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『道浦TIME』

新・読書日記 2013_153

『日本人の原点がわかる「国体」の授業』(竹田恒㤗、PHP:2013、8、7)

 

本当は、この人の本を読む気はなかった。テレビで見聞きする限り、あまり好きではないから。でも、読まずにそんなことを言うのもなんなので読もうかなと。でも買うのはちょっと・・・と思っていたら、後輩が「いやあ、良かったです、この本、勉強になりました」と言うので、「じゃあ、貸して」と、借りて読んだ。

著者は1975年生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫(やしゃご)にあたるそうだ。慶應義塾大学の法学部法律学科卒業。

これは松下政経塾で去年11月に講義した時の講義録が本になったもの。その分、文章も話し言葉っぽくて読みやすい、軽い本。松下政経塾→PHPか。松下政経塾の塾生は、こんな講義を、ふんふんと聞いていたのかなあ・・・。

なんて言うのかなあ・・・基本的に話している内容が、橋下大阪市長的な感じがする。「はったり」をかますのが好き。万が一間違ったことを言っても「あ、それは勘違いでした」で済まそうとする「軽さ」を感じる。実際、かなり矛盾した内容が出て来ている。たとえば「日本は歴史上一度も『君(天皇)』と『民』が対立関係に入ったことはありません」(114ページ)とあるが、じゃあ「西南の役」は?「鳥羽伏見の戦い」は?「白虎隊」は?「五稜郭の戦い」は?「幕府」は「天皇」にさからったのではないのか?また、「南朝」と「北朝」はどのように位置づけるの?そして「明治維新から現在までの間で、天皇が国策を最終的に決定したのは一度だけです。(中略)ポツダム宣言の受諾を決定なさったときだけです」(117ぺ―ジ)。本当?「終戦」を決定したのであれば「開戦」も決定しているのでは?日清・日露戦争は?・・・と疑問が次から次に出て来る。(松下政経塾の聴講者は、質問をしなかったのか?)というふうに、著者が「事実」と決めつけている内容が、どう考えても普通は「え?それは違うでしょ」ということがいくつかある。「日本史」を選択していなかった私でも、これぐらいの疑問は出て来る。それをあたかも「既定事実」のように話す。これって「政治家的」「啖呵売的」な話し方の特徴であり、「学者の言葉」ではない。落ち着いて読めない。

そのほか印象に残ったのは、「国体」はその国によって違うと。フランスは「平等」、アメリカは「自由」、そして日本は「天皇」が「国体」なのだという話。なるほど、わかりやすい。でも、ちょっとおおざっぱと言うか、乱暴な決めつけのように思う。この本の前に読んだ『永続敗戦論』(白井聡)だと「戦後の国体」は「日米安保体制」であったと書かれている。そして、「3.11」以降、我々が「国体=各人が自らの命をかけても護るべきもの」を真に見出さなくてはならず、「伊藤博文らによる発明品としての『国体』」は「我々の知的および倫理的怠惰を燃料としている」と記していた。それを読むと、ねえ・・・講演の文章なので仕方がないけど、やや深みが足りない。もう少し突っ込んだ話を読みたかったなあという気がした。


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(2013、9、13読了)

2013年9月18日 19:09 | コメント (0)