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『道浦TIME』

新・読書日記 2017_148

『遺言』(養老孟司、新潮新書:2017、11、20第1刷・2017、11、25第2刷)

久々に養老先生の本を読んだ。このところ「語りおろし」の本が多かったそうだが、この本は「語る」のではなく「書いた」そうです。

タイトルは「遺言」。もう80歳だから、ということですが、まだまだ死ぬつもりはないみたいですよ、読んでみたら。同時に読んだのが「105歳」で亡くなった日野原重明先生の本で、そちらの方がさすがに「遺言」っぽかったです。養老先生には最低あと25年は、頑張ってもらわないと!

印象深い言葉は、

「芸術はゼロと一の間にある」

「数学が最も普遍的な意識的行為の追求、つまり『同じ』の追求だとすれば、アートはその対極を占める。いわば『違い』の追求なのである。」

「津田一郎式に表現すれば、『アートは数学的には誤差に過ぎない』」

「意識と感覚の対立」

「アートはしばしば二つの繋がりに気づかせてくれる」

「意識と感覚が相伴って、いわば正面に出てくるのが建築である。建築には実用という面があって、これはまったく意識的、人工の典型である。でも建築物はむろん実用一点張りではない。(中略)建築で問題になるのは空間である。ここでは意識ではなく、感覚のほうに基準を置くとする」

「動物は、共有空間という概念を持たないに違いない。全員に共通している空間というのは、まさに『同じ』空間であり、動物に『同じ』はないからである」

「われわれの身体は七年で物質的には完全に入れ替わるという」

「西洋では諸行無常を古代ギリシャ時代に発見している。ヘラクレイトス学派の『万物流転』である。ギリシャ語ではパンタ・レイ(この世のすべてのものが、たえまなく変化している、の意)。」

「時間的に変化しないもの、それを現代では『情報』と呼ぶ。情報が変わったように見えるのは、新しい情報が付け加わったり、既存の情報をだれかが訂正したりするからである。」

「じつは『同じ』を突き詰めていくと、デジタルにならざるを得ない。デジタルとは、二進法、ゼロと一とで、すべてが記述されることである。さらにそのゼロと一で書かれた情報は、完全なコピーが作成できる。コピーとはつまり元のものと『同じ』ということで、同じものをきちんと作ろうとするなら、デジタルがもっとも望ましい」

「現代人はひたすら『同じ』を追求してきた。最初に生じたのは、身の回りに恒常的な環境を作ることである。部屋の中にいれば、いまでは終日明るさは変化しない、風は吹かない。温度は同じである。屋外に出れば都市環境となる。(中略)感覚所与を限定し、意味と直結させ、あとは遮断する。世界を同じにしているのである。」

元々「違う」動物である「人間」は、「同じ」を求めて来た。究極の「同じ」が「デジタルコピー」。

「ゼロか一か」ということを突き詰めると、「二者択一」の「不寛容」にならざるを得ない。ここ十年来問題となっている「不寛容社会」は、「デジタル社会」の"ウラ"の面なのではないか。

昔、アナログの「LPレコード」が、デジタルの「CD」に替わって行った時に「何か違う・・・」と思ったのと同じ感覚で、「デジタル社会」になった「21世紀の現代社会」で、「何か違う」と感じる感覚を大切にしたいと思った。


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(2017、12、7読了)

2017年12月14日 16:26 | コメント (0)