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2017/11/18

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韓国亡命は北朝鮮JSAのエリート兵士か そしてめぐみさん拉致から40年・・・

韓国の病院に運ばれたのは、
北朝鮮の20代半ばの男性兵士。
北朝鮮の同胞から銃撃を受けながら、
韓国に亡命した。

(韓国の医師)
「状態は良くない。
人工呼吸器でかろうじて生きている」

兵士が命がけで"脱北"を試みた場所は、
南北の兵士らが睨み合う軍事境界線上の板門店。
韓国軍を中心にした国連軍と
北朝鮮軍が共同で管理する通称JSA(=共同警備区域)だ。

(韓国軍の会見)
「兵士は一人で車を降り南側へ逃走する際に銃撃された」

韓国軍によると
今週月曜日、北朝鮮兵がジープを運転して板門店に突進。
しかし、警戒所付近で排水溝にタイヤがはまり、停止。
兵士が韓国側に走り出したところ、
北朝鮮兵が40発の銃弾を浴びせた。
兵士は韓国側に50メートル入った所で転倒した。

現地メディアによると
北朝鮮の兵士はJSAの所属で
階級は、副士官の下につく下士官。
JSA所属の北朝鮮の兵士は忠誠心が高く
特別に選別されたエリートだ。
下士官であっても待遇は比較的良いとされている。

そのエリート兵がなぜ亡命したのか。

ジャーナリストの石丸次郎さん。
ことし7月、中朝国境を取材。
対岸にいる痩せた北朝鮮兵を見て驚いたという。

(ジャーリスト・石丸次郎さん)
「(今回の亡命は)困窮、不満が背景にあるのではないか」

JSA所属のエリート下士官にさえ、
困窮した状況が広がっているのでは、と指摘する。

実際、手術した韓国の医師は、
「兵士の栄養状態は良くない」と述べた。
兵士の胃に残っていたのはトウモロコシ。

(ジャーナリスト・石丸次郎さん)
「(上官など)エリートの兵隊たちはトウモロコシなんて食べない。
白米を食べていると思う軍事境界線付近に配置されている
兵士の食事も相当劣悪だと推測できると思います
(北朝鮮は)人口の5%に及ぶ大兵力を抱える財力がない
体制の矛盾がそのまま人民軍の兵士たちの飢えとして表れている。構造的な問題」

石丸さんは、ことし8月末
北朝鮮の国民に電話で取材していた。
相手は北朝鮮北部に住む女性。
北朝鮮軍についてこう赤裸々に語った。

♪北朝鮮の住民
「(アメリカと)戦う人間が誰かいますか?
軍隊には栄養失調で綿毛のように痩せている人たちが多いのに
市場にいる兵士や任務中の兵士30人を
私が見た時には10人以上が栄養失調に思えた」

もう1つの疑問。
なぜ、兵士は警備が厳しい板門店を
亡命ルートに選んだのか。

(ジャーナリスト・石丸次郎さん)
「非武装地帯の南北には鉄条網が敷かれ地雷が埋まっている。
ここを兵士が脱北するのはなかなか大変なこと。
選択として一か八か鉄条網もない地雷もないエリアを選んだのは納得いく」

今回の「亡命劇」は
北朝鮮軍の兵士たちの困窮が限界に来ていることを
示しているのだろうか。

こうした中、
今週、国連で北朝鮮に対する人権侵害への非難が決議された。
とりわけ拉致問題を強く批判した内容となった。

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて
今週水曜日でちょうど40年。
その節目の会見で父親の滋さんは
妻の早紀江さんに支えられ席に着いた。

(横田滋さん(85))
「めぐみ・・・」

85歳になった滋さんは
持病の影響で思いを言葉にすることが難しくなっている。
早紀江さんが代弁した。

(早紀江さん)
「子どもたちの安否を気遣いながら
 暮らしてきた40年間だったので
 本当に大変な人生だったと思いますが
 (めぐみを)返してくれればいいわけで 
 早く自由にしてあげたいと両方が同じ思いでいます」

(滋さん)
「(生まれたのが)女の子と聞いて
私は女の子が生まれれば良かったと思っていたので
嬉しかったですね」

東京オリンピック開催の年
待望の女の子を授かった滋さんは
めぐみさんの写真を幼少の頃からたくさん撮っていた。

中学校入学時のこの写真も滋さんがシャッターを押した。
風疹で入学式に出られなかっためぐみさんのために
後日、わざわざ中学校に連れ出し撮影した。
一生に一度の記念日を
桜があるうちに撮ってあげたいという親心からだった。

平穏な日常が奪われたのは
1977年11月15日。
当時13歳のめぐみさんが、
新潟市にある中学校からの帰り道、北朝鮮に拉致された。

これはのちに北朝鮮の元工作員が証言した内容をもとに作られた再現アニメ。
拉致され船底に押し込められためぐみさんは
泣きながら家族の名前を呼び続けていたという。

そして失踪から20年後。
めぐみさんが北朝鮮で生きているかもしれないという情報が。

(滋さん・1997年)
「私たち個人の力ではどうすることもできない」

その日から横田家の新たな戦いが始まった。

滋さんは、拉致被害者家族会の代表に。
被害者救出のため全国各地でビラを配り講演で訴え、政府に働きかけた。

そして、ようやく一筋の光明が。
2002年、北朝鮮が初めて拉致を認め
5人の拉致被害者の生存が確認された。
しかし―

(滋さん・2002年)
「いい結果が出るということを楽しみにしておりました。
 しかし結果は死亡という・・・」

北朝鮮は、めぐみさんが「すでに死亡した」と伝えてきた。
ところがその後、
めぐみさんとされた遺骨は別人のものと判明。

娘を取り戻す戦いは今も続く。

”娘に会いたい”その一心だった40年。

現在、横田夫妻はともに80歳を越えた。
滋さんは、週に4日、
日中の時間を介護施設で過ごすようになっている。

(早紀江さん 水曜日
「お父さん お母さんは弱ってきても
 気持ちの上では頑張るから
 最後まで頑張って助けてあげようという気持ちで忘れていないから
 頑張ってくださいという思いだけですね」
「両親にとっては家族にとっては
「めぐみちゃんだ」「よかったね
」って確認が出来る間に
1時間でもいいから分かる間に 
会いたいなと思っています」

核・ミサイル、そして拉致問題で
北朝鮮に対する国際的な包囲網が強化される中
飛び出したエリート兵士の「亡命」。
動機は何か。この後専門家が詳しく分析する。

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