作品紹介

第5章<<睡蓮と花 ジヴェルニーの庭>>

ジヴェルニーの庭は、モネが造り上げた作品のひとつです。庭師も雇いますが、庭造りが好きなモネは自ら花の種類と配置を考え、絵を描くように美しい庭を育てていきました。邸宅前の花の庭だけではなく、やがて敷地を広げ池を造り、睡蓮の咲く水の庭を実現しました。長男ジャンが死去し第一次世界大戦が勃発する1914年、モネは「睡蓮」の大作に取り組み始めます。オランジュリー美術館の大装飾画となるこの「睡蓮」も、ジヴェルニーの庭から生まれたものです。制作のためにモネは、敷地の一画にガラス張りの大きなアトリエを建てました。本章では、この大装飾画の準備のために描かれた作品を含む6点の「睡蓮」や、睡蓮の池のほとりで育てられた花々を描いた作品をご紹介します。

《キスゲの花》
クロード・モネ 《キスゲの花》
1914-17年 油彩、カンヴァス 150×140.5cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon

モネは絵を描くように、庭も自身の芸術作品として造り上げていきました。モネはさまざまな種類の花に興味を持ち、アガパンサスやアイリスもよく描きました。ジヴェルニーの自邸を浮世絵で飾ったモネは、水の庭のまわりで日本の植物を育てました。

《小舟》
クロード・モネ 《小舟》
1887年 油彩、カンヴァス 146×133cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon

1883年、モネはパリから数十キロほどセーヌ川を下ったジヴェルニーに移り住みます。この時モネは42歳。そして86歳で亡くなるまで、このセーヌ川とエプト川の合流する自然豊かな村を拠点に制作を続けます。自邸からほど近いエプト川へたびたび制作に出かけ、舟遊びや釣りをする女性たちの穏やかな情景を描きました。
やや縦長の正方形に近い画面のほとんどを占めるのは、透明な川の底で光を反射する水草です。水草は、黄色や赤の筆触がまるで小さな魚の群れのように川の流れに揺れ動いています。誰もいない小舟と暗い川底のうごめきは、異世界のような少し不気味な雰囲気さえ醸し出しています。モネは水中の世界を描く難しさについて、次のように手紙に書き残しました。「川底で揺れ動く水草と水を捉えるという、不可能なことに取り組みました。それは眺める分にはすばらしいのですが、描こうすると気が狂いそうになります。」

《睡蓮》
クロード・モネ 《睡蓮》
1903年 油彩、カンヴァス 73×92cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon
《睡蓮》
クロード・モネ 《睡蓮》
1907年 油彩、カンヴァス 100×73cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon
《睡蓮》
クロード・モネ 《睡蓮》
1917-19年 油彩、カンヴァス 100×300cm
Musée Marmottan Monet, Paris © Bridgeman-Giraudon

1893年、モネは自邸の向かいに新たな土地を購入し、水の庭を造り始めます。モネは、生涯で200点を超える睡蓮を描いたといわれ、季節や天気、時間、さらには描く視点を変えて移ろいゆく水面を捉えようとしました。
近い視点から水面を捉えた1903年の《睡蓮》(左上)には、睡蓮の花や映り込む柳の形態が比較的はっきりと認められます。1907年の《睡蓮》(右上)では筆触がやや粗くなり、睡蓮や木々の影は池に溶け込んでいくようです。画面上部にポプラと柳が逆光により濃く映り込み、画面下部に向かって空が描かれています。逆転した構成は、観者の見方を揺るがし、惹きつけます。1917年から1919年頃の《睡蓮》(下)では水面が緑、赤、紫、黄色と豊かに彩られ、睡蓮を探すのが困難なほどです。ダイナミックな筆跡は、モネの衰えない熱意を感じさせます。しかし、このようなモネ晩年の躍動的な「睡蓮」が高い評価を受けるのは、1950年代の抽象表現主義の台頭まで待たなくてはなりませんでした。