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特 集

2018/10/20

特集01

皇后美智子さま 皇后最後の誕生日


きょう、84歳の誕生日を迎えられた皇后美智子さま。

(美智子さまのお言葉)
「皇太子妃、皇后という立場を生きることは
 私にとり決して易しいことではありませんでした。
 与えられた義務を果たしつつ、
 その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく―
 そうした日々を重ねて六十年という歳月が流れたように思います
 これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております」

これまで、多くの人々が、
両陛下のお心遣いに支えられてきました。

多摩丘陵の雑木林を生かし牛や羊が放牧される
自然公園「こどもの国」。

都心から電車でおよそ1時間、東京ドーム21個分の広さがあり、
ポニーの乗馬体験など、様々な動物と触れ合えます。

(利用者)
「動物もいっぱいいて 綺麗な公園なので」
(記者)
「何が好き?」
(子ども)
「モルモットとうさぎ」

(利用者)
 「親子ともども自然に癒される ありがたいなと」

戦後、ここにはアメリカ軍の弾薬庫がありましたが
両陛下のご提案をきっかけに、
自然豊かな公園に生まれ変わりました。

(こどもの国 為石園長)
「ご成婚に際して国民から集まったお祝い金をお二人でご相談され
 <こどものために使ってほしい>という御意向が示され
 昭和40年 5月5日こどもの日に開園しました」

年間、およそ90万人が来園。

平成21年には、両陛下と皇太子ご夫妻らが訪問されました。

(美智子さま)
「悠ちゃん、これがてんとう虫ですよ」

「こどもの国」開園の契機となった両陛下のご成婚。
そもそもの出会いは、軽井沢でのテニスの試合でした。

美智子さまは陛下からのプロポーズを、
すぐに承諾されなかったといいます。
民間出身者が皇室に嫁ぐことは考えられない時代でした。

(天皇陛下 ご成婚50周年)

「何回も電話で話し合いをし
私が皇太子としての務めを果たしていく上で
その務めを理解し支えてくれる人がどうても必要であることを話しました。
承諾してくれた時はうれしかったことを思い出します」

(美智子さま)
「これからのことは何でも殿下とご相談したうえで致していきたいと思いますが
 明るく自然に楽しく過ごせればと思います」

民間人初の皇太子妃誕生でした。
陛下、25歳。美智子さま24歳。
ご成婚パレードでは沿道から53万人が拍手を送りました。

(小林敬三さん・85歳)
「向こうの外苑いちょう並木通りから…」
「ここでお待ちしていて ここに座っていたわけですよ」

東京・青山で呉服店を営む小林さんも沿道にいました。

そこで撮った一枚。
両陛下が小林さんの方を向いた瞬間、シャッターを切りました。

(小林敬三さん)
「あとは肉眼で見て。撮っただけで興奮していた」

当時、美智子さまのファッションを女性がこぞって取り入れる、
「ミッチー・ブーム」が起きました。

浩宮さまが生まれると、
美智子さまは、それまでの皇室の慣習とは違い、
自ら母乳で育てキッチンに立たれるなど
”新しくも親しい”皇室像を示されました。

小林さんは美智子さまの存在が、
戦後の暗い世相に希望を与えたといいます。

(小林さん)
「(美智子さまは)ファッション誌でとりあげられたから
 (着物の)白系列のものはよく出ましたよ
 (戦後)心が沈み切っちゃって
 これからどうなるんだろうといっている時に 
 ご成婚パレードで我々の身近に笑顔を与えられた
 何ともいえないありがたい光でした」

(美智子さま)
「一緒に入ってくださらない?」
 
美智子さまは、世界各国で国際親善の役割を果たし-

宮中では伝統行事、宮中祭祀も受け継いでこられました。

神戸市に住む、岩本さん。
皇后美智子さまとは、同い年。
ご成婚前から、美智子さまのことを新聞を通して知っていました。

(岩本しず子さん)
「<はたちの願い>という全国で作文を募集して
 20の時に読んでショックを受けたんです」

美智子さまの文章が入選したのは、
聖心女子大学2年生の20歳の時。

(正田美智子・20歳)
 @昭和30年1月15日付 読売新聞
    
<虫食いのリンゴではない>
「私の"はたちの願い"
 ―それは私達年齢の人々が過去の生活から
 暗い未来を予想するのをやめ
 未来に明るい夢を託して生きる事です」

(岩本しず子さん)
「これだけ物事を深く考えている人が
 同い年でいるんだと凄い感銘を受けまして
 ご結婚となった時は<あの方だ>と一人で拍手を送っていました」

美智子さまの「未来の夢」に
心を打たれたこともあり、岩本さんは教育者になる道を選びました。

その40年後、岩本さんに
美智子さまと直接会う機会が訪れます。

平成7年に起きた阪神・淡路大震災。
当時、岩本さんは神戸市にある本山第二小学校の校長を務めていました。
そこは避難所になっていました。

その避難所に両陛下がお見舞いに来られたのです。
震災発生から2週間後。
岩本さんは皇后美智子さまの案内役でした。
当時は1月の真冬。

(岩本しず子さん)
「<寒かったでしょ 大変だったですね 辛かったですね>と
 高齢者の方のところとか 弱者だと思われるところへ 
 一人で私が何も案内しなくても進まれました」

これはその時、撮られた写真です。
被災した女性が、泣き崩れながら身を寄せ、
皇后美智子さまが抱きしめられています。

撮影したプロカメラマンの吉川さんはー

(吉川譲さん)
「避難所が一時の大混乱から少し落ち着いて
 みんながいろんな感情が 表に出てくるようになっていたんですね
 すっと抱き寄せられた自然な振る舞いが見ていて感動しました」

岩本さんもその様子を見ていました。

(岩本さん)
「天皇さまがこの辺りで立ち止まって後ろを振り向かれて
 皇后さまのご様子を笑顔で見守っていらっしゃるんですね
 そのまなざしがとても素敵だなって思いました」
 
火災による被害が最も多かった神戸市長田区。
皇后美智子さまは皇居で摘まれた水仙をそっと手向けられました。

そこには森本さんの生花店がありました。
震災の翌日に「新装開店」する予定でしたが、
全焼してしまったのです。
残ったのは多額の借金でした。

(森本照子さん・68歳)
「本当にやめる覚悟でした
 当然美智子さまも花屋の上に(水仙を)置いたと思ってないでしょう
 だけど花屋しているわたしらからしたら
 なんて清らかな花なんだろうって
 手作りの温かみのある
 そしてリボンの飾りもすごく清楚で
 ああいう花束を作れたらいいなと思いました
 もう1度 ああいうものを作りたいねと」

皇后美智子さまのスイセンに励まされ、
森本さんは震災から15年後、新しい店をオープンさせました。

(森本さん)
「人に喜んでもらえたり感動してもらえたり
 自分だけの花束を作りたかった
 あの花束が心にある限りやります」

宮内庁で長年働いてきた山下さん。
両陛下が目指された皇室のあり方について―

(皇室ジャーナリスト・元宮内庁職員
 山下晋司さん)
「特徴は<直接>ということだと思っています
 陛下の<象徴>ということに関してのお考えは 
"見える天皇"といいますか 
 国民との絆 精神的な絆を作り上げていくには"行動で示すべき"だと
 皇后陛下もそれを尊重されている」

きょう、皇后として最後の誕生日を迎えられた美智子さま。

(84歳お誕生日のお言葉) 
「陛下の御譲位後は、
 陛下のご健康をお見守りしつつ
 御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています
 公務を離れたら何かすることを考えているかと
 この頃よく尋ねられるのですが、
 これまでにいつか読みたいと思って求めたまま
 手つかずになっていた本を
 これからは一冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています」

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