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『道浦TIME』

新・ことば事情

5498「ホテルの事務室においていたハサミ」

 

神奈川・横須賀市で、昔付き合っていた女性を、男がハサミで刺して殺した事件がありました。その事件を伝える「ミヤネ屋」の中の通称「250ニュース」と呼ばれるニュースで、日本テレビの岸田キャスターが原稿を、

「凶器のハサミは、ホテルの事務室においていたもので」

と読んでいました。これに違和感が。普通は、

「凶器のハサミは、ホテルの事務室に置いてあったもので」

なのではないでしょうか?つまり、

「いた」か?「あった」か?

という問題です。これは、

「最近、『けが人はありませんでした』と言うべきところを『けが人はいませんでした』という傾向がある」

のと関連があるのではないか?と感じました。

そういう話をしていると、そのあとのニュースで岸田キャスターが、東京・恵比寿で土砂崩れが起きたというニュースを読み、その中で、

「けが人はいませんでした」

と読んでいました。ほらね。

(2014、6、30)

2014年6月30日 19:09 | コメント (0)

新・ことば事情

5497「ナフキンとナプキン」

 

会社の食堂は、カフェテリア方式。自分でお盆(トレー)を持って、お箸やスプーン・フォーク・ナイフなどを取って注文カウンタ-に行きます。その際に、「紙ナプキン」も置いてあるのですが、そこには、

「ナフキン」

と書かれているのです。これについては、「平成ことば事情1932ナフキン」で書きました。(読んでね。)関西では、

「『ナプキン』を『ナフキン』と言う傾向がある」

と。これはおそらく、

「『布巾』からの連想」

も働いているのではないかと思います。

ところが!

よく観察すると、食堂の「紙ナプキン」を入れてあるスポットは全部で、

「12か所」

あるのですが、そのうちの

「10か所」には「ナフキン」

と書いたテープが貼ってあるのですが、

残り「2か所」には、「ナプキン」

と書いたテープが張ってあるのです!

なんでだろう?テープ張った人が違うのかな?これがもしかしたら、

「関西における『ナプキン』と『ナフキン』の使用頻度の分布」

につながるのか???

そのことを食堂の人に、いつか聞こうと思っているのですが、いつも忙しそうなので聞けずにいます・・・。

(2014、6、27)

2014年6月30日 17:08 | コメント (0)

新・ことば事情

5496「『向精神薬』のアクセント」

 

神戸のバーで、角砂糖に麻薬をしみこませて持っていた男が逮捕されたというニュースで、

「向精神薬」

という言葉が出て来ました。このアクセント・読み方について、報道のWデスクが質問して来ました。

「ぼくらは普通、

『コ\ー・セ/イシ\ンヤク』

と2語に区切って読むんですが、それでいいんでしょうか?それとも1つの単語として(コンパウンドして)、

『コ/ーセイシ\ンヤク』

と読むべきなんでしょうか?」

それに対して、私は、

「うん、2語に区切って読む、

『コ\ー・セ/イシ\ンヤク』

でいいと思うよ。コンパウンドする、

『コ/ーセイシ\ンヤク』

と読むと、

『抗生新薬』

のように聞えてしまうしね。意味上も2つに区切っていいと思うな」

と答えました。NHKのアクセント辞典には載っていないんですよね。ぜひ、次の改訂版では載せてほしいと思います。

(2014、6、27)

2014年6月27日 16:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5495「スポーツの言葉の比喩表現」

 

6月25日に配信したニコ生「道浦俊彦のことばのことばかり」は、ワールドカップ開催中ということもあり、「スポーツの言葉」がテーマでした。その中で、もともとはスポーツの言葉だが、一般の言葉として「比喩表現」で使われているものにはどんなものがあるか?について考えました。私が事前に考えたのは、

(サッカー)

・イエローカード、レッドカード

 

(相撲)

・土俵に上がる

・がっぷり四つ

・仕切り直し

・水入り

・横綱

・土俵を割る

・物言いがつく

・勇み足

 

(野球)

・マウンドに上がる、マウンドを降りる

・ピンチヒッター

・エラー

・直球(表現が直接的)、変化球(表現がまっすぐではない)

・敬遠(?)

・けん制球を投げる

 

といったところでした。相棒の山本アナウンサーは、相撲の言葉の、

「がっぷり四つ」

も、

「がぶり寄り」

も知りませんでしたが・・・。

 

番組の中で視聴者の方から、

「『陸上競技』にも、そういう言葉は多いのではないか?」

という意見を頂きました。たしかに、

(陸上競技)

・バトンを渡す

・タスキをつなぐ

・ホップ・ステップ・ジャンプ

・スタートを切る

・フライング

・ゴール(イン)する

・スタートダッシュ

・ハードルを越える

・ハードルが高い

などなど、かなり多いです。

「バトン」と「タスキ」の違いは、「バトン」は、

「次の走者に渡すという『短期的なイメージ』」

があるのに対して、「タスキ」は、

「次から次へと受け継いでいく『長期的なイメージ』」

があります。そのあたりがちょっと違うかな。

あと「ラグビー」では、

(ラグビー)

・スクラムを組む

がありますね。

こうやってみると、

「相撲」「陸上」「野球」

という競技は、われわれ「日本国民の生活の中に入っている」んだなあと、改めて考えさせられました。

(2014、6、26)

2014年6月27日 12:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5494「らせん状の進化」

 

「2014 FIFA ワールドカップ ブラジル大会」で、残念ながら日本は、1分け2敗という成績でグループ最下位、決勝トーナメントに進むことはできませんでした。

これは8年前のドイツ大会と全く同じ成績なので、

「進化していないのではないか?」

というような声も聞こえます。

それに対して、6月25日の日本テレビ『every.』のサッカーコメンテーターの元・日本代表・中西哲生さん(1969年生まれ)は、

「そういう指摘もあるが、実は日本のサッカーは『らせん階段状』に進化しているのです。上から見ると、前と同じ位置にいるように見えるかもしれないけど、確実に1段上にステップアップしているので、そういう心配は無用です」

というようなことをおっしゃっていました。

この「らせん状(スパイラル)の進化」という考え方は、私がいつも言っている、

「歴史の流れ」

と全く同じ考え方です!私は「スパイラルは2本あるのではないか」と思っていますが。(つまりDNAと同じような構造と考えたらどうかなと。)

同じ様な考え方をする人がいると勇気づけられますね。

きっと日本のサッカーは、「らせん状に進化している」と私も信じます。

(2014、6、26)

2014年6月26日 16:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5493「シュラスコ」

 

6月25日のニコ生「道浦俊彦のこばこのことばかり」では、ブラジルワールドカップ開催中ということで、サッカーの話題、スポーツの言葉の話題を取り上げました。

その際に、

「ブラジルの名物と言えば、やっぱり『シュラスコ』だよなあ・・・」

と言った時の、相棒・山本隆弥アナウンサーの反応が明らかにおかしい。挙動不審です。

いつものように、

「じゃあ、『シュラスコ』の絵を描いてみ!」

というと、

「えーーー・・・」

という反応。やっぱり!知らないんだ、「シュラスコ」。

で、描いた絵が、首の部分が長く底部が丸いガラスの容器・・・・

 

「それは、『フラスコ』じゃあ!!」

 

「ですよねー、でもこれしか思いつかなかったんだもん」

「知らんかあ、シュラスコ。食べ物やで」

「え?食べ物なんですか!?じゃあ、こんなのかなあ・・・」

と描いたのは、

「クラッカーのようなもの」

違うって!ブラジル料理店、行ったことないかい?

「会社の近くの京橋にあった、ラモスさんの経営していたブラジル料理のお店には行ったことがありますけど、肉しか食べなかったので・・・」

「それや!その肉!!」

「え?あれですか、こんなやつ・・・」

と、スラスラッと描いたものが、シンプルな絵ながらも、たしかに、

「シュラスコ」

でした!

「食べとるんやないか!」

「いやあ、食べましたけど、名前まではわからなかった・・・」

相変わらず、絶妙のボケをかましてくれる、「やまんご」です・・・トホホ。

 

(2014、6、26)

2014年6月26日 12:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5492「『通用』のアクセント」

 

東京都議会のいわゆる「セクハラやじ」問題を巡って、自身も不妊治療の末に子どもを授かった、自民党の野田聖子総務会長がコメントしていました。たとえ「ヤジ」であっても、女性の尊厳を損なうような発言はダメだというような話をされていたと思います。

その際に、

「通用しない」

という言葉を話していたのですが、野田さんはこの「通用」を「頭高アクセント」で、

「ツ\ーヨー」

と言っていたので耳に止まりました。普通、標準語・共通語アクセントだと

「ツ/ーヨー」

という「平板アクセント」のはずなのですが。

これに関しては「平成ことば事情2049防犯・判決・支援のアクセント」でたくさん書いた、

「演説アクセント」

の一つなんでしょうね。

(2014、6、25)

2014年6月26日 10:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5491「耐食鏡」

 

大阪の地下鉄心斎橋駅でトイレに入った時、用を済ませて手を洗おうとしてふと、目の前の「鏡」に目が行きました。その下のほうにこんな文字が。

「TOTO 耐食鏡」

この、

「耐食」

という文字に目が留まったのです。

「耐蝕」

ではなく「耐食」。何を「食」べるのを「耐」えているのでしょうか?

『広辞苑』を引くと、

「たいしょく【耐蝕・耐食】」=腐食しにくいこと。

両方の表記がありました。『精選版日本国語大辞典』でも、

「たいしょく【耐食・耐蝕】」=金属などの腐食に耐えること。くさったりむしばまれたりしにくいこと。

とありました。そうか、

「腐食」

も、本来は、

「腐蝕」

だったのだな。それが「蝕」が表外字なので「食」で代用していると。

それと同じことが、

「耐蝕→耐食」

でも起きているのですね。『新聞用語集2007年版』で「ふしょく」を引くと、

「腐蝕→ ◎腐食」

となっており、「◎」は、

「国語審議会『同音の漢字による書きかえ』の語」

とありました。

(2014、6、25)

2014年6月25日 15:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5490「やじか?ヤジか?」

 

東京都議会で、みんなの党Tokyoの塩村文夏議員の発言中、

 

「早く結婚したほうがいいんじゃないか」

 

等の「野次」が飛んだ"事件"で、この「野次」を、

 

「平仮名で『やじ』」

 

と書くか、

 

「カタカナで『ヤジ』」

 

と書くか、揺れています。どちらでも間違いではないでしょうが、放送や新聞では漢字で「野次」とは書かないようです。『新聞用語集2007年版』には、

「野次・弥次→やじ」

と、「平仮名で『やじ』」と書くことになっています。

6月24日の「ミヤネ屋」では、この「野次」の内容が「セクハラ」に当たるとして、

「セクハラやじ」

と表現したために、「ヤジ」までカタカナにしてしまうとわかりにくいので、

「『やじ』は『平仮名』」

にしました。しかし、単独で「やじ」と出て来ると、文脈の中のほかの平仮名と区別がしにくいために、

「単独の時は『カタカナ』で『ヤジ』」

と使い分けることにしました。

同じ日の日本テレビ夕方の『every.では、全部カタカナの、

「"セクハラ"ヤジ」「一部のヤジ」

としていました。6月25日の各紙朝刊を見てみると、

(読売)ヤジ

(朝日)ヤジ

(毎日)ヤジ

(産経)やじ

(日経)やじ

「読売・朝日・毎日」は「カタカナ」、「産経・日経」は「平仮名」と分かれていました。

いずれにせよ、「セクハラやじ」「セクハラヤジ」は、

「セクハラおやじ」「セクハラオヤジ」

と、ないはずの「お(オ)」が入って見えてしまうのですが・・・。

そんなこと、ありませんか?

(2014、6、25)

2014年6月25日 11:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5489「稽古に熱がこもる」

 

「ミヤネ屋」で紹介する、相撲の強い沖縄の中学生の取材のスーパーを事前にチェックしていたら、こんな表現が出て来ました。

「稽古に熱がこもる相撲場」

これを見て「?」と感じました。これは、

「熱がこもる」

ではなくて、

「熱が入る」

ではないでしょうか?そう感じて、

×「稽古に熱がこもる」→○「稽古に熱が入る

と直しました。

しかし、一概に「熱がこもる」が間違いとは思えません。

この2つの表現はどう違うのか?

思うに、

 

「動作」としては「熱が入る」「熱を入れる」。

その「結果」としての「状態」は「熱がこもる」。

 

なのではないでしょうか?ですから、

「熱のこもった稽古」

ならばOKなのではないか?と思いました。微妙な違いですよねえ。

(2014、6、24)

2014年6月24日 19:26 | コメント (0)

新・ことば事情

5488「『イトゥ』のアクセント」

 

2014FIFAワールドカップ。日本チームのキャンプ地・ブラジルの「イトゥ」のアクセントについて「ミヤネ屋」のナレーターから質問を受けました。

「『イ\トゥ』でしょうか?それとも『イ/トゥ\』でしょうか?」

あー、たしかにあまり意識していなかったですが、考えてみると、

「イ/トゥ\」

「中高アクセント」でやっているなあと思い、それで行きましょうと言いました。それが6月17日。

ところが、その翌日の18日のお昼のテレビ朝日のニュースでは、女性アナウンサーが、

「イ\トゥ」

「頭高アクセント」で読んでいました。

その後見た、6月19日の日本テレビ『every.』の男性ナレーターも、

「イ\トゥ」

「頭高アクセント」で読んでいました。

なんとなく「中高」のほうが"現地語っぽく感じる"のですが、本当はどちらなんですかねえ。あまり誰も気にしていないのかもしれませんが。

 

 

(追記)

負けてしまいました・・・。

翌日の6月26日夕方放送の日本テレビ『every.』の男性ナレーター(多分、ベテランの方)は、

「イ/トゥ\」

というアクセントで読んでいらっしゃいました。

(2014、6、26)

 

(2014、6、18)

2014年6月23日 10:41 | コメント (0)

新・ことば事情

5487「平等」

<2013年1月21日に書き始めました。当時の番号は「平成ことば事情4945」>

 

『仏教漢語50話』(興膳宏、岩波新書:2011、8、20)という本を読んでいたら、「平等」

という言葉について書かれていました。それによると、

『『金剛般若経』には仏の教えについて、

「是の法は平等にして、高下有ること無し」

といい、だからこそ「この上なく正しい覚り」なのだといっている。

「高下有ること無し」とは、「差別がない」ことである。かくて「平等」は、仏教の教理そのものを象徴する語になっていたといってもよい。仏教は「平等」の教えなのであり、全ての衆生はみな均しく覚りに至る資格を備えている。』

と出ていました。

「平等」はそもそも「仏教語」だったのですね。

そして、2013年の6月と9月に、小林研一郎先生の指揮で、男声合唱組曲「水のいのち」を歌いました。そこに出て来る1曲目の「雨」の歌詞をよく読んでハッとしました。

「降りしきる雨」「分け隔てなく」

これってまさに「平等」の思想の表れなんじゃないでしょうか?「水のいのち」は作詞家も作曲家もクリスチャンだということが知られていますが、キリスト教も、仏教も「平等」という概念を大切にしているのでしょうか。

また、われわれがよく耳にする言葉に、

「自由と平等」

があります。これは「フランス人権宣言」などに出て来るイメージですが、この並列された2つのことば、よく考えると、

「『自由』と『平等』は対立する概念」

ですよね。

だって、完全に「自由」な競争に任せると「結果の平等」は得られないんですから。また、「平等」も旨としたら「自由」は制限されます。

つまり「自由と平等」という言葉は、同類の言葉を2つ並べたのではなく、

「『自由』と『平等』のバランスをよく考えるべきだ」

ということを示しているのではないでしょうか?

この言葉を知ってから40年近くたって、初めて気づいたのでした。

(2014、6、20)

2014年6月22日 21:39 | コメント (0)

新・読書日記 2014_091

『ワールドサッカーユニフォーム1000~ 熱き魂が宿る栄光のシンボル レジェンドストーリー 』(ベルナル・リオン、グラフィック社:2014、6、25)

 

ものすごく分厚い、カラー写真満載の一冊。図鑑のような感じですが、サッカー好きにはたまらない!

ユニホームにはね、思い入れがあるんですよ。思い入れと思い出の積み重ねが、記憶となり歴史となり伝統となる、ということですよねえ。いやあ、サッカーのユニホームの世界に「浸る」ことが出来ますよ。

ただ、残念なことに、2か所、間違いがありました。まず、

×「1848年 ロンドン五輪」→○「1948年 ロンドン五輪」

そもそも近代五輪が始まったのは、1896年のアテネ大会からですよね。

そして、オランダ代表が3度ワールドカップの決勝に進出しているという記述の中で、最初の決勝進出した1974年西ドイツ大会のスコアが、

「延長1-2」

になっていますが、これは「延長ではありません」。90分で勝負は決定しました。

次の1978年アルゼンチン大会とこの間の南アフリカ大会は「延長戦」で敗れたのですが、1974年の西ドイツ大会は、延長ではありませんでした。残念。

もし再販が出るならば、直してほしいです。


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(2014、6、18読了)

2014年6月22日 12:37 | コメント (0)

新・読書日記 2014_090

『「負け」に向き合う勇気~日本サッカーに足りない視点と戦略』(杉山茂樹、星海社新書:2014、5、22)

 

ギリシア戦に引き分け、決勝トーナメント進出の望みが限りなくしぼんでしまった現在に読むには絶好の書。本書が出たのはブラジルワールドカップ開幕以前だが、正確にその内容を予言している。例えばB組。スペイン・オランダ・チリ・オーストラリアというこの組は、スペイン・チリ共に「オランダ」の流れをくむ国(チーム)であり、特にチリは伏兵であると。前回、南アフリカ大会でも優勝したスペインと対戦して1-2で敗れたものの、その失点はGKの不用意なミスによるもので、試合内容そのものは決してスペインの圧勝などではなかったと指摘している。

そして、20世紀後半から21世紀の世界のサッカーの潮流を作ったのは「オランダ」、ミホルス(ミケルス)監督であると指摘している。著者の「サッカーの本質を見る目」が正確であることを示していると思う。

その著者が、今後の日本のサッカーに必要とする監督は、

「信念に基づく名言を残せる監督・哲学を持っている監督」

だという。オシムはそういった監督だった。また、ヨハン・クライフがバルセロナの監督をしている時に会ったときに言われた言葉、

「勝利は貪欲に、少々汚くても構わないが、敗れるときは美しく」

というのはまさに名言なのだなあと思った。

あれ?この言葉、どこかで目にした(耳にした)ことがあるような・・・

たしか、故・児玉清さんの本のタイトルにも似たのがあったなあ・・・

「負けるのは美しく」

だ。全く同じ。日本代表も、試合後にブーイングをもらわない試合をお願いしますね。


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(2014、6、20読了)

2014年6月21日 12:08 | コメント (0)

新・読書日記 2014_089

『考証要集~秘伝!NHK時代考証資料』(大森洋平、文春文庫:2013、12、10第1刷・2014、5、20第7刷)

NHKのドラマや時代劇の時代考証を担当している著者が、その基準=うんちくを、余すところなく披露。手の内を見せてくれている。こんなところまで気を付けなくちゃいけないのか!と、まさに目からウロコ!勉強になります。特に、

「その時代には、まだその言い回し・言葉はなかった」というような所は、本当に参考になります。幅広い出来事に興味を持ち、チェックをしていく気持ちを常日頃から実践していないと、こんな仕事はできませんよねえ。ま、ご一読頂ければ分かると思います!おすすめです。


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(2014、6、15読了)

2014年6月20日 21:05 | コメント (0)

新・ことば事情

5486「勝ち切る」

 

ブラジルワールドカップ前の調整試合・対コスタリカ戦で、日本は前半に1点先取されたものの、後半にメンバーを入れ替えて3点を取り、3対1で勝利しました。(ワールドカップが始まってしまうと、もう、随分前のことのような気が・・・)

これを伝えたNHKの東京のスタジオの女性アナウンサーが、

「日本は3対1で勝ち切りました」

と言っていたのに違和感がありました。サッカーの言葉では、この、

「勝ち切る」

は、いつの頃からかよく使われていますが、これは、

「勝ちました」

のほうがいいのではないか?

「勝ちました」と「勝ち切りました」の違いはどこにあるのでしょうか?

うーん、「勝ちました」はそのまま「勝ったか負けたか」という事実を伝えているのに対して「勝ち切る」は、

「完全に勝つ」

「最後まで危なげなく勝つ」

「反撃・追撃を断ち切って、引き分けに持ち込まれることなく逃げ切って勝つ」

というようなイメージがあります。

辞書に載っているかな?例によって、まず『三省堂国語辞典』を引きます。

あ・・・載ってないわ。『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』にも載っていません。

「~し切る」で引いてみてはどうでしょうか?『広辞苑』には、

「(動詞の連用形に付いて)はっきりけじめをつける、終える、果たす、尽くすなどの意を表す。」

とありました。なるほど。『精選版日本国語大辞典』にも、

「(動詞の連用形に付けて補助動詞として用いる)(1)すっかり・・・し終える。完全にすます。・・・し尽くす。(2)十分に・・・する。ひどく・・・する。(3)きっぱり・・・する。」

などと載っていました。

この「完全に・・・する」が、一番しっくり来る気がします。「~しきる」の形ですね。

日本代表には、20日のギリシャ戦、「勝ち切ってほしい」ですが・・・でも「勝ってほしい」でいいと思うけどなあ・・・。

(2014、6、19)

 

(追記)

20日のギリシャ戦、0対0の引き分けに終わりました・・・。残念です。

大久保、シュートいっぱい打ったんだけどなあ。NHKのお昼のニュースでは、

「大久保、ここでもシュートを決めきれません」

と原稿を読んでいましたが、これは、「決めきれません」ではなく、

「決められません」

じゃないのかなあ。「~きる」が好きだなあ、最近。

(2014、6、20)

(2014、6、19)

2014年6月20日 17:04 | コメント (0)

新・読書日記 2014_088

『沸騰!図書館~100万人が訪れた驚きのハコモノ』(樋渡啓祐、角川oneテーマ21:2014、5、10)

 

著者は、佐賀県の武雄市長。人口5万人の町の図書館の運営を「TSUTAYA」に任せたところ、大人気の図書館になったという話。そのためにクリアしなければならない困難も多々あったが、頑張りました、と。口絵写真を見ると、とってもいい感じの図書館になっている。帯の文字は「すごい図書館つくりました」。

著者の樋渡市長は、1969年、佐賀県武雄市生まれ(8歳も年下だ!写真を見ると、とってもそうは思えないんだけど・・・失礼)。地元出身。東大を出て総務庁に入ったあと、出向で大阪・高槻市の市長公室長を経験した後、2006年、大臣官房秘書課課長補佐で退職し、当時全国最年少で武雄市長に当選。現在3期目。当時の図書館は、働いている大人が仕事帰りに寄ろうとしてももう早くに閉館しているし、年間の休みの日も多くて利用しにくい!悪い意味での「お役所的施設・サービス」の典型的だった。職業的政治家というのではなかった著者は、それを「利用者目線」にしていくことを目標にした。大阪で言うと橋下知事・市長的な人なんですね。でも、既存勢力(職員・議員など)の抵抗などもあってなかなか困難な道のりだったけど、実際やってみたらとってもうまいこと行って、もう100万人が訪れた「ハコモノ」になってますよ!という成功譚(たん)。読んでいたら、ぜひとも行ってみたくなる図書館です!

でも、あくまで「市長側からの目線」で書かれているので、本当は「反対側」の視線も読まないと、バランスを欠く気がする。ネット上では、賛否両論あるようだ。しかし、「今後の公共図書館の在り方」を考えるうえで、貴重な例だと思う。注目に値する。

それと、新しいものは、最初はものめずらしいので人が集まるが、2年目・3年目と、どうなっていくのかを見守らないといけないと感じた。

ちなみにこの本は、樋渡市長を応援している就職ジャーナリストの石渡嶺司さんに頂きました。ありがとうございました。 

 


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(2014、5、16読了)

2014年6月20日 12:26 | コメント (0)

新・読書日記 2014_087

『おはようパーソナリティ道上洋三のないしょ話』(道上洋三、朝日文庫:2014、5、30)

 

朝日放送の超有名なアナウンサーの大先輩。存じ上げてはいるが、お会いしたことはないし、実はこの超有名なラジオ番組を聞いたこともないのです・・・すみません。

それでもちょっと読んでみたいなと思って購入。

タイトルには「ないしょ話」と書いてあるけど、内容は全然「ないしょ」にしなければならないものではありません。番組の内容の紹介だったり、まあ、「裏話」は載っていますが、「ちょっといい話」みたいな感じです。

阪神タイガースを通じての交遊や、永六輔さんとの交流など、いろいろ楽しめます。


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(2014、6、12読了)

2014年6月19日 18:15 | コメント (0)

新・読書日記 2014_086

『喰らう読書術~一番おもしろい本の読み方』(荒俣宏、ワニブックス「PLUS」新書:2014、6、25)

 

このところ、いろんな「読書術」の本が出ているが、それを全部読もうとは思わない。つまり、一般的な技術としての「読書術」には興味はない。それを書いた人の読書術を真似できるわけでもないから。でも、「他の人は、どんな読み方をしているのかな?」というのは気になる。そして自分が「興味のある人」の読書術であれば、「ちょっと知りたいな」と思うので、読むこともある。今回はそういう感じ。

「知の巨人」の一人である著者は、如何にして読書しているのか?そして、その著者のさらに「先生」としては、梅棹忠夫や紀田順一郎がいた。紀田順一郎さんの本は読んだことがあるが、たしかにこちらも「知の巨人」である。

本の中に出て来た「本」を読むことで、「知の数珠つなぎ」になっていく。これが読書の楽しみの一つであり、知のネットワークを張り巡らせることになる。たしかに!そうやっています、私も!

この本の中にもいくつかそういった本が出てきたが、中でも、アンドリュー・パーカー『眼の誕生~カンブリア紀大進化の謎を解く』は、おもしろそう。動物に「目」が誕生したことが生物の大爆発の原因だと。先カンブリア紀に地球を覆っていた霧が一斉に晴れ、光線が海に差し込み、この光線が感覚器官(「目」)を急発展させ、目に映じた像をはっきりとした色彩立体として知覚させる画像創出装置「脳」を動物に与えたという箇所は、「そうか!」と膝を打った。たしかに、動物が持つ脳と眼は、植物にはないですね。ふーむ、何がどうなって来たかなんて、「なってしまった」ら、わからないものなのだなあ・・・。


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(2014、6、13読了)

2014年6月19日 11:14 | コメント (0)

新・読書日記 2014_085

『巨匠(マエストロ)たちのラストコンサート』(中川右介、文春新書:2008、5、20)

 

中川右介さんの著書。以前購入していたもののなかなか読めなかったのだが、先日、ご本人とお会いする機会があり、その東京へ行く新幹線の行き帰りで読んだ。

「巨匠(マエストロ)=偉大な指揮者・演奏家」。トスカニーニ、バーンスタイン、グールド、フルトヴェングラー、リバッティ、カラヤン、カラス、クライバー、そしてロストロポーヴィチについて記されている。この中で、私が初めて知ったのは「リバッティ」だけでしたが、そのほかの巨匠たちの「ラストコンサート」について知っていたのはバーンスタインだけだったので興味深く読めました。普通は「引退」を決めて「ラストコンサート」「ファイナルコンサート」となることは少なくて、あとから結果的に「ああ、あれがラストコンサートだったんだ」ということが多いのだと。指揮者って、結構、長生きする人が多いしね。中でも興味深かったのはトスカニーニだった。あまりこの指揮者については知らなかったので(フルトヴェングラーほどは)、勉強になりました。


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(2014、6、9読了)

2014年6月18日 18:08 | コメント (0)

新・読書日記 2014_084

『知の武装~救国のインテリジェンス』(手嶋龍一・佐藤優、新潮新書:2013、12、20)

 

手嶋龍一・佐藤優の二人による対談本。新潮新書からは3冊目。知の巨人の二人。去年の年末に出た本なので、まさその時点で話し合われた内容が、半年後の今、展開している。その意味では「予言の書」だね。

「東京オリンピック」は、2020年までのアジアの安保を考えたイベントであるという論は、目からウロコ。飯島元首相秘書官の北朝鮮訪問は、意味が分からないとか、CIAのスノーデン事件は日本ではそれほど騒がれていないが、まさにサイバー時代の戦争であるとか、今年問題となっている「尖閣問題」についての日中・アメリカの対応についても書いてあります。そして、その海洋覇権はTPP問題とも関わって来ると。東京五輪やTPPは、それぞれスポーツや経済問題だけではなく、国際政治とも密接に関わっているのだという「インテリジェンス」の視点は新鮮で、重要だと感じました。


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(2014、4、29読了)

2014年6月18日 17:07 | コメント (0)

新・読書日記 2014_083

『からくり民主主義』(髙橋秀実(ひでみね)、新潮文庫:2009、12、1)

 

単行本は2002年6月に草思社から出ているそうです。その意味ではちょっと古いが、いつ書かれたものかを踏まえて読むと、かえって新しい面も。

いま放送している日テレのドラマ『弱くても勝てます』の原作もこの人が書きました。

あとがきを読むと「からくり・民主主義」ではなく「からくり民主・主義」なのだそうです。

本書ではまず、「テレビ番組に対するクレーム」についての考察が。その中に、読売テレビ制作のドラマ『リミット・もしもわが子が』が取り上げられていて、ビックリした。あったな、そんなドラマ。

そのあと、「小さな親切活動」「統一教会とマインドコントロール」「世界遺産観光」「諫早湾干拓問題」「上九一色村とオウム、ガリバーの王国」「沖縄米軍基地問題」「若狭湾原発銀座」「横山ノック知事セクハラ事件」「富士山青木ケ原樹海」「車椅子バスケットボール」と、興味深い話題が並ぶ。

特に「若狭湾原発銀座」は、「東日本大震災」の前に書かれたもの。改めてその意味が増しているのではないか。

また、「世界遺産」の人気があるのはいいんだけど、何となく持っていた違和感が「そうだったのか!」とわかる。

「横山ノック」、懐かしく感じた。

「諫早湾の干拓問題」は、まだ終わっていない。もちろん、「沖縄の基地問題」も。

こうやって見ると、解説(なんと、あの"村上春樹"が書いているのだが)のタイトル「僕らが生きている困った世界」こそが、「からくり民主・主義」社会なのだろうと、ため息を吐く。


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(2014、5、25読了)

2014年6月18日 14:05 | コメント (0)

新・ことば事情

5485「『って』と『て』」

 

以前、用語懇談会の懇親会の席で、たしか毎日新聞の人から質問を受けました。

 

「いつも道浦さんの『平成ことば事情』を読ませていただいていますが、その文章の中で『って』と『て』の区別はどうされているのでしょうか?」

 

うーん、全然意識してなかったなあ。"その時の気分で"というような使い分けでしたが。自分では気付かないものなんですよね。

でもその後、その使い分けが気になって、心のどこかにひっかかっていたのですが、ある日ハタと気付きました。

 

「『って』は『引用強調』、『て』は『という』のかわりの短くしたやつ。リズムによって使い分ける。」

 

ということのようです。答えになっているような、いないような。

本来は「って」を使うほうが、

「話し言葉の表記」

としては正しいのでしょうが、「って」が続くと「うっとうしい気」もするんですよね。そこでもう少し書き言葉的な、

「と(いう)」

にしてみたり、

「小さい『っ』を取って、単なる『て』にしてみたりする」

ことで、リズムを変えているのではないかなあと思いました。

(2014、6、12)

2014年6月18日 10:59 | コメント (0)

新・ことば事情

5484「キーマンか?キーパーソンか?2」

 

「平成ことば事情4953」で書いた「キーマンかキーパーソンか?」の続報です。

ポリティカルコレクト(政治的に正しい言葉)として「キーマン」の「マン=男」なので、「女性には使えないからドチラニモ使える言葉として、

「キーパーソン」

を使うかどうかについて、4月に大阪で行われた新聞用語懇談会放送分科会で各社に

「『キーマン』の代わりに『キーパーソン』を使うことはありますか?(「キーマン」と「キ

ーパーソン」、どちらを使っていますか?)」

と伺いました。その際の各社の回答は、

(毎日放送)決めていないが、女性の場合は「キーパーソン」。

(朝日放送)できるだけ「キーパーソン」を使うよう意識・指導している。女性の場合は特に「キーマン」は使わない。(出てしまうことはあるが・・・)

(テレビ大阪)「キーパーソン」を使う。ニュースで女性が「キー」になることが増えて来た気が・・・。「キーウーマン」とは言わない。

(関西テレビ)まだ「キーマン」もあるが、女性には「キーパーソン」を使う。

(TBS)決めていないが、傾向は女性を含めて「キーパーソン」。「サラリーマン」と「OL」を区別しないで「会社員」で済ませるように。

(テレビ朝日)決めていない。

(フジテレビ)決めていない。過去1年のデータベース検索では、「キーマン」=5件(サッカーの記事)。「キーパーソン」=2件(この2件は、同じ記者が書いた記事)。

(テレビ東京)「キーマン」「キーパーソン」両方使っている。特に決めていないが、女性には「キーパーソン」。「カメラマン」が女性の場合には「カメラウーマン」とは言わずに「女性カメラマン」としている。

(日本テレビ)特に決めていないが、「キーパーソン」を使う傾向。あるいは「キーになる人」というような言い方。

(共同通信)2010年以降のデータベースでは「キーパーソン」は1件のみ。しかも、カギカッコの中で使われている。それ以外はほとんど「キーマン」。

(NHK)「キーパーソン」「チェアパーソン」などは、1980年代アメリカでの「ポリティカル・コレクト」(政治的に正しい言葉)運動から出て来た表現。現状はデーターベースでの比率は、「キーマン:キーパーソン」=「2:1」ぐらい。

「チェアパーソン」は使わない。男は「俳優」女は「女優」というのも、全部「俳優」にする方向だが、定着するかどうか。

(読売新聞)決めていない。政治的な背景のある表現。女性を全て「キーパーソン」にして男は「キーマン」だと、これもまた問題視されるのでは?

といったものでした。

その後、5月末に岩手・盛岡で行われた新聞用語懇談会春季合同総会でも、新聞各社に伺いました。

(産経新聞)基準は無い。2009~2014年のデータベースで検索したら、

「キーパーソン」=45件、「キーマン」=237件だった。

「キーパーソン」は企業のトップなど経済・外交の記事で、「キーマン」はスポーツ面と政治面でよく使われているようだ。ただし、スポーツでも女子チームである「なでしこJAPANのキーマン」とは使わない。もともと日本語では「カギを握る人」。「『キーマン』を全部『キーパーソン』に直せ」とは言っていない。

(朝日新聞)ジェンダーで規制はしていない。高校野球の記事では「試合のキーマン」、外交の記事では「外交のキーパーソン」「核軍縮のキーパーソン」のように使われているようだ。

(毎日新聞)しばりはない。「キーマン」と「キーパーソン」は「ほぼ半々」だが、やや「キーマン」のほうが多いようだ。

ということでした。使っちゃダメということではないようですね。

(2014、6、12)

2014年6月16日 14:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5483「うっすりと」

 

小学4年生の娘が学校で習ったという文部省歌「牧場の朝」。その楽譜を見せてもらうと歌詞はこんな感じでした。

 

ただ一面に立ちこめた、まきばの朝の霧の海

黒い底からいさましく、鐘が鳴る鳴るカンカンと

ポプラ並木のうっすりと 

 

この「ポプラの並木」のあとの表現が、「うっすらと」ではなく、

「うっすりと」

なのです。そんな言葉は初めて聞きました。

辞書を引いてみましょう。『広辞苑』。載っていました。

「うっすり(薄り)」=「うっすら」に同じ。

『精選版日本国語大辞典』も「空見出し」で、

「うっすり(薄)」=(「と」を伴う場合が多い)→うっすら

となっていて、用例は1693年の「俳諧・深川」から、

「うっすりと門の瓦に雪降て」

でした。『デジタル大辞典』『明鏡国語辞典』には載っていません。

『新明解国語辞典』では「うっすら」の意味の説明の中に「うっすり」がありました。

『三省堂国語辞典』は、見出しが立項されていました。

古い言葉としては「あった」のですね。

それともう一つ気になったのは、2番の歌詞の中に、

もう起き出した 小屋小屋(こやごや)の

とあるのですが。この「小屋小屋」が「連濁」しているのです。あんまり聞いたことがないですよね、「こやごや」。

文部省歌にはそういった言葉が残っていて、それを小学校でも教えていて、子どもたちは特に何も感じずに吸収しているのだなあと感じました。

(2014、6、12)

2014年6月13日 15:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5482「ハイタッチ」

岩手県でのAKBメンバーが切りつけられた事件を受けて、今後の握手会などで、

「コンサート後のハイタッチは行わない」

方針を出しました。この、

「ハイタッチ」

という言葉は説明なしでOKなのでしょうか?意味は分かるとは思いますが。

その後、ブラジルワールドカップの開幕が近付いてきて、東京・渋谷の交差点の警備の問題で、

「交差点内ではハイタッチを行わない」

などといったニュースでも、何の説明なしに「ハイタッチ」が出て来ました。

新語をいち早く取り入れることで定評のある『三省堂国語辞典・第7版』(2014年1月)を引いてみると、はたして「ハイタッチ」、載っていました!

「ハイタッチ」=(和製・high touch)【試合などで】チームのなかま(と喜びをあらわす/をたたえる)ために、たがいに(両手/片手)をあげて打ち合わせること。

やはり載っていましたか。ちょっと説明がまどろっこしいけど、そういうことですね。

『岩波国語辞典・第7版』(2009年11月)、『明鏡国語辞典』『精選版日本国語大辞典』には載っていませんでしたが、『新明解国語辞典・第7版』(2012年1月)には載っていました!

「ハイタッチ」=(和製英語)(スポーツなどで)作戦の成功や勝利の喜びを仲間と分かち合うために、片手または両手を高くあげ、互いに手のひらでタッチすること。

そういうことですね。『広辞苑・第6版』にも短く載っていました。

「ハイタッチ」スポーツ選手などが、喜びの意を表して、かざした互いの手のひらを打ち合わせる動作。

あ、これはシンプルで格調が高い。「かざした」なんて言い漢字。

この「ハイタッチ」、日本語としては、比較的新しい言葉といえるでしょうね。

(2014、6、12)

2014年6月13日 10:55 | コメント (0)

新・読書日記 2014_082

『取材歴59年の記者が見たW杯裏表ヒストリー』(牛木素吉郎、角川oneテーマ21:2014、5、20)

 

「表裏」ではなく「裏表」というところがいいじゃないですか、タイトル長いけど。

取材歴59年、ワールドカップ取材が「2014ブラジル」も含めて12回というのは、ギネス物でしょう!もちろん牛木さんのお名前は存じていて、この本にも出て来る1970年ワールドカップ取材を基に書かれた本と、1974年の西ドイツワールドカップ取材を基に書かれた本は、中学生時代に図書館で借りて読んでいました。40年前の話ですが。

この本は、前半<表>は、ワールドカップの歴史の概略。懐かしく読めました。全然そういった歴史を知らない人には、適度な分量でわかりやすくていいんではないかな。

後半<裏>は、実際に現地でワールドカップを見て来た著者の、これまでどのようにして見て来たのかの"技術"と言いますか、チケットの取り方から現地の様子、飛行機の取り方や宿の取り方といった「ワールドカップの歩き方」的なもので、これは著者でしか知りえない歴史なので、大変興味深く読めました。

さあ、ワールドカップ、開幕です!!行きたかったなあ・・・・ブラジル・・・。


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(2014、6、11読了)

2014年6月12日 22:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5481「ド真面目」

 

『週刊文春』6月19日号で、AKB総選挙で1位になった「渡辺麻友」さんについて、

「ド真面目な彼女」

という表現が出て来ました。この、

「ド真面目」

というのも、見慣れない感じがします。ほめているのか、けなしているのか四角四面な「真面目」な人をけなして、

「クソ真面目」

というのは、昔からありますけどね。グーグル検索(6月11日)では、

「ド真面目」=  1万9600件

「クソ真面目」=42万5000件

「くそ真面目」= 9万6400件

でした。やはり「ド真面目」という言葉は「クソ真面目」に比べると、まだまだ使われていませんね・・・こんな言葉の事を調べている私は「ド真面目」なんでしょうね、きっと。

平成ことば事情0486「どキレイ」、4500「ドハマリ中」、4660「ドハンサム」、5444「ど生鮮」、5476「ど真ん前」もお読みください。

(2014、6、11)

2014年6月12日 19:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5480「レッツゴーする」

 

曽野綾子さんの『風通しのいい生き方』(新潮新書)の中の157ページに、曽野さんがタンカーに乗せてもらった時に「船の隠語」を学んだという話が載っていました。

たとえば、船の上では「話をする」ことを「肩を振る」と言い、「上陸する」のは「ゴーショウ」「外出着」のことは「ゴーショウ着」。石炭を焚いて走るレシプロ・エンジンの古い船の石炭をくべる「石炭夫」(これも「死語」ですねえ)は「コロッパス」と言っていたそうです。

また、当時はゴミを、焼いたり持ち帰ったりせず、

「海に投棄していた」

そうで、そのことは、

「レッツゴーする」

と言っていたそうです。曽野さんはそれを、

「英語の『レット・イット・ゴー』からきたものではないか」

と書いています。おお、今をときめく、『レット・イット・ゴー』と言えば『アナ雪』こと、『アナと雪の女王』の大ヒットしている主題歌ではないですか!ただし今、我々はこのタイトルを、

「レリゴー」

と言っていますが。もし、今も船がゴミを海洋投棄をしていたら、「レッツゴーする」ではなく、

「レリゴーする」

と言っていたのかもしれませんね。いま「レリゴーする」と言えば、

「カラオケに行く」

ことでしょうか?

(2014、6、11)

2014年6月12日 15:52 | コメント (0)

新・読書日記 2014_081

『風通しのいい生き方』(曽野綾子、新潮新書:2014、4、20)

 

最近精力的に新潮新書などから次々と本を出している著者も、もう80歳を過ぎているのに...物凄くバイタリティーがあるなあ。豊富な経験から、「誇り持って気高く生きる」ために必要な事を16話にわたって記している。たしかにこれを読むとそうだよなあと思う。でも世の中そんなに気高く生きることが出来ない人もたくさんいるんだけど、そういった人は、この本を万一読んでも、こうはいかないんだよなあ。じゃあ、どうすればいいのかは、記されていないんだよなあ・・・。

しかし、あれだけ頑なに「『看護師』ではなく『看護婦』」と主張していた産経新聞、そして曽野さんも、10年以上たつと、もう「看護師」って言葉を使うんだなあと、ある意味、感動しました。

*89~90ページに「お」の付く言葉がいっぱい出て来ました。

「お祝儀もの」「お話」「お芝居」お正月」「おめでたい」

*私たちがアフガニスタンと呼ぶ土地には、パシュトゥーン・バルーチュ・タジクの3つのイラン系部族がいる。その部族の集合体を、私たちよそ者はアフガニスタンと言っているだけだ、と。(90~91ページ)

*タンカーに乗せてもらった時の話。「日本の油送船の多くはホルムズ海峡を入ってから、湾岸のどこで油を取るかを決める。その日の相場が大きくものを言うのだろう。その船がサウジの港で油を入れる可能性は非常に高かったのだが、もしそうなると、私はシャリーア法のもとに、船を下りて、サウジに入ることができない。サウジでは、女性や夫や兄弟などの付添いなしに入国することは許していないからである。(162ページ)

→佐藤優さんと中村うさぎさんの対談集で出て来た、サッチャー元首相がサウジの王宮に行くときは「見た目は女だが、中身は男だから、男」と判断した話を思い出した。「シャーリア法」と言うんですね。

*当時はどの船でも十五分から十八分、四十五分から四十八分の目盛りの間が赤く塗られていた。それは毎時その時間帯に船の通信が一斉に止まり、その束の間の静寂の間に、どこから聞こえて来るかもしれない微弱な救難信号を聞くための処置であった。これが通称電波の沈黙時間であった。「弱者の声を聞く」というのはまさにこのようなことだったのである。(158ページ)

*一等航海士のことを「チーフ・オフィサー」と呼ぶが、当の一等航海士は「チーフ・メートであります」と言葉遣いを変える。これも謙譲語の一種であった。(159ページ)

豊富な経験に基づく話は、勉強になったなあ。


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(2014、5、31読了)

2014年6月12日 10:29 | コメント (0)

新・読書日記 2014_080

『メディアの苦悩~28人の証言』(長澤秀行編著、光文社新書:2014、5、20)

 

著者は1954年生まれ。元・電通デジタル・ビジネス局局長。電通では、30年以上にわたり、メディアと関わって来た。最初の15年は新聞広告、その後、ネット創成記の各新聞社のネットニュース事業の立ち上げにも携わったという。その意味で「古いメディアと新しいメディア」の狭間で、その両方を実地で見て来た人だと言える。

その著者が、メディア関係の現場の人たち28人に話を聞いていくインタビュー集。

登場するのは、

(1) 徳力基彦(ブロガー)

(2) 中川淳一郎(ネットニュース編集者)

(3) 木村伊量(旭新聞社長)

(4) 白石與二郎(読売新聞グループ社長)

(5) 野村裕知(日経新聞常務)

(6) 長田公平(日経BP社長)

(7) 夏野剛(慶応義塾大学特別招聘教授)

(8) 伊東儀雄(ヤフー・ニュース編集責任者)

(9) 大元隆志(ITビジネスアナリスト)

(10)川邊健太郎(ヤフー副社長)

(11)藤村厚夫(スマートニュース執行役員)

(12)亀山千広(フジテレビ社長)

(13)川上量生(ドワンゴ会長)

(14)氏家夏彦(TBSメディア総研社長)

といったネットニュース関係者から国内大手マスコミである新聞社テレビ局などのトップ、そして海外のネットマスコミである、ハフィントンポスト創設者で会長・社長兼編集長の

(15)アリアナ・ハフィントン(ハフィントンポスト創設者で会長・社長兼編集長)

(16)松浦茂樹(ハフィントン・ポスト日本版編集長)

ソーシャルメディア関連では、

(17)近藤正晃ジェームス(ツイッタージャパン会長)

(18)笠原健治(ミクシー会長)

(19)津田大介(ジャーナリストでメディア・アクティビスト)

(20)ふるまいよしこ(中国情勢に詳しいフリーランスライター)

(21)東浩紀(思想家)

広告側・スポンサーサイドから、

(22)大島茂(大和ハウス工業総合宣伝部第一事業販促室長)

(23)やまもといちろう(ブロガー・実業家)

(24)新澤明男(サイバー・コミュニケーションズ社長)

(25)森隆一(元・電通副社長)

そして、

(26)田端信太郎(LINEの法人ビジネス担当役員)

(27)橋元良明・東京大学大学院教授

(28)菅谷明子(メディアリテラシーや図書館などに詳しいジャーナリス)

という錚々たる面々、若い人から年配の人たちまで、古いメディアから最先端のメディアまでを担っている現場の人たちの意見を拾い上げ、これから「メディア」がビジネスとして向かって行く先を見極めようとしている。その意味で、我々既存のメディアに携わっている者としては、参考になる一冊です。


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(2014、5、22読了)

2014年6月11日 16:12 | コメント (0)

新・読書日記 2014_079

『世界の国情報2014』(リブロ:2014、5、19)

 

東京のプレスセンター下のジュンク堂で見つけたので購入。会社に置いてあったものは、2011年版だったので、3年ぶりの購入だ。資料として活用します。サブタイトルが2011年版は「世界194カ国の基礎情報が一目で分かる」だったのが2014年版では「世界195カ国の起訴情報が一目でわかる」になっています。つまり、「1カ国」増えていますね!ときどきチェックしないとね。


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(2014、6、6購入)

2014年6月11日 10:27 | コメント (0)

新・読書日記 2014_078

『魂をゆさぶる歌に出会う~アメリカ黒人文化のルーツへ』(ウェルズ恵子、岩波ジュニア新書:2014、2、20)

 

新聞の書評で見て購入。合唱をやっているので、黒人霊歌には親しみも興味あるので。「ジュニア新書」なので、やさしく記されていて読みやすい。

おそらく、1か所間違い発見。105ページの英語の歌詞、

Bring  judgement  sure

とあるのだが、107ページの訳文は、

「俺に 死(デッド)を きっと」

となっていて、しかも「red(赤)とdead(死)で韻を踏んでいる」と104ページに書いてあるのに、この英語の歌詞のどこにも「dead(死)」が出て来ないのです。

何度も読み返してしまいましたが、ここは「judgement」ではなく「dead」で、

Bring  dead  sure

なのではないでしょうか??

*「漕げよマイケル」はそういった宗教歌だったのか!知らなかった。"彼岸"へ行くのね。*「ベアトリス」は悪魔の娘の名前。

*ギリシャ神話の美の女神「アフロディテ」の息子が「エロス」。「エロス」は「プシュケ」に恋をする。

*黒人の英語では、「逆の意味」を持っていることがある、。ストレートに表現すると白人に虐待されるから、隠語・暗号のように「逆の意味」に。「BAD=良い」という意味にも使われる。マイケル・ジャクソンの「BAD」も、そういった背景が。

*「ハンマーソング」というのは、黒人の労働歌。

勉強になるなあ。

 


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(2014、6、4読了)

2014年6月10日 22:25 | コメント (0)

新・読書日記 2014_077

『「サバを読む」の「サバ」の正体~NHK気になることば』(NHKアナウンス室編、新潮文庫:2014、3、26第1刷・2014、3、20第2刷)

 

単行本で2008年12月に東京書籍から出たときも買って読んでいるんですが、つい文庫版も買っちゃいました。読んでみると、内容を覚えてないもんですね。「へえー」と思いながら読んでしまいました。読む時期によって「へえー」と思う所も変わって来るのかもしれませんね。とっても勉強になりますよ、一度読んでもすぐ忘れるから、ときどき読まなきゃいけないよね。

一つだけ抜き書きすると「うお」と「さかな」の違いに関して。

「国立国語研究所が調査したところによると、関西地方の一部で、『魚』のことを『うお』と『さかな』と呼び分けている地域があったのです。『うお』は、川や海で泳いでいる生きた者、『さかな』は、調理されたものを言っていました。また、川魚を『うお』、海魚を『さかな』と呼び分けている地域もあったようです。内陸の地域では、生きて泳いでいる魚を見るのは川や池だけです。海魚を見るのは調理された食膳に並んだものだけなので、『さかな』と呼んだのだと思われます。」

ふーん、そうなのか。「さかな」を「酒菜」と書くのも、あながち間違いではないのかな?勉強になりますねえ。


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(2014、5、29読了)

2014年6月10日 20:23 | コメント (0)

新・読書日記 2014_076

『異物排除社会ニッポン』(宮崎学、双葉新書:2014、4、6)

 

日本人は「同調」する傾向が強い。山本七平氏の言うところの「空気」に支配されるというヤツだ。そして現在「アベノミクス」が「排除」しようとしているものは?「同調」して「排除する」のである。「同調」しないと「排除」されるから、仕方がなく「同調」して一緒になって「排除」する・・・。しかし「アベノミクス」に同調していると、国際的には、日本が「世界から排除される」と著者は説く。

さらに、第3章では、あんなにテレビの人気者だった人がいつの間にか「排除」されてきたとして、"テレビ信者"の行動を記す。

第4章では、排除社会の象徴としての「暴力団排除」を論じるが、これってなかなか理解を得られないかもしれないけど、「常在菌」のようなものなのだろうか?いや、それはちょっと、たとえが悪いか。

さらに第5章では「震災が浮き彫りにした排除」。

最終の第6章「民主主義による排除」は、"現在日本で行われている民主主義"にも疑問を呈している。

「すべての決定は、過半数勢力に委ねて、反対勢力は次の選挙まで『待機』ということになる。選挙は独裁政党を決めるだけのものとなり、選挙と選挙の間には、過半数を制覇した政治勢力による独裁政治が横行することになる。これは代議制民主主義ではない。最終的な多数決によらなければならないが、その結論に至る過程で、十分な討論が行われ、少数意見に耳を傾けることが必要不可欠なのだ。討論と説得により、異なる意見を集約し、コンセンサスを得ること。これが代議制民主主義の取るべきプロセスだと思う。」(201-202ページ)

ごもっともです。


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(2014、5、6読了)

2014年6月10日 16:22 | コメント (0)

新・読書日記 2014_075

『校閲ガール』(宮木あや子、メディアファクトリー:2014、3、28)

 

用語懇談会の会議で、東京のプレスセンターに行った帰り、1階にある書店・ジュンク堂で見つけた一冊。やはり「プレスセンター」という場所柄、こんな本があるんだなあ。需要があるのかなあ。読書人の雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載されていたそうだが、まったく知らなかった。カバーが少女漫画のようで、手塚治虫の『ブラックジャック』「ピノ子」のような女の子がペンを持っているイラストで、ちょっと50過ぎのおっさんが電車の中で読むには恥ずかしかったが、中身が面白いから堂々と電車の中で読んだ。

最近で言うと『舟を編む』が「辞書編集者」というあまり知られていない「裏方さん」にスポットライトを当てたが、今度は「校閲」という、またまた普通は陽の当たらない「裏方さん」にスポットを当てた、コミック風の小説。おもしろいよ!


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(2014、6、7読了)

2014年6月10日 11:41 | コメント (0)

新・読書日記 2014_074

『モンスター~尼崎連続殺人事件の真実』(一橋文哉、講談社:2014、4、24)

 

あの事件。容疑者が留置場で"自殺"し、謎が謎のままで残された。

本当にひどい「怪物」による仕業。あの女は如何にして「怪物」となったのか。謎の部分は多いが、謎の"核心"はわからなくっても、その周辺を少しずつ固めて輪郭を浮かび上がらせた一冊。人間がなぜこんなことまでできるのか?モンスターに女を仕立て上げた、助言した存在とは?カルト教団と同じ洗脳の方法・・・周囲にこんなことが起きたら...と思うと、本当にゾッとする。二度とこんなことを起こさせないためにも読んでおく一冊・・・と積極的に言えないぐらい、胸が悪い、あの女の所業である・・・。


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(2014、6、4読了)

2014年6月 9日 21:40 | コメント (0)

新・読書日記 2014_073

『TVニュースのタブー~特ダネ記者が見た報道現場の内幕』(田中周紀、光文社新書:2014、1、20)

 

著者は、共同通信で特ダネ記者として活躍した後、テレビ朝日に途中入社した。「ペン」の世界から「映像」の世界へ。同じマスコミだが、全く違う取材方法、求められていること(成果)に戸惑いながらも、自分の持ち味を徐々に出して来た著者。憧れだった「ニュースステーション」で活躍。

しかし、ずっと「テレビ」で仕事をしている私などから言うと「テレビでは当たり前のこと」が、やはり同じマスコミ・同じ報道の世界でも、メディアが違うと手法が違うのは「当たり前」なのに、こんなことにも戸惑うのか!と、いささかビックリした部分もあった。

現在はフリージャーナリストとして活動されているそうだが、新聞や通信社、ましてフリージャーナリストよりも、テレビはずっと「チームプレー」の要素が大きいんだということが分かってくれたかなと思う。


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(2014、5、23読了)

2014年6月 9日 16:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5479「受肉」

 

中村うさぎさんと佐藤優さんの対談集『聖書を語る』(文春文庫)を読んでいたら、佐藤さんの発言の中に、こんな一節が出て来ました。

「村上さんの思想にしっかりと受肉されているからでしょうね」

この、

「受肉」

という言葉、見慣れませんね。『広辞苑』を引いてみると、やはり「キリスト教用語」のようです。

 

「受肉」=(Incarnation)キリスト教で、三位一体である神の子(ロゴス・ことば)が人間イエス()として生まれたこと。托身。

 

うーん、これでもわかりにくい。英語は「インカーネーション」か。もしかして、花の「カーネーション」は関係あるのかな?「カーニバル」は「謝肉祭」だから「肉」に関係ありますよね、「カルネ」が「肉」だから。

ほかの辞書を引いてみましょう。『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』は載っていない。大きめの辞典で『精選版日本国語大辞典』は載っていました。

 

「受肉」=キリスト教で、神は、父・故・聖霊という三つの位格と、ひとつの実態において存在するというのが三位一体であるが、その第二位格の子が、ナザレのイエスという歴史的人間性をとったという教理をいう。託身。インカーネーション。

 

詳しくなったら、よけいに難しくなっていませんか?しかも『広辞苑』は「托身」と「手へん」の「托」だったのに、『精選版日本国語大辞典』は「言(ごん)べん」の「託」ですね。なんでだろか?

(2014、6、8)

2014年6月 9日 12:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5478「『1Q84』の『Q』」

 

中村うさぎさんと佐藤優さんの対談本『聖書を語る』(文春文庫)を読んでいたら、キリスト教の「4つの福音書」(=マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のほかに、新約聖書で最初に成立したとされる「マルコの福音書」と同時期に

「業界用語で『Q』と呼ばれる『謎の福音書』」

があるのだそうです。「Q」はドイツ語の「クヴレ」(=「資料」という意味)の頭文字で、イエスの原稿に関する文書資料だとのこと。佐藤優さんによると、

「マルコ、マタイ、ルカの3つの福音書を『共観福音書』といい、これらは同じ歴史観、同じアプローチによって書かれており、カトリック・プロテスタントに影響を与えたのに対して、『初めに言葉があった』で有名な『ヨハネによる福音書』は、全く別の世界観に基づくテキストで、ロシア正教など東方教会に大きな影響を与えた」(2728ページあたり)

のだそうです。しかし、この「Q」のオリジナルは散逸してしまって今はないとのこと。まさに「謎」です。

それを読んで思い当ったのは、

「村上春樹さんの『1Q84』」

です。あの「1984年」を舞台にした小説は、ジョージ・オーウェルの近未来の全体主義社会・監視社会を描いた小説『1984年』をイメージしていたと思っていたのですが、なぜ「9」を「Q」にしたのかはわからなかった。もしかしたらこの「謎の福音書Q」をイメージしていたのではないか?と思ったのです。

さらにこの『聖書を語る』を読み進んでいくと、まさに「村上春樹の『1Q84』」について語られていました!(59ページ~)佐藤さんいわく、

「村上春樹さんの『1Q84』の英訳が出たら、ヨーロッパで神学や西洋古典の素養のあるインテリたちは、きっとQ福音書のことを想起すると思う。日本語だと『9』と『Q』 の音は同じだけど、英語だと『ナイン』と『キュー』で連想は働かない。でも『Q』は幻の福音書を連想させるはずです」

そうだったのか!

中村うさぎさんも、

「『1Q84』では女主人公の青豆が、現実の1984年の世界から1Q84年の世界へとスリップするけど、これまでの聖書の世界がQ福音書の世界へと言うわけか・・・」

と感想を漏らし、更に佐藤さんが、

「実は『1Q84』と聖書には符号する部分がいっぱいあるんです」

と、もう一度『1Q84』を読んでみたくなるような"ネタふり"をしています。

ここから先は、『聖書を読む』を読んでくださいね。

(2014、6、8)

2014年6月 9日 02:02 | コメント (0)

新・読書日記 2014_072

『聖書を語る』(中村うさぎ・佐藤優、文春文庫:2014、1、10)

 

単行本は2001年7月に出ているが知らなかった。文庫本でお手頃。大変勉強になる。2人は同志社大学の同窓生。(ほぼ同じ時期にキャンパスにいたようだ)平成ことば事情5465「『1Q84』の『Q』」にも書いた部分もあるので、それ以外の感想や勉強になったことなど。

佐藤さんいわく「時間というのは2つに大別できる。流れていて、何時間、何時間で計れる時間のことを『クロノス』というのに対して、『カイロス』と呼ばれる時間がある。英訳すると『タイミング』。クロノスが座標軸の上を流れているとすると、上から介入してきて切断する、その点のことを『カイロス』という。ドイツ語では『クロノス』で記述する歴史を『ヒストリエ』といい、『カイロス』をつないで叙述する歴史は『ゲシヒテ』という。直訳すると『事件史』」

「『旧約聖書』は『ヘブライ語』で書かれていて、『新約聖書』は『ギリシア語』。ヘブライ語からギリシア語に訳されたときに"誤訳"があった。典型的なのが『処女降誕』の『処女』。ヘブライ語では単に『年頃の女』だったのに、ギリシアには処女神であるアルティミス信仰があるものだから『処女』と訳してしまった」(49ページ)

「浅田彰の『構造と力』が1983年に出て、その後の『逃走論』以来、大きな物語は要らない、なぜなら大きな物語というのは共産主義が作った抑圧論だから、とされたわけね。だから、大きな物語の抑圧構造を認めるのでなく、小さな差異が重要になってきた。ただし、この小さな差異を追求していくと競争原理になっちゃうんです」(84ページ)

「サッチャーが首相の時、サウジアラビアを公式訪問して、ファハド国王と会うことになった。ところが、女であるサッチャーを国王に会わせるわけにいかない。あの国は女が政治に参画しちゃいけない国だから。そこではたと困って、宗教評議会を開いて妙案を考え出したんです。サッチャーは見た目は女だけれども、あの人間のなかでは明らかに男の要素が勝っている。だから宗教的観点から男であるという判定を下して、男として王宮に迎え入れられたわけです。いわば、本人の自覚しない性同一性障害者として。」(110ページ)

「合掌というのは、どっちの手が押していて、どっちの手が受けているのかわからないから合掌なんですよね。主体もなければ客体もない。合掌が仏教におけるシンボル的な仕草なのも、そういう意味があるからなんです。」(114ページ)

「エリツィン政権の初期のブレーンで国務長官をつとめたゲンナジー・ブルブリスという人物がいるんです。(中略)この男がいなかったらエリツィンはおそらく大統領になれなかったというような人物なんですね。彼がこう言ったんです。ソ連崩壊はいつ始まったか、それはチェルノブイリ原発事故からである。チェルノブイリ原発が炉心を爆発させたと同じように、その5年後の1991年8月にソ連共産党の守旧派がクーデターを起こし、国家が爆発した。すなわち、原発のような巨大システムが事故を起こす時は、必ず国家や社会の機構の不具合もパラレルに起こっているのだ、と。」(126ページ)

 

中村「『週刊文春』の連載で、震災の前から3回ぐらいにわたって『個と全体』の問題を書いていて、そんなことが起きると思ってなかったんだけど、今回の震災が起きたときに、あ、やっぱりみんな全体主義に流れたなって思ったんだよね」

佐藤「今回の場合は国家あっての全体主義ではなくて、国民一人ひとりの根っこにある全体主義が出てきたんですね。」

中村「そうなの。日本人の中にずうっとある、全体主義への志向性っていうのかな。それが今回をきっかけに出てきた」(134ページ)

 

そのほか、「全体主義は、抑圧という名の重大な短所を持っている。同調ファシズム。不謹慎ファシズム。」というような指摘だとか、まさに山本七平の『空気の研究』ですね。

 

中村「宗教いうのも、やっぱり全体主義ですよね。」

佐藤「間違いなく宗教は全体主義です。」(146-147ページ)

 

佐藤「アメリカは、『適正』とか『数量化』に頼って動いている。なぜなら、いまだに啓蒙思想を後生大事にして合理性を信じるという、一種の宗教が支配している国なんですよね。」(163ページ)

 

中村「この震災が起こる前から個人主義がかなり行き詰まっていて、みんな薄ぼんやりと『これじゃいかん』みたいな共通認識を抱えていたところに、この震災で一気に全体主義に行ったじゃないですか。(中略)全体主義と個人主義のバランスのいいところと着地点を、これから模索しなきゃいけないんじゃないかと思うんだけれども」

佐藤「ライプニッツの単子論でいうモナドみたいな人と人のつながり方がありますよね。(中略)モナド的な全体主義のイメージとは、合唱やオーケストラなんです。一人ひとりにパートがある。指揮者の命令に従いはしても、各自の自発的な演奏にたよる部分もあって、それを全体として調和させる。一人ひとりが制約されつつ自分の持ち場を守ることによって、最大限のハーモニーができるわけです。」(165ページ)

 

佐藤「自分の力を世のため人のために使いたいと積極的に表れると翼賛、それに対し、他人に迷惑をかけるのはやめようと消極的に表れると自粛になるんです。翼賛と自粛はコインの表と裏なんですよね。」(166-167ページ)

 

中村「近代の科学主義だって資本主義だって、なんだって洗脳と言えば洗脳なんだよね」

佐藤「我々にとって最大の洗脳は『貨幣』ですよ。18世紀後半に産業革命がイギリス社会で定着するまでは、貨幣がなくても人間は生活することができた。」(178ページ)

 

「全体主義というものは必ず部分から成っていて、その部分部分はみんな違う。モナドは大きかったり小さかったりするわけです。だから全体主義の特徴は多元的なんですね。それに対して普遍主義は、個々の人間をひとしなみに扱い、一つの大きな原理で覆ってしまうのが特徴で、個々の人間はバラバラ。したがって全体主義と普遍主義は対立する概念なわけです。(中略)それでいくとナチスは普遍主義。全てをドイツ人によって席巻しようとするものである」(192~193ページ)

 

中村「全体主義と聞けばすぐナチスのことを思い浮かべるんだけどな、私なんかは」

佐藤「戦後の言葉遣いが変わったんですね。戦争中までは、多元主義が実は全体主義だったの。だから、日本に世界制覇の野望はなかったわけですよ。アジアは我々でやるけれども、その域を越える発想はなかった。」(193ページ)

 

佐藤「今のEUの思想も多元的全体主義の発想なんです。ロシアのプーチンたちがやっているユーラシア主義というのも、多元的発想。今、世界で普遍主義を唱えているのは、中国とアメリカとアルカイダだけですよ。」(195ページ)

 

佐藤「実は国家総動員法をつくった人たちは、1941年にほとんど逮捕されてしまう、治安維持法違反で。(中略)多元的全体主義は共産主義の仲間じゃないかと思われたんです。」(202ページ)

 

などなど。難しかったけど、中身の濃い、勉強になる一冊でした。


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(2014、5、26読了)

2014年6月 9日 00:58 | コメント (0)

新・読書日記 2014_071

『プリズム』(百田尚樹、幻冬舎文庫:2014、4、25)

 

最近は作家活動以外にも、NHKの経営委員になったりしてオピニオンリーダーとして注目され、賞賛も批判もある百田さん。純粋に"作品"に向き合って読んでみた。

少しミステリー的な要素もあるので話の筋は言えないが、大きく括ると「恋愛小説」ですね、意外にも。多重人格の人のいくつかある人格の内の一つを愛してしまうという、なんともミステリアスなお話。一体どうなるんだろう?と、ついつい先を読んでしまい、眠れなくなります。400ページ近くあるんだけどね。おもしろかったです。


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(2014、6、6読了)

2014年6月 8日 19:31 | コメント (0)

新・読書日記 2014_070

『日本政治ひざ打ち問答』(御厨貴・芹川洋一、日経プレミアシリーズ:2014、4、8)

 

小沢一郎の『日本改造計画』の執筆者(ゴーストライター)でもある東大名誉教授の政治学者・御厨貴と、日本経済新聞論説委員長の芹川洋一は、40年前、東大で同じゼミ生だった!その二人は、長い年月、それぞれ学問とジャーナリズムという違う手法で"政治"と関わって来た"プロ中のプロ"同士。その二人が「日本の政治」について語り合うという、貴重な一冊。

「すぐに答えの出ない『経済』でスタートした安倍政権」は、その船出の仕方は成功だったと評価。その経済政策である「アベノミクス」への期待・イメージで、いつまで時間を稼げるか。そろそろ、その真価が問われる。消費税率も上がって、耐えて行けるかどうか。

「強大な敵がいない政権ほど危うい」

安倍政権が内閣改造をしないのは「人材がいないから」だという。

芹川いわく「本来、政治というか、政党の役割は、ナショナリズムをいかに管理するかだと私は思っているのですが、政党がナショナリズムを煽る方向へ動いているのではないかという気がしてなりません」

御厨いわく、「自民党はどうやって一人ひとりの有権者をつかまえていかなければいけないか。それが昔は利益によってだったけれども、いまはそれほど利益配分ができない。そうすると、芹川流の話にかぶせて言えば、ナショナリズムによって有権者をつかまえるのであり」

芹川「都市部は理念型になるけど、地方はまだ旧来の型なんですね」

御厨「そうです。中堅都市あたりが最もナショナリスティック(国家主義的)になるかもしれない。こうした動きがはっきりしてくると、よほどうまく統合しない限り、自民党はイデオロギー党と利益党に分裂するということです」

改めてこの会話を読んでみて、

「あれ?自民党ではなく『日本維新の会』で石原さんと橋下さんが袂を分かったが、あれも石原さんがイデオロギー党、橋本さんは利益党ということかな?」

と思い当った。東京が都市部の理念型、大阪は地方の旧来型か。勉強になるなあ。


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(2014、5、20読了)

2014年6月 8日 12:07 | コメント (0)

新・読書日記 2014_069

『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』(サンキュータツオ、角川学芸出版:2013、3、25初版・2014、4、30再版)

 

「学校では教えてくれない」、これは教えてくれないよねー、そんなに詳しいとろまでは。大学では教えてるけど、私も。

サンキュータツオさんは1976年生まれの芸人さん。早稲田の後輩でもあるが、今、一橋大学の非常勤講師でもある。「辞書」の面白さに取りつかれた人。今年2月に、「三省堂国語辞典」の編纂者・飯間浩明さんと一緒にトークショーをやっていたのを聞きに行った時に初めてタツオさんのことを知ったが、関西では、まだあまり知られていないのかもしれない。とっても知的なお笑い芸人さん。

この本では色んな辞書の特徴を書いてあるとともに、その辞書を、

「若い男の子に例えると」

というイメージを「イラストで」記してあるところが、きっと若い人にはとっつきやすいと思う。「国語辞典」って、みんな同じじゃなくて、それぞれ個性があるんだよということを、ビジュアルで表そうという新しい試みだと思いいました。


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(2014、5、15読了)

2014年6月 7日 12:05 | コメント (0)

新・ことば事情

5477「国産国消」

 

甲南大学の授業を終えての帰り道、阪急岡本駅近くで見かけた「焼き鳥店の看板」に、こんな言葉が出ていました。

「国産国消」

これまでは、

「地産地消」

という言葉を見たことはありましたが、「国産国消」という言葉は初めて目にしました。

「地産地消」

は、その土地土地でとれたものを地元で消費しようという"運動"で、要は、遠くでとれたものを運んで来るには、ガソリンなどの燃料などもかかってしまうので「環境にやさしくない」と。できるだけ移動距離の少ない材料が、地球に優しく、地元の繁栄にもつながるということだったと理解していたのですが、「国産国消」は、「地元」よりは、

「ちょっと、範囲が広がっています」

よね。でも海外の物よりは移動距離は短いし、「海外よりは国産」という"ある種の信頼"もあるので、そこに着目したのでしょうか?

グーグル検索(6月5日)では、

「地産地消」=71万1000件

「国産国消」= 6万4300件

でした。「TPP交渉」の行方も気になるところですが、そういったことも、この言葉の使用と関連しているんでしょうね。

(2014、6、5)

2014年6月 6日 17:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5476「ど真ん前」

 

6月4日、「ten.」の名物コーナー「若一ミステリー」で、「大坂の鐘」の取材に行った中谷しのぶアナウンサー。谷町筋から少し入ったところにある「釣鐘町」に、その「鐘」が今もあるというのです。そのとき!

「ゴーン」

という鐘の音が!その鐘は・・・マンションの前にちょっと変わった形の櫓のようなものがあり、その中に「鐘」はあったのです。それを見た中谷アナウンサーが驚いて一言。

 

「マンションの『ど真ん前』ですねえ~」

 

えー!「ど真ん前」って・・・・下品だし、「真ん前」でいいでしょう!

まだその上に「ど」を付けますか!

「ど真ん中」

は言うかもしれないけど「ど真ん前」は初めて耳にしました。

もしかして、若者は使う言葉なんでしょうか?

グーグル検索では、(6月4日)

「ど真ん前」=  1万4100件

「ド真ん前」=  5万0800件

これに対して、

「ど真ん中」= 99万8000件

「ド真ん中」=106万0000件

でした。やはり比較的使われていない言葉なんでしょうね「ど真ん前」は。特に、ちゃんとした文章には出て来ない言葉のようです。

(2014、6、4)

2014年6月 6日 10:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5475「縄文式土器か縄文土器か?」

 

用語懇談会の放送分科会の開催前の質問で、関西テレビの委員から、

「我々の子どもの頃は『縄文式土器』と習ったものが、最近の教科書では『縄文土器』と『式』が付かなくなっているが、放送ではどうしているか?」

という質問が出ました。

ググってみたところ、「縄文土器」「縄文式土器」、両方出て来ました。そういった項目の中で、ひと際は私の目を引いたのが、

 

「縄文式土器ならアマゾン」

 

というもの!「アマゾン」ったら「縄文式土器」まで売っているのか!!と思い、クリックしてみたら、

「○○ろうそく店 縄文式火炎土器  ¥32,400」

「学校教材専門店 縄文式土器も気3点セット  ¥31,320」

といったものが載っていました。なるほど「模型」ね。でも、そんなものまで売られているんですね。大体3万円ぐらいなんだ。

ちなみに「縄文式土器か?縄文土器か?」については、2006年に「教えてGoo」というサイトに、

「最近『式』が付かない形を目にするが、どう違うのか?」

という質問が載っていて、ベストアンサーは、

「『○○式』は『形式』『型式』『様式』などは、特定の特徴に基づく"分類"。『縄文土器』は、土器そのもの"名称"。これは紋様などによって『勝坂式』『大木式』といった細かい分類がされる。『縄文式土器』というと、個別様式の『式』と土器全般の『式』がダブってしまうことになることから、昨今は『縄文土器』と呼ばれるようなった」

というようなものでした。

(2014、6、4)

2014年6月 5日 18:05 | コメント (0)

新・読書日記 2014_068

『図書館の主(あるじ)8』(篠原ウミハル、芳文社:2014、5、22)

 

図書館の司書が主人公の漫画。「1~2巻」(1巻=「2012読書日記014」、2巻=「2012読書日記020」)を読んで、その後、もう「3巻」は読んだものと思って、当時見つけた「4~6巻」を購入(「2013新・読書日記144~146」)、なかなか単行本が出ないのと、いつ出るのかよく分からないのでなかなか購入できず。先日、近くの書店でたまたま見つけたら、もう「8巻」になっていたが、まあ、いいか。

なんか登場人物が増えているような気がして、人間関係系が分からないんですけど、なんとなくまあ、いいかと。今回はルナールの『にんじん』を取り上げていますよ。昔読んだなあ。


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(2014、5、31読了)

2014年6月 5日 16:00 | コメント (0)

新・読書日記 2014_067

『昭和の大阪』(写真=産経新聞、光村推古書院:2012、8、22)

 

写真集。こちらの方が古い。戦後昭和20年(1945年)頃から昭和50年(1975年)まで。「昭和の大阪Ⅱ」のほうを先に見てよかったので「Ⅰ」も買いました。これは、資料的価値も高いと思いますよ。でも昭和36年(1961年)生まれの私にとっては、半分ぐらいしか「同時代」ではなかったので「Ⅱ」のほうがよかったかな。


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(2014、5、6読了)

2014年6月 5日 10:59 | コメント (0)

新・ことば事情

5474「もふもふ」

 

書店で、「猫の耳」のようで毛糸のような柔らかい頭にかぶるものが付録に付いた雑誌を売っているのを見かけました。その惹句に、

「もふもふ」

という擬態語が。聞いたことはありますが、これってまだ辞書に載っていない擬態語ではないか?と、ふと思いました。

家に帰って、『三省堂国語辞典・第7版』に載っているか引いてみましたが、残念ながら、

載っていませんでした。

グーグル検索では(6月4日)、

「もふもふ」=172万件

出て来ました。どうやら「ネコ」や「犬」に使われている擬態語のようですね。

「もふもふ、ネコ」= 69万5000件

「もふもふ、猫」 =224万0000件

「もふもふ イヌ」=  9万6500件

「もふもふ 犬」 =157万0000件

でした。

(2014、6、4)

2014年6月 5日 08:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5473「『なにわ』のアクセント」

 

6月3日、大阪市「浪速区」で殺人事件がありました。通天閣の近くです。その件に関して報道フロアで伝えるWデスクが、

「なにわのコロシの件ですけど」

と言っていました。この「なにわ」のアクセントが、

「ナ/ニ\ワ」

「中高アクセント」だったので違和感がありました。普通は「平板アクセント」

「ナ/ニワ」

ではないかな?(関西では、最後の「ワ」だけ上がるパターンの「ナニ/ワ(LLH)」か、モス気は全部が高い「ナニワ(HHH)」ですが。Lは低く、Hは高く発音します)と思って口にしたところ、隣の席の「ミヤネ屋」Oデスクが、

「府警内部では、中高で『ナ/ニ\ワ』って言いますよ」

と。そうだったのか!初めて知りました。たしかに

「3拍中高アクセント」

は、

「マ/ク\ド」「ファ/ミ\マ」「ミ/ス\ド」「テ/レ\ビ」「ラ/ジ\オ」

などと「大阪弁のアクセントパターン」として大変特徴的なのですが、そんな所でも使われていたとは!・・・あ、でもそもそも「殺人事件」を意味する警察業界用語、

「コ/ロ\シ」

も、「3拍中高アクセント」で、これは結構、耳慣れていました。それと同じかあ・・・。

ちなみに「強盗事件」は、

「タ/タ\キ」

と、これも「3拍中高アクセント」ですね。

(2014、6、3)

2014年6月 4日 23:03 | コメント (0)

新・読書日記 2014_066

『昭和の大阪Ⅱ』(写真=産経新聞社、光村推古書院:2014、4、26)

 

写真集。昭和50年(1975年)から平成元年(1989年)まで。まさに"同時代"を生きて来ただけに、思い入れもひとしお。モノクロ写真というのがいい!

昭和56年(1981年)12月20日、梅田東映会館で映画『セーラー服と機関銃』の公開から初めての日曜日、薬師丸ひろ子の舞台挨拶がある予定が、ファンが殺到して中止になった時の騒ぎの様子を取った一枚が!角川映画の歴史でもあるなあ。機動隊が出ていましたよ!写真って"瞬間"を切り取ったのだけど、力があるものだなあ。

ただ、惜しむらくは「御堂筋パレード」のキャプションが、「平成7年(1995年)で終了」とあったが、これは間違いですね。正しくは橋下大阪府知事が出て来た際で、「平成19年(2007年)」に終了ですね。


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(2014、5、2読了)

2014年6月 4日 19:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5472「物販」

 

先日、「ミヤネ屋」で、

「物品収入で稼ぐ」

という言葉が出て来ました。この中の、

「物販」

というのは、「物品販売」ということですね。ところがこの「物販」という言葉、国語辞典には載っていないみたいなのです。『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉(電子辞書)』『NHK日本語発音アクセント辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『新潮現代国語辞典』には「物販」は載っていませんでした。

ところが!さすが新しい言葉をいち早く取り入れる、

『三省堂国語辞典・第7版』

は、見出しで採用していました!(空見出しですが。)

 

「物販」=(←物品販売)「物販店・食物販(=料理や加工食品を店で売ること)」

 

「食物販」ってのは初めて知った言葉ですねえ。あと『デジタル大辞泉(ネット版)』では、

「ぶっ‐ぱん 【物販】(「物品販売」の略)(形のある)商品・製品を売ること。

(例)「アイドルグッズの物販コーナー」

とありました。やはりり、一般に使われる始めたのは新しい言葉(略語)のようですね。グーグル検索では(5月29日)、

「物販」  =297万0000件

「物品販売」= 49万4000件

おお、正式名称であろう「物品販売」よりも、省略形の「物販」のほうが6倍も使われている!

でも、結局「ミヤネ屋」では、

「物品販売などで稼ぐ」

としました。

(2014、5、29)

2014年6月 4日 11:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5471「敷居としきみ」

 

『「サバを読む」の「サバ」の正体~NHK気になることば』(NHKアナウンス室編、新潮文庫)を読んでいたら、

「『敷居』は古くは『閾(しきみ)』ともいいました。部屋などの境界を表すことから、出入り口を意味する場合にも使われます」

とあるではないですか!

「閾(しきみ)」

という「門がまえ」の難しい漢字は、

「閾値(しきいち)」

「閾(しきい)」ですよね。「しきい」は「しきみ」とも言うのかあ!

ということは、仏壇やお墓に供える植物の、

「しきみ」(しきび)

「閾」からきてるのでしょうか?

「この世」と「あの世」の「閾」ということなら、意味も通じますが。

『精選版日本国語大辞典』では、「敷居」は、

「『敷き藺(い)』の意、または、『敷き居る』の意から」

と書かれています。同じく『精選版日本国語大辞典』で、御仏前へ供える「しきみ」を引くと、

「しきみ【樒、梻】(「梻」は国字)モクレン科の常緑小高木。各地の山林に生え、墓地などにも植えられる。高さ三~五メートル。(中略)全体に香気があり、枝を仏前にそなえ、葉から抹香や線香をつくる。材は数珠などとする。また節分の夜、柊(ひいらぎ)の代わりに用いる。これは徳川家康が武田信玄との戦いに敗れ、浜松城に逃げ込んだ時、折からの節分に柊がなく、樒を代用した故事によるという。はなのき。しきび。こうしば。こうのき。まっこうぎ。木密。仏前草。樒の木」

とありました。うーん、「閾」とは関係なさそうだなあ。たまたま「音」が同じだったのかもしれませんね。

(2014、5、29)

2014年6月 3日 17:31 | コメント (0)

新・読書日記 2014_065

『独立国家の作り方』(坂口恭平、講談社現代新書:2012、5、20)

 

2年前に出たときに話題になった本。ようやく読んだ。

うーん、どうなんだろう。

いろいろ疑問が多かった。一種の「アナーキスト」的な感じ。発想の転換はいいと思うが・・・。それと「独立国家」がどうなったのかが、よくわからなかった。

読んでいくと著者の坂口さんは「躁うつ病」なんだそうだ。躁うつ病・・・独立国家・・・で思い出したのは、作家の北杜夫である。北杜夫も「躁うつ病」をネタに文章を書いていた。「マブゼ共和国」という独立国家を作って、たしか通貨まで作ったのではなかったか。似てる・・・。

面白い部分もあったが、一番気になったというか私は受け入れられなかったのは、

「レイヤー」

という言葉。一番最初に「レイヤー()」と簡単に意味が書かれていたが、最後まで耳慣れなく、なじめなかった。ITジャーナリストの佐々木俊尚さんの本で見たことのある言葉ではあるが、まだ全然、私の中では馴染んでいない言葉であった。


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(2014、5、13読了)

2014年6月 3日 16:29 | コメント (0)

新・読書日記 2014_064

『大本営発表のマイク~私の十五年戦争』(近藤富枝、河出書房新社:2013、8、30)

 

大変資料的価値の高い本だと思う。(ただ、文章は時制がハッキリしないところがあって、やや読みにくいのだが。)著者は、東京女子大学を経て、劇団員として芝居にも出演し、文部省勤務を経て戦時中にNHKの放送員(アナウンサー)となった、1922年生まれの戦中派の女性。

昭和6年からお話は始まり、大学時代の同級生として、なんと瀬戸内晴美(寂聴)さんや、作家の阿刀田高の姉・阿刀田稔子さん、のちの福田恆存夫人となる西本敦江さん等の同級生や、また劇団の先輩として杉村春子さんなどが出て来て、もう、著者が生きて来た"生活"が、そのまま"演劇の舞台の上"のような感じ。"歴史"である。

NHKのアナウンサーになってからも、和田信賢、飯田次男、浅沼博と伝説のアナウンサーの名前が出て来る。また、同期の小原和アナウンサーは、本業がオペラ歌手で、戦後アナウンサーを辞めてオペラの世界に戻ったと。そして、作曲家・磯部俶夫人になったというのだ!なんと!早稲田グリーの大先輩・磯部俶先生の奥さんは、元アナウンサーだったのか!知りませんでした。

気になった言葉をピックアップしておきます。

「四大節」(19ページ)

「昭和八年七月二十五日・・・防空演習」(4344ページ)=桐生悠々の「防災訓練を嗤う」を思い出した。

「デンマーク体操の第一人者で終戦後東京女子大学の学長になった井澤エイ先生。ラジオ体操の第二はこの方の作品である」(59ページ)

「その頃石坂洋二郎のベストセラー『若い人』に、主人公の勤めるミッションスクールで、『ゴッドとエンペラーとどちらが偉いか』という質問を生徒がする場面があった。発売後に当局からクレームがあって『仏陀とゴッドとどちらが偉いか』と直したように聞いている。」(65ページ)

「品川巻(=海苔を巻いた煎餅)を買って来てそれにバターをつけて食べることを寮で教わり」(67ページ)

「教室で私の後ろの席に座っていたのが東寮生の瀬戸内晴美(寂聴)さんでクラスでは異色の存在として人気があった。彼女は四国徳島の出身で、「シェンシェイ、シュツモンがあります」と授業中に独特のイントネーションで言うと、クラス中が笑いに包まれた。しかし彼女はおめず臆せず『訛りは郷里の誇りよ』と平気だった。」(68ページ)

「本科一年になると出席簿はアイウエオ順になった」(73ページ)

「昭和十六年の秋はまだ浅草界隈の食物は豊富だった」(75ページ)

「なおこの大戦中大本営発表となると勝報の時は『軍艦マーチ』がひびき、凶報の時は『海ゆかば』の曲が流れた。心憎い演出だと思っていたが、これは十二月八日の朝六時の開戦を告げる大本営発表の折に、前夜JOAKの宿直をしていた和田信賢(のぶかた)アナウンサーがとっさに思いついてやったことだとのちに聞いた。」(7980ページ)

「叔母たちはうれしがって見事な搾りの手柄(てがら)や簪や丈長(たけなが=わしを細長く切って平らにたたみ、元結の上に装飾用として結んだもの。平元結)などをくれた。」(80ページ)→この「手柄」は、「手絡(てがら)」(=夫人の丸髷などの根もとに掛ける装飾用のきれ。縮緬を種々の色に染めて紋の柄にしたものが多い)が正しいのでは?

「温かそうなアストラカン(=西アジア地方に産する、羊の胎児や、生まれたばかりの子羊の毛皮。帽子や夫人のオーバー地として珍重。また、それに似せて織った織物。もとロシアのアストラハン地方で産した)のスーツの人」(95ページ)

「涙をかくすために掻巻(=「かいまき」(「かい」は「かき」の変化した語)綿を薄く入れた小さい夜着(よぎ))を引っぱった」(98ページ)

「アッツ島の玉砕が発表されたのが五月の末で、全滅とは言わず玉砕という新語を大本営はまたも使って美化した。けれども三カ月前にガダルカナル島の退却を転進と表現したのはもっと罪が深かったと思う。」(108ぺージ)

「毎日のように寄っていた西荻駅のまわりの喫茶店も、開いているところが少ないのは、砂糖の切符制の影響だろう。米のとぎ汁にズルチンをまぜてカルピスと偽って出すところがあり、おかげで仲間はみんなスマートであった。」(109ページ)

「釘本さん(釘本・文部省図書監修官)が友情に厚い人であることは、平成二十一年に出版された島内景二著『中島敦「山月記伝説」の真実』を読んで痛いほど了解した。『山月記』は中島敦の名作で高校の教科書にも採られ、多くの読者を得ているが、作中の虎になった李徴(りちょう)は作者自身、その友人の袁惨(えんさん)が釘本久春だと島内氏は考証されている」(115ページ)

「その頃文部省の近くに、毛抜鮨(=握った鮨を一つずつ熊笹で巻いて押したもの。笹鮨。笹巻鮨)があった」(122ページ)

「赤坂の溜池の方に、みつまめを食べさせてくれる店があった。(中略)週に二、三回は行った。みつまめといってもえんどう豆もぎゅうひも果物も入っていない。むろんあんやクリームなどの夢のまた夢である。ただ寒天に甘みがかかっているだけのもので、一杯十九銭だったろうか。四杯まで食べてよくて」(122123ページ)

「執務中でも、コンサイスの頁を破って煙草を巻いている先輩を見かけた。釘本さん尾その一人だった。この頃にはじまり終戦後も煙草を手巻きすることがはやった。」(123ページ)

「私は祖母の防寒ゴートをもらって」(123ページ)

「その頃出版物は紙が悪かった。仙花紙といい、色は茶っぽく藁半紙に似ていた。」(124ページ)

「かねてわたしが思っているような文学への想いを絶って動いているのではないか」(127ページ)

「それまでの辛棒だと思っている」(129ページ)

「日本放送協会で女子放送員の募集があるとスポットで知った時は、飛び上がりたい程うれしかった。」(133ページ)

「私はおしゃれをしてグリーンと黒のストライプのデシン(=「クレープ・デ・シン」の略。女性用の洋服生地。錦紗(きんしゃ)に似た平織の薄地縮緬。元来中国産の縮緬に模してフランスで織りだしたもの。フランス縮緬)の半袖ブラウスにスカートという姿だった」(134ページ)

「食堂は黒パンと魚のハンバーグ、折れうどん入りのチャプスイ(【雑砕】(広東音)中国料理。鶏・家鴨・豚・鮑(あわび)などと筍・白菜など野菜類の千切りとを炒め、鶏のスープを加えて調理したもの。)雑炊などで、料金は十銭と覚えている。」(138ページ)

「ニュース原稿は報道部へとりに行く。ザラ紙に鉛筆で書き流した乱暴な字で、下読みをしてわからない字をチェックしないといけない。」(143ページ)

「絹というふれこみだったけれどスフ(レーヨン)混入らしい光り方をしていて縫うのをやめた」(143ページ)

「『敵一機、マリアナ方面より我が本土に近づきつつあり』といったアナウンスがされる。この場合<いっき>とは言わず<ひとき>と言う。」(146ページ)

「甲斐絹(かいき)の敷布団に、真綿の入った薄い絹の掻巻(かいまき)だった」(177ページ)

「私はこんな深刻なことをいつまでも考えるタイプではなくて、アナウンサーとして割り切って通り過ぎていくのが例であった。言い訳をするつもりではないが、仲間十三人も皆同じだったろう。大本営発表を疑うよりも失敗なく読むことの方が大事だった。夜中の時間だった頃、南仏蘭西をなんふつらんせいと読んでしまったことがある。こんな初歩的な間違いを二度とやってはいけないという気持ちがあった。そのためかニュースの内容まで批判する習慣が私から消えていた。一言でいうなら、"軽い人間"に私は属していた。」(181ページ)

「ある日、『水島君』と呼ばれた。(和田)信賢さんが誰もいないと思っていた放送員室の自席から声を出していた。『ハイ』近づいて彼の机の傍に立った。『昨日の放送を聞いたよ。巧くなった。うん、あれでいい』『ありがとうございます』これが私と信賢さんとのたった一回のやりとりとなった。尊敬している人にともあれ認められた。(大した認められ方ではないが)。私は大切に胸に蔵(しま)い、生涯の誇りにしている。」(182ページ)

「(八月)十五日には正午に放送局へ全員集合のお達しがあった。」(187ページ)

「反乱部隊の放送局を指揮していた畑中少佐は、第十二スタジオで館野守男放送員に拳銃を向けて『五時の報道の時自分に放送させろ』と迫った。館野さんは『目下警戒警報発令中で東部軍の許可がないと放送出来ません』とつっ放ねる。ここで殺されても放送はさせまいと思ったという。なおも強請する少佐とにらみ合いになった。畑中が部下に命じ、東部軍に電話を入れる。無論放送許可が降りる(ママ)わけはなく、彼らは泣きながら退散した。」(188189ページ)

「八月十五日前夜 その日放送員室に飛びこむと、いつもは閑散としているのにいっぱいの人で、汗の臭いがこもっていた。AKのアナウンサーが全員集合したので四、五十人はいただろう。座る椅子もなかった。部屋の隅のモニターラジオから、『つつしんでお伝えします。かしこきあたりにおかせられましては、このたび、詔書を渙発あらせられます。...国民は一人残らずつつしんで玉音を拝しますように』とスポットが出ている。声は館野守男さんである。響きのあるきれいな声で、ケレンのない端正なアナウンスをする。最近南方から帰還し、私はまだ話をしたことがない。そして玉音放送の担当は和田信賢さんであった。」(191ページ)

「正午の時報が鳴る。続いて、『只今より重大な放送があります。全国聴取者の皆様ご起立願います』和田さんの第一声だ。(中略)いよいよ和田さんの版二なった。敗戦は日本国民未曾有の出来ごと、その痛恨、悲哀、嘆きを一語、一語にこめながら、ていねいに、誠意をこめて、まるでたがねをうちこむかのように、たしかめたしかめ語るアナウンスの思いの正しさ、厳しさ、言葉の美しさに私は心の中で感歎の声を挙げた。(中略)そして室長席に腰をおろした。私は思わずコップに水をついで人ごみを分けて彼の席に運ぶ。『ありがとう』和田さんは喜んで白いのどをそらせて一気にそれを飲み干している。」(192193ページ)

「近頃放送は時間厳守になったよ。それも秒単位だよ。万事あちらさんの指導でね」(211ページ)

「『ただいま何時何分でございます』と、ときどきアナウンスした。私はそそっかしくて一時間も違った時間を言ったことがあった。」(211ページ)

「それにしても、八月十五日の降伏に終戦という言葉を政府は使っている。なぜ潔く敗戦と言わないのだろう。ごまかすにもごまかせない事態だと思うのに、いまさら誰のために言葉を曲げるのか」(213ページ)

「広島中央放送局には四人の十六期生が赴任していた。十六期は全員女性だったと書きたいところだが、実は黒二点が養成所のメンバーに加わっていた。そのお二人さんの仁平武男さんと安田一雄さん」(213ページ)

「アメリカが進駐してくると、懸念されていた事件が頻発した。新聞には遠慮して黒い大男なんて書いてある。黒い大男が突然蒲田の民家に闖入(ちんにゅう)したみたいな書きぶりだが、レイプが目的なことは想像がつく。」(219ページ)

「神田駅の周辺には壮大な闇市が出来ていた。(中略)売り手は人相のあまりよくない男達で、復員くずれが多い。今は死語となっているが、戦地から帰還した兵士たちを復員兵と呼んでいた。特攻くずれと呼ばれるのは、飛行服に白いマフラー、飛行帽といった服装の男達で、もっとも本物はいず、出没しているのは偽者らしかった。」(220ページ)

「四等国になった底辺にいる人間は、いっそ気楽である。」(228ページ)

「モク拾いや、靴磨き、新聞売りなどをして食べていた。才覚のある子は闇煙草を売る。チャリンコ(すり)、かっぱらい、置き引きなどをする悪餓鬼もありだった。」(229ページ)

すっごく勉強になりました。知らない言葉も多かったし。女性だからか、「服装」(ファッション)関係と「食べ物」関係の当時の言葉をいくつも拾うことが出来ました。また当時のアナウンサーの様子も分かって、とっても勉強になりました。


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(2014、5、9読了)

2014年6月 3日 10:27 | コメント (0)

新・読書日記 2014_063

『100年後の人々へ』(小出浩章、集英社新書:2014、2、19)

 

帯には「生まれ変わったら、生涯を廃炉技術に捧げたい」と記されている。小出裕章さんと言えば「半原発運動のシンボル的」存在。しかし「東京の首相官邸や国会議事堂を取り囲むデモ」に初めて参加したのは、意外にも、東日本大震災から2年以上もたった2013年8月30日だったそうです。それも「単なる一参加者」として。

放射能の問題は、100万年というとてつもない時空を超えなければならないが、それではあまりにも実感がない。しかし今年か来年かという短いスパンで見ていても、大局的な動きはできない。そこで「100年後」という、ある程度想像できる長期間を設定して(自分は、もちろんもう生きていない未来だが)考えていこうとしたそうだ。

色々な所での講演をひとつにまとめたかのような、わかりやすい話し言葉で書かれているが、内容には少しバラつきがあるように思う。もちろん、考え方は一貫しているのであろうが。その意味で、一冊の書物としては読むとちょっとわかりにくい感じになっている気がしました。


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(2014、4、10)

2014年6月 2日 20:25 | コメント (0)