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『道浦TIME』

新・読書日記 2015_067

『アメリカはイスラム国に勝てない』(宮田律、PHP新書:2015、1、30)

 

著者は「ミヤネ屋」にも何度かご出演頂いた、イスラム関係の学者の第一人者のお一人。

まさに「イスラム国」が日本に牙を剥いて来て、ジャーナリストの後藤健二さんらが殺された時期に読んだ。タイトル通りだと、アメリカをはじめとした我々も「イスラム国」に勝てないことになるが・・・。内容は。。。

 

*「イスラム国」の財源は、石油の密輸と身代金そして不動産の奪取って、それってまんま「犯罪者集団」ではないか!昨今、日本でよく耳にする「半グレ」どころか、「暴力団」「犯罪者組織」なんですね!改めて確認。

*イラクやシリアが、アフガニスタンと同じ過程をたどっていたと。なぜそのようなことが起きるかと言うと、

「サダム・フセインがスンニ派だったので、旧政権を弱体化させるためにスンニ派とシーア派の対立を多国籍軍が意識的に煽った側面は否定できない」(23ページ)

「レバノンでは全人口の22%がクリスチャン、40%がシーア派、30%がスンニ派」

「レバノン北部のトリポリでは、スンニ派の急進的集団と、シリアのアサド大統領の出身宗派であるアラウィー派、シーア派とのあいだで、武力衝突が発生するようになった」

*「2014年6月下旬、米国はシリアの『穏健な武装勢力』に5億ドルの資金協力を行う事を決定した。(中略)米国が支援する『自由シリア軍』(FSA)は、『イスラム国』や『ヌスラ戦線』(アルイカイダ系とされ、現在は「イスラム国」と同盟)」との戦いでは形勢が悪く、弱体化を余儀なくされている」(24ページ)

「自由シリア軍の兵士たちも腐敗しており、米国から供与された武器を、『イスラム国』に売却し、現金を手にするものもいる。イラクのシーア派主体の政府軍から米国製の武器がブラックマーケットに流れることも、頻繁にある。」(25ページ)

といった、明快に敵・味方に分けられない実態というのがあるということが、読み進めるにつれて分かって来た。

また、「イスラム国」のような過激派が台頭する一つの要因としては人口増加があり、アラブ諸国では高い人口増加に見合うだけの職を供給できない。しかもそれに、生産性の効率の悪さという問題が加わる。(52ページ)

*『「イスラム国」の台頭を促す米国の戦争経済』(214ページ)の項などを読むと、結局こういった事態を引き起こした大もとに、米国の政策があったことも分かって来る。そうか、本書のタイトルは、そういったことに原因があるのだなと。

もう最初から最後まで赤線を引きまくったら、ほぼ全ページ赤くなって、何が何やら、わからなくなってしまいました・・・。これも明快に分けられない実態・・・。


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(2015、2、13読了)

2015年4月30日 18:13 | コメント (0)

新・読書日記 2015_066

『世界史の極意』(佐藤優、NHK出版新書:2015、1、10)

今、世界の動きを捉える専門家の中で、ロシアを軸として信頼できる情報を超人的に発信し続けている著者。その著者は、どのような本を読んで、どのような情報を信頼して育って来たのか?ということを教えてくれる一冊。

「歴史は悲劇を繰り返すのか?~世界史をアナロジカルに読み解く」から始まり、第二次世界大戦が終わっても「戦争の時代」は続いており、その中で「核兵器を使わずに戦争をする知恵」を、人類は学んできたと。

「帝国主義」「資本主義」の本質とその歴史から未来を読み解く。そこに新たに加わるのが「民族問題」そして「宗教問題」だ。

こうした「歴史の柱」を学ぶことで、我々は「戦争を阻止すること」が、究極の目的であることを忘れてはならない。


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(2015、2、20読了)

2015年4月30日 15:50 | コメント (0)

新・読書日記 2015_065

『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利・保坂正康・御厨貴・磯田道史、文春新書:2015、3、20)

 

現代日本の「歴史の大家」が集まって、去年秋に発表された「昭和天皇実録」全61巻・1万2000ページを検証した。その感想を対談・鼎談したもの。つまり1万2000ページを読まなくても、「昭和天皇実録」の特筆すべきところ、発見・問題点などを知ることができる。

昭和天皇の素顔を知ることで、

「なぜあの戦争に進んで行ってしまったのか」

「ポイント・オブ・ノーリターンは、どこだったのか」

「これまでの歴史が伝えた人たちの素顔は、本当に正しかったのか」

等の疑問に、ある程度、応えてくれる。これを読むことで、

「『昭和天皇実録』を読んでみたいな」

と感じました。


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(2015、4、16読了)

2015年4月30日 11:49 | コメント (0)

新・読書日記 2015_064

『なにわ万華鏡~堂島商人控え書』(近藤五郎、富士見新時代小説文庫:2015、3、20)

実はこれ、会社の同僚である近藤五郎氏の作品!描き下ろし時代小説。「第1回富士見新時代小説大賞」で優秀賞に輝いたもの。近藤氏は以前、ケーブルテレビ局を舞台にした「青春小説」をものしているが、時代小説の出版は、これが初めて。

読み終わっての感想を一言で言えば、

「よく取材しているなあ」

偉そうに言うと、筆に勢いがあるのが感じられる。そして、著者自身が愉しんで書いている様子が伝わってくる。

「知りたい→調べる→知る→書きたい→書く→知りたい→・・・」

というループの中で生まれた作品のように思う。いや、「編集担当者」のような読み方をしてしまった!

読者としては、佐助の身を借りて江戸時代にタイムトラベルしているような感覚を味わえる。歴史上の有名人が次々出て来て、そこはちょっと、

「一介の商人(あきんど)が、こんなに超有名人ばっかりに次々と会うなんて、ホンマかいな?」

と思うのだが、だからこそワクワクできる。「小説って、フィクションは楽しい!」ということになるんですね。

最後に感想をひとことでまとめると、

「佐助と弁之助の物語の"続き"が読みたい」

である!


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(2015、3、19読了)

2015年4月29日 21:48 | コメント (0)

新・読書日記 2015_063

『声優魂』(大塚明夫、星海社新書:2015、3、25第1刷・2015、1、10第2刷)

 

いつも「声優さんってすごいな」と思っている。

私もよく、「ミヤネ屋」で吹き替えをやっているが、これって結構、アナウンサーでは下手な人が多い。「吹き替え」は「セリフ」が多いので「語り」なのだが、アナウンサーは、つい「読んで」しまうのだ。「セリフ」だから「演じ」なくてはならない。つまり「声優」さんとは、その漢字が示す通り「声で演じる俳優」なのだ。しかし「声の専門家」であるアナウンサーも、声優には"勝てない"かもしれないけど、少なくとも「声の仕事」としては"負けない"ようにやらなくては!と思って、その「コツ」を掴めるかなあと思いながら、この本を手に取った。

「大塚明夫」さんの名前は、何となく聞いたことがあったが、

「あ、違った、私が知っているのは『大塚周夫』さんだった!」

と思って、「ちょっと待てよ、もしかして...親子?」と思ったら、案の定、親子。でも、こんな仕事は「一子相伝」でも、「二世議員」みたいなものでもないから、たまたま同じ道に進んだってことなんだろうな。

本を読んでいくと、初めから3分の1ぐらいまで、もう繰り返し繰り返し、

「声優なんか絶対に目指さないほうがいい」「悪いこと言わないから、やめときなさい」

とクドイほど書いている。何のための本なんだよ!と思うが、そんないやがらせ(?)にもめげないで読み進んだ人は、

「しょうがねえなあ、じゃあちょっと声優の面白みというか、やりがいも書いておくかな」

という感じになっていて、なかなか興味深い。

読んでいくと、「食っていける仕事」ではないということは、よく分かった。それでも好きで好きで仕方がなくて声優になりたい、声優の仕事がやりたい!と思える人か、もしくは、本当の「声優の天才」じゃないとやっていけない仕事のようです。「西友の仕事」じゃ、だめなんでしょうねえ。

 

「『感動』への志は持ちつつ、芝居中はあくまで『嘘をつかない』ことを貫く。それができなければ、役者としてひとつ抜けることはできないでしょう。こうした試行錯誤はおそらく、自分の胸に誰かの言葉が刺さった経験を持つ人間にしかできないことです。他人の言葉にハッとしたり、感動したり、あるいは深く傷ついたりーーそうした経験と感情のストックがあってこそ『言葉で人を刺す』ことの意味をふまえて、さまざまなキャラクターの陰影を表現できるのだと思います。」(118ページ)

人生経験は大事ですね、何事も。

 

 


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(2015、4、22読了)

2015年4月29日 16:08 | コメント (0)

新・読書日記 2015_062

『自由にものが言える時代、言えない時代』(爆笑問題&町山智浩、太田出版:2015、4、21)

 

「爆笑問題」も面白いが、そこに町山さんが加わると、一体どんな毒を吐くのかな?と興味津々。タイトルも興味深いし。月刊誌「Will」に2009年9月号から連載していたものを、2015年4月号分までをまとめたもの。「時代の流れ」を感じますね。その「年」ごとに、その扉のところに、町山さんとの対談を付け加えている構成。

内容は「爆笑問題」の二人の漫才のように見えるが、これは全部「太田光」が書いた、いわば「漫才の台本」。結構、声を出して笑ったところや、思わず吹き出してしまった箇所が多かった。おもしろい!

ただ、残念なのは、「誤植」が多いこと。

(88ページ)×「今までの逮捕とわせるとこれで六度目の逮捕」→○「わせると」

(115ページ)×「立ち合いは強く当たって流れお願いします」→○「流れ

(122ページ)×「まだまだ余談を許さないけど」→○「予断を許さない」

(126ページ)×「菅総理も辞める期のことが」→○「辞める期」

(172ページ)×「篠田麻子ちゃん」→○「篠田麻子ちゃん」

(181ページ)×「後をたない」→○「後をたない」

(218ページ)×「指名手配されていた元CIA職員のエドワードスノーデン氏」

→○「指名手配されていた元CIA職員のエドワードスノーデン氏」

(223ページ)×「マスコミは熱するよね」→○「マスコミは熱するよね」

(226ページ)×「内容を変えた主者側」→○「内容を変えた主者側」

(238ページ)△「このの話は」→○「このの話は」

改めてこうやって書くと、ちょっと多すぎます!でもとってもおもしろかったですけどね。


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(2015、4、20読了)

2015年4月29日 10:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5725「誕生日」

きのう、「4月27日」は、「ミヤネ屋」のメーンキャスター・宮根誠司さんの52回目の誕生日でした。番組終了後、スタジオで簡単に、特製ケーキを囲んでスタッフ全員で簡単なお祝いをしました。

会社から家に帰ると妻が、

 

「きょう、この○○という番組に、仕事でお付き合いのある社長さんが出演するの。きょうが70歳の誕生日なのよ」

 

と言うので、

 

「え!きょうは宮根さんの誕生日だったよ。みんなでお祝いしたで!同じ日なんやなあ」

 

と言うと、今度は小学5年生の娘が、

 

「あ、けさのテレビに出ていた『ナントカ"ぐま"ナントカ』という人も、きょうが誕生日って、言ってたよ!」

 

と言うではないですか!

 

「『ナントカ"ぐま"ナントカ』・・・『あらいぐまラスカル』?

「違う!動物と、ちゃう!『ZIP!』に出てる人や!」

「ナントカぐま・・・・あ、『小熊美香』アナウンサー!」

「そう!その人!誕生日やって言ってたで」

 

4月27日生まれの方、多いんですね。お誕生日おめでとうございます。

(2015、4、28)

2015年4月28日 22:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5724「売り切らしておりまして」

 

近くの書店の本棚に『昭和天皇実録』(東京書籍)の「第二巻」が飾ってありました。

同時配本の「第一巻」はないのかな?と思って、カウンターにいた若い女性店員さんに聞くと、

「申し訳ありません、あいにく"売り切らして"おりまして・・・」

え?今、何て言ったの?

その言葉遣い「売り切らして」というのを奇異に感じたので、

「売り切らして?」

とオウム返しに言うと、言葉遣いに疑問を持ったとは露知らず、「売り切れ」の事実を確認したと思った彼女は、

「はい、"売り切らして"いまして・・・」

と繰り返しました。何を「やらかして」くれてんの?「撒き散らしておりまして」という感じですが、これは正しくは、

「"売り切れて"おりまして」

と言うべきところでしょう。新しい言葉かな、「売り切らす」は。

しかし、よく考えると「売り」が付かないの、

「"切らして"おりまして」

というのは「普通の」表現です。それに「売り」を付けたら、

「"売り切らして"おりまして」

となると推測するのは、自然とも言えます。若い人が、語彙が少ない中で、新しい言葉を解釈するとそうなるのかな?「混交表現」の一種だと思いますが。

でも、ここはやはり、従来通り、

「"売り切れて"おりまして」

「"切らして"おりまして」

のどちらかを使うように店長さん、ご指導をお願いいたします。

でも、感じの良い店員さんだったので、『昭和天皇実録 第二巻』を買いました。

ハードケースに入って2000円は安い!

(2015、4、28)

2015年4月28日 20:33 | コメント (0)

新・読書日記 2015_061

『県民性マンガ うちのトコでは4』(飛鳥新社、もぐら:2014、12、28)

就職ジャーナリストの石渡嶺司さんと、久々に会って飲んだ時に「これ、面白いですよ、よかったら・・・」とプレゼントされた一冊。不勉強で、こんなマンガがあることを知りませんでしたが、明らかに私が好きそうな・・・ごっつあんです!

47都道府県を擬人化して、(まあ、あんまりよく知らないんだけど)今はやりの「艦コレ」みたいな感じですかね、女の子ばかりではないんだけど。「血液型占い」よりは「県民性」のほうが、まだ傾向としては当たっているのではないかなあ。そこに基づいて、わが社制作の「秘密のケンミンSHOW」も成り立って、人気を博しているわけだし。

マンガを書くのも大変だけど、ここまでネタを仕入れる・調べるのも大変!労作だなあと思いました。もう「4」まで続いている人気シリーズのようですし。

「へえー」

と勉強になったのは、

「京都では90年ぐらいでは『老舗』とは言えない。100年200年ぐらいでないと『老舗』ではない」(137ページ)

「山口県では、『山口県』と『山口市』を『山口』のアクセントで区別している。(155ページ)。それによると、

「ヤ\マグチ」 =山口市

「ヤ/マ\グチ」=山口県

なんだそうです。知らなかった!

そして、関東で「しょっぱい」という味を、近畿周辺では「からい」と言い(これはもちろん知っていた)、北陸では「くどい」ということ(211ページ)など、勉強になりましたねえ。

ただ、苦言を呈すると、巻頭カラーの(8ページ)

「柳田男の『方言集圏論』」

で、「柳田国男」の名前が、

「柳田男」

と、「ノンフィクション作家」の方の名前になっていました。「方言集圏論」の方の民俗学者の柳田さんは、

「柳田男」

です。これは、この手の本では、絶対に間違ってはいけないところ。活字の部分だし、完全に誤植。あと、手書き部分のセリフで、

×「態語・音語」→○「態語・音語」

という残念な間違いがありました。校閲、しっかり!


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(2015、4、14読了)

2015年4月28日 16:53 | コメント (0)

新・読書日記 2015_060

『原発とどう向き合うか~科学者たちとの対話 2011~'14』(沢田哲生編、新潮新書:2014、8、20)

 

ちょうどこれを書く前日に、福井地裁で、高浜原発3・4号機の再稼働は認めないという判決が出たが、この本を読んだのは、そのちょうど1か月前、旅行中のスペインの列車の中で。

サブタイトルにあるように2011年、つまり「福島原発事故」が起きてから2014年までの間に、編者である澤田哲生氏が中心となった対談を集めたもの。

澤田さんは「反原発派」かと思っていたが、そうでもない。「是々非々」でいく。第一義は「命」を守るということですよね。経済問題も大事だが、それより何より「安全」は、大前提として確保しなければならないと思う。


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(2015、3、14読了)

2015年4月28日 10:52 | コメント (0)

新・読書日記 2015_059

『歴史の読み解き方~江戸期日本の危機管理に学ぶ~』(磯田道史、朝日新書:2013、11、10)

 

現代の「歴史家」の若手の大家で、向こう30~40年にわたって権威であろう磯田さんが、ご本人の一番得意な「江戸期」の分析で、現代に通じる「危機管理策」を教えてくれる至極の一冊。帯には、

「先達の叡智から 日本の未来を切り開く」

「危機への備え、先達の叡智に学べ」

とあり、さらに「見出し」的に、

「日本の犯罪率の低さは、綱吉時代に始まる」

「薩摩の実戦的 郷中(ごじゅう)教育が、維新の原動力」

「揺れを克明に記した江戸の地震計『天水桶』」

と興味深いものが並んでいる。読んでいて気になったものを記しておく。

「中世的暴力にとどめをさしたのが徳川綱吉の政権だった」(82ページ)

「歴史学では、鎌倉・室町時代(中世)を『自力の世界』ととらえ、江戸時代(近世)を『法治の世界』ととらえることが多い。中世の『自力』とはわかりやすくいえば、『やられたら、自分でやり返す』『自分の身は自分で守る』という思想で、自己武装が前提になった考え方」(82ページ)

「犯罪者を処刑するのは、被害者たる自分たちではなく、国家の警察力である。(中略)これが江戸時代の近代的なところ」(83ページ)

「長州人の学問好き」「長州人の理屈っぽさ」(107ページ)

さらに、宝永地震の際の富士山の噴火に関して、

「富士山の3倍、12キロ程度まで噴煙を噴き上げた」(187ページ)

「江戸でも火山灰の厚さが4~5寸、12~15センチ。火口の近所は3メートル積もったといいます」(187ページ)

「富士山の灰というのは、雪の重さに対して10倍の重さをもっており(中略)30センチ積もりますと、3メートルの積雪と同じ状態になります」(187ぺージ)

「私が危惧しているのは、火山灰の影響で、空気循環のためのフィルターが詰まってガスタービン式の火力発電所が動かなくなることです。」(188ページ)

「電力会社に強く伝えたいのは、『たとえ富士山の灰が5センチぐらい堆積しても、電力の供給が途絶えないように次善の対策を考えてもらいたい。』(188ページ)

 

これは、現代の我々にも参考になりますね。「富士山噴火」とか、チリの火山の噴火とか。

 

「金五郎さんのすごいところは、災害に対して緊急経済援助~今でいう補正予算ですね~をどのぐらいにしたかを書き残しているところです」(188ページ)

「米換算の総生産の2%を出した計算」

「各村からGDP全体のだいたい1%を復興事業に投入していることになります」(188~189ページ)

たいへん勉強になりました!!


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2015年4月27日 20:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5723「わたる」

 

毎日のように「ミヤネ屋」のスタッフに対するメールの中で、何度も何度も繰り返し書いているのに、なかなか覚えてもらえない表記に、

×「30年にって」

×「3kmにって」

というのがあります。「30年」というような、あるいは「3km」というような、

期間・範囲

について「わたる」を使う場合は、「渡る」ではなく、

る」

を使うのが正しいのですが、この「」は、

常用漢字ではない=表外字

ということで、「平仮名」で書いて、

○「30年にわたって」

○「3kmにわたって」

と書くのです。「行為」としての「わたる」は、「渡る」を使って、

○「横断歩道を渡る」

○「海外に渡る」

と書いてOKです。

かなり長期間に「わたって」、このことは説明していますので、そろそろスタッフにも、覚えていただきたいのですが・・・。

(2015、4、22)

2015年4月27日 20:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5722「二人か?2人か?」

 

「ミヤネ屋」でスーパーのチェックをしていたら、こういうのが出て来ました。

「二人の息子に託し」

これを見て「おや?」と思いました。「ミヤネ屋」では「夫婦」や「恋人」など、

「特定のふたりを指す場合」

は「漢数字」で、

「二人」

「単に『人数』を表す場合」

は「洋数字」で、

「2人」

という使い分けをしています。(その区別が付きにくい場合もありますが、そこは臨機応変で・・・)

今回のケースは、お父さんが亡くなったのですが、あとを息子さんに託すということで、その息子さんの人数が「2人」ということなのです。

そうすると息子の「人数」が「ふたり」なのですから、ここは、

「2人の息子に託し」

と「洋数字」を使うべきところ。漢数字の「二人」を使った「二人の息子に託し」という表現にすると、「二人」が、

「奥さんと旦那さんのふたり」

という意味になり、「その間の息子がふたり」という意味にも取れてしまいます。

しかし、そんなややこしいことよりも、「絶対に間違われない文章」にしようとするならば、

「息子2人に託し」

とすればいいのではないでしょうか?

そう考えて、「ミヤネ屋」では、そのように変更しました。

(2015、4、23)

2015年4月24日 16:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5721「ジューナノカ」

 

先日、レンタルビデオの「TSUTAYA」に行ったところ、なんだか料金が上がっているようです。若い女性店員さんに聞いたら、

「17日から、料金を改定させていただきました」

とのこと。

「料金の改定」

と言えば聞こえはいいが、要するに、

「値上げ」

ですよね。その「婉曲表現」です。しかし、それよりも私が「ナヌ!」と思ったのは(今どき「ナヌ」は使わないな。死語だな)、この店員さんが「17日」を、

「ジユーナノカ」

と言ったことでした。たしかに単独で「7日」は「ナノカ」ですが、「10」が付いて「17日」になったら「ジューナノカ」とは言いません。これは不思議なのですが、そういう言い方(和語的な日付の数え方)をするのは、

「14日(ジューヨッカ)」

だけなんですね。念のために、書いてみると、

「11日」○ジューイチニチ     ×ジューツイタチ

「12日」○ジューニニチ      ×ジューフツカ

「13日」○ジューサンニチ     ×ジューミッカ

「14日」△ジューヨンニチ     ○ジューヨッカ

「15日」○ジューゴニチ      ×ジューイツカ

「16日」○ジューロクニチ     ×ジュームイカ

「17日」○ジューシチ(ナナ)ニチ ×ジューナノカ

「18日」○ジューハチニチ     ×ジューヨーカ

「19日」○ジュークニチ      ×ジューココノカ

ということですね。

原則としては「10(ジュー)」が「漢語的な数え方」なので、その後ろに来るのも「漢語的な数え方」ということになるのでしょう。

「和語的な数え方」ならば、「11日」からあとは、

「とう、あまり、ひとひ」「とう、あまりふつか」「とう、あまりみっか」・・・

というようになるのでしょうね。

そうすると、やはり「14日」が例外なのは、「漢語的数え方」で統一すると、

「ジューシニチ」

になるはずですが、この

「『シ』が『死』に通じる」

ので、「忌み言葉」として避けられて、

「そこだけ『和語的読み方』の『ヨッカ』を持って来たのではないか?」

という風に考えられます。きっと、そうだと思います。さっき、思いついたんだけど。

(2015、4、22)

2015年4月24日 10:59 | コメント (0)

新・ことば事情

5720「いつでもできま」

 

家の近くのスポーツクラブの入り口に、一つの窓に一文字、というぐらい大きな文字で「勧誘のことば」が記されていました。それは、

「見学いつでもできま」

というものでした。「大阪弁」で、

「できま!」(=「できます」の意味)

では、ありません。タネを明かせば、

「最後の『す』と書かれた紙が、剥がれて落ちた」

んですね、きっと。でも、「大阪弁」なら、

「できま」=「できます」

ですから、「まあ、そのままでもいいかな?」という感じですが、「標準語」で考えると、

「見学できま(す)」

なのか、それとも、

「見学できま(せん)」

なのか、わかりません。意味はまったく「正反対」になってしまいます。まあ、「できません」というのを大きく張り出すのも、おかしいのですが。

その貼り紙を見て、ここまで考えた後に「ハッ!」と思いました。

「大阪弁」では「できま」とか「おま」とか「だ」いう語尾の言葉があります。

関西の人にはおなじみの大阪・枚方市の遊園地「ひらかたパーク」(通称・ひらパー)の宣伝をしている「V6」の岡田准一さんがコマーシャルで、ものすごく"わざとらしく"

「そうでおま!」

というようにしゃべっていますよね。これらはすべて、

「語尾の『す』」

が脱落した形です。もともとは、

「できます」「おます」「だす」

なのです。でも「本当に脱落しているのか?」というと、実は、

「すごく勢いがいい」

んですね、この語尾。だから発音に正確に表記すると、語尾に小さい「っ」が付いて、

「できまっ」「おまっ」「だっ」

となります。

「この小さい『っ』こそ、『す』が変化した形なのではないか?」

つまり、

「語尾の『す』の母音の無声化を起こして『促音』となっているのではないか?」

と考えたのです。「大阪弁」というと、

 

「母音の無声化が行われにくい」

と考えられて来ましたが、この「語尾」については違うのではないか?と思ったのでした。

(2015、4、22)

2015年4月23日 22:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5719「愛川欽也のアクセント」

 

4月15日に80歳で亡くなった、タレント・俳優の「愛川欽也」さん。

そのお名前の読み方、アクセントが微妙に揺れています。

愛川さんが亡くなったことを報じた各局の4月17日のお昼のニュースを見ていたら、

(日テレ)「ア/イ\カワ・キ\ンヤ」

(テレ朝)「ア/イ\カワ・キ\ンヤ」

(TBS)「ア/イ\カワ」(名字のみ確認)

(NHK)「ア\イ\カワ・キ\ンヤ」

 「フジ」は確認できず。(見逃しました)

 名前の「欽也」は、各社「頭高アクセント」で、「平板アクセント」の、

「キ/ンヤ」

と読んだ局はありませんでした。

NHKのみ「愛川」は「頭高」で、

「ア\イカワ」

でした。そのアクセント、私も「あり」だと思います。しかし、午後1時のニュースでは、

「ア/イ\カワ・キ\ンヤ」

となっていました。

「ミヤネ屋」では、

「ア/イ\カワ・キ\ンヤ」

で放送しました。

各社、どう読んでいるか聞いたところ、

(テレビ東京)愛川さんに最後まで出演して頂いていた弊社の「アド街ック天国」では、冒頭で自己紹介をされていた。そこでご本人の声で確認したところ、名前は「頭高アクセント」で「キ\ンヤ」。名字は、かつては、ややあいまいで「ア/イカワ(キ\ンヤ)」のような感じもあるが、最近の録画を見ると「ア/イ\カワ」と「中高アクセント」で名乗っていらっしゃった。

(MBS)「ア/イ\カワ・キ\ンヤ」。もし「ア\イカワ」と「頭高アクセント」にすると、名前のアクセントは「キ/ンヤ」と「平板アクセント」にしないとバランスが悪い気がする。

(フジテレビ)ご本人と一緒にお仕事もさせてもらったが、みんな、

「ア/イ\カワ・キ/ンヤ(さん)」と呼んでいた。「キ\ンヤ」(頭高アクセント)ではなかった。

等のご意見を頂きました。おそらく、普段の「話し言葉」では、

「キ/ンヤさん」

というような「平板アクセント」で言うことが多いのだと思いますが、改まった席で(つまり「ニュース原稿」のように書かれた氏名を)読む場合には、

「キ\ンヤ」

と「頭高アクセント」にしたほうがふさわしい、ということではないのでしょうか?

これと同じような問題は、

「つんく♂(さん)」

の場合にも、

「ツ\ンク」(頭高アクセント)

「ツ/ンク」(平板アクセント)

のどちらのアクセントを選択するのか?という問題が生じます。

あ、そうだ「B'zも、

「ビ\ーズ」(頭高アクセント)

「ビ/ーズ」(平板アクセント)

の問題がありますね。これは、ご本人たちは「頭高アクセント」で、

「ビ\ーズ」

と言っているようですけど。

ああ、人の名前のアクセントは難しい!!

 

(追記)

5月10日に会見を開いた、うつみ宮土理さんは会見で、

「アイカワキ\ンヤ」

とコンパウンドして、しかも第1音と第2音にアクセントの高さは聞こえませんでした。つまり、ちょっと「関西弁ぽい」と言えば言えなくもないアクセントでした。

また、単独の「愛川」は、

「ア/イ\カワ」(中高アクセント)

でした。

そこで思ったのですが、

「哀川翔」

さんの場合は

「ア\イカワ・ショ\ー」

のように思うのですが、よくこの名前を呼ぶ人は、コンパウンドして、

「ア/イカワショ\ー」

になるんですかね?アクセントは難しい。

(2015、5、11)

 

 

(2015、4、22)

2015年4月23日 19:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5718「三段壁」

 

和歌山県白浜町の名勝、

「三段壁」

この読み方を聞かれて、

「え?『サンダンペキ』でしょ?『半濁音』で。」

と答えたら、

「いや、そう思うんだけど、『サンダンヘキ』と、『半濁音じゃない』発音をするヤツがいるんだよ」

ということで、ネットで調べたり、地元の白浜町役場・観光協会などへ電話したりして、手分けして調べたところ、なんと回答は、

「サンダンベキ」

「清音」でも「半濁音」でもなく、

「濁音」

だったのです!知らなかった!しかも、

「いつから、そう呼んでいるのですか?」

と聞いたら、

「ずっと昔から。最初から『サンダンベキ』です。」

という答えが返って来たそうです。

知らなんだー!

だって、「○○壁」という時には、例えば、

「絶壁」「岸壁」

なんかは「半濁音」の「ペキ」ですし、似たような漢字の「璧」を使った言葉でも、

「完璧」

は「ペキ」と「半濁音」です。ですから、

「促音(小さい「ッ」)や撥音(「ン」)の後は『ペ』と『半濁音』になる」

と思ってたのです。

「ベ」という「濁音」になるケースって、他にあるのかな?すごく例外的ですよね?

ご存じの方いらっしゃったら、教えてください!

(2015、4、22)

2015年4月23日 16:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5717「真逆2」

 

4月22日、鹿児島地裁は、川内原発の再稼働差し止めを求めた仮処分の申し立てを却下しました。お昼のニュースで、鹿児島読売テレビの若い男性記者(アナウンサー?)が、その模様を中継で伝えていました。その、

「先日の福井地裁とは真逆の判決が出ました」

というコメントの中で、

「真逆」

という言葉が出て来ました。

これは、こんな硬いニュースの中の言葉としては、ふさわしくありません。

「正反対の判決」

と言ってもらいたいなあと思っていました。

すると、同じ日の夕方の読売テレビの「かんさい情報ネットten.」の中でも、ナレーションとスーパーが共に、

「真逆の判決」

と出て来ました。ガックリ。

原稿を書いた記者・デスク・そしてナレーターさんも「若い」のですね。「真逆」に違和感がないのでしょうか?私なら絶対に使わない表現なのでが・・・。

4年前に書いた、「平成ことば事情4428 真逆」もお読みください。

(2015、4、22)

2015年4月23日 12:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5716「グルメ通」

 

4月22日・水曜日の「かんさい情報ネットten.」の人気コーナー「ノゾキミ」を見ていたら、

「グルメ通」

という言葉が出て来ました。「グルメ通」!

「グルメどおり」

ではないですよ、「グルメつう」。「神経痛」でもありません。

ご存じだと思いますが、本来、「グルメ(gourmet)」はフランス語で、

「食通、美食家」

のことを指します。それから言うと、「グルメ通」というのは、

「食通通」

となってしまいます。「ショクツーツー」って「モールス信号」のようです、トン・ツー・ツー。

「『食通』について詳しい人」

という意味なら、成り立ちはしますが、それは、やはりおかしい。

『広辞苑』『明鏡国語辞典』『岩波国語辞典』は、

「食通、美食家」

という意味しか載せていませんし、『精選版日本国語大辞典』も、

「食通。美食家。また、酒の鑑定家」

のいう意味しか載せていません。『新明解国語辞典』も、表現は違いますが、意味はほぼ同じで、

「美食を求めてやまない人。美食家。食通」

となっています。

ただ、最近は「俗語」として

「グルメ=美食」

という意味によく使われていて、

「B級グルメ」「ご当地グルメ」「グルメ本」

といった言葉はよく目にし耳にしますし、誰も文句を言いません。というよりも、その意味のほうが「通りがいい」(よく使われている)のかもしれません。

『三省堂国語辞典・第7版』でも、

「グルメ」=(1)食通(2)おいしい料理

として載っています。

しかし、「グルメ」の本来の意味を知っていれば、「グルメ通」という言葉は、絶対に使わないと思うのですが、いかがでしょうか?

(2015、4、22)

2015年4月22日 20:11 | コメント (0)

新・読書日記 2015_058

『安倍官邸の正体』(田﨑史郎、講談社現代新書:2014、12、20)

 

以前「ミヤネ屋」にもご出演頂いていた、時事通信の解説委員・田﨑さんの著書。3月のスペイン旅行の1週間で読もうと持って行ったのだが、結局、帰って来るまでには読み終えられず、帰って来て読み終えた。

去年の12月末に出版されているが、2014年12月の衆院選の内幕について記されている。次の選挙までの安倍政権の運営を考える上でも読んでおくべき一冊だろう。

政権内部まで深く取材している著者から見た、安倍政権の「構造」と「正体」、さらに「一次政権とはどこが違うのか?」なぜ、一次政権の時と比べて「ゴルフ」の回数が激増したのか?「美しい国」路線を引っ込めた理由などが詳しく書かれている。

その中で著者は、「菅官房長官」を高く評価しており、「安倍政権は菅官房長官でもっている」ぐらいの勢いで褒めている。「褒め殺し」ではないようなのだが、内情を知らない読者から言うと、「そんなに凄いのかなあ?」とわからない部分はあるが、「粛々と進める"凄み"」は感じることができる。あまり笑っているところを見たことないもんね。あの「冷静さ」は、尋常ではないだろう。でも、怒っている感じのところはあるから、やはりかなり"抑え込んでいる感情"もあるのだろうなと。身体に悪いだろうな。

「安倍政権のキーパーソン」の一人が「菅官房長官」であることは、間違いないだろう。


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(2015、3、22読了)

2015年4月22日 16:40 | コメント (0)

新・読書日記 2015_057

『寂しさの力』(中森明夫、新潮新書:2015、3、20)

 

著者は「おたく」という言葉の生みの親。作家であり、アイドル評論家。三重県生まれとは知らなかった。

その著者が「母」を失いかけたときに感じた「寂しさ」から、「成功者たちの原動力」「人間の最も強い力」は「寂しさ」ではないか?ということを「発見」し、その視点を基に読み解いていく歴史。自らの家庭の歴史と言うか「自叙伝」的要素もあって、同時代を一緒に体験できる面白さもあって、ほぼ一気に読んでしまいました。

中島みゆきへのインタビューのあとに、その時には答えてもらえなかった「答え」とおぼしき「曲」の歌詞を、テレビで聞いた時に感じた「感動」というのは、体験した人にしかわからないのだろうなと思ったし、「中島みゆき、やっぱりスゴイ!」とも思いました。


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(2015、3、26読了)

2015年4月22日 11:39 | コメント (0)

新・読書日記 2015_056

『四次元時計は狂わない~21世紀文明の逆説』(立花隆、文春新書:2014、10、20)

 

月刊誌『文藝春秋』の「巻頭随筆」2011年5月号から2014年7月号までの3年分・39編をまとめたもの。以前は阿川弘之さんが書いていた、あれですね。あまり読む機会がないので、こうやってまとめて読むと、「3年」という時代の流れも分かってよい。

章分けをして「日本再生」「革命の性器」「知の新時代へ」の3つに分かれている。タイトルとなった「四次元時計は狂わない」は「日本再生」の章にある。ちょうどこの本を読んでいた時に、NHKの、あの「クローズアップ現代」で、この「四次元時計」を取り上げていた。

日本でいま、世界でもっとも正確な時計が作られているというのだ。「光格子時計」というその時計は「100億年に1秒しか狂わない」のだそうだ。まだ地球ができて「46億年」だから、地球ができてからこれまでで「1秒も狂っていない」という、想像もつかないほどの精密さ・正確さ。現在、世界で最も正確とされ、世界標準時刻を傷むのに使われている「セシウム原子時計」でも、「数千万年に1秒狂う」のだそうだから、「光格子時計」はその1000倍も正確だという。もう訳が分からない。

そこから先はさらに訳が分からないのだが、それほど正確になると、もう単なる「時計」ではなくて、アインシュタインの相対性理論でいうところの「時空のゆがみ」を計れるのだという。というのは、これほど精度が高いと、「地球の重力のほんのちょっとした違い」も「時間計測」に影響を与える。逆に言うと、「時間計測への影響」によって「時空の重力によるゆがみ」を計算できるのだという。

理屈は分かるような、わからないようなだが、「量は質に転化する」のだな、きっと。それによって、次のディメンジョンに上がるというか。難しいけど、なんとなくわかる。

著者は「まえがき」で、こう記している。

「アベノミクスなどいつポシャっても不思議ではないが、四次元時計の話を聞くと、日本はまだまだ大丈夫と思う。」


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(2015、3、13読了)

2015年4月21日 10:41 | コメント (0)

新・読書日記 2015_055

『小林秀雄 学生との対話』(国民文化研究会・新潮社編、新潮社:2014、3、30第1刷・2014、4、10第2刷)

 

小林秀雄が講演の後、聴衆である学生との「質疑応答」だけを収めた本。この企画は秀逸。

実は小林秀雄は、講演内容を(もちろん質疑義応答も含めて)録音することや、それを本にすることを禁じていたという。しかしそうは言っても貴重なお話だから、主催者側はこっそりと録音していたんですねえ。そして小林秀雄の死後、遺族の許可を取って、こういった形にしたと。本人はイヤだったかもしれないが、のちの世の多くの人たちのためになっているので、「ゴメンネ」というところか。

いろいろ勉強になったところを抜き書きすると、

*「『大和魂』という言葉が一番先に出て来るのは『源氏物語』で。それ以前にはありません。」(16~17ページ)

*「『大和魂』は紫式部が言い出したのですが、『大和心』の方は赤染衛門です。」(18ページ)

*「歴史という学問は、自己を知るための一つの手段なのです」(26ページ)

*「神を信じ、神を祀(まつ)るというコンディションの中に人間が生活していた、『古事記』はその正直な記録であり、宣長は『古事記』そのままを信じたのです。」(27ページ)

*「現在使われている民主主義の思想と言うのは、まあ平等思想だ。政治的に平等だということですね。民主主義という思想で、人生の問題は全然片付かないよな。それはまた別の問題じゃないか。そういうふうに考えればいいので、民主主義を人生観と間違えるのが一番いけないね。」(84ページ)

*「ソクラテスの『無知の知』と孔子の『知らざるを知らずとせよ。これ知るなり』とは同じ意味だと考えてもいいでしょう。偉い人の言葉はみな同じようなことになるのは不思議です。そしてみな大変やさしいことをいっています。」(91~92ページ)

*「現代人は、すぐに行動しなくてはいけないと考えます。<あはれ>を知るということは、行動ではないのです。物を見ること、知ること、つまり認識です。物を本当に知るというのは一つの力なのだということを、現代人は忘れていますね。現代人はすぐに行動したがるのです。その行動の元になっているのが科学です。科学などというものは、物を知るためには、ちっとも役に立っていません。」(99ぺージ)

*「人が君を本当にわかってくれるのは、君が無私になる時です。君が無私になったら、人は君の言うことを聞いてくれます。その時に、君は現れるのです。君のことを人に聞かせようと思っても、君が現れるものではない。」(112ページ)

*「クローチェは『どんな歴史でも現代史なのだ』と言っている。現代の人がある史料を通じて過去に生きることができるなら、その人は歴史家と呼べるのです。」(127ページ)

*「昔は『増鏡』とか『今鏡』とか、歴史のことを鏡と言ったのです。鏡の中には、君自身が映るのです。歴史を読んで、自己を発見できないような歴史では駄目です。どんな歴史でもみんな現代史である、ということは現代のわれわれが歴史をもう一度生きてみるという、そんな経験を指しているのです。それができなければ、歴史は諸君の鏡にならない。(中略)一番忘れられているのは、この鏡としての歴史です。」(128ページ)

*「現代は、物質的な進歩は確かにたいへんなもので、それに僕らはつい目を奪われるから、人間はどんどん変わっているように思ってしまう。これは、人間の精神を蔑ろにしていることです。人間の変わらないところ、変わらない精神を発見するのには、昔のものを虚心坦懐に読めばいいのです。(143ページ)

などなど、含蓄に富んだ言葉の数々、大変味わい深い。また、当時の学生の『質問の質』が高いなあとも思いました。(もちろん、それほど高くない質問もありましたけど。)

ちょうど並行して、山田孝雄の『櫻史』も読んでいたので、本居宣長の「大和心」、オーバーラップして理解できました。

じっくり読んでいると、当時の講演会に出ているような気分になりました。ありがとうございました。


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(2015、4、3読了)

2015年4月20日 23:37 | コメント (0)

新・読書日記 2015_054

『日の本切手美女かるた』(内藤陽介、日本郵趣出版:2015、3、25)

 

郵便学者・内藤陽介さんの著書。贈呈して頂いた。ありがとうございます。さあ、気合入れて感想書くぞ!

日本の切手の図柄で「美女」を描いたものをセレクトし、それを「いろはがるた」のように「いろは」順に並べ、見開き2ページで1つの切手の説明をしているので、読みやすい。しかし、たかが2ページと思うなかれ、内容はもの凄く濃く、深いのだ。「いろは」の文句(文章)は、選んだ美女切手に合わせて内藤さんが作って(選んで)いる。その関連の薀蓄も楽しい。

110ページほどのフルカラーの冊子は薄いが、中の写真の豊富さと内容の濃さは、200ページ超に匹敵するぐらいだと思う。

懐かしい切手の数々、やはり美しい切手は「切手趣味週間」と「国際文通週間」に多いなと思った。もちろん「国宝シリーズ」の切手も美しい。おなじみの図柄の切手の「元」となった美術品の背景を、この一冊で知ることができる。

私の「美女切手」の思い出と言えば、42~43ページに載っている、1965年の「切手趣味週間」で取り上げられた上村松園の最高傑作「序の舞」。綺麗な切手でした。「序の舞」という作品の名前や、「上村松園」という日本画家の名前を、小学生の時に覚えることができたのは、この切手のおかげ。

数年前に「序の舞」の実物を見る機会があったが、そのサイズの大きさに驚いた。「巨大」と言えるほど大きな作品でした。(今、調べたら、縦233cm×横141,3cm)ビックリ!切手だと可愛いサイズなのだけど。

でも、切手で知っている絵は、本物にも親しみが湧きますよね。


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(2015、4、13読了)

2015年4月20日 20:32 | コメント (0)

新・読書日記 2015_053

『他人の意見を聞かない人』(片田珠美、角川新書:2015、3、10)

 

著者は関西在住の精神科医。産経新聞でコラムを連載しているほか、「新書」の著作も多数著している。私も、新しい本が出るとほとんど読んでいます。以前、「読書日記」で感想を書いたところ、新著を贈って来てくれたことがあります。その節は、ありがとうございました。この本は買いました。

いやあ、この本のタイトルを見たときは「ドキッ」としました。自分のことを言われているようで。普段は、本に紙カバーをかけずに読むのですが、これは紙のカバーをかけて読んだもんね。

著者が本書を書く「きっかけとなった人」は「安倍晋三首相」だという。アベノミクスに対する町の人の批判のインタビューを聞いて「おかしいじゃないですか!」と感情的に反論した様子を見て、「こういう人が増えているのではないか?」と思い、そういった人を生み出す社会状況や、対処法などについて記した。

「第1章   なぜ他人の意見を聞かないのか」

「第2章   自分しか愛せない人が増えている理由」

「第3章   他人の意見を聞かない人と向き合うと、どんな気持ちになるのか」

「第4章   集団化する意見を聞かない人たち」

「第5章   他人の意見を聞かないのか、きけないのか」

「第6章   意見を聞かない人への対処法」

いやあ、もう、耳が痛い。そんな気持ちで読み進むと、こういった一節が。

「異質な意見を排除して、自分たちこそが『正義』だと声高に叫ぶのは、根底に渦巻く欲求不満ゆえだろう。<差異の恐怖>や<陰謀の妄想>、あるいは欲求不満を抱くのは、現在の日本が自尊心を持ちにくい社会だからではないか。」

と、日本社会のあり方に言及。また、

「自尊心は、①経験によって強化された全能感 ②対象リビドーの満足 ③幼児期のナルシシズムの残滓 の三つに由来すると、フロイトは述べている。」

と、フロイトの節を。<差異の恐怖>や<陰謀の妄想>はないけど、根底に「欲求不満」があるのかなあ。そして、

「欲求不満に陥った中間層への呼びかけは、歴史的ファシズムの典型的な特徴一つ」

と、ウンベルト・エーコ(あの『薔薇の名前』の)は挙げているのだという。それは恐ろしい。

私は「自分の利益のために」とは思わないが、「自分は間違っていない」という思いが人一倍強いことは、自覚している。でも、直そうと思わないけどね。だから直らないです。

「処置なし」

です。しかし、「あとがき」を読んで少し反省。

「他人の意見を聞かないことを無自覚のまま攻撃手段として用いる人が増えているということである。しかも、攻撃された側は、より弱い相手の言い分を聞かないことで鬱憤を晴らそうとするので、延々と連鎖していくことになる。この構造を理解すれば、できることは二つしかない。まず『いつかは聞いてくれるようになる』という甘い幻想を捨てることだ。そのうえで、『他人のふり見てわがふり直せ』ということわざを思い出して、他人の意見を聞かない人に自分自身がならないように気をつけることである。そうすれば、少しは生きやすい社会になるのではないだろうか。」

反省。


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(2015、3、30読了)

2015年4月16日 19:00 | コメント (0)

新・読書日記 2015_052

『勝負論』(青木功、新潮新書:2015、3、20)

 

プロゴルファー歴50周年を迎えた青木功さんによる「プロ」「勝負」に関するお話。語りかける口調で書かれているので、もしかしたら「語りおろし」のような形か。一応、週刊誌(「週刊新潮」)に連載されていた「おれのゴルフ」2014年1月~2015年1月までものをまとめたものだという。

ゴルフだけに「18章」に分けて書かれている。第1章・・・1番ホールは「一流と二流は何がちがうのか」。これは色んな超一流の人がよく書いているものだけど、また違う分野の超一流の人の言葉は、読んでみたくなるよね。

青木プロによると、「超一流」とは、

「当たり前のことを当たり前に実行できる継続力」

ではないかという。深くうなずける。

そのほかにも、

「プラス思考が大事。マイナス思考からは何も生まれない」

「好奇心が本当の努力を育てる」

など名言が目白押し。ほら、1番ホールを覗いただけで、全ホール、回ってみたくなって来たでしょ?

なかなか、興味深かったです!


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(2015、4、7読了)

2015年4月16日 15:58 | コメント (0)

新・読書日記 2015_051

『コモエスタ・ニッポン!~世界でもと尾も読まれているスペイン語ブログのひとつは日本ガイドだった』(エクトル・ガルシア著、濱田真由美・浜田和久・関佳代・訳、宝島社:2015、3、23)

 

ちょうど1週間のスペイン旅行を終えて帰国した時に見つけた、出たばかりの本。すぐに買って読んだ。サブタイトルを読んで、

「そうだったのか、世界で最も読まれているスペイン語のブログは、日本について書かれた物だったのか!」

と感動して、すぐに購入したのだ。大変読みやすい記述。まあ、内容は、私たちは知っている「日本」についてのことだから。でも、それをスペイン人が「どう見ているのか」という視点については、日本人の私たちは気付かないことばかりなので、

「へえー、そんなことが珍しいの!?」

と新鮮な気持ちで読める。(私たち日本人から見ると)客観的な視点での記述が面白い。

日本と日本人って、注目されているんだね!ある意味、誇りが持てますよ。


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(2015、3、28読了)

2015年4月16日 11:10 | コメント (0)

新・読書日記 2015_050

『櫻史』(山田孝雄・山田忠雄 校訳、講談社学術文庫:1990、3、10第1刷・2006、3、10第11刷)

 

「さくらし」ではなく「おうし」と読む。日本における桜の歴史書。「櫻」は「桜」の旧字体。かの山田孝雄(よしお)先生が、昭和16年に出された、文字通り、日本人と桜の付き合いを、時代順に「上古」「中古」「近古」「中世」「現代」と追って来ている。つまり、そんなに昔から、日本人は「桜」を愛で、桜と共に生活して来たのだなあということを、改めて知ることができる一冊。

しかし、旧字体で口語体ではない文章の上、500ページ近い文庫本なので、読み通すにはハードルが高い。何年か前に購入して、桜の季節が近づくたびにちょっと読んでは挫折し、ちょっと読んでは挫折し、、、つまり咲いては散り、咲いては散り・・・咲いてないけど、散ってばっかりだったが、「今年は絶対に読み通すぞ!」と覚悟して読んだ。大分、読み飛ばしましたが。

「桜」に関して一番有名ともいえる、本居宣長の、

「敷島の やまとごころを 人とはば 朝日に にほふ 山ざくら花」

という歌に出て来る「桜」は、「ソメイヨシノ」ではないし、日本人にとって古代から「桜」として親しんできた「桜」は「ソメイヨシノ」ではないということ。「ソメイヨシノ」では「朝日にのほふ」とはならない、とも。

山田孝雄博士の文章の、口語訳というか解説を各章ごとに加えているのは、息子の山田忠雄先生。1941年(昭和16年)に出た本を、半世紀近く経った1989年(平成元年)4月に出している。

「あとがき」を見ていてたら、和歌や漢文の口語訳の礎稿作成を、「今野真二」先生が担当されたと記されている。たしか、今野先生は、山田忠雄先生のお孫さんだ。昭和63年(1988年)11月22日から平成元年(1989年)3月7日までと、スケジュールも具体的に書き残されている。そういう交流もあったのだなあと、本編とは関係のないところで、感心した。

あ、でも、「父・孝雄」の作品を現代に復活させよう、後世に伝えようと考えた「忠雄」の試みに、「孝雄」にとっては「曾孫」にあたる「今野真二」を加えたということが、つまりこの本の「精神」でもあったのではないかなあとも思いました。

「さまざまな こと思い出す 桜かな」(芭蕉)


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(2015、4、8読了)

2015年4月15日 19:09 | コメント (0)

新・読書日記 2015_049

『老人喰い~高齢者を狙う詐欺の正体』(鈴木大介、ちくま新書:2015、2、10)

 

「2015読書日記047」で読んだ『最貧困シングルマザー』と同じ著者・鈴木大介氏の新書での著作。(今年の2月に出たので「新作」でもあるが。)

世の中の「底辺」や「闇社会」で生きている人たちを取材するジャーナリスト・鈴木氏。

この本では、「オレオレ詐欺」など「老人」を喰い物にする「犯罪者」を取材。彼らがどのような手口で、どういう理屈でこういった犯罪行為を行っているのか?また、彼らが「いい加減な不良」ではなく、そんじょそこらの人間よりもよっぽど強い目的意識とプロ意識を持って、この"仕事"に取り組んでいるかということがわかる。

如何に捕まらないでやるか?如何に組織としてやるか?どういう手段で、部下を教育をして、どの位の期間で、どれだけ水揚げを得れば良いのか?という綿密な計画に基づいて、お年寄りを狙っているということがわかり、

「これは、お年寄りは、やられるわ・・・」

と舌を巻いた。

読み進む中で、そういった犯罪行為に彼らを追い込んだ"社会"」

とは?ということも考えさせられる一冊である。

それにしても、「喰う」の字を「口へん」にしたら、ものすごく「おどろおどろしい感じ」になりますねえ・・・。


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(2015、3、9読了)

2015年4月15日 16:08 | コメント (0)

新・読書日記 2015_048

『棒を振る人生~指揮者は時間を彫刻する』(佐渡裕、PHP新書:2014、10、29)

 

タイトルが面白い。指揮者は確かに「棒を振る」が、「人生」が付くと「人生を棒に振る」に見えるところが"遊び心"だなあ。

いまや、日本を代表する指揮者の一人となった佐渡裕さんが、自らの生い立ちと音楽、楽譜、指揮者、そして「第九」についての思いを語った一冊。

2015年9月から2018年8月末までの3年間、ウィーン・フィルと常に比較されてきたというオーストリアのオーケストラ「トーンキュンストラー管弦楽団」の音楽監督を務めることになった佐渡さん。それに向かうにあたって、これまでの自身の「音楽の軌跡」をまとめておきたいような気になったのではないか?

ことし9月からの、彼の地でのご活躍、期待しています!


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(2015、2、18読了)

2015年4月15日 13:01 | コメント (0)

新・読書日記 2015_047

『最貧困シングルマザー』(鈴木大介、朝日文庫:2015、1、30第1刷・2015、2、10第2刷)

社会の弱者に注目し、「ルポ」的なノンフィクションを書き続けている1973年生まれの著者。現代日本における「弱者」の一つ「シングルマザー」の「貧困」を探った。

日本の母子家庭の約半数が、年収125万円に満たない「貧困層」。プロローグでは「本書を社会学的なルポルタージュにしたくないと、強く願う」とある。本書で取り上げられた、今実際に「最貧困」状態にあるシングルマザーたちは、「食べるため」「生きるため」に「売春」を行っている。しかし、それでも食べていけないという現状。

「働けばいいじゃないか」というような言葉がむなしくなるような状況は、理解できない人には、理解できない。でも厳然として、そういった人間が、いる。

どうやれば彼女たちを救えるのか?取材をしながら、その道を探る著者であるが、この沼は、深くて"底なし"である。彼女たち本人が「救ってほしい」と声を上げれば・・・と思うが、それさえできない状況というのは一体・・・。

しかし、"売春婦にもなれない"という「絶対的に持たざる者」である彼女たちであるが、決して「放さない(離さない)もの」がる。それは「子ども」なのだ。だからこそ「シングルマザー」という生き方なのである。「子どもがいなければ、働ける」という状況でも、決して離さない。「子ども」こそが、彼女たちにとっての"最後の依り処"なのである。


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(2015、3、5読了)

2015年4月15日 10:59 | コメント (0)

新・読書日記 2015_046

『若者はなぜ「決めつける」のか~壊れゆく社会を行き抜く思考』(長山靖生、ちくま新書:2015、2、10)

 

タイトルの内容を期待すると、ちょっと、あれ?と思う。若者の動きを通じて、日本の世の中の現状を解き、その生きにくい時代の生き方をアドバイスする一冊。

「2015読書日記045」で書いた春香クリスティーンさんの本を読めば、「若者」が「決めつけている」とは思えないが、そういう若者は「少数派」ということか?

この本の著者が、以前(2003年)、『若者はなぜ「決められない」か』という本を書いているが、それから12年がたった時点での若者は、今度は「決めつける」のだという。つまり「両極端」に振れるということ。これは日本人の特徴なのかもしれない。

若者が社会へ出る=就職・就職活動(就活)に関しての状況、社会の「働き方」の変化、それによってこれまで「モラトリアム」などといって、そういった存在を、余裕を持って受け入れていた社会が、若者に「決断」を迫り、追い詰めるようになった。そして、その「決断」による結果を「自己責任」として切り捨てる。全ては「グローバル化」の影響だ。2000年~2009年の「ゼロ年代」、小泉政権から始まる中で、その傾向は固定化していったのである。そうして「一億総中流」だった時代の「ふつう」が、「ふつう」の人には手に入らなくなった。そのために「モノを持たない生活」から「家族を持たない(持てない)生活」への変化が生まれた。

「弱者、ゆとり教育、キャラ」の項(161ページ~167ページあたり)で著者は、

「困った状態にある人を、ここでは『弱者』と呼んでおくが、私の見るところ、若者には『否認系弱者』とでも呼ぶべき存在が多い。かれらは『弱者』であることを認めたがらない。架空の万能感に固執して、自分の現状を自覚することができない。(中略)『意識高い系』も、軽度の否認系といえる。また否認系は、『中二病』ともつながっている。中二病とは、中学二年生にありがちな背伸びした恥かしい思考、言動のことだが、これが嵩じると誇大妄想的な大言壮語になる。あるいは日常会話に非日常的なことばが増えて来る。」

「一方、自分の弱者性を自覚した人が陥りやすいのが、『他責系』あるいは『自責系』という次の段階の困難だ。」

というように詳しい分析が続くが、読んでいて自分のことを言われているようで、ムズムズする部分もあった。

また「弱者性を権利とする人々」は「思考停止状態」が見られ、本当は危険性を示すデータが存在したにもかかわらず「想定外だった」「信憑性が確認できなかった」「部下から報告を受けていなかった」「いじめはなかった」等の「言い訳」をし、職務責任として「知る努力」をしなければいけなかったのに怠った「①無能 ②怠慢 ③虚偽」のいずれかに該当する、というあたりは「ああ、あの議員、あの会社か、あの学校・・・」というように思い当る事例がたくさんあった。

著者の本業は、歯科医。歯医者さんの傍ら、こういった評論を多数、ものしている。驚きである。


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(2015、3、10読了)

2015年4月14日 21:58 | コメント (0)

新・読書日記 2015_045

『ナショナリズムをとことん考えてみたら』(春香クリスティーン、PHP新書:2015、2、27)

 

「ミヤネ屋」にもご出演頂いている春香クリスティーンさんの著書。ちゃんと買いましたよ!若き社会学者・古市憲寿さんによる帯の推薦文は、

「『右』でも『左』でもなく『前』~春香さんのバランスと聡明さが存分に発揮された前向き社会論」

そう、今の時代「右」も「左」もない。「前」=未来に向かって、いかに「より住みやすい世の中を築く」かですよね。

春香さんは、2013年12月26日の「ミヤネ屋」でのいわゆる「ヒトラー発言」が、視聴者からの強い反発を招いたことを受けて、

「私は右でも左でもないのに、その発言が、なぜこのように過剰な反応を招いてしまったのだろうか?」

ということに疑問を持ち、その視点で「現代日本の状況」を客観的に分析してみた。その分析=ある意味での研究結果を、本書に記している。

そしてその視点は、「イスラム国」などの問題にもつながっているのではないか?と。

春香さんが、「政治」に興味があるのは、「政治が生活に密着しているから」だという。たしかにそうなのだが、それに気付かない人も多い。私たちが一番、政治にコミットできるのは「選挙」であり、微力ではあるが、その権利を行使できるのは「投票」行動なのに、

「どうせ、何も変わらない」

と「試合放棄」をする人がいかに多いかは、つい先日の「統一地方選挙」を見ても分かる通り。

それでは、何も変わらない。「投票=生活」だという強い意識を、どうすれば持てるのか?少なくとも本書を読むところから始めたい。20歳そこそこの女の子が、これだけ真剣に考えているのに、我々大人が考えないわけにはいかないではないか。


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(2015、2、27読了)

2015年4月14日 19:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5715「元夫か?前夫か?」

 

「ミヤネ屋」のスタッフから質問を受けました。

「『スザンヌ 元夫と偶然 再会』というスーパーを出そうと思うのですが、これは『元夫』でいいんでしょうか?それとも『前夫』のほうがいいのでしょうか?」

うーん、意外と難しい。

というのは、「直近に離婚した夫」という意味では、

「前夫」

であり、その「前夫」も含めて広義で言えば、

「元夫」

でもいいのです。しかし、ここで問題が。スザンヌさん自身が何度も離婚歴があるのなら、

「前夫」「元夫」

という区別ができますが、スザンヌさんの離婚は今回が「初めて」なので、「前夫」のように、

「順番を意識させる言葉」

を使わなくても、「現在は、夫ではない」という意味で、

「元夫」

でいいのではないか?と思うのです。結局、

「元夫」

で放送することにしました。

(2015、4、13)

2015年4月14日 18:34 | コメント (0)

新・読書日記 2015_44

『中間層消滅』』(駒村康平、角川新書:2015、3、10)

 

「2015読書日記043『地方消滅』(増田寛也編著)」と続けて読んだわけではないが、あとで見直すと「消滅」という言葉が共通している。ことしのキーワードか?

今、話題のピケティ等の主張にも触れながら、グローバル化(アメリカ化)によって富の集中が進んで中間層が消滅してきていると。しかし歴史的に見れば、現在よりももっと富の集中していた時代はあったという。また「所得が上の人が富めば、その"おこぼれ"で所得の下の人も潤う」という「トリクルダウン理論」は「神話(ウソっパチ)」だったとも書いている。

そして、いくら「制度」ができても、その狭間を埋める最後の砦(とりで)は、「地域(住民)の力」であるという。結局、これまでも「このままではゆくゆく、ダメになる」と分かっていた制度を、

「まあ、今はまだ大丈夫だから、解決は先の世代の人にやってもらおう」

と「先送りしてきたツケ」が、ついに支払いのときを迎えているのが現在である。もう「安くて質のいい物」を求めるのは無理だという意識を、皆が持たなくてはならないと著者は述べる。その意味では「痛みを伴う改革」という掛け声は、(方向性は別にして)小泉政権が発した数少ない「良い点」だったのかもしれない。


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(2015、4、4読了)

2015年4月14日 15:41 | コメント (0)

新・読書日記 2015_043

『地方消滅』(増田寛也編著、中公新書:2014、8、25初版・2014、11、25第13版)

去年の「新書大賞」を取ったベストセラー。これも、2月に3泊4日で東北を旅した時に読んだ。東北の街々を実際に歩きながら読むと、より内容が理解できるかなと思って。

要約すると、基本的には、国や自治体の繁栄は「人口」であると。人口が減ると国も自治体も衰える。つまり「少子高齢化」は「国(自治体)を滅ぼす」ということで、この主張自体には、それほど目新しさはない。本書ではその防止策として、

「地方の『中核都市』に人口・施設を集中させて、地方全てが消滅するのを防止する」

ということを挙げている。これがポイントかな。

その際に重要な人材は「若い女性」、つまり、

「子どもを産める女性の人数」

が、この防止策の成功を左右するというような内容でした。これって「女性は産む機械」的な発想ですよね?そうは言っていないけど。それが重要だというのは、その通り。もちろん、「人口が減ったら繁栄はない」という考え方を「是」とすれば、ということですが。

それにしても、1970年代ぐらいまでは、

「このペースで人口が増え続ければ、食料がなくなる」

というマルサス的な視点だったはずなのに、今度は人口が減って来ると、

「人口が増えないと国が亡びる」

というのは"マッチポンプ的"な気がするんですけど、そこはどうなのか?


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(2015、2、18読了)

2015年4月14日 11:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5714「ご便利」

ことし2月、東北に行ったときに乗った、

「岩手県北バス」

の車内で、録音された女性の声でこんなアナウンスが流れました。

「○○をご利用の方は、こちらがご便利です。」

え?「ご便利」??

「ご利用」は聞いたことがありますが、「ご便利」は初めて耳にしました。岩手では普通なのでしょうか?

そのほか、

「会議、パーティー、将棋大会にもご利用になれる、北ホテル入り口です。」

え?「将棋大会」が「会議・パーティー」と並んで「将棋大会」が出て来るの?これも、すごいなあ。さかんなんでしょうね、「将棋」が。「囲碁」ではなく。

あ、それと、このバスの名前の、

「県北」

は「けんほく」ではなくて、

「けんぽく」

「半濁音」なんですね!

そのほか、地名で見かけたもので言うと、

「『古田』と書いて『ふった』」

というのもありました。普通は「ふるた」でしょうけどね。何が「普通」なのかは知りませんが、「私たちの常識」という範囲が、いかに狭いかわかります。

また、窓から眺めたお店の看板に、

House  of  fire  YAMAZAKI

というのがあって、

「『火の家』って何かな?」

と思ったら、

「暖炉のお店」

でした!さすが東北ですね!!

自分の住んでいる土地以外の場所を旅すると、本当に「見るもの・聞くもの」が珍しいです。勉強になりました。

(2015、4、13)

2015年4月14日 09:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5713「上等兵」

 

4月8日~9日、戦後70年の節目に当たり、天皇皇后両陛下が、太平洋戦争での激戦地、パラオのペリリュー島へ慰霊の旅に向かわれました。

そのニュースの中で、ペリリュー島の日本軍守備隊約1万人が玉砕した後も、2年半近くジャングルでの生活を続けた元日本兵・土田喜代一さん(95)のインタビューも流れました。「ミヤネ屋」で紹介したその土田さんの肩書が、

「元日本兵」

と同時に、

「元海軍上等兵」

というスーパーも発注されていました。そのスーパーの放送前チェックで、校閲担当の読売新聞OBの方から、ご指摘を受けました。

「海軍だと『上等兵』ではなく、『上等水兵』だと思うんですが・・・」

「え!そうなんですか!」

ということで、「上等兵」をまず辞書(『広辞苑』)で引くと、

*「上等兵=陸海軍の兵の階級の一つ。旧陸軍では兵長の下、一等兵の上の位。旧海軍では上等水兵・上等機関兵・上等工作員などの総称」

とありました。ホントだ。

結局、前日の放送でも「元日本兵」で放送していたので、そのまま全部、

「元日本兵」

で統一したのですが、一つ勉強になりました。

(2015、4、13)

2015年4月13日 23:43 | コメント (0)

新・読書日記 2015_042

『震災傍聴記~3、11で罪を犯したバカヤローたち』(長嶺超輝、扶桑社新書:2014、3、1)

 

ことし2月に、東北を3泊4日で旅した時に読んだ。

著者はこれまでも裁判の傍聴記をものしており、わかりやすい法律関係の著書もある。

「裁判」という中で、さまざまな人間模様が浮き彫りになる様子を描いた先達には、佐木隆三がいるが、本書は小説にまでは昇華しない「生データ」としての記録。

東日本大震災に際しては、「被災地では、商品の強奪などの犯罪は無かった」「日本人は、危機に際しても整然とマナーを守る素晴らしい民族だ」等の評判が世界中に広がったが、確かにほとんどはそうだったかもしれないが、例外的に「ダメなヤツはダメ」というか、「そういった倫理観が、欲望に負けてしまう弱い人間は、どこにでもいる」ということの記録。

「絶対に、今、そんな犯罪をそこで犯しちゃだめだろう」という状況の中なのに、あるいはそういった状況だからこそ、なぜか意思に反して「やってしまう」人間がいる。「バカヤローたち」という言葉でくくられた人が、どんな「バカヤロー」で、なぜ「バカヤロー」な事をしてしまうのか。本書を読んでください。


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(2015、2、15読了)

2015年4月13日 22:39 | コメント (0)

新・読書日記 2015_041

『通訳日記~ザックジャパン1397日の記録』(矢野大輔、文藝春秋:2014、12、15第1刷・2014、12、23第4刷)

 

去年のブラジルワールドカップ終了までのサッカー日本代表監督だったザッケローニ氏・通称ザックのイタリア語通訳を務めた著者の日記。結構、分厚い本。文藝春秋者のスポーツ専門誌「ナンバー」で連載していたものをまとめたもののようだが、「ナンバー」では読んでいなかったので、初めて読んだ。「通訳の目から見た『ザック・ジャパン』の真実」と言った感じ。何せ「1397日」もの期間の記録なので、大変貴重な資料だと言える。監督だけではなく、もちろん代表選手とも接触しているので、それぞれの選手の素顔も垣間見えて、それも貴重だ。

「通訳」と言うと、「イタリア語ができればいい」と考えがちだが、プロスポーツのチームの通訳はそれだけではなく、監督と選手の間に立ち、サッカー戦術などから、監督の考え、選手との接触の仕方も、もちろん分かっていないといけないし、「通訳」にとどまらず「ヘッドコーチ」的な役回りも、こなさなければならない。まさに「日本代表の一員」として、共に戦ってきたことがよくわかる一冊。

ザックが著者に対して「ダイスケ、ここでの通訳の経験は、君が将来監督を務めるときにきっと役に立つ」と言ってくれたそうだが、その通りだと思った。


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(2015、2、13読了)

2015年4月13日 19:38 | コメント (0)

新・ことば事情

5712「歯槽膿漏」

 

歯医者に行きました。下の奥の歯にかぶせた銀が古くなったので、新しい物に換えたのです。その際に、歯医者さんからこう言われました。

「左上奥の銀歯2本も古くなってすり減ってますね。そして少し隙間ができて、昔で言うところの『歯槽膿漏(しそうのうろう)』になっています」

それを聞いて自分の病状よりも気になった言葉は、

「昔の『歯槽膿漏』」

ということは、

「現在は『歯槽膿漏』と言わないのですか?なんと言うんですか?」

と聞いたところ、

「『歯周病』です」

あ!聞いたことがあります!「歯周病」。あれって、「歯槽膿漏」のことだったのか!

「『中年太り』を『メタボ』と言うようになったようなものですか?」

と聞くと、先生、苦笑いしながら、

「まあ、そんな感じですね。まあしかし、ほとんど9割以上の人は、多かれ少なかれ『歯周病』なんです。でもそれで、症状が出ている人と出ていない人がいるだけで・・・」

というような話でした。知らなかったなあ、いつの間にか、

「『歯槽膿漏』は死語」

になっていたんだ!

こういった病気に関する言葉の変化は、「医療」そのものの変化によるものでしょうね。健康診断の数値の変化などもありますが、医療全体が、

「治療から予防へ」

とシフトしている流れの中で出て来た変化ではないかなあ・・・というように思いました。

(2015、4、10)

2015年4月11日 18:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5711「モイスチャー汁」

 

歯医者で治療を受けながら、治療台の前にあるテレビの音声を聞いていたら、こんな言葉が聞こえて来ました。

 

「このモイスチャーじるが・・・」

 

え?「モイスチャーじる」?

どんな「汁」なのか?と耳をそばだててジーッと聞いていたら、違いました。

「モイスチャー」は合っていたのですが、「じる(汁)」ではなくて、

 

「ジェル」

 

と言っていたのです。つまり、

 

「モイスチャー・ジェル」

 

ああ、なるほど、あれね。「ジェル」。

あまり知らない分野に関しては、よく聞かないと、とんでもない聞き違いをしてしまうことがありますね。

(2015、4、10)

2015年4月10日 18:34 | コメント (0)

新・読書日記 2015_040

『スペイン ロマネスク巡礼』(村田栄一、社会評論社:1989、7、31)

 

もう26年も前に出た本。その頃に買ったけど読んでなかったんです。

今回、19年ぶりにスペインへ行く、しかもバスク地方へということで、その辺りの記述もあるこの本を、本棚の奥から引っ張り出して来て、バスクの所だけを読んでから、スペインに行き、帰って来てから、残りのところも読みました。

タイトル通り、基本的にロマネスク様式の建物を巡って、自動車で旅行する本なので、車では移動しない私では行けない場所とかコースもあったが、何となくイメージしながら読み通すことが出来ました。

でも、もうこれが書かれてから30年ぐらい経っているので、今とは全然違う風景になっている所もあるんでしょうね。その一方で、全然変わっていない所もあるんだろうな...などと想像しながら読みました。


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(2015、3、30読了)

2015年4月 9日 21:24 | コメント (0)

新・読書日記 2015_039

『すまたん!Walker』(KADOKAWA、2015、3、26)

 

読売テレビの朝の関西ローカルの人気番組「す・またん」の「放送5周年」を記念して出たムック。「ムック」というのは「マガジン」と「ブック」の中間ということでできた「合成語」ですね。

会社の近くの本屋さんに平積み・山積みだったので、買いましたよ、1296円払って。

「高い!」という声も聞こえてきますが、全部カラーだし、もう増刷が決まったぐらいの人気だけど、これでも「赤字」という話も聞くし、本って、なかなか儲からないんだなと、改めて。

しかし「す・またん」という番組は、バンドでコンサートをやったりCDを出したり、グッズをいっぱい出したり、イベント好きですね。

まあでも、ファンの方には必携の一冊と言えるでしょう。思っていたより、中身が濃くて面白かったですよ!


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(2015、3、30読了)

2015年4月 9日 19:22 | コメント (0)

新・読書日記 2015_038

『2015高校サッカー年鑑』(講談社:2015、2、12)

 

ここ20年以上、毎年購入して母校の戦績を確認するが、最近はなかなか大阪府の大会のベスト8にも上がって来なくて残念。頑張れ、後輩たち!って、もう息子世代なんだけど。

この一冊で、この一年の高校サッカーの動きを確認するとともに、自分が現役の高校生だった頃が、どんどん「歴史」になっていっているなあ・・・ということを、再確認しています。

講談社さんには、ぜひこの文化的事業を続けていただきたいと希望します!


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(2015、3、4読了)

2015年4月 9日 18:21 | コメント (0)

新・読書日記 2015_037

『百田尚樹「殉愛」の真実』(角岡伸彦+西岡研介+屋鋪渡+宝島「殉愛騒動」取材班、宝島社、2015、3、9)

 

うーん、この本の感想は書けないなー。何も書いても、十分には説明しにくいので。

でもたぶん、ここに書かれているようなことがあったんだろうな。そんな気がします。直接は、全然知らないんだけれど。関わりたくないです。

「物言えば、唇寒し 春の夢」。


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(2015、3、8読了)

2015年4月 9日 17:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5710「粛々と2」

「平成ことば事情5702粛々と」の続きです。

沖縄県の翁長知事の言葉を受けて、菅官房長官が、

「『粛々と』という言葉が不快に感じられたのであれば、使うべきではない」

と話しました。それを受けて4月8日、カーター米国防長官と会談した「中谷防衛大臣」は、「粛々と」という言葉を使わずに、

「堅実に進めていく」

「堅実に」という言葉を使ったと、この日(4月8日)の夜7時のNHKニュースは伝えていました。

しかし、そのNHKのニュースを引き続き見ていたら、参議院の予算委員会に出席した

「安倍首相」は、辺野古の質問で

「既にある法令で"粛々"と進めていく」

と話しているではないですか!

「これは、閣内不一致では?」

と思ったのでした。この言葉に関して、キャスターは一言も触れませんでしたが。

気付かなかったのでしょうか?

(2015、4、8)

2015年4月 9日 12:31 | コメント (0)

新・読書日記 2015_036

『あんなお客(クレーマー)も神様なんすか?~「クレーマーに潰される!」と思った時に読む本』(菊原智明、光文社新書:2013、8、20)

「ビリ営業マン」から4年連続「トップ営業マン」になった著者の体験から導き出される「クレーマー対応策」をまとめた本。

タイトルの「なんすか?」という語尾に「若者らしさ」「投げやりっぽさ」「怒り」を感じる。しかし、この質問に対する著者の答えは、私が想像した通り、

「YES」

だ。クレームを言ってくれるお客様は「神様」なのだ。神様の声を生かすことで、商売はさらにうまくいくのだ、ということを書いていますね。結局、そういうことでしょ。

もちろん、無理難題を言って来る「悪質クレーマー」は別だが、そうでないお客様の意見は、

「茄子の花と親の意見は、千に一つも無駄はない」(でしたっけ)

その「親」のところを「お客様」に置き換えればいいと。

そういうことだと思いますよ。


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(2015、2、15読了)

2015年4月 9日 11:19 | コメント (0)

新・ことば事情

5709「『初対面』『初体験』の読み方」

<2014年10月13日に書き始めました>

 

「その相手と、生まれて初めて会う」

という場合の、

「初対面」

の読み方は、

「ショタイメン」

ですが、

「ノーベル賞受賞決定後『初対面』」

とあれば、これは、

「ハツタイメン」

と読むしかないのではないでしょうか?もちろん、

「初めての対面」

とすれば良いのですが。

例えば「野球」で、そのピッチャーとそのバッターが初めて対決する場合の、

「初対決」

の読み方も「ショタイケツ」ではなく、

「ハツタイケツ」

ですよね、きっと。

また、最近よく悩むのが、

「初体験」

の読み方が、

「ショタイケン」か?「ハツタイケン」か?

という問題です。使い分けはあるのでしょうか?

『広辞苑』を引くと、「ショタイメン」は載っていますが、「ハツタイケン」「ショタイケン」「ハツタイケン」は載っていません。

『新明解国語辞典』も「ショタイメン」は載っていますが「ショタイケン」「ハツタイケン」「ハツタイメン」は載っていません。

『新潮現代国語辞典』『岩浪国語辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『精選版日本国語大辞典』も同じです。ただ、『精選版日本国語大辞典』は「ショタイメン」の語釈の中に「はつたいめん」と書いてあります。

ところが!『三省堂国語辞典』は「ショタイケン」が「空見出し」で、

「ハツタイケンを見よ」

となっていました!「ハツタイケン」を引くと、

「はつたいけん(初体験)」=最初の(性の)体験。しょたいけん。

とシンプルな語釈が。また、「ショタイメン」は載っていて、「ハツタイメン」は載っていません。

また、『NHK日本語発音アクセント辞典』では、

「ハツタイケン(ショタイケン)」

と「ハツタイケン」を先に出して併記しています。また「ショタイメン」は載っていますが、「ハツタイメン」は載っていません。

そんなことを考えていたら、2015年4月3日に見た女性化粧品「マキアージュ」のCMで、

「春です。唇だって、はつ体験したい。」

というナレーションが聞こえて来ました。これは、

「ハツタイケン」

なんだ!いま「初体験」の読み方は、

「ショタイケン」→「ハツタイケン」

に変わりつつあるのではないでしょうか?

そして、以前は「初体験(ショタイケン)」というと、

「初めての性体験」

を意味していたのが、そういった特定の意味ではなく、広く、

「初めての体験」

の意味で使われるようになってきていると。そして、読み方を変えることによって、

*「ショタイケン」=「初めての性体験」(狭義)

*「ハツタイケン」=「一般的に初めての体験」(広義)

「意味の分化」が行われているのではないでしょうか?

今後の国語辞典の「初体験」「初対面」の読み方について注目します。

「ハツタイメン」に「初対面」して「ハツタイケン」する日は来るのでしょうか。

(2015、4、8)

2015年4月 9日 10:50 | コメント (0)

新・読書日記 2015_035

『サランラップのサランって何?~誰かに話したくてしかたなくなる"あの名前"の意外な由来』(金澤信幸、講談社文庫:2015、2、13第1刷)

2年前に同じ著者の『バラ肉のバラって何?~誰かに教えたくてたまらなくなる"あの言葉"の本当の意味』(金澤信幸、講談社文庫:2013、6、14)を読んで「2013読書日記180」に感想を書いたところ、著者の金澤さんから連絡を頂いた。なんでも、私が「読書日記」に感想を書いた日に、アマゾンかなんかで急に売り上げランキングが上がったそうだ。理由を調べたところ、どうやらこの「読書日記」で褒めたおかげだと、お礼を言われた。いや、そんなに影響力ないと思いますけど。でもやっぱり、著者は自分の本の評判をチェックしているんですね。

で、阪急梅田駅の「ブックファースト」をのぞいたら、この本が目に入ってさっそく購入!

なんだ、金澤さん、送ってくれたらいいのに・・・と思いながら、

「でも、自分が興味を持っているおもしろい本は、やはり買わなきゃ!」

と思い購入、一気に読み終わった。

いやいや、勉強になりますね。もちろん、この仕事をしているので「特定商品名」については多少の知識はあり、「知ってる、知ってる」というものもありましたが、半分以上、知らないものでした。特に、タイトル「サランラップ」の語源、知らなかったなあ。サブタイトルの「誰かに教えたくてたまらなくなる"あの言葉"の本当の意味」(長い!)にウソはない。いくつか挙げて見ましょうか?

「近江兄弟社の兄弟社って、兄弟が作った会社ではない」

「フマキラーの最初の名前は『フモキラー』だった」

「スターバックスって、最初は『ピークォッド』としようとしたが・・・」

「目黒区洗足って、日蓮が足を洗った洗足池からできた地名」

などなど。ほら、読みたくなって来たでしょ?

買って読んでください。

なお、本書を読み終わって一週間ほどした頃、金澤さんから「献本」が届きました。ありがとうございます!

 


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(2015、2、24読了)

2015年4月 9日 09:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5708「『大家』の反対語は?」

 

「ミヤネ屋」のスタッフに質問されました。

「『大家』の反対語は、『(家を)借りた人』でいいんでしょうか?なんか、落ち着きが悪いんですが・・・。」

たしかに、意味上は問題ないのですが、「借りた人」の反対語は、

「貸した人」

でしょうから、厳密に言うと、「借りた人」は、

「『大家』の反対語ではない」

でしょうね。調べて見ると「『大家』の反対語」は、

「店子(たなこ)」

でした。あ、そうか、落語ではよく「貧乏長屋」で出て来ますね。

「『大家』と言えば『親』も同然、『店子』と言えば『子』も同然」

って言いますからね。

しかし「店子」は今、話し言葉ではまず出て来ない言葉ですね。半分「死語」かな。「半死語」。

結局、放送ではそのまま、

「(家を)借りた人」

でいきました。

(2015、4、8)

2015年4月 8日 22:49 | コメント (0)

新・読書日記 2015_034

『戦争を取材する~子どもたちは何を体験したのか』(山本美香、講談社:2011、7、12第1刷・2012、8、29第3刷)

 

シリア取材中に亡くなったジャーナリスト山本美香さんが、子ども向けに書いた本。

大きな字と豊富な写真で、やさしく「なぜ、戦争を取材するのか」を子どもたちに教えてくれる。読んでいると、自分も子どもになったような素直な目で、文章を追える。

日本にいるだけでは知らずに済んでしまうこと、世界各地の国々で、

「たくさんの命がひっそりと亡くなっている」

ということ。それを日本の人々にも知ってもらいたいという思いで取材していると。

それは結局、

「命とは?」「生きるとは何だろう?」

という問いにつながり、

「命を大切にすること」

につながる。その思いをみんなが持てるようになれば、世界はつながり、戦争はなくなる。「命の大切さ」を伝えることで、「平和」への理想を追うからこそ、「戦争」の現場で駆けずり回るようになるという、ちょっと逆説的な、皮肉なことになるのだけれども。

その戦場・市街地で、山本さんは銃撃され、亡くなった。「命の大切さ」を伝えようとして、自らの命を失った。その思いを考えさせられる一冊である。

なお、「2015読書日記025『戦場でメシを食う』」の著者・佐藤和孝は、仕事でも生活でも、山本美香さんのパートナーであった。


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(2015、3、11読了)

2015年4月 8日 21:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5707「独占スクープ」

「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

 

「独占スクープ」

 

という言葉が出て来て「おや?」と思いました。最近、よく見かける表現であるのですが、よく考えると、「スクープ」が既に「独占」なのだから、

 

「『独占スクープ』は、重複表現」

 

ですね。

ただ、その後、他社も全く追って来られないぐらいの連続してのスクープの場合は、

 

「独走スクープ」

 

という表現は、許容ではないでしょうか?

「独占スクープ」という言葉がよく出て来るようになった背景には、

 

「『スクープ』だけではあまり目立たないので、それを『強調する』目的で『独占』を付け『独占スクープ』とした」

 

のではないか?また、

 

「本来は『スクープ』ではないようなものにまで『スクープ』と付けるケースが増えた」

 

のではないか?

ほら、「元祖」と「本家」の争いに、これはちょっと似ているかもしれませんね。

(2015、4、3)

2015年4月 8日 18:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5706「甘しょっぱい」

 

3月13日に乗ったKLMオランダ航空。その機内誌の「ホームデリバリーサービス」に載っていた「フランスの塩キャラメル」の広告。その文章はこうでした。

 

「ゲランの塩と良質のバターを使った"甘しょっぱい"キャラメル!」

 

出た!「甘じょっぱい」!と思ったんですが、よく見ると、微妙に違います。そうです、

「濁っていない」

のです。「甘じょっぱい」ではなく、

「甘しょっぱい 」

だったのです!これは、初めて見ました。

グーグルで検索しました。(4月7日)

「甘じょっぱい」=17万2000件

「甘しょっぱい」= 7万3700件

結構「濁らない」のも、あるんですねえ。

ちなみに、201038日の読売新聞のサイト「発言小町」で、「甘じょっぱい」ものの例として挙がっているのは、

「味噌田楽の味噌」「みたらし団子」「お餅につける砂糖醤油」「鶏肉の照り焼き」「高級な梅干し」「お醤油+砂糖(みりん)」or「味噌+砂糖(みりん)」の味

といったところ。そして、

「発酵学者の小泉武夫先生のエッセイでは、よく『甘じょっぱい』という表現をされていますよ。」

という発言もありました。でも、ほとんどが東日本の人の発言でした。一般的に、関西人は使わない表現ですね、やっぱり。

「平成ことば事情5279 甘じょっぱい」「平成ことば事情5688 甘じょっぱい2」もお読みください。

(2015、4、7)

2015年4月 8日 13:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5705「レポーケル」

 

サッカーのスペインリーグで4月5日、「レアル・マドリード」のクリスティアーノ・ロナウド選手が、グラナダ戦で、なんと1試合で「5得点」を記録しました。ロナウド選手自身、過去に「4得点」は3度記録していますが、「5得点」は初めてだそうです。

1試合で「3得点」は、

「ハットトリック」

と言いますし、「6得点」だと、

「ダブルハットトリック」

と言いますが、「5得点」のことは、

「レポーケル(repoker)」

と言うそうです。サッカーを始めて47年、初めて知りました。

ちなみに「4得点」は、

「ポーケル(poker)」

だそうです。綴りから見ると、「英語読み」だと、

「リポーカー」「ポーカ」

ですね。過去に「レアル・マドリード」で「レポーケル(5得点)」を達成した選手は、「フェレンツ・プスカシュ」「ミゲル・ムニョス」「フェルナンド・モリエンテス」など6選手しか存在しないそうです。でも、これだけいるんだ!これも驚きですが。

クリスティアーノ・ロナウド選手が、いかに偉大な選手であるかということは、十分にわかりますね。

(2015、4、6)

2015年4月 8日 11:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5704「射程圏内」

 

「ミヤネ屋」で、テニスの錦織圭選手を取り上げた際に、

「世界ランキング3位も射程圏内」

という言葉が出て来ました。一見、何の問題もなさそうですが、ちょっと待てよと。

たしか、

 

「射程距離」

 

という言葉は「射程」の中に「距離」の意味が含まれているので、

 

「重複表現」

 

だと聞いた覚えがあります。そうすると、「射程圏内」も同じく「射程」にすでに「圏」という意味が含まれているのではないか?と思い、

 

×「射程圏内」→○「射程内」

 

としました。

(2015、4、3)

2015年4月 8日 09:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5703「G20」

 

昔は「サミット」の日本語訳で、

「先進国首脳会議」

と言って、その参加国が、

「アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・日本」

の「7か国」だったことから、

G7」(ジーセブン=Gは「グループ」の頭文字」

と言ったわけですが、「ソ連」の崩壊で、「ロシア」もここに加わって、

G7+1」→「G8」

となり、その後「Brics(ブリクス)」などの中堅国の台頭もあって、いつの頃からか20か国の首脳が集まるようになって、

G20(ジートゥエンティー)」

となっています。しかし、最近はクリミア半島併合問題などもあって、「ロシア」を呼ばなくなっています。ということは、「G20」ではなく、

G19」

ではないのか?しかし、そんな呼び方は聞いたことがない。これは、一体どういうことでしょうか?

G20」のメンバーは変わらないが、不祥事を起こして"出場停止"になっているだけなので、全体の名称である「G20」は変えていないということなんでしょうかね?

それとも、「G+1」みたいに、

G20-1」

というような名称が出て来るんでしょうか?「プラス・マイナス」になっているのは、

「いつもロシア」

なんですけど。そういう、

「ソチ」

が取られるかもしれません、ロアシアだけに。

なお、「平成ことば事情3450 G20の読み方」もお読みください。

(2015、3、12)

2015年4月 7日 21:49 | コメント (0)

新・ことば事情

5700番外編「飛行機の中で見た映画」

 

3月13日から20日まで、永年勤続休暇を使ってスペインへ行った時の話。

KLMオランダ航空、関西空湊からオランダ・スキポール空港までですが、行きは4本、帰りは3本の映画を見ました。

具体的には、

【行き】

(1)「ベイマックス」

(2)「バードマン」

(3)「トワイライト ささらさや」

(4)「宇宙兄弟」

【帰り】

(5)「インターステラー」(169分)

(6)「ゴーン・ガール」(149分)

(7)「蜩の記」(129分)

というラインナップ。洋画が4本、邦画が3本です。ほとんどは既に日本でも公開されたものですが、未公開のものもありました。

簡単な感想を。

(1)「ベイマックス」=見たかったのに見逃していたもの。日本のアニメへのリスペクトにあふれていた。「パンツを4日間はける!」というのは、うちの親父が昔、話していたのと同じエピソードだ!

(2)「バードマン」=ことしのアカデミー賞4部門受賞作。まもなく日本公開。なかなか重い作品。

(3)「トワイライト ささらさや」=日本テレビ系製作で、これも見逃していた。うーん、期待していたほどではなかったが、ヒロインの新垣結衣が、ひたすら、かわいい。大泉洋は、若かりし頃の欽ちゃんに似ている。

(4)「宇宙兄弟」=これも日本テレビ系の製作で、原作漫画は読んでいたのだけど、実写版。実写の主人公のムッタは、髪形のイメージから「大泉洋がいいんじゃないか?」と思っていたが、小栗旬、適任でした。面白かったです!

(5)「インターステラー」=これは169分=2時間49分という、物凄く長い映画。飛行機の中なので、時間がいくらでもある(10時間ぐらい)という状況でなければ、見なかったかも。宇宙の話だから、169分が169光年ぐらいに感じた。ワープもするしね。でも、描いているのは「人間の深層心理」なんですよね。ちょっと難しい感じ。

(6)「ゴーン・ガール」=これは、コワかった!でも面白かった!「ミザリー」や「氷の微笑」「ナイン・ハーフ」といった、かつて見た映画を連想させた。奥さんが、5年目の結婚記念日に失踪するんですが、実は・・・。コワーイ!つい、原作本も買って、読み始めてしまいました。そしたら、映画の中ではわからなかったんだけど、なんと主人公の女性が村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読むというシーンが出て来てびっくり!です。

(7)「蜩の記」=これも、もう数年前の作品だと思うけど、見逃していました。今が旬の岡田准一クン主演。私と同じ大阪・枚方市出身。ひらパー兄さん、いや園長か。役所広司と原田美枝子、ヒロインは堀北真希。

ということで、飛行機内ではほとんど眠らずに、映画を満喫したのでした。

 

 

(追記)

3年前、2012年の夏休みにフランスへ行ったときに。飛行機の中で見た映画のリストが出て来ました。(すっかり忘れていた!)この時はなんと11本も見てたんだなあ!!

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1、アイアン・ウーマン・サッチャー

2、ハラがコレなんで

3、ウディ・アレンのドキュメンタリー

4、僕たち急行A列車で行こう

5、ものすごく近くて耐えきれないほどうるさい

6、ロボジー

7、三丁目の夕日64

8、アベンジャーズ(ヒーローものの最新作。超人ハルクとか出てくる)

9、バトルシップ(戦艦で戦う奴、日本とアメリカ合同でエイリアンと)

10、テルマエ・ロマエ

11、スノー・ホワイト

 

え!あれを見たのはもう3年もまえなのか・・・ショック・・・。

(2015、4、8)

 

 

(2015、4、7)

2015年4月 7日 19:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5702「粛々と」

 

菅官房長官が沖縄を訪れ、翁長沖縄県知事と初めて会談を行いました。

その中で菅官房長官が、

「普天間基地から辺野古への移設については、粛々と工事を進める」

というように、

「粛々と」

という言葉を何回も使ったことに関して、翁長知事が、

「『粛々と』という言葉は『上から目線』だ」

と述べました。つまり、「偉そうだ」ということですね。

これを聞いて思い出したのが、円満字二郎さんの著書で「2011読書日記190」で感想を書いた、

『政治家はなぜ粛々を好むのか~漢字の擬態語あれこれ』(新潮選書:2011、10、25)

という本です。それによると「粛々」というのは「漢字の擬態語」であるという話でした。また、その感想文で私は、こう書いています。

『政治家がなぜ「粛々」を使うのか、その理由については本書を読んでもらいたいが、私は、難しい言葉を使って、聞いている人(有権者)を煙に巻こうとしているのではないか、もしくはエエカッコシイをしているのではないか、と思う。』

翁長知事の言葉を受けて、菅官房長官は、

「『粛々と』という言葉が不快に感じられたのであれば、使うべきではない」

と話したようですが、口癖になっているのではないかなあという気もしますね。

(2015、4、6)

2015年4月 6日 22:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5701「アバー」

 

3月中旬、永年勤続休暇を利用してスペインへ行ってきました。

お目当てはスペインのバスク地方。1992年のバルセロナ五輪の年からこれまでに3度、スペインには行っていますが、まだバスクには行ったことがなかったのです。サンセバスチャンとビルバオ、それとゲルニカという街を巡って来ました。

その町々でバルを回って、

「ピンチョス」

と呼ばれる、フランスパンの上にいろいろな具材を載せた「カナッペ」のような物を食べました。店によって具材の種類が違うので、バルを「はしご」する楽しみがあるんですよね。指でつまんで食べる感じは、

「握りずし」

のよう、バルのカウンターに「ピンチョス」を載せた大皿がずらっと並んでいる様子は、

「京都のおばんざい」

のようで、我々日本人にとっても、何となくなじみのある光景なんです。

そういったバルを出る際に、お客さんが店の人に向かって、また店の人がお客さんに向かって、

「アバー」

とか、

「アボー」

と聞こえる言葉を投げかけています。別れの挨拶なのでしょうが、スペイン語(カスティーリャ語)だと、皆さんもよくご存じの、

「アディオス」

のはず。この「アバー」「アボー」は、バスク地方の言葉「バスク語」なのでしょうか?

日本に帰ってから調べると、どうやらバスク語で別れの挨拶は、

「アグール」

と言うそうです。しかし、耳で聞いた感じは、「アバー」「アボー」だったけどな。

想像するに、「ごきげんよう」を意味する「フランス語」の、

「アデユー」

の影響を受けた言葉ではないかなと思いました。

(2015、4、6)

2015年4月 6日 18:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5700「タワマン・スピスケ・防カメ」

 

3月23日、テレビ朝日のお昼のニュースを見ていたら、上のほうにこんなサイドスーパーが出て来ました。

「タワマン一体型庁舎」

うん?なんだ、「タワマン」って。ドリンク剤か?・・・それは「タフマン」。

そう、お気づきの通り、

「タワーマンション」

を略して「タワマン」と言うことのようです。でも、ニュースでそんな略し方ってあるの???そう思いながら見ていたら、続いてこんなのも出て来ました。

「スピスケW杯」

「スピスケ」って・・・「スピードスケート」か!うーん、略しすぎでは?

「スケートW杯」

でいいんじゃないですかね?

サイドスーパーはスペースが狭いために、長い言葉、特に「カタカナ語」は字数が多くなってしまうので略すのでしょうけれど、それにしても略しすぎではないですかね。

そう思っていたら、今度は4月3日の日本テレビ「スッキリ!」で、

「店員切り付け逃走 防カメの男か?」

というサイドスーパーを発見!この、

「防カメ」

というのは、もちろん、

「防犯カメラ」

のことでしょう。「カメラ」を略して「カメ」と言うのは既に定着していて、

「デジカメ」「パチカメ」「1カメ、2カメ、3カメ」

等は普通に使います。しかし「防カメ」は初めて見ました。何だが、

「出歯ガメ」

のようでもありますけど、「防カメ」・・・。

 

 

(追記)

4月7日の日本テレビ「every.」で、

 

「NHK『クロ現』問題」

 

というサイドスーパーが、画面右上に出ていました。「クロ現」はもちろん、NHKの番組、

 

「クローズアップ現代」

 

のことです。

(2015、4、7)

 

 

(2015、4、3)

2015年4月 6日 12:34 | コメント (0)

新・読書日記 2015_033

『歴史街道カミノ・デ・サンティアゴの旅』(米山智美、文化出版局:2002、12、22)

 

3月13日から20日まで、「勤続30年休暇」を使って、7泊8日でスペインへ行って来ました。スペインへ行くのは19年ぶり4度目。今回は、これまでに行ったことのない「バスク地方」へ行くのが目的。日程などと相談して、結局、「サンセバスチャン」と「ビルバオ」そして、ピカソが絵に描いたことで有名な「ゲルニカ」という小さな村を訪ねました。スペインへ行く前に、行きつけの大阪・京橋のスペイン・バルのマスターに借りたのがこの本。サンセバスチャンやビルバオの美味しそうなお店が紹介されていました。

実際、ビルバオでは、この本に載っていたお店を訪ねて行きました。13年前に出版された本だけど、お店はちゃんとありました!でも、30歳ぐらいの若いマスター(息子だと思う)に代替わりする直前なのか、ひげ面60代台ぐらいのおじさんと二人で、店を切り盛りしていました。こういうのも楽しいですね。やっぱりスペインはいいなあ。


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(2015、3、11読了)

2015年4月 2日 11:11 | コメント (0)

新・読書日記 2015_032

『いちえふ(2)~福島第一原子力発電所労働記2』(竜田一人(たつた・かずと)、講談社:2015、2、23)

「いちえふ」というのは「東京電力・福島第一原子力発電所」。そこで働く著者が、そこでの生活を描いた漫画の第2弾。

やはり「第1弾」のインパクトが強かったので、この第2弾はそれほどインパクトはなかった・・・、というのがおそらく著者もそう感じている部分があるのではないかなあと感じた。「慣れ」というのは恐ろしい・・・。


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(2015、3、12読了)

2015年4月 1日 21:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5699「入境カード」

 

先月21日、俳優の隆大介さんが台湾の空港で係員に暴行し、傷害と公務執行妨害の疑いで拘束されました。その際に、

「入境カードの記入を拒否した」

ということが言われていました。その中に出て来た、あまり聞き慣れない、

「入境カード」

という言葉は何かな?と思った時に、

「あ、そうか!」

と思いつきました。つまり、

「『台湾』は、『国』ではない」

ということですね。普通なら、このカードは、

「入国カード」

と呼ばれる種類の物でしょう。しかし「台湾」は「国」ではなく、

「中国の、一地域」

という認識を我が国(日本)は取っているために、「入国カード」とは呼ばない(呼べない)のでしょう。

なるほど、そういうところでも「国」の認識によって言葉は変わるのかと、改めて感じました。

そういえば、オリンピックなどで、台湾は「国旗」は掲げられないですしね。あれと同じようなことですね。

(2015、4、1)

2015年4月 1日 20:47 | コメント (0)

新・ことば事情

5698「節々と端々、金のわらじ」

 

今週は、「ミヤネ屋」のチェックミスで出てしまった原稿などの間違った表現は、

「似ているが違う」

というものでした。例えば、

×「言葉の節々に表れている」

というのは間違いで、正しくは、

○「言葉の端々に表れている」

「ふしぶし」と「はしばし」。似ていますが「節々」は、

○「体の節々が痛い」

のように使いますね。週刊誌の原稿から取った表現だそうですが、その週刊誌を読んでみたら、ちゃんと、

「端々」

と書かれていました。それをおかしいと思うのなら、「辞書」を引くべきです。勝手に変えてはいけません。

また、

「年上の女房は、のわらじを履いて探せ」

ということわざ。本当は「年上」えはなく「1歳年上」だった気がしますが、いずれにせよ、この「金」は、

×「きん」→○「かね」

です。「金」と書いて「かね」と読む。つまり「金属」です。もっと言うと、

「鉄」

です。「鉄」と書いて「かね」と読ませるのです。もちろん「表外訓」なので、放送では「金」と書いて「かね」と読むのでいいでしょう。

しかし、当初「きん」だと思っていたので、出て来たイラストのわらじの色は、

「金ピカ」

でした・・・。わりとこれは「間違い易い読み方のことわざ」の代表的なものなんですがねえ。たまには、そういった「言葉の本」も読みましょう!500円ぐらいで売っているから。

(2015、4、1)

2015年4月 1日 20:09 | コメント (0)