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『道浦TIME』

新・読書日記 2014_167

『教誨師』(堀川惠子、講談社:2014、1、30第1刷・2014、4、14第3刷)

 

「きょうかいし」

と読む。『精選版日本国語大辞典』を引いてみると、

「刑務所で受刑者や在監者に、悪を悔い正しい道を歩むように教えさとす人。仏教僧またはキリスト教の神父、牧師、伝道師などが、法務省の任命により当たる」

とある。

本書は、元広島テレビのディレクターで現在はジャーナリストの堀川惠子氏が、半世紀にわたり死刑囚の教誨を行った渡邉普相氏に、生前、聴き取りを行ったもの。帯には、

「この話は、わしが死んでから世に出して下さいの」

という渡邉普相氏の言葉が記されている。

渡邉氏が教誨を行った多くの死刑囚の中から、特に記憶に残った死刑囚との話が記されている。いずれの死刑囚も、そして渡邉氏も、もうこの世には、ない。

「死」を前にして人間はどう変わるのか?なぜ「死刑」に当たるような罪を犯すようになったのか?また実際に「死刑」直前、人生最後の「教誨」を行って、死刑に立ち会った際にはどのようなことが、目の前で展開されたのか?など、普通は知ることのできない「死刑囚」を巡る問題、つまりは、多くの「生と死」の問題に直面した人のみが知る世界の一端を、知る(感じる)ことができる。死刑囚の中には、世間で「重い犯罪」とされること、つまり「殺人」などを、悪いとは分かっていても「殺したい!」という衝動が抑え切れない者もいた。自分でそれが分かっていても抑えられない、だから早く死刑にしてくれ、それが世の中のためだ、と話す者。自分を捨てた母を振り向かせたい、そのために次々に犯罪を犯し、母に注目されたかったという屈折した人生の終わりに、ついに振り向いてもらえなかった者・・・。「人間の性(さが)」という言葉が頭をよぎる。

また、昔の「死刑執行」は、今のように3つ並んだボタンを3人で押して、誰のスイッチが実際に絞首刑につながっているか分からなくする、などということはなかったそうだ。鉄道の「線路の切り替え機」のようなものを、バッタン!と倒すと足元の床が開いて・・・というダイレクトなものだったという。それは死刑執行人にとっては、ものすごく辛い仕事なのではないか・・・。

死刑判決を受けた後、法務大臣が執行の署名をすることで死刑は執行される。それは法務大臣の仕事の一つなのではあるが、短期間に実に、20数人の執行書にサインした大臣がいたという・・・。「死刑」という刑罰についても、考えさせられる一冊。

(本の雰囲気とタイトルは、ちょっと見た感じは「湊かなえ」の本みたいな雰囲気だが、全然違います。)


star4

(2014、11、12読了)

2014年11月27日 15:53 | コメント (0)