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『道浦TIME』

新・読書日記 2013_099

『正義という名の凶器』(片田珠美、ベスト新書:2013、5、20)

 

片田珠美という人からこの本が送られてきた。知り合いだっけ?と思いながら添えられていた手紙を読むと、過去にこの「読書日記」で片田さんの本を読んで取り上げていたらしい。検索してみたら、2009年と2012年に読んでいた。割と考え方が近い、と思ってもらえたようだ。

今回のタイトルも、「私好み」。すぐに読み始めた。「あなたのまわりにもいる正義を振りかざす人」ドキッ。もともと「正義好き」だからなあ、私は。でもその「欠点」もわかってはいると、自分では思っているのだけれども。「誰かを悪者にしないと回らない社会」うんうん、それが嫌なんだよなあ・・・コンプライアンスとか言い出してから、特にその傾向が強いように思う。本書では、塩谷瞬の二股問題や、河本準一の母親が生活保護を受給していた問題に対する"バッシング"を取り上げ、「なぜそこまでバッシングをするか」を、精神科医である著者の視線で読み解いていく。この本を書いた動機の一つが、著者自らのエッセイに対する、匿名での「罵詈雑言」バッシングを受けて落ち込んだ経験があることだという。そこから立ち直るために、「黙っていてはいけない」と立ち上がった、ある意味"勇気の書"である。

あれ?ここまで書いてタイトルを見て気付いた。辛坊さんの新著のタイトルも『見せかけの正義の正体』と「正義」が語られていた。ことしの流行語に「正義」が入るかも?「正義」について語るのは、いつ?「今でしょ!」。

 


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(2013、5、30読了)

2013年5月31日 17:26 | コメント (0)

新・読書日記 2013_098

『見せかけの正義の正体』(辛坊治郎、朝日新聞出版:2013、5、30)

 

辛坊さんの新著。大阪・淀屋橋の「ブック・ファースト」で見つけて即、購入。この書店は配本が早い気がする。

「週刊朝日」誌上で連載をしていたものをまとめ、順番を組み替え、大幅に加筆したそう。確かに、連載当時に全て読んでいると思うが、本書は新たに読んだような気分になった。少なくとも、順番を並び替えた後に、その「つなぎ部分」は書き加えている。辛坊さんはご存じのように、6月に太平洋へヨットで2か月間の「船出」をする。この本が出るのは「船出後」だと、著者本人は思っていたような感じだが、出発前に本が出てしまった。「あとがき」を今読むと、ちょっとチグハグ。まあ、気にしない、誤差、誤差。

この本のキモは、やはり太陽光発電と原発を巡る問題だろう。ここは辛坊さんの信念が記されていると思う。自宅に太陽光発電を取り付けて8年の実体験に基づいたデータだから、強い。説得力がある。当時、「みっちゃんとこも、太陽光パネル取り付けない?」と誘われたが、うちはマンションなので無理だし、10年ぐらいでパネルが使えなくなったら、その廃棄代にかなりお金もかかるし、資源も無駄かなと思ったことがあったが、今となっては「先見の明」と言うしかない。

それと、5253ページの、

「究極のエネルギー源が、宇宙空間に設置した核融合炉だとするならば、それはすでに存在しているという事実だ」

という一文を読んだ時には、「あッ!」と声を上げた。そうだ、既に存在していたんだ、核融合炉、しかも放射能が漏れても大丈夫な宇宙空間に・・・そう、それは「お天道様」、

「太陽」

である。自然の核融合エネルギーを利用すれば、人工的に核融合を作らなくても済むんだ。賢い!!

しっかりと読ませて頂きました。あとでサインください。

 


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(2013、5、25読了)

2013年5月31日 15:25 | コメント (0)

新・読書日記 2013_097

『カイジ「命より重い!」お金の話』(小暮太一、サンマーク出版:2013、4、25初版・2013、5、10第2刷)

 

著者の本は、これまでに、『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(星海社新書)を去年読んだ。今回は「マンガ」とのコラボだが、著者の側が「カイジ」を使わせてほしいとお願いして実現したのだそうだ。

マンガの「カイジ」は、私は読んでいないが、映画化されたものは見たし、「カイジ」の著者の別の作品は読んだことがある。最初の章「ようこそ、クズのみなさま」で出て来るクイズ、ま、実際読んでもらったらいいのだが、「こんな問題を間違っちゃったら、そりゃあ、ケガするわ」という問題だが・・・。やっぱり「生活費のための借金は、しちゃだめだ」というところに、結論は落ち着きそうな感じだ。でも・・・そんなことはわかっていても借金せざるを得ない人たちがたくさんいるのも事実。何と日本の国民全体の8人に1人が消費者金融を利用しているというのだから。「欲望を加速させる"ご褒美"思考」「お金を使えば使うほど、1円が軽くなる」「お金で"幸せ"は手に入らないが、お金で"自由"は手に入る」といたあたり、納得させられた。


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(2013、5、26読了)

2013年5月31日 11:17 | コメント (0)

新・読書日記 2013_096

『最高裁の違憲判決~「伝家の宝刀」をなぜ抜かないか』(山田隆司、光文社新書:20123、2、20)

 

3月以降、「一票の格差」に関する違憲判決が相次ぎ、「違憲判決」ということが注目されてきた。この時期に読んでおくべき一冊。

そもそも著者がこの本を書こうとした動機は、「最高裁の違憲判決が少なすぎる」ということ。最高裁発足から64年間でたったの8件しかないそうだ。たしかに少ない。

最高裁の裁判官が、そう判断しているのだが、歴代の最高裁長官がどういう人だったか、どういう立場の人だったかを調べることで、その流れを追うことができる。

言うまでもなく「違憲」とは、「法律や制度などが憲法に違反している」ということ。最高法規である「憲法」に違反しているとされたものは、修正を余儀なくされるので、その影響は大きい。だからこそ「違憲だが、選挙結果を無効にすると、あまりにも社会に与える影響が大きいので、選挙結果は有効」といった判決が出されるのだが、今回は「選挙結果も無効」という判決も出た。どうする?

読んでいて、そもそも最高裁は、「憲法改正自体の違憲性」を問えるのか?という疑問も湧いてきた。

本書で赤線を引いて記録しておきたかった部分を書き写す。(254ページ~255ぺージ)

「違憲審査権の意義は、『民主主義と少数者の人権』という観点からも説明することができる。日本国憲法は、多数者の意思にもとづく多数派民主主義を採用した。他方、少数者の人権も保障しようとしている。(中略)そもそも人権は、多数者の民主的な決定からも保護されるべきである。とりわけ、表現の自由、結社の自由といった精神的自由権は、民主主義体制そのものを支える。また、少数者・社会的弱者の人権は、多数者による侵害に服しやすい。民主主義の過程による是正が難しく、裁判所による保護の必要性が高い。(中略)これらの保障はまさに民主主義の基盤となるものであり、その制限について、多数者の意思を単純に尊重することは、民主主義の前提を破壊・否定することにつながるおそれがある」

随分長くなってしまいましたが、その通りだと思います。


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(2013、4、10読了)

2013年5月30日 23:16 | コメント (0)

新・読書日記 2013_095

『ルポ労働格差とポピュリズム~大阪で起きていること』(藤田和恵、岩波ブックレット:2013、12、6)

 

労働格差問題について書かれたものだと思って久々に「岩波ブックレット」を買って読んだのですが、実は「橋下問題」について書かれたものでした。例の大阪市長選の後に平松市長を推す組合側が、リストを作って勤務時間内に政治活動をしていたと。そのリストが出て来たが、実は捏造されたものだったという"事件"がありましたが、その周辺を取材したものでした。一番印象的だったのは「公務員に向けられる憎しみのまなざし」、そして「英雄を求める心」。この二つは「ファシズム」を生む土壌である。生活保護を受ける人の数が全国一の大阪には、そういった意味で「ファシズム」を生みやすい土壌があるのかもしれない。「英雄」が「タイガース」など、スポーツに向いているうちはよいのだが・・・。


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(2013、5、24読了)

2013年5月30日 20:14 | コメント (0)

新・読書日記 2013_094

『かわいいこねこをもらってください』(なりゆきわかこ作・垂石眞子絵、ポプラ社:2007年10月第1刷、2008年5月第4刷)

 

童話です。小3の娘が学校で借りて来て、「かわいいけど、めっちゃかわいそうな話やで。読んでみ!」と薦めてくれたので、読みました。

うーん、確かに「捨て猫」の問題は、大変だ。ネコの「命」の問題、住居の問題、地域の問題、童話の枠に収まりきらない問題で、子どもにとってはものすごく厳しいお話でした・・・。


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(2013、5、27読了)

2013年5月30日 17:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5105「放射能漏れか?放射性物質漏れか?」

 

先週木曜日(23日)、茨城県東海村の事件施設で起きた放射性物質漏れ事故を伝えた新聞の記事での表現ですが、5月27日の各紙「朝刊」は、

(読売)放射性物質の漏出事故

(朝日)放射性物質が漏れ

(毎日)放射性物質漏れ

(産経)放射性物質漏洩(ろうえい)事故

(日経)放射性物質漏れ

と全紙、

「放射性物質」

という正確な表現だったのですが、同じ日の「夕刊」では、

(読売)<記事なし>

(朝日)放射能漏れ

(毎日)<記事なし>

(産経)放射能漏れ

(日経)放射性物質漏れ

と、朝日と産経が、

「放射能漏れ」

という表現を使っていました。なんでかな?

いま、日本テレビ「everyでは、

「放射性物質が漏れた事故」

と正確に報じていました。

きょうまでに「内部被ばく」をした人は、女性を含む30人に上っています。

(2013、5、27)

2013年5月30日 12:39 | コメント (0)

新・ことば事情

5104「きゃりーぱみゅぱみゅ他」

 

アナウンサー泣かせの芸名のトップといえば、やはり、

「きゃりーぱみゅぱみゅ」

ではないでしょうか。これを言いやすくするには、

「『ドラえもん』のようにしゃべる」

と言われますが、実際にやってみると、それは、

「単にゆっくりベタベタと、母音をくっつけてしゃべる」

ことに他ならず、早口ではとても言えそうもありません。あとは練習を繰り返すしかないのかなあと思います。

さて、それ以外にも言いにくい名前や言い回しはたくさんありますが、例えば、アール・ヌーボーを代表する画家の、

「アルフォンス・ミュシャ」

を取り入れた早口言葉、

「ミュシャ、模写、武者。武者、モシャ、ミュシャ」

いかがでしょうか?これも言いにくい。そして、先日のカンヌ国際映画祭でグランプリの「パルムドール」を獲得したフランス人監督の名前、

「アブデラティフ・ケシシュ」

も言いにくい。それから、ポーランド出身の指揮者で、

「スタニスワフ・ スクロヴァチェフスキ」

これも難易度は高い。さらに、「白鳥の湖」で有名な男ばかりのバレエ団、

「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」

・・・さあ、皆さん、続けて言いってみましょう!

「アルフォンス・ミュシャ、アブデラティフ・ケシシュ、スタニスワフ・

 スクロヴァチェフスキ、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」

あ・・・舌、噛んだ・・・・・。

(2013、5、29)

2013年5月29日 18:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5103「まぶしい」

 

朝。外に出ると日差しがまぶしく、思わず手でひさしを作りました。

その時にハッと思ったのは、

「まぶしい」

という言葉の語源は、

「目伏しい」

ではないか?ということです。

ご存じのように「目」の読み方には、

「メ・マ」

の両方があり、

「目深に」「まぶた(瞼)」「まつ毛」

等の「ま」=「目」ですね。「まぶしい」は漢字で書くと、

「眩しい」

ですが、これは「目がくらむ」という漢字の成り立ちではないか?ある意味「当て字」っぽい感じもします。

本当のところはどうなんでしょうか?『新潮日本語漢字辞典』「眩」を引くと、

「くらむ=強い光が目に入って、一時的に目が良く見えない状態になる」

とあります。その通り。そして、

「まぶしい・まばゆい=光の刺激が強く手、目を開けていられない。また、まるで光を発するようで、まともに見ていられない」

とあり、さらに、

「『まぶしい・まばゆい』は『目映しい・目映い』とも書く」

とありました。これ、関係ありそうです。

(2013、5、27)

2013年5月28日 18:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5102「2000本安打か?2000安打か?」

 

先日、長野で開かれた用語懇談会の総会で、朝日放送のA委員から、先ごろ2人の達成者が出たプロ野球の、

「2000本安打」

について、新聞表記・放送コメントで、

(1)2000本安打達成

(2)2000安打達成

2種類あったが、どちらが正しいのか?という質問が出ました。つまり、

「『本』が入るか?どうか?」

ということですね。

質問をした委員は、

「『2000安打達成』という『「本」なし』の表現は、放送上では今回初めて耳にしたと思う。新聞は去年の小久保選手・宮本選手・稲葉選手の達成の時には『2000安打』を使っていたが、放送では聞かなかった」

と言います。ちなみにNPBが出版している「セ・リーグのグリーン・ブック」や「パ・リーグのブルー・ブック」によれば、安打関連の記録には単位である「本」は使われておらず、すべて「2000安打」「1500安打」「400本塁打」等々となっているそうです。

この質問に関して私の結論は、

「両方、あり」

でした。

「きょうの試合で3本ヒットを打った」

ことを、どう言うかという場合に、

「きょうは3安打」

とも、もちろん言えますし、

「きょうはヒット3本打っています」

とも言えます。つまり「安打(ヒット)」の数詞は、

「安打、本」

の2種類あるということではないでしょうか?(実際『数え方の辞典』を引いてもそう書かれていました)

いや、「安打」「本塁打」を形容するものとして「数詞」が直接来る場合は、

「2000安打」「400本塁打」

となり、安打や本塁打の数を数える場合の「数詞」は「本」で、

「2000本」「400本」

といい、その数詞が「何の数字なのか」を説明するものが後ろについて、

「2000本安打」「400本本塁打」

となるが、「本塁打」の場合は「本」が2回続くので、それを嫌って「400号本塁打」「400本塁打」と言うのではないでしょうか?また、

「1安打完封」「25安打の猛攻」「1試合4安打の固め打ち」

などの場合は「本」は使わない。

・・・・

そうか、わかったぞ!

一本一本積み重ねて、正に「2000本目」という場合には「2000本安打」。

一方「通算」「合計」の本数としては「2000安打」に到達。

「2000本目」は「通算2000本」とほぼ同じ意味なので、両方使える。

「年間200本安打」を達成して、結局その年は最終的には「216安打」を放ったということもありえる。

ということで、

「序数」(順序を表す。「~目」で表せる)としては「2000本安打」、

積算の「総数」(通算・合計)としては「2000安打」

ということではないか?と考えました。

総会での放送各社の意見は、

(NHK)中継でどうだったかはわからないが、スポーツのニュース原稿では「2000本安打」

(TBS)昔「2000本はおかしいのでは?」という話もあったように思うが、今は「2000本安打」。

(NTV)これは「記録」なので中継では「2000安打」で「本」は「なし」でやっている。「次が2000本目になる」というコメントはある。

(フジテレビ)スポーツの原稿やタイトルでは「2000本安打」。

(テレビ朝日)スポーツアナウンサーに聞いたところ「どちらでもよい」とのこと。実況では「本」を入れる方が歯切れが良い。ただ「シーズン200安打」の場合は「本」を入れていない。

(テレビ東京)「本」を入れないのが正しいと思うが、現実では「本」を入れている。

(毎日放送)「2000安打」は耳慣れないので「2000本安打」。「きょう3安打」は使う。

(関西テレビ)統一していなが「本」は入れている。「記録」に関しては「本」は抜く。

(読売テレビ)「本」を入れると思う。ただ「通算」では「本」が入らず、「順序」で言うと「2000本目」と「本」が入る。

(テレビ大阪)使い分けている。「3本目のヒット」で表記は「2000安打」。

というようなところでした。

(2013、5、27)

2013年5月28日 10:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5101「宿替え」

 

この前の土曜日、甲南大学での講義が終わって帰る途中の「JR摂津本山駅」での出来事。

電車を待つ間、ホームのベンチに座って昼飯のおにぎりを食べていたところ、「N」のイニシャルが書かれた青い塾のカバンを背負った、小学校高学年ぐらいの男の子が隣に座って来ました。その男の子に、ベンチの一番端に腰かけていた80歳ぐらいのおばあさんが話しかけました。

「何年生?」

「小5」

「ああ、小学校5年生。どこから来たの?」

「尼崎」

「まあ、(小学生にしては)遠くから・・・」

このおばあさんは、この子が(土曜日なのに)「小学校に電車で通っている」と勘違いしているようです。というのも、その後にこう言ったからです。

「尼崎に住んでいるのに、電車に乗って摂津本山まで来るというのは、"宿替え"したの?」

この"宿替え"という言葉が、塾に通う頭の良い小学5年生の男の子には、わからなかったようで、

「ん??」

と聞き返したのですが、おばあさんはそれに気づかずに、

「"宿替え"したの?」

と繰り返しましたが、その単語が分からないんですから、通じるわけがありません。

横で聞いていた私が、たまらず、男の子に助け舟を出しました。

「"引越ししたの?"って聞いてるんだよ」

それで意味が通じましたが、当然、答えは、

「うううん、前から尼崎に住んでる」

今度はおばあさんに助け舟を出す番です。

「尼崎から、塾に通うために、ここまで来てるんですよ」

と、お節介にも口を出したら、当然、おばあさんの次の質問は、私に向かって、

「あら、お父さま?」

いえ、違います。通りすがりの旅人です。

それ以上、口を出すのはやめましたが、

「ああ"宿替え"という言葉はもう"死語"なんだなあ」

と感じたのでした。私自身も久々に聞いた言葉だなあ。

(2013、5、27)

2013年5月27日 11:54 | コメント (0)

新・読書日記 2013_093

『嘘の見抜き方』(若狭勝、新潮新書:2013、5、20)

 

テレビでもおなじみの元・特捜検事の弁護士。「ミヤネ屋」にも以前ご出演いただいたことがあります。26年の検事経験から嘘を見抜く「プロの技術」を公開!

まず嘘には大きく分けて4つの種類があると。それは(1)防御の嘘(2)背伸びの嘘(3)欺瞞の嘘(4)擁護の嘘。このあたり「フムフムなるほど」と読み進めた。「背伸びの嘘」を吐く人、わたしの知っている人でも数人います!

このほかに、「人は気づかぬうちに嘘をつく」という項目もあったが、そうなんです、脳は記憶を勝手に自分に都合のいいように塗り替えるんです!だからそんな「人間」の証言や自白、どこまで信用できるか分かりません。本当のことを本人は話しているつもりで、"毛ほども"疑っていないんですから。でも客観的には「事実ではない」ということもある。本人はウソをついている意識は無いにも拘わらず、ですよ。だから難しいんですよねえ・・・と納得の一冊です。

 


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(2013、5、20読了)

2013年5月26日 16:59 | コメント (0)

新・読書日記 2013_092

『聖書の日本語~翻訳の歴史』(鈴木範久、岩波書店:2006、2、23第1刷・2007、2、15第4刷)

学術書。ずいぶん前に買って(3200円!)少し読んでほったらかし、ということが続いてようやく通読できた!ちょっと難しかった。中国経由で日本に入って来た「聖書」(キリスト教)に、その(中国語の)影響が残っているということ、もちろん、日本独自の発展をした部分もあるのだが、それをいくつかの単語の変遷をチェックすることで暴いていく...という感じがした。なぜ「GOD」が「神」になったのか?そもそも日本に、もともとあった「神」という言葉が指すものとは、意味が違うのに。「デウス」→「大日」が、なぜ定着しなかったのか?(大阪・守口市にある「大日」という地名にも、改めて興味が湧いた。)それを「神」とした背景には、キリスト教宣教師側の「布教を進めるための戦略」があった。そういったところを読み解いていくのは、興味深かった。


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(2013、5、7読了)

2013年5月26日 11:57 | コメント (0)

新・読書日記 2013_091

『日本の労働はなぜ違法がまかり通るのか?』(今野晴貴、星海社新書:2013、4、25)

 

この新書は、20119月に「武器としての教養」を旗頭に創刊されたもの。

標題の答えは、「取り締まる人が少なくて、全部チェックできないから」。じゃあ、放置しておいていいのか?というと、もちろんそんなことは無い。法律と実態があっているのかどうか?という疑問はあるが、法律は、あくまで弱い立場(労働者)の味方であるべきだと思います!


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(2013、5、11読了)

2013年5月25日 18:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5100「したり顔とどや顔」

 

2013年4月19日の読売新聞夕刊の言葉のコラム「もったいない語辞典」(3月までの「いやはや語辞典」のコーナータイトルが変わりました)で、明治大学教授の山口仲美さんが、

「したり顔」

について書かれています。学生に「したり顔」の意味を聞かれた山口先生、

「千年以上も昔から日本人が使ってきた、この愛すべき言葉を忘れ去るのはもったいない!」

と力説されています。まさにおっしゃる通りです。

でも、私がそれを読んで思ったのは、

「あ!『したり顔』というのは、現在の『どや顔』と同じだ!」

ということです。

山口先生は「どや顔」については、一言も触れてらっしゃらないので、一言、書き残しておきますね。

グーグル検索では(5月22日)

「したり顔」=  76万5000件

「どや顔」 =3020万0000件

ネット上では圧倒的に「どや顔」が使われています。「どや」は「どうだ!」という意味の関西弁ですから、「共通語」を「関西弁」が駆逐したとも思えます。

しかし、「したり!」と言っていたころの「共通語」は今の「上方語」だった可能性があるので、その意味では、

「上方VS.関西」

ということになるのでしょうかね?どやさ?

(2013、5、22)

2013年5月25日 11:07 | コメント (0)

新・ことば事情

5099「ワースト3」

 

2010年4月に、

「待機児童全国ワースト1位」

だった横浜市が、わずか3年で「待機児童ゼロ」を達成したと、2013年5月21日の読売新聞が伝えています。その中で、

「待機児童数ワ-スト3」

という言葉も出てきました。横浜市、名古屋市、札幌市を指すのだそうですだそうです。

ここで問題とするのは「待機児童」もさることながら、

「ワースト1位」「ワースト3」

ということば。本来、「ワースト」は「最も悪い」ですから「ワースト3」という表現はおかしいのではないか?「ワースト1位」も重複表現ではないか?

これが「ベスト」でも、「最もいい」のが「ベスト」ですから、「ベスト1」とか「ベスト3」「ベスト4」「ベスト10」もおかしいということで、最近は、

「トップ3」

などという言い方も出てきています。しかし、野球をはじめとするあらゆるスポーツのトーナメントでは、

「ベスト8」「ベスト4」

は普通に使われている「日本語」です。どうしたらええんじゃろうか?

ちなみに、読売新聞以外の新聞は、

(毎日)「待機児童最多からゼロに」「全国ワーストになった」

(産経)「待機児童を巡り、一時全国最多だった横浜市」

(日経)「10年4月の横浜市の待機児童数は全国の市町村で最悪の1552人だった」

(朝日)「3年前に待機児童が全国最多だった横浜市」

というように、「ワースト1位」「ワースト3位」は使っていませんでした。

あ、そうか、「良い・悪い」という評価のベクトルを入れると「ベスト・ワースト」あるいは「最悪」という表現が出て来るけど、単に「人数が最も多い」のであれば、

「最多」

と表現する手もあったか。なるほどね。

 

(追記)

5月29日の産経新聞に、NHK受信料不払率の都道府県別順位の記事が載っていました。その見出しが、

「大阪 ワースト2位」

でした。「ワ-スト2位」という表現、使っていますね。

ちなみに「ワースト(1位)」は「沖縄県」、「ワースト3位」は「東京都」でした。

(2013、5、29)

 

 

(2013、5、22)

2013年5月24日 22:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5098「請求と要求」

 

2013年4月10日の「ミヤネ屋」で、上原さくらさんと青山光司さんの離婚調停について取り上げました。その中で、ディレクターが質問してきました。

「慰謝料は『請求』でしょうか?それとも『要求』でしょうか?」

これに対して私は、

「既に相手が払うことが決まっている場合は『求』ですが、この場合は『求』でしょう」

と答えました。つまり字幕スーパーとしては、

×「5億円の慰謝料を求」→○「5億円の慰謝料を求」

ですね。国語辞典(「三省堂国語辞典」)を引くと、

*「請求」=(当然もらうべきものを)相手に求めること。(例)料金を請求する

*「要求」=①こうしてほしいともとめ・ること(ていることがら)(例)時代の要求②(法)ある行為の請求

となっていました。

この場合は、上原さん側の求めている慰謝料が、客観的に見ても、

「当然もらうべきもの」

であれば「請求」でいいのですが、そうとは言い切れない(だから「調停」になっている)し、「法律用語」では、「要求」の②に当てはまるという気もしますね。

結局、この調停は

「慰謝料0(ゼロ)で離婚成立」

という驚くべき結果に終わったわけですが・・・背景には何があったのでしょうか?上原さんは、単に吹っかけてみただけだったのでしょうか?不思議な調停でした。

(2013、5、22)

2013年5月24日 18:05 | コメント (0)

新・ことば事情

5097「揺れ戻し」

 

『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』(村上春樹、文藝春秋:2013、4、15)

を読んでいたら、227ページに、

「揺れ戻し」

という言葉が出てきました。「揺り戻し」ではなくて、「揺れ戻し」。聞き慣れません。

国語辞典を引いてみると、『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『新選国語辞典』『新明解国語辞典』には「揺り戻し」は載っています(地震の「余震」の意味や、相撲の「呼び戻し」の別名として)が、「揺れ戻し」は載っていません。

『三省堂国語辞典』は、見出しは「揺り戻し」しかありませんが、語句説明の中に「ゆれもどし」がありました。

『岩波国語辞典』と『明鏡国語辞典』はどちらの語も載っていませんでした。

グーグル検索では(5月22日)、

「揺り戻し」=27万件

ありましたが、「揺れ戻し」は表示されませんでした。

「揺り戻し」「揺れ戻し」ともに「複合語」です。

「揺り戻し」は、「揺る」という文語の連用形+「戻す」なのに対して、「揺れ戻し」は「揺れる」という口語の連用形+「戻す」ですね。

文語でできているという「揺り戻し」の方が古い言葉で、これまでは、それしかなかったのに、『三省堂国語辞典』が「見出し」にはしていないが「ゆれもどし」と載せているということは、近年できた新しい言葉なのではないでしょうか?

(2013、5、22)

2013年5月24日 13:04 | コメント (0)

新・ことば事情

5068「領収書と領収証」

「領収証」は、

「しょう(証)」が正しく、「しょ(書)」という短い発音と表記は間違い

だと思っていました。

ところが先日、まさにその「領収証」の実物に

「領収書」

と印刷されたものを発見しました。一体どっちが正しいのでしょうか?

グーグル検索してみると(5月22日)、

「領収証」= 230万件

「領収書」=1530万件

と、なんと「領収書」のほうが、7倍近く多いではないですか!

国語辞典ではどうか?見出しで出ているものを書きました。

<「領収書」がメイン>

『広辞苑』=「領収書」。語句明の中に「領収証」も。

『デジタル大辞泉』=「領収書」。「領収証」は空見出し。

『明鏡国語辞典』=「領収書」。語句説明の中に「領収証」も。

『三省堂国語辞典』=「領収書」。語句説明の中に「領収証」も。

『新明解国語辞典』=「領収書」。語句説明の中に「領収証」も。

『新選国語辞典』=「領収書」。語句説明の中に「領収証」も。

『新潮現代国語辞典=見出し無し。「領収」の用例が「領収書」のみ。

<「領収証」がメイン>

『精選版日本国語大辞典』=「領収証」。「領収書」は空見出し。

『岩波国語辞典』=「領収証」のみ。

<両方載せている>

『NHK日本語発音アクセント辞典』=「領収書」「領収証」両方見出しあり

『新明解日本語アクセント辞典』=「領収書」「領収証」両方見出しあり

『NHK漢字表記辞典』=「領収」の用例に「領収書」「領収証」両方あり。

 

ということでした。どうやら世の中、「領収書」の方がよく使われているようです。なぜ私は「領収証」が正しいと思っていたのかな?会社に入ってからおそらく習ったような気がしていたんですが・・・。

ちなみに『精選版日本国語大辞典』の用例は、

*「領収書」=1905年『風俗画報350号』

*「領収証」=1885年「東京府布達第40号」明治18年6月18日

「其の役所の領収証写を添へ」

とある「領収証」の方が20年早いです。

(2013、5、21)

2013年5月24日 08:03 | コメント (0)

新・ことば事情

5095「背筋が凍る」

 

「ミヤネ屋」の原稿に、

「背筋が凍る」

という表現が出てきました。特に違和感はなかったのですが、一応、念のために辞書を引いてみると・・・・載っていない!似たような表現として、

「背筋が寒くなる」

「背筋がゾッとする」

「身も凍る」

「身の毛もよだつ」

は載っていました。よく考えると「背筋も凍る」は、元々あった言い方ではないような。強調表現でしょうか?でも、たしかに「背筋」だけが「凍る」のは不自然ですよね。

グーグル検索では、

「背筋が凍る」   =449万0000件

「背筋が寒くなる」 =231万0000件

「背筋がゾッとする」= 33万1000件

「身も凍る」    =  8万0900件

「身の毛もよだつ」 = 35万1000件

ということで、なんと類似の表現の中で、ネットでは「背筋も凍る」は一番よく使われているという「背筋も凍る」結果が・・・!

早晩、国語辞典にも載るのではないでしょうかねえ・・・。

(2013、5、21)

2013年5月23日 21:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5094「脇汗」

 

最近、

「脇の下にかく冷や汗」

のことを、

「脇汗」

と言うようです。私は使ったことはありませんが、見たり聞いたりしたことはあります。これはまだ、普通の国語辞典には載っていないでしょう。でも、流行語事典とかそういうのには載っているかな、まだじゃないかな。前回、4月に放送したニコニコ動画で生放送した「道浦俊彦のことばのことばかり」で話しました。また調べておきます、と。

放送終了後、『現代用語の基礎知識2013』を引いてみたら・・・・なんと、載っていました!1145ページの「若者」の項目に、

「ワキ汗」=緊張や焦りなどから、脇から出る汗(例)「どっとワキ汗出たね。」

と、臭って・・・いや、載っていました。筆者は、リセ・ケネディー辞書研究所教授の堀内克明さん(1931年生まれ)と、國學院大学准教授の山西治男さん(1961年)ですが、年齢から見て山西さんが「ワキ汗」について書かれたのではないでしょうか。私と同い年ですね。しかもこの山西さんの「若者」の項目の次の項目で私が「日本語事情」を1153ページから書いていたのです!気付かなかった!勉強不足です。すみませんでした!

ネットのグーグル検索では(5月21日)、

「脇汗」 =107万0000件

「ワキ汗」= 64万2000件

でした。

(2013、5、21)

2013年5月23日 16:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5093「バットのようなもの」

5月21日の「ミヤネ屋」の午後3時前のニュースで、長野県飯田市で女子高生がバットのようなもので殴られたというニュースをお伝えしました。このニュースの事件の「凶器」である、

「バットのようなもの」

というのを見て思い出したのは、

「バールのようなもの」

です。たいてい、

「窃盗犯がシャッターをこじ開けるための道具」

としてニュースに出て来るのが、この「バールのようなもの」でした。「平成ことば事情3239鈍器のようなもの」「平成ことば事情444鉄棒で殴られて」でも、ちょっと書きました。この「バール」のケースでは、道具そのものは見たわけではないが、シャッターに残った傷跡などから推定して、

「バールのような形状を持った道具ではないか」

ということで、

「バールのようなもの」

としているのでしょうが、「今回の女子高生が襲われた凶器」の場合は、被害者の女子高生が「凶器」そのものを「目撃していると思われる」わけです。でも突然のことなので、はっきりとは見ていない、覚えていないということもあるでしょう。何か「長い棒」のようなもので、似たような形状としては「バット」という物が近いのではないか?というところから、

「バットのようなもの」

と伝えられたのではないかと思われます。

「見てはいるが、断定はできない」=「バットのようなもの」

「見てはいないが、残された手がかりから推定できる特徴と近い物」=「バールのようなもの」

というように、同じように「○○のようなもの」でも、ちょっと内容は違うかなという気がしますね。

 

 

(追記)

これを書いた直後に、18歳の無職の少年が逮捕されました。

「金属バットで」女子高生を殴って殺そうとした容疑だそうです。

(2013、5、21)

 

 

 

(追記2)

5月22日のお昼のニュースでは、現場近くから、

「木製のバット」

が見つかったそうです。「金属バット」じゃなかったのか。

(2013、5、22)

 

 

 

(2013、5、21)

2013年5月23日 11:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5092「復活」

 

市川海老蔵さんが京都・南座に出演しています。

その興行での口上を紹介する際に、「ミヤネ屋」のスタッフが、

「道浦さん、海老蔵さんがなんて言っているか聞き取れないので、聞いてみてください」

と言ってきました。

行ってみると、ことし2月に亡くなった父・十二代目・團十郎さんについて、

「父も病気から復活して、一緒に舞台に立てることを楽しみにしていましたが、残念ながら叶いませんでした」

というような内容でした。この

「復活」

が聞き取れないで、

「『且つ』って言ってるように聞こえるんですが、意味がわかりません」

と編集室にいるスタッフ4~5人が言うのです。

「『復活』だろ。そう言ってるよ。」

と言ったら、

「あ、『復活』かあ!」

と気付いたようですが、私にとっては、なぜ気付かないのか不思議でした。が、ちょっと考えて、「あ、そうか!」と思いました。

「復活」という言葉は、発音する際には「フッ」の部分は「無声音」、つまり声帯を使わない母音を伴わない音で発音します。バースデーケーキのろうそくを消す時に、息を「フッ」と吹く感じの音です。映像を見ていると海老蔵さんは「フッ」の部分を言っている時に、ほっぺたが少しへっこむ感じで、息を吹いているような感じに見えます。つまり無声音で「フッ」と言っているのです。

ところが関西では、そうは発音しません。全部有声音で「フッカツ」ときっちり発音します。もしかしたら、そういったことが原因で、無声音の「フッ」を関西人のスタッフたちは聞き取れなかったのではないか?と思ったのです。いくらなんでも、そんなことがあるのかな?でも、ふだん使わない言葉は聞き取れないということは、あり得るかもしれませんね。

(2013、5、8)

2013年5月22日 21:35 | コメント (0)

新・ことば事情

5091「キョン」

 

千葉県で野生の動物が増えて困っているというニュースを、5月3日の日本テレビ「every.でやっていました。そのニュースを見て、思わず声を上げました。その「増えて困っている野生の動物」の名前は、

 

「キョン」

 

というのです。そして私が上げた声は、

 

「八丈島のキョン!」

 

そう、あの漫画「ガキデカ!」に出てきた謎の動物「キョン」です!

私と同年輩のスタッフ2人も「キョン!!」と声を上げて、周囲の若いスタッフが、。

「なんでそんなに反応するのか?」

というような顔で不思議そうに見つめていました。

ニュースによると、「キョン」は今や「特定外来種」に指定されていて、本当は日本にいないはずなのに、千葉県の各地に7000頭もいるそうです。7000頭のキョン!

「野良犬」「野良猫」ならぬ、「野良キョン」!去年は1200頭あまり駆除したとのこと。

その「キョン」、夜になると鳴く。その鳴き声が、

「キョン!」

「キョン」は「キョン」って鳴くんだ!知らなかった!

じゃあ、「キョン」が2頭いて、鳴くと、「キョンキョン」・・・

今後、「キョン」はどうなってしまうのでしょうか・・・・。気になります。

(2013、5、20)

2013年5月22日 16:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5090「もう女じゃない」

 

電車の中で見かけた光景です。

向き合い4人掛けの席に座った、男性1人・女性2人のグループ。

「これは、女性だけにあげるよ」

と言って、60代後半と思われる男性から配られたパンフレット。それをもらった、やはり60代半ばか後半とみられる女性が発した一言が、

「よかった。もう『女じゃない』かと思ってたけど『まだ女』なのね」

このフレーズですが、「男性」は絶対に言わないと思いました。つまりこの「女」を「男」に置き換えて、

「よかった。もう『男じゃない』かと思ってたけど『まだ男』なんだね」

というセリフは絶対に聞かれない、と思います。ここにこそ、

「『女』と『男』の根本的違い」

があるのではないか?と思ったのです。それはもう、お気付きかと思いますが

「生殖機能」

なのではないでしょうか?

先日、教えに行っている甲南大学の学生たち「辞書」の話をしたときに、課題としてやらせたのは、

「自分の辞書を作りなさい」

ということで、

「次の言葉の説明を"辞書的に"書きなさい」

というものでした。「次の言葉」とは「男」「女」「ことば」「ケータイ」の4つです。その中の「男」「女」について書かれたものの多くに、「女」は、

「人間の性のうち、子供を産む能力のあるほう」

と書かれていました。男女を分ける時に、やはりこれは大きなポイントなのだなあ・・・と感じた「電車の中で耳にした一言」でした。

(2013、5、20)

2013年5月22日 10:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5088「突沸」

 

5月8日、滋賀の工場の事故は、「タンクが爆発」したのではなく、タンク内の化学薬品が突然沸騰した、

「突沸」

という現象だそうです。

なんて読むだろうか?「とっぷつ」?「とっふつ」?

ネット検索しました。(5月8日)「百科事典マイペディア」の解説によると、

突沸【とっぷつ】

液体を静かに熱すると沸点以上になっても沸騰が起こらないことがある。この状態を過熱状態といい,これに何か刺激を与えると急に爆発的に沸騰し,液の温度は沸点まで下がる。

と記されていました。

『広辞苑』にも載っていました。

「とっぷつ(突沸」=沸点以上の温度に加熱した液体が突然沸騰をおこす現象。突沸を防ぐには、液体中に毛細管や素焼片などを入れて気泡が発生しやすくする。」

とありました。普段はあまり目にしない・耳にしない言葉ですが、専門用語としては、ちゃんとあるのですね。勉強になりました。突沸の防止方法も分かりました!

 

(2013、5、19)

2013年5月21日 21:16 | コメント (0)

新・ことば事情

5087「目に見える形で」

 

5月19日(日曜日)NHKの夜7時のニュースで、女性のアナウンサーが、日本維新の会の石原・橋下両共同代表が名古屋市内で会談したニュースを伝えた中で、橋下共同代表の発言の、

「大阪では統治機構改革が目に見える形で進行しており」

を、

「メ/ニミエ\ルカタチデ」

と読んでいるのを耳にして「おや?」と思いました。これは

「メ\ニ・ミ/エ\ルカタチデ」

と読まないとダメでしょう。「一語」にしてしまうと、

「メ/ニエール病」

みたいな読み方です。

たしかに、似たような表現で、

「目に見えて改善した」

と言う場合は「改善」にかかる「形容詞句」として「一語感覚」で、

「メ/ニミ\エテ」

と言うことはありますが、それは「連用形」だからです。今回の「目に見える」は「形」にかかる「連体形」なので、コンパウンドするのはおかしい。その辺りの微妙な感覚が、養われていないのかなあ・・・と思いました。

(2013、5、19)

2013年5月21日 16:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5065「真白な」

 

福山雅治さんの新曲、

『誕生日には真白な百合を』

という曲を聴きました。曲の内容はさておき、タイトルが気になりました。

「真白な」

は、「まっしろな(真っ白な)」ではなく、

「ましろな」

と読むようです。

ちょっと変わっているところが「個性」なんだと思いますが、「ましろ」と読ませるのなら、「真白き百合」

あるいは、

「真白なる百合」

というように「文語」の方がいいのではないかなあ?と思いました。つまり「ましろ」という読み方は「文語的」な感じがするのです。

その昔、作家の故・北杜夫さんの作品に、

「白きたおやかな峰」

というのがあって、これも

「『白き』ならば『たおやかなる』ではないのか?」

と言われたというのを思い出しました。

でもこれ、「まっしろな」ではなく「ましろな」と読ませるのは、そのほうがインパクトがあるからでしょう。でも、「まっしろ」は「ましろ」の「強調語」。その「強調語」は「口語」で、「強調しない」と「文語」なのでしょうか?ちょっとこれ、おもしろいですよね?

(2013、5、19)

2013年5月21日 10:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5085「三昧」

先日、父と義父と一緒に話をする機会がありました。父は三重県出身、義父は和歌山出身です。その、父の話の中で、

「昔はうち(三重県名張市)のあたりは"土葬"だった。うちの父(私の祖父)の葬儀の時、初めて"火葬"になった。"土葬"の際は山の中に深い穴を掘って遺体を埋める。その穴の掘り手は当番だが、弔いの後の直会(なおらい)では、一番上座に座ることができた。お寺の墓の下には、何も入っていない。遺体を埋める場所のことを『さんまい』と言った」

という話が出てきました。それを聞いた義父が、

「ああ、うちも『さんまい』と言いました」

と言うではありませんか!

「どんな字を書くんですか?」

と聞いたら、

「『贅沢三昧』などの『三昧』や」

というのです。その「三昧」で知っているのは

「贅沢三昧」「読書三昧」

など「○○三昧」「ざんまい」と濁って使うことしか知りませんでした。

『広辞苑』を引くと、「三昧」というのは、

「『三昧場』の略」

で、その「三昧場」というのは、

「死者の冥福を祈るために設けた墓地に近い堂。また、墓所。三昧」

とあります。そして、そもそも「三昧」は仏教用語(ということはサンスクリット語)で、

「(梵語samadhiの音訳。三摩地・三摩堤とも。定・正定・等持・寂静などと訳す)心が統一され、安定した状態。一つのことに心が専注された状態。四種三昧・念仏三昧など諸種の行法がある。」

と記されていました。「三昧」での「掘り手」を、父はしたことがなかったそうですが、以前「掘り手」をしたことがある叔父に聞いた話では、

「少し掘ると、少し前に亡くなった人の骨が出て来た。前の当番の人が手を抜いて、浅くしか掘らなかったからだ」

というようなこともあったようです。やはり「土葬」は大変ですね・・・。

(2013、5、19)

2013年5月20日 19:13 | コメント (0)

新・ことば事情

5084「アポストロ」

 

『聖書の日本語~翻訳の歴史』(鈴木範久、岩波書店)という本を読んでいたら、

「『十二使徒』の『使徒』」

は、英語では、

「アポストロ」

と言うと書かれていました。いや、正確には、「アポストロ」という言葉の「翻訳語」が「使徒」であると書かれていたのですが。それを読んで思ったのは、

「じゃあ、ローマ字や年号表記で字の肩に付ける『アポストロフィー』は、『使徒』と何か関連はあるのかな?」

ということでした。「アポストロフィー」は英語で書くと、

apostrophe

で、一方、『聖書の日本語~翻訳の歴史』に出て来た「使徒」は、

apostolo

で、綴りが違いますね。英語で「使徒」は、

Apostle

で、形容詞は、

apostolic

です。「l」と「r」が違うから、違う言葉か。関係はないようです。

(2013、5、19)

2013年5月20日 15:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5083「勲」

「夏八木勲さん」が亡くなったというニュースを、5月13日の「ミヤネ屋」でお伝えしました。この、

「勲」

という名前の人は、

「戦時中生まれの人」

に付けられたのではないか?と思いました。「いさお」あるいは「いさおし」とも読みますが、

「勲章の勲」

ですよね。「勲」というと、

「柴田勲」「張本勲」

という有名な野球選手がいますが、生まれた年を調べたところ、

夏八木勲=昭和14年生まれ

柴田 勲=昭和19年生まれ

張本 勲=昭和15年生まれ

でした。

その翌日の14日夕方、今度は「飯島勲」内閣官房参与が北朝鮮を電撃訪問したというニュースが流れました。飯島勲さんも戦中生まれでは?と思って調べたところ、なんと飯島勲さんは、

「昭和20年10月生まれ」

でした。本当かな?本当は昭和20年の8月15日より前に生まれていたりして。もしくは、もう生まれる前から、名前を決めていたのかもしれません。

(2013、5、14)

2013年5月20日 11:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5082「鳥目」

 

深沢七郎の『言わなければよかった日記』を読んでいたら、

「御鳥目」

という言葉が出てきました。「とりめ」ではありません。「ちょうもく」です。この

「お鳥目(ちょうもく)

とは、

「お金のこと」

です。真ん中に穴があいていて、その形が鳥の目に似ているところからこの名前があるそうです。

しかし、私が「鳥目」と聞いて思い浮かんだのは、子供の頃に遊んだゲームの、

「魚鳥木(ぎょちょうもく)

です。ご存じですか?キャンプファイアーなどでたくさんの子どもたちが火の周りを囲んでいる時に、「鬼」が、

「魚鳥木(ぎょちょうもく)、申すか?申すか?」

と言うと、みんなが、

「申す、申す!」

と答える、すると「鬼」が誰か一人を指さし、

「魚(ぎょ)!」

というと、「魚の名前」を何か一つ言わないといけない。「鳥(ちょう)」なら「鳥の名前」、「木(もく)」なら「木の名前」を言うのです。言えればOKで、そのままゲームは続き、もし、「10」数える間に言えなければ、その子が「鬼」になってゲームは続くというもの。

「鳥目」と「(魚)鳥木」、字が違いましたね、音は同じだけど。

「鳥目」はまた、

「鵞眼(ががん)

とも言うそうで、これは『広辞苑』によると、

「(円形の中に四角い孔のある形が鵞鳥(がちょう)の眼に似ているからという)銭(ぜに)の異称。鳥目(ちょうもく)。鵞眼銭。」

と説明されていました。

(2013、5、19)

2013年5月20日 01:08 | コメント (0)

新・読書日記 2013_090

2013読書日記090『若干ちょっと、気になるニホン語』(山口文憲、筑摩書房:2013、1、10)

 

雑誌『文學界』で長年連載されていたものが100回溜まったので、組み替えて一冊にまとめたものらしい。たまたま、小林信彦の『私の東京地図』を読んだ時に挟まっていたチラシに、『私の東京地図』と並んで広告が載っていたので「これは!」と思って購入。イラストは南伸坊。これもよし。見開き2ページで一つのネタというのは、少し短すぎる感じもして、中には"若干ちょっと"説明が足りなくて分かりにくいものも少しあったが、全般的にはこの長さ(短さ)がちょうどよく、心地よいがした。

時代の流れもわかるし、私が見逃していたようなニホン語もきっちりキャッチしていて、読んでいて「なるほど」と思う所が多かった。

 


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(2013、5、19読了)

2013年5月19日 19:16 | コメント (0)

新・読書日記 2013_089

2013読書日記089『マリ近現代史』(内藤陽介、彩流社:2013、5、5)

 

まるで「世界史の教科書」。読み続けるには、かなり強い意志が必要。メモ用紙を横に置いて、中心となる人物の名前をメモしながら読んだ。

アフリカ大陸の中の国のことについて、たいていの日本人は詳しくないと思う。しかし、これからは、アフリカの国のこともわからないと、世界の動きがわからない。

「マリ」という国がどこにあるか、知ってます?私は知りませんでした。西アフリカにあって、もとはセネガルと一緒に一つの国だったけど、たったの数か月で二つの国に分かれた。その後、軍事政権の時代が長く、ようやく民政になったと思ったら、今度は北部にイスラム過激派が陣取ってしまって内戦・・・なかなか一筋縄ではいかない・・。

そして今回「マリ」が取り上げられた最大の原因は、おそらく、

「アルジェリアの人質事件」

ではないか。日本人も犠牲になった、今年1月のあの事件である。場所は、マリの隣国のアルジェリア。しかし、実はマリの内戦、北部のイスラム勢力なども、事件の背景にはあった。

それにしても著者の内藤さんは、本当に博覧強記であります。今回は、あまり切手の話に引き付ける場面は少なくて、著者曰く「初のマリの通史」とのこと。確かに!勉強になりました!


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(2013、5、13読了)

2013年5月15日 12:19 | コメント (0)

新・読書日記 2013_088

『統計学が最強の学問である』(西内啓、ダイヤモンド社:2013、1、24第1刷・2013、3、26第5刷)

なんだか売れているそうだ、この本。真っ白な表紙はカバーを付けないと手垢で汚れてしまいそうである。著者はなんと1981年生まれ!若い!まだ30そこそこ。

統計学には、苦い思い出が・・・。30年以上前の大学時代、ちょうどこの本の著者が生まれた頃に、大学の授業で興味を持って受けた。しかし・・・数学ができないと、全くチンプンカンプン!全然わからなかった。コンピューターの授業も受けた。当時は、この本に写真が載っているように「パンチカード」で穴を開けて、そのカードをフローチャートに従って並べて、読み込ませる。しかし、順番を違ったりすると、ただ「ERROR」と出る。どこがエラーなのかは、全く分からない。「こりゃ、ダメダ」と思ってあきらめたという、苦い思い出が・・・。「フォトラン」というコンピューター言語でした。ま、相性が悪いです。

この本は、ところどころ面白い所もある。特に統計学の歴史について書かれている部分は、興味深かった。しかし、いきなり「カイ二乗検定」やら「p値」とか「ランダム化」とか、全然わからん。「ランダム化」についてはかなり説明しているものの、それ以外の言葉に関する説明が「自明の事」として処理されているようで、これでは素人はわかりません。残念。


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(2013、5、12読了)

2013年5月14日 23:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5081「6冠か?六冠か?」

 

5月13日、囲碁の七大タイトルのうちの6つを同時に制覇した井山裕太さん(23)「六冠達成記念祝賀パーティー」が開かれたという記事が各紙夕刊に載りました。その見出しと記事を見ると、「漢数字か?洋数字か?」という問題が見て取れます。

(読売)「六冠」

(朝日)「六冠」

(毎日)「6冠」

(産経)「6冠」

日経は記事が載っていませんでした。

ということで、読売・朝日は「六」と漢数字、毎日・産経は「6」と洋数字です。しかし、 さらに細かく見ると微妙な違いが。

(読売)「六冠」「七大タイトル」「五冠」「七冠」「六つ」「十段」「九段」

(朝日)「六冠」「七大タイトル」「七番勝負」「五冠」「七冠」「六つ」「九段」

(毎日)「6冠」「七番勝負」「5冠」「7冠」「十段」「九段」

(産経)「6冠」「五冠」「1冠」「6つ」「十段」「7冠」「七大タイトル」「十段」

ということで、読売・朝日は、囲碁関連の数字は「漢数字」で統一されていますが、毎日と産経は、洋数字と漢数字が混在しています。特に産経は、見出しが、

「井山五冠の6冠祝賀会 『1冠失い...気持ち新た』」

と、ちょっと妙な感じです。なぜ「五冠」だけ漢数字なのでしょうか?

また、毎日新聞は見出しが、

「井山6冠 300人が祝福」

とあるのですが、その横に載った「パーティーの写真」に写った「看板」には、

「六冠達成記念」

漢数字の「六冠」が大きく写っています。それに、既に「1冠」を失って「5冠」になっている、という事情もあって、ややこしい。

先日、関西地区新聞用語懇談会で「漢数字と洋数字の使い分けの現状」についてのアンケートが行われ、その結果が発表されたばかりだったので、余計に興味が湧きました。

(2013、5、13)

2013年5月14日 19:06 | コメント (0)

新・ことば事情

5080「おところとおなまえ」

 

日曜日の昼下がり、「NHKのど自慢」を見ていました。この日は沖縄・那覇市からの中継です。司会は、この4月から新しく変わった男性アナウンサー。「爆笑オンエアーバトル」みたいなノリですが、前任のちょっと元気のない鼻濁音系のベテランの方よりは「向いている」と思います。

その「オンエアバトル」アナウンサーが、鐘がキンコンカンコン!と鳴った「合格者」に、感想を聞いた後、最後に「住所と名前」を聞こうと、

「おところとおなまえは?」

と言ったところ、3人ほどの合格者(ということは、合格者の中ではかなり人数)が、

「???」

という感じで、「何を聞かれているのか分からない感じ」で答えられませんでした。言葉の意味が通じていないのです。まだ「おなまえ」はわかったようでしたが、「おところ」については「意味不明」という反応でした。

これは、沖縄という土地柄、「意味不明」反応をした3人の合格者のうち2人が「ハーフ」(お父さんがアメリカ人・お母さんが日本人、「アメラジアン」と呼ばれる人)であったということもあるかもしれませんが、残りの一人は、「"ハーフ"ではない」女子高生でした。

これについて私の感想は、

「『おところ』という表現が、若い人や外国人(あるいは"ハーフ"の人)などには理解されにくくなっているのではないか?ストレートに『住所』と言ったほうが通じたのではないか?」

ということです。よく考えると「おところ」は「ところ」に「お」が付いていますが、意味するところは、

「お住まいになっているところ(の地番など)」

という意味の「省略形=「ところ」に「お」を付けたものです。こういった言葉を普段からよく使っていれば、何ということのない言葉ですが、最近日常生活で「おところ」という「敬語」に接する機会が減っているのではないでしょうか?特に「沖縄」という土地では・・・ということを考えたのでした。

こういった敬語に接する機会の少ない「小学生(子供)」に「おところは」と聞くよりも、「住所は」と聞いた方が、絶対に理解度は上でしょうからね。それと同じようなことではないでしょうか?そうすると、何も沖縄に限ったことではないのではということも考えました。

(2013、5、13)

2013年5月13日 18:30 | コメント (0)

新・読書日記 2013_087

『ナガサレール イエタテール』(ニコ・ニコルソン、太田出版:2013、3、11)

 

宮城県出身の女性漫画家ニコ・ニコルソン(日本人です)。「3,11」で実家が津波で流された。母と祖母が被災し、なんとか命は助かったが、家はそのままでは住めない状態。避難生活の間に高齢の祖母の認知症は進み、母は子宮がんの宣告を受け全摘手術、しかも転移していたために、抗がん剤治療を。その被災した家を大幅なリフォーム(建て替えるぐらいの規模)をした。費用の問題は?高齢の認知症の祖母が、そして「がん」にかかった母が、いつまでそこに住めるのか?・・・など、先行きの不透明な中、なんとか「建て替え」を進めていった様子を、おもしろおかしく漫画で記したもの。被災した方の状況は、本当に一人一人違うということが、よく分かる一冊だった。「自己を客観視できる」と「笑い」というものは発生するのだなということも分かった。


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(2013、5、12読了)

2013年5月13日 12:13 | コメント (0)

新・読書日記 2013_086

『言わなければよかったのに日記』(深沢七郎、中公文庫:1987、11、10初版・2011、4、30第13刷)

 

「楢山節考」の著者・深沢七郎のエッセイ。

とんでもない天才・・・というか、とんでもなく素直な、「裸の大将」的な人だったんですね。ギタリストだというのは聞いたことがあったけど。石原慎太郎(!)と気が合ったみたい。正宗白鳥など、文豪との付き合いもおもしろい。

「変わってる」といわれるのが嫌だったようだが、たまたま喫茶店で隣の席になった見知らぬ人の話が耳に入って来たからと言って「一緒に旅行に連れて行ってください!」などと言い出す人は、普通は「アブナイ人」だと思われるだろうなあ。"時代"が、そういう人の存在も許したということか。現代では、そんな余裕は、なかなか、なくなっているのではないかと思いました。でも、おもしろかった!


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(2013、5、9読了)

2013年5月12日 12:13 | コメント (0)

新・読書日記 2013_085

『「余命3カ月」のウソ』(近藤誠、ベスト新書:2013、4、20)

 

「ガンとは闘うな」という持論を展開されている近藤医師。読んでみると「外科手術は体に負担をかける」「抗がん剤が効くがんの種類は限られている」ということで、疼痛管理を行いながら、まったく治療は行わないというのが、一番余命が長くなる可能性がある、という主張です。たしかに「がん」は、外から来るものではなく、内在的に育っていく自分の体の一部だから、考え方を180度転換する必要があるのかもしれない。とはいうものの、「闘病」という言葉もあるぐらいだから、なかなか「がんと共生する」という考えを取れる勇気のある人は少ないのではないか。かといって、この本を読んで「抗がん剤を使いたい」とか「治療には手術しかない」とも思えないのも確か。もし、勘三郎さんが手術を受けなければ、新しい歌舞伎座の舞台に立てたのではないかという指摘には、「たしかに、そういう選択もあったのではないか」とうなずかざるを得ない気がした。


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(2013、5、6)

2013年5月11日 12:11 | コメント (0)

新・読書日記 2013_084

『夢を泳ぐ~寺川綾 公式フォトエッセイ』(寺川綾、徳間書店:2012、6、10)

 

ロンドン五輪前に出た「写真集+エッセイ」のようなアイドル本。アイドルですよ、寺川さんは。きれいな写真がいっぱいです。この本は、「ミヤネ屋」の資料として買ってあったもの。ずっと読もうと思って手元に置いてあって、もう1年ぐらい経ってしまいましたが、寺川選手、まだ選手生活を続けるみたいなので頑張ってほしいです。


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(2013、5、8読了)

2013年5月10日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5079「吉田という姓は」

 

ふと、思いました。

「『吉田』という姓は、もともとは『芦田』だったのではないか?『あし(悪し)』という音を避けて『よし(吉・良し・芳)』という音に代えた『忌み言葉』の一種ではないか?」

と思ったのです。もちろん、全部が全部ということはないでしょうが。

「葦(芦)原」→「吉原」

にするように、「芦田→吉田」とされた人もいるのではないでしょうか。

それとともに、東京は「葦原」を「吉原」に代えましたが、関西では「芦屋」を「吉屋」に代えてはいません。「あし→よし」の「忌み言葉」に関して、もしかしたら、関東と関西で反応が違ったのではないか?という点が気になりました。

そういえば子役の「芦田愛菜」ちゃんは、関西出身だよね、兵庫県の西宮市出身。もうだいぶ前に亡くなった、「芦原義重」元関西電力会長・関経連会長は、調べてみたら香川の高松出身。俳優の故「芦田伸介」さんは、島根県松江市の出身。そして戦後すぐの第47代内閣総理大臣・芦田均は、現在の京都府福知山市出身と、西日本の出身です。

箱根にある湖は「芦ノ湖」、富士山の近くの山梨県の市の名前は「富士吉田市」、このあたりに「芦」「吉」の境界線が、もしかしたらあるのかな?

データが少なすぎて。もっとデータを集めて拾っていかないといけませんが。

以上、思い付きでした。

(2013、5、9)

2013年5月 9日 22:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5078「荷物を運ぶコツ」

 

池澤夏樹の『双頭の船』という短編小説集の最初に載っている「ベアマン」という短編を読んでいたら、

「腰を落として大腿筋を使って立ち上がる。背筋だけだと腰を痛める。」

と、「物を運ぶ際のコツ」が書かれていました。

あれ?最近、これと似たようなことをどこかで読んだな・・・あ、そうだ、「ユニクロ」の本にも出てきたんだ!と、改めててその本『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました』(大宮冬洋)のその部分を引き写すと、

『僕は杉山から「重いパッキンを持ち上げるときは息を止めちゃダメ。腰をやられるよ。息を吐きながら持ち上げてね。」とアドバイスをもらった。ユニクロを退職した今でも、重いものを持つ時は息を吐く癖がついている。』58ページ)

と記されていました。

ちょうどこの連休、会社で机の入れ替えがあって、そのために机の中の物と上の物を、いったん段ボール箱に詰めなきゃいけなかったので、このコツを使って、重い重い段ボール箱を運びました。段ボール箱、7箱にもなりました。そのほとんどが「死んでいる(活用されていない)資料」なんですが・・・この際、捨てるかな。

全然関係のない本から、こんなことを学ぶこともあるんだなと思いました。

(2013、5、8)

2013年5月 9日 21:28 | コメント (0)

新・読書日記 2013_083

『【難解】死語辞典』(別冊宝島編集部編、宝島社:2013、4、4)

 

なかなかいい本でした。普通の「死語辞典」と違う特徴は、「死語」を積極的に使っていこうという姿勢が見られたこと。それと年代別に「その世代は使っているが、今の若者から見たら通じない言葉」を「死語」と規定したこと。それは目次を見ればわかる。

「60代と会話が通じる死語」「50代から一目置かれる死語」「40代との距離が縮まる死語」「30代とノリを合わせる死語」という具合。え、30代の使っている言葉でも、もう「死語」になっているのがあるのか。もう・・・ほんとに・・・。大体全部わかった私は一体、「何歳代」?


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(2013、4、22読了)

2013年5月 9日 18:24 | コメント (0)

新・ことば事情

5077「シモネタがはじけた」

 

お昼のニュース直前の午前11時30分ごろ、報道のデスクのマイクから差し迫った感じでこんな言葉が。

「シモネタがはじけましたので、天気を飛ばして15秒差し替えです!よろしくお願いします!」

え?シモネタがはじけた???ど、どんな「ネタ」なんでしょうか?

私のデスクの周辺の人はみんな、

「今、『シモネタ』って言ったよね??」

半信半疑の戸惑い顔。

そんな中、

「もしかして、『司法ネタ』って言ったんじゃないか?」

と言い出した人がいて、

「ああ、司法ネタ!」

と皆、納得するも、

「もっとハッキリしゃべれよな!」

と笑いながら突っ込んでいました。

(2013、5、8)

2013年5月 9日 16:27 | コメント (0)

新・読書日記 2013_082

『日本人のための世界史入門』(小谷野敦、新潮新書:2013、2、20第1刷・2013、3、15第5刷)

 

お勧めです。「世界史」が嫌いだった人も、俯瞰で全体像がわかる。たった一冊の新書で!

重要な箇所のページの端を折って行ったら、ほぼ全ページ折り返してしまって、どこが重要なのかわからなくなった位、重要な内容がギュウギュウ詰めです。

「歴史とは偶然の連続である」

から始まって、読み物として歴史の不思議を綴っていく。すんなりと中身に入っていけます。「皇帝とは何か?王とは何か?」から始まるが、やはり世界史、欧州の歴史を学ぶ上では「宗教=キリスト教」を避けては通れないなと、改めて感じた。

 


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(2013、3、31読了)

2013年5月 9日 15:16 | コメント (0)

新・読書日記 2013_081

『私の東京地図』(小林信彦、筑摩書房:2013、1、10)

 

雑誌「東京人」ででも連載されていたか・・・のような随筆。でも実際は「東京人」ではなく、「ちくま」で連載していたものをまとめたものだそうだ。

あくまで「東京オリンピック以前の東京」に愛着を持つ著者が、現在の東京の町と、自らの記憶の中にある「東京オリンピック以前の東京」の姿を重ねあわせながら描くエッセイ。それでもところどころ、古い東京の面影を残している良さ、新しいものでもそういった精神を残している良さを取り上げては褒めている。

私は、「渋谷東急会館」が閉館になったのも、「渋谷ヒカリエ」ができたのも知っていたが、"ヒカリエが東急会館の跡地に建った"というのは知らなかった。小林がすでに80歳近い高齢になり出不精と言いながら、新しい街もしっかりとチェックしているところには、感嘆した。小林が思い描く東京は50年以上前の東京だが、私が知っている東京もすでに30年以上前の東京になりつつある(一部を除く)ことを改めて知って、「月日が経つのは早いものだなあ・・・」と実感した次第。


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(2013、5、5)

2013年5月 9日 12:14 | コメント (0)

新・ことば事情

5076「完全試合」

 

4月の新聞用語懇談会放送分科会で、フジテレビの委員から、こんな質問が出ました。

「『完全試合』の読み方で、『試合』は『シアイ』でしょうか?それとも濁って『ジアイ』でしょうか?」

集まった30人余りの各社の用語委員に「挙手」で聞いたところ、

「ジアイ」

「濁る」という人が大多数でした。その中で、TBSの委員は、

「ラジオ中継では『シアイ』と濁らないです」

テレビ大阪の委員からは、

「『無四球試合』の場合は『ジアイ』と濁りますね」

また、日本テレビの委員からは、

「巨人・槙原投手が『完全試合』を達成した時は『シアイ』と濁りませんでした」

調べてみると槙原投手の完全試合が、実は現在最後の「完全試合」で、達成されたのは、1994年5月18日。つまりもう19年間も、日本のプロ野球では「完全試合」は達成されていないのです!この間のダルビッシュ投手は惜しかったなあ。

NHKの委員からは、

「昔は『シアイ』と濁りませんでしたが、その後、この問題を棚上げする為か(どうかはわかりませんが)『パーフェクトゲーム』という呼び方がメーンになりました。『NHKアクセント辞典』では、『シアイ』『ジアイ』を併記しています。以前取ったアンケートによると『シアイ』=31%、『ジアイ』=68%でした。20~70代は7割以上が『ジアイ』と濁っていました」

という意見が出されました。

皆さんは「シアイ」「ジアイ」、どちらを使いますか?それとも「パーフェクトゲーム」?

参考までに過去の「完全試合」を記しておきます。日本のプロ野球では過去「15回」、『完全試合』が達成されています。15回しかなかったのか!

   【達成月日】     【達成投手(所属)】【対戦相手】

   1950, 6,28  藤本英雄(巨人)   西日本

   1955, 6,19  武智文雄(近鉄)   大映

   1956, 9,19  宮地惟友(国鉄)   広島

   1957, 8,21  金田正一(国鉄)   中日

   1958, 7,19  西村貞朗(西鉄)   東映

   1960, 8,11  島田源太郎(大洋)   阪神

   1961, 6,20  森滝義巳(国鉄)   中日

   1966, 5, 1  佐々木吉郎(大洋)  広島

   1966, 5,12  田中勉(西鉄)    南海

   1968, 9,14  外木場義郎(広島)  大洋

   1970,10, 6  佐々木宏一郎(近鉄) 南海

   1971, 8,21  高橋善正(東映)   西鉄

   1973,10,10  八木沢荘六(ロッテ) 太平洋

   1978, 8,31  今井雄太郎(阪急)  ロッテ

   1994, 5,18  槙原寛己(巨人)   広島

 

わたしの記憶に残っているのは1968年の広島の外木場投手からですね。

それにしても、驚きました。「完全試合」って、そうそうできるものじゃないとは思っていましたが、1950年代に5回、1960年代にも5回、つまり2年に1回ペース、そして1970年代には4回あったのに、1980年代は「ゼロ」、1990年代は「1回」、2000年代(ゼロ年代)は「ゼロ」、そして2010年代もここまで「ゼロ」。つまり、"最近の35年間で、たったの1回しか達成されていない"んですね、日本野プロ野球では!

球団別の回数を見てみると、「完全試合を達成した球団と回数」は、

1、国鉄=3回

2、巨人・近鉄・西鉄・大洋=各2回

3、広島・阪急・ロッテ・東映=各1回

ということで、「国鉄」が1956年から3年連続で毎年「完全試合」を達成していたというのは、半世紀以上前の「国鉄」のピッチング・スタッフが、いかに充実していたかを示していますね。ローマ帝国の衰亡を見ているみたい。完全試合を達成した当時のほぼそのままのチーム名で残っている球団は「巨人・広島・ロッテ」の3球団で、残りの6球団はチーム名が変更(親会社が変わった)されていますね。

逆に「完全試合をやられた球団と回数」は、

1、広島=3回

2、中日、南海=各2回

3、ロッテ・西日本・大映・太平洋・大洋・西鉄・東映・阪神=各1回

ということで、こちらは広島が3回もやられています。弱小チームだったのですね。「やられた球団」の中で、ほぼそのままの名前で残っているのは、「広島・中日・ロッテ・阪神」の4球団。消滅したり、親会社が変わった球団は「南海・西日本・大映・太平洋・大洋・西鉄・東映」の7球団。完全試合をやられたから無くなったわけではないでしょうけど。チーム名を見ていると、日本の企業の栄枯盛衰を感じますね。電鉄会社や映画会社が親会社だった時代があったのだなと。あ、今も、阪神・西武と電鉄会社は健在ですが、昔は、南海、阪急、近鉄、西鉄、国鉄(今のJR)もあったよなあ・・・ということです。

それにしても「完全試合」は、「なかなか、出て来ない言葉」なのですが、用語懇談会でこの話をした(4月19日)とたん、翌々日の21日に「東京六大学野球」で、早稲田大学の・高梨雄平投手が東京大学戦で「完全試合」を達成しました。東京六大学野球史上でもたった「3人目」だそうです。珍事(椿事)ですね。

それにしても、ダルビッシュは惜しかったよなあ・・・。今シーズン中に、もう一度、あんな形で「やってくれる」のではないかと期待しています。

(2013、5、9)

2013年5月 9日 11:26 | コメント (0)

新・ことば事情

5075「後ろ倒し」

 

4月の新聞用語懇談会放送分科会で、フジテレビの委員から、

 

「最近『就職協定』のニュースなどで『後ろ倒し』という表現を耳にするようになったが、各社はこの表現は使っているんでしょうか?」

 

という質問が出ました。これに対する各社の意見は、

(NHK)政府コメントで「就職協定を"後ろ倒し"して」と最近よく出て来る。「先送り」の言い換え語ではないか?

(共同通信)社内の用語委員会でも問題になった。「前倒し」も、そもそも役人用語。

(読売新聞)就職関連の記事でよく出て来る。先日、朝日新聞は「大見出し」でも使った。読売新聞でも「抗しがたい」感じ。でも、個人的には「使うべきではない」と思う。

(テレビ大阪)各紙、見出しに出て来ているようだ。

(テレビ東京)「後ろ倒し」はニュース原稿に出て来た記憶はない。

というものでした。

「前倒し」はあっても「後ろ倒し」はないよなあ!

グーグル検索では(5月7日)、

「後ろ倒し」= 10万8000件

「前倒し」 =249万0000件

でした。圧倒的に「前倒し」の方が使われています。

ネットのgoo辞書には、

「『前倒し』に対して作られた語。『あとだおし』とも。予定の時期を先に延ばすこと。先送り。()『開始時期を後ろ倒しする』」

とありました。また2010年6月ごろに、

「『後ろ倒し』というのは正しい日本語でしょうか?」

という疑問がネットに挙げられていて、その時点でgoo辞書に新語として載っていたということです。

(2013、5、7)

2013年5月 8日 17:01 | コメント (0)

新・ことば事情

5074「空回る」

 

本を読んでいたら、

「空回った」

という言い回しが出てきました。「空回り」という「名詞」はありますが、「空回る」という「動詞」は、まだないはず。ネットで検索してみました。(5月6日)

「空回る」 =10万7000件

「空回った」=25万3000件

と、やはりネット上ではかなり使われているようです。

従来の言葉は「名詞形」で、

「空回り」=250万件

です。こちらは「空回った」の10倍使われています。当然ですが。

「空回り」という名詞は「から()」という形容詞句と、「回り」という「回る」の連用形が名詞になったものがくっついた「複合語」です。その「名詞」が「動詞に変わる」ということは、「先祖がえり」のような感じですが、例えば、「着替え」は、「着る」という「動詞」と「替える」という「動詞」がくっついて「着替(きが)え」という「名詞形」になっています。「着替える」という「複合動詞」もありますが、動詞では「きかえる」と「濁らず」、「名詞」の「きがえ」は「濁る」という違いがありました。が、その後、「名詞形」の「濁る」読みが「動詞形」にも影響を与えて、「きがえる」というふうに「濁る」「動詞」の形も登場しました。同じことは、「通りがかり」という「名詞」にも登場しています。(「通りかかった」は「動詞」なので本来「濁らない」のだが、最近は「通りがかった」と「濁る」ようになってきている)。

というようなことで、「名詞形」が「動詞形」に「先祖がえり」することは、「ある」のですが、最初は「誤用」だと言われるでしょうね。

(2013、5、6)

2013年5月 8日 11:54 | コメント (0)

新・読書日記 2013_080

『間抜けの構造』(ビートたけし、新潮新書:2012、10、20第1刷・2013、1、25第13刷)

 

たぶん土居健朗『甘えの構造』からヒント得たタイトルではあるまいか。

一言で言うと、

「何事も『間』が大切!」

という話を、いろいろな実例を交えて解いていく一冊。そして、その「間」をうまく取れないのが「間抜け」であると。「間抜け」の実例も豊富に出してくれる。間抜けにも「笑える間抜け」と「笑えない間抜け」がいる。以前買って、まだ読みかけの内田百閒『間抜けの実在に関する文献』を読んでみようという気になった。


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(2013、5、3読了)

2013年5月 8日 12:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5073「けしからない」

 

『日本の領土問題~北方四島、竹島、尖閣諸島』(東郷和彦・保阪正康、角川oneテーマ21:2012 210という本を読んでいたら、東郷和彦さんが書かれた中に、

「ロシアが択捉・国後をもっていくことはけしからないという趣旨はギリギリ伝えているという議論は正しいと思う。」3738ページ)

という文章がありました。この、

「けしからない」

に引っかかりました。これは、

「けしからん(けしからぬ)」

ではないのでしょうか?文語調の「ん(ぬ)」を口語調の「ない」に置き換えていいのでしょうか?耳慣れない言葉です。

『精選版日本国語大辞典』「けしからん」を引くと、「けしからぬ」を見よと。「けしからぬ」を引くと、

(形容詞「けし」の補助活用未然形に打消の助動詞「ず」の付いたもの)

語構成の説明があり、「補注」の中に「けしからない」も載っていたので見てみると、ちゃんと立項されていました!

 

「けしからない」=(「けしからず」の「ず」の代わりに東国風の「ない」を用いたもの。明和初期からの江戸の流行語。)

 

なんと!「明和」と言えば、1764年~1772年。今から250年も前に江戸で流行った言葉だったとは!

あ、そういえば江戸っ子風に「ない」を「ねえ」に代えて、

「けしからねえ」

とすると、時代劇などで聞いたことがある気がしてきました。そいつぁー、気が付かなかったい!!

するってぇーと、東郷さんは「江戸っ子」ということなのですかね?

(2013、5、7)

2013年5月 8日 09:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5072「ニューミュージックとニュー・ミュージック」

 

3月21日の日経新聞夕刊文化欄で、音楽評論家の富沢一誠さんが「フォークの時代」と題したコラムの3回目。サブタイトルは、

『「四畳半」から「ワンルーム」へ ~ 生活感ないポップさ 衝撃』

というもの。「ニューミュージック」について書かれているのですが、その中で、「へえー」

という記述が。それによると、当時は、

「ニュー・ミュージック」

というように、間に「・」が入る表記と、

「ニューミュージック」

とつながった「・」が入らない表記の2種類があって、意味が違ったというのです。

「荒井由実やティン・パン・アレー(細野晴臣、松任谷正隆、鈴木茂、林立夫)」

などの新しいタイプのアーティストたちを、従来のフォークやロックという言葉では、くくりきれなくなったので、「新しい音楽」という意味で、

「ニュー・ミュージック」

と「・」を入れた言葉が使われ始めたと。そしてもう一つは、

「吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫などのフォークから、新しく現れた荒井由実やティン・パン・アレーなど」

を全てをひっくるめた呼び方を、

「ニューミュージック」

「・」を入れない、便宜的に総称するための造語だというのです。富沢さんは、

「ニュー・ミュージックとニューミュージックは意味合いが全く違った」

「一般的には後者の意味で使われている」

と記しています。

たしかに私はこのコラムを読むまで、全部をひっくるめての総称「ニューミュージック」しか意識したことはありませんでした。専門家は使い分けていたんですね。知りませんでした。勉強になりました。

(2013、5、6)

2013年5月 8日 01:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5071「やせぎす?やせすぎ?」

 

「やせぎす」

という言葉、あまりその言葉に縁のない体型の私なので、余計になんとなく縁遠く感じてしまい、よく、

「やせすぎ」

と間違ってしまいますが、以前から、

「『やせぎす』の『ぎす』って、一体なんだろうか?」

と気になっていました。ゴールデンウイークのこの間に、この問題を解決しようと辞書を引くと、

「やせぎす」=(「ぎす」)は「ぎすぎす」からか。または魚の鱚(きす)からか)からだが痩せて骨ばっていること。また、その人やそのさま。やせがます。【精選版日本国語大辞典】

とありました。「ぎすぎす」という擬態語か!?でも細い魚「鱚(キス)」から来ている可能性もあるの?ふーん、つまり、わからないんだ、語源は。

でも「やせすぎ」とは、直接関係はなさそうですね。スッキリ!

(2013、5、6)

2013年5月 7日 20:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5070「『度』か『回』か」

 

イングランド・プレミアリーグ、香川真司選手が所属する「マンチェスター・ユナイテッド」が、2季ぶり20度目の優勝を飾りました。香川、すごい!

それを伝えた4月23日のテレビのニュースを見たら、テレビ朝日の「報道ステーション」は、

「20目の優勝」

日本テレビ「ニュースZERO」はスーパーもナレーションも、

「20目の優勝」

でした。4月23日の各紙夕刊を見ると、読売・朝日・毎日・産経・日経の全国紙5紙はすべて、

「20目の優勝」

でした。

」か?「」か?

ほとんど意味は変わらないと思いますが、使い分けに関していうと、先日の米・ボストンで起きた爆弾テロ事件の際も、「爆発」が、

「2目」か?「2目」か?

という表現の問題が生じました。それについては、先週末、まだ容疑者が捕まっていない段階で、こんな文章を「ミヤネ屋」のスタッフ向けに書きました。

「『2度』と『2回』」

アメリカのボストンマラソンのゴール付近で、手製とみられる爆弾が爆発する事件がありました。犯人はまだ見つかっていません。

この爆発は「2度」起こりました。それを表す際、「2」なのか?それとも「2」なのか?

意味はどちらもほぼ同じですが、より厳密に言うと、「回」は「一定の周期で必ず起きることが分かっている場合」に使います。例えば「卒業式」や「『ミヤネ屋』の放送」は「第○○回」と表し「○度」とは言いません。

それに対して「度」は定期的か不定期かを問わず、起きた回数を(あ、「回」が入ってる!)示します。たとえば紅白歌合戦の出場も、必ず毎年出られるわけではないので、本来は、

×「12回目の出場」→○「12度目の出場」

とすべきです。しかし、現状はそれほど厳密に運用されているわけではなく、今回の爆発事件を伝えた新聞記事などでも、「2回目の爆発」といった表記も見られました・・・。「できるだけ、本来の使い方をするようにする」

というところでしょうか。

参考までに(あまり参考にならないが)4月18日(木)のフジテレビ「とくダネ!」では、

「1目の爆発」「2目の爆発」

と、統一されていませんでした。フジの田中大貴アナウンサーの説明部分も、マルチの文字表記では、

「1目」「2目」

と「回」で統一していましたが、コメントは、

「1目」「2目」「2目」

と、やはり混在していました。

 

ということで、テレビの場合は、制作者側も視聴者側も、あまあり気にしていないというのが実態ではあります。新聞はさすがに文字に対しての神経は研ぎ澄まされているように感じました。

(2013、4、24)

2013年5月 7日 16:48 | コメント (0)

新・読書日記 2013_079

『月(ゆえ)とにほんご』(井上純一・監修:矢澤真人筑波大学教授、アスキー・メディアワークス:2013、2、22)

 

「中国人嫁日記」の著者による続編、「中国嫁日本語学校日記」。中国人の若い(20)お嫁さんをもらった40代オタク男。そのヨメが日本語学校に通いだした。その奮闘ぶりと、日本語を学ぶ外国人との交流を描いた、コラムの混在した文字の多い漫画本。ヨメの名前は「月」と書いて「ゆえ」を読む。タイトルは「月とスッポン」に引っ掛けたんだろうなあ。

内容で驚いたのは、「すごいおもしろい」といような「すごい」を使うのは「若者」たちだと思っていたら、どうも違うらしい。「すごい」を使うのは40代~60代、文法的に正しい「すごく」を使うのは70代以上、そして、若者は「めっちゃ」などの強調語を使うということが書かれていて、「そうなんだ!」とびっくりしました。


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(2013、5、2読了)

2013年5月 7日 11:53 | コメント (0)

新・読書日記 2013_078

『わが母時実新子~母からのラブレター』(安藤まどか、実業之日本社:2013、3、10)

 

6年前に亡くなった川柳作家の時実新子さん。七回忌を迎えたのを機に出版された本。娘の安藤まどかさんにあてた母・時実新子からの手紙を紹介しながら、その間を娘の文章でつないだ本。構成は、時実新古さんのお弟子さんの、芳賀博子さんが担当された、この芳賀さん、実は私の高校時代の友人の奥さん。以前、芳賀さんの川柳集もここでご紹介させてもらった。

川柳に母を取られたと思い、母のことを恨んでいた子供時代。大人になり結婚して、その母の生き方を認められるようになった後の、母との付き合い。そういった娘からの視線を十分に分かっていながらも、川柳に打ち込んだ母。その母娘の愛情が、手紙の端々から感じられる。奔放でいながら、家族というものを考え続け、また女として、母として生きる女性川柳作家の生き方を、娘がやさしく見守っている・・・という感じがした。


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(2013、4、27読了)

2013年5月 6日 12:42 | コメント (0)

新・読書日記 2013_077

『絵とは何か』(坂崎乙郎、河出文庫:1983、10、4初版発行・ 2012、12、20新装初版発行)

 

帯に作家の伊坂幸太郎さんが文を寄せている。

「小説家になろうと思ったのはこの本のおかげだ」

と。単行本は1976年に出ている。ずいぶん古い本だが、それがまた新たに文庫で出たのは伊坂さんの推薦があったからではないだろうか?そこに興味を持って購入。

著者は1927年生まれで1985年に亡くなっている。実は私は大学時代(1980年~1984年)、坂崎乙郎先生の講義を受けた。と言っても「美学」の授業ではなく「ドイツ語」の授業だったが。坂崎先生は「厳しい」ということで有名だった。授業も厳しかったが、何より「成績評価」が厳しく、単位を落とす学生が続出・・・というウワサだった。授業で、ドイツ語の購読、読んで行ってその文章をスラスラと見事に訳した学生に、

「今、×××という単語は、どう訳した?」

と聞き、すぐに答えられない(つまりアンチョコを丸写ししただけ)と、

「そこがわからなければ、訳せないはずなんだがなあ・・・」

と教室内をカツカツと歩きながら、「もう、いい!」と、授業途中で帰ってしまったり。その学生は単位を落としたと聞く。

また、天気がいい日は、教室に来るなり窓辺へ行き、しばらく無言で空を見上げたあと、

「いい天気だなあ・・・よし、きょうは授業なし!」

と突然言い放ったり。「何だ、この人は!」と、大阪の田舎から出て来たばかりの私は怒ったり恐れたり、なんだかわけがわからなかった。その後「本当はエライ人なんだ」と知ったが、それからしばらく経って、新聞で訃報を読んだ・・・。あ、ドイツ語は「絶対落とした」と思ったの、ギリギリ「可」で再履修を免れた。ダンケ・シェーン、ヘル・サカザキ!

この本で坂崎先生は「ゴッホ」を最大限に崇拝している。

そうか、そんなにゴッホはすごいのか。そしてその中で、

「なぜゴッホはあれだけ自画像を描いていながら、一緒に暮らしていた弟・テオの肖像画を、一枚も書かなかったのか?不思議である」

と書いている。(というか、この本は「講演録」なんだけどね。)

ところが!先日、京都市美術館で開かれている「ゴッホ展」を見に行ったら、

「これまでゴッホの自画像と思われていたもののうちの何点かは、弟・テオの肖像だった」

という衝撃の事実が!泉下の坂崎先生が聞いたら、「ほうら、やっぱり!」とおっしゃるのだろうか。


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(2013、4、27読了)

2013年5月 5日 12:37 | コメント (0)

新・読書日記 2013_076

『この話、続けてもいいですか。』(西加奈子、ちくま文庫2011、11、10)

 

西加奈子、存在は知っていたがなんとなく敬遠していた。知り合いの本屋の店員さんに勧められて、小説よりもとっつきやすいかな?と思って買った文庫本、いや、なかなかキョーレツでしたわ、こういう文体。ちょっと壊れていないと書けない。で、300ページを超えるとちょっとシンドイ。夜、お酒を飲みながらチビチビと読みました。2か月ぐらいかかってしもうた。テヘラン生まれで、エジプト&大阪で育ったという、国際人?すごいなあ・・・。


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(2013、4、30読了)

2013年5月 4日 14:36 | コメント (0)

新・読書日記 2013_075

『泣く子もほめる!「ほめ達」の魔法』(坂西村貴好、経済界新書: 2013、3、22初版第1刷発行)

 

ま、褒めたら全て、そんなにうまくいくことばかりじゃあないと思うけどね。でも、叱ってばかりじゃ腐ってしまうのも確か。前向きに積極的に、良い方を見て、ポジティブにいきましょう!ということですね。「鳥貴族」や京阪・阪神・南海電鉄のコンビニ「アンスリー」といった身近な例が出ていてよかった。と言っても、私は「鳥貴族」に行ったことは無いのだけれど、一度行ってみたい。(以前、行ったら、満員で入れなかった)。ポジティブ・シンキングの本ですね。読みやすかったです。

 


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(2013、4、30 読了)

2013年5月 3日 18:35 | コメント (0)

新・読書日記 2013_073

『リスク、不確実性、そして想定外』(植村修一、日経プレミアシリーズ:2012、6、8)

 

現代は不確実性の時代、常に想定外の事が起きる。

ま、現代に限ったことではない。いろいろと細かく想定するから、「想定外」が起きる。「細かく想定する」のは「現代の特性」だから、やはり「現代は・・・」なのかもしれない。

本書のタイトルは、あとがきにも書いてあるように、ナイトの『リスク、不確実性及び利潤』のもじりだというが、それは全然知らなかった。ケインズか何かじゃないかと。硬いタイトルの謎はそこにあった。内容はもう少し軟らかい。リスクを測れるから人間、リスクはコントロールできるのか?不確実性の下での意思決定など、興味深い項目が並ぶ。

東日本大震災とそれに伴う原発事故が"起きてしまった"現代、リスクとは?その管理とは?を真剣に考えるきかっけとなる一冊。表紙の絵が、カッコイイ。


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(2013、4、15読了)

2013年5月 3日 09:38 | コメント (0)

新・読書日記 2013_072

『辞書を編む』(飯間浩明、光文社新書:2013、4、20)

 

2012年本屋大賞受賞作で、現在「映画」も公開されている『舟を編む』で注目された「辞書編集」という仕事。私は前から興味を持っていたが、この本は、実際に辞書(『三省堂国語辞典』、通称『三国』)の編集に携わっている著者が、その作業の内容を具体的につづったもの。ノンフィクション版『舟を編む』と言え、タイトルも『辞書を編む』・・・って、そのままやがな、と思うが、「シンプル・イズ・ベスト」!である。

見坊豪紀さんの『辞書をつくる』という本もありましたし、その見坊さんの編纂した『三国』(三省堂国語辞典)の編集を引き継いでいる著者ですから、この本は見坊さんへのオマージュということもあったと思う。

『舟を編む』の主人公の名前は「馬締(まじめ)光也」だったが、この本にキャッチフレーズを私がつけるとしたら、

「馬締は実在した!」

です。『舟を編む』を読んだ時に、

「これって、そのまんま飯間さんやんか!」

と思ったのだから、この言葉にウソ・偽りはございません。あ、飯間さんとは十数年来の知り合いです。この本も送っていただきました。ありがとうございます。

すぐに読んで、感想をお手紙で送りました。その中に、

「馬締めは実在した!」

と書いたら喜んでくれました。実際の本の帯は、なんと『舟を編む』の著者・三浦しをんさんが書いてくれていますよ。お見逃しなく!

(☆5つ)


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(2013、4、16読了)

2013年5月 2日 21:37 | コメント (0)

新・読書日記 2013_074

『神の雫37』(作・亜木直、画・オキモトシュウ、講談社:2013、4、23)

 

「第十一の使徒」はスペインワイン!実際にスペインに飛び、その地でのおいしいワインをたくさん紹介してくれているので、この巻を持って、行きつけのスペイン・バルに行って、「これと同じの頂戴!」という使い方ができる(?)と感じました。

「風」を感じるワインってどんなだろうな?そして「夕日」を感じるワイン。それもマドリードではなく、アンダルシア・グラナダのアルハンブラ宮殿の夕日・・・ちょっとヒターノ(ジプシー=ロマ人)のアクセントがあるのかな?イスラムの歴史も入っているし、グラナダの市章はザクロ。その辺りもヒントになるのでは? などと思いつつ、2か月後に「第38巻」が出るのを待つ!

 


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(2013、4、25読了)

2013年5月 2日 17:40 | コメント (0)

新・読書日記 2013_071

『人に縛られない生き方』(曾野綾子、扶桑社新書:2011、12、1)

 

曾野綾子と塩野七生は似ている!高いブライド、恵まれない人へのノーブリス・オブリージェの感覚。

タイトルの「人に縛られない」というのは「世間一般の常識に縛られない」という意味であり、もっと言うと「世間一般の常識を受け入れている"自分自身"に縛られない」ということであろう。本書は書き下ろしではなく、これまでに曽野が書いた小説やエッセイの中から、タイトルのようなスピリットが表れた文章(小説・フィクション17編と、ノンフィクション・エッセイ7編から)を抜粋して集めたもの。よく、これだけ見つけて来られたなーと感じるが、その意味では一貫して著者が主張したいことは、まったく揺るいでいない、とも言える。「どこを切り取っても同じ」と。その意味では、「全部読まなくても、伝えたいことはわかる」ので、途中でちょっと飽きてくる、と感じた。


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(2013、4、24読了)

2013年5月 2日 16:36 | コメント (0)

新・ことば事情

5069「降り続けている雨」

 

静岡県浜松市の茶畑で地滑りが起きた件で、4月24日のお昼のニュースの中で中継で現場から状況を伝えていた静岡第一テレビの男性アナウンサーが、

 

「今、降り続ている雨が」

 

と言ったのに違和感がありました。これは正しくは、

 

「降り続ている雨」

 

ではないでしょうか?

「降り続」の活用語尾「く」が「け」になるのは、「仮定形」の、

「降り続ば」

と、「命令形」の、

「降り続(!)」

だけのはずです。中継で使った形は「連用形」ですから、

「降り続ている雨」

しかないはずです。ただ、心情としては、

「もし、このあとも降り続ば」

という不安な気持ちがこの言葉に込められているとも言えます。でも、間違いです。

あ、もしかしたら、

「静岡では『降り続る』と言う」

のかもしれませんね!また確認しておきます!

(2013、4、24)

2013年5月 2日 11:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5068「ゴールデンウイークか?大型連休か?」

<2009年6月24日に書きかけたままでした。当時の番号は3734>

 

今年(2009年)のゴールデンウイーク後半を迎えた52日の朝、スポーツアナウンサーのOアナウンサーから質問メールが届きました。

「今年は、この大型連休を『ゴールデンウィーク』と呼んでいいんですよね?特に、今日に関して。今朝の読売新聞では『大型連休の後半がスタート』となっていたので、あれ!?と思いまして。今日の阪神×巨人戦の中継でも、間違いなく使う言葉なので、道浦さんに確認しようと思いました。お手すきの時に答えを教えていただけますでしょうか?」

今年(2009年)は9月にも「大型連休」があるからね!

 

*******************************

 

で、ここから、4年たった2013年の5月2日に書いています。

そもそも「ゴールデンウィーク」という呼び方は「映画業界」で言い出したもので、いまや、何の気なしに誰もが使います。民放では特に気にせず使っています。

しかし、NHKさんはたしか、

「大型連休」

という呼び方をしているはずです。

NHK放送文化研究所のサイト「ことば・言葉・コトバ」の「2010年5月1日」の記述では、まさにこういった質問に答えていて、

「原則として『大型連休』を使うことにしています」

とあります。理由として、

『「ゴールデンウイーク」(黄金週間)は、連休で観客の入りがよかったため、この期間中に大作をぶつけるようになった映画界が、宣伝も兼ねて作り出したことばで、昭和27~28(1952~53)年ごろから一般にも使われるようになったようです。しかし、1970年代の「石油ショック」以降、「のんきに何日も休んではいられないのに、なにがゴールデンウイークだ」といった電話が放送局に何本もかかってくるなど抵抗感を示す人が目立ってきました。』

ええっ、そうだったのか!そんな電話をかけて来る人がいたんですか!当時は。さらに、

『また、「外来語・カタカナ語はできるだけ避けたい」「長すぎて表記の際に困る」など、放送の制作現場の声もありました。そのうえ、週休2日制の定着で前後の土曜・日曜を加えると10日ぐらいになることもあり、ウイーク(週間)も的確な表現ではなくなってきました。このため、放送では原則として「ゴールデンウイーク」は使わず、「大型連休」を使っています。』

と詳しく解説があります。ところがこの「大型連休」という言い方も「気に食わない」方々がいらっしゃるようで、

『原則として「大型連休」という語を使いながらも安易に繰り返すのではなく「今度の(春の)連休で...」「この連休中(連休期間中)に...」「4月末からの(この○○日から始まる)連休で...」など、ときには別の言い方や伝え方を織り込むような表現上の配慮やくふうをすることも必要でしょう。』

と、メディア研究部・放送用語担当の豊島秀雄さんは書かれています。

我々民放では、読みは「ゴールデンウィーク」でも、スーパー表記では短く

「GW」

と書くことも多いです。昔は「GW」と書くと、プロ野球の、

「巨人×大洋戦」

を意味したのですが、そんなことを書くと、トシがバレますな。

(2013、5、1)

2013年5月 2日 03:25 | コメント (0)