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特 集

2017/08/12

特集01

原爆投下の真実ー調査すれども治療せず ABCCの闇

■日米が共同運営する、
     「放射線影響研究所」。

(放影研 生物試料センター
 岸岳志さん)
「こちらの機械が被爆者の方からいただいた
 血液や尿などの大切な試料を
 大切に保管するために
 マイナス80度の自動搬送冷凍庫になっています」

「放影研」は広島と長崎にあり、
2年に1度、原爆被爆者をX線などで検査する。
血液なども採取し、
被爆者の同意を得て保管。
放射線による遺伝子レベルの傷を調べ、
人体への影響などを研究している。

■ことし6月、
「放影研」の丹羽理事長が
被ばく者ら300人を前に、初めて謝罪した。

(放影研 丹羽太貫理事長 ことし6月)
「ABCCの時代に
“調査はするけど治療はしない”という非難の声があった 
 これも事実です。
 心苦しく、残念に思っています」

放影研の前身は
「原爆傷害調査委員会」ABCC。
原爆投下の2年後に
アメリカが設立した機関で、
核開発を推し進める、
アメリカ原子力委員会などが資金を出していた。

(明治学院大学 国際平和研究所
高橋博子 研究員)
「ABCCは調査はするけれど
治療しないというのは本当です。
アメリカの核開発の資金 それを
担う機関から研究資金が出ていま
すので 被ばくした人たちを救う
ための調査ではないので、当然 
人体実験的な調査になったんだと
思います」

(長崎原爆 きのこ雲)
これは、
長崎の原爆投下直後の被爆者の記録。
被爆者たちは、
カメラの前に立たされ戸惑いながらも、
指示された通り、
爆風や放射線でやられた患部を見せている。
衣服をはぎ取られた女児の姿も。

記録したのは、
アメリカ軍の医師デカーシ―氏。
彼はこの後、アメリカに戻り、
米軍病理学研究所の所長に就任。
ABCCを通じて、
被ばく者を病理解剖した標本などを、
アメリカに送らせていた。

そのほかにも―。

(明治学院大学 国際平和研究所
高橋博子 研究員)
「当時、出産した調査と 
 同時に残念ながら死産だったり
 異常出産だったりとかいろんな例があるが
 助産師さんを通じて 
 1件につき いくらという形で
 (ABCCが)報酬を払う形で情報を集めていた」

内部資料では1955年までに、
死産の赤ちゃんの1250人分のカルテ、
849件のホルマリン漬けの臓器組織が
米軍病理学研究所に送られていたことが
明らかになっている。

小学生の時に広島で被爆した
貞清百合子さん。
ABCCに連れて行かれた時のことを、
今でも鮮明に覚えている。

(広島で被爆した貞清百合子さん)
「(ABCCが)突然に学校に
 来るようになってお迎えが。
 ABCCに行って 
 全部調べられるんですけどね。 
 血液をとられた、あれが怖かった。
 もちろん問診で全部話した。
 お風呂に入ったら、すぐめまいがする。 
 鼻血はしょっちゅう出るという話は 
 訴えてもお薬はないですね 注射もない」

百合子さんの
ABCC時代のカルテ。
2年前に放影研から取り寄せたものだ。

(広島で被爆した貞清百合子さん)
「福島の原発事故で
 私と同じ目にあっているじゃないかと思って
 できることなら
 自分の小さいとき調べられているから
 参考になるんじゃないかな
 役に立ってもらいたいなというのが
 本当に心にあって」

しかし―。

(広島で被爆した貞清百合子さん)
「私が見たかったのがないんです
 それですぐABCC(放影研)
 に電話したら
 『すみませんここにあるのはこれだけです』って。
 どうして」

毎年ABCCに通っていたにもかかわらず
送られてきたカルテは、
小学生時代のものは1枚きり。
内容も被爆当時の状況報告のみだった。

中学生以降のものは
体調について書かれているものの、
そこには「グッドコンディション(良好)」
「グッドヘルス(健康)」などの
言葉が並んでいた。

(ディレクター)
「グッドヘルス(健康)はありえない?」

(広島で被爆した貞清百合子さん)
「ないです 絶対に。
 突然鼻血が出たり頭痛はほどんど毎日でした」

百合子さんは不信感が募ったという。

日本語で
「異状を認めませんでした」
と書かれたカルテも。
手書きで「玉垣秀也(たまがきひでや)」との署名が。

私たちは、この玉垣さんが、
広島にいることを突き止めた。

(ディレクター)
「玉垣さんの名前の入ったカルテがあるが?」

(元ABCC職員 玉垣秀也さん(94))
「異状なかったというのは異状がなかったということ
 検査がね 当時としては
(検査方法が)とても画期的だったんです」

当時、ABCCの内科には、
玉垣さんのような日本人医師が4人ほどいて、
カルテはアメリカ人の部長が
全てチェックしていたという。

放影研の丹羽理事長にも質した。

(放影研 丹羽太貫理事長)
「確かに問診で言ったことが
 そのようなカルテとなってあがってきたことは、
 私がああだこうだいう立場にはない
 わからないから」

専門家は、カルテはアメリカに
送られていたと指摘する。

(明治学院大学 国際平和研究所
高橋博子 研究員)
「核開発のため
 核実験の一環として利用されたり
 あと原子力発電などの推進のために利用されたりと
(被爆者の)試料そのものが軍事機密扱いをされていました」

1950年代、
米ソは軍拡競争を繰り広げ、
核戦争からどのように身を守るのかが、
主要な課題となっていた。
そこで広島と長崎の
被爆者のデータが用いられたという。

結婚後、流産を6回、
がんなどの手術を6回した百合子さん。
生きた証ともいえる、
ABCC時代の
"失われたカルテ"を
取り返したいと訴えている。

ABCC時代のデータを
公開するよう求めている人たちが、
長崎にいる。

本田医師「注射しておこうね」

長年、被爆者を診察してきた本田医師。
原爆投下の後に降った
いわゆる「黒い雨」をはじめとする
「放射性降下物」を浴びた人たちの支援を行っている。

(本田孝也医師)
「(放影研は)調査機関として
 持っているデータは
 きちんと被爆者に返してあげるべきだろう思う」

本田医師がいうデータとは、
ABCCが1950年代から
広島、長崎の12万人を対象に
「原爆直後、雨にあったか」などの質問をした
基本調査票のことだ。

このデータが公開されれば、
救われる人たちがいるという。

この日、訪れたのは鶴武さんの自宅。
「黒い雨」を浴びたものの、
被爆者として認められず、長年苦しんできた。
あの日、台風のような風が
吹き荒れたという。

(原爆による黒い雨を浴びた鶴武さん)
「もうひどかったですよね 
 当時は 煙がもうもうとしていた。
 一時期は黒くなってにわか雨も降ったし
 灰とか飛んできて黒くなった」

8人兄弟のうち、
すでに5人ががんなどで亡くなった。

(原爆による黒い雨を浴びた鶴武さん)
「兄貴がひどかった
 皮膚が見えるくらい
 黒い髪が見えないくらい抜けてしまった」

鶴さんが黒い雨を浴びた
「間の瀬」地区は、
国が認めた被爆地の対象外だ。
それにより特定の病気にしか
使えない「精神医療受給証」を与えられているが、
医療が無料になる「被爆者健康手帳」は
交付されていないのだ。

広島と長崎では、
「黒い雨」を浴びたのに
被爆者と認定されないことを不服として
国を相手に訴訟が起こされている。

本田医師は、黒い雨による
健康への影響があると考えている。

(本田孝也医師)
「食べるということで内部被ばくを受けていますね。
 あと空気中にも放射性物質が浮遊していたはずなので
 吸入による内部被ばく 
 この両方を受けているはずです。」

ABCCは基本調査票の
分析結果のみを公表。
黒い雨ががんなどのリスクを
高めた結果は得られなかったとしている。

しかし基本調査票そのものは公表されていない。
もし公表されれば、
黒い雨と健康被害との因果関係などが
裏付けられる可能性があるという。

(本田孝也医師)
「MSQ(基本調査票)をきちんと解析することで
 科学的に証明されれば
 内部被ばくを受けているわけですから
 残留放射線によって
 影響があるんだよということを国が認めれば
 当然被ばくの範囲の見直しも
 それに伴って行われるだろうということですね。」

放影研はなぜ基本調査票を公表しないのか。
すでに分析結果を出していることや、
個人情報保護法もあり
不可能だと主張している。

(放影研 丹羽理事長)
「国のシステムをじゃあ変えてください。
 そんなことできませんよ。
 個人情報が入っているやつを
 『さあ』という形でお見せすることはできません」

放影研は誰のための機関なのか。
被爆者は今も癒されない思いを抱いている。

(広島で被爆した貞清百合子さん)
「ABCCから放影研になったが
 名前が変わったでしょ、引き継いで。
 私の苦しみはなんだったんだろうか。
 辛さはなんだったのかなというのが本心ですよね」

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