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『道浦TIME』

新・読書日記 2013_054

『十字架』(重松清、講談社文庫:2012、12、14)

 

この話自体、キリスト教とは直接関係ないと思うが、内容は遠藤周作の作品を思わせる。中学での「いじめ」が原因で自殺した男子生徒の遺書に、いじめの「犯人」として名前が書かれた2人と、「犯人」なのに名前が書かれなかった1人、そして、感謝の言葉を書かれた女子生徒と、「親友」とされた男子生徒。残された家族と、遺書に名前を書かれた2人の関係を中心に、「物語」は進む。フィクションだが、「基」になった「事実」はある。おそらく、昔から繰り返されてきた「いじめ」の問題と、もう一つ大きな「原罪」として描かれているのは「無関心」について。「無関心」も「加害者」であると、言い切れるのか、言えないのか。考えさせられ、泣かされる「物語」は、「現実」につながっている。


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(2013、3、19読了)

2013年3月29日 11:46 | コメント (0)

新・ことば事情

5045「あわや大惨事になりました」

3月28日、朝10時過ぎに、日本テレビの「スッキリ!!」の中のニュースを見ていたら、アメリカで大規模な崖崩れがあったというニュースを放送していました。けが人などはなかったということでしたが、このニュースの原稿で女性キャスターが、

「あわや大惨事となりました」

と言っているのを聞いて、

「え!」

と驚きました。

これでは「大惨事になった」のか「ならなかった」のかがわかりません。

同じような「あわや」を使った例文で言うと、

「あわやホームランになるところでした」

というのは、「守備側」から、

「ホームランにならなくてよかったという気持ち」

とともに、

「ホームランではなかったという事実」

を伝えているわけです。

おそらく、今回の場合は、

「あわや大惨事となるところでした」

と言うべきところだったのではないでしょうか?

もしかしたら原稿には、カギカッコを付けて、

「『あわや大惨事』となりました」

と書かれていたのかもしれません。このカギカッコは「という状態」を意味するので、読み方によっては、「あわや大惨事となるところでした」という意味になるかもしれませんが、それを音声で表すのは相当難しい。

原稿の書き手は、

「どんな下手な人が読んでも意味が解る文章を書くことが必要」

ですし、また、読み手は、

「どんな下手な原稿でも、意味が伝わるように読む必要がある」

と思います。「それがプロ」というものではないでしょうか?

でも、そう原稿に書かれていたら、脳を経由しないで目から口に抜けて読んでしまう恐れのある文章ではありますね・・・。

(2013、3、28)

2013年3月28日 16:49 | コメント (0)

新・ことば事情

5044「『激高』の読み方」

「ミヤネ屋」のアシスタントディレクターIくんが、

「ナレーターのMさんからの質問なんですが・・・」

と聞いてきました。その質問とは、

「『激高』の読み方は『ゲキコー』か?『ゲッコー』か?」

というものでした。

『NHK日本語発音アクセント辞典』を見ると、

「ゲッコー」

になっています。これは、もともとの発音は、

「ゲキコー」

です。ただ「キ」は、

「母音の無性化」

で、はっきりとは聞こえない、母音を伴わない「キ」=「k」の音です。そうすると、聞いている人には「促音」の「ッ」と区別がつかないために、

「より言いやすい促音=ッ」

にかわって、

「ゲッコー」

となるのです。しかしそうすると今度は、

「月光」

と区別がつかない。「月光」もそもそもは、

「ゲツコー」

で、「ツ」が「母音の無声化」で、それが「促音」になった。音声では「月光」も「激高」も同じになるんですが、表記では、

「月光」=「げっこう」

「激高」=「げきこう」

だと思います。まだ「激高」の方が、元の形を残していると言えるのではないでしょうか?

(2013、3、25)

2013年3月26日 18:32 | コメント (0)

新・読書日記 2013_053

『にすいです。冲方丁対談集』(冲方丁、角川書店:2013、1、31)

 

『天地明察』等で話題の作家「冲方丁」。「うぶかた・とう」と読む。で、「さんずい」の「沖」ではなく「にすい」の「冲」。それが対談集のタイトルに。シャレてる。実は、冲方の小説はまだ読んでいない。去年、日経新聞の夕刊コラムで書いているのを読んで、「へえー、おもしろいな」とファンになったものの、作品を読むのは後回しにしている。まだ30代半ばにしてこの知識と作風・・・スゴイなあ。また自宅・書斎が福島県にあり、東京と行ったり来たりの生活らしい。それも大変だなあと。

日本SF大賞の受賞からの、7年間の対談集。といっても、最初の対談だけ、随分前に行われ、あとはここ数年という感じ。 対談相手は、かわぐちかいじ、 富野由悠季、井上雅彦、養老孟司、夢枕獏、伊坂幸太郎、天野喜孝、鈴木一義、中野美奈子、滝田洋二郎、山本淳子の11人。このうち私が知っている(聞いたことがある)人は8人。天野喜孝、鈴木一義、山本淳子の各紙は、不勉強で存じ上げなかった。スミマセン。それぞれ、味のある対談だが、一番インパクトが強かったのは、富野由悠季。「あなたの場合はペンネームを見たときに、もう拒否感を感じていましたしね。この漢字を『ウブカタトウ』と読ませるのか? そこまでヒネるのか?と。こういう作家は信用しちゃいけないと」と、直接本人に言うのはスゴイなあ。ケンカ売ってるのか!と。でもたしかに「この漢字をこう読ませるのは、相当根性ひねくれてないとこうはらんだろう」と思わせるに足りる面はありますよね。

それと、ド頭の「かわぐちかいじ」の『沈黙の艦隊』は、原子力潜水艦「やまと」が一つの国として独立する物語で、「やまと」に保険を掛けるという発想がスゴかったと冲方が言った場面(本当に冒頭です)、昔読んだけどもう忘れていたので「へえーそうだったか」と。また「保険」ということについて、興味が湧いた。


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(2013、3、16読了)

2013年3月25日 22:32 | コメント (0)

新・ことば事情

5043「新入学」

 

後輩のHアナウンサーが原稿を持って来て、

「道浦さん、この『新入学』って、"重複"ではないでしょうか?『入学』でいいでしょうか?」と聞いてきました。

「うーん、たしかに"重複"だね。でも『しんにゅうがく』ってよく耳にするけど・・・『入学』でいいんじゃない?」

と話してその場は終わりました。

あとでこの話を「ミヤネ屋」のKさんに話したところ、

「ええっ!道浦さん、それって『新入学』じゃなくて『進入学』ですよ!」

あ!そうか!

「シンニュウガク」

という音になんだか親近感があったのは、そちらでしたか!「進学」と「入学」を合わせて「進入学」!きーみとボクとでヤンマーだ!

でも、

「再入学」

という言葉はありますから、それに対して「新入学」がありそうな気がするのも、むべなるかな、という気はしました。

(2013、3、25)

2013年3月25日 20:17 | コメント (0)

新・ことば事情

5042「漢数字と洋数字」

 

放送で「数字」を「漢数字」で書くか、「洋数字」で書くか、その基準は大変難しいです。

簡単に言うと、原則としては、

 

「その数字が変わる可能性がある場合は"洋数字"、状況によって変わらないものであれば"漢数字"」

 

ということです。例えば、「一郎」さんを「1郎」とは書けません。状況によって変わらないからです。「第3セクター」は、メディアによっては「第三セクター」と書くところもあります。「第1」でも「第2」でもないので(順番で言うと)「第3」のセクターなんですが、いわゆる「第三者」(当事者ではない)の意味では、漢数字で「第三セクター」と書くのも納得できます。「憲法第9条」も、「条文の一つ」と考えるなら「9条」ですし、「戦争の永久放棄」という「特別の意味」を持たせる場合は「九条」になることもあります。

「歌舞伎」や「落語」の場合は「伝統芸能」なので、「漢数字」を使って「六代目」「七代目」とした方がいいでしょう。

参加者の数は「2人」と「洋数字」ですが、「愛を育んでいるひたり」のように「特定のふたり」の場合は「漢数字」で「二人」とします。

薬を飲むのは「1日2回」ではなく、「規準(基礎)となる日数」は「一日」なので、「漢数字」で書き、飲む回数は変わる場合もあるので「2回」と「洋数字」にして、「一日2回」と書きます。この見分けは結構難しいです。「どちらでもよい」場合もあります。

「1回1回」(「一回一回」)、考える必要がありますね。ああ、ややこしい!

(2013、3、21)

2013年3月24日 19:30 | コメント (0)

新・ことば事情

5041「どれくらいぶり」

 

3月21日の「ミヤネ屋」で、久しぶりに大雪となった北海道を取材・放送しました。その中で、岩見沢市民に対するインタビューの質問のスーパーが、当初。

「どれくらいぶりの雪ですか」

というものがありましたが、これは間違い。

「何日ぶりの雪ですか」

に直しました。普通、「どれくらい」のあとは、

「・・・(して・来て)いない」

が来ます。つまり「雪」なら、

「どれくらい雪が降らなかったか」

「否定表現」になります。

また、「~ぶり」の「~」には、

「○日」「○週間」「○か月」「○年」

など「具体的な日にち」が入り、

「○日ぶりの雪(が降った)」

「肯定表現」になります。

「どれくらいぶりの雪ですか」は、その「混交表現」による間違いです。

ただ、口語、俗語だと比較的よく使われている表現かもしれません。

 

(2013、3、21)

2013年3月24日 12:29 | コメント (0)

新・ことば事情

5040「佳子さまご卒業」

きょう(3月22日)の「ミヤネ屋」の「250ニュース」のコーナーで、秋篠宮家の佳子さまが、学習院女子高等科を卒業されたニュースを放送しました。

日本テレビのスタジオから岸田キャスターがニュースを読んだのですが、そのニュースで日本テレビが出したスーパー(テロップ)は、

「卒業」

でしたが、読売テレビが出したスーパーは、

「ご卒業」

「ご」を付けました。

「卒業された」

というような表現でも「敬語」なのでOKだと思います。それに「ご」を付けると「二重敬語」になってしまうのでそれを避けたのかなと思いますが、短い文字だけの「スーパー」では「ご」を付けないと、ちょっと敬意が足りないような気がしました。

夕刊各紙(大阪版)を見てみると、新聞によって見出しが違いました。「ご」を付けている新聞は「読売と産経」かなと思ってみていったのですが、実際は、

「ご卒業」=朝日・産経

「卒業」 =読売・毎日・日経

で、なんと、「ご」を付けていたのは「朝日」と「産経」でした。「産経」はわかるとして「朝日」も付けるんだ!それと「読売」は付けないんだ!と、ちょっと意外な思いでした。

(2013、3、22)

2013年3月23日 12:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5039「外とう」

 

大分市議会で、市議会議員に当選した覆面レスラーが、覆面をしたまま議場に入ろうとして阻止されたというニュースを伝える中で、議場へ入る際に身につけてはいけない物として、「杖」とか「帽子」などと交じって、

「外とう」

というのがありました。漢字で書くと、

「外套(がいとう)」

ですが、「套」が表外字なので、交ぜ書きで「外とう」です。

この「外とう」を、「ミヤネ屋」の川田裕美アナウンサー(29歳)は、

「知りません。何のことですか?」

と言うではありませんか!たしかに「死語」かなあ。もちろん、これは、

「コート」

のことです。

「オーバー」

とも言いますが、これも現代では「死語」か?「オーバーコート」を略して「オーバー」です。ためしに、私のデスクの前の席に座っている女性(23歳)に、

「『外とう』って知ってる?」

と聞いたけど、やはり、

「え?知りません」

という答え。説明すると、

「あ、それは『アウター』って言います」

とのことでした・・・。

「アウター」→「アウト」=「外」→「外とう」

おんなじものなんですがねえ・・・。

(2013、3、21)

2013年3月22日 19:27 | コメント (0)

新・ことば事情

5038「亜糊粉層」

 

コンビニで、お昼ご飯用に買ったおにぎり。今はやりの、

「金芽米(きんめまい)」

を使ったものでした。その袋に見慣れない文字が。

「亜糊粉層」

赤い文字でルビが、

「あこふんそう」

と振ってありました。そしてその下に、

「うまみ層」

と説明がありました。「うまみ」のことを「亜糊粉」というのか?辞書に載っているのだろうか?ネットで検索すると、

「亜糊粉層」=9880

でした。その中の「全国無洗米協会」のホームページに、

『「梅干を毎日食べて健康になる」(宇都宮洋才著、キクロス出版、)の中で、お米の亜糊粉層(あこふんそう)に含まれる物質が、動脈硬化などの心臓血管疾患を予防する効果があることを発見したことが紹介されています。さらに、白米の段階で亜糊粉層を残した米も開発され、この米には胚芽の基底部「金芽」も残されており、栄養価が高く、おいしくて食べやすいという、両方の良さを兼ね備えた米が市場に登場したことも紹介されています。(中略)この亜糊粉層の効果は、著者である宇都宮洋才氏が他の研究者と共同研究した結果を20104月に実験生物学会(EXPERIMENTAL BIOLOGY 2010、アメリカカリフォルニア州アナハイムで開催)で発表後、国内外の新聞や科学雑誌に掲載され、研究者からは注目されていたそうです。』

とありました。その本の著者の宇都宮洋才(うつのみや・ひろとし)氏は、和歌山県立医科大学の准教授「梅干し博士」として有名なんだそうです。

『精選版日本国語大辞典』「亜糊粉層」を引きましたが、載っていません・・・「亜」を取って「糊粉層」で引くと・・・載っていました!

「糊粉層」=植物学で、糊粉粒(こふんりゅう)を多く含有する細胞層をいう。米、麦などイネ科の趣旨に多く、種皮に接して存在する。アリューロン層。

ま、意味はよくわかりませんが「糊粉層」というのがあって、「亜」ですから、「それに準じる」とか「似ているがちょっと違う」とかそんな感じなのかな、「亜糊粉層」は。

こんな専門用語を出しても素人はわかりませんが、

「なんだか新しくて、専門的なので、良いものなのだろう」

と思わせる広告戦略であることはわかります。

(2013、3、21)

2013年3月21日 12:50 | コメント (0)

新・読書日記 2013_052

『デブ、死ね、臭い!を乗り越えて』(細山貴嶺、マガジンハウス:2012、3、8)

 

ちょっと太めの子役で10年ほど前からテレビ番組でよく見かけた細山くん。「細山」なのに太っているって・・・昔、「細野」という名字の、とっても肉付きのよい後輩がいましたが、初対面でも、たいていの人に一発で名前を覚えてもらっていました。

その細山君、学校でいじめられていたんだって。現在は、高校3年生、かな。

これは去年出された本で、今は「ダイエット」に成功して、全然太っていないよ。いかにして「いじめ」の中で生き抜いたかが記されています。

私も幼稚園の時から小学校の低学年までは、よく「デブ」と言われました。今はたぶん言わないであろう「百貫デブ」ってのも言われた。「百貫」というのがどのくらいの重さかもわからずに、みんな使ってたんだろうな・・・。小学3年の時に、クラスやその周辺の同学年の人たちに「無視」されたのはつらかったけど、家の近くの友達や、サッカースクールなど、いくつか「学校以外の生きる場所」があったので大丈夫だったけど、「学校」「学級」しか生きる場所がなかったら、もっとつらかったと思う。

中学の時も一部の人によく「いじられた」。これは多少うっとうしかったけど、他にやること、頼るべき自己(自分自身)があったので「また、バカがやってるわ」と無視したので、どうということはありませんでしたが。

「いじめ」の問題は、今読んでいる重松清の『十字架』という作品にも描かれていますが、まさに「重い十字架」だ。中学の時に私を「いじって」いた女の子は、卒後20年以上たった同窓会で「謝りたい」と言ってきて、「あの時は本当にごめんなさい」と。こっちはそんなこと全然気にしてないのに、彼女の方に「重い十字架」があったようだった。その彼女は、なんと子供を教える仕事に就いているという。

 


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(2013、3、5読了)

2013年3月19日 04:03 | コメント (0)

新・ことば事情

5037「イギリス積みとフランス積み」

 

2007年5月に青森県弘前市で行われた新聞用語懇談会に出席した際に、ちょいと足を伸ばして、太宰治の生家「斜陽館」に行きました。なかなか立派なお屋敷で、「昔の田舎の家」を久しぶりに見ることが出来ました。(また、前の売店で太宰の『津軽』を購入し、帰りの列車と飛行機の中で読みました。)

その際に、太宰の生家の「蔵」を見学していたら、レンガの積み方について、

「『イギリス積み』と『フランス積み』」

があることがわかりました。それによると、

「イギリス積み」というのは、一列目はレンガを「横」に長く並べ、その上の二列目はレンガを「縦」に積み、三列目はまた「横」に積む、ということを繰り返す積み方です。こうすると見た目は、奇数列と偶数列でレンガの並びが異なります。

一方の「フランス積み」は、同じ列で「横・縦・横・縦」を繰り返して並べる積み方です。

そんなこと、意識したことなかったなあ。「斜陽館」の塀というか柱のレンガは、「フランス積み」のようでした。

先日、そのことを久しぶりに思い出しました。京都の南禅寺を訪れたのですが、有名な「水道橋」を見たときに、レンガの積み方が、

「イギリス積み」

であることに気付いたからでした。

辞書を引いてみると、ちゃんと載っていました。『精選版日本国語大辞典』には、

*「イギリス積み」=煉瓦(れんが)の積み方の一つ。レンガの木口(こぐち)を見せる木口積みと、長手(ながて)の側を見せる長手積みとを各段交互に積む方法。

*「フランス積み」=煉瓦の積み方の一種。同段に長手と木口を交互に積む方法。

(実は「イギリス積み」の方には「木口」と、「フランス積み」の方には「小口」と書かれていたのですが、「木口」に統一しました。)

これについては「平成ことば事情」で書いたことがあるように思ったのですが、検索しても出て来なかったので、また書きました。

(2013、3、18)




(追記)
合唱団の先輩のFさんが先日東京に行った際に、日本キリスト教団の、
「霊南坂教会」
を訪れたそうです。我々世代から言うと、あの「山口百恵と三浦友和の結婚式」が行われたことで有名な教会ですね!
その建物の、「霊南坂教会」と書かれているレンガ造りの壁の写真が、フェイスブックに上がっていました。それを見ると、この「霊南坂教会」のレンガは、「長いレンガの列」と「短いレンガの列」が「ミルフィーユの」ように交互に積まれた、
「イギリス積み」
でした!

(2023、10、2)

2013年3月18日 12:40 | コメント (0)

新・ことば事情

5036「最早」

 

「ミヤネ屋」にも出演している、お天気キャスターの蓬莱さんから、

「『最も早い』という意味で『最早(さいはや)』という言葉はありますか?」

と聞かれたので、

「国語辞典に載るような言葉としては『最早(さいはや)』は、ない。普通に『最も早い』と言うべきでしょう。『最早』と書いたら『もはや』と読む。スピードが最も速いという意味であれば『最速(さいそく)』」

と答えました。

「最早」と書いて「さいはや」と読む読み方は、

「重箱読み」

と呼ばれるものです。「重箱(じゅうばこ)」のように「音読み+訓読み」の組み合わせで2文字の熟語を読むもので、どちらかというと「例外的」で、普通は「音読み+音読み」あるいは「訓読み+訓読み」で読むものです。(逆に「訓読み+音読み」で読む者は「湯桶(ゆとう)読み」と言います。ご存じの方はご存じでしょうが、最近は知らない若者も多いようです・・・。)

「最」の付く熟語『三省堂国語辞典』で調べたところ、

「最高」「最低」「最近」「最初」「最後」「最速」「最多」「最少」「最小」「最大」「最上」「最盛」「最新」「最深」「最長」「最短」「最適」「最北」「最南」「最西」「最東」「最良」「最貧」「最強」「最狭」「最古」「最奥」「最悪」「最右翼」

などがありましたが、ご覧になって分るように「最」の後に来る語は、「すべて音読み」です。つまり、

「重箱読みには、なっていない」

のです。

ただ、最近は、「最」を「音読み」で「さい」と読み、その後に「訓読み」の言葉をくっつける読み方が出て来ており、代表的なのは、

「最薄(さいうす)」

です。新しい言葉をいち早く取り入れることで知られる『三省堂国語辞典』には「最薄(さいうす)」は採用されて(載って)います

ほかに私が見つけた中には、

「最香ばしい」

というのもありましたが、やはり違和感があります。コマーシャルなどで人目を引くために、わざとルールを無視して作られた言葉だと思われます。

蓬莱さんには、

「『最早』を『さいはや』と言うのは、ウェザーニューズの社内の、あるいは気象予報士の人たちの『業界用語』、というような言い方はできますよ」

とアドバイスしました。ただし「一般語」ではありませんね。

翌日、同じウェザーニューズの気象予報士・菅さんがやってきて、

「きのうの『最早』ですが、東京管区気象台のHPの『気象庁天気相談所』作成の『東京の桜(ソメイヨシノ)の開花日と満開日』の昭和2年(1927年)~去年(2012年)までのデータ一覧表の下のところに、『最早記録』『最晩記録』という言葉が載っているのですが・・・」

と言うので見てみると、確かにそう記されています。

「でもこれは書き言葉、文字で示しただけで、どう読むかルビが振ってあるわけでもないですねえ。どう読むか、聞いてみましょう!」

ということで、気象庁天気相談所に電話して聞いてみました。

「この言葉、辞書にも載っていないんですが、気象の専門家の間では、どう読むのでしょうか?」

「ああ、これは目で見て分かるようにそう書いただけで、読むときは『最も早い』と読むでしょうねえ。」

「『さいはや』とか『さいそう』とかは、読まないですか?」

「読みませんねえ・・・」

ということで、一件落着!

(2013、3、14)

2013年3月15日 18:58 | コメント (0)

新・ことば事情

5035「遮断棒」

 

3月12日、近鉄の「各駅停車」の運転士が、「急行」と勘違いして駅を通過、そして、

「遮断棒」

の下りていない踏切を時速87キロで通過したというニュースを、読売テレビ夕方の番組「ten!」で伝えていました。

これって普通は、

「遮断機の下りていない踏切」

と言いますよね。「遮断棒」という言葉は初めて聞きました。

ネットでグ-グル検索すると(3月12日」、

「遮断棒」=5万5700件

「遮断機が下りていない」=4万1500件

「遮断棒が下りていない」=  3200件

でした。やはり圧倒的に「遮断機が下りていない」の方が多く使われていますね。

「遮断棒」って、「うまい棒」みたいだなあ・・・。

「遮断機」の部品の一部が「遮断棒」だと思います。ですから、

「『遮断機が下りている』で十分」

だと思うのですが、いかがでしょうか?

(2013、3、12)

2013年3月15日 11:53 | コメント (0)

新・読書日記 2013_050

『芸人の肖像』(小沢昭一、ちくま新書:2013、2、10)

 

去年12月に亡くなった小沢昭一さんの本。この本を出版する段取りをしている中で亡くなったと、巻末に書かれている。「昭一」だから「昭和元年生まれ」か?と思ったら、「昭和4年生まれ」だと。そう言えば「昭和元年」は、たしか「一週間ほど」しかなかったんだな。

ものすごい数の、貴重な「芸人」たちのモノクロ写真。芸人を「祝う芸」「あきなう芸」「とく芸」「かたる芸」「ほどく芸」「さらす芸」「みせる芸」「さすらう芸」に分類しているが、どれも本当に貴重な写真だと思う。大体が1970年代前半までのものが多いが、その後「芸人」たちの環境、つまり世の中が変わったのではないか...というようなことを考えさせられる。


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(2013、3、10読了)

2013年3月15日 02:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5034「会談と会議と会合」

 

いつものように「ミヤネ屋」スタッフから質問です。

「道浦さん、この場合は『首脳会談』『首脳会合』『首脳会議』のどれを使えばいいでしょうか?」

「うーん、全部意味は同じようだけどニュアンスは違うわな。大体そのミーティングに何人参加しているか、人数で変わってくるんじゃないかな」

と答えました。私が考える人数などの基準は、以下の通り。

「会談」=原則2人。例外的に「3者会談」「4者会談」も。

「会合」=3人以上でやや非公式(インフォーマル)なもの。

「会議」=3人以上で、公式(フォーマル)なもの。

というイメージです。

今回のケースは「首脳2人」だったので、「会談」が妥当と判断しました。

国語辞典を引いても特に人数に触れていないんですが、どうなんでしょうねえ?

(2013、3、12)

2013年3月14日 21:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5033「足掛け10年」

20124月に書きかけました。その際の番号は「平成ことば事情4680」でした>

 

2012年春、大関に昇進した「鶴竜」は、かなりゆっくりとした昇進だったようです。その様子を指した原稿に、

「足掛け10年」

という表現が出てきました。しかし、

2001年5月にモンゴルから来日した鶴竜席は、「2001年11月場所に初土俵」を踏み、「2012年3月場所後に大関昇進」(3月28日)です。

すると初土俵から大関昇進までの年月は、

「(正味)10年と4か月」

ですし、「初めて大関として迎えた場所」は「2012年5月場所」になるので、さらに2か月を足して、

(正味)10年と6か月」

になります。

大相撲の場合、土俵(場所)は1月の初場所から11月の九州場所まで。ということは、大相撲での「足掛け10年」が表す期間というのは、

「最短実質8年2か月、最長910か月」

になるように思います。つまり、10年超」は「足掛け」とは言わないと思うのですが、今回は使われています。10年超」は「実質10年」あるのですから、

「足掛けは使えない」

と思います。もし「足掛け」を使うなら、鶴竜関は、

「足掛け12年」

になると思うのですが。

『広辞苑』を引くと、

「年月日等を数える場合、前後の端数をそれぞれ1として、おおよその数をいう語」

とあり、反対語は「丸」でした。つまり「丸10年と4か月」を「足掛け10年」というのは間違い!と考えられると思います。常識的なところに落ち着きました。

(2013、3、12)

2013年3月14日 17:51 | コメント (0)

新・ことば事情

5032「無名な人か?無名の人か?」

 

タイトル(「無名な人か?無名の人か?」)のようなケースの

「『な』と『の』」

について考えてみました。

 

「の」のほうが、「人の属性」を確定してしまう。

これに対して、「な」のほうが、より広がりを持ったあいまいな形容となる。

 

「アートの人」と「アートな人」

 

の違い。

「な」は「~のような」の意味になる。

ということは、「な」の前に来る名詞は、聞いた人一般が共通の認識を持っている名詞でないと、意味の確定がしにくいということか?

 

最近「○○な」が、よく使われる気がします。

()「問題な日本語」(=ベストセラーの日本語本のタイトル)

でも、昔の文章にも「○○な」は割とよく出てくるので、

「どちらでもいいのかなあ」

とも思うのですが、やはり「○○な」には、違和感がある場合が多いのです。

(2012、8、22)

2013年3月14日 10:37 | コメント (0)

新・ことば事情

5031「雪を溶かす?解かす?融かす?」

 

「ミヤネ屋」のスタッフから質問を受けました。

「道浦さん、『雪』は『溶かす』?『解かす』?それとも『融かす』でしょうか?」

うーん、また難しい問題を。

こういうときは『新聞用語集2007年版』を見ます!「とける・とかす・とく」の欄には、

*「(溶・融)→溶ける・溶かす。溶く(とけ合う、固体を液体にする)絵の具を溶く、砂糖が水に溶ける、地域社会に溶け込む、鉄を溶かす、雪を溶かして水にする」

あ、あった!

「雪を溶かして水にする」

だから「溶かす」でいいんだな!「融ける」というのは「表外訓(常用漢字表にない訓読み)」だから、そもそも使わないんだ、新聞や放送では。

でも、一応、「解ける」の方も見てみます。

*「解ける・解かす・解く」(とけてなくなる、緊張がゆるむ)疑いが解ける、打ち解ける、氷が解ける、難問を解く、任を解く、包囲が解ける、結び目を解く、雪解け

あ・・・「雪解け」・・・。それに「氷が解ける」って、「溶ける」「溶かす」のところにあった「固体が液体になる」んじゃないのか?

でも、「単に固体を液体にする」ことではなく、「雪」という状態を「なくす」ところに重点があるのかな。「氷」という状態が「なくなる」ことに意味があるときには「解ける」「解かす」なのかな。疑問が「氷解」しました・・・?

(2013、3、11)

2013年3月13日 21:36 | コメント (0)

新・ことば事情

5030「吹き出すと噴き出す」

先日、毎週月曜日に更新している「ことばクイズ」でこんな問題を出しました。

 

◆正しいのはどちら?「意表を突いたジョークに・・・」

(A)噴き出す

(B)吹き出す 

 

 

(正解)は「A」として「解説」に、

「この場合は『噴飯モノ』の『噴く』ですね。単に息を『吹く』のではなく。でもネットでは(グーグル検索)、

「噴き出した、笑い」=11万7000件

に対して、

「吹き出した、笑い」=27万9000件

と、「吹き出した」の方が優勢です。もしかしたら、両方正しいのかもしれません。」

と書きました。

おそらく、「吹き出す」ほうが、笑いの程度は「軽い」のではないかと。もっと勢いよく程度の大きいのが「噴き出す」ではないでしょうか?つまり状況に応じて使い分けることができるのではないでしょうか?

「噴き出す」>「吹きだす」

ということで、いかがでしょうか?

(2013、3、11)

2013年3月13日 17:35 | コメント (0)

新・読書日記 2013_049

『ペンネームの由来事典』(紀田順一郎、東京堂出版:2001、9、20)

 

10年以上前に出てすぐ購入して少しずつ読んでいるつもり・・・で、ほったらかしになっていたのですが、この際...と読み切りました。なかなかおもしろかった。「のらくろ」の「田河水泡」さん、このペンネームの「田河」は、本名の「高見沢」から来ているといいうのは驚いた。「田河水泡」、「た・か・みず・あわ」→「たかみざわ」、なるほど!

最近は、号や筆名・ペンネームではなく、実名のままの人が増えた理由としては、実名を使うシーンが生活の中で増えて、2種類の名前を使う煩わしさが増えたからではないか?というような分析も。「辞典」ではなく「事典」なので、「引く」のではなく「読む」本である。


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(2013、3、8読了)

2013年3月13日 14:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5029「火野葦平のペンネーム」

 

『ペンネームの由来事典』(紀田順一郎、東京堂出版:2001、9、20)を読んでいたら、「麦と兵隊」等の作品で知られる(と言っても、私も読んではいない)作家の、

「火野葦平」

のペンネームの由来について書かれていました。それによると、「火野」は「奥さんの姓」で、「葦平」というのは、奥さんの名前「ヨシノ」から「葦」とし、当時、恋人を「べー」と呼ぶのがはやっていたから、「平」を付けて「葦平」だというのです。ポイントはそこです!

「へー」

って、ダジャレではなく、それって

「チョコベー」

「ベー」につながりますか?

「アカンベー」

もその類?「柳生十兵衛」は?『ハレンチ学園』?って、年がバレる。バレてもいいのだけれども。

実は私、名前は「俊彦」なので、小さいころ家族から「トシヒコ」の「ト」と「コ」を取って、

「トコちゃん」

と呼ばれていたのですが、祖父や叔父からは、

「トコベエ」

と呼ばれていて、恥ずかしかったのを思い出しました。「愛称」として「ベエ」「ベー」を付けて呼ぶということは、いつごろ「流行って」いたのでしょうか?

また「べー」が「恋人」や親しい間柄に付ける接尾語なら、「ロシア人」の差別呼称である、

「露助」

のような「助」は、「蔑称」を作る接尾語なのでしょうか?

また、「アイドルの愛称の語尾」について、以前、大阪大学の岡島昭浩先生がブログで書かれていたことがありますが、

「ミポリン」「キョンキョン」「ふーみん」

などとの関連はどうなのでしょうか?いろいろと考えが広がりました。

(2013、3、11)

2013年3月13日 11:34 | コメント (0)

新・ことば事情

5028「美の追求か?追究か?」

 

一昨年(2011年)1122日の「ミヤネ屋」「金のクリスマスツリー」というのが東京・銀座に登場したという話題をお伝えしました。その際に、

「美の追求」

というも字が。あれ?これって、

「追究」

ではないのかな?と思い調べてみました。『新聞用語集2007年版』では、

*「追求」=(追い求める)幸福の追求、目的を追求、利潤の追求

*「追究」=(追い究める)原因を追究、心理を追究

ふーむ、つまり文字通り目標に向かって「追い求める」のが「追求」で、「分析」していって「究める」のが「追究」ですね。

そうするとこの場合は、

「美を『追求』するために、美を『追究』する」

ことがあるというように思えます。また逆に、

「美を『追究』することで、美を『追求』する」

とも言えます。「金のクリスマスツリー」は、どちらかといえば、

「美の追求」

かなあ。そんな気がしてきました。じゃあ「美の追求」のままで良かったんだね。

そんなこと考えているうちに、1年3か月もたっちゃいました・・・。

これって、「言葉の追求」か?「言葉の追究」か?

(2013、3、11)

2013年3月12日 22:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5027「PM2、5の発音」

 

テレビ朝日の番組を見ていた「ミヤネ屋」のスタッフから、

「今、若いアナウンサーが、『PM2、5』のことを『ピーエム・ニテンゴ』と『2』

を伸ばさずに言っていましたけど、いいんですか?」

「いいんですか」と言われても・・・よその局のことだし。

もちろん「2」とか「5」は伸ばす、伸ばさないということがあって、大体、

「伸ばす傾向が強い」

ですが、ベテランのアナウンサーは(というか古い時代のアナウンサー教育では)、

「伸ばさない」

とされていたようです。私が教育を受けた30年近く前も、

「アナウンサーは伸ばさない」

と教わりました。その時代でも、世の中の流れは「伸ばす」だったと思いますが。

2月18日にNHKの原田邦博さんからもらったメールには、

「『PM2.5』、これも『ニーテンゴ』でしょうね。けさテレ朝では、ベテランアナウンサーは『ニーテンゴ』と言い、若いアナウンサーは『ニテンゴ』と短く読んでいました。テレ朝の別のベテランアナウンサーに『2、5』『5、5』のことを聞いたら、数字の場合、『ニテンゴ』『ニーテンゴ』、『ゴテンゴ』『ゴーテンゴ』、どちらでもよいとしているが、固有名詞のような場合は、統一する必要があるという見解でした。」

とありました。

去年12月の新聞用語懇談会放送分科会では、毎日放送の委員から、

「『12、5』を『ジュウニテンゴ』、『5、3』を『ゴテンサン』と『短く』アナウンスしている社はありますか?」

というふうな議題が出たことがありました。その際は、

(毎日放送)スポーツアナウンサー、特に競馬のアナウンサーは伸ばさない。

(朝日放送)1975年入社の、前・アナウンス部長は伸ばさなかったが、今のアナウンサーは伸ばしている。

(日本テレビ)伸ばす。

(テレビ朝日)1977年入社だが、伸ばさない。

(NHK)1961年に書かれた「数字の発音」に関する記録が出て来て、それには「レーテンニーロク」「サンテンニーロク」と、「伸ばす」ように書かれていた。

(TBS)両論あったが、「拍をそろえるために伸ばす」と決めた。だが、30年以上前の入社当時は、短く「伸ばさない」と習った。スポーツアナがみんな「短く・伸ばさない」のは、スポーツ実況にはリズムが必要だからではないか。

(毎日放送)スポーツでは伸ばさなくても違和感はないが、ニュース原稿だと違和感がある。

等の意見が出ました。

もしかしたら、伸ばすことで間延びするのを嫌ったスポーツアナウンサーが、テンポよく読むために短く言うようになり、それが「ニュース」にも入って、昔のアナウンサー訓練で使われたのではないか?という「推測」が出ました。

ちなみに私も、同じく用語委員の萩原アナウンサーも、入社時の訓練では、

「伸ばさない」

と教わったので、

「プロのアナウンサーはそう読むんだ!」

と信じて、放送では、そう読んでいます。(ytvアナウンス部でそう読むのは、今ではこの2人だけの模様)

で、最初に戻って、「PM2、5」ですが、これは伸ばして読んでいますね。伸ばさないと違和感があります。

(2013、3、9)

2013年3月12日 18:33 | コメント (0)

新・ことば事情

5026「ひとりびとり」

 

3月11日。東日本大震災から丸2年が経ちました。

東京・千代田区の国立劇場では、政府主催の「東日本大震災二周年追悼式」が行われて、天皇・皇后両陛下もご出席になりました。

その天皇陛下の追悼のお言葉の中に、

「ひとりびとり」

という言葉がありました。一瞬、これは、

「ひとりひとり」

後半の「ひ」は濁らないのではないか?と思ったのですが、その一方で、

「もしかしたら、昔は『ひとりびとり』と濁ったのではないか?」

と思い、辞書(『広辞苑』)を引いてみました。すると「見出し」で載っているのは、

「ひとりびとり」

「濁る形」でした。その語釈の中に、

「『ヒトリヒトリ』とも」

と、「濁らない」「ヒトリヒトリ」も載っていましたが、あくまでも見出しは「濁る」パターンの「ひとりびとり」でした。そうだったのか!

そのほかの辞書では、

*「ひとりびとり」(濁る)を見出しにしたもの

=広辞苑、精選版日本国語大辞典、新潮現代国語辞典

*「ひとりひとり」(濁らない)を見出しにしたもの

=デジタル大辞泉、明鏡国語辞典、新明解国語辞典、三省堂国語辞典、岩波国語辞典、新

選国語辞典

というように分かれました。どれも見出しにはそれぞれの語が来ていますが、語釈の中に「両方の形」を載せています。

思うに、やはり昔は「ひとりびとり」と濁り、最近は「ひとりひとり」と「濁らない」傾向があるようです。

なお、NHKの夜9時のニュースは「一人びとり」と濁ってスーパーしていましたが、テレビ朝日の「報道ステーション」は、私が見たところでは、

「その部分はスーパーせずに天皇陛下のお言葉だけを流し、そのすぐ後からスーパーでコメントフォロー」

していました。迷ったのかな?

(2013、3、11)

2013年3月12日 14:32 | コメント (0)

新・読書日記 2013_048

『バカに民主主義は無理なのか?』(長山靖生、光文社新書:2013、1、20)

 

「カリスマ」は本質的に「民主主義」ではなく、「君主制」や「神権政治」に属する存在、という記述を読んで、すぐに「ヒーロー」的な政治家の存在を求める日本人は「民主主義」に向いていないのではないか?と感じた。悲しいことだが。

「タイトル」が光文社新書にありがちな「エキセントリック」なものだが、内容は、真面目な感じ。おそらくタイトルは編集者が付けたのではないか?

第1章「日本人は、いったい政治に何を望んでいるのか?~日本の民主制が危機におちいっている理由」では、「みんなと同じ」を選ぶ愚民、「勝てる戦争なら好き」という民衆が意外と多い事情を示しつつ、「お上頼み」「一揆感覚」からの脱却を勧める。2章から4章は「歴史のお勉強」のような感じ。最後の第5章で、タイトルに掲げた疑問を解き明かしていく。「日本人に欠けているのは『科学的思考』と『独立心』」、そして「リスクに鈍感な日本人」、「『学び』を拒否し、『忘却』を待つ隠蔽共同体」ではダメだと。最後にこれが決め手かな、

「『言葉』が、民主主義の基礎」

 


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(2013、2、23読了)

2013年3月11日 22:53 | コメント (0)

新・ことば事情

5025「仮の街」

 

3月11日。

東日本大震災から丸2年がたちました。

改めて、亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈りします。

さて、去年(2012年)5月に福島県の郡山市で開かれた「新聞用語懇談会・春季合同総会」の席で、出席されていた地元の「福島民報」の委員からこんな意見が出ました。

「震災直後に求められていたのは『細かな生活情報』であった。現在は、20003000件もある『エリア別の放射線量』の数値が、近辺の人にとっては重要な数字。それを参考に安心か、あるいは引っ越すかどうかなど判断している。しかし、これのチェックは2人がかりで読みあわせして40分はかかる大変な作業。夕方に数値が出てきて、紙面の締め切りに間に合わせるために、必死で数字と闘っている。『何がニュースなのか?』を毎日、試行錯誤している。そんな中で、これまで聞いたこともなかった『スクリーニング』『ホールボディーカウンター』『サーベイメーター』といった言葉が、『普通の言葉』になってきている・・・。」

というお話がありました。これも大変つらい話です。

そしてもう一つ、「復興」に関して、

『「仮の町」構想を立てている自治体があるが、この言葉を忌み嫌っている首長もいるので、あくまでもカギカッコつきの「仮の町」という表記にしている。』

という話が出ました。この時に私は初めて

「仮の町」

という言葉を知りました。このレベルの話になると、やはり被災地を離れるとなかなか伝わってこないようなのです。

きょうの「情報ライブミヤネ屋」では、震災から丸2年ということで、福島県の南相馬市小高地区から全編・生中継でお伝えしました。その中で取り上げたテーマの一つに「仮の町」がありました。「仮の町」について地元の人たちは「賛成か?反対か?」というアンケートでは、ほぼ半数の人が、

「わからない」

と答えているというデータが示されていました。確かに「具体的な形」が見えないことには、賛成とも反対とも言えないことでしょう。「決められない政治」の影響がここにも出ているように思えました。

もちろん「拙速」はいけませんが、震災復興に限っては「迅速」が求められるのではないでしょうか。と言っても、もう2年、経っているのですが・・・。

(2013、3、11)

2013年3月11日 21:25 | コメント (0)

新・ことば事情

5024「フクシマ」

 

<2012年4月に書きかけました。当時は「平成ことば事情4540」でした>

 

きょう3月11日で、東日本大震災から丸2年です。早いようで、長い・・・。

正直なところ、大震災からの1年は本当に心が重く、長い1でしたが、その後の1年間というのは、早かったような気がします。やはり少しずつ「記憶が薄れて」来ていることは否めません、状態は全然変わっていないのに・・・。「風化」というものでしょうか・・・。

やはりきょうは、「東日本大震災」関連の話を書いておかねばならないでしょう。

 

2011年11月に、青森市で開かれた新聞用語懇談会・秋季合同総会で、ある委員から、

「カタカナ表記での『フクシマ』には、『ヒロシマ』『ナガサキ』の原水爆禁止運動につなげようという意図が感じられる場合もあり、カタカナ表記は慎重にすべきではないか?」

という意見が出ました。これに対して、私は、

「カタカナ表記の『フクシマ』は、福島原発で勇敢に働く作業員たちを指して、外電が『フクシマ50』と伝えているという、外電の意味合いであったのではないか?」

と答えました。たしかにそういう面もあるようですが、反原爆運動とのつながりもあるようです。これについて、原発の地元「福島民報」の委員が、

「カタカナは、ショッキングなイメージがある。我々は漢字の『福島』に住んでいるのであって、カタカナで『フクシマ』と表現されることには違和感を覚える。外国人は(アルファベットであって)、カタカナでも漢字でも意味はない」

という意見を述べました。

 

福島県三春町在住の僧侶で作家玄侑宗久さんの著書『無常という力~「方丈記」に学ぶ心の在り方』(新潮社:20111125の中では、

「フクシマ」

カタカナでの表記が出てきました。

また、阪神大震災を経験した前・大阪大学総長の哲学者・鷲田清一さんと、東日本大震災を経験した福島県立博物館館長で東北学の権威・赤坂憲雄さんの対談集『東北の震災と想像力~われわれは何を負わされたのか』(講談社:201238)の第5章「われわれは何を負わされてしまったのか」(最終章)の最後の項目のタイトルは、

『「フクシマ」から「ふくしま」へ』

というもので、

「広島の美術館では、ひらがなで『ひろしま』と表記するようになっていると。もう昔の漢字の『広島』へは戻れないが、カタカナの『ヒロシマ』を内包して、自分たちに固有の都市像を抱きたいと願って、ひらがなにしたんじゃないか」

と鷲田さんは想像します。また、赤坂さんは、

「福島は今カタカナの『フクシマ』だけど、いつかひらがなの『ふくしま』を遠望できるような道筋を探したい」

と話し、実際、20111111日~13日に開いた「草の根会議」のタイトルを、

「ふくしま会議2011」

という「ひらがな」の「ふくしま」にしたそうです。

福島の人たちの声を一つでも二つでもすくいあげて世界に発信する、そのときに「カタカナ」の「フクシマ」でなく、やわらかく溶かすために、「ひらがな」の「ふくしま」にしたとのことでした。

一日も早く「フクシマ」から「ふくしま」「福島」に戻れる日を、応援していきたいと思います。

(2013、3、11)

2013年3月11日 19:23 | コメント (0)

新・ことば事情

5023「護衛艦のアクセント」

 

青森放送の先輩アナウンサーから質問を受けました。

「『護衛艦』のアクセントは、NHKのアクセント辞典には『中高』しか記載されていません。三省堂、新明解など、どれも載っていません。『自衛艦』は、第1アクセントが『中高』、第2アクセントは『平板』。同僚の間で『なぜ「護衛艦」は『平板アクセント』を認めていないのか』と聞かれました。察するに『2拍目に長音が来た場合は「自衛隊」の特殊例を除き「中高アクセント」なりやすいのではないか?』と考えましたが、『自衛艦』のように第2アクセントとして『平板』を認めてもよいのではとも思います。

参考までに『駆逐艦 潜水艦 掃海艦 補給艦 救難艦 硝戒艦』などすべて『平板アクセント』です。個人的には、アクセント辞典に従い、放送では『中高アクセント』で通しています。ご意見をお聞かせください。」

 

これに対する私の返事は、

「ご質問の『護衛艦』のアクセントの件ですが、気にしたことがなかったです。そして、『平板アクセント』で『ゴ/エイカン』と読んでいました。『NHK日本語発音アクセント辞典』は、たしかに『中高』の『ゴ/エ\イカン』しか載っていないですね。その『NHKアクセント辞典』の後ろの方にある『複合語の発音とアクセント』の36ページに『~艦』のアクセントについて書かれていました。それによると、『~艦』という言葉のアクセントには、

(1)「○/○○カン」という「平板アクセント」と、

(2)「○/○○\カン」という「中高アクセント」

の2通りが記されていて、そのうち(2)の変形として、

(3)「○/○\○カン」

という形もあると。『ゴ/エ\イカン』は、この『(3)』タイプですね。用例としては、

(1)平板のみ=巡洋艦、潜水艦、測量艦、敷設艦、フリゲート艦、補助艦

(2)平板と中高の両方=海防艦、駆逐艦、

(3)中高のみ =なし

(4)中高と中高の変形=主力艦

となっています。なぜか、ここの用例に『護衛艦』は載っていません。

複合語のアクセントは一般的に、『2語の結びつきが強くなる』と『平板化』します。その意味では『○○○艦』に『平板』が多いのは、きっと『結びつきの強い語が多い』からでしょう。その中で、平板ではない語、『海防艦』『駆逐艦』『主力艦』、そして『護衛艦』というのは、結びつきが弱いというわけではないですが、『艦』よりも、その前の『○○○』の部分(「海防」「駆逐」「主力」「護衛」)の「言葉の意味」が大事で、『それを強調したい』

という気持ちが強いのではないでしょうか?

そういった場合には、複合語を『1語』として『平板』で読むよりも、『○○○』の部分を強調するために、『アクセントの山』をそこへ持ってきた方がよいというケースがあります。

『平板化』の流れとしては、

(1)複合語としての結びつきが強くなった(=よく使われるようになった)。

場合と、もう一つは、

(2)  強調を必要としていた「○○○」部分(=護衛)が、言葉を発する意識の上では、それほど強調が必要でなくなった。

ということがあるのかもしれません。

これと、あと思いついたのは、『護衛』の読み方が『ゴエー』と長音になると『平板』につながりますが、『ゴエイ』と読めば『平板にならない』とか、もしかしたらそういうことも関係するかもしれません。」

というものでした。

 

先日の新聞用語懇談会放送分科会NHKの委員の方に、NHKアクセント辞典に「護衛艦」は「中高アクセント」しか採用されていない理由を聞いたところ、

「なぜかは、わからない」

と。そして、

「『アクセント辞典』の改訂に向けてNHKアナウンサー500人のアクセント調査を行った。その結果『護衛艦』に関しては(複数回答)、『中高』が52%、『平板』が96%で、圧倒的に『平板』が多かった。次の辞典の改定では、おそらく、①平板②中高になると思う。』

とのことでした。

新しいアクセント辞典の完成が待たれます。「舟を待つ」!

(2013、2、26)

2013年3月11日 18:22 | コメント (0)

新・ことば事情

5022「リアル書店」

 

218日読売新聞夕刊に、「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」が全国展開するTSUTAYA BOOKS2012年の販売額が、リアル書店チェーンの売上高合計で国内最大となったという記事が出ていました。紀伊國屋書店よりも売り上げが多いんだ。

この中の、

「リアル書店」

という言葉が目につきました。つまり、

「『店舗』を持つ、いわゆる従来の『書店』『本屋さん』」

のことを指して「リアル書店」と呼ぶのでしょう。それに対して、最近グングン売り上げを伸ばしてきている(であろう)、

「ネット書店」

というのは、当然店舗を持たないので、「リアル書店ではない」のでしょう。だからと言って、「ネット書店」のことを、

「バーチャル書店」

とは言いませんよね?(言うのかな?)というわけではない。ネット上にはリアルに存在するのですから。だから「リアル書店」の対語は「バーチャル書店」ではなく「ネット書店」になるのではないか?ケータイ(電話)が普及することによって、従来の「家庭にある固定電話」のことを、

「家電(いえでん)」

と呼ぶようになったのと同じようなことが、「書店」にも起きているということですね。

これは「CDショップ」「ミュージックショップ」(あるいは「レコード店)にも起きているのではないか?音楽を、そういった「店」「ショップ」で買うのではなく、

「ネットでダウンロードして購入して聴く」

形が広がったことで、おそらくそうなって来ているのではないか。ただ、ネット上のそういったところが、

「○○ストア」

というようなネーミングをしているので、見かけ上は「お店」のような感じはしますが。

形態が変わることでその呼び名も変わると。新しいものが出ることで、古い物の呼び名まで変わってしまうという一例ではないでしょうか。

(2013、3、9)

2013年3月11日 16:31 | コメント (0)

新・ことば事情

5021「男爵」

 

ふと、思いました。

「『男爵』はあっても、『女爵』は、ないなあ。」

ついでに、

「『男爵いも』はあっても、『女爵いも』は、ないなあ。」

「髭(ひげ)男爵」は・・・どこへ行ったかなあ・・・。トレビアーン!

女性に「男爵」という爵位が与えられたことはあったのでしょうか?

ないよな、きっと。

「女性の男爵」

でネット検索すると、トップに「ウィキペディア」が引っかかりました。それによると、

「男爵(だんしゃく :Baron/Baroness)とは爵位の一つである。古代中国、近代日本、イギリスなどでは五等爵の第5位にあたる。子爵の下位に相当する。フランス、ドイツ、ロシアなど各国の爵位制度でも該当する爵位が存在する。」

「日本語の男爵に相当する爵位を英語ではバロン(Baron)という。バロンの女性形はバロネス(Baroness)で、イギリスの制度では男爵の妻(男爵夫人)や男爵の爵位をもつ女性(女男爵)に用いる。」

え?ということは「女性の男爵」も、イギリスでは「あり」なのか!

『ジーニアス英和辞典』で「baronessを引いたら、

「男爵夫人(未亡人)。女男爵◆尊称としては英国ではLady・・・・,英国以外ではBaroness・・・と呼ぶ」

と記されていました。少なくとも英国では」「女男爵」は「いる」ということですね。これも勉強になりました。

(2013、3、9)

2013年3月11日 10:28 | コメント (0)

新・ことば事情

5020「タウンワークのコマーシャル」

 

アルバイト情報誌だと思うのですが「タウンワーク」というのがあります。このコマーシャルで、みんなが、

「♪タウンワーク、タウンワーク・・・」

というような曲を歌い、

「バイト日本代表!」

というような表現が出てきます。この曲がたしかに、

「まるでどこかの国の『国歌』」

のように聞こえるのです。なぜなんでしょうか?メロディーに何か工夫があるのでしょうか?考えてみました。

この曲の初めのところは、

「ソードー、レーミー、ドミソラー、シドドー」

というように「上昇音階」で、特に最初の「ソ」→「ド」と「4度上がる音階」「早稲田大学校歌・都の西北」の「都の西北、早稲田の杜に」の「み→や」が「ソ→ド」ですし、逆に「4度下がる音階」「慶應義塾大学塾歌」の出だし部分の「見よ、風に鳴るわが旗を」を「み→よ」が4度下がるパターンです。

「4度」という音の幅を使うと「校歌」とか「国歌」の雰囲気が出るのでしょうか?

そういえば『ブラームスの交響曲第1番』の中で、「表彰式」などによく使われるメロディーも出だし部分が「ソ」→「ド」への4度上昇音階ではなかったでしょうか?

もちろん、CM制作者とそのCMソングを作った人は、そういうところも研究して、この曲を作ったんだろうなあと感心して、いつもコマーシャルを見ています。

(2013、3、9)

2013年3月10日 23:25 | コメント (0)

新・読書日記 2013_047

『「編集手帳」の文章術』(竹内政明、文春新書:2013、1、20)

 

現代の「名文家」「名コラムニスト」の名をほしいままにしている、読売新聞朝刊のコラム「編集手帳」を書いている竹内政明さんの「文章術」の一端を明かした本。

「これを読めば、あなたも名文を書ける」

・・・てなわけには、さすがにいかないが、ちょっと技術をおすそ分けしてもらうことぐらいはできると思う。帯には「心を動かす名文はこうして生まれる」とあります。

全然、本題とは違う話題から入って、それがクルッと変わって本題に切り込んでいく。七変化じゃないけど、その変わり身の早さが見事であればあるほど、我々読者は「アッ!」と驚き、「ウーム」とうなずき、感心するわけです。それが難しいんだよね。あまりにもそれを狙っているのが"見え見え"ではカッコ悪いし。

1章の「私の『文章十戒』」は「『ダ』文を用いるなかれ」、「接続詞に頼るなかれ」、「大声で語るなかれ」というように「~なかれ」が十個、並んでいる。参考にさせて頂きます!

でも、こんなに手の内を明かしちゃっていいのかな・・・明かしたところで、誰も真似はできないとは思いますが。


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(2013、2、7読了)

2013年3月10日 21:36 | コメント (0)

新・ことば事情

5019「精髄」

 

2月22日に心不全のため亡くなったドイツの国際的な指揮者・サバリッシュさんについて、ベルリン・三好範英記者が書いた225日付「読売新聞」の記事、

 

「ドイツ音楽の精髄を伝える指揮者として日本でも人気の高かったウォルフガング・サバリッシュさん死去。89歳。」

 

とありました。この中の、

「精髄」

という言葉は、初めて知りました。使ったことがありません。なんとなく「翻訳語」っぽい香りがします。

「真髄」「神髄」

は使ったことも見たこともありますが。

辞書を引いてみましょう。『精選版日本国語大辞典』では、

「精髄」=ものの活動力の根源。ものごとの本質。ものごとのもっとも奥深い大切なところ。神髄。

とありました。用例は、

*「全九集」(1566年ごろ)一「解索の脉は<略>五臓の精髄皆つき死せんとする脉也」

*「天地有情」(1899)<土井晩翠>序「詩は国民の精髄なり」

とのこと。1566年ごろに使われているということは、「明治期のヨーロッパ言語の翻訳語」ではないのか。中国からの言葉かな。

『デジタル大辞泉』では、

「精髄」=物事の本質をなす最も重要な部分。「和歌の精髄を究める」

そして、『広辞苑』は、

「精髄」=物事の最もすぐれた大切なところ。物事の本質。「日本文化の精髄」

『新明解国語辞典』は、なんとなく「クイズ」っぽい感じで、

「精髄」=それを欠くとその物全体の意義が無くなる、最も重要な部分。

『三省堂国語辞典』は、全て平仮名で、

「精髄」=ものごとの、もっともすぐれたたいせつなところ。

とありました。意味はどれも同じような感じですね。

サバリッシュさんと言えば、私が学生時代20~30年ぐらい前に、よくNHK交響楽団を指揮されていたのを覚えています。

3月9日の朝日新聞夕刊によると、1992年、オペラと歌舞伎が手を結び、バイエルン国立歌劇場の来日公演で、演出を市川猿之助(現・猿翁)さんに頼んだことがあったそうです。当時話題になったような。ドイツの新聞はサバリッシュさんの追悼記事に「彼はほとんど日本人になってしまった」と書いたそうです。合掌・・・。

(2013、3、9)

2013年3月10日 21:12 | コメント (0)

5018「イスタンブール」

2020年オリンピックの東京招致のプレゼンテーションが終わりました。ライバルは、「トルコのイスタンブール」と「スペインのマドリード」。その、

「イスタンブール」

という都市名を見て、改めて「あっ!」と思いました。

「『イスタンブール』の語尾の『ブール』は、『ハンブルグ』の『ブルグ』、『ルクセンブルク』の『ブルク』、『ウィリアムバーグ』の『バーグ』と同じ語源ではないか?つまり『城壁(で囲まれた町)』を意味するのではないか?」

ということです。

「バグダッド」の「ダッド」や、マドリード」の「リード」も同じような意味ではないか?以前、これについては書きましたね。(平成ことば事情1124「バグダッド」)

(2013、3、8)

2013年3月10日 18:11 | コメント (0)

新・ことば事情

5017「メリハリ」

 

後輩から質問を受けました。

「メリハリって、どっちがメリで、どっちがハリなんですか?」

「はい?」

「ほら、『凸凹(デコボコ)』の場合は『デコ』が出ていて、『ボコ』がへっこんでるじゃないですか。『メリハリ』はどっちが元気良くて、どっちが元気がないんでしょうか?雰囲気としては『ハリ』は、張り切っている感じがするんですけど。」

「なるほど。考えたこともなかったな。でも確かに『ハリ』は、張り切っているような気がするね。そうすると『メリ』が沈んだ感じかなあ・・・あ、『めり込む』とか言うから、やっぱり引っ込んだ感じがするなあ。もしかしたら、『める』という動詞があったりして」

「へえー『める』から『メリハリ』『めり込む』ねえ。しかし『める』は『めり』ますかねえ?」

「"めり"ます!"めら"なきゃ『メリハリ』にならない!」

と最後は落語のようになりましたが、調べてみてびっくり!やっぱり「める」んです!

「精選版日本国語大辞典」を引くと、

「める(減る)」=(1)減る。少なくなる。また、下がる。(2)衰える。弱る。滅入る。(3)邦楽で、基本の音より低い調子にする。

ということで、(1)(2)の意味ですね。(3)の邦楽での「める」というのはそういうことなのか。では「はる(張る)」も引いてみますと、

「はる(張る)」=「(多く「ハル」と書く)謡曲、義太夫などで、声を強く出す。節を上音にうたい上げる)

とありました。「声を張る」って、そういうことだったのか。

「メリハリ」、よくわかりました。

(2013、3、9)

2013年3月10日 13:10 | コメント (0)

新・ことば事情

5016「画像」

子どもタレントだった細山貴嶺君『デブ、死ね、臭い!を乗り越えて』という本を読んでいたら、大好きな担任の先生について、

「生徒たちの画像をたくさん撮ってくれます」

と書かれた一文が出てきました。これを読んで「あっ!」と思ったのは、著者の細山君(いま高校3年生ぐらい)にとっては、

「『写真』ではなく『画像』」

という表現を使うということですね。これまでなら間違いなく、

「写真をたくさん撮ってくれる」

というふうに書くところでしょう。それを「画像」と書くということは、普段の生活の中の話し言葉でも「画像」を使っているということだと思います。

もそりゃあ、私たちもパソコンを使って仕事をする中で「画像」という言葉は使いますが、高校生の一般生活の中で使うというのは、私などは少し違和感のある言葉です。

10年以上前に、「文章」のことを、

「文字列」

と書かれているのを見て感じたのと同じ違和感を、覚えたのでした。それについて書いた「平成ことば事情36 文字列」もお読みください。1999年、20世紀に書いたんだなあ、これ。

(2013、3、8)

2013年3月10日 09:09 | コメント (0)

新・読書日記 2013_046

『あの実況がすごかった』(伊藤滋之、メディアファクトリー新書:2011、8、31)

 

「名実況」と言えば、古くは1936年ベルリンオリンピックの「前畑頑張れ!」、1964年東京オリンピック開会式の「世界中の青空を全部東京に集めたような」、同じく女子バレーボール決勝の「金メダルポイント」、体操の「ウルトラC」などがありますが、それよりも新しい時代の「名実況」を集めた本。

野球、駅伝、サッカー、オリンピックと、「確かにその実況は聞いたな」というのもあれば、「へえー、そんなのがあったのか」というものも集めてある。

中には、1998913日、イタリア・セリエAのペルージャに入団した中田英寿選手が、デビュー戦で2ゴールを挙げた試合の実況もあった。その実況アナウンサーとして名前が出て来たのは、読売テレビの入社試験を一緒に受け、その後TBSに行って、現在はWOWOWでスポーツアナウンサーをしている「柄沢晃弘アナウンサー」だったのだ!知らなかった!そのことをこの本で初めて知って、ちょっと「うらやましいな」と思いました。

 


star4

(2013、3、1読了)

2013年3月10日 01:34 | コメント (0)

新・ことば事情

5015「みたよな」

 

「万物の霊長が マッチ箱みたよな ケチな巣に住んでる 威張ってる」

という歌詞の曲「のんき節」初めて聞いたのは、たしか中学生の頃。今から40年近く前です。フォークシンガーの高石ともやさんが歌っていました。そのときも、「マッチ箱みたよな」

「みたよな」

が気になっていました。意味はもちろん、

「みたいな」

ですが、なぜ「みたよな」なんだろうか?と思っていました。

そうすると、数年前に読んだ本の中にその「のんき節」が出て来て、この曲は大正時代に添田亜禅坊が歌って「ヒット(流行)」したことがわかりました。『流行り唄五十年~亜禅坊は歌う』(添田知道、解説・唄=小沢昭一、朝日新書)というCD付きの本です。

その後も「みたよな」は引っかかっていましたが、先日、謎が氷解しました。実は、

「現在私たちが使っている『みたいな』という言葉は、もともと『みたよな』であった」

ということのようなのです。ウソ!ホント!?

『精選版日本国語大辞典』「みたようだ」を引きました。

「みたようだ」(動詞「みる()」に完了の助動詞「た」を添えた「見た」に比況の助動詞「ようだ」の付いたもの)

とありまして、その(2)の意味のところに、

「例として示す意を表わす。」

として、用例は島崎藤村の「爺」(1903年)という作品で、

「しかし私見たやうな物覚の悪い男でも」

とありました。これだ!さらに『広辞苑』「みたい」を引くと、

「みたい」=(接尾)「・・・を見たような」の転。体言や活用語の連体形に付く)①ほかのものごとに似ていることを示す。「機械みたいに性格な動作」「丸で夢みたい」(②以下略)(下線は道浦)

ちゃんとしっかり載っていました!

「見たやうな」=「見たような」=「見たよな」=「みたいな」

なのですね!

 

(追記)

夏目漱石の『私の個人主義』(講談社学術文庫)の中に収められた夏目漱石の講演録の中に、

「見たような」

が出てきました。

「それだのに私見たようなものを、ことさらに他所(よそ)から連れて来て、講演を聴こうとなされるのは、ちょうど先刻お話したお大名が目黒の秋刀魚(さんま)を賞翫(しょうがん)したようなもので」

という所の、「私見たような」の「見たような」は、「みたいな」の意味ですね。

(2013、6、6)

 

 

 

(2013、3、8)

2013年3月 9日 23:56 | コメント (0)

新・ことば事情

5014「ティーバッグか?ティーパックか?」

 

先輩のMさんから質問を受けました。

「紅茶を入れる、あの糸の先に紅茶の葉っぱが入った袋のついてるヤツ、あれ、なんて言う?」

「え?ティーバッグでは?」

「そうやろう!!でも実は先日、『ティーパック』だという人がいて、今度みっちゃんに会ったら聞いてみようと思っててん」

私は、

「ティーパック」

というのは初めて耳にしましたが、言われてみると確かに「パック」になっていますね、"あれ"は。

大阪では、「ベッド」を「ベット」と言ったり、「デパート」を「デバート」と言ったり、「ナプキン」を「ナフキン」と言ったりして、濁音と半濁音と清音の区別があいまいな人も結構いますから、この「パック」もその一種では?というように感じましたが、一応、グーグル検索(3月4日)してみました。すると、

「ティーバッグ」=241万0000件

「ティーパック」=  95万3000件

思った以上に「パック」が出てきました。ウィキペディアを見ると、

「ティーバッグ (Tea bag) は、紅茶の葉か抽出物を含む小さな袋である。紅茶を抽出した後に茶こしを使うことなくお茶を飲むことができるようになっている。なお正式には『ティー・バッグ (tea bag)』であるが、日本国内では『ティー・パック』の表記が使われることがあるが和製英語の範疇である。『ティー・バック』と表記される場合もあるが、これはbagpackbackの音の近似によって生じた誤用である。」

と書かれていました。

でも「日本ティーパック」という会社もあるので、「ティーパック」という言葉自体はあるのでしょう。ただ、それはいわゆる「ティーバッグ」とは本来は違うものではないでしょうか?

国語辞典を引いてみると、『精選版日本国語大辞典』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』『新選国語辞典』には「ティーバッグ」しか載っていません。「ティーパック」はありません。『新聞用語集』を見ても「ティーバッグ」しかありません。『岩波国語辞典』には「ティーバッグ」も「ティーパック」もどちらも載っていませんでした。どうやら、調べる前の感覚と同じく、

「ティーバッグが正しく、ティーパックは誤用」

と言えそうです。

その後、読売テレビのアナウンス部で聞いてみたところ、みんな、

「え?『パック』なんて言うんですか?『バッグ』しか知りません」

という反応の中で、一人だけ、横浜出身のYアナウンサーが、

「そういえば、うちの弟が『パック』と言っていたような・・・」

と。さらに後日、他のアナウンサーにも聞いてもらったところ、長野出身のIアナウンサー帰国子女のNアナウンサーが、

「『ティーパック』と言います」

と答えたそうです。Iアナウンサーはさらに、

「ほら、ここにも『パック』と書かれています」

と持ってきた「ティーバッグ」の袋には、

「さんぴん茶 ジャスミンティーパック」

と、たしかに「パック」と記されていました。沖縄のメーカーです。沖縄では「パック」なのでしょうか?また疑問が広がりました。

(2013、3、8)

2013年3月 9日 21:12 | コメント (0)

新・ことば事情

5013「生そば」

 

3月4日の「ミヤネ屋」のニュースコーナーで、群馬のおそば屋さんが火事というニュースで、店の名前に、

「生そば」

というのが入っていて、これをキャスターがが「なまそば」と読んだところ、

「『きそば』ではないのか!?」

と問い合わせがたくさん入ったそうです。

普通は「生そば」と書くと、

「きそば」

と読みます。意味は、

「そば粉だけで、混ぜ物は入っていないそば」

を言います。日本酒の「灘の生(き)一本」や「生糸(きいと)」「生真面目(きまじめ)」のように、「混じりけがない」「純粋」なのが「生(き)」です。

しかし最近は、「うどん」などで「乾めん」の逆で「生(なま)めん」が登場。「生(なま)うどん」という言い方もされることから、「生そば」と書いて「なまそば」と読むケースも出て来ています。そして、今回の火事に遭ったおそば屋さんは、店主によると「なまそば」と読むのだそうです。いやあ、ややこしい。

実は、この「生そば」の読み方については先月の用語懇談会でも話題に上りました。今、過渡期のようです。でも「なまそば」って、ゆで方が足りないような気がするのは私だけでしょうか?

(2013、3、4)

2013年3月 9日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情

5012「帯封」

 

「帯封」

 

「おびふう」と読みます。

これを『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』で引いてみたら、

 

「新聞・雑誌などを郵送するとき、中央を帯紙で封をすること」

 

というように書いてあります。ああ、「第三種郵便」が届くときに「腹巻」みたいになっている帯で「住所」などが記されていますよね、あれか。見たことない人も、いるかもしれませんがが。

でも、今回2月26日の「ミヤネ屋」に出て来た「帯封」は、

 

「一万円札を100枚ごとに縛った紙の帯」

 

のことを指していました。この意味は、この2つの辞書には載っていません。

でも、『三省堂国語辞典』には、ちゃんと載っていました。エライ!

(2013、2、26)

2013年3月 9日 11:54 | コメント (0)

新・ことば事情

5011「散髪」

 

「ミヤネ屋」スタッフのU君から質問が。

「なんで『散髪』は『散髪』なんですか?」

・・・またワケのわからんことを。

「いや、『散髪』って髪の毛を切るんだから『切髪(せっぱつ)』でもいいじゃないですか」

そう来ましたか。

じゃあ、『新潮現代漢字辞典』で「散」を引いてみましょう。ちょうど使っていたから。986ページか。

あ、あった「散髪」

「散髪」=①髷(まげ)を結わずに垂らした髪。

     ②伸びた髪を切ること。紙を切って整えること。

ということで、普通の「散髪」の意味は2番目のだけど、そもそもは、1番目に書いてあるように、

「結っていた髷(まげ)をほどいて『散切り頭』のように『髪を散らす』」

のですね。そうしてから、

「髪を整える」

その際に、「髪を切る」こともあると。髪を「整える」「調える」ともに、

「整髪」「調髪」

という熟語がありますね。同じような仲間の言葉ですね。納得です。

(2013、3、7)

2013年3月 8日 21:52 | コメント (0)

新・読書日記 2013_045

『テレビは生き残れるのか~映像メディアは新しい地平へ向かう』(境 治、ディスカヴァー携書:2011、7、15)

 

この手の本を、本が出てから1年半も経って読んでいるのは、遅れているのだが・・・でも、1年半たったからこそ、ここに書かれている予想が当たったかどうかの確認をしながら読めるというメリットも。その意味では、大体当たっているので、残りの部分も信用していいのかな?と思わせる内容。しかし、途中で著者も書いているが、こんな本を手に取るのは「放送&広告業界関係者」しかいないだろうなあ。「タイトルの疑問」の答えに関しては、興味のある方は、ぜひご自分で読んでご確認ください。


star4

(2013、3、4読了)

2013年3月 8日 19:03 | コメント (0)

新・ことば事情

5010「学生」

 

弟からメールが来ました。

「携帯電話のコマーシャルで『学生さん』だから大切に・・・というのがあるけど、画面では中学生らしい子供が出ています。『学生』というのは『大学生から』、それまでは『生徒』だと思いますが、どうでしょうか!」

うーん、生真面目な弟だ。真面目な私が言うんだから、間違いない。語尾に「!」マークまで付いて「どうでしょうか!」というのは、

「そもさん(作麼生)!」「せっぱ(説破)!」

と問答しているようだ。かなり語気が荒い。で、こんな返事を。

「『学生』は、広義では中学生も含みます。狭義では含みません。中学生でも『学生割引(学割)』と言いますね。『生徒割引』とは言わないですね。ついでに言うと『児童』も、一般的には『小学生』ですか、児童福祉法では『18歳未満』と範囲が違います。」

この返事で、弟は納得してくれたようです。

「なるほど使い方、"どこから見るか"で変わるということですね。」

と返事が来たので、

「その通り!言葉と意味は、必ずしも1対1対応ではないと、いうことですね。」

と返しておきました。そこが言葉の難しいところなんですよねえ。

(2013、3、4)

2013年3月 8日 17:52 | コメント (0)

新・ことば事情

5009「わいせつ・ワイセツ・猥褻」

 

日本語の表記には、大きく言って、

「漢字」「ひらがな」「カタカナ」

「3通り」がありますね。では、

「わいせつ」

という言葉を書く場合には、

「猥褻」「わいせつ」「ワイセツ」

のどの表記を使いますか?

もちろん、「どれが正解!」ということはないのですが、新聞・放送では、表外字(常用漢字ではない)である「猥褻」は、原則として使われることはなく、もし使う場合には「ルビを振る」ことになります。

それで今回は、「それぞれの表記から受けるイメージ」について考えてみました。あくまで私個人の感覚ですが。それによると、

 

「ひらがな」の「わいせつ」は、「わいせつ感」がありません。

「カタカナ」の「ワイセツ」は、ちょっと危ない感じがします。

「漢字」の「猥褻」は、猥雑でいかにも怪しげな危険な香りがします。

 

「猥」「けものへん」ですしね。しかも「褻」という字は、よく見ると、

「『衣』という漢字の隙間に、『熱』の『、、、、』の部分を取ったものが潜り込んでいる!」

「コロモの中に」ですよ!これはあやしい、いやらしい。いかにも・・・ですね。

でも、最初にも書いたように、「猥褻」は、二文字とも「表外字」なので、ルビを振らないといけません。読めない人も多いのではないでしょうか?意外と読めるかな?書けないけど。

(2013、3、7)

2013年3月 8日 10:51 | コメント (0)

新・読書日記 2013_044

『心を癒す言葉の花束』(アルフォンス・デーケン、集英社新書:2012、7、18)

 

「この言葉を言えば(聴けば)、相手の心が癒やされる」というようなお手軽な本ではない。そう思って買った私がバカでした。もっと哲学的な、「生きる真理」のような珠玉の言葉集。その言葉の背景や、デーケン先生の体験などのお話を交えて、その言葉を深く「玩味する」ような一冊。著者は上智大学の名誉教授。1932年ドイツ生まれ。まだ日本に「ホスピス」が1か所しかない時代から、終末期医療におけるQOL(クォリティ・オブ・ライフ)について説いてきた一人。ドイツのことわざ「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うことである」や、デーケン先生自身の言葉「祈りの真の意味は感謝である」などは噛み締めたい言葉だ。

 


star4

(2013、3、3読了)

2013年3月 8日 02:02 | コメント (0)

新・ことば事情

5008「犬儒派」

 

呉智英の『犬儒派だもの』という本を読んだ覚えがありますが、その時は「あいだみつを」風の、

「~だもの」

という表現に気を取られて、

「犬儒派」の意味を深く・・・というか何も考えていませんでした。しかし、きのう『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之、講談社現代新書)という本を読んでいたら、

「シニカルの語源であるギリシアのキュニコス派の哲学者たちのことを、日本語では犬儒派と呼ぶ。」

という記述が!

そうだったのか!

「犬儒派=キュニコス派=シニカルな人々」

だったのか!念のため辞書を・・・あ、『広辞苑』には載っていない!ところが『明鏡国語辞典』には載っていた!

「犬儒」=「犬儒学派の哲学者。キニク学派。キニュコス学派。▼Kynikos(ギリシア)(=犬のような)から。犬儒学派は古代ギリシア哲学の一派。社会的制度・慣習を無視して無欲な自然生活を営むことを理想とした。」

はあ、「ギリシアの白樺派」ということでよろしいでしょうか?・・・違うか。

『精選版日本国語大辞典』には、「犬儒的」という言葉も載っていました。

「犬儒的」=犬儒学派のような言動をとるさま。また、冷笑的なさま。シニカル。

うーん、でも、最近は「シニカル」「冷笑的」は使っても「犬儒的」は使わないなあ。

グーグル検索では(3月4日)

「シニカル」=104万0000件

「冷笑的」 =101万0000件

「犬儒的」 =  6万1000件

でした。「犬のように」が「犬儒」ならば、「儒」は「のように」という意味なのか?「儒学」の「儒」の意味は?たしかそのへんは、この間読んだ呉智英の「論語」の本に書いてあったような・・・。一応、『新潮日本語漢字辞典』を引いてみることにしましょう。

「儒」の②の意味に、

「儒学者。またまた、学者一般」

とあり、その中に「犬儒派(=キニク学派)」もありました。ということは、「儒」は「ような」ではなく「儒学者」の略か。当たり前でした。

つまり、ギリシアでは「犬」に「皮肉的、シニカル」というイメージがあるのかな?

「儒」の「解字」欄を読むと、

「形声。人+需。需は巫祝(ふしゅく)が雨乞いする意。而は頭髪を切って、結髪をしない人の正面形。その人を儒という。儒はもと巫祝の階層に属し、特に葬事に従った。儒学、儒者の意を表す。柔弱、柔順の意に用いる。一説に、需は水に濡れた柔らかいひげ。性行に潤いのある柔和な人の意を表す。」

 

「而」「頭髪を切って、結髪をしない人の正面形」を表しているのか。すると、漢字の中で垂れているのは、「髪の毛」か?「儒者」も「髪を束ねなかった」のかな?もともとは。

いや、勉強になりました。

(2013、3、4)

2013年3月 7日 22:50 | コメント (0)

新・ことば事情

5007「おっしゃるとおりですね」

 

最近、気になる相槌に、

「おっしゃるとおりで(すね)」

があります。一見、「おっしゃる」は敬語だし、相手が話していることを認めているので、問題ないように感じますが、何か話すたびに、

「全くおっしゃるとおりで」

連発されると、何かバカにしている(されている)ような感じがするのです。

というのも、「おっしゃるとおり!」という言い切りならば、単なる相槌に過ぎないのですが、実はこの言葉は、複数の人で話している中で、自分の発言権を得るために話し出すきっかけとして、

「まさに今○○さんがおっしゃったとおりなんですが、実は、問題点はほかにもあって・・・」

のように、

「相手の発言を認めたように言うことで、『もうわかった』と、それ以上話すことを中断させる意図がある」

ように感じるのです。「おっしゃるとおりで」と言われると、

「自分の発言が認められた」

と感じて、気持ちよくしゃべるのを中断できますからね。これが、

「いや、全然違う!」

「そうじゃなくて・・・」

否定的に発言を中断されると、

「何言ってるんだ!まだオレが話しているのに、横から口出しするな!」

と、意地でもしゃべり続けると思うんです。(私はあまり読まないので知らないのですが)もしかしたら「コーチング」や「ディベート」などの本に「相手の話に割って入るテク」の一つとして載っているのではないでしょうか?)

単に「発言の主導権」を自分に取るための「受け」の言葉だと、初めての相手には通用するかもしれませんが、多用することで、

「またアイツは、話を横取りするつもりだな」

思われる恐れがあります。言葉は気持ちがこもっていないとダメなのです。形式だけではないのです。

似たようなものには、

「話している内容は、難しくてよくわからないしそんなに興味もないけど、なんだかスゴそうなので、とりあえず肯定しておくか」

という場合に使われる、

「奥が深いですね」

とか、

「そうなんですね」

という相槌もありますが、この「おっしゃるとおり」には、それと同じようなニオイを感じます。よく使う人、いるんですよね・・・と言うと、どこからか、

「おっしゃるとおりで・・・」

という声が・・・。日本語って「奥が深い」ですね。

(2013、3、7)

2013年3月 7日 18:48 | コメント (0)

新・ことば事情

5006「『町ぐるみ』の読み方」

 

2月22日、愛知県東浦町(チョウ)が、「町ぐるみ」で、人口を水増ししていた、というニュースがありました。これの「町」の読み方ですが、

「まちぐるみ」

と読むと、

「赤ちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんなが加わった陰謀」

のように感じて違和感があります。実態は、

「東浦町という行政側がグルになって」「町役場が一体となって」

という意味ですよね。そうするとこの場合は、

「チョウぐるみで」

と読んだほうが、意味が伝わるような気がします。

「町」を「まち」と読むか「チョウ」と読むかに関して、先日の新聞用語懇談会放送分科会で、毎日放送の委員から質問が出ました。

「先日あった『和歌山県有田川町でクマが現れ"町の職員"が捕獲しました』というニュースで、"町の職員"の『町』を『チョウの職員が』と読むか、『まちの職員が』と読むか、読み分けについて、ルールがおありでしたら教えてください」

というもの。これに関しては、読売テレビのアナウンス部では、

「チョウ」

と読むことにしていますが(実際は「チョウ」とまち)が混在しているが)、今回の放送分科会で、読売テレビと毎日放送を除く他社は、全部、

「まち」

と読むとのことでした。

しかし、実は10年前(2003年)に同じ疑問を各社にぶつけたことがあって(滋賀・豊郷町の小学校校舎保存を巡って、豊郷町の町長側と市民グループが対立した時)、その際は、「在阪の準キー局」では、

*「チョウ」=朝日放送・読売テレビ・関西テレビ

*「まち」=朝日放送・NHK・毎日放送

※朝日放送は「両方使う」、テレビ大阪は「このニュースは出てこないので読んだことがない」のこと。

「東京キー局」とほかのエリアの局では、

*「チョウ」=TBS、静岡放送

*「まち」=フジテレビ・日本テレビ・NHK・テレビ朝日・テレビ東京

また、その他の読み方としては、『町長側』『行政側』というものもありました。

(2013、3、7)

2013年3月 7日 12:43 | コメント (0)

新・ことば事情

5005「峠を過ぎた」

 

2月26日のフジテレビの「とくダネ!」を見ていたら、大雪の青森・弘前市から男性リポーターが中継でしゃべっていました。その中でリポーターが、

「大雪は峠を過ぎた感じです」

と話していました。この、

「峠を過ぎた」

に引っかかりました。これって正しくは、

「峠を越した」

ではないでしょうか?おそらく、

「ピークを過ぎた」

との混交表現で間違ってしまったのではないかと思われます。

「ピーク」は、「X軸」という「時間の経過」がメインなので、「過ぎた」でいいのですが、「峠」は「高さ」、つまり「Y軸」がメインなので「越えた」と表現するのではないでしょうかね。

そのあたり、しっかりと使い分ける必要があるなと思いました。

ついでに、このリポーターは、

「雪の除雪作業」

とも話していましたが、これは明らかに「重複表現」ですね。

ただ、話し言葉の場合はつい、このように重複して強調してしまうこともあるので、こちらは単なる言い間違いと思えます。

(2013、2、26)

2013年3月 4日 09:50 | コメント (0)

新・読書日記 2013_041

『権力者の履歴書韓国+北朝鮮』(廣済堂ベストムック214号、廣済堂出版:2013、1、31)

 

韓国も北朝鮮も"動く"年になりそうなので、資料として購入。ざっと目を通した。今後、役に立つかも。両国の「現状」ではなく「歴史」と「人物」を記したもので、写真も豊富。

 


star4

(2013、2、18読了)

2013年3月 3日 21:47 | コメント (0)