主人のことを思い出さぬ日はありません。
 ひょっこりと 帰ってきてはくれまいか等と思われて、
 なんだか死んだとは思われなくなっております」
「なんとかして3人の子供と共に、
 強く強く生きて行かねば
 ならぬと、決心致しております。
 今後共、何分、宜しく
 お願い致します」

(長男・和夫さん)
「どうもありがとうございました。
 こういうお礼の手紙を出したと
 か一切知りませんでした。」

(次女・美根子さん)
「母はねぇ 泣いて泣いて」

(長男・和夫さん)
「母は小学校の教員をしておったんですよ。
 だから父が帰ったらやめようとしてたんだけど、
 帰ってこなかったから、ずっと先生を続けて 
 私たち三人の子供を育ててくれましたねぇ」

手紙を返還する活動を続けて2年。
これまでに遺族に戻ったのは36通。
当時の住所を頼りに地道に探すしか方法はなく
なかなかたどり着けないのが現実だ。

伊東は今年98歳になる。
一通でも多く、遺族に手紙を戻したいと話す。

24万人以上の魂が眠る平和の礎。
あれから73年。沖縄はきょう、深い祈りに包まれる。

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