作品紹介

第6章<<最晩年の作品>>

モネ最晩年の作品は、粗い筆触で、それまでの繊細な色調とは異なり、赤系もしくは青系の色彩が強く、抽象画に近いものとなっていきます。描く対象はジヴェルニーの庭の中に限られていき、池に架けた日本風の太鼓橋やバラの小道のように同じモティーフが繰り返し描かれました。しかし、濃密に重ねられた太い筆触によって、画面に何が描かれているかを判別するのが難しくなっていきます。こうした作品には白内障の影響も窺えますが、モネは近距離では十分な視力があったとされ、自身の筆の運びは十分に認識できていたと考えられています。
本章でご紹介する作品は、白内障の手術後も破棄されず、モネが生涯手放さずに残した作品です。これらの作品は、モネのもっとも内面的な部分を垣間見せてくれると同時に、20世紀半ば以降の新しい絵画表現の予兆を感じさせます。

《バラの小道、ジヴェルニー》
クロード・モネ 《バラの小道、ジヴェルニー》
1920-22年 油彩、カンヴァス 89×100cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon

バラの小道は、モネの邸宅前に造られたバラのアーチがある道で、水の庭に架かる太鼓橋へとつながります。この小道を正面から描いた本作品は、黄色や赤の鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる力強い作品となっています。同じ頃に描かれた「日本の橋」の連作と類似し、画面全体を均一に描くような表現は、抽象絵画のようです。
この頃のモネは、制作にインスピレーションを与える美しい庭に囲まれながらも、失明の恐怖と闘っていました。1912年に白内障と診断され、視力が衰えたため1923年には3回の手術を受けます。制作においてどれほど眼病の影響があったかは定かではありませんが、手術後モネは、それ以前の数年間に描いた多くの作品を破棄しました。今日に伝わるこの頃の作品は、衰えた視力で描いていたとしても、画家自身が認めた作品といえるでしょう。

《日本の橋》
クロード・モネ 《日本の橋》
1918-19年 油彩、カンヴァス 74×92cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon
《日本の橋》
クロード・モネ 《日本の橋》
1918-24年 油彩、カンヴァス 89×100cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon

1895年、モネは睡蓮の浮かぶ水の庭に日本風の太鼓橋を架けました。モネは水の庭に日本的なものを取り入れており、池のほとりには菖蒲やカキツバタ、柳や竹も配されていました。1899年から1900年にかけて描かれた太鼓橋の最初の連作は、自然主義的な調和ある繊細な風景でしたが、右の作品を含む1918年からの第二の連作では、橋の存在はそれと知って見なければ分からないほどです。この頃には太鼓橋の上部には、その曲線に沿うよう藤棚が設けられていました。画中にも橋と藤棚が二重の弧として描かれています。この時期の「日本の橋」は制作年が明らかではなく、年代順にその展開を辿ることはできませんが、白内障にもっとも苦しんでいた時期に描かれた作品も含まれています。ときに激しいタッチと色彩で描かれたこれらの連作は、モネが印象派の画家に留まることなく前衛であり続けた様を示しています。