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『道浦TIME』

新・ことば事情

5667「ジェイコブズ・クリーク」

 

全豪オープンテニス、錦織圭選手、残念ながら準々決勝で、前回の覇者・ワウリンカ選手に敗れてしまいました・・・。でも、確実に実力はUPしていますね。

その全豪オープンのコートの後ろの広告の看板の中に、

JACOB'S  CREEK

という文字が見えます。それを見た高校生の息子が、

「『ジェイコブズ・クリーク』って何?」

と聞いてきたので答えました。

「ワインや。オーストラリアのワイン・メーカーの名前」

飲んだことがありますからね。おいしいですよ。

「ふーん。そしたら横に書いてある漢字もそれ?」

というので、見ると、

「杰卡斯」

の文字が。何と読むのかなと思っていたのですが、なぜ,

それを「ジェイコブズ・クリーク」だと息子は言うのでしょうか?理由を聞いてみたら、

「だって、横のマークが、おんなじやん!」

ハッ!言われて見たら、たしかにそうだ!気付かなかった!

多分、中国の漢字の「音」だとそうなるのでしょうね。勉強になりました。

ちなみにそれ以外のスポンサーの看板は、

KIA」=韓国第二の自動車会社

oputus」=オーストラリア第二の通信会社

ANZ」=オーストラリア・ニュージーランド銀行

「エミレーツ航空」=UAE(ドバイ)の航空会社

でした。エミレーツは、サッカーの「FIFA」の公式スポンサーから降りたって、新聞に載っていたけど、「テニス」はスポンサードしているんですね。

 

 

(追記)

これを読んでくれた、元・NNN上海支局長のF君に声を掛けられました。

 

「『杰卡斯』は、中国語では『ジェイ・カー・スー』と読みます。『ジェイコブズ』の漢字での音訳です。このワインは、中国でも人気のワインですよ。」

 

とのことでした。どうもありがとうございます。

(2015、2、3)

 

 

 

(2015、1、28)

2015年1月31日 16:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5666「カサースベ中尉」

 

イスラム過激派組織「イスラム国」の人質となっている、ヨルダン人パイロットの名前のカタカナ表記に揺れがあります。「ミヤネ屋」では、

「ムアーズ・カサースベ」

で表記していますが、昨日(1月29日)のテロップの発注では、

「カサスバ」

で出て来ました。そこで、新聞各社の1月29日の表記を見てみたら、

(読売)=「ムアズ・カサースベ」

(朝日)=「ムアーズ・カサースベ」

(産経)=「モアズ・カサスベ」

と、表記に揺れがあるものの、最後は全部「ベ」です。

「毎日新聞」も、翌30日の紙面では

「カサスベ」

でした。(「日経新聞」は、パイロットの名前が出て来ませんでした。)

「なんで『バ』なの?もしかしたら、テロップ発注の手書きの文字が汚くて、『ベ』と『バ』を読み違えたのでは?」

とテロップ担当者に聞くと、

「きょう(29日)の日本テレビの昼ニュースのテロップが、『バ』でした。」

と言うではないですか!テレビ画面を撮影した写真を確認すると、確かに、

「カサスバ」

と「バ」になっています。そこで、日本テレビの「原稿」を確認すると、原稿は、

「カサスベ」

で「ベ」でした。ということは「テロップの打ち間違い」でしょう。そこで、

「うちは『ベ』で行く!」

としました。本当の発音はおそらく「ベ」と「バ」の中間のような音でしょうから、どちらでも間違いではないのでしょうが、ひとたび「カタカナ」にすると、

「どちらか一方が正しい」

となってしまいますね。これって、単一神信仰の原理主義的な感じですね。でも「規範」を確立しないと無茶苦茶になってしまうというのも確かで、難しいところです。

もう一つ、カタカナ表記での「-」(長音符号)は、必ずしも「伸ばす」ことを意味を表すのではなく、

「そこにアクセントがある=強く読む」

ことを示す場合にも使われています。

例えば、ロシアの、

「プーチン大統領」

のカタカナ表記は、当初、

「プチン」「プーチン」

の両方ありました。アクセントが「プ」にあり、そこを強くアクセントをつけて読むと、ちょっと長く聞こえるので、それを「-」で表すかどうかは、

「アクセントがあるだけで、伸ばしてはいない」

という判断を下す社は「プチン」、

「いや、アクセントがあるために、少し長めになっていて『-』を使ったほうが現地の発音に近い」

という社は「プーチン」。その両方があったのでしょうね。

最終的には、目で見たときに「-」があるのとないのではイメージが変わって、

「別人なのかと思ってしまう」

と判断されて、

「『プーチン』に統一」

されました。その後も「何度も出て来る名前」に関しては、こういった「統一」がされます。しかし、おそらくヨルダンのパイロットの名前が出て来るのは「この事件だけ」でしょう。そういう場合は、「揺れ」が残ったままで、過ぎ去ってしますのですね。

(2015、1、30)

(追記)

1月30日夕方の関西テレビのニュース番組では、

「モアズ・カサスベ」

とどちらも伸ばさない、「産経新聞と同じ」パターンでした。

(2015、1、30)

2015年1月30日 20:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5665「女子大生か?女子大学生か?」

 

1月27日、名古屋で、77歳の女性を19歳の女子大学生が殺害した疑いで逮捕された事件で、この未成年の女を、

「女子大生」

と表現するか、それとも、

「女子大学生」

と表記するかが問題になりました。結果は、

「女子大学生」

としました。その理由としては、2つ挙げられます。

(1)「女子大生」という呼称は、あまりにも人口に膾炙して「軽い」感じがする上、「俗語的」な手垢が付いた表現で、このような殺人事件にはなじまない。

(2)ある職業や肩書の前に「女(子)」「男(子)」を付けて使う場合には、「ジェンダー・フリー」の観点から言うと、「対語」が存在することが必要。つまり「女子大生」に対して「男子大生」があるか?ということ。もし、あれば「女子大生」を使ってもいいが、「男子大生」ということばは(一般的では)ないので、「女子大生」も使わない。

というような理由で、「学」を入れて、

「女子大学生」

を使いました。

(2015、1、28)

2015年1月30日 17:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5664「おのか?オノか?」

 

1月27日、名古屋で77歳の女性を殺した疑いで、19歳の女子大学生が逮捕された事件で、1月28日放送の「ミヤネ屋」は、凶器を、

「オノ(の柄)」

「カタカナ」で表記しました。

1月28日の新聞各紙は、

(読売)おの

(朝日)おの

(毎日)おの

(産経)オノ

(日経)おの

で、「カタカナ」は産経だけ、あとの4紙は「平仮名」でした。

実はこれに関しては10年前(2004年5月)に「平成木庭事情1727 オノ・おの・斧」で書いていました。その際は、鳥取県倉吉市で、盗んだ自転車に乗っているところを見つかった15歳の中学3年生が、叱られるのを恐れて「オノ」で母親に重傷を負わせて、殺人未遂容疑で逮捕されたという事件でした。

それを報じた2004年5月20日の各紙朝刊の見出しでは、

(読売)オノ

(毎日)オノ

(朝日)おの

(産経)おの

(日経)おの

でした。今回とは違いますね。

その前にも、2004年1月29日に書いた「平成ことば事情1571 ナタとオノ」でも、韓国・ソウルの日本人学校の幼稚園部に刃物を持った韓国人の男が乱入し、男子園児に切りつけ重傷を負わせるという事件について書いていて、その際は、

(読売)オノ

(毎日)オノ

(産経)ナタ

(日経)ナタ

(朝日)ハンマー

でした。やはり今とは違う表記です。というか「モノ」が違うなあ。

(2015、1、28)

2015年1月30日 13:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5663「リシャウィ死刑囚」

 

「イスラム国」の人質となっている後藤健二さんとの引き換えに釈放が要求されている、

「リシャウィ死刑囚」

のアクセントを、1月27日のNHK『正午のニュース』で高瀬耕造アナウンサーは、

「リ/シャ\ウィー」(4拍)

で発音していたので、「おや?」と思いました。「ウィ」で1拍、そのあと「-」で1拍伸ばしていました。

また、1月29日『ZIP』で、日本テレビ・桝アナと、ヨルダンの女性ニュースキャスター(VTR)は、

「リ/シャ\ウイ」(4拍)

と、「4拍・中高アクセント」ではありますが、「ウイ」と「大きいイ」での発音でした。

ところが小熊アナと、現代イスラム研究センター理事長の宮田律(おさむ)氏は、

「リ\シャウィ」(3拍)

でした。

『スッキリ!!』の中の、ヨルダンからの中継(午前10:12頃)で出て来たNNNの特派員は、

「リ\シャウイ」(4拍)

でした。

そして、1月29日のNHK『正午のニュース』では、高瀬アナウンサーは、

「ザ/リダー・リ/シャ\ーウィー死刑囚」

と、前回(27日)とは微妙に違う「シャ」の後ろを伸ばす「5拍」のアクセントでした。

次に出て来た、名字だけ単独の時は、

「リ/シャ\ウィー」

と。27日と同じ「4拍・中高アクセント」でした。

そして、解説で出演していた日本エネルギー経済研究所・中東研究センター長の田中浩一郎さんは、

「リ\シャウィ」

と「3拍・頭高アクセント」でした。

1月29日の「 ミヤネ屋」で、読売テレビの川田裕美アナウンサーと、コメンテーターの青木理さんは、

「リ\シャウィー」

と「4拍中高アクセント」で、最後の「ウィ」は「-」では伸ばしていました。また、メーンMCの宮根誠司キャスターは、

「リ\シャウイ」

と、最後は「大きいイ」での「4拍・頭高アクセント」でした。

まや、1月29日午前8時頃公開された、「後藤健二さん本人」と思われる音声で、英語で読まれた文面は、

「リ\シャウィー」

と「4拍頭高アクセント」でした。

でも実は、

「どのアクセントで読んでいても、それほど違和感はない」

んですよね。というのも、「これまでに聞いたことのない名前」なので、

「『どれが正しい』という感覚が、私たちの中に、まだない」

というのが原因だと思います。一応、アクセントの観察、ということで。

後藤さんの一刻も早い「無事解放」を祈念します。

 

 

(追記)

1月30日のテレビ朝日のお昼のニュースに出ていた、ヨルダンのモマニ情報相の発音を聞いていたら、

「リ/シャ\ウィ」

と「3拍・中高アクセント」でした。徒言うことは、おそらく、ヨルダンの現地語(アラブ語?)のアクセントでは、モマニ情報相や女性ニュースキャスターが使っているように、

「リ/シャ\ウィ」(3拍・中高アクセント)

なのでしょう。しかし、「英語アクセント」では、

「リ\シャウィー」(4拍・頭高アクセント)

なのではないかなあと思いました。

また、1月30日のNHK正午のニュースで、高瀬アナウンサーは、

「リ/シャ\ーウィー」(5拍・中高アクセント)

で2回、読みました。

(2015、1、30)

 

 

(追記2)

1月30日のTBS「ひるおび」で、パネルを説明していた体格のいい男性アナウンサーと、コメンテーターの宮崎哲弥さんはともに、

「リ\シャウィー」

と「4拍・頭高アクセント」でした。

(2015、1、30)

 

 

(追記3)

1月30日の日本テレビ「every.」の男性ナレーターは、

「リ\シャウィー」

という「4拍頭高アクセント」で、語尾を伸ばしていました。

(2015、1、30)

(2015、1、29)

2015年1月29日 22:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5662「東寺のアクセント」

 

毎月「21日」は「弘法大師・空海の命日」ということで、「市」が立ちます。特に一年の初めの「1月21日」は、

「初弘法」

と呼ばれてにぎわいます。(1年の最後の「12月21日」は「終い弘法」)

今年の1月21日の「初弘法」の市の様子を、

「京都の東寺」

で取材したものが各局流れていました。さて、この、

「東寺」

の読み方・アクセントが気になります。

そこで関西各局の知り合いのアナウンサーにメールして尋ねてみました。

『京都の「東寺」ですが、このアクセント、皆さんは放送でどう読まれるでしょうか?また、アナウンス部内でアクセントを統一されていますか?

(1)「ト\ージ」(頭高)

(2)「ト/ージ」(平板)

ちなみに、私は「頭高」の「(1)ト\ージ」ですが、

きょうの読売テレビのお昼のニュースを読んだ林マオアナウンサーと、夕方のニュースを読んだ中谷アナウンサーは、ともに、

(2)「ト/ージ」

でした。お昼のニュースではABCさんとNHKさんは、

(1)「ト\-ジ」

でした。よろしくお願いします。」

皆さんから、続々とお返事のメールを頂きました。

 

【関西テレビ・Iアナウンサー】

私も「頭高」。「平板」だと「冬至(ト/ージ)」のイメージ。「平板」派の人は、「頭高」だと「当時(ト\ージ)」みたいだと思うかもしれないが。

【関西テレビ・Tアナウンサー】

手元にある『明解日本語アクセント辞典 第二版(81年)』では、道浦さんと同じ「頭高」で掲載されている。写真を添付します。

【MBS・Kアナウンサー】

「頭高」です。

【MBS・Tアナウンサー】

「当時」と区別したくて「平板アクセント」で読んだほうが落ち着く。私どもMBSの気象キャスター「今出東二(いまで とうじ)」さんの名前は「とうじ」を「頭高」で読むので「今出さんとは違うアクセント」と覚えるようにしている(笑)。京都の東寺に電話して問い合わせたところ、「その質問には、二十四節気の『冬至(ト/ージ=平板アクセント)』とは違うアクセントでとお答えしている。東京の方が『ト/ジ』(平板)とよく言われるのだが、それだと『冬至(ト/ージ=平板)』といっしょになるので、『ト\ージ』(頭高)でとお願いしている。厳密には『ト/ー\ジ』(中高)のイントネーションが、地元の呼び方に近い」とのこと。

【KBS京都・M元アナウンサー】

かつてアナウンサーとニュースデスクをしていた関係から、「東寺のアクセント」について私がニュースデスクとして判断したことをお伝えする。京都の人は、「東寺」を「中高」で発音する。これは、さすがにニュースでは、視聴者・聴取者に違和感を与えるアクセント。従って、「頭高」か「平板」「尾高」となるが、「東の寺」という意味合いから、理論的には「頭高」と判断した。従って弊社では「頭高」を用いている。ちなみに、NHK京都放送局も、ずいぶん前から「頭高」のアクセント。NHKに理由を聞いたことはない。いずれにしても、京都の人は「頭高」を変なアクセントと感じていると思うが、どこかに落とし込まないといけないので「頭高」を貫いている。

【サンテレビ・Kアナウンサー】

サンテレビのニュースでこの言葉を読むことはほぼ無いが、京都に住んでいた、又は近隣に在住というアナウンサーに聞いてみると、皆「頭高」としているようだ。

【読売テレビ・川田裕美アナウンサー】

「頭高」で読む。

【読売テレビ・清水健アナウンサー】

「頭高」で読む。

【読売テレビ・中谷しのぶアナウンサー】

「平板」で読んだ。

【読売テレビ・林マオアナウンサー】

「平板」で読んだ。アナウンス部に戻ってからこの話をしたが、そこにいたアナウンサーは「ほぼ半々」といった感じだった。やはり固有名詞は特に難しい・・・。その都度その都度確認し議論しても、地元の人はこう読むのに、標準語にあわせなければいけないことにも、正直、私は抵抗がある。できれば、地元で愛されて呼ばれ続けているアクセントに沿って読むべきではないのかなと思うのだが、地元でも呼び方がバラバラということもあるし。何年経ってもアクセントは難しいし、奥が深い。

【読売テレビ・立田恭三アナウンサー】

「頭高」で読んでいる。

【読売テレビ・森若佐紀子アナウンサー】

知らずに「平板」で読んで、「『頭高』だよ」と訂正された記憶があるので、「頭高」で読むようにしている。「清水寺」「嵐山」と並ぶ「要注意アクセント」。

 

また、私(道浦)が調べたところ、NHK放送文化研究所が出している『放送研究と調査』(2014年2月号)に、ちょうど「東寺」のアクセントに関して載っていたので、抜粋します。(筆者=塩田雄大氏)

 

*「地元の地名のアクセントについて」

「地元でのアクセント」と「共通語でのアクセント」とで異なる場合には、どうしたらよいか?という質問を受けたが、これに関する考え方は、

「NHKの放送でのアクセントは、共通語の範囲内で再現できるものを用いる事を原則とします。『地元でのアクセントか共通語のアクセントか』について考える場合、2段階に分けてみる必要があります。

 

①地元のアクセント:共通語としてはむずかしい

地元のアクセントを完全に再現することは、きわめてむずかしいものです。たとえば「東寺」は、以下の3つのアクセントが考えられます。

伝統的な京都方言 :「ト/オ\ジ」(中高)

  この発音を元にした共通語的発音  :「ト\ージ」(頭高)

  (共通語話者の無意識的な発音)  :「ト/ージ」(平板)

このうち、伝統的な形である「ト/オ\ジ」(中高)は、共通語のアクセントとしてはふつう現れない型です。

(中略:このあと「西宮」「尼崎」の例を挙げています)

 

②地元的なアクセント:共通語でも可能

たとえば「ト\ージ」(頭高)は、「ト/オ\ジ」(中高)という地元アクセントそのものではありませんが、共通語話者にも発音できる、地元の発音に近いアクセントだと言えます。こうしたものの例として『NHK日本語発音アクセント辞典』巻末p11に次のような例が挙げられています。

(中略:名寄・青森・長野・栃木・河内・呉・萩・高知の8つの地名の地元でのアクセントと、共通語アクセントの違いを例示)

現在では「地名のアクセントについては、全国放送では共通語アクセントを用いるが、地域放送では地元視聴者の要望が強い場合には、地元アクセントを用いてもよい」ことにしています。また、1つの番組内で複数の言い方が混在しているのはよくないと考えられる場合には、個別の番組として「ここでは、どちらかのアクセントで統一する」というように決めても、いっこうにかまいません」

 

ということでした。

そして、実は私も「東寺のアクセント」について書いているのも思い出しました。

2006年12月に書いた「平成ことば事情2769 東寺とはぼたん」です。

ぜひ、お読みください。

 

 

(追記)

2月18日に「近鉄電車」に乗りました。その際の「東寺」の車内アナウンスのアクセントが、

「ト\ージ」

「頭高アクセント」でした。

(2015、3、11)

 

 

(2015、1、23)

2015年1月27日 19:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5661「『差別』とは何か?」

 

ふと、考えてみました。

「『差別』とは何か?」

ここ数年の、

「ヘイトスピーチ」

にしてもそうですが、「差別」は「人間の心」の、一体「どこから」生まれて来るのか?「なぜ」生まれて来るのか?

「差別」とは、

「疎ましく思う感情」

ですね。それが、どういう「シチュエーション(状況)」で出てくるか?と考えたところ、

「イントレランス(不寛容さ)」

との関係があるように思います。

「まあ、ええんちゃう?」

という気持ちからは、「差別感情」は生まれません。

「きっちりしなければならない」「白か黒か、はっきりと区別しよう」

とする「真面目な気持ち」から「差別」は出てくるように思います。そう、「真面目」なんです、「差別」は。そして「白か黒か」ということは、すなわち、

「0か1か」

と同じ。つまりこれは、

「デジタル思考」

なんですね。

「『社会のデジタル化』に、『差別』が広がる一因がある」

のではないでしょうか?

実は、これを考えたすぐ後に、知り合いの札埜和男先生からメールをもらいました。私が『日本語学(2014年12月号)』に書いた「昭和のマスメディアのことば」の感想を送ってくださったのです。それによると、

「全体として、『人権の思想』と言ったら大袈裟ですが、人権の捉え方の進展とともにメディアの言葉はあるなあと思いました。これは恐らく後退することはないのでしょうが、後退するとすれば、メディア側の『過剰なことばの自主規制』が、今後気になります。」

「(アクセントの)平板化については、社会との連動を感じます。教育実習に来る学生の服装が、見事に統一化(黒)されています。リクルートスーツも全て『黒』ですよね。音声も服装も社会も『カラフルでない』ところに、社会の断面を見るようです。音声も抑揚がないと、ことばの顔がないというか、『顔なし言葉』が氾濫している状態でしょうか。そういう意味で専門家の責任も大きいと思いました。」

 

この中の、

「『アクセントの平板化』と『社会の平板化・均一化』の共通性」

については、全く思いもしませんでした。まさに「目からウロコ」です。「統一化」というのは、まさに、

「ファシズム」「全体主義」

ではないですか!昨今の「コンプライアンス」の厳しさは異常なほどだなあ、ということは感じていました。インターネットやSNSの普及によって、誰もが簡単に情報を発することができるという「便利さ」と"表裏一体"で、「情報の漏えい」や「簡単に相手を傷付けてしまう状況が出現する危険性」の認識が薄いというのが「現代」ですよね。

社会全体が「コンプライアンス」で「雁字(がんじ)(がら)め」とっても、

「イントレランス(不寛容)

な社会になって、窮屈この上ない。それが「放送」の世界にも表れているのでしょう。

また、「極端なヘイトスピーチ(=差別)」というのは、まさに「イントレランス」ですが、もしかしたら、

「世の中の極端な統一化(=規制)に対する『はけ口』」

として、こういった動きが、より過激になっているのではないでしょうか?

「差別をなくす」ためには、

「良い意味での『いいかげんさ』」

も必要ではないのかなと思ったのでした。

(2015、1、13)

2015年1月27日 11:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5660「バズる」

 

ニコ生の「道浦俊彦のことばのことばかり」配信当日、スタッフの西川君から「ネット用語」を教えてもらいました。それは、

「バズる」

というもので、意味は、

「ガヤガヤ言う」

ことなんだそうです。「バズ」、わからんよなあ・・・。あれ?でもちょっと待てよ、

「バズ」って、

buzz

だよね。そうすると、「呼び鈴」の「ブザー」と語源は同じじゃないかな?「ブザー」は、

「バズするもの」

で、綴りは、

buzzer

なんじゃないかな?英和辞典を引いてみたら、ビンゴ!当たりでした。「ブサー」なら、もう「日本語」だから、そんなに難しい言葉じゃないけど、「ブザー」の語源をそもそも知らなかったってことですね。カタカナで書くと「バ」と「ブ」で、全然違う言葉になってしまってますからね。

あ、そうだ、ディズニーのアニメ映画『トイ・ストーリ』で、緑色の宇宙服を着た主人公の名前も、

「バズ」

じゃなかったか?あれも結構、うっとうしいというか、うるさい役ですよね?調べてみたら、

「バズ・ライトイヤー(Buzz  Lightyear)」

という名前でした。

結構、身近に「バズ」はあったんだなあ。

 

 

(追記)

そうそう、年末に「アナと雪の女王」の主題歌Let it goを英語で歌う機会があったんですが、その時に最後の歌詞、日本語で言うと、

「少しも寒くないわ」

の部分の英語の歌詞は、

The  cold  never  buzzer  me anyway

だったのですが、この中の、

buzzer

は「混乱させる」というような意味のようですが、もしかしたら関係あるのかなあ。

(2015、2、2)

 

 

(2015、1、26)

2015年1月26日 21:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5659「日本料理と石庭」

 

先日テレビで、日本の寿司職人と海外の寿司職人の「寿司対決」というのをやっていました。見ていると、海外の職人さんの作るものは「創作寿司」としては面白かったけど、やればやるほど、日本の「寿司」から遠ざかって行くような感じがしました。

一方、日本の寿司職人の作るものは、寿司その物もさることながら、

「お皿への並べ方、展示の仕方」

に、日本独特のセンスがあるように思いました。黒い四角い皿に並べられた握り寿司の美しかったこと!そして、

「これって、何かに似ているな」

と感じたのです。何に似ているのか・・・そう、

「石庭(枯山水式庭園)」

に似ているように感じたのです。

考えすぎでしょうか?いえ、考えたというよりも、直観的にそう思ったのです。きっと、何か共通点があるんじゃないかな、と思います。

(2015、1、26)

2015年1月26日 17:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5658「ブリスベンか?ブリスベーンか?」

 

1月19日の「ミヤネ屋」で、テニスの錦織圭選手が、オーストラリアで開かれた

「ブリスベン国際」

に出場したというニュースがありました。この地名を、『新聞用語集2007年版』を引いたら、

「ブリスベーン」

となっていましたので「-」を入れました。しかし、少し前に、

「最近は伸ばさずに『ブリスベン』だ」

と聞いたような気がしますので、調べて見ると、平成26年(2013年)11月16日付けの外務省のサイトでは、

「G20ブリスベンサミット」

と伸ばしていませんでした。

グーグル検索(1月20日)では、

「ブリスベーン」=20万0000件

「ブリスベーン」=87万9000件

と、圧倒的に「ブリスベン」と伸ばさない方が多かったのです。しかも、ネット検索では、

「日テレ、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、テレビ東京、NHK」

も、伸ばさない、

「ブリスベン」

になっていました。ありゃ、これは各社、

「伸ばさない」

に変更したのかな?今度、確認しておきます。

(2015、1、20)

2015年1月25日 18:44 | コメント (0)

新・ことば事情

5657「ワウリンカか?バブリンカか?」

 

全豪オープンテニスが始まりました。錦織圭選手、頑張っていますね。

さて、そのテニス選手の名前をカタカナで書く時に、「表記にバラつき」があります。とっても有名な選手はそうでもないんですが、その次に有名な人ぐらいだと、ブレがあります。

例えば、次のような人です。ちなみに「ミヤネ屋」で使った表記が左、「揺れ」が右側です。

<ミヤネ屋> <揺れ=他の表記> <国籍>

ワウリンカ    バブリンカ   <スイス>

ガルビス     グルビス    <ラトビア>

ベルディハ    ベルディヒ   <チェコ>

ドディグ     ドディッグ   <クロアチア>

このほか、

マリー      マレー    <イギリス>

というのもありますし、その昔は、

エドバーグ   エドベリ    <スウェーデン>

もありましたね。

ちなみに、1月20日のNHKの表記(発音)は、「ワウリンカ」ではなく、

「バブリンカ」

でした。改めて、外国人名の「カタカナ表記」は、本当に難しいですねえ・・・。

 

(追記)

1月25日の深夜のNHKの全豪オープンの放送では、

「マレー」

でした。

(2015、1、26)

(追記2)

1月27日の朝刊各紙は、錦織圭選手の次(準々決勝)の対戦相手を、

「ワウリンカ」

と書いていました。「読売・朝日・毎日」と、「共同通信」の配信を受けた「産経・日経」5紙です。

(2015、1、27)

 

(2015、1、22)

2015年1月25日 11:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5656「『ISIS』と『ISIL』」

 

日本人・2人の人質を取っている「イスラム国」は、「国」と名乗ってはいますが、いわゆる「国」ではなく「テロ組織」「過激派」です。そのことは「平成ことば事情5605『イスラム国』」に書きました。

その「イスラム国」は、以前は、

「ISIS」

と名乗っていました。これは、

Islamic State of Iraq and al-Sham

の頭文字を取ったもので、

「イラクと大シリアのイスラム国」

と訳されます。(『現代用語の基礎知識2015』より)

そして2014年6月からは、

「イスラム国(IS=Islamic State)」

と名乗るようになりました。

しかし、「ミヤネ屋」のスタッフによると、アメリカ・オバマ大統領や国連、そして安倍総理大臣は、

「ISIL」

と呼んでいるようなのです。これは『現代用語の基礎知識』にも載っていません。調べて見ると、2014年9月12日のCNNの日本語サイトに、

『「イスラム国」「ISIS」「ISIL」の違いは?』

というのがありました。それによると、

「イスラム教スンニ派過激組織『イスラム国(ISIS)』はもともと、2004年に故アブムサブ・ザルカウィ容疑者がイラクで立ち上げた国際テロ組織アルカイダの分派だった。」

とあり、ザルカウィ容疑者が2006年6月に米軍の攻撃で死亡したあと後継者となったアブアイユーブ・マスリ指導者が、数か月後に、『イラクのイスラム国(ISI)』の創設を発表したと。さらに「ISI」は2013年4月、シリアのアルカイダ系武装組織である「ヌスラ戦線」を統合し、ヌスラ戦線の指導者アブバクル・バグダディ容疑者が、

「組織は今後『イラクとレバント(またはシャム)のイスラム国」と呼ばれるようになるだろう』

と発言し、これが現在の同組織の呼称を巡る混乱のもとになっている、と記されていました。以下要約し転載。

【ISIL】=「イラクとレバントのイスラム国」

(Islamic State in Iraq and the Levant)」

オバマ米大統領や国連、一部の報道機関がこの組織を指すのに使っているのが「ISIL」。CNNのエリーゼ・ラボット特派員の分析では、米政府がこの呼び方を使う理由は、

   組織がイラクやシリア以外の国への拡大を視野に入れているとみられること。

   米政府はカリフ制イスラム国家を設立するという組織の計画を認めない立場を取っている。

コロンビア大学のラシッド・カリディ教授(シリア史)によれば、「シャム」はトルコからシリア、エジプト、パレスチナやヨルダン、レバノンを含むもっと広い地域を指すという。

 

【ISIS】=「イラクとシャムのイスラム国」

「The Islamic State in Iraq and al-Sham」

CNNでは「イラク・シリア・イスラム国」の略として「ISIS」を採用している。アラビア語で「シャム」は、レバント、シリア、大シリア、場合によってはダマスカスのいずれの意味にも取れるとされる。

 

【イスラム国】=「Islamic State」。

国境を越えたカリフ制国家を作りたいという彼らの意思を正確に表した言葉。彼らがインターネットで公開した動画では、単に「国家(ダウラ)」と表現している。

 

【DAIISH】

アラビア語の組織名(アラビア語でal-Dawla l-slamiya fi raq wa al-Sham)をアルファベットで音写した頭文字をつなげたもの。アラブ世界の報道機関や政治家はよく使う。ただし、DAIISHには否定的なニュアンスがあり、反対派の人々が使う呼び名。組織側はこの呼称に異議を唱えているという。

 

ここに出て来た、

「レバント」(地中海の東部沿岸地方)

って、世界史に出て来たあの、

「レパントの海戦」(1517年)

の「レパント」ですかね?似てるな。でも「パ」と「バ」、違うのかな?

地図を見たら、もしかしたらそうかもしれません。その辺りまでの支配を考えていると見るかどうか。その辺りで、名称が違うのかもしれないと思いました。

また、池内恵さんの『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読んでいたら、「イスラム国」には、これまでに「6つの名前の変遷」があったと書かれていました。それは、

(1)1999年~2004年10月   

 「タウヒードとジハード団」

(2)2004年10月~2006年1月 

 「二つの大河の地のジハードの基地団」

(3)2006年1月~10月      

 「イラク・ムジャヒディーン諮問評議会」

(4)2006年10月2013年4月  

 「イラク・イスラ(―)ム国」

(5)2013年4月~2014年6月  

 「イラクとシャームのイスラ(ー)ム国」

(6)2014年6月~   

 「イスラ(ー)ム国」

 

で、「ISIS」あるいは{ISIL}は(5)の段階を指します。著者の池内さんは、

「米政府が『ISIL』を用いることもあって、日本ではそれに追随する場合も多い」

と記しています。

その、(5)の中に出てくる「シャーム」については、

「アラブ世界の歴史的な塵概念で、東地中海沿岸地方から内陸部にかけて、げんざいのシリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナを含む広い範囲を指す。近代英語への訳語としては、『拡大シリア(Greater Syria)』が最も厳密である。(中略)欧米語では『シャーム』にある程度重なる地域を『レバント(the Levant)』と呼ぶため、al-Sham の英訳語にthe Levant を充てられることがある。しかし『レバント』という呼び方は、欧米側の視点からの物で植民地主義的な意味合いが感じられる場合もある。」

そして、

「『ISIS』とするにせよ、『ISIL』にするにせよ、欧米側では the Islamic Stateの部分を極力発語せずに略称でのみ呼ぼうとする傾向がある。この組織が『イスラーム』を代表する者ではなく、『国家』としても承認しえないという意思表明なのだろう。アタブ諸国の政府やメディアも『シスラーム国』が『イスラーム的』でも『国家』でもないと主張するために、アラビア語の頭文字をつうないだ略称『ダーイシュ』で呼ぶことが多いが、「イスラーム国」への共鳴者はこの語を強く忌避する」

 

とありました。これは私たち日本のメディアでも、

「『イスラム国』は、国ではない」

ことを示すために、必ず「カギカッコを付けて」、

「イスラム国」

としているのと同じですね。気付いている人は、少ないかもしれませんが。

ちなみに「『国家』の成立の3要素」を確認しておくと、

(1)国民

(2)国土(領土)

(3)政府(統治組織)

ですね。

 

(追記)

「国家の3要素」を書きましたが、それに加えて、

(4)他国からの承認

も、国際社会においては必要だと思います。「国家の4要素」ですね。

また、1月26日に「自民党」は

「今後『イスラム国』ではなく『ISIL』と呼称する」

という方針を決めました。谷垣幹事長はその理由について、

「『イスラム国』と呼ぶと独立国家として承認している印象を与えかねないため」

と話しています。

また日本テレビも、ニュースの「冒頭」で一回は、

「イスラム過激派組織『イスラム国』」

という言い方にすることになりました。読売テレビも、NNN系列なのでそれに倣います。

(2015、1、27)

(追記2)

1月29日、安倍首相は衆院予算委員会での答弁で、「ISIL」を、

「アイシル」

と発音していました。

(2015、1、30)

 

 

(2015、1、23)

2015年1月24日 21:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5655「100分を頂いております」

 

1月23日の読売テレビの夕方の『関西情報ネットten.』を見ていたら、USJに新しいアトラクションがオープンしたという話題をやっていました。人気漫画『進撃の巨人』のアトラクションだそうです。それが大人気で、長ーい行列ができているということで、その様子を取材していました。

その際に、列の整理を担当している係の男性が、こう言っていました。

「『進撃の巨人』はここが最後尾です!アトラクションまで100分を頂いております!」

このコメントの「100分=1時間40分」という時間もさることながら、

「100分を頂いております」

が気になりました。

「時間がかかる」「待ち時間」

のことを、

「○○分を頂く」

という言い方はなじみませんね。たしかに、

「今たて込んでおりますので、お時間を頂戴してよろしいでしょうか?」

「お待ちいただいても、よろしいでしょうか」

などという言い方はありますし、それほど違和感がないので、そこからの類推で「具体的時間」にも「頂戴しております」「頂いてます」と使ってしまうのかなあ・・・。

これは、某テレビショッピングの有名社長の、

1万9800円でお願いします」

というコメントの、

「○○円でお願いします」

という言い方に感じる違和感と同じです。

へりくだっているようで、へりくだっていない感じがするのは、私だけでしょうか?

 

(追記)

「100分頂いております」

ではなく、

「100分、お待ちいただいております」

なら問題ないのになあ。

(2015、1、26)

 

(2015、1、23)

2015年1月24日 18:03 | コメント (0)

新・ことば事情

5654「来駅」

 

JR鶴橋駅の改札の手前に「スタンプ」が置いてありました。子どもの頃は、このスタンプを押すのが楽しみだったなあ。大人になると、なぜか興味が失せたけど。そのスタンプを押すための「用紙」も一緒に置いてありました。そこに、こう書かれているのが目に留まりました。

「来駅記念」

この「来駅」という言葉は、意味はすぐにわかりますが、あまり目にしたことがありません。「来」のあとに「社」「校」「場」「園」「館」等を付けた、

「来社」「来校」「来場」「来園」「来館」

などは、普通の言葉として目にしますし、地名を付けて、

「来阪」(「大阪」に来る)

「来熊」(「熊本」に来る。「らいゆう」)

「来青」(「青森」に来る)

「来神」(「神戸」に来る)

「来道」(「北海道」に来る)

なども見たことがあります。「平成ことば事情1625訪日と来日」に、その辺りの話も書きました。2004年の3月、もう11年前ですが。

元NHK放送文化研究所の柴田実さんによると、

「来佐(らいさ:佐賀)」「来宮(らいぐう?らいきゅう?:宮崎)」

「来鹿(らいか?らいろく?:鹿児島)

なども、それぞれの地元紙で使われることがあるそうです。あ、もちろん、「国」=「日本」の名前の一文字を付ける、

「来日」

も一般的です。これに対して、

「来駅」

は、辞書には載っているのでしょうか?

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』『岩浪国語辞典』『新潮現代国語辞典』

には、載っていませんでした。

「来駅」をグーグル検索してみると、

「市来(いちき)駅」=鹿児島県いちき串木野市

というのが出てきてしまうので、

「来駅記念」

で検索したら、

「3760件」

出て来ましたが、当然のことながら、大体が「鉄道関係者」の記述でした。「鉄道関連用語」と言えるでしょう。

「来駅記念入場券」

に関するものが多かったですね。

「駅」も「建物・人が集まるスペース」ですから、「来園」「来場」「来館」「来社」「来校」などと同じように使われても不思議ではありませんが、「園」「場」「館」「社」「校」が全て、

「音読み」

であるのに対して「駅」には「音読み」がなく、たぶんこれは、

「『らいえき』と『訓読み』をせざるを得ない」

ところに、違和感が生まれるのではないか?と思います。「重箱読み」になりますしね。

 

 

(追記)

読者の方から

「『駅』には『音読み』がなく・・・とあるのですが、『音読み』が『エキ』なのではないでしょうか?」

という問い合わせがありました。

あっ、そうだった!ご指摘の通りです。ありがとうございます。思い込みでした、すみません。

「エキ」=「音読み」

です。「音読み」がそのまま取り入れられて、

「事実上の訓読み」

になっているケースです。いわゆる「訓読み」は「ない」のですが、「意味の読み」では、

「えき」「うまや」

があり、「えき」が「事実上の訓読み」となっていると。同じような漢字には、

「肉」「菊」

があります。「にく」「きく」は「音読み」なんですね。

(2015、1、27)

 

 

 

(2015、1、23)

2015年1月24日 12:04 | コメント (0)

新・読書日記 2015_012

『火花』(又吉直樹、文藝春秋『文學界』2015年2月号より:2015、2、1)

 

「読書家」として知られるお笑い芸人コンビ「ピース」の又吉直樹さん。その「デビュー小説」らしい。月刊誌の表紙には、

「天才芸人の輝きと挫折を描いた」「満を持して放つデビュー中篇 230枚」

とある。いま大変、注目されていて、この『文學界』という、普通の一般人は読まないような専門的な文化の香りのする月刊誌が、なんとむっちゃ売れていて増刷されているらしく、本屋さんでも、すごくたくさん平積みになっていました。つい、興味を持って買ってしまいました。

読み始めると・・・うん、これは小説、純文学だな、と。しかもグイグイ読ませる。いいんじゃないの?特に後半の山は、とってもいいんだけど、最後の着地はなあ・・・おっとこのへんにしておかないと、読む楽しみがなくなりますから。一度、読む価値はあると思いますよ!「花火」⇔「火花」=「スパークス」かなあ。

 

一つ追加。主人公の先輩の、大阪出身の芸人の名字が「神谷」と書いて、

「かみや」

になっているのだが、大阪の出身というのならば、

「かみたに」

の方が良かったんじゃないかな。

 


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(2015、1、20読了)

2015年1月23日 18:00 | コメント (0)

新・読書日記 2015_011

『ふしぎな国道』(佐藤健太郎、講談社現代新書:2014、10、20)

おもしろいですねー。「鉄道」ファンがいるように「車」マニアがいるように、「国道」にマニアがいるんだ!それが発見。ふだん我々は、その道が「国道」なのか、「県道」なのか、「市道」なのかなんて気にしていないではないですか。そこがツボだとは!でもちょっと私も興味を持ちましたよ。ふんだんな写真で「ほお、これがそういうことか!」と。何百キロもある長い国道もあれば、たった170mほどの超短い国道もあるとは!また、

「本当にこんな狭い道が国道なの?」

という道もあるというのが面白い。また国道の番号って全部あるんじゃなくて、「欠番」があるなんていうのも、初めて知りました。

あと「国道の標識」って、「角が丸い三角」みたいなので、真ん中に数字が記されているものですよね、青い色の。あれを、

「おにぎり」

と呼ぶなんていうのは面白いですよね!そして、それが古くなってサビで茶色くなっているものは、

「焼きおにぎり」

と呼ぶというのは、笑った!


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(2015、1、14読了)

2015年1月23日 15:59 | コメント (0)

新・読書日記 2015_010

『がんばると迷惑な人』(太田肇、新潮新書:2014、12、20)

 

「はるな愛」のように、

「いるよねー、そういう人」

と相槌を打つ一方で、ちょっとドキッとして、

「もしかして、自分もそう、思われてはいないか?」

と振り返ってしまう一冊。私は、

「量は質に転化する」

と思っているのだが、この本では、

「量と質は別物」

と考えていて、たしかにそういう事も多いかもしれないけど、「量」をこなさずに最初から「質」だけを求めるというのは、どうなのかなあと思う。そんなことができる人は、本当にごくごく少ないのではないでしょうか?


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(2015、1、19読了)

2015年1月23日 11:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5653「歌えれる」

 

終電間近の電車の中、若い男性二人が、私の席の隣に座って話していました。聞くとはなしに聞いていたら、どうやら「カラオケ帰り」のようです。

その話の中で、男声の一人が、

「俺、めっちゃ歌えれるもん」

と話しているのが耳に留まりました。この、

「歌えれる」

というのは、ふつうは、

「歌える」

でいいんですよね。五段活用動詞の「可能動詞」ですから。

これに「れ」を入れて「歌えれる」というのは、

「れ足す言葉」

と呼ばれるものです。なんか、久々に聞いた気がします。「れ足す言葉」に関しては、ずいぶん昔に書いたと思います。検索してみたら、

*「平成ことばの話161 れ足す言葉」(2000年8月)

*「平成ことば事情1926 れ足す言葉2」(2004年10月)

*「平成ことば事情4780 久々に聞いた『れ足す言葉』」(2012年7月)

で書いていました。2年半ぶりですね、「れ足す言葉」について書くのは。

(2015、1、21)

2015年1月23日 07:55 | コメント (0)

新・読書日記 2015_009

『今日も元気だ映画を見よう~粒よりシネマ365本』(芝山幹郎、角川SSC新書:2014、7、25)

 

400ページ近い新書。そりゃそうだよね、365本の映画について、1本に付き1ページでの解説。それを春夏秋冬、四季ごとに「おすすめ」の映画に分類している。

春=「にっこり」76本

夏=「わくわく」76本

秋=「じっくり」123本

冬=「ひやひや」90本

の映画をご紹介。古い有名な映画から、私も見た事のある映画、知らない映画が満載。これを1ページでそれぞれ収めるのは、かなり難しいだろうなあと思いました。

でも楽しく読めました!映画が見たくなる一冊。


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(2015、1、19読了)

2015年1月22日 21:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5652「朝に道を聞かば」

 

昨年12月1日、菅原文太さんの訃報が届きました。
その際に、妻の菅原文子さんがFAXで発表したコメントは、以下のようなものでした。

 

「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち、

『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』

の心境で日々を過ごしてきたと察しております。

『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。

1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。

もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。

すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。

恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」

 

この中に出て来る、

「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」

これは、『論語・里仁』にある孔子の言葉で、

「朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても悔いはない」

という意味ですね。この冒頭の「朝」の読み方ですが、普通に漢字を読めば、

「あさ」

ですが、この場合は、

「あした」

が正解。また「夕」は、

「ゆうべ」

と読みますね。子どもの頃に覚えた『浜辺の歌』の歌詞に出てくる、

「あした浜辺をさまよえば」

「ゆうべ浜辺をもとおれば」

で、古語では「朝」を「あした」と言うことがあり、(「昨夜」の意味の「ゆうべ」ではなく)「夕方」の意味で「夕」を「ゆうべ」と言うことがあるのを私は覚えていました。

このコメントを「ミヤネ屋」で川田アナウンサーが紹介するにあたって、そのまま渡したら「あさ」「ゆう」と読まれてしまうかも・・・と思って、

「あした」「ゆうべ」

とルビを振って渡しました。

翌日、朝の別の情報番組でも、このコメントを紹介していましたが、その際は「朝」を「あさ」、「夕」を「ゆう」と、間違って読んでいました・・・。

(2015、1、21)

2015年1月22日 19:54 | コメント (0)

新・読書日記 2015_008

『もっと面白い本』(成毛眞、岩波新書:2014、1、21)

 

前著「面白い本」、参考になって面白かったので、その続編である本書も当然のように買って読み始めたら、・・・これ、レベルがいきなり高い感じで、ちょっと難しい本の紹介が多いんじゃないかなあ、紹介されているのは。そう感じて、買ってから読み終えるまで、随分時間がかかってしまいました。でも、後半に紹介されていた本は、かなり興味深い感じがしました!


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(2015、1、18読了)

2015年1月22日 17:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5651「雨が道路に たたきつけています」

 

1月15日の正午のNHKニュースを見ていたら、アナウンサーがこんな原稿を読んでいました。

「雨が道路に たたきつけています」

それを聞いて「おやっ?」と思いました。雨が「何を」道路にたたきつけているのかな?

これは、助詞の使い方がおかしいのではないか?

「道路に」とすると「たたきつける『目的語』」が必要なはずです。でも目的語は「雨」なんです。そうすると「雨が」という主語の「が」を取るべきではないんですね。「主語」になるのなら、目的語が「を」なんです。「道路を」となるはずです。つまり、

ここは「道路"に"」ではなく「道路"を"」でとなって

「雨が道路"を"たたきつけています」

なのではないでしょうか?

もちろん、そのほかにも「別の表現」の可能性もあります。

「雨が道路"に"たたきつけられています」

「雨が道路"に"たたきつけるように降っています」

「雨がその雨粒を 道路にたたきつけています」

でもいいかなと思います。

最近「助詞の使い方」が、私の常識とは違う形で使われていることが多く、そのたびに直してはいるのですが、余りにもその数が多く、

「これはもしかしたら、時代の流れによる『ことばの変化』ではないのか?」

と感じざるを得ない今日この頃です。

(2015、1、20)

2015年1月22日 16:53 | コメント (0)

新・読書日記 2015_007

『居酒屋を極める』(太田和彦、新潮新書:2014、11、20)

著者は1946年生まれ、元・資生堂の宣伝制作室のデザインマン。その後独立して、デザイン事務所で主にグラフィックデザイナーとして活躍する傍ら「居酒屋評論家」としても数多くの本を執筆している。最近、私も名前をよく聞くようになった。それだけ、居酒屋に行く機会が増えたからか?そう思って見ていると、漫画週刊誌の中のコラムを書いていたりして「あ、これ読んだことある!これが太田さんだったのか!」というような感じで、既によく知っている人だったのだ。

太田さんは、古い、伝統ある居酒屋を「よし」として、一人でブラリと入っても、うまい酒(日本酒)と食べ物がある、お店の人にも味があるという居酒屋を追い求め、探し当てた全国の居酒屋を紹介してくれている。東日本大震災後の東北の居酒屋に行った話などは、掛け値なしにいい話である。この本に出て来る居酒屋に、行ってみたいなと思った。


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(2015、1、12読了)

2015年1月22日 15:48 | コメント (0)

新・読書日記 2015_006

『あなたに褒められたくて』(高倉健、集英社文庫:1993、8、25第1刷・2013、6、8第20刷)

この文庫本、(単行本は1991年に出ています)、1993年に第1刷が出てから20年以上、なんと「20刷」ですよ!隠れたベストセラー、ロングセラーですね!しかも健さんが「亡くなった後」ではなく、「生前」に出ている分。すごい人気だったんですねえ。

 

今も「にんにく卵黄」(健康家族)のコマーシャルで、井上陽水の「少年時代」の曲に乗せて、健さんが元気に出て来ます。亡くなったとは、思えないなあ・・・。

読んでみると、意外と「格好から入る人」だったんですね、健さんって。

スクリーンや画面だけではわからなかった健さんの素顔に触れることができる一冊です。


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(2015、1、10読了)

2015年1月22日 10:47 | コメント (0)

新・読書日記 2015_005

『知の訓練~日本にとって政治とは何か』(原武史、新潮新書:2014、7、20)

 

原武史さんは、明治学院大学国際学部の教授。私と同世代(生まれは原先生が1年下だが、)同学年かもしれない)。専門は「日本政治思想史」だから、なじみのある分野ではある。

その原先生の「比較政治学」の講義録、のような物。話し言葉で書かれているので読みやすいし、読んでいると、本当に講義に出ているかのような気になって来る。こんな授業なら、ぜひ受けて見たい。本の帯には、

「天皇から性まで。『日本の根源』に迫る、白熱講義!~この国の究極の支配者は誰か」

とあります。とっても面白くレベルの高い話で、大学生がついて来られるのかな?と思わないでもないです。

第一章から目次を見ていくと、「だれが日本の時間を支配しているのか」「なぜ日本では『広場の政治』が根付かないのか」「日本で最も政治的な神社」「なぜ『神道は宗教に非ず』とされたのか」「二つの神<伊勢神宮vs.出雲大社>」「なぜ東京には政治の"中核"がないのか」「いかにして民都・大阪は生まれたのか」「アメリカ化する地方と親心の政治」「元始、日本の女性は政治的存在だった」。ね、読みたくなる謎が、次々と並べられているでしょ?詳しい内容は、本書をお読みください。


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(2015、1、8読了)

2015年1月21日 22:45 | コメント (0)

新・読書日記 2015_004

『沈みゆく大国アメリカ』(堤未果、集英社新書:2014、11、19)

 

タイトルはあまりにも扇情的。内容から考えると、本書のタイトルは、

『知られざるオバマケアの実態』

とすべきところだろう。アメリカは日本のような「健康保険」がない国で、医療費がものすごく高いというのは、何となく聞いたことがある人が多いだろう。しかし、それではいけない!と、民主党のオバマ大統領は、「国民皆保険」を目指して制度を取り入れた!エライ!と思っていた私なんぞは、相当おめでたい人らしい。

実はそれまでも、少しは低所得者などへ対応した医療体制はあったのだが、オバマ大統領の肝いりで始めた「アメリカ国民全員が入らなくてはいけない保険制度」は、企業にも大きな負担をかけたために、「企業が負担しなくてもよい雇用体系」が選択されるようになった。つまり、「正社員を派遣社員にする」というようなことである。福祉・医療保障に関しては、明らかに「格下げ」である。私などは、「正社員」(私たちの時代では「当たり前」だった)が毎月給料から「天引き」される「健康保険料」などは、実は「同じ額を会社が払ってくれている」ということに気づくのに10年かかりましたね。やはり「正社員」の福祉はかなり恵まれていると言えるのではないでしょうか。若い正社員は、気付いていないかもしれませんが。

話しがそれましたが、つまりオバマ大統領の言う「国民皆保険=オバマケア」には、「例外の穴」がたくさん開いていたということだ。よく映画の広告で、

「史上最高の興行収入」

とか宣伝文句に書いてあって、よく見ると小さな字で、

「公開2日で。土・日公開の映画は除く」

とかなんとか、

「いろいろな『制限』『限定条件』を加えた上での『1位』」

だったりすることがあるが、どうもあれに似たような状況であるようなのだ。

そして、そのようなものを取り入れて「得」をするのは誰か?というと・・・。

非常に詳しく取材して、細かい数字がたくさん出て来て、ちょっと読みにくい部分もある。まるで論文のようだが、それに慣れて読み飛ばして重要な所だけ読むようにすると、「オバマケア」の背後に潜む陰の存在が見えてくるような気がする。本野帯には、

「1%の超・富裕層(スーパー・リッチ)が仕掛けた"オバマケア"で、アメリカ医療は完全崩壊!」

とあり、さらに大きな文字で、

「次なるターゲットは、日本だ!」

とある・・・そうか、「TPP」!そういう分野も含まれているのか?

いろいろなことを、よく考えないといけないなと思わせる一冊である。


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(2015、1、6読了)

2015年1月21日 18:44 | コメント (0)

新・ことば事情

5650「アマテラスとオオクニヌシ」

 

原武史さんの『知の訓練~日本にとって政治とは何か』(新潮新書)を読んでいたら、こういう記述がありました。

「アマテラスは伊勢神宮=顕」「オオクニヌシは出雲大社=幽」

そこで、

「あれ?」

と思い出したのは、2014年10月5日に、

「高円宮家の典子さまが、出雲大社権宮司の千家国麿(せんげ・くにまろ)さんと結婚したニュース」

です。

高円宮家のお嬢さまは「皇室」ですから「顕」、

これに対して「出雲大社の権宮司」である千家国麿さんは「幽」

ですよね。つまりこの結婚は、

「顕と幽の結合」

ということになるのでしょうか?そうすると、

「この結婚は、日本の二千年の歴史の中でもとっても大きな意味のあることだったのではないか?」

と、今頃になって気付いたのです。

そのほか、この本を読んでいて、

「第三代天皇は『安寧天皇』」

というのを見て思いついたのは、「韓国・朝鮮語」の「こんにちは」にあたる、

「アンニョン・ハシムニカ」

の「アンニョン」は漢字で書くと、

「安寧」

です。この辺も、朝鮮半島との古いつながりがあるのではないか?と思いました。

(2015、1、20)

2015年1月21日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5649「資料とイメージと再現」

 

「ミヤネ屋」のスタッフから、こんな質問を受けました。

 

「映像にスーパーで出す『資料』と『イメージ』の違いは何でしょうか?」

 

これまでに何度も説明しているとは思うのですが、改めて説明しました。

 

「『そのものズバリ』の映像だが『その放送用にその日撮影したものではない以前に撮った映像』が『資料』。一方、たとえば『サラリーマンの給与が上がった』というニュースで、『梅田や東京駅八重洲口の横断歩道を歩くサラリーマンなどの映像』を使う場合が『イメージ』。交通事故のニュースで『車が走ってぶつかったであろう目線』でカメラが動いて撮影したものは、厳密に言えば『イメージ』だが、ストレートニュースで『イメージ』とスーパーすることはないね。」

 

ということで分かっていただきました。

ちなみに「再現」は、

 

「『そのものズバリの映像』がないために、証言や資料に基づいて『全く別人が演じる』場合。たまに『本人』が演じる場合は『本人による再現』とスーパーします。」

 

とまあ、こんな感じですかね。

(2015、1、15)

2015年1月21日 14:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5648「こっくり甘い」

駅の自動販売機で、

「こっくり甘い」

という表現を目にしました。初めて見た表現です。「こっくりと」は以前見たことがあったような気がするなあ。

kotoba.jpg

検索してみると、「平成ことば事情915こっくりと」が出て来ました。2002年の11月です。それは、

「わたは、そーっと、つぶさないで煮はじめる。自然にはじけるのを待とう。生臭くなく

こっくりと  でき上がるよ。」(「オレンジページ」200291726ページ、いかのわた煮)

のように、

「じっくりと染み込んだ」

というのと、

「こくがある」

を合わせたような意味での「こっくりと」が使われていました。

『広辞苑』には「こっくり」が、

(3)色などが、じみに落ち着いて上品なさま。食物にうまみがあって味わいが深いさま。

と書かれていました。

これか!

日経新聞で土曜日に連載されているコラム「食語のひととき」で、調理学研究者の早川文代さんは、2002年11月9日の紙面で、この「こっくり」を取り上げています。


「この季節になると、料理の表現で『こっくりと煮込んだ』というのを目にする。なんとなくおいしそうな響きがあるが、『こっくり』とは何を表すのか。日常的に使う言葉ではないが、見たり聞いたりすると語感がよい。例えば作家の北畠八穂氏は『クルミモチのコックリした味』、料理人の小山裕久氏は『濃い口しょうゆでこっくり炊いた煮物』と使っている。もともとは深みのある上品な色合いのことを言った。江戸時代には着物の色や柄に上品な落ち着きのある様子を『こっくり仕立て』と呼んだ。また、明治時代に人気を博した小栗風葉の小説『青春』では『葡萄(ぶどう)色のこっくりとした羽織』と使われている。やがて、こっくりは味の深みも表すようになった。しょうゆやみりんであめ色に煮付けた物をこっくりと表現するうちに、味にも広がったのだろう。(後略)」

とちょっと長い引用になりましたが、書いてあります。もとは食べ物には使われなかったのですね。使われ方にも、「こっくりと」した歴史がありますね。

『日本国語大辞典』でも、「こっくり」は、

「色合いや味などが、濃かったり深みがあったりするさまを表す語。」

と書いてあります。

2004年9月5日の日経新聞掲載の川上弘美さんのコラム「此処彼処(ここかしこ)」にも、

「皮つき豚の煮込み。トマト味の米料理。パンの実のスープ。マダガスカルふうの、質素だがこっくりとした献立だった。」

と、「こっくりと」が出てきました。

2005年6月18日の朝日新聞夕刊の記事。画家のマツモトヨーコさんが書いたコラムの中の色の表現の中にも、

「こっくりとした茶」

という「色の表現」で出て来ました。それらに次いで、今回、

「野菜ジュース」

の用例が出て来たということですね。

(2015、1、20)

2015年1月21日 10:00 | コメント (0)

新・ことば事情

5647「いんじゃん」

 

関西で「じゃんけん」のことを、

 

「いんじゃん」

 

と言います。この「語源」は何かわかりませんでしたが、先日、講談社の『本』(2014年8月号)という雑誌を読んでいたら、「これかな?」というものを見つけました。『本』の中の高島俊男さんのエッセイ「漢字雑談53 明治初めの訳語」を読んでいたら、久米邦武『米欧回覧実記』(現在、岩波文庫)に出て来る明治初期の訳語を紹介していました。そこに、「コロンボス」がアメリカを見つけたことについて、こんな一文があったのです。

「竟(つい)ニ亜墨利加ノ洲土ヲ発明シタレハ、此コソ印度(イント)ナリト思ヒ、因テ其人民ヲ『インヂヤン』ト名ツケタリ」

この最後に出て来る、

「インジヤン」

というのを見て「あっ!」と思ったのです。

「じゃんけんの意味の『いんじゃん』は、この『インヂヤン』、つまり『インディアン』のことではないか?理由は『インディアン、うそつかない』から『じゃんけんをするにあたって、ウソのない真剣勝負をする』という『誓いの言葉』なのではないか?」

と思いついたのです。

この説ってどうでしょうか?あまり見かけたことはないのですが。

(2015、1、20)

2015年1月20日 21:43 | コメント (0)

新・読書日記 2015_003

『会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから』(大西康之、日経BP社:2014、5、20第1刷・2014、6、24第4刷)

 

三洋電機が消えた。なぜ?どのようにして?

松下電器から分かれて、独自のスタンスで創業家・井植家のもと2兆円企業となったが・・・。

三洋を巡ってメインバンク住友銀行と、松下電器(現・パナソニック)はどう考え、どう動いたか?井植に招かれて会長となったジャーナリストの野中ともよは、どう闘ったか?

一連の動きをまとめた後、三洋電機を辞めたり、辞めさせたりした人々のその後の様子を追っている。

私の友人にも三洋電機の社員だった人がいる。会社を辞めて、東京に出て頑張っている。そういった出来事の背景や、それらは、日本をとりまく世界の動きの中の一つであるということも、この本を読んでよく分かった。

「三洋」の中で一番価値を認められていたのは「電池」であった。それも「ハイブリッド車」に載せる「リチウム電池」。これは非常に扱いや配合などが難しいらしく、三洋はトヨタをはじめとした自動車会社に電池を納めていた。それをパナが狙う。というか三洋がつぶれてその電池を狙った韓国の会社に乗っ取られたりしたら、話は三洋のみではとどまらずに、トヨタにまで及んでくる。絶対に外国の企業に三洋の電池技術を持って行かれてはならない・・・いろんな絡みがあるのですね。

しかし三洋を呑み込んだパナソニックは、最初「三洋ブランドは残す」と言っていたのに、次第にその約束を反故にしていく。そもそも、創業家の「松下」という名前でさえ消して「パナソニック」にしたのだから、「三洋」を残すわけがないということである。「創氏改名」的な"無念"の思いが、「元・三洋」の人たちにはあったのではないか。合併とか吸収とか併合とかという動きは、想像以上に難しいのだなということも感じられた。


star4

(2015、1、7読了)

2015年1月20日 20:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5646「大学ぶり」

 

やはり、本来は「○○以来」と言うべきところで「○○ぶり」という傾向が強まっているようで、また耳にしました。

1月19日の日本テレビ『ZIP!』で放送されたのは、犬と一緒に全国を回っている「ヒロアキ」という男性が長野県・軽井沢にやって来て、そこの教会で日曜日に「ゴスペルを歌っている」ということで一緒に歌わせてもらったというVTRでした。なかなか上手だったのですが、歌った後に、

 

「"大学ぶり"のゴスペルでしたが・・・。」

 

と言っていました。これは、やはり本来ならば、

 

「"大学以来"のゴスペルでしたが・・・。」

 

と言うべきところでしょう。

過去に書いた「○○ぶり」は、

「平成ことば事情2722 いつぶりですか」

「平成ことば事情5041どれくらいぶり」

「平成ことば事情5551小学生ぶり」

「平成ことば事情5592いつぶり」

「平成ことば事情5614正月ぶり」

です。こちらもお読みください。

(2015、1、19)

2015年1月20日 16:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5645「チャレンジする」

 

2015年1月5日放送の日本テレビ『しゃべくり007』で、ゲストの女優・広瀬すずさん(16歳)が、「今、はまっていること」を聞かれて、

「コンビニの生ハムを食べること」

を挙げました。スタジオに、実際に「コンビニの生ハム」が用意されたのですが、その際、お笑いコンビの「くりぃむしちゅー」有田哲平さんが、

「俺もチャレンジしていい?」

と聞きました。それに対して、相方で司会の上田晋也さんが、

「何のすごさもねーよ!!」

と反応を返しました。これは、「生ハムを食べる」という、

「誰でもできること」「全く困難さを伴わないこと」

に対して、有田さんが、

「チャレンンジ」

という言葉を敢えて使ったことに対して「ツッコミ」を入れたわけですが、これは昨今、アナウンサーやタレントが、大したことでもないことをする際に、

「チャレンジします」「チャレンジしてみたいと思います」

などと簡単に口にすることへの"痛烈な批判"だなあと思って見ておりました。

同義語・類語には、

「挑戦する」「トライする」

もあります。

(2015、1、16)

2015年1月20日 11:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5644「イチカゲツぶり」

 

1月16日のお昼のテレビ朝日のニュースで、東京証券取引所から中継でリポートをしていた女性記者が、

「1か月ぶり」

のことを、

「イチカゲツブリ」

と言うのを耳にしました。

「ついに来たか!」

と思いました。去年9月に、「平成ことば事情5560 ジューイチカゲツ」を書きましたが、その時点では、

「『11か月』を『ジューイチカゲツ』とは言っても、『1か月』を『イチカゲツ』とは、当分言わないだろう」

と思っていたのですが、年が明けたら、いきなり来ましたね。

今、調べてみたら、2007年5月にも、同じようなことを、「平成ことば事情2863ジューイチカイ」に書いていました。さらにその「1か月(イッカゲツ)前」にも、まさに「ジューイチカゲツ」について書いていました。「平成ことば事情2843ジューイチか月」です。

もう、それから7~8年経っていますから、「1か月」を「イチカゲツ」と読む人が出て来たのかもしれません・・・。

(2015、1、16)

2015年1月19日 21:18 | コメント (0)

新・ことば事情

5643「輻輳」

 

皆さんは、

「輻輳」

という言葉、読めますか?

「ふくそう」

と読みます。読めるけど書けないという人が多いのではないでしょうか?私もその一人です。

先日、京阪電車に乗っていたら、車内放送でこの言葉が出て来てびっくりしました。

人身事故があってダイヤが乱れていて、ほんの1駅進むのにノロノロ走ったり止まったりの状態でした。その際の車内放送で、

「この先、電車がフクソウしております。しばらくお待ちください。」

というアナウンスが。この「フクソウ」が「輻輳」と分かった人は、どのくらいいるのかなあ。

最近は、「ケータイ電話」などの「電波」で「輻輳」という言葉を聞くことはありますが、「電車」も「輻輳」するんですねえ。

(2015、1、19)

2015年1月19日 18:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5642「天然エビ100パーセント」

「カニ」の次は「エビ」です。

コマーシャルを見ていたら、こんな言葉に目が留まりました。

「天然エビ100パーセント」

???そうすると何かい、「『天然』でないエビ」ってぇのがあるってこと?それは、

「人工エビ」

があるってこと?という疑問が。しかし、すぐにその疑問は解消されました。

「『天然』でないエビ」というのは、

「養殖エビ」

のことを指しているのですね。つまり、

「天然エビ=養殖エビではない」

ということなのか。気付いてみれば不思議ではないんですが、なんかそのときは、「天然エビ100%」に違和感があったのでした。

 

(追記)

その後もこの問題を考えていて、ふと思いつきました。

「もしかしたら、『カニが入っていないカニカマ』のように、『エビを使っていないエビ料理』もあるのではないか?」

もしそうだとしたら、

「天然エビ100%」

という表示には意味がありますね。それともう一つ、

「エビ50%と、つなぎの魚のすり身50%」

のようなケースもあるのかも。そういえば、ハンバーガーでも、

「100%牛肉」

をうたうものもあるということは、

「つなぎに『牛肉以外の物』を結構使っている」

ケースもあるでしょうからね。「天然エビ100%」を「ウリ」にするということは、

「その業界では『100%でないもの』が結構ある」

ということを示しているのではないでしょうか?

(2015、1、19)

 

(2015、1、15)

2015年1月17日 14:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5641「わけありのカニ」

<2008年12月19日に書きかけたもので、当時の番号は「平成ことば事情3570」>

 

冬になると、新聞の「カラフルな広告」に目が行きます。

2008年12月の朝日新聞と毎日新聞には、「プライムショッピング」という名前で、読売新聞は「優生活」、産経新聞は「快適生活」という名前の紙面があって、そこで、冬の味覚「カニ」の宣伝をしていました。その中の

「わけあり ボイルずわいがに」

に目が行きました。

「『わけあり』だから限定格安」

とあるのですが、この「わけあり」の「わけ」とは、一体どんなことなんでしょうか??

いやね、奥さん聞いてくださいよ、コイツも随分苦労していてね、最初のヨメさんには逃げられて、小さい子どもを"5匹"も抱えて苦労して、職も転々としながらね、なんとかここまでやって来たんですよ。ここはひとつ助けると思って、買ってやってくれませんかねえ・・安くしとくよ。みたいな話でないことは、確かです。

もう少し、広告をよ良く読んでみると「わけ」がわかりました!

「少しだけ脚折れの混じったスペシャル限定企画」

「肩付き脚の身5キロ10000円」

少しだけ「脚折れ」が混じってるのか。食べる時には、関係ないと言えば関係ないな。「そば」で「少しだけちぎれた短いそば」が混じっているようなものかな?違いますか、そうですか。「肩付き脚の身5キロ」が1万円。うーん、安いのかな?どうなんでしょうか?「カニ好き」の方には安いのかもしれません。

(「カニの脚」の付け根は「肩」なんだ!という発見に関しては、当時書いたはずです。検索したら2011年1月に「平成ことば事情4257肩付き脚肉」で書いていました。)

まあ、この広告を見てから6年が経ちますが、「そんなわけで」、やはり12月~1月になると、新聞のカラーの広告に目が行きますねえ...買ったことは、ないんですけどね。

(2015、1、15)

2015年1月16日 21:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5640「へのこ、ペニンシュラ」

沖縄の米軍基地問題で出て来る地名の、

「辺野古」

ですが、いつも思うのは、

「おのこ()の『へのこ』との関係はないのか?」

ということです。何となく関係ありそうでしょ?あ、「へのこ」とは、『広辞苑』によると、

「へのこ【陰核】①陰嚢中の核。睾丸。②陰茎」

のことですね。

たぶん「端っこ」という意味から来ているのではないかなと思うのですが。

その意味では、

「半島」

の英語である、

peninsula

と、「男性器」を指す

penis

の語源は同じですよね。「突き出ている」という意味だったと思います。端っこから突き出た。

また、「お坊さんの隠語」で男性器を指す、

「魔羅(マラ)」

の元は「梵語(サンスクリット語)」で、その意味は『広辞苑』によると、

「仏道の修業を妨げ、人の心を惑わすもの。仏伝では、釈尊の成道(じょうどう)を妨げようとした魔王の名。魔。」

妨げとなるもの!なるほど!!

(2015、1、15)

2015年1月16日 12:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5639「くんずられた遊び、オッコッケイ」

 

2014年12月3日の日本テレビ『笑ってコラえて!』を見ていたら、過去の「おもしろビデオ」を放送していました。

その中で、東北のおじいちゃんが話すのを聞くと、やっぱり「方言の訛り方」が面白いんですね。「我々の耳に聞こえる音」と「ご本人が話している音」が、全然違うのですが、話している御当人は、

「同じ音」

だと感じている様子が、とってもおかしかったのです。(バカにしているとかいう意味ではありませんので、お間違いなきよう)

たとえば、

くんずられた遊び」(秋田)

というのは、標準語で書くと、

禁じられたら遊び」

ですし、

オッコッケイ、シャ」(宮城)

と聞こえるように話してらっしゃるのは、明らかに、

コッケイ(烏骨鶏)、シャ

でした。ディレクターが、

「『ウコッケイ』ですよね?」

と問い返すと、

「うんにゃ、オッコッケイ」

と返してくる様子が、ただそれだけで面白かったです。人間の笑いって、本当に些細な所にあるんだなあと感じました。

それと、東北と東京(標準語地域)では、

「母音の音が違うのではないか」

という気持ちが強くなりました。

(2015、1、14)

2015年1月15日 22:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5638「『輸送』のアクセント」

 

1月14日のNHK「クローズアップ現代」では、いま、物流の要である「トラック」が、運転手の高齢化などで人手不足に陥っているという話を特集していました。

そこでスタジオに出て来た専門家の研究員の男性が、

「輸送」

のことを、

「ユ\ソー」

「頭高アクセント」で話しているのが耳に止まりました。

普通は、「平板アクセント」で、

「ユ/ソー」

ですよね。もし、これがアナウンサーならば、そう読まなくてはなりません。

しかし、これもやはり一種の

「専門家アクセント」

で、「頭高アクセント」になっているのではないかなと思います。

詳しくは、「平成ことば事情2049 防犯・判決・支援のアクセント」をお読みください。

(2015、1、14)

2015年1月15日 20:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5637「カーンぶり」

 

お正月(2015年1月2日)に見ていたテレビ朝日の番組で、「とんねるず」の木梨憲武さんが、2014ブラジルワールドカップの得点王で、コロンビア代表の、

「ハメス・ロドリゲス選手」

と「PK対決」をしていました。その際に木梨さんは、

「この番組でPK蹴るのは"カーンぶり"ですからね」

と言っていました。この、

「カーンぶり」

という言葉は、以前、当時のドイツ代表のゴールキーパーの、

「オリバー・カーン選手」

と「PK対決」をしたときのことを指していますが、

「そのとき以来」

という意味ですね。この「ぶり」の使い方は、最近の若者言葉だと思います。木梨さん、さすがに若い言葉の表現を、いち早く取り入れているのだなあと思いました。ただ字幕は、

「カーン以来」

と、「従来の表現」で出ていました。「カーンぶり」では通じない恐れがあることを、番組のプロデューサーは感じたのかもしれませんね。

ちなみにこの「ぶり」については、去年もいくつか書きました。(それ以前にも、ここ数年、書いています)こちらもお読みください。

「平成ことば事情5551小学生ぶり」

「平成ことば事情5592いつぶり」

「平成ことば事情5041どれくらいぶり」

「平成ことば事情3083先週ぶり」

「平成ことば事情2722いつぶりですか」

(2015、1、14)

2015年1月15日 18:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5636「生絹」

 

クレジットカードの会員誌『AGORA』の201512月号を読んでいたら、吉岡幸雄さんという人のコラム「男たちの色彩」で「生糸」のことについて書かれていました。

そこに、

「生絹」

という言葉が出て来たのですが、この言葉には、

「すずし」

とルビを振られていました。初めて見た言葉です。

「なまぎぬ」

ではないのですね!『広辞苑』を引いてみたら、載っていました。

「すずし【生絹】」=生糸(きいと)の織物で、練っていないもの。軽く薄くて紗(しゃ)に似る。⇔「練絹(ねりぎぬ)

とありました。1603年に編まれた『日葡辞書』には、

「ススシ」

と濁らずに載っているようです。反対語として記されている「練絹」も引いてみましょう。

「ねりぎぬ【練絹】」=(古くは「ねりきぬ」か)生織物を精錬して柔軟性と光沢を持たせた絹布。

 

「生絹」は、『三省堂国語辞典』には載っていませんでしたが、『新明解国語辞典』には載っていました。

思うに、軽工業である「繊維関連」の言葉は、明治から戦前までは日本を代表する産業であったために、それに伴う言葉は漢字もよく使われ、目にする機会も多かったのでしょう。しかし、戦後の重工業中心の高度経済成長下では、次第に接する機会が減って来たということが、辞書の採用語からもうかがえます。生きの良い言葉を採用することで知られる『三省堂国語辞典』は、限られた紙面でそれを達成するために、古い言葉は落としている(不採用にする)面があるのでしょう。

ちなみに、2010年の常用漢字の改定で、それまでの常用漢字から外れた「5つ」の漢字は、

「勺」「銑」「錘」「脹」「匁」

です。このうち「錘」は、

「紡錘」

で使われる漢字ですが、意味は、

「紡錘」=糸を紡ぐ機械の部品。

ですから「繊維関連」の言葉ですね。

また、「銑」「銑鉄」、つまり「製鉄関連」の言葉ですね。「脹」「膨脹」ですから、「製鉄」に関係あると言ってもいいでしょう。

残りの「勺」と「匁」「尺貫法」の「基準単位」ですね。

かつては生活に密着していた言葉が、静かに表舞台から引退して行っているような気がしました。

(2015、1、14)

2015年1月15日 16:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5635「『あてがふ』の読み方」

 

平成27年の「歌会始の儀」が、1月14日に皇居で行われました。

今年の「お題」は「本」。天皇陛下のことしのお歌は、次のようなものでした。

 

「夕やみの  せまる田に入(い)り 稔(みの)りたる

  稲の根本に 鎌をあてがふ」

 

この、

「あてがふ」

をどう読むか?悩みました。

「あてがう」

でしょうか?それとも「ウ音便」で、

「あてごう」

でしょうか?さあ、どっち?私は、

「あてごう」

「ウ音便」で読んだほうが、雰囲気が出るのかなという気がしました。

結局、NHKのお昼のニュースで、「読み人の読み」をそのまま放送していたのを見たら、

「あてがう」

と読んでいました。

(2015、1、14)

2015年1月15日 14:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5634「開腹手術」

群馬大学病院で肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者8人が死亡したというニュース、1月13日のNHKのお昼ニュースを見ていたら、こういうふうに原稿を読んでいました。

「腹部を開いて行う"開腹手術"」

これはおそらく、単に、

「開腹(カイフク)手術」

という言い方をすると、「同音異義語」の、

「回復」「快復」

と紛らわしいからではないでしょうか。だから、

「『カイフク』とは『腹部を開いて行う手術」である』

ると(少し回りくどいですが)説明を付けたのでしょう。

原稿が最初からそうなっていたのか、アナウンサーがそのように手を入れたのかはわかりませんが、これは丁寧な作業だなあと思いました。

専門用語だからと言って、書かれた文字で同音語が多い言葉をそのまま使うと、誤解を生じやすい、ということをよく分かっているなと思いました。

(2015、1、14)

2015年1月15日 12:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5633「hostage」

 

フランスの新聞社襲撃テロと、それに続くスーパー立てこもり事件のニュースをネットの英語版で見ていたら、知らない(私にとっては見慣れない)単語が出て来ました。

hostage

辞書を引いてみると、

「人質」

と載っていました。あまり教科書では出て来ない単語ですね。でも、意外と身近にニュースの英語としては出て来ますね。しかもよく考えたら、

host」=ホスト

と同じですよね、きっと語源は!

そのほか、知らなかった単語には、

standoff」= にらみ合い

barricaded」=立てこもり

という単語も。「スタンドオフ」ってラグビーのポジションの名前だと思ってたけど、たしかに「スクラムを組んだ状態」では、相手と「にらみ合い」になるなあ。そこから来ていたのか。

また「バリケード」は、既に「日本語の外来語」になっているけど、そのまま「立てこもり」の意味なんですね。これはわかりやすいです。

もしかしたら、ですが、ことしの大学入試に出て来る単語かもよ!

(その昔、大学入試の英作文で「volcano」という単語を知らずに、「火山」を「fire mountain」と書いた男より)

 

(2015、1、14)

2015年1月15日 10:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5632「局部・性器・下腹部などの表現」

 

2015年1月13日の「ミヤネ屋」で、ASKA元被告の愛人で、覚せい剤取締法違反容疑で裁判を受けている栩内(とちない)香澄美被告への判決が出ました。「懲役2年執行・猶予3年」というものでした。この裁判を取り上げた際に、栩内被告側の主張として、

「ASKA元被告によって、覚醒剤を『性器』から摂取させられた」

というものがありました。この、

「性器」

というのが、あまりにもダイレクトで「下品」に感じられて(まあ、この裁判の内容自体、決して「上品」ではないのですが)、何か「言い換え」は出来ないものか?と思い、先輩等にも相談したところ、

「局部」

という表現にすることになりました。

実はこういった表現に関して、以前、新聞用語懇談会放送分科会で話し合ったことがあるような気がして過去の記録を調べてみたところ、似たような事例がいくつか出て来ました。

 

<2004年4月>

【ytv】大阪府和泉市で生後4か月の息子の「こう丸」を切除した母親の事件で、「乳児の被害部位」の表現が新聞は、ほぼすべて「下腹部」だった。読売テレビは「生殖器の一部」「こう丸」を、ABCは「こう丸」を使った。他社は?

→(KTV)=長崎の事件を参考にして、「下腹部」という表現を使った。今回、逮捕された母親の映像(名前)を出したのはKTVとABC、出さなかったのはytvとMBS。映像を出すことと、乳児の被害部位の名称を婉曲表現することはリンクして考えられたのではないか。

(ytv)=性的虐待とつながるのでは、ということで「こう丸」という表現を出した。ただし母親の顔出し(名前も)はない。

(NHK)=被害者(乳児)の人権を考えたことと、加害者(母親)の精神状態が正常かどうかについて、事件当時、疑問符がついたこともあって表現をボカしたのではないかと思う。

 

<2006年6月>

【共同通信】「下半身露出の巡査部長を逮捕・警視庁が公然わいせつ容疑で」

 というニュースの見出しがあったが、 露骨な感じがする。何か他にいい表現方法はないのか、ご検討を。

→「下半身露出」と漢字ばかりで熟語っぽくしないようにするために「下半身を露出した」と、話し言葉ふうにするか「下半身にも何も付けない」のような表現になるだろう。ただ「見出し」的に「下半身露出男」というような使い方をしてしまう時があり、それをそのまま読んでしまうことはある。気をつけたい。

 

<2011年2月>

【ytv】押尾学の裁判で、検察の文章の中に「セックス」という言葉が頻発したが、それをそのまま放送するのはいかがなものか?いわゆる「発表もの」であるが、視聴者のことを考えて「性行為」「性交渉」のように言い換えるべきか?

→(TBS)「セックス」については、視聴者モニターから「『セックス』という言葉が多すぎる」という指摘があった。これに関しては「放送が夜の時間帯だったので、そのまま放送した。夕方のニュースで出た方が問題であった」と。

(ABC)「セックス」という言葉については「時間帯を考えて・・・」「あえて出した」などいろいろ意見はあるようだが・・・。

(日本テレビ)視聴者から「子供も見るのでこういう言葉ははずしてほしい」と。かといってこの言葉を出さないわけにもいかないので、できるだけ出す回数を少なくした。

(フジテレビ)社会部に聞くと「セックス」は使わなかった(この言葉を含む部分を使わなかった)。

(テレビ朝日)お昼のニュースの中継で女性記者が「セックス」という言葉を連発したのでさすがに局内でも問題になり、その後「性交渉」と言い換えることに。

 

<2013年2月>

【共同通信】「レディー・ガガを撮影した写真家逮捕」のニュースで、 新聞各紙には、

「男性器が写った写真集を展示会で販売」

などと書かれていますが、この「男性器」という文言をどのように伝えたのでしょうか。教えてください。

→ほとんどの社は「男性器」または「局部」を使用。NHKは「男性の性器」「男性の裸」。テレビ朝日と朝日放送は「男性の局部」。フジテレビは、逮捕時は「局部」、その後「男性器」。

 

というようなことでした。

この<2013年2月>の例が、今回は参考になりますかね。

(2015、1、13)

2015年1月14日 23:57 | コメント (0)

新・ことば事情

5631「次男か二男か2」

 

「平成ことば事情864 次男か二男か」で書いた続報です。これを書いたのは、

「2002年10月」

でしたが、その後の動きです。

「2008年9月」

に開かれた「新聞用語懇談会放送分科会」で、私のほうから、こんな質問を出しました。

『「次男」か「二男」か?』

というのは、それまでマスコミでは

「二男」

という表記が多かったのですが、その頃から

「次男」

という表記が増えて来ているように感じたからです。前年に発行された『新聞用語集2007年版』でも、

「次男」

という表記が採用されていました。そこで、

『『新聞用語集』では「次男」だが、テレビ朝日は「二男」。従来「二男」表記だった媒体で「次男」表記に変更された理由の決め手は? (新聞用語ルールでは一般用語が次男、戸籍などは二男としている)

と質問したのです。これに対して、日本新聞協会の金武伸弥氏(当時)は、

『「二」に「ジ」という読み方が「常用漢字表」にないので、「次男」と変更した。』

と答え、また、放送各社は、

(NHK)NHKはずっと前から「次男」。

(日本テレビ)戸籍にあわせて「二男」。

(TBS)「二男」。先日、明治の戸籍を見る機会があったが「弐男」だった。

(共同通信)「二男」やってきたが、20082月に「次男」「次女」に変更した。『新聞用語集2007年版』の影響で、新聞各社も「次男」「次女」になった。

(フジテレビ)20087月からFNNは「二男」→「次男」に変更した。

(MBS)「次男」に「差別的意味合いだ(「次の男」という意味で)」という議論はあったのか?

(NHK)その議論を受け入れると「長男」→「一男」にしなくてはならないので。「次男」に苦情はない。

(新聞協会・金武氏)そういった話が「新聞用語集」改訂の際に、ちょっと出た。

(NHK)「続柄(つづきがら)」に関しては「けしからん!」という声はある。

というような議論がされました。この時点で「二男」を使っていたのは、

「日本テレビ・TBS」

のようでしたが、それからさらに5年が経過した、

「2013年9月」

の放送分科会で、また私から次のように質問しました。というのは、この時点ではすでに「日本テレビ系列」を除くと「二男」表記を余り見かけなくなっていたからです。他社はどのようにしているのかを、確認したかったのです

『「じなん」の表記は「次男」でしょうか?それとも「二男」でしょうか?新聞社は、現在「読売・朝日・毎日・産経・日経」とも「次男」のようです。』

これに対して、読売新聞の用語幹事・関根氏は、

『新聞は1996年版の『新聞用語集』では「二男」が多く「次男」は少なかったが、『2007年版』で「次男」に統一した。読売が最後まで「二男」だった。その中で例外は「次男坊」だけ。なぜ「二男」かと言うと「戸籍法」がそうだったからと言われていたが、調べてみると「戸籍法」に「二男」の表記はなく、「戸籍法の施行規則」の中の「続柄」に「二男」があるのみだった。常用漢字の読みでは「二男」を「じなん」とは読めない。』

という答えを下さいました。放送各社は、

(TBS)2012年10月から「二男」をやめて「次男」の表記に変更した。

(NHK)昔から「次男」表記。

(テレビ朝日・フジテレビ・テレビ東京ほか各社)「次男」

ということで、この時点で「二男」を使っているのは

「日本テレビ(系列)のみ」

ということになって、現在に至る、という状況です。

この話を、同じく用語委員のHアナウンサーにしたところ、

「ふーむ、それは『三男』『四男』がほとんど見られなくなったことと、『次男』という名前の人が減ったから、続柄の『次男』にも抵抗がなくなったんじゃないですかね?」

という意見をくれました。

「2015年1月現在」、日本テレビ系列は、まだ「二男」表記です。いつまで「二男」を使うのかなあ。

(2015、1、13)

2015年1月14日 20:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5630「子ども向けの歌が流行る理由は・・・」

 

去年(2014年)流行った(らしい)ものに、

 

「妖怪ウオッチ」

 

というアニメがあります。(他局ですが。)踊り(振付)付きの歌も流行ったみたいですね。

なんでこんな子ども向けの曲が、大人も巻き込んで世の中全体で流行ったんだろう?と思った時に、

「過去にも、子ども向けの曲が流行したことがあったな」

と思い出しました。一番印象深いのは、

「おどるポンポコリン」

ですね。「BBクイーンズ」。ボーカルの女性・坪倉唯子さんは、高校の1年後輩です!と、とても誇りに思ったのを思い出しました。これが「1990年」。「湾岸戦争」が始まった年です。(地上戦は1991年1月17日)。この曲は「ちびまる子ちゃん」の主題歌ですよね。(他局ですが。)そういえば、去年は「E-girls」がこの曲をカバーして、「ちびまる子ちゃん」の主題歌として歌っているのを耳にしたことがあります。

少し前だと、

「マル・マル・モリ・モリ」

がありましたね。(他局ですが。)これは「東日本大震災」直後の「2011年(4月)」です。その前は、宮崎駿監督のアニメ映画の主題歌、

「崖の上のポニョ」

もありましたね。私は「腹の上にポニョ」、贅肉がありますが。あれが「2008年」

もっと、さかのぼってみましょうか。過去最大のヒット曲とも言われる

「およげ!たいやきくん」

「1975年」。そのあと少し流行った、

「山口さんちのツトム君」

が翌年「1976年」でした。

もっとさかのぼると、

「黒ネコのタンゴ」

があります。皆川おさむ君の歌で「1969年」の曲です。B面は小さな女の子の歌う、

「ニッキ・ニャッキ・ムッキ・ムッキ」

という呪文の曲だったなあ。え、知らない?そうでしょうねえ。

 

こういった「子ども歌う曲」が大人にも流行る「時代背景」には、何があるのか?

それぞれの曲が「はやった年」について古い順に思い起こしてみると、

         【出来事】    【首相】   【米大統領】

「1969年」 アポロ11号月面着陸 佐藤栄作 (民)ジョンソン

        70年安保          (共)ニクソン

「1975年」 ベトナム戦争終結 三木武夫 (共)フォード

        沖縄海洋博    →福田赴夫(12月24日就任)

日本赤軍クアラルンプール大使館占拠

「1976年」 周恩来・毛沢東死去  福田赴夫 (共)フォード

        ロッキード事件

「1990年」 (前年=ベルリンの壁崩壊) 海部俊樹(共)ブッシュ

湾岸戦争

「2008年」リ-マン・ショック 福田康夫・麻生太郎

                                         (共)ブッシュJr.

「2011年」 東日本大震災    菅直人     (民)オバマ

「2014年」 消費税率8%    安倍晋三    (民)オバマ

 

思うに、

「大人の言葉では言えない鬱憤・不満を、子どもの口を借りて言わせているのではないか?」

不況?閉塞感?そんなものがあるのではないかなと推測しました。

この話を、読売テレビの高岡解説委員にぶつけてみたら、

 

「『不況』というだけが要因ではないですね。というのは、『1990年から2008年』までの間って、子どもの歌が抜けてるじゃないですか。この間は正に『バブル崩壊』後の『失われた20年』でしょ。ずっと不況ですよ。それよりやはり『閉塞感』、これね。」

 

「そうか、たしかに。あ、それと『消費税』増税はどうだろうか?1989年に消費税(3%)が導入されて、1997年に『5%』に上がり、そして2014年に『8%』になったけど。」

 

「消費税が5%に上がった1997年のところでは、何もないなあ・・・」

 

あ、あった!

 

「だんご3兄弟」

 

というのも、流行りましたね。あれは調べると「1999年」です。時代背景は、

 

「1999年」不審船、国内初臨界事故 小渕恵三(民)クリントン

 

でした。やはり、

 

「閉塞感」「社旗への不満・やるせなさ」

 

というものが「子どもの歌に向かう」という見方は、ちょっと当たっているのではないかなという気がしました。

(2015、1、13)

2015年1月14日 18:46 | コメント (0)

新・ことば事情

5629「NO WAR」

アーティスト・奈良美智さんのドローイング集『NO WAR!』の、2行に書かれたロゴを見ていて、ふと思いました。

 

NO 

WAR

 

これって、2行の間を折り返して、反対側から見ると、

 

「ON WAR」

 

になるのではないか?実際に、自分で書いてやってみました。

nowar01.jpg

これを折り返して反対側から見ると・・・・・↓

nowar02.jpg

 

うーむ、「NO」は、容易に「ON」になるんだなあ・・・というか、「同じ物」を見ていても、見るサイドが変わると、全く違う意味に見えるということなんですね。


(2015、1、9)

2015年1月14日 15:57 | コメント (0)

新・読書日記 2015_002

『33年後のなんとなく、クリスタル』(田中康夫、河出書房新社:2014、11、30第1刷・2014、12、29第3刷)

 

1981年にベストセラーとなった「なんとなく、クリスタル」。当時読んだなあ。でも、ブランドの名前とかも全然わからず、「ケッ!」って思ったっけ。それから時が流れに流れて、「33年」!もう21世紀になっちゃったけど、現在の「なんクリ」を書いた。

33年前は、一橋大学の学生だった若者はその後、作家となり国会議員や長野県知事にもなった。そうして、当時付き合っていた「彼女」たち(もう50代のおばさんだ。著者も「還暦」が近い)と偶然、再会する。

この本の表紙の色は、薄いブルー。イメージするのは「ティファニー」に包み紙の色。タイトルの文字は「シルバー」で書かれているし、絶対「ティファニー」をイメージしてるね。「ティファニーで朝食を」のイメージで、33年経って再会した、「33年前の彼女たち=青春」への「オマージュ」なのではないか?

昔のように過剰な「解説=注意書き」には、政治家・田中康夫としてやってきたことや本音、小さな文字で記されている。しかし、それらを読まなくても、ワインの傾向とかも、内容が大体わかるようになったのは、33年という時の流れか。

最後に主人公は、美容室で頭を洗ってもらっていると過去のことを思い出すが、実はこの33年という時間の流れ=「半生」は、全部「夢」だったんじゃないか・・・そんな"夢オチ"を連想させるような終わり方でした。


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(2015、1、8読了)

2015年1月12日 19:46 | コメント (0)

新・読書日記 2015_001

『脱限界集落株式会社』(黒野伸一、小学館:2014、12、1)

 

去年9月に読んで、「2014読書日記135」に感想を書いた『限界集落株式会社』(黒野伸一、小学館文庫)の続編。『限界集落株式会社』の単行本は2011年11月に出ている。つまり4年前。その続編が、もう出ちゃったわけだ。しかも、某NHKでドラマ化されるらしい。へえー、前の本も面白かったもんねと思って、この新著の単行本を購入。

ほんの3~4か月前に前の本を読んだのに、なかなか登場人物のイメージを思い出せず、100ページ近く読み進んでから、ようやく前に読んだ本の世界と一致して来た。

雰囲気としては、三浦しをんの『神去(かむさり)なあなあ日常』(徳間文庫:「2012読書日記214」で書きました)と似ている。

おそらく、実際の世の中にこういった「限界集落」が増えて来て、それをせめて小説の上では何とかしようという動きなのかな?と感じた。面白いですよ。


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(2015、1、5読了)

2015年1月12日 10:45 | コメント (0)

新・読書日記 2014_190

『この世に命を授かりもうして』(酒井雄哉、幻冬舎ルネッサンス新書:2013、10、30第1刷・2014、3、15第7刷)

 

酒井雄哉師は、比叡山延暦寺に伝わる天台宗独特の荒行で、4年間かけて7万キロを歩く難行「千日回峰行」を、生涯に「二度」満行した。2013年9月23日に87歳で他界されたが、その直前の2013年9月上旬に、2度にわたって行われたインタビューをまとめたもの。先日亡くなった俳優の高倉健さんも、酒井師の言葉に聞き入ったことがあるという。味わい深い言葉の中から、いくつかピックアップ。

「悪いこともいいことも、みんな自然の中にある」

「ガンよ、死ぬときは一緒に死にましょう」

「命は『無始無終』」

「人生はなるようにしかならない」

「生き延びてるのには『生き残されている』理由がある」

「自分でも気づかぬところに『因縁』がある」

「人は何歳からでも生まれ変われる」

「めぐり合わせが『ご縁』なんだよ」

「縁を『結ぶ』かどうかはその人次第」

「苦しいことの中に『楽』を見出す」

「ひとりの時間、自分の視点を持つ」

「別れは必ず訪れる」

「命の長さよりもどう生きたかが大事」

「生きてることを楽しみなさい」

というように「目次」の言葉を並べたら、なんだか、

『あいだみつを』

みたいになっちゃったなあ。人間だもの。

「千日回峰行」を二度も成し遂げた酒井師によると、「『峰』と『峯』の違い」は、

*「峰」=わりとなだらかな山々が連なっている

*「峯」=峰の上にまだ高くて険しい山がある

という違いがあると考えていると。「比叡山」は「峰」だが、吉野の「大峯山」は「峯」だという。木曽の「御嶽山」も。だから「回峰」と「回峯」があるんだそうです。

勉強になりました!      

※「2014年」は、久々に「年間200冊」は読めず、「190冊」どまりでした。


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(2014、12、18読了)

2015年1月11日 12:43 | コメント (0)

新・読書日記 2014_189

『新・戦争論~僕らのインテリジェンスの磨き方』(池上彰・佐藤優、文春新書:2014、11.20)

現在まさに脂が乗っている"知の巨人"佐藤優と、誰よりもわかりやすく世の中の問題を説き聞かせる"「そうだったのか!」おじさん"池上彰の2人の対談。この本を読めば、日本にいながらにして世界の動きの意味を読み解いていくことができる。

危険に満ちた地球、国際問題。これは「民族と宗教の問題」を理解するところから始まる。これが横糸。そして「縦糸=歴史」を知ることも重要だ。

そして、日本人にとってなかなか理解できない、イスラムの世界=「イスラム国」とは、一体何なのか?これが世界に与える影響は?さらに、身近でありながら、やはりわかりにくい「朝鮮半島」の問題。また、中国から尖閣を守るには?アメリカとは、今後どう付き合っていくのか???

増え続ける「?」を解いていってくれる(ような)気になる。

佐藤の言う「新・帝国の時代」には「戦争論」が必要だと。それは「戦争をする」ためではなく、「戦争をしないため」なのである。


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(2014、12、10読了)

2015年1月10日 14:37 | コメント (0)

新・読書日記 2014_188

『父と子の大闘病日記』(神足裕司+神足祐太郎、扶桑社:2014、9、20)

 

「ミヤネ屋」のコメンテーターとしてお世話になっていた「こーたりん」こと「神足(こうたり)裕司」さん。50代の若さで病に倒れて、再起不能か?とも見られていた時期もあったが、家族の懸命な介護や、本人の努力で回復しつつある。

ちょうど1年ほど前の2013年末に、復活の著書『一度、死んでみましたが』(集英社=2013読書日記224)を出した。それを読んだ時は「良かったあ!」と思ったが、今度は、息子さんが「父親」について書いた。それを受けて神足さんも書くという「父子書簡」のような一冊になっている。働き盛りの父が倒れた後、息子は?娘は?妻は?そういったことを、当時の物理的な状況と、メンタル面などについても記されていて、

「これは、うちの息子にも読ませておいたほうが良いかな?」

と、ちょっと思いました。神足さん、頑張ってくださいね!!


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(2014、12、29読了)

2015年1月 9日 19:40 | コメント (0)

新・読書日記 2014_187

『松田聖子と中森明菜~一九八0年代の革命【増補版】』(中川右介、朝日文庫:2014、12、30)

 

著者の中川右介さんから頂きました。

うーん、世代的には、「ほぼズバリ!」だって、聖子ちゃんと同じ学年だもん!生まれ年は、私の方が1年早いけど。80年代前半、つまり大学生の時までは、全部聴いていましたね。デビューが1980年、まさに大学に入学した年だし。

この本の「前編」にあたる『山口百恵』は買ったけど、まだ読んでいなくて。読まなきゃ。

山口百恵が引退したのが「1980年10月」の武道館ライブ。まさに、そのあとの席を埋めるべく、彗星のごとく登場したのが松田聖子。しかも、その年には本当はデビューできないはずだったのに、その強い意志と歌唱力&強い運で、スターダムにのし上がっていく・・・。山口百恵は、それまでの歌謡界にいなかったタイプでスターになり、その山口百恵の後は、全く別のタイプの松田聖子が占め、さらにその2年後輩の「1982年組」の中森明菜は、松田聖子とは違った魅力でのし上がっていく・・・改めて当時を思い出しながら読めました。TBS「ザ・ベストテン」、懐かしいなあ。

そして、2014年のNHK紅白歌合戦。なんと、"全盛期"(と言っていいですよね?)から30年近く経って、「松田聖子」と「中森明菜」が共に出演したのである。(明菜は、ニューヨークからの中継だったけれどもね)。その昔、松田聖子と付き合っていた「郷ひろみ」も、その同じステージに出演していた・・・改めて時の流れを感じることが出来ました。同世代の皆さんは、ぜひお読みください!

いま、この本は、後輩の山ちゃん(山本隆弥アナウンサー)に貸しています。読んだら、ちゃんと返してよ!


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(2014、12、21読了)

2015年1月 9日 12:39 | コメント (0)

新・読書日記 2014_186

『ドミトリーともきんす』(高野文子、中央公論新社:2014、9、24)

 

物理・化学漫画。なんだか、とっても懐かしいタッチの線で描かれている。それこそ初期の手塚治虫のような。出て来る人は、「ともきんす」という「ドミトリー(学生寮)」に住んでいる。その大家さんの女性とその小さな娘と、学生の会話・交流。それが物理や哲学の勉強になっていく。だって、その「学生」は、若かりし頃の湯川秀樹や朝永振一郎、中谷宇吉郎といった世界的な偉人なんだな、これが。そういった難しい内容への導入口として「漫画」が使われているんだけど。著書も紹介しているんだけど。うーん、私はそんなに手放しで「ホオ、面白い!」とはならなかったんですね。ツイッターでとってもほめている人がいたので興味を持ったのだけど。ま、こういう世界もあるんだなと、勉強になりました。


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(2014、12、29読了)

2015年1月 9日 07:34 | コメント (0)

新・ことば事情

5628「皿を引く」

 

某日、あるお店に家族で行った時。

食べ終わったお皿を片づける時に店員さんが言った言葉が、

「お皿、引いときますね」

でした。いつもは聞き流すのですが、その時は「おや?」と思いました。普通は、

「お皿、お下げしますね」

なのではないか?と思ったのです。

「引く」と「下げる」

の「違い」、あるいは「共通点」は、どこでしょうか?

例えば、「サッカーの守備」も「引く」と「下げる」の両方がありますね。

「ラインを下げる」「下がり目」「自陣に引く」「引き気味」

など。

『精選版日本国語大辞典』で「引く」を「引く」と()、もんのすごくたくさん、意味が載っています。幅広い意味があります。この場合に当てはまりそうなのは、8番目の意味で、

「取り除いて、なくしたり減らしたりする。差し引く。また、その場から退かせる。」

が当てはまるかなと。つまり、時代劇などで、

「ものども、引けェ(退け)、ひけぇ~!!」

という「ひく」と同じような意味かなと思いました。

(2015、1、8)

2015年1月 9日 01:42 | コメント (0)

新・ことば事情

5627「変敗」

 

日本マクドナルドの製品に異物が混入していた問題で、1月8日の「ミヤネ屋」の放送準備をしていたら、

「東京都に寄せられた食品などに関する苦情」(東京都福祉保健局、H24年度)

のデータが出て来ました。それによると、苦情は全体では4867件、うち「異物混入」に関しては681件という数字が出ていました。

そういった項目の一つに、

「腐敗・変敗」

というのがありました。「腐敗」は知っていますが、

「変敗」

という言葉は、初めて見ました。「へんぱい」と言えば、

「返杯」

しか思い浮かびません。さっそく国語辞典を引いてみましたが、『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語時典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』には載っていません。

ネットの辞書の『デジタル大字泉』には載っていました。

「へん‐ぱい【変敗】」=[名](スル)食品の色や味が変わってしまって食用には適さなくなること。

まあ、大体想像していた通りですが、それだと「腐敗」でよいのではないか?とも思うわけです。それ以外で載っていないか調べてみると、「上野製薬」という製薬会社のサイトに載っていました。

「『腐敗』とは、微生物の増殖によって食べものの成分が変質し、食べられなくなる状態のことです。同じように微生物によって食べものの成分が変質する場合でも、人間にとって有用な場合には『発酵』と呼ばれます。『変敗』という言葉が使われることもあります。一般的に、たんぱく質が分解されて有害な物質を生成する場合を『腐敗』、炭水化物や脂肪が分解されて風味が悪くなり食用に適さなくなることを『変敗』と使い分けられます。」

とありました。そうだったのか、

「分解される物質」

によって使い分けられているのか!つまり、

*「腐敗」=たんぱく質が分解されて有害な物質を生成する場合

*「変敗」=炭水化物や脂肪が分解されて風味が悪くなり食用に適さなくなること

というわけですね。勉強になりました!

(2015、1、8)

2015年1月 8日 22:54 | コメント (0)

新・読書日記 2014_185

『うんこがへんないきもの』(早川いくを、KADOKAWA:2014、12、5)

 

『へんないきもの』で一世を風靡した著者の、今度はタイトル通り「『うんこ』がへんないきもの」を扱った「クソ」のような一冊。

「"クソのような"なんて、失礼じゃないか!」

と思う向きもあるかもしれないが、だって本の帯に書いてあるんだもん、

「本書の内容はクソです」

って。

という具合に遊び心満点、私は大好きな一冊です。寺西晃さんのイラストも、実にいい!

笑わずには読めない。自然は偉大で、こんなへんな生き物たちを作った神様は、本当にクソ天才!いかん、どこかの市長みたいになってきた。下品だ。

ということで、たぶんこの本は、「良識ある大人」と「女性」には受けないと思います。それ以外の方は、是非どうぞ!

(P..)いま、改めて前著『へんないきもの』の読書日記を見たら、「2004年10月」に読んでいました(本は8月に出ていました)。もう10年、経ったのか・・・・と感じ入ってしまいました。


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(2014、12、23読了)

2015年1月 8日 20:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5626「危険ドラッグ販売店」

1月8日のお昼のニュースで、危険ドラッグ販売店の経営者が逮捕されたというニュースをやっていました。その逮捕された容疑者の名前を言う時に、

「○○市の危険ドラッグ販売店 ○○○○容疑者」

という原稿を読んでいましたが、ここで少しここ疑問が。それは、

「逮捕された容疑者の男は、容疑を認めていないので、『危険ドラッグを売っていた』とは言っておらず、『合法的なハーブを売っていた』と言っている(はず)。そうすると『危険ドラッグ販売店』と言っていいのだろうか?そもそも『危険ドラッグ』の『販売店』の存在を『販売店』として認めるのは、まずいのではないか?言ってみれば、『泥棒』という『職業』を認めるのと同じではないのか?」

ということです。この場合、職業としては、

「ドラッグ販売店」「ハーブ販売店」

として、そこで、

「『危険ドラッグ』を『違法に』販売していた」

とするのが妥当ではないか?そこは、

「危険物取扱店」

のような、

「法的に危険物を取り扱うことが認められた店」

とは違うのではないか?と思ったのでした。

(2015、1、8)

2015年1月 8日 18:57 | コメント (0)

新・読書日記 2014_184

『空の走者たち』(増山実、角川春樹事務所:2014、12、8)

 

1964年東京五輪マラソン銅メダリストで、のちに自殺した「円谷幸吉」と、その故郷・福島県須賀川市を舞台に、2020年東京五輪まで、時空を超え、さらに須賀川に多いという「円谷」姓の、あの特撮監督・円谷英二に至るまで幅広く取材し、その想像の翼を広げた小説。実在の人物は登場するが、もちろんフィクション。著者は『勇者たちへの伝言』で、独自の世界を描く小説家。本業(?)は放送作家で、あの百田さんと同じ番組に携わっていた。ということで「『フィクション』と『ノンフィクション』って、一体なんだろう?」ということも、考えさせられました。

惜しむらくは、『奥の細道』の松尾芭蕉の絡みは消化不良で、要らなかったんじゃないかな?と。えらそうなこと言って、すみません。読後感、爽やかな一冊です。


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(2014、12、28読了)

2015年1月 8日 12:16 | コメント (0)

新・読書日記 2014_183

『努力する人間になってはいけない~学校と仕事とシャカイの新人論』(芦田宏直、ロゼッタストーン:2013、9、2第1刷・2014、4、25第5刷)

 

学生や新入社員など、若者を相手に行った講演の内容などを集めたもの。読みやすいが、物凄く分厚いのですよ。持ち運んで電車の中で読むのは、ためらわれるぐらい。500ページ以上あると思う。実際、電車の中で読んだら、腕がだるくなった。

標題のコピーは「え?なんで?努力する人間にならなきゃだめでしょ?」と思わせる。もうそこで、向こうの「勝ち」ですね。うまいタイトルだと思います。

要は、人間を、仕事上で「努力する・しない」「仕事ができる・できない」という2つの座標軸を基に「4つのパターン」に分類する(よくある話ですが)。

(1)努力しないが、仕事ができる。

(2)努力して、仕事ができる。

(3)努力するが、仕事ができない。

(4)努力しないで、仕事ができない。

そうすると、一番問題なのは(3)の努力するが仕事ができない、という人だと。(4)の人はほおっておいてもドロップアウトするから無視する。努力の有無にかかわらず仕事ができれば、それでよし。問題は努力してもダメな人。それが、組織としては一番問題だから、そういう人になってはいけないと。それはそうだけど・・・・そんなこと言ったら「会社」とか「社会」とか「組織」なんて成り立たないじゃない!!「なかなかできない人」を、どうやってできるようにして、うまく使うか?というのが、組織に求められることじゃないのか!?単に「勝ち組・負け組」に分けて「『負け組』になるな」というだけで「教育」と言えるのか?と、ものすごく疑問が残った、冒頭の講演内容でした。

しかし、それ以降のところでは、含蓄に富む、考えさせられる話もたくさん出て来たので、まあ、ざっと読んでみたらどうかなと思ったのでした。

 

特に面白かったのは、第9章の「ツイッター微分論」。「現在の微分は、身体と死の微分」「エクリチュール(書き言葉)は限りなくパロール(話し言葉)に近づく」のほか、「ツイッターの五つの特徴」として、

(1) ツイッターはデータベース=ストック情報ではない

(2) 単にフローではなく、<現在>を共有している

(3) 現在の共有=インプットとアウトプットとが同時に存在する

(4) 情報の受発信の先に、書き手と読者とがいつも同時に存在している

(5) この書き手とは、いつも断片化し、ストック化に抗う

とあって、なるほどと思いました。ツイッターのつぶやきは現在の共有。時間自体が意味だと。<いま>を伝えるからこそ、ツイッターは短文でならなければならないと。ツイッターは、間断なく<現在>を微分しながら、退屈と大事件とを同時に微分しながら継続している。この継続性は単調そのものだ。しかしそれが退屈に見えないのは、小さな終わりを刻み続けているから。小さな終わりであるにも関わらず、それが終わりの単調性を免れているのは、それが<現在>という時間を微分しているからであると。

うーん、難しいけど、脳みその運動にはいい本だと思いました!

 

 

 


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(2014、12、12読了)

2015年1月 8日 10:14 | コメント (0)

新・読書日記 2014_182

『「イラッとくる」の構造』(榎本博明、ベスト新書:2014、11、20)

 

著者は心理学者。著書には『「上から目線」の構造』『「俺は聞いてない!」と怒り出す人たち』など、実際に身の回りにいる"ちょっと困った人"の心理について、具体的なタイトルで解説した本が多く、私も何冊か読んだことがある。

今回も「ちょっと読んでみようかな?」と思わせる魅力的なタイトル。自分が「イラッとくる」こともありますし、周りの他人に「イラッ」と感じさせている事もあるだろうな。その構造が分かれば対応もできる!と思わせる所が上手なタイトルですね。


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(2014、11、17読了)

2015年1月 7日 18:13 | コメント (0)

新・読書日記 2014_181

『民主主義はいかにして劣化するか』(斎藤貴男、ベスト新書:2014、11、20)

「民主主義」は最高の政治形態である、と多くの人は信じ込んでいるのではないか。

そりゃ、20年前に崩壊してしまったソ連・東欧の社会主義や共産主義と比べると、自由でいいと思うのは当然かもしれないが、それは「他と比較すると良い」ということであって、「最高」ではないという意識を忘れがちである。民主主義は万能ではない。あくまで「次善」の策だ。だからこそ「多数決」のみによるのではなく、「少数意見の尊重」ということで全体のバランスを取るのである。そして民主主義は、それを支える人たちの(つまり我々国民・一人一人の)努力なくしては維持できない。どんどん劣化していくものでもある。この意識も、ついつい忘れてしまい薄れていく。日本においては、いや世界においても、かなりこの意識が薄れている国が多いのではないか?逆に、そこに危機感を持ったり、そもそも民主主義のなかった国では、「アラブの春」とか「香港のデモ」、「アメリカでの黒人射殺への抗議デモ」が起きる。「フツーに自由がある」と思い込んでいると、そういった抗議デモは起きない。(日本でも、「反原発」の国会周辺デモはありましたが。)「しかし、その間にどんどん病巣は広がる、ということもあるだろう。

本書は、ジャーナリストの斎藤貴男が、「憲法・集団的自衛権、特定秘密保護法、原発再稼働問題、分断される労働市場、排外主義、国民的ナルシシズム、そして戦争」という問題について、戦後民主主義が70年近く経って辿り着いた"現在地"を示している。

最終章で、またもやジョージ・オーウェルの『1984年』が出て来る。『1984年』に登場した「ビッグ・ブラザー」は、現在の日本には存在していないと。その代わりに存在するのは「ビッグ・マザー」であると。強制的ではなく、やさしくそのような気持ち・方向に誘導する存在なのだという。もう10年以上前から「監視カメラ」の脅威を訴えていた著者であるが、多くの国民は「監視カメラ」によって侵される「プライバシーの問題」よりも、「防犯カメラ(=監視カメラ)」によって犯罪から身の安全を守ってもらうという効果に依存しているという事実。それは「やさしさ」という「全体主義」にくるまれているのだ。そして、人間が生きていくのに最も大切なものは「多様性」「選択肢」かもしれない。「戦争しか選べないような状況」はつくらせてはいけないと結んでいる。それはまさに、「選択死」の世界である。

 


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(2014、11、20読了)

2015年1月 7日 12:12 | コメント (0)