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『道浦TIME』

新・読書日記 2016_166

『現代の超克~本当の「読む」を取り戻す』(中島岳志・若松英輔、ミシマ社:2014、8、28)

タイトルも難しいが、内容も難しい。もう、わけわからない所は飛ばし読みして、わかりそうなところが出て来たらちゃんと読むという手法で(?)、何とか読み終えました。最近はニュース番組でコメンテーターとしてもよく顔をも見る中島さんだが、若松さんと考え方が合うという。これ「対談」だけどなんか「往復書簡」のような感じで、本当に会って話しているのかどうか、わかりにくい。「若松=W」「中島=N」とかって書いてあるけど、一人の話が長すぎるし、途中から「W」「N」ではなく「若松」「中島」になってるし・・・何なの?

印象に残ったのは、「スワラージ運動」のガンジーの話。「スワラージ運動」の「スワ」は「自ら」、「ラージ」は「統治」の意味だそうだが、そのガンジーの「塩の行進」の話(73ページから76ページ)。

ある日ガンジーは、

「自分は海岸まで歩いて行き、『塩』を作りたいと思う」

と答えて、数百キロ離れた海岸へ向かって歩き出します。当時「塩」はイギリスが専売制を取っていたが、とにかくガンジーは歩き出した。炎天下に歩くという「行」が大事だと。すると多くのインド人が、ガンジーに付いて歩き出したというのです。

「歩く」という日常から連続している行為と、「塩を作る」という日常の延長にある行為を結びつける。庶民の日常の延長にある、天からの恵みの「塩」を、なぜ「イギリスが独占」しているのか?という「イギリス統治のいびつさ」を訴える行為になったというのですね。ふーん。

でも「塩」は、それほど大事なんだということもわかりました。

「給料」の意味の「サラリー」も、語源は「塩」ですしね

こんなところで。


star4

(2016、10、18読了)

2016年11月22日 11:39 | コメント (0)