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『道浦TIME』

新・ことば事情

6269「戦闘か?武力衝突か?」

2月8日の国会論戦で、南スーダンに派遣されている自衛隊の日誌が、防衛省が「ない」と言っていたのに出て来た問題で、稲田防衛大臣の答弁が問題になっています。

「戦闘があった」

と日誌に書かれているのに、稲田大臣は、

「それは『戦闘』ではなく、法的には『武力衝突』。一般的な用語での『戦闘』ではない。もしこれを『戦闘』と言ってしまうと、憲法9条の絡みで問題になってしまう。」

これは詭弁でしょう。

もう15年ほど前の小泉元首相の答弁を思い出します。

「自衛隊は戦闘地域には派遣しない。だから自衛隊が言ったところは戦闘地域ではない」

という「トートロジー」(堂々巡り)でしたが、似たような話を「平成ことば事情442後方支援」にも書いていました。もう16年経っていたので、再掲します。

****************************************平成ことば事情442「後方支援」

国会では、テロ対策新法をめぐる動きが続いています。一連の動きを見ていると、いかに言葉が大切かということを改めて感じさせられます。

例えば、「戦闘地域には武器弾薬を運ばない」と言った場合の、

「戦闘地域とは一体どこまでを指すのか?」

であるとか、NATO言う「集団的自衛権」と、憲法が禁じる「集団的自衛権」とはどう違うのか?とか、同じ言葉であっても解釈一つで全く違う意味になってしまうケースが、いかに多いか。

今朝(1016日)の朝日新聞(だけ)に載っていた記事なのですが、巡行ミサイル「トマホーク」を発射している「アメリカの艦船」は「戦闘地域か?否か?」というのです。

共産党の山口富男氏の質問に対して、中谷力・防衛庁長官は、

「戦闘行為の定義は、人を殺傷し、物を破壊する行為であるから、その場ではそういう行為は行われていないから、ミサイル発射は戦闘行為ではない」

と答弁したというのです。また津野修・内閣法制長官は、

「発射していない時間帯も十分にあるから、いろんなことはできる」

と答え、アメリカ艦船への自衛隊の給油や整備活動は可能との見解を示したそうです。

しかし!この報道が本当ならば、

「いくらなんでも、"ミサイル発射が戦闘行為ではない"なんて、一体どの口が言うねん!!」

と言わざるをえません。

サッカーにたとえると、日本の自衛隊の立場は、ホペイロと呼ばれる用具係ではないでしょうか。つまり、試合に必要なボールやシューズ、ユニホームといった用具を、試合が行われるグラウンドまで届けるお仕事。この場合、戦闘地域はもちろん「グラウンドの中」です。そして攻めているフォワードの選手だけが「戦闘」しているわけではなく、ディフェンスの選手もグラウンドの中で「戦っている」わけです。自陣の深いところ、つまり「後方」から「前線」のフォワードの選手に、ロングパスを送ることもありますしね。

もちろん実際の戦場は、サッカーのグラウンドのように、「白線」で囲まれている訳ではありませんから、こんなにはっきり色分けは出来ないし、どこが「戦闘地域」か?と言う定義は非常に難しいのはよく分かります。

しかし、だからと言って「常識で判断できる範囲」というのはおかしい。そこをきっちり定義しなくては、いくらでもその場その場で範囲が変ってしまい、場合によっては全く反対のことを指す同じ言葉が登場してくる危険性は十二分にあるからです。ある人にとっての常識は、別の人の非常識にあたることは往々にしてあります。

「正義」が誰にとっても「常識」であればあるほど、その「正義」の意味を吟味する必要があるのではないでしょうか。(2001、10、16)

さらに、こういった「言葉の粉飾」が、かなり行われていた時期があって、それについて書いたことがあるなあと思って検索すると、やはり「2001年」なんですね。そうです、「9.11」

のテロがあった年です。

その時に、ジョージ・オーウェルの『1984年』に出て来る「ニュースピーク」と呼ばれる語法について書いています。

これも長いですが、再掲します。

****************************************

◆平成ことば事情457「ニュースピーク」

1984年」という小説をご存知でしょうか?イギリスの作家、ジョージ・オーウェルが書いたものです。内容は、新潮文庫の裏表紙によると・・・、

「1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つ、オセアニア国では<偉大な兄弟>に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想や言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理の下に置いていた。この非人間的な体制に反発した真理省の役人ウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止されていた日記を密かにつけ始めるが・・・・」

とあります。

この小説は1947年に書かれたもので、新庄哲夫氏の翻訳によるこの新潮文庫版は1972年に初版が出ています。以来2000年9月15日までに42刷を数えるロングセラーです。(それより前の1950年に、翻訳本は出ているようですが。)

私は、1984年を翌年に控えた、1983年、大学生の時に初めて読みました。

この小説に出て来る主人公のウインストン・スミス(39)は、オセアニア国の

「真理省(ミニストリー・オブ・トルー=新語法ではミニトルーと呼ばれる。)」

に勤め、住む家の名前は、

「勝利マンションズ」。

そのマンションの各階の踊り場には、

"偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている"と書かれた大きな顔のポスター」

が張ってあります。(なんか、どっかの政党のようですね。「真理省」という役所の名前も、この小説を読んだ頃は現実味がありませんでしたが、2001年の省庁改革で、"文部科学省"だの"国土交通省""環境省""厚生労働省"だの、新しい名前の役所が出てきてからは、そんな名前のお役所があってもおかしくないな、と感じてしまいます。)

家の中には、常にスイッチを切ることの出来ない双方向壁面テレビ

「テレスクリーン」

があり、

「思想警察」に常に監視されています。常に・・・ブロードバンドの常時接続ってこと?常時・・・じょうじ・・・ジョージ・オーウェル。

1947年に書かれた、悪夢の近未来(37年後)の世界「1984年」は、(今となっては「近過去」になってしまった)1984年には実現しなかったかもしれませんが、それからさらに17年経って、21世紀に入った現在(つまりジョージ・オーウェルが「1984年」を書いてから54年後)なにやら、現実味を帯びた社会世相のように感じられてなりません。

この小説では「言語」まで、全体主義体制の完全な管理の下に置かれていたとありますが、その言語の呼び名は「新語法(ニュースピーク)」。

「イングソック(INGSOC)」と呼ばれる社会体制(これは「英語」の「イングリッシュ(English)」と、「社会主義」の「ソシアリズム(Socialism)」を足して2で割った、オセアニア国を支配する中心思想)を体現するための言語が、「ニュースピーク」です。

オーウェルは、この「ニュースピーク」に関して、ずいぶんと思い入れがあったようで、小説のおしりのところに、「付録」として「ニュースピークの諸原理」というものを17ページにわたって書いています。付録にしては、力、入りすぎ。

それによると、「ニュースピーク」の目的は、「イングソック」の熱狂的な支持者に固有な世界観や精神的慣習に対して一定の表現手段を与えるばかりではなく、「イングソック」以外のあらゆる思考方法を不可能にするということでした。つまり言葉による「洗脳」ですね。二次的な意味をなるべく剥奪することによって、好ましくない言葉の意味をなくし、語彙を削減することによって、思考の範囲を縮小するために考案されたものなのです。

「ニュースピーク」の語は大きくA、B、Cの3群に分けられています。

A群=日常生活のビジネスに必要な用語。「打つ」「走る」「犬」「木」「砂糖」「家」「畑」など。

B群=政治用語。すべて合成語で成り立つ。「正当性(goodthink)」「思想犯罪(crimethink)」など。

C群=科学、技術用語。

そして、この「ニュースピーク」を唯一の言語として育ったものは、平等という一語に「政治的平等」という二次的な意味もあったこと、あるいは「free」がかつて"知的に自由"という意味したということも知らなくなる筈、とあります。

ここまでオーウェルが言葉にこだわったのは、なぜか?それはやはり言葉の持つ支配性に彼が敏感だったからではないでしょうか。彼は第二次世界大戦が始まってから、BBC海外放送のインド部に勤務しますが、この時の経験が「ニュースピーク」を創造する時に役立った、と訳者の新城哲夫氏は、解説で書いています。

言葉が国家によって支配の手段として使用されることについて書かれた、こんな本を見つけました。ルイ=ジャン・カルヴェ著、西山教行訳「言語政策とは何か」(白水社)。この本は、次のような一節で始まります。

言語や言語状況に対する人間の介入は最近のことではない。さまざまな人間が言語の正しい語法を定め、規範化し、言語形態に介入するようになったのは、今に始まったことではない。はるか昔から政治権力は特定の言語を優遇し、一言語のもとに国家を管理し、多数者に少数言語を押し付ける選択を行ってきた。(7ページ)

そういうことらしいです。つまり、政治(=統治)の重要な手段の一つとして、言語は政策によって定められてきた一面があるということです。そしてそれは、政府の政策を間違いなく伝えるため、つまりコミュニケーション機能を高めるために行われました。しかし、次の一節にあるように、「コミュニケーション機能」は「言語の表現機能」とは相反する到達点を目指しているのです。

「言語のコミュニケーション機能」はコードの画一化を、「言語の表現機能」は逆に(コードの)多様性を物語る。(18ページ、( )内は道浦が補いました。)

ここにおける「コード」とは、その言語を共通に使う個人や集団において(話者についても集団についても)何かを物語るものとして記されているようです。つまり、コミュニケーションをすんなりはかるためには、言語表現は多様でない方が通じやすいが、そうすると、表現の多様性は奪われてしまう、というようなことでしょうか。

ところで、アルフォンソ・ドーデの「最後の授業」という短いお話をご存知でしょうか。

昔は小学校の国語の教科書などにも載っていたのでご存知のお方もござりましょうが。(あれ?「外郎売り」になっている?)

お話は、フランス・アルザス地方のある学校で、いつものように行われる「国語」の授業。その授業の最後に、アメル先生が黒板に「フランス万歳!」と書くのです。それを見た「僕」は、「ああ、そうなのだ、ドイツに占領されたために、フランス語は今日までしか使えない。明日からはドイツ語を使わないといけないのだ。先生の"国語=フランス語"の授業はこれで最後なのだ。」そう思うと、何か熱いものが「僕」の中に込み上げてくる・・・というふうな内容だったと思います。

これを子供向けの本か、教科書で読んだ時には、幼い私も感動して、「ぼくも今日から"三色旗(トリ・コロール)"を持って、"ラ・マルセイエイズ"を歌おう!と思いました。

(こんなませたことを考えたということはそんなに幼くもなかったのかもしれません。)しかしつい先日、目からウロコが落ちる事実を知りました。

まず、この物語の舞台となったアルザス地方は、昔からフランスとドイツの領土争いで、あっちになったりこっちになったりしていたということ、そしてそこで使われていたことばはどちらかというとドイツ語に近いものであったということ。つまり、フランス語は、フランスが支配していた時期だけ、学校で押し付けられた公用語だったということ。

ということは、フランス語で行った「最後の授業」に、深い思い入れがあったのは先生だけであって、子供たちにそういった思い入れがあったかについては、極めて"疑わしい"こと。先生でさえ深い思い入れがあったかどうか疑わしいということです。ここに、作者ドーデのフランス愛国主義者としての「創作」があったのでしょうが、そういった背景を知らずに読むと、「ドイツに占領されたために、これまで使っていたフランス語が使えなくなる悲しみ」を胸一杯に感じてしまうではないですか。(私は感じました。)

言葉が民衆支配の重要な道具になることは、この一例からも感じられるのではないでしょうか。

これについて田中克彦さんは「ことばと国家」(岩波新書1981、11、20初版)の中でこのように記しています。少し長くなりますが、引用しましょう。

ドーデはアルザスを舞台にした小話を、フランスがプロイセンに敗北した1871年から73年まで、毎月曜日、パリの新聞に連載した。・・・(中略)・・・この短編の正確を知るためにはまず舞台となったアルザスがどんなところなのか、その言語史的な背景を知っておく必要がある。・・・(中略)・・・その時以来、アルザスの北部では今日でもドイツ語のフランク方言、南部はスイス・ドイツ語に近いアレマン方言が話されている。・・・(中略)・・・アルザスの土着の人のことば、すなわちアルザス・ドジン語(ママ)はまぎれもないドイツ語の方言である。それをドーデは、「ドイツ人たちにこう言われたらどうづるんだ。君たちはフランス人だと言いはっていた。だのに君たちのことばを話すことも書くこともできないではないかと」というふうにアメル先生に言わせているのである。いったい自分の母語であれば、書くことはともかく、話すことができないなどとはあり得ないはずだ。だからこの一節は、この子たちの母語がフランス語でないことをあきらかにしている。

20年前に、もうこのようなことが書かれていたんですね。私はこの本を1983年に買ってそのままにしていたようです。そろそろ読む時期になったのかな、私にとって。

話が横道にそれました。全体主義国家ではない当時のフランスにおいてさえ、言語(母語)に対する思慕の念は愛国心をあおり、その国民を、言語に関する唯一の規格を求める「言語全体主義」の方向に導きます。これは多様性を容認する多言語国家とは全く逆の方向です。

全体主義国家においては、多様な価値観など必要ありません。否、持ってはいけないのです。「1984年」の舞台「オセアニア国」がコードの画一化を図ったのは当然のことでしょう。そして、オーウェルは、そういった事を実際に行ってきた国の実態を、イギリス植民地下のインドやビルマ(今のミャンマー)で、またスペイン市民戦争の中で、つぶさに見てきたのではないでしょうか。それが、「ニュースピーク」という架空の言語についてのここまで詳しい記述となっており、小説「1984年」の中においても重要な役回りを与えられている原因なのではないでしょうか。

これは「逆もまた真」なのかどうか。それはわかりませんが、単語が一つの意味しか持たない言葉に収斂されていくようになった時、また語彙が少なくなる方向に急速に進む時、河の激流になすすべもなく流されるのではなく、その行く手に「全体主義」が待っていないかどうか、慎重に見極めることが必要ではないでしょうか。見極めることが出来なかった時に到着する場所は・・・21世紀の「1984年」です。(2001、11、19)

****************************************この『1984年』に出て来る「党の3大スローガン」は、

「戦争は平和なり」

「自由は隷従なり」

「無知は力である」

これを改めて見て、

「なんと2017年の現代に当てはまってしまっているのだろう」

と、うすら寒くなりました・・・・。

(2017、2、9)

2017年3月 2日 18:28 | コメント (0)