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『道浦TIME』

新・ことば事情

4962「手洗いとうがい」

 

(2012年9月3日書きかけました。当時の番号は「平成ことば事情4818」)

 

家に帰ったら必ず、「手洗い」と「うがい」をします。

さて、この、

「手洗い」

「洗う」という動詞を含んでいますが、

「うがい」

は、動詞を含んでいるんでしょうか?パッと見たところは、含んでいないような感じがするのですが。

辞書を引いてみましょう。『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』には「うがい」は載っていましたが、その動詞は載っていませんでした。

『精選版日本国語大辞典』には、

「うがう」

という動詞が載っていました!「夏目漱石」の「漱」(すすぐ)に似た漢字で、

「嗽う」

です。意味は、

「うがいをする。口をそそぐ」

です。用例は1081年ごろの「書陵部本名義抄」という書物だそうです。古い言葉ですね。『広辞苑』『デジタル大辞林』にも「うがう」が載っていました。

うーん、でもいまや「死語」でしょうねえ。「名詞形」だけが残っているのか。「うがい」以外に「うがう」ことってないですもんね。その辺が「手洗い」の「洗う」との違いかな。「汎用性のある動詞」の方が、「動詞」としては残ると。「活用の機会の少ない動詞」は「名詞の中」に化石のように閉じ込められて、なんとか形を留めると。そういうことかもしれません。

(2013、1、31)

2013年1月31日 22:19 | コメント (0)

新・読書日記 2013_017

『学び続ける力』(池上彰、講談社現代新書:2013、1、18)

 

「学び続ける力」について「勉強する」ために読む人は20代~30代の方、そして40代以上の方はは「若い人にどのように教えるか?」という「先生側」のテキストとして読むといい本ですね。池上さんがどんなことを考えながら、東工大で大学生たちに教えているかがよくわかって、参考になりました。ありがとうございます。


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(2013、1、26読了)

2013年1月31日 16:54 | コメント (0)

新・読書日記 2013_016

『建築探偵 東奔西走』(文・藤森照信、写真・増田彰久、朝日文庫:1997、1、1)

『ぼくらの近代建築デラックス!』(万城目学・門井慶喜、文藝春秋)を読んでいたら、この本のことが出て来たので、勢いで読みました。

いやあ、早く読めば良かった。赤瀬川原平、南伸坊らの「路上観察学会」のメンバーとして藤森先生のことは知っていたが、文章を読んだのは、おそらく初めてかも。写真も美しいし、良い本ですね、文庫だけど。「刑務所」も近代建築になるんですね。そして美しい刑務所も。それを設計した人が、なんとジャズピアニストの山下洋輔さんのおじいさん(だっけ)とは!?全然知りませんでした。三菱財閥の岩崎小弥太の熱海別邸、スゲー!ひと山全部が持ち物。その中に建てられた洋館は・・・。いやあ、すごいですねえ。歴史ですねえ。


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(2013、1、24読了)

2013年1月31日 08:53 | コメント (0)

新・読書日記 2013_015

『ナンシー関の名言・予言』(ナンシー関、世界文化社:2013、2、1)

 

「ナンシー関」没後10年の去年(2012年)に、「ナンシー関研究」の決定版が出たが、それからさらに1年、今度は「名言・予言」集が出た。出版元の「世界文化社」と言えば、生前のナンシーの「消しゴム似顔絵版画集」などを出していた出版社ではないか。

没後10年、いまだに強い影響力が。「ナンシーの前にナンシーはなく、ナンシーの後にナンシーなし」ということか。

ほとんどは、これまでに読んだはずのものだが、今、改めて読むと「慧眼」というか、まさに「予言」とも取れるような「お見通し」の言葉に、「スゴイ!」と言わざるを得ない。「ヤワラちゃんが選挙出馬」しかり、「一切のタバコCMの消滅予言」しかり。「両手握手」の起源が「聖子ちゃん」だとは知らなかった。これは、ぜひ読むべき本だと思います。これを読んで、10年後を学ぼう!!


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(2013、1、24読了)

2013年1月30日 22:50 | コメント (0)

新・ことば事情

4961「サンテと参天」

 

突然ですが、

「『サンテ』はフランス語で『健康』」

ということを、どこかの本で読みました。それで「ハッ!」としたのは、

「参天製薬」

「参天」は、この「フランス語で『健康』」から来ているのではないか?ということです。そこで、「参天堂製薬」の「参天」の名前の由来を、メールマガジン『名前の由来』から調べてみたところ、

「儒教の『四書』の一つ『中庸』の一節の『天機参与(天の意志に従うこと)』にちなんでおり、『天の命令に従い、人々の健康に貢献する』という理念を導き出し、『参天』と命名されています。」

とありました。

なんだ、違ったか。残念。

ホームページの「沿革」によると、「参天製薬」は、1890年(明治23年)「田口参天堂」として創業。風邪薬「ハカリ印ヘブリン丸」を発売。1896年(明治29年)には「田口参天堂合資会社」を設立。1925年(大正14年)、株式会社化し「参天堂株式会社」が設立されたそうです。その後、1945年(昭和20年)「参天堂製薬株式会社」に社名変更。さらに1958年(昭和33年)「参天製薬株式会社」に社名変更されたとのことです。

まさに「老舗」ですよね。

大阪市内にある会社です。

(2013、1、27)

2013年1月30日 21:59 | コメント (0)

新・読書日記 2013_014

『「持たない」ビジネス儲けのカラクリ』(金子哲雄、角川oneテーマ21:2012、9、10)

国際ネギリ(値切り)ストの経済評論家、故・金子哲雄さんが、亡くなる1か月に出した著書。最後の最後に、『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄、小学館:20121122)という本を(死後に)出版されたが、生前に出版されたものとしては、これが最後の一冊になる。

これまでは「持っている」こと「資産」が「力」だったが、これからは「持たない」ことが成長のカギだと。「不動産」ではなく「動産」、流動的な資産が必要だということ。確かに"短期"ではそうかもしれないが、"(超)長期"では必ずしもそうとは言えないような気もするが、納得できるところも多かった一冊でした。


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(2013、1、22読了)

2013年1月30日 21:00 | コメント (0)

新・読書日記 2013_013

『督促OL修行日記』(榎本まみ、文藝春秋:2012、9、25第1刷・2012、10、30第5刷)

 

これはね、すごいです。

その辺の「話し方の本」を読むより、これを読むほうがいいと思う。

このお仕事は、本当に大変なんだろうなあと、思います。ドラマになるんじゃないか?


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(2013、1、18読了)

2013年1月30日 19:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4960「R&B」

 

町山智浩『キャプテンアメリカはなぜ死んだか~超大国の悪夢と夢』(文春文庫)という本を読んでいたら、

「アトランティック・レコードを仕切ってRB(リズム・アンド・ブルース)という言葉を創ったジェリー・ウェクスラーもユダヤ系」217ページ)

という記述が出てきました。「ジェリー・ウェクスラー」という人のことは知らないのですが、その人が、

RB(リズム・アンド・ブルース)」

という言葉を作ったのかあ。

若手のYアナウンサーに、

「R&B(アール・アンド・ビー)の『R』と『B』って、何の略か知ってる?」

と聞いたら、明らかに戸惑ったような顔をして、

「え・・・ロック・アンド・・・何でしょう?」

うーん、全然違うよ。

横から、彼より若いADが、

「リズム・アンド・ブルースですよね」

と、正解を言ってしまいました・・・。

(2013、1、27)

2013年1月30日 17:58 | コメント (0)
2013_012

『テレビコメンテーター~「批判だけするエラい人」の正体』(中野雅至、中公新書ラクレ:2013、1、10)

 

「ミヤネ屋」でも、数多くの「コメンテーター」にご主演いただいているが、それぞれ「一家言ある人」、つまり「何らかの専門家」である。しかし、いくら専門家でも、何から何までコメントできるわけではない...はずだ。でも、なんでもコメントする(できる)人もいるし、出ているからは「硬軟ごちゃまぜの話題」に何らかのコメントをしなきゃならない。そういった「テレビコメンテーター」という「職業」が、現在、成立している。しかし、既に「批判だけするエラい人」という「批判」があるのも、たしか。

そういったややこし~い状況を、当の「テレビコメンテータ」である大学教授が、赤裸々に書いた一冊。この分野での本は「初めて」ではなかろうか?

著者は「ミヤネ屋」には出演してもらったことはないが、読売テレビの、ほかの番組に出演しているのを見たことはある。

巻末に「ニュースショー、ワイドショー番組名」と、それに「出演しているコメンテーターの実名」の一覧があるが、これはデータがちょっと古いと思った。

(2013、1、16読了)

2013年1月30日 17:44 | コメント (0)

新・読書日記 2013_011

『すべては今日から』(児玉清、新潮社:2012、4、25)

 

おととし(2011年)に亡くなった俳優の児玉清さんの書評集。去年の一周忌に出されたもの。タイトル「すべては今日から」という言葉は、ドイツ語で児玉さんが好きだった

「アブ・ホイテ」

という言葉から。

児玉さんというと、ABCの『クイズ・アタック25』の司会の印象が強く、またNHK・BSの書評番組「ブックレビュー」(でしたっけ?)の司会、原書を読むほどの読書家としても知られる。この本に載せられた書評は、そのダンディズムを、ムンムンと醸し出していたことを感じさせる文章だ。(人によっては、それが鼻につく人もいたかもしれないが・・・)

たとえば、「独擅場(どくせん)」という言葉を使い、「独壇場」を使わないところなどに、児玉さんの気概を感じた。

なんだか、亡くなった感じがしない。どこかで、

「アタッーク・チャーンス!」

と言っていそうな気がして・・・。


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(2013、1、15読了)

2013年1月29日 22:19 | コメント (0)

新・読書日記 2013_010

『人質』(佐々木譲、角川春樹事務所:2012、12、18)

 

 久々に、佐々木譲さんの小説を読みました!シンプルなタイトル。人質立てこもり事件の心理状態はスリリングで、一気に読ませる。が 、シングル・イシューなので、後半は残りページ数で「落ち」がわかってしまった気が・・・。そこが少し残念!      

読み終わった時点では、単なる警察物のミステリー小説でしたが、16日に発生した「アルジェリアの 人質事件」のために、この本のシンプルなタイトルは、刺激的なものになってしまいました・・・。アルジェリアの事件で命を落とされた皆様、ご遺族の皆様に、謹んで哀悼の意を表します。)                      


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(2013、1、15読了)

2013年1月29日 19:15 | コメント (0)

新・読書日記 2013_009

『つぎはぎ仏教入門』(呉智英、筑摩書房:2011、7、25第1刷・2011、12、5第4刷)

 

『知的唯仏論』(サンガ)での宮崎哲弥氏との対談の中で、宮崎氏が再三にわたって「これは『つぎはぎ仏教入門』に書かれているんだけど・・・」と引用された本。呉智英氏は、仏教徒ではない。その視点から見た仏教の矛盾点・問題点や、良いところなどがわかりやすい形で指摘されている。しかし「わかりやすい」と言ってもかなりレベルは高く、深い問題を追及しているように思う。「ブッダは、お経を唱えなかった」「ブッダの髪は、螺髪(らほつ)ではなかった」「ブッダは、仏像を拝まなかった」など、言われてみれば「なるほど!」という「目からうろこ」(これはキリスト教の比喩)の記述が満載である。

そして、日本の「大乗仏教」というのは、インドの「小乗仏教」が中国を経てこの列島に伝わるまでの間に、形を変えて来たんだなあと、改めて思った。


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(2013、1、15読了)

2013年1月29日 15:14 | コメント (0)

新・読書日記 2013_008

『若者のホンネ~平成生まれは何を考えているのか』(香山リカ、朝日新聞出版:2012、12、30)

 

そうなんです、もう平成になって25年、四半世紀が過ぎて、今の若者は皆「平成生まれ」。まあ、私たちの世代にとっては「若者」というよりも「子ども」の世代。子どもが何を考えているのかがわかる、かもしれない一冊。

やはり、考え方の"前提"となる「社会情勢の変化」が、私たちの世代は「私たちの時代」をベースにした変化と捉えているが、若い世代にとっては、その「変化した後がベース」となっているので、おのずと見方も変わってくるという、言われてみれば当たり前のことを、きっちりと理解したうえで見ると、若者に対する見方も多少は変わるのかもしれません。


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(2013、1、13読了)

2013年1月29日 12:13 | コメント (0)

新・読書日記 2013_007

『知的唯仏論~マンガから知の最前線まで、ブッダの思想を現代に問う』(宮崎哲弥・呉智英、サンガ:2012、12、1第1刷・2013、1、1第2刷)

 

共に仏教に造詣が深い、仏教徒で評論家の宮崎哲弥氏と、その宮崎氏が「評論の師」と仰ぐ、仏教徒ではない評論家の呉智英氏の対談。

宮崎氏が、その博覧強記の知識を次から次へと繰り出し、呉氏がそれをバッサバッサと大ナタでさばいていくような対談。ちょっと落語の『蒟蒻(こんにゃく)問答』的な感じもしたが、全般的に興味深い内容だが、いかんせん、高度すぎてついて行けない感じでありました・・・。


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(2013、1、13読了)

2013年1月29日 07:42 | コメント (0)

新・読書日記 2013_006

『弱くても勝てます~開成高校野球部のセオリー』(高橋秀実、新潮社:2012、9、30第1刷。2012、12、21第9刷)

 

いやいや、これは掘り出し物というか、ものすごく面白い!

毎年東大に200人が合格するというかの有名な「開成高校」の野球部を追ったスポーツ・ドキュメント。選手の考え方もおもしろい(ユニーク)だが、そんな選手たちを指導する監督さんも、かなりユニーク。

大阪・桜宮高校の「体罰」が社会問題になっているが、そんな部活動とはまた違う「開成高校野球部」のあり方に、「へえー、こんな人たちもいるんだ」と思える。ただし、あまり一般的ではないために、参考にはならないかもしれないが。

去年9月に出て12月に9刷ですから、かなりベストセラーになっているんではないでしょうか。

 


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(2013、1、12読了)

2013年1月29日 03:41 | コメント (0)

新・読書日記 2013_005

『ぼくらの近代建築デラックス!』(万城目学・門井慶喜、文藝春秋:2012、11、30)

 

カラー写真も豊富!おもしろい!

『プリンセス・トヨトミ』『鴨川ホルモー』など、関西を舞台にした数々の小説でおなじみの若き作家・万城目(まきめ)学氏(大阪出身、京都大学出身)が、建築評論が専門の門井氏と一緒に大阪・京都・神戸・東京・横浜といった都会の「街ぶら」して、「近代建築」を見て歩くという企画。近代建築に特別の興味はなくても「ああ、そういえば、なんかカッコイイ建物があったな」と、街を再認識できる一冊。先日、何新聞だったか忘れたが、この二人で「街ぶら」している記事を見かけたが、以前からやってたんですね。

このhンで登場する「大阪市中央公会堂」など、先月コンサートを聴きに行ったばかりだったので、興味もさらに湧いた。

この本に触発されて、こういった「近代建築街ぶら」の先輩格、藤森照信氏の『建築探偵 東奔西走』(写真・増田彰久、朝日文庫:1997)も読もうと本棚を捜したら、手つかずの状態で見つかったので、購入から十数年、初めて読んだら、とっても面白かった。それはまた書きますね。


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(2013、1、10読了)

2013年1月28日 23:40 | コメント (0)

新・読書日記 2013_004

『世界の作家が愛した風景』(田中里奈、2012、12、19第1刷、パイインターナショナル)

まあ、「写真集」と言っていいのではないでしょうか。

ちょっと疲れたときに、この写真集を広げて、ほっこりとする、と安らげます。

本当は、この写真の「現地」に行ってみると一番いいんだけど、そんな「時間」も「お金」もない方に、ひとときのやすらぎを・・・。


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(2013、1、9読了)

2013年1月28日 20:38 | コメント (0)

新・読書日記 2013_003

『僕たちの時代』(青木理×久田将義、毎日新聞社:2012、12、25)

 

対談集。実は二人とも、私は不勉強で「知らない人」だったし、タイトルも「ちょっと、クサイ」感じだったので、手に取るのははばかられたのだが、中を開くと大変興味深い内容の対談。

「『噂の真相』から『実話ナックルズ』」「警察と検察に斬り込む」「六本木アンダーグラウンド」「管理と排除を求める世界」「原発とジャーナリズムと官邸デモ」など、どれも読み応え十分だった。

久田さんは雑誌の編集者、青木さんは共同通信記者を経てフリーのライター。写真を見ると、二人とも私より年上に見える(50代半ばか?)が、生年月日を見ると、久田さんは1967年生まれ、青木さんは1966年生まれと、私より「年下」だった・・・。オレもおっさんになったなと、改めて・・・。


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(2013、1、7読了)

2013年1月28日 14:37 | コメント (0)

新・読書日記 2013_002

『東京裁判~フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書:2012、12、20)

 

著者はテレビ東京のアナウンス部長。元NHKアナウンサー。NHK時代にフランス留学もしていて、これまでに何冊もフランス語の翻訳も手がけているという人物。で、実は私用語懇談会で、いつもお世話になっている人。今年は一緒に放送分科会の幹事をやらせてもらっています。しかし、まさかこんな本を書いている人とは、全然知りませんでした。昨年末、この本が送って来られて、「ぜひ、厳しい感想を」ということだったので、お正月休みに頑張って読んで、ご本人に"感想文"をメールで送りました。

率直な感想としては「すごいですねえ、学術論文ですねえ。」

私は個人的には「東京裁判」にあまり興味がなく、詳しいことを知りません。ですので、このタイトルだと、本屋さんで見つけても、きっと手に取らなかったと思います。

内容的にももちろん東京裁判でのベルナールの「無罪論」がきっかけで、それがインドのパル判事よりも有名でないところが「とっかかり」だとは思いますが、そこからベルナールという人の「人となり」を詳しく明かしていくという内容ですから、そちらをタイトルに持ってきた方が、興味が湧いたと私は思います。

全体の印象としては、大変「レトリック」が使われている感じで、「エビフライの衣が大きい感じ」がしました。(ゴメンナサイ・・・)「翻訳調」と言いますか・・・。

「すなわち」等の接続詞を省いた方がスッキリして、テンポ良く頭の中に入ってくる気がしました。もう少しセンテンスが短く、畳み掛けるように「ミステリー風」の方が読みやすくて、グイグイ引き込まれたのではないかなあと思います。「エビ」自体は大きくておいしいとと思うのですが。(と、レトリックを使ってしまった。)

「ドキュメンタリー」風でありながら「物語」でもあるという感じですよね。

なんとか通読できてよかったが、読み終わっての感想は、

「難しかった!」

ということと、

「こんなのを書けるって、大岡さんはすごいなあ」

と思いました。


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(2012、1、5読了)

2013年1月28日 11:25 | コメント (0)

新・読書日記 2003_001

『たくらむ技術』(加地倫三、新潮新書:2012、12、20)

 

著者はテレビ朝日に1992年に入社した「ロンドンハーツ」「アメトーク!」の演出・プロデューサー。著者の写真を見ると、いかにも芸能系のプロデューサーという感じ。業界風です。一体どんなことが書いてあるのかな?と思って読んだのですが、まあ、いろいろ考えているんだなあと。もちろん、我々と同じようなことも考えているのだけれど。若いディレクターなどが読むといいと思いました。


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(2013、1、3読了)

2013年1月28日 09:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4959「ブラッドリー効果」

 

2008年10月から11月にかけて、オバマさんが「大統領」のイスに向けて戦っていた時によく出て来た言葉に、

「ブラッドリー効果」

というのがありました。(当時、書きかけた時の番号は「平成ことば事情3509」

これは、

「主にアメリカの選挙において、黒人などの非白人候補者の得票率が世論調査を下回る現象のこと。1982年のカルフォルニア州知事選挙で、民主党公認で黒人のトム・ブラッドリー・元ロサンゼルス市長が、世論調査では圧倒的な優勢だったのに、投票時には共和党の白人候補に流れてしまって敗北したことに由来する。」

とネットを検索すると出てきます。

2008年の大統領選挙では、オバマさんが、

「黒人初の大統領になるか、どうか?」

が焦点であったので、こういった事例が持ち出されたのでしょう。しかし、

「実際に『黒人初の大統領』になってしまって『現職大統領として戦う2期目』」

では、この言葉はほとんど出てきませんでした。

それはある意味、黒人であるか白人であるかよりも、その手腕に注目されて大統領を争うことができるという意味では、よかったのかなあとは思います。

2012年11月の大統領選挙で2期目続投が決まり、年が明けて1月20日、2期目がスタート。よりより世界の実現ために頑張ってほしいものです。同い年だし。

(2013、1、27)

2013年1月30日 13:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4958「ささって」

 

三重県伊賀上野出身の両親(77歳)。家に行った時に、質問を受けました。

「ささって」

という言葉を使うか?というのです。伊賀では言うそうです。私は普段は使いませんが、そういう言い方が、地方によってはあることは知っていると答えました。意味は、標準語でいう所の、

「しあさって」

ですね。あした、あさって、しあさって(ささって)。

ネットで調べると、

「『ささって』を使うのは三重県の一部などごく少数なので『方言』と言ってもいいだろう。飛騨方言では『一昨日』の事を『ささって』と言う。富山、飛騨、三重県の方言のようだ。堀井令以知『ことばの由来』(岩波新書)によると、堀井氏は『ささって』の語源を『再さって』、共通語『しあさって』の語源を『四あさって』と考えている。たしかに、『来週』の次は『再来週』、『来年』の次は『再来年』。つまり『あさって』に『再()』を付けて『さあさって』=『ささって』と単音化、短呼化した結果のようだ。堀井氏説を敷衍すると、「ささって」を使っていた所へ「しあさって」が輸入されてきたのだ。」

「『しあさって』は漢字で『明々後日』と書くが、本来は『次明後日』または『四明後日』。『ささって』は漢字にすると『再明後日』または『三明後日』になる。

『あした(明日)→あさって(明後日)→しあさって』

の場合は、『次明後日』は、

『あした→あさって→ささって(再明後日)→しあさって(四明後日)

になる。」

というような記述がありました。これだと、本来の(共通語の)「しあさって」と「しあさって(四明後日)」の日にちが、ずれるのでは?

堀井先生の本(『言葉の由来』)は読んだことがあります。もう一度読んでみよう。

また、『全国方言一覧辞典』で「しあさって」の全国の言い方を調べてみたら、

「ヤノアサッテ」=北海道・岩手・宮城・埼玉・新潟

「ヤナサッテ」=青森・秋田・福島

「ヤナアサッテ」=茨城・栃木

「ヤネアサッテ」=群馬・神奈川・山梨

「シアサッテ」=千葉・東京・石川・福井・長野・岐阜・滋賀・京都・大阪・兵庫・和歌山・鳥取・広島・山口・徳島・香川・愛媛・高知・福岡・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島

「サーサッテ」=富山

「シガサッテ」=静岡

「ササッテ」=愛知・三重

「シヤサッテ」=奈良

「シャーサッテ」=島根

「シアサッテー」=岡山

「シラアサッテ」=佐賀

「ッアサッティヌナーチャ」=沖縄A

「アサティヌナーチャ」=沖縄B

随分バリエーションがありますが、全国的に多いのは「シアサッテ」。アクセントは県によって違うようですが、ここでは省略します。三重県・愛知県では「ササッテ」のようですね。富山の「サーサッテ」も同じ仲間だな。

解説を読んでみると、

「あさっての次の日。生活に基本的な暦日の数え方に地方差があるとは、実に日本列島は複雑である。共通語の『シアサッテ』は北海道や東北・関東地方の一部にはなくて、それらの地域では『ヤノアサッテ・ヤナサッテ』が分布している。中部地方では『ササッテ』が栄えていて独自である。一覧であげたほかに、群馬・埼玉『シアサッテ』、鳥取『シラサッテ』がある。」

と記されていました。「ササッテ」は「中部地方独自の言い方」のようです。

神奈川は横浜出身の山本隆弥アナウンサーに、

「『ヤネアサッテ』って言う?」

と聞いたら、

「なんですか?それ?『シアサッテ』と言いませんよ」

という答えが返ってきました。その県内すべてが、該当する方言を使うわけでもないようですね。

(2013、1、27)

2013年1月30日 09:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4957「しなごい」

 

三重県伊賀上野出身の両親(ともに77歳)が、先日、

「しなごい」

という言葉について話していました。

「これは『伊賀弁』だろう」

と本人たちも言っていましたが、私は聞いたことも使ったこともありません。意味は、

「かみ切りにくい」

また、「人」の表現にも使って、

「あの人は、しなごい女だ」

という言い方もするそうですが、いずれにせよ、

「いい意味では使わない」

のだそうです。

語感で言うと、「しな」の部分は「しなやか」をイメージしますが、「ごい」は「しつこい」などの「こい」のさらに強力な感じ(濁点の分だけ)がしますね、個人的には。

ネットで「伊賀弁」のサイトを見つけました。そこには、

「すじ肉やスルメ等のように噛み切れない食感を指す。(相当する標準語は存在しない)

とありました。グーグル検索では「しなごい」は22000でした。(127日)

「伊賀弁」(というか、三重弁)というと、

「とごる」

という言葉も、標準語には存在しません。「底の方に沈殿する」という意味ですが、そんな漢語を使わないで言うとなると、困ってしまいます。(以前「平成ことば事情849 とごる」と「平成ことば事情2220 とごる2」に書きました)

伊賀弁って、結構、豊かな表現力を持っているんだなあと感じました。

(2013、1、27)

2013年1月29日 22:55 | コメント (0)

新・ことば事情

4956「5W1Hの謎」

「5WH

というと、

WHEN」(いつ)

WHERE」(どこで)

WHO」(誰が)

WHAT(何を)

WHY」(なぜ)

HOW」(どのように)

という、モノ(情報)を伝える場合の基本となる事項だと、たしか小学校のときに教わりました。それから40数年、実際に情報を伝える仕事に就いて30年近く、特に疑問も持たずに来たのですが、今朝の通勤途上で、一つ疑問が。

「『WHY』だけは、すぐにはわからない。あきらかに種類が違う疑問だ!」

と。だから情報を伝える場合に、普通、わかることは、

WHEN」(いつ)

WHERE」(どこで)

WHO」(誰が)

WHAT(何を)

HOW」(どのように)

「4W1H」なのではないか?と。「WHY」はこういった事実を積み上げる中で、「あとでわかる」ということですよね。

学校では今も「5W1H」を教えているんだろうか?

(2013、1、27)

2013年1月29日 20:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4955「あなたの健康をそこなうおそれがあります」

 

6年前に出た拙著「スープのさめない距離」(小学館)ために書きかけて挫折したというか、まあ採用されなかった原稿で、もう「平成ことば事情」に書いたと思っていたら、まだ書いていなかったものを、ここに載せておきます。(一部は「緩慢なる自殺」に書いて載っていますが。)

 

「喫煙」を批判的に指し示す言葉。タバコは、服用すればすぐに死に至る、あるいは重篤な状態に陥るものではないが、長い目で見れば吸わない人よりも、肺がんや喉頭がんなどの疾病にかかる危険性は高い。さらに最近は、副流煙による受動喫煙の問題が社会問題化し、愛煙家は年々肩身が狭くなっている。

2003年11月のタバコ事業法改正により、2005年7月からこれまでタバコのパッケージに印刷されていた「健康を損なうおそれがある」という表記から、タバコのパッケージの両面の30%以上の面積に、以下に示す具体的な健康への危険性を示す健康警告表示が義務づけられた。

「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります」

「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」

「喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます」

「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」

「妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります」

「たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。喫煙の際には、周りの人に迷惑にならないように注意しましょう」

「人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます」

「未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません」。

この8種類が、2種類ずつ組み合わされて掲載されている。

日本たばこ産業株式会社(JT)は、2004年11月5日、喫煙の危険性を警告する「注意書き」を変更した新デザインを発表、11月下旬から変更した11銘柄を発売、残る86銘柄も、2005年6月末までに順次変更した。

なお、これら広告宣伝や健康警告表示を定める法律(たばこ事業法)は財務省の所管。厚生労働省が所管する法律でない。

ちなみにタバコ対策先進国の警告表示を見ると、ブラジルではパッケージ全面を使い、カナダ・EU・オーストラリアなどは50%を使って、カラー写真入りの大きな文字で警告されている。

イギリスのタバコ(ダンヒル)には、ズバリ、

Smoking kills(タバコは人を殺します)」

と記されている。

日本では受動喫煙被害防止の流れを受けて、健康増進法第25条が制定され、さらに世界的には公衆衛生分野における初めての多数国間条約として2005(平成17)年2月27日に「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(たばこ規制枠組条約)」が発効した。

 

そのほかに気付いた変化としては、

*ナチスのタバコ撲滅運動と昨今の禁煙、健康増進法。チャーチルの葉巻。スペイン・セビージャの、カルメンが働いていたタバコ工場。

*昨今、ドラマの中で喫煙シーンが使えなくなってきた。足で吸い殻をもみ消すシーンなど。時間が経ったことを暗示させられなくなった。

などなど。

 

~これを書いた当時から、さらに愛煙家は肩身が狭く、またタバコの大幅な値上げによって懐具合もさびしくなっています。私はタバコを吸わないのですが、それでも「愛煙家の皆さんは大変だなあ」と思います、はい。

(2013、1、27)

2013年1月29日 18:53 | コメント (0)

新・ことば事情

4954「『さびしい』と『さみしい』」

「寂しい」「淋しい」

と書いて、

「さびしい」

と読むか、

「さみしい」

と読むか?ま、読み方と言うか、両方の「言い方」がありますよね。

たとえば、私が男声合唱で歌ったことのある曲の「歌詞」の中で出てくるものを見てみると、

「なごり雪」       =「さみしい」

「シクラメンのかほり」  =「さびしい」

「月光とピエロ」の「月夜」=「さびしい」

という感じで分かれています。例が少ないですが、

『日本語雑記帳』(岩波新書)という本の中で田中章夫先生は、

「『さみしい』は東京の下町の方言である」

と記していました。実際、「さびしい」は「書き言葉的」であり、「さみしい」は「話し言葉的」ですね。

グーグル検索では(127日)、

「さびしい」= 489万件

「さみしい」= 776万件

「寂しい」 =4210万件

「淋しい」 = 575万件

でした。ネットでは「話し言葉的」である「さみしい」がよく使われているのかもしれませんね。

 

 

(追記)

2月27日、今月3日に亡くなった十二代目・市川團十郎の葬儀告別式で、喪主を務めた息子の七代目・市川海老蔵の今の心境を語ったあいさつの最初の一言は、

「とても、さみしいです。」

というものでした。

「さびしい」ではなく「さみしい」というところに、心情が表れているような気がしました。単に海老蔵の語彙に「さびしい」がないだけかもしれませんが。

                                                  (2013、2、28)

(2013、1、27)

2013年1月29日 15:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4953「キーマンかキーパーソンか?」

 

最近、「ミヤネ屋」のスーパーチェックをしていてよく出てくる言葉に、

「キーマン」

があります。しかしその一方で、同じ意味の、

「キーパーソン」

も使われています。昔は全部「キーマン」だったのですが、ジェンダーが取りざたされた十数年前から、「~マン」という表現は、「ポリティカル・コレクト」(政治的な正しさ)によって、

「~パーソン」

に直されてきました。全部が全部、定着したわけではないですが、一部、定着したものもあります。

グーグル検索してみたら(1月15日)、

「キーマン」  =185万0000件

「キーパーソン」=159万0000件

「キーパースン」=  1万1500件

ということで、昔から使われている「キーマン」がやや優勢ですが、「キーパーソン」もそれに迫る勢い(その差、26万件)です。

 

とここまで書いて、2週間ほどたった今日(127日)、検索してみると、

「キーマン」  =182万0000件

「キーパーソン」=170万0000件

「キーパースン」=  1万1400件

と、その差は「12万件」にまで迫っていました。

今後、どの時点で「キーパーソン」が「キーマン」を追い抜くのか、もしくは追い抜かないのか、注目したいと思います。

(2013、1、27)

2013年1月29日 10:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4952「2B、5B」

 

鉛筆の「2B」「5B」

この「2」「5」をどう発音するか?つまり「伸ばすか、伸ばさないか?」ということについて、NHKの原田邦博さんに聞かれました。

私、個人的には「2B」は「ニービー」と伸ばし、「5B」は「ゴビー」と伸ばしません。これは普段の会話で、です。

ただ、放送ではともに延ばさないで「ニビー」「ゴビー」です。

小学2年生の娘に聞いたら、

「ニービー」「ゴービー」

両方「伸ばす」とのことでした。

読売テレビのアナウンス部でも、何人か聞いてみました。

20代・大阪出身・女性アナ)放送では 「2B」「5B」は「ニビー」「ゴビー」で読むと思います。もちろん普段の会話では 「ニービー」「ゴービー」です・・・。

30代・大分出身・女性アナ)「ニビー」「ゴビー」です!

40代・神奈川出身・男性アナ)「ニビー」「ゴビー」。

30代・埼玉出身・男性アナ)「ニビー」「ゴビー」です。ちなみに「HB」⇒「エイチビー」です。(「エッチビー」と言っていた同級生がいた気がしますが・・・)

20代・神奈川出身・男性アナ)「ニービー」「ゴービー」 と読みます。

40代・埼玉出身・男性アナ)「ニービー」「ゴビー」です。

という具合でした。

(2013、1、27)

2013年1月28日 23:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4951「情報相」

アルジェリアの人質事件でよく出てくるアルジェリアの

「サイード情報相」

ですが、この肩書の読み方は、

「ジョホーショー」

と読んでいます。日本の「大臣」の場合、表記は「外相」「法相」「財務相」のように、

「相(ショー)

を使っても、読むときは、

「だいじん」

読み替えています。また、ほとんどのテレビ局は

「首相」

と書くのに、

「そうりだいじん」

と読んでいます。(テレビ朝日とテレビ東京は、「総理」と書いてそのまま読む。「首相」という表記を、日本の総理大臣には使わない)

しかし、外国の場合「外相」は「ガイショー」、「法相」は「ホーショー」、「財務相」は「ザイムショー」、「首相」は「シュショー」と、そのまま読んでいます。

そこで、このアルジェリアの「情報相」ですが、これは外国の「○○相」はそのまま、

「『○○ショー』と読む」

という原則に従っているようなのですが、そういうふうに読むと、

「『情報省』との区別がつきにくいのではないか?」

ということで、

「『ジョーホーダイジン』と読み替えないのか?」

という疑問が出ています。そのあたり、どうなんでしょうね?

(2013、1、27)

2013年1月28日 18:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4950「換装」

森本敏・前防衛大臣が「ミヤネ屋」に帰ってきた!

以前「ミヤネ屋」のコメンテーターを務めていて、去年6月に、民間人初の「防衛大臣」になられた森本敏さんが、コメンテーターとして「ミヤネ屋」に帰って来てくれました!おかえりなさい!

その森本さんをお迎えして「日本の国防」に関する特集の中の、防衛大臣時代の森本さんの発言に、

「オスプレイに10月初旬までに"換装"して(米海兵隊の)人道支援、災害救援能力が

 格段に向上するのではないかと」

という言葉がありました。この、

「換装」

という言葉、私は初めて目にしました。

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』には「換装」は載っていませんでした。

ネットの『デジタル大辞泉』には載っていました。(電子辞書には載っていなかったのに)それによると、

「かん‐そう 〔クワンサウ〕 【換装】」

 [名](スル)部品や装備を、性能の異なる他の部品や装備に取り換えること。「パソコンのOSを―する」

とありました。今回使われた「換装」は、老朽化した輸送ヘリ「CH(シーエイチ)46」に換えて「オスプレイ」を配置する、ということです。

新しい言葉なのか?いや、「専門用語」として以前から使われていたようです。

グーグル検索(1月27日)では、

「換装」=465万件

でした。パソコン関係ではよく使われているようですが、「軍」や「自衛隊」の装備も「換装」なんですね。

(2013、1、27)

2013年1月28日 11:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4949「ドレミの起源」

 

2012年3月6日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」で、作家の冲方(うぶかた・とう=1977214日生まれ)さんが、

「『ドレミ』は、なぜ『ドレミ』」なのか」

という興味深いことについて書かれていました。それによると、「ドレミファソラシド」の起源は、聖ヨハネを称える聖歌、

 

『ウト・クエアント・ラクシスUt  queant  laxis)』

 

から来ているのだそうです。その「歌詞の最初の音」が順番に高くなっていくので、音階名として採用したとのこと。そのラテン語の歌詞とその意味は、

(ド)Ut Queant laxis(あなたのしもべたちが)

(レ)resonare fibris(弦をかきなでて)

(ミ)Mira gestorum(あなたの素晴らしいみわざを)

(ファ)famuri turorum(和やかな気持ちで称えられるように)

(ソ)Solve polluti (どうか彼らの汚れた唇の罪を清めて下さい)

(ラ)labii reatum

(シ)Sacte Iohannees (聖ヨハネよ)

 

続けて意味を書くと、

 

「あなたのしもべたちが、弦をかきなでて、あなたの素晴らしいみわざを、和やかな気持ちで称えられるように、どうか彼らの汚れた唇の罪を清めて下さい、聖ヨハネよ」。

 

「ド」と「シ」だけ冒頭の音が違っていますが、「ド」については、諸説があり、

Utが訛ってDoになった」

という説や、

「主()を意味するラテン度『ドミネ』の「ド」からきた」

という説もあり、冲方氏は後者の「主(神)を意味するラテン語『ドミネ』の『ド』からきている」という説に納得しているそうです。

「シ」は、Sacte Iohannees(聖ヨハネよ)」の2語の頭文字「S」と「I」から取ったのでしょうね、おそらく。

この音階を採用したのは、11世紀のイタリアの修道士「グィード・ダレッツィオ」いう人だそうで、そのダレッツィオは、記譜法の発明者でもあったとのこと。

わかってはいましたが、

「ドはドーナツのド」

ではなかったのですね!あれは、「ペギー葉山さん」の作詞ですもんね。

大変、勉強になりました!

 

この「ドレミ」の話、新聞記事を切り抜いておいたのだけど行方不明になっていて、10か月以上たって、ようやく書けました。

(2013、1、27)

2013年1月27日 21:15 | コメント (0)

新・ことば事情

4948「順延」

NHKの原田邦博さんからメールが届きました。

「先日(1月14日)の高校サッカーの決勝戦が、雪のため19日に延期されたニュースで、いくつかの新聞・放送が『順延』を使っていました。『順延』には『次の天気のよい日』のニュアンスがあり、しかも『決勝戦』のみですので、このケースは『順延』ではなく、単なる『延期』でしょうね。」

これに対して私のお返事。

「私もそう思いました。しかし、正しくはそうでも、『延期』には『無期限の延期』のニュアンスがあり、それに対して『順延』だと、『すでに日程が定まった延期』のニュアンスがあるところから、そのような対応になったのではないでしょうかね?」

私と原田さんも所属している日本新聞協会・新聞用語懇談会放送分科会編『放送で気になる言葉・改訂新版』を紐解くと、これに関した項目が、8ページに載っています。

「催し物の中止を知らせるアナウンスだが、順延と延期は違う。『順延』は今日が中止なら明日、明日も中止ならあさってと、1日1日順繰りに日を延ばすことで、『雨天順延』は短い語句の中にこれだけの意味が込められていることになる。1日飛ばしてあさってにする場合を『順延』と呼ぶのは明らかに間違いで、『あさってに延期される』と言うべきだ。『延期』は『順延』を含むから、翌日に延びる時に『延期』を使うのは差し支えない」

とあります。

ま、この通りなのですが。

19日に「延期」された高校サッカー決勝「京都橘(京都)対 鵬翔(宮崎)」の試合は、2対2でPK戦となり、宮崎の鵬翔高校がPK戦を5対3で制して初優勝を飾りました。おめでとう!

「鵬翔高校」は前の校名を「宮崎中央高校」と言います。今から25年ほど前に、その「宮崎中央高校」と埼玉の「武南高校」の試合を実況したことがあります。試合前日の元日の夜、宮崎中央高校の宿舎に取材に行ったのですが、なかなか松崎監督が取材に応じてくれなくて、宿舎の寒い玄関で待たされたことを思い出しました。

あの宮崎中央、鵬翔高校が全国制覇するなんて・・・・感慨深いです。松崎先生、おめでとうございました!

(2013、1、23)

2013年1月26日 19:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4947「旦那」

『仏教漢語50話』(興膳宏、岩波新書:2011、8、20)という本を読んでいたら、「旦那」

という言葉について書かれていました。それによると、

「布施」

という言葉のサンスクリットの「音訳」(サンスクリットの音に、漢字を表音文字として宛てた)が

「旦那・檀那」

だそうです。そうすると、

「檀家」

というのは、もしかして、

「檀那の家」

ということかな?つまり「お布施をする家()『精選版日本国語大辞典』で「檀家」を引くと1番目の意味に、

「だんか(檀家)」=「一定の寺に墓地を持ち、布施などによってその寺を援助する家。檀越(だんおつ)。檀那。だんけ。」

とありました。ピンポンピンポン、当たりでした。

さらに本を読み進めると、「旦那」に当たる「サンスクリット語」は、「フランス語」では、「与える」という意味の「donner」。そもそも「ラテン語」の「donare」から出ていて、「イタリア語」では「donareだとのこと。

ああ、これが「インド・ヨーロッパ語族」か。語源的には同じなのだ。

つまり、「臓器移植」の「ドナー」も、元をたどればサンスクリットの「与える」という意味からきていたのだ!「臓器の檀家」は「ドナー」か!

ちなみに「英語」の「donor」の意味は「寄付・寄贈する人」です。

「旦那」と臓器移植の「ドナー」が、こんなところでつながっていたなんて、ご存じでしたか、旦那?

(2013、1、23)

2013年1月25日 19:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4946「まやかしの語源は?」

 

『仏教漢語50話』(興膳宏、岩波新書:2011、8、20)を読んでいたら、サンスクリット語の、

「マールンクヤブッタ」

を漢字で書いたのが、

「摩羅迦子(まらかし)」

であると書かれていました。あれ?「まらかし」って「マラカス」に似ているし、

「まやかし」

にも似ているな。もしかして「まやかし」の語源は「まらかし」?

「まやかし」を辞書(『精選版異本国語大辞典』)で引いてみると、

*「まやかし」=(動詞「まやかす」の連用形の名詞化)(1)ごまかすこと。また、そのもの。にせもの。(2)手品。奇術。

とあったので、動詞の「まやかす」を引くと、

*「まやかす」=まぎらかし、あざむく。うわべだけを、うまくとりつくろう。ごまかす。だます。べてんにかける。

とありました。なんだか関係なさそう。

そこで、「まらかし」を引きました・・・載っていない・・・。

うーん、謎ですな。

(2013、1、23)

2013年1月23日 13:55 | コメント (0)

新・ことば事情

4945「時間は後戻りできない」

 

このところ、小学2年の娘の言葉が、とても小学2年生とは思えない口調でグサグサと、いや、ズキズキと私の胸に刺さる言葉を吐いた出来事が続きました。

まず、ある日のこと。常日頃、子供たちに、

「お菓子やミカンを食べたら、その包み紙や皮はその手でちゃんとゴミ箱に捨てること!」

と言っていたのですが、つい私も、リビングで横になってミカンを食べた後の「皮」をそのままにしてしまったことがありました。それを見つけた娘が、

「パパ!ミカンの皮が、リビングに置きっぱなしやったで!いつもお兄ちゃんとかに『すぐに捨てなさい』って言ってるやろ!」

「あ、そう。それ、お兄ちゃんと違うか?」

と、とぼけると、キッパリと

「違う!横に本が置いてあったもん」

あちゃー、バレテーラ。さらに、追い打ちをかける一言が。

「人には厳しく言うのに、自分には甘いな。そんなんやったら、ロクな人生、送られへんで!」

・・・あなた、本当に小学2年生?

さらに某日。その日は妻が仕事で遅くなるので、私が娘を迎えに行って、食事をとり、その後、一緒にお風呂に入り、寝かしつける、という日だったのですが、夕食を取ってビールを飲んだら眠くなって、ついゴロリと横になっていたら、もう夜の9時半。娘がさかんに

「パパ、早くお風呂入ろう!もう9時半やで」

と起こしに来ますが、

「うん・・うん・・・」

と曖昧に答えていて、ようやく10分後に起き上がったところで、娘がいわく、

「パパ!早く入らな、10時までに寝られへんやん。時間は後戻りできへんねんで!」

・・・ほんとに小学2年生?ほんとは哲学者?

びっくりして目が覚めて、大笑いでした。

(2013、1、22)

2013年1月23日 10:11 | コメント (0)

新・ことば事情

4944「十二縁起と十二進法」

興膳宏さんの『仏教漢語50話』(岩波新書:2011、8、20)を読んでいたら、

「十二縁起」

という言葉が出てきました。「十二縁起」とは、

「無明(むみょう)、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)

を指すのだそうです。

私たちが普段、計算などに使っているのは、

「十進法」

ですが、中には、

「十二進法」

のものもあります。一番身近なのは、

「時間」

ですね。「12時」、「1年」は「12月」。あと、「干支」も「12」ですね。

「十進法」は「メートル法」ですが、「インチ・ヤード法」では「十二進法」ですね。

そこでハタと気付いたというか、思いついたことは、

「十進法は人間の指の本数から、十二進法は、天体の動きからではないか?」

ということです。暦、時間は、もとは「天体」の動きから出て来たはず。「天体」と言えば、エジプト、メソポタミア、そして中国あたりか。「世界四大文明」の土地ですね。

数の数え方の違いの背景、また時間のある時に探ってみたいと思います。

(2013、1、22)

2013年1月23日 00:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4943「水仙のアクセント」

植物(花)の「水仙」ですが、関西弁では、

「ス\イセン」(頭高アクセント)

でした。私の感覚ではずっと「頭高」でした。

アナウンサーになって初めて、標準語(共通語)アクセントでは、

「ス/イセン」(平板アクセント)

しかないことを知りました。

でも「平板」だと、「水洗トイレ」の「水洗」と同じなので、なんだか汚いイメージがあります。

最近は、「(花の)水仙」について、東京出身者でも「頭高アクセント」の「ス\イセン」と言っているように思います。もしかしたら、「水洗トイレ」の普及に伴い、アクセントで意味の分化が進んでいるのではないか、と思います。

これについて、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに聞いてみたら、こんなお返事が届きました。

『「水仙」のアクセントは、全体としては、急激に『頭高』に移りつつあるように思う。以前、用語班内で尋ねてみたことがあるが、ずっと東京に住んでいる人は伝統的な『平板型』を支持する傾向が見られた。私の個人的アクセントは『頭高型』。

下記のp.51に、「水仙」は挙げていないが、「乾麵」「嗅覚」など、頭高化しつつあるものの例を示してある。

http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2010_05/100504.pdf

「水洗トイレ」との分化に関しては、私もかつて考えたことがあるが、結論は出ていない。アクセント・語形に関しては、同音異義語を避けるために「分化」してゆくものがある一方で、劣勢の型が強勢の型に合一する形で「同音化・同アクセント型化」してゆくものもあり、一概には断言できないからだ。相当、慎重に材料を積み重ねないと、「言い分けるためにアクセントが分化している」という推定は、「あと付け」の説明になってしまうおそれがある。(例:「水仙」と「水洗」とを取り違える場面はまずありえないのに、なぜそのようなことが起こると説明できるのか、より使用頻度の高い「推薦」がなぜ「水洗」と同じアクセントのままなのか、また基本語である「雲」と「蜘蛛」は、東京語ではなぜ同じアクセントのままであり続けるのか、などの課題をひとつひとつクリアにしていかないとならない)』

 

そうか「推薦」は「水洗」と同じアクセントだけど、だからといって、同アクセントを忌避して「頭高」にはなっていないな・・・あ、これは「推薦」が「する」を付けて「動詞」になることができるからではないか?「水仙」「水洗」はともに「名詞」で「する」をつけて「水洗する」「水仙する」とはなりませんが、「推薦」は「推薦する」になりますよね。これは関係ないのかな?

読売テレビのアナウンス部「放送ではどちらで使うか?」と意見を聴いてみたところ、

(50男=静岡)「ス/イセン」(平板アクセント)です。「頭高」でよく聞くので、この時季のニュースでは、いちいちアクセント辞典で確かめることばのひとつです。

(50男=福岡)「ス/イセン」(平板アクセント)

(40男=埼玉出身)「ス/イセン」(平板アクセント)です。

(40女=東京)「平板」の「ス/イセン」です。(関東での)小さい頃から「平板」で、今も「平板」です。逆に、関西で最初に「頭高」で聞いたときは違和感がありました。最近、慣れてきました。

(30男=長崎)「ス/イセン」(平板アクセント)で読んでいました。

 (30男=埼玉) 「平板」の「ス/イセン」だと思いますが、頭の片隅には「推薦」や「水洗」との使い分けがあります。「ス\イセン」という「頭高」だと関西イントネーションっぽいですが・・・。

(30女=大分)「水仙」は、{ス/イセン}の「平板」しか『アクセント辞典』に載っていなかったように思うので「平板」ですが、個人的には「頭高」の「ス\イセン」の方が自然な気がします。

(30男=長野)「ス\イセン」、「頭高」です

(30男=大阪) 僕は、頭高「ス\イセン」です。アクセント辞典のひかなければ、迷いもなく「頭高」で読みます。

(20女=青森)「ス\イセン」(頭高アクセント)です。

ということで、

「ス/イセン(平板)」=7人

「ス\イセン(頭高)」=3人

でした。

 

(2013、1、18)

2013年1月22日 21:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4942「時給自足?」

先日の「ミヤネ屋」の世界電波ジャックのコーナー、今回訪れた国はペルーでした。そのスーパーをチェックしていたら、こんな文字が。

「時給自足」

一瞬、見逃しそうになって、「あ!」。そうです、微妙な誤字が。正しくはもちろん、

 

「自給自足」

 

ですよね。「時給」を「自足」するんなら「ボランティア」ではないですか!

これ、「じきゅうじそく」で一括変換すると、ワープロソフトは賢いですから、

「自給自足」

という文字が間違わずに出てくるのですが、「じきゅう」と「じそく」に分けて変換すると、

「時給」と「自足」

になってしまった、ということのようです。

手書き時代だと、おそらくでなかった誤字。「変換ミス」には、より一層、気を付けなくてはなりませんね。

(2013、1、21)

2013年1月21日 14:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4941「モフタルか?モフタールか?」

 

1月16日、アルジェリアのガス田に、アルカイダ系のイスラム武装勢力が、多数の人質を取って立てこもる事件が起きました。1月18日にアルジェリア群が空爆をしましたが、制圧できたのかどうか、情報が錯綜していて、まだ詳しいことはわかりません。

日本人17人の安否も、3人が無事という情報しか入って来ていません。(18日午後6時現在)

その中で、イスラム武装勢力のAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織)の中心人物の名前の表記が、新聞によって違います。1月18日の朝刊では、

(読売)モフタル・ベルモフタル容疑者

(朝日)モフタル・ベルモフタル司令官

(毎日)モフタール・ベルモフタール幹部

(産経)モフタール・ベルモフタール元幹部

というように、読売と朝日は、「長音符号なし」、毎日と産経が「長音符号あり」と分かれました。日経はこの名前が出てきませんでした。

要は、「伸ばす・伸ばさない」というよりも、「タ」にアクセントが来る発音の仕方だということだと思いますが、文字(カタカナ)で書くと、またイメージが微妙に変わってくるような気がします。

カタカナ表記が定着していない人名や地名の場合(多くはイスラム圏やアフリカ、ロシアなど)は、各社の表記が異なることは、よく見られることです。

この日の読売テレビの「ミヤネ屋」では、「読売新聞」に従って、「長音符号なし」で放送しました。

また、よく見ると肩書と言うか、名前の後についている「呼称」も、微妙に違います。

読売は「容疑者」、朝日は「司令官」、毎日は「幹部」、産経は「元幹部」です。

それと、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」のアルファベット略号が、読売・朝日・毎日は、

AQIM

だったのですが、なぜか、産経は「M」と「I」が入れ替わって、

AQMI

でした。もしかしたら、「AQMI」というのもあるのかもしれません。

 

 

(追記)

1月21日の日本テレビのニュースでは、

「モフタール・ベルモフタール」

と、両方「

伸ばす」形で、毎日新聞と産経新聞と同じ表記でした。

(2013、1、21

(追記2)

1月22日の「ミヤネ屋」のマルチ画面で、

「モフタール・ベルモフタル司令官」

と、前半は「-」で伸ばして、後半は伸ばさないというヘンな形になってしまったので、ディレクターに聞いたところ、

「きのう(21日)の日本テレビ『NEWS ZERO』の原稿では『ベルモフタル司令官』となっていて、ファーストネームは出していなかったので、名字はそれに合わせたのですが」

とのこと。ちなみに翌日22日の『ZERO』のスーパーも、やはり、

「ベルモフタル司令官」

だったようです。日本テレビ系列は、

「アルイカイダ」「ビンラディン」

「-」を入れない表記が多いようなので、この人の場合もそうなのでしょうかね?

(2013、1、23)

(追記3)

NHKでは、

「モフタール・ベルモフタール幹部」

と、伸ばしていて、

TBSは、

「モフタル・ベルモフタル司令官」

と伸ばさないんだそうです。

「ビンラディン」「ビンラーディン」や「アルカイダ」「アルカーイダ」のように、

各社でバラバラのようですね。そのうち出て来なくなるんでしょうけれど・・・。

要は「タ」のところにアクセントがあるのを長音符号を使うか使わないかということだと思いますが、これって統一できないんでしょうかねえ・・・。

                                            (2013、1、25)

 

(2013、1、18)

2013年1月18日 19:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4940「かんど、けいど」

 

小学2年の娘が普段よく使う言葉に、

「かんど」「けいど」

があります。最初聞いた時は、何のことか、わかりませんでした。

「"かんど"って何?」

と聞くと、

「『漢字ドリル』のことやんか!」

という答えが。ということは、「けいど」は、

「計算ドリル」

の略か。さらに、

「こくぷり」「さんぷり」

というのもあります。このかわいらしい感じの言葉、語尾の「ぷり」は、そう、

「プリント」

の略ですから、それぞれ、

「国語プリント」「算数プリント」

のことです。連絡帳には、

「算プリ3」

とか、"宿題"が子供の字で書かれています。

グーグル検索してみたら(1月15日)、

「漢ド」 =3750件

「計ド」 =5150件

「国プリ」=3920件

「算プリ」=5460件

で、どれもそれほど多くはありませんでした。もしかしたら、関西の一部の地域で使われている「方言」のような「子どもたちと教育現場の専門用語」かもしれません。

ネットの「YAHOO知恵袋」では、2006年の6月に、

「小学校のとき、漢字ドリルを『漢ド』、計算ドリルを『計ド』と呼んでいたのはうちだけでしょうか?」

という質問が載っていて、これに対する「ベストアンサー」は、

「関西です。計ド!言いました!何年ぶりだろう。20年以上ぶりに頭の引き出しからその言葉でてきました。なんだか昔の友人に会えたような・・・うれしいのは私だけでしょうか!」

という答えが。中には、

「私は初めて知りました。でも略すと早く言えていいですよね。」

という意見もありました。

私が小学生時代の今から40年ぐらい前には、そんな言葉は大阪でありませんでした。

皆さんの地域では、言いますか?昔から使いましたか?

(2013、1、15)

2013年1月15日 21:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4939「ピタッと」

2008年の1021日にアイデアだけメモして、その後置きっぱなしでした。当時は「平成ことば事情3513でした>

 

アニメ『崖の上のポニョ』に、

「ピトッ」

というのが出てきました。それを見て、

 

「擬態語としての『ピトッ』と『ピタッ』と『ビタッ』『ビトッ』はどう違うのだろうか?」

 

と思いました。それぞれの「私の語感」を書いてみます。

最初の音が「ピ」(P)の方が「表面的な接触」を表していて軽い感じ。これに対して、これが「ビ」(B)になると、もっと「粘着質な接触」「重たい感じ」を表す気がします。

ということで、まず軽い「ピ」(P)から。

「ピトッ」=「ピンポイント」に狭い範囲に、表面的に接触している感じ。

「ピタッ」=ある程度の面積の接触面を持って、表面的についている感じ。

一方の「ビ」(B)は、

「ビトッ」=かなりの強さを持って張り付けられた感じ。ただ接触面積は狭い。

「ビタッ」=ある程度の面積を持って、強く接着している感じ。

 

さらに「ピ」「ビ」が、「ペ」「ベ」になるとどうなるのか?軽い「ペ」(P)から。

「ペトッ」=接触範囲が狭く、軽い接着。

「ペタッ」=接触面積がある程度広く、軽い接着。

その後、「ベ」(B)」です。

「ベトッ」=接触面は狭く、粘着質のある強い接着。

「ベタッ」=接触面は広く、粘着質のある強い接着。

というのが私の語感です。

これからわかることは、半濁音(ピ・ペ)と濁音(ビ・ベ)では、

「濁音の方が、粘着質の強い接着」

に感じられ、また、「ト(TO)」と「タ(TA)」では、

「口を開ける範囲の広い『A』の母音を持つ『タ』の方が、接触面積が広く感じられる」

という感じです。「ピ(PI)」と「ペ」(PE)、「ビ」(BI)と「ベ」(BE)でも、

「口の開きが狭い母音『I』を持つ『ピ』『ビ』よりも、やや広い母音『E』を持つ『ペ』『ベ』の方が、接触面が広く感じられる」

というところでしょうか。

それぞれの母音の口の開きの広さが、語感にも影響を与えているように思えます。

あ、それと最初に出て来た『崖の上のポニョ』に、「ピトッ」は、

(1)半濁音である

(2)口の開きの狭い母音「I」を含む

というところから、

「かわいらしい響きの音」

になっているということもあると思います。

(2013、1、10)

2013年1月13日 10:48 | コメント (0)

新・読書日記 2012_240

『日本語の宿命~なぜ日本人は社会科学を理解てきないのか』(薬師院仁志、光文社新書:2012、12、20)

「日本語の宿命」というより、「社会学用語の基礎知識」みたいな感じ。

全体に大変勉強になったが、一番勉強になったのは、第8章「民主主義と共和制」。一応、大学では政治学科だったので、この手のことは勉強したはずなのだが、もう卒業して30年も経つと、記憶があいまいになっている。それを「ああ、そうだった」と確認しながら読み進めた感じ。最初に「君主制」と「貴族制」と「民主制」の違いについて書かれていた。それは、統治者の「身分」によって異なるのではなく、統治者の「人数」の違いだという。統治者の数は「君主制」は1人、「貴族制」は一部(少数)、そして「民主制」は全員(多数)なのだ。ああ、そうだった、思い出した。そして、日本における民主主義の理解の混乱は、「民主制(デモクラシー)」と「共和制(リパブリック)」が混同されたことが、原因であると。「デモクラシー」の語源が「ギリシャ語」であるのに対し、「リパブリック」の起源は「古代ローマのラテン語」。「リパブリック」は「みんなのもの」という意味である。「みんな」とは「市民」に他ならない。「君主制」か「貴族制」か「民主制」かという区別と、「共和制」は、別次元の問題。その意味で「君主制の共和国」も存在しうる。漢語の「共和」のイメージが「合議」に結びついているが、そうではない。

また、"全員"による統治という定義を顧みない<民主制>は、"普通選挙"や"多数決"と言った「形式手続き」だけに堕してしまう危険性が非常に高く、"普通選挙"で代表者を選び、その代表者による議会において"多数決"を行えば、それで事足りるとなってしまうが、それは「民主主義」ではない。トクヴィルの言う「多数の暴政」である。「民主主義=手続き」ではないのだ。

「多数派であれ少数派であれ、誰もが『全員』の中の一人という点では同じだという大前提を無視してしまえば、民主的な手続きと称されるものは、国内対立と多数派工作しか生まない。その場合、選挙や多数決は、国民を勝者と敗者に分断する手続きでしかないのである。国民投票や住民投票といった直接的な多数決になると、その局面はさらに大きくなる」(159ページ)

そうそう、こういうことを私は言いたかったのです。さすが、すっきりと整理してくれるなあ。わかりやすかったです。


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(2012、12、17読了)

2013年1月12日 10:26 | コメント (0)

新・読書日記 2012_239

『かんさい絵ことば辞典』(ニシワキタダシ、コラム・早川卓馬、ピエ・ブックス:2011、6、20第1刷・2011、6、26第2刷)

2011年の春ごろ(夏前)に買って読みかけたまま「積ん読」になっていたもの。本屋さんで見かけて、「あ、これ、たしか買ったな」と思って家に帰って本棚から取り出してきました。ゆるい(絵)本。絵がかわいい。そこが、震災後というタイミングで受け入れられたのかも。


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(2012、12、29読了)

2013年1月11日 21:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4938「シュッとした」

 

「ミヤネ屋」が終わって、翌日の打ち合わせまでの間の短い時間に、川田アナウンサーの発言を巡って盛り上がりました。彼女は、

「シュッとした」

という言葉を口癖のように使うのですが、それが実は、

「大阪弁」

だというのです。そして、そのことに気付かずにしゃべっていることを、他のスタッフから指摘されていた(からかわれて)のです。それを聞いて初めて私は、

 

「そうか『シュッとした』というのは大阪弁なのか!」

 

と思い至りました。それまでは「大阪弁」という意識はありませんでしたが、言われてみると確かに、標準語(共通語)っぽくはありません。関西以外出身のスタッフも、

 

「大阪に来て初めて耳にした言葉。最初は意味が解らなかった」

 

と口々に言います。

え、そうなの?「擬態語」にも方言があるの!?標準語で同じ意味の言葉は何か?と考えたときに出て来た言葉は、

「きりりとした」

でした。大体「シュッとしている人」とは、

「背は高くて細身で、引き締まっていて、物腰・態度もきびきびしているようなイメージ」

です。Google検索では(1月9日)

「シュッとした」  =642万0000件

「シュッとしている」= 63万2000件

も出てきましたが、そのトップに出て来た「シュッとした」では、

「主に関西方面の女性が男性を形容する場合に用いるといわれている」

「外見的意味合いとして『スタイルが良い、スラッとしている、スッキリしている、姿勢がよい、かっこいい、キマっている』、内面的意味合いとして『粋、クール』、この両方を満たす時に使うのではないか?」

という意見が載っていました。また、これを書いた人によると、「シュッとしている女性」を違う表現で形容をすると、

「小股が切れ上がっている」

に似ているか?と。それに意見を寄せている人によると、「シュッとしている」は、

「よそいき」「垢抜けしている」「洗練されている」

といったイメージ。つまり、いわゆるステレオ・タイプの大阪を形容する、

「コテコテ」

とは"正反対"の表現のようですね。

「もっさりしている」(標準語だと「ダサい」か?)

等も「シュッとしている」とは"正反対"の言葉ですね。

なお、「シュッとした」は、4年ほど前に読売テレビの『秘密のケンミンSHOW』でも取り上げられたそうです。見てなかった・・。

また、『大阪ことば事典』(牧村史陽)には「シュッとした」「シュッとしている」は載っていませんでした。

2013年1月11日 17:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4937「群来」

 

年末に北海道の小樽に行きました。20年振りぐらいでしょうか。

小樽と言えば、寿司屋さん。タクシーに乗って「おすすめのお寿司屋さん」について尋ねたときに、運転手さんが教えてくれたのは、なんと「ミシュラン2つ星」のお寿司屋さん。その名前が、

「群来(くき)」

と言うのだそうです。運転手さんによると、この意味は、

「ニシンが白子を出して、海が白く濁ること」

なんだそうです。そこ後、一旦タクシーを降りて、ブラブラ散策してから、そのお店を捜したんですが、結局見つけられず、近くにあった別のお寿司屋さんに入りました。ここもおいしかった!(ちょっと、注文してから料理が出てくるまでに時間はかかりましたが)あとで「群来」をネットで探してみてみたら・・・私たちが入ったお店の倍ぐらいのお値段のする、相当、上等なお店だったのでした。

家に帰ってから「群来」を『広辞苑』で引くと、

「くき(群来)」=産卵のため沿岸意押し寄せる魚群。特に北海道沿岸へ来遊したニシンの群。」

とちゃんと載っていました。運転手さんに教わったのとは、微妙に意味が違うような気がするけど、大体同じです。

「ニシン来たかと カモメに問えば~♪」

「ソーラン節」を思わず口ずさんでしまうような感じでした。

 

(追記)

その「ソーラン節」ですが、先日2番まで歌う機会がありました。2番の歌詞は、

「群来(くき)が続けば 千両や万両」

というものでした!やっぱりちゃんと「くき」が出て来ていたんだ、ソーラン節!

(2013、10、10)

 

(2013、1、9)

2013年1月11日 12:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4936「奥歯に物が詰まったような」

 

12月25日の「ミヤネ屋」で、ほしのあき&三浦皇成騎手夫婦の「浮気」の噂について報じていた時、スタジオのパネリストは「おっさんばっかり」(宮根氏談)で、なんとなく話しにくいような雰囲気になったのをさして、女性の川田裕美アナウンサーが、

 

「なんですか、奥歯に物が詰まったようなしゃべり方して」

 

と突っ込んだんですが、これは間違い。正しくは、

 

「奥歯に物が挟まったような」

 

ですね。私も実際によく経験があるんですが、奥歯に物が詰まったら(つまり、奥歯の真ん中に、虫歯による大きな穴ボコがある状態)、結構それはそれで安定してしまいます。

一番気持ちが悪くてイライラッとするのは、奥歯とその手前の歯の隙間に、そうですねえ、トリのささみとか、そう、年越しそばの身欠き鰊(ニシン)なんかが挟まった時です。取れそうで取れなくて、ちょっと歯の隙間からその異物が飛び出して引っかかり、舌触りが悪い。舌で、取ろうとしても、取れない。こんな状態が、とっても居心地が悪いのです。似ているようで全然違います。

川田アナウンサーも、ぜひ、いっぺん、「奥歯に物が挟まった状態」を味わってほしいと思いました。百聞は一見にしかず、です。

(2013、1、7)

2013年1月10日 21:07 | コメント (0)

新・読書日記 2012_238

『孤独か、それに等しいもの~solitude, or something like that』(大崎善生、角川書店:2004、5、1初版・2004、7、25第4版)

もうずいぶん前に買っていて、そのうち読もうと思っているうちに8年も経っていたか・・・2004年はアテネ五輪の年でした。つい、この間の様に思いますが。

「八月の傾斜」「だらだらとこの坂道を下っていこう」「孤独か、それに等しいもの」「シンパシー」「ソウルケージ」という短編を5編集めた作品集。

著者はもともと将棋雑誌の編集者で、デビュー作も「聖の青春」という、若くして亡くなった棋士を描いたものだった(漫画で読みました)だけに、どうしても「将棋」のイメージがあったが、この作品集には「将棋の"シ"の字」も出て来ない。

「『純文学』ってこんなものだったかなあ」

と感じさせられた。中では「八月の傾斜」が好きかな。「孤独か、~」以外の4編は、いずれも「死」と向き合う物語。「孤独か、~」は「生」と向き合う物語。

この本、表紙がきれいです。水色と緑の優しいトーン。そして「帯」には、こう記されている。

「今日一日かけて、私は何を失ってゆくのだろう――。傷ついた、心優しき人々に捧げる、再生と回復への祈りにあふれた奇跡の物語、全五編」

なんだ、私が感想を記さなくても、「帯」に書いてあったよ。そういう物語です。

あ、いま調べて分かったが、この人の奥さんは女流棋士だった高橋和さんか!へえー。ずいぶん若い奥さんを・・・。(大崎さん1957年生まれ、高橋さん1976年生まれ)びっくりしました。みんな知ってた?

 


star3

(2012、12、27読了)

2013年1月10日 17:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4935「1、2、3、4の4の読み方」

 

「ミヤネ屋」のナレーターさんから質問です。

「1、2、3、4・・と言うときの『4』ですが、『シ』でしょうか?それとも『ヨン』でしょうか?」

はいはい、答えますよ。「1」から順番に数字を言うときには、それは、

「シ」

です。逆に「10」から「1」までカウントダウンするときは、

「ヨン」

です。

理由は、「1」から順番に数える場合、特に「1から10」は「それ自体がひとつながり」として、既に読み方が定まっていると考えられ、その場合の読み方は『シ』と決まっているからです。同じように「7」も「シチ」、「9」も「ク(-)」です。つまり、

 

「イチ、ニー、サン、シー、ゴー、ロク、シチ、ハチ、クー、ジュー」

 

となります。関西の子供はこれに節をつけて、歌の様に唱えると思います。

逆に「10」からのカウントダウンは、「ひとつながり」とは考えられずに、一つ一つの数を区切って読むと考えられ、その場合は、より認識されやすい(聞き取りやすい)読み方が優先されるため、「9」は「キュー」、「7」は「ナナ」、「4」は「ヨン」で、

 

「ジュー・キュー・ハチ・ナナ・ロク・ゴー・ヨン・サン・ニー・イチ・ゼロ!発射!」

 

となるんですね。いかがでしょうか?

 

                                             (2013、1、7)

 

 

(追記)

さっそく、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんからメールを頂きました。それによると、このテーマについては、既に2010年2月から4月の光村図書のメールマガジンで書かれたとのこと。3月12日号の記述によると、NHK放送文化研究所は2005年にインターネットを使ってアンケートをしてみたそうです。それによると

 

Q 1から8までを順に数えるときに、あなたがふだんもっともよく使うと思

 う数え方は、下に掲げるもののうちどれでしょうか。

 

  イチ、ニ、サン、【シ】、ゴ、ロク、【シチ(ヒチ)】、ハチ   84

  イチ、ニ、サン、【シ】、ゴ、ロク、【ナナ】、ハチ        13

  イチ、ニ、サン、【ヨン】、ゴ、ロク、【シチ(ヒチ)】、ハチ  1%

  イチ、ニ、サン、【ヨン】、ゴ、ロク、【ナナ】、ハチ       2%

  [NHK放送文化研究所ウェブ調査、20051112月実施、1789人回答]

(「シチ」は「ヒチ」と発音される地域も多いので選択肢の中に示しておきました)。

 

ということで、1から順番に「1~8」を数えるときには、「4」「7」を、

「シ」「シチ」

と言う人が84%と大多数であることが分かったとのことです。ただ「シチ(ヒチ)」は、やはり言いにくいので「ナナ」と言う人の割合が13%いることも見逃せませんね。

(2013、1、11)

 

 

 

(2013、1、7)

2013年1月10日 10:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4934「ブラウン管」

 

2012年に、東日本大震災の復興支援のために「1年限定」で16年ぶりに再結成された女性のみのバンド「プリンセス・プリンセス」。懐かしい思いで見た方も多かったと思います。その姿を、そして曲を聴いて、

「ああ、たしかに16年という時間が流れたんだな」

と感じた方も多かったのでは?もちろん、時間は平等に流れているのですが。

特に曲の歌詞の中で、「時間の経過」を感じたのは、「ダイアモンド」という曲の中の、

「ブラウン管ではわからない」

という部分。そうですね、もうみんな、

「チャンネルは回さない」

ですし、

「ブラウン管のテレビを見ている人は、ごく少ない」

ことでしょう。「テレビ」の代名詞として「ブラウン管」が使われた時代は、20世紀から21世紀になる間に徐々に変わり、「地デジ」になった2011年には、ほぼ終息したと見ていいのではないでしょうか?

同じような「ハード面の変化」で言うと、まさに「プリプリ」が解散した年。1996年にフジテレビで放送された『ロングバケーション』の話の中には、

「留守電に録音したけど、行き違い」

というシーンがよくありました。そうです、当時はまだ、

「『携帯電話』が一般化していなかった(その過程だった)」

のです。今では考えられないですよねえ。と言っても「たった16年前」(年が変わったから17年前か)の話なんですが。

香山リカさんの新刊『若者のホンネ~平成生まれは何を考えているのか』(朝日新書:2012、12、30)という本を読み始めたら、冒頭部分にこんなことが書かれていました。今から5年ほど前に大学1年生のレポートを採点していたら、

「その昔、携帯電話がなかった時代があったという。その頃の人は、いったいどのように待ち合わせをしたのだろうか」

と書かれていたとのこと。香山さんの目はその文章に釘付けになったそうです。そのぐらい、ハードの変化とヒトの生き方の変化は、同じ時代に生きている違う世代の中の感覚の違いを生じさせるということですよね。

私もそれと同じようなことを、「プリプリ」の曲を聴きながら感じたのでした。

(2013、1、7)

2013年1月 9日 20:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4933「民意」

 

最近よく耳にする言葉(橋下徹・大阪市長がよく使う言葉)に、

「民意」

があります。しかし、それを聞くたびに、

「言葉というものは定義が一定ではなく、恣意的に使われることがあるのだな」

と感じます。

『聞き書 野中広務 回顧録』(御厨貴・牧原出編、岩波書店)を読んでいて、橋下市長が言う「民意」と、野中広務氏が言う「民意」は、明らかに意味が違います。そういう「言葉の特性」というか「言葉のマジック」があります。

橋下市長の言う「民意」は、あきらかに「多数派のみ」を指しています。しかも、自分に投票してくれる人のみ。つまり、

「自分自身が民意(の代表)である」

という、実に自信に満ち満ちた(客観的に言えば「驕った」)考えなのではないでしょうか。本当の「民意」の中の「一部分」を「全体」と思わせる詭弁でしょう。それに乗せられた人が、後で気付いて文句を言っても、

「あの時、あなたは賛成したでしょう。自己責任(騙されるほうが悪い)です」

と言われる恐れは十分あります。

「大阪府知事」になった際の「大阪府職員」への第一声が、

「最後は僕と一緒に死んでください」

言った人が、もし「国のトップ」になったら、「国民」に対して同じことを決して言わないと、2万パーセント保証できると断言できる人がいたら、根拠を説明してほしいです。

ところで、『聞き書 野中広務 回顧録』を読んでいたら、「小選挙区制度」が、そもそも日本の民主主義を衰退させたのではないか?と感じました。だからと言って「中選挙区制」には戻せない。それでは、やっていけないから「小選挙区制」にしたのだから。しかし・・・。

現在の選挙によって選ばれる人たちがやる政治が、本当の民主主義を代表しているように思えないから、フェイスブックなどで集まった人たちがデモを起こしたり、直接行動に出ているような気もします。

(2012、10、22)

2013年1月 9日 18:40 | コメント (0)

新・ことば事情

4932「『極悪人』はあっても、なぜ『極善人』はないのか?」

 

唐突に、

「『極悪人』という言葉はあっても、なぜ『極善人』という言葉はないのか?」

という疑問が浮かびました。

もしかして、「悪」は極められても、「善」は極められないということからなのでしょうか?「極」は「マイナスイメージを強調するもの」なのか?いやいや、

「極上」

という言葉がありますから「マイナスイメージ」ばかりではありません。でも「道」を「極める」と、

「極道」

で、「マイナスイメージ」ですよね・・・。

Google検索では(1月7日)

「極悪人」=1280000

「極善人」=    1150

やはり、「極悪人」に比べると「極善人」なんて言葉は1000分の1以下しか使われていません。国語辞典でも「極悪人」は「日葡辞書」(160304年)の時代から載っているのに、「極善人」という言葉は辞書にはありません。

もしかしたら、そもそも「善人」という言葉が「悪人」ほど歴史のある言葉ではないのかもしれません。あ、でも、

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」

で、「善人」も「悪人」も出てきますねえ・・・親鸞でしたっけ。「悪人正機説」か。

そうすると、やはり「極」という強調語の特性の様にも思えます。

「極」の付く言葉を辞書から拾ってみましょう。

『精選版日本国語大辞典』だと、まず「極悪」はもちろん載っていますが、その後に出てくるのが、

「極熱(ごくあつ)」

で、意味は、

「この上なく熱いこと」

だって。そのままやんけ。こんな言葉、あるんだ!そのあとは、

「極印」「極位」「極意」「極一」「極月」「極極」「極古渡」「極罪人」「極重」「極暑」「極小」「極聖」「極上」「極成」「極心」「極信」「極真」「極睡」「極髄」「極摺」「極製」「極説」

「極善」

 

あ、あった!「極善」!でも「極善人」はありません。

辞書、続けます。

「極足」「極揃(ごくそそり)」「極揃(ごくそろい)」「極大」「極超短波」「極詰(ごくづめ)」「極伝」「極道」「極内」「極熱(ごくねち・ごくねつ)」「極秘」「極微(ごくび・ごくみ)」「極品」「極貧」「極太」「極細」「極密」「極妙」「極安」「極楽」(以下、「極楽○○」という熟語は省略)「極理」「極老(ごくろう)」

 

「極老」なんて言葉があるんだ。

「この上なく年をとっていること。また、そのさまやその人。極老人」

ということです。そうか「ごく自然に」というときの「ごく」も「極」なのね。今、わかった。続けます。もう少し。

「極臈(ごくろう→ぎょくろう)」「極老人」

ご苦労さん。以上です!

ピックアップした「極○○」は、読み方の違うものも含めて「51個」。この中で「プラスイメージ」のものは、

「極印」「極位」「極意」「極一」「極小」「極聖」「極上」「極成」「極心」「極信」「極真」「極髄」「極摺」「極製」「極説」「極善」「極足」「極揃(ごくそそり)」「極揃(ごくそろい)」「極詰(ごくづめ)」「極伝」「極品」「極妙」「極楽」「極理」

と「25語」ぐらい、つまり「プラスイメージ」と「マイナスイメージ」(あるいは、いずれでもない)の割合は「半々」でした。

ということは、最初、私がイメージした、

「プラスイメージの"極"は少ない」「非対称、アンビバレンツ」

というのは、「国語辞典の上では」成り立ちませんね。

でもここに出て来た言葉で「私が知っていた言葉だけ」をピックアップすると、

「極悪」「極印」「極意」「極月」「極極」「極小」「極上」「極大」「極超短波」「極道」「極秘」「極貧」「極太」「極細」「極安」「極楽」

「16語」に過ぎず、その中の「プラスイメージ」の言葉は、

「極印」「極意」「極小」「極上」「極大」「極太」「極安」「極楽」

「8語」。あれ?やっぱり「半々」か。(「極小」や「極太」が「プラスイメージ」かどうかはわかりませんが、一応。)

「極」は「プラスイメージ」にも付くけれども、なぜか「極善人」という言葉は使われない、と。謎は謎のまま残ってしまいました・・・。

(2013、1、7)

2013年1月 9日 16:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4931「道路上」

 

12月12日、朝のワイドショー(どこの局かは言いません)を見ていたら、福井県の敦賀原発の下に走っているのが、

「活断層である」

と断定されたことを受けて現地でのVTR取材リポートが流れていました。

その中でリポーターが、

 

「道路に活断層があると言われています」

 

とコメント。え?道路"上"と思って、それをフォローした字幕スーパーを見ると

 

「道路の下に活断層があると言われています」

 

と、道路の"下"になっていました。

"単なる言い間違い"と言えばそれまでなんですが、「道路上」に活断層はないわなあと、苦笑。活断層が道路上にあったら取り除けるからまあ、助かると言えば助かるんですが。もし、路上に活断層があれば、世界的な大発見だと思います。ずいぶん地下深く掘った道路なら、ありうるか。

 

で・・・やっぱり言葉は調子でしゃべるんじゃなくて、ちゃんと頭で意味を考えてしゃべらないといけないなと、改めて自戒の念を深くしたのでした。

(2013、1、7)

2013年1月 9日 11:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4930「与太郎のアナウンス研修」

 

アナウンス部の後輩たちの失敗、放送に出なければ「笑い奈話」で済みますが、出てしまうと大変です。でも、時々出てしまうことがあります。いろいろと教育をしているつもりですが、100%防ぐことはとても難しい。だからと言って、注意してばかり、叱ってばかりでは萎縮してしまう・・・そこで、笑いながら「ああ、あれは間違いなんだ!」と気付いてもらい、印象付けるにはどうすればいいかと考えて、失敗談を「落語風」にしてみました。落語で、失敗をする人と言えばやはり「与太郎」。そこで、与太郎がアナウンサーを目指したら・・・というお話を作ってみました。

 

 

与太郎(与太)「こんちはー」

ご隠居「おや、与太郎か。まあこっちにお上がり」

与太「言われなくても、もう上がってらい」

隠居「なんだね早いね、どうも」

与太「ご隠居さん、おいら仕事に就こうと思うんだ」

隠居「それは、お前さんにしては、なかなか見上げたもんだね。で、どんな仕事に?」

与太「『ア』が付く仕事だよ」

隠居「『ア』が付く・・・それは夜働く仕事かい?」

与太「早朝も働くけど、夜も働くね」

隠居「・・・泥棒だな?」

与太「なんで泥棒なんだよ!『ア』が付いてないじゃないか」

隠居「じゃあ、『朝泥棒』」

与太「そんな仕事、無いよ!大体、立場が逆じゃないか、古典落語と!」

隠居「おやおや、少し見ない間に、お前さん勉強したね。で、その『ア』の付く仕事ってえのは、なんだい?」

与太「アナウンサーだよ!」

隠居「アナウンサー!?あのアナウンサーかい?ニュースを読んだり司会をしたりする。『穴があったら入りたいさー』の間違いじゃないのかい?」

与太「ニュースを読んだり司会をしたりする、そのアナウンサーだよ!」

隠居「でもアナウンサーの試験は難しいんだろ。勉強はしたのかい?」

与太「エッヘン!・・・全然してない。」

隠居「それじゃあ、受からないじゃないか」

与太「だからここに勉強しに来たんだい。ご隠居さん、おいらをアナウンサー試験に受かるように訓練しとくれよ!」

隠居「おやおや、たまに顔を見せたと思ったら、そういうことかい。しょうがねえなあ、こいつは」

与太「"しょうが"なくても、"福神漬け"があらい!」

隠居「だれが漬物の話をしたよ。口だけは達者だな」

与太「口が達者だから、アナウンサーになるんだい!」

隠居「わかった、わかったよ。アナウンサーの訓練ってやつをやってやるよ。これでも昔はアナウンサーで鳴らしたんだ」

与太「え!ご隠居さん、アナウンサーやってたのかい?」

隠居「ああ、小学校の放送部でな」

与太「なぁんだ、小学校か」

隠居「なぁんだってヤツがあるか。お前さんよりはずっと上だ。それじゃあ、私について

同じように言ってみろ。『アメンボ赤いな、アイウエオ』、ハイ!」

与太「・・・」

隠居「どした?続けて同じように言ってみろ。『アメンボ赤いな、アイウエオ』だ」

与太「ご隠居さん」

隠居「なんだ?」

与太「ウソを言ちゃあいけない」

隠居「何がウソだ、人聞きの悪い!」

与太「だって・・・アメンボって・・・赤いかい?」

隠居「なんだ、そんなところで悩んでやがる。いいんだよ、そんなこたあ、口と舌が回る練習の文章なんだから」

与太「でもさあ・・・アメンボは・・黒いよ」

隠居「だーかーらー。滑舌練習なんだよ」

与太「ウソは良くないな。真実を報道するアナウンサーがウソのことは言えない!」

隠居「あーうるさい、わかったわかった。じゃあこうしよう、

『アメンボ黒いな、アイウエオ』」

与太「それならいいや。『アメンボ黒いまアイウエニョ...』あたッ。舌かんじゃった!」

隠居「どうしようもねえなぁ、ほんとに」

与太「ご隠居さん」

隠居「なんだよ、今度は」

与太「こんなアメンボの話じゃあなくて、ニュース原稿の練習をさしておくれよ」

隠居「なんだか生意気だね。じゃあ、これだ、読めるものなら読んでもらおうか。ホラッ!」

与太「パナソニックは、カミ半期の業績を『カミガタ』修正しました」

隠居「『カミガタ』修正じゃないよ、床屋じゃあるまいし」

与太「でも『上』に『方』と書いたら『カミガタ』だろ。『カミガタ落語』に『カミガタ漫才』、『カミガタお笑い大賞』は読売テレビだ」

隠居「ヘンなところに妙にくわしいね。でも『カミガタ』じゃあない」

与太「え?じゃあ『ウエガタ』?」

隠居「そうじゃあーねえよ。『ジョーホー』って読むんだよ」

与太「ああ、ジョーホー化社会」

隠居「シャレてんじゃないよ、そんな漢字も読めないくせに。じゃあこれはどうだ?スポーツニュースの原稿だ」

与太「ドラフトの目玉は、甲子園を沸かせた『ミギウデ』です」

隠居「それは『ミギウデ』じゃないよ」

与太「え?『ヒダリウデ』」

隠居「バカッ!『左』のわけねえじゃねえか」

与太「この漢字は『ミギ』だろ?」

隠居「『ミギ』だね」

与太「で、こっちは『ウデ』でしょ」

隠居「『ウデ』だね」

与太「じゃあ、『ミギウデ』で合ってるじゃねーか。ほんとにいじめやがって。教育委員会に言いつけてやる」

隠居「そういうことは知ってやがるんだ。あのなあ、漢字には『音読み』ってえのと『訓読み』ってえのがあって、この場合は野球のピッチャーのことだから『音読み』で『ウワン』って読むんだよ」

与太「(怒って)そんなの『ミギウデ』でも『ウワン』でもわかりゃあ、いいじゃないか!」

隠居「何、怒ってやがるッ。お前さんが教えてくれと言ったから、教えてやってるのに、なんだ、その態度は!(ポカッ)」

与太「ウワーン、ご隠居さんが殴ったあー、ウワーン、ウワーン(右腕)!」

隠居「そうそう、最初から、そう言えばいいんだよ」

(了)

 

(2013、1、7)

2013年1月 8日 23:02 | コメント (0)

新・ことば事情

4929「路線バスの"ロ"」

 

昨年末、北海道のキロロ・リゾートにスキーをしに行った時のこと。

スキー場では、若い外国人のスタッフが結構たくさんいました。「スキー」が好きということで、国を超えてやってきたのでしょう。

そのうちの一人の若い外国人男性スタッフが、"日本語で"場内アナウンスをしていました。その中で、

「路線バス」

という言葉の「ロ」が、明らかに日本人の「ロ」とは違う、「巻き舌での"ロ"」で、私たちが聞いていると、

「ゥロセンバス」

と聞こえて、なんとなくおかしかったです。

日本語だと「ロ」と「ゥロ」の違いがハッキリとわかるのに、これが英語やほかの外国語になるとわからないというのは、(また、その若い外国人スタッフにとっては、「ロ」が言えずに「ゥロ」と巻き舌になってしまうということは)やはり、その国に生まれて以来身に沁みついている「母語」というのは強いものだなあと改めて感じたのでした。

あ、余談ですが、巻き舌で「ゥロセン」というと、いわゆる一つの、男性の"なに"を指す"落語での隠語"の「ロセン」に聞こえるような気がしたのは、私だけでしょうか?

 

(おまけ)

Yahoo知恵袋でのベストアンサーによると、

「ロセンとは、船の櫓についている突起物を櫓栓(ロセン)といったことが起源とする説や、幇間(ほうかん)が使っていた陰語『戸栓』が起源だとする説もある。また(『女性』を意味する)『タレ』とは、櫓栓がひっかかる部分を櫓臍といい、船頭さんたちがこの部分を『タレ』と呼んでいたことが起源だとする説や、ロセンと同様に幇間の隠語が起源だとする説などもある。(中田昌秀著『笑解・現代楽屋ことば』湯川書房刊)」

のだそうです。勉強になりました。

なお、米川明彦先生編『日本俗語大辞典』(東京堂出版)には「ろせん」は載っていませんでした。「俗語」ではなく「(落語)業界語」ということでしょうかね。

 

 

(2013、1、7)

2013年1月 8日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4928「耶蘇」

 

呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』という本を読んでいたら、吉本隆明は、「イエス」をなぜかフランス語読み

「ジェジュ」

と、また「マタイ伝」を、

「マチウ書」

としている。その理由は、

「フランス語の聖書を読んだから」

と書いてありました。なんじゃ、そりゃ・・・。それを読んでハッ!と思い浮かんだのが、

「耶蘇」

という漢字で書かれている、いかめしい言葉。

「ヤソ」

と読むのですが、これって「耳から入った外国語」もしくは、それが「中国語化」されたものではないか?と思いつきました。つまり、「イエス」と「ヤソ」は同じ音の聞こえ方の違い!「ヘボン」と「ヘップバーン」みたいなものなんですね!漢字で書かれているから全然イメージが湧かなかったけど、「耶蘇=イエス」ならわかりやすい。

『精選版日本国語大辞典』で「耶蘇」を引くと、やはり想像通り、

(一)(ラテン・ポルトガルJesusの近代中国音訳語『耶蘇』を音読みしたもの)イエス・キリストの通称。日本では昭和初期の頃まで用いられた。

(二)(一)から転じて、キリスト教。また、キリスト教の信者。

とありました。イエース!という気持ちになりました。アーメン。

(2013、1、7)

2013年1月 8日 10:57 | コメント (0)

新・ことば事情

4927「X'masか?Xmasか?」

 

ちょっとタイミングがずれてしまいましたが・・・「クリスマス」の話題。

「クリスマス」の横文字表記ですが、よく質問を受けるのが、

 

「X'masか?Xmasか?」

 

という問題です。つまり「 ' 」が付くのか、付かないのか?ということです。

正解から言うと、

「付かない」

のが正しいのです。

「日本クリスマス協会」というところのサイトによると、

Xmas X はアルファベットの X でもあるのですが、歴史的にはチェックマークの様な基本的なしるしです。キリスト教文化圏の基本的な記号クロス、つまり十字架であって、これ自体が『キリスト』を表わす記号です。ですから、ここにアポストロフィを使うのは誤りです。ちなみに mas はミサです。ギリシャ語でキリストはクリストス Χριστοσ で、Χではじまります。 (日本語フォントにはない字形なので代用しましたが実際のスペルではοオミクロンにアクセント記号'が付き、ギリシャ語では語尾のσはSのような形の文字に字形が変化します。) 

とありました。

最近は、以前に比べるとずいぶん'mas」という表記が減って、正しく「Xmas」と記していることが増えたように思うのですが、それでも、まだまだ'mas」も目にしますよね。『週刊文春』の2012年12月6日号のカラー写真の特集ページの表記も、

'masケーキ2012最前線」

「X'mas」の表記でした。

 

 

(追記)

用語懇談会でお世話になった金武伸弥さんの著書『新聞と現代日本語 (文春新書)を久々にひっぱり出して来たら、このことについてしっかり書かれていました。213~215ページ。

「XmasのXはギリシャ語でキリストを意味する<***(略)***>の最初の文字『キー(カイ)』です。後にこの文字だけでもキリストを意味するようになりました。X=Christですが、英語のChristの略ではなく、発音も省略しませんから、『'』をつけないのです。」(***のところはギリシャ文字)

とのことです。詳しくは本書をお読みください。

(2013、2、18)

 

 

(2013、1、7)

2013年1月 7日 22:55 | コメント (0)

新・読書日記 2012_237

『神去なあなあ夜話』(三浦しをん、徳間書店:2012、11、30)

「神去」と書いて「かむさり」と読む、三重県の村が舞台の「林業」に携わる若者のお話の続編。「読書日記214」で書いた(読んだ)『神去なあなあ日常』の「夜話」ということで、「恋愛編」といった感じ。「なあなあ」というのは三重県のこの辺りの方言で「なんとなく」「まあまあ」というようなニュアンスか。村の人たちはなんでも「なあなあ」で済まそうとする。

今回、一番印象に残ったのは、林業の先輩で70代半ばの三郎じいさんが言った言葉、

「やる気のある若いもんのおかげで林業は変わった。(中略)林業は時代に応じて生き延びていけるかもしれんと、希望を持っとる」

というセリフ。また、三重弁で印象に残ったのは、

「ざあらし」(「座荒らし」か?)=いたずら(p143&165)

「なんやしらん」=なんとなく(p177)

「つくばりもん」=ケチ(p246)

「すいたらもん」=スケベ野郎、エッチ(p246)

で、「なんやしらん」以外は知らない言葉でした。


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(2012、12、30読了)

2013年1月 7日 20:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4926「人間」

 

iPS細胞でノーベル賞を受賞した、京都大学の山中教授の言葉を「ミヤネ屋」で紹介した時に、

「人間万事塞翁が馬」

という言葉の「人間」を、

「じんかん」

とナレーターが読んだ(原稿にルビが振ってあった)ところ、

「『にんげん』ではないのか!?」

というお問い合わせを、多数受けました。

たしかに、青島幸男さんの直木賞受賞作、

『人間万事塞翁が丙午』

では、読み方は

「にんげん」

でしたし、一般的には「にんげん」の方が通りが良いですね。

しかし、もともとはこれは、

「じんかん」

と読んだそうです。意味は「ヒューマン」の意味の「にんげん」ではなく、

「世間、世の中」

という意味です。その意味で使うときは「じんかん」。たとえば、

「人間 到る所に青山在り」

という成句の「人間」も「じんかん」と読み「世間、世の中」の意味。

ちなみに「青山」は、「あおやま」ではなく、

「せいざん」

と読み、

「墓所、墓地」

の意味。「青山墓地」は「ボチボチ」になるのかどうかは知りませんが・・・。それと、「紳士服」は関係ありません。いや、ちょっと関係あるかな。というのは、私が読売テレビに入社したころの

「青山」

という名字の社長の名字が、入社試験で受験性(大学生)にこの「人間到る所に青山在り」という文字を見せて、「これを何と読む?」と質問し、受験生が、

「にんげん・・・」

と答えると、

「ブアッカモーン、そんなことも知らんのか!」

と叱っていたのは有名な話です。その青山社長の弟さんが、紳士服の社長さんだったそうですから、まあ、関係なくはないと・・・。あ、関係ないですね。

なんだか懐かしい思い出です。

(2012、12、27)

2013年1月 7日 17:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4925「今か今かと」

 

2012年1216、衆議院選挙の関西地区の中継を見ていたら、うち[読売テレビ]の若手アナウンサーが、

「○○候補の事務所です。こちら会場のほうでは、支援者のみなさんが、○○候補が来るのを今か今かと待っているところです」

とコメントしたのですが、まず「会場」が引っかかりました。「宴会場」ではないんだから、やはりこれは、

「(選挙)事務所」

と言うべきでしょう。

それよりも気になったのは、「今か今かと」とアクセント。これがなんと、

「イ/マカイ\マカト」

コンパウンドしていたのです!まるで、小学生漫才コンビの、

「ま/えだま\えだ」

のようでした。これはやはり、きっちりと、

「イ\マカ・イ\マカト」

と、2語に区切って読まないと、「待ちわびる気持ち」が伝わりません。

たぶん、こんな言葉を使ったことがないんだろうなあと思いながたら、ボキャブラリーを増やすことと、言葉のアクセントにもっと敏感にならないといけないなあ・・・「教育」というのは難しいものだなあと思ったのでした。

(2012、12、27)

2013年1月 7日 11:35 | コメント (0)

新・読書日記 2012_236

『ことばの知恵・知識事典~現代言葉調(ことのはしらべ)・追録第17号』(ぎょうせい:2012、12、25)

毎年2回、「追補版」が出ている「ルーズリーフ式」の言葉に関するエッセイ集。もう、最初に出てから10年ぐらいたって、そろそろ専用のバインダーに収まり切らなくなってきたのではないかと思います。不肖、私も最初からずっと書かせてもらっています。今回は「予洗い」という言葉と「情報」の語源について書きました。よろしければ、お読みください。一般の書店では販売していないので、なかなか手に入れにくいかもしれませんが、くわしくは「ぎょうせい」のHPで!


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(2012、12、25読了)

2013年1月 6日 18:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_235

『その未来はどうなの?』(橋本治、集英社新書:2012、8、22)

橋本治さん、病気されてたんだ。2010年秋に4か月ほど「めんどうくさい病気」「免疫系の病気」「完治のない病気」で入院されていたとか。詳しい病名は書かれていないですが。そんな中で綴られたもの。執筆の動機は、「今の世の中というか社会というか世界というか、そういうもののあり方がよくわからなくなったから」だそうです。それは確かに、みんなそうだとおもう、ごく一部の人を除いて。

ここに挙げられたのは「テレビの未来」「ドラマの未来」「出版の未来」「シャッター商店街と結婚の未来」「男の未来と女の未来」「歴史の未来」「TPP後の未来」「経済の未来」「民主主義の未来」と、どれも興味深いものばかり。特に著者の身近なテーマが取り上げられているんだと思う。これらを総合すると、「自分の未来」「家族の未来」ということになるのではないか?この中で、私が特に興味を持っているのは(どれも持っているけど)「民主主義の未来」。どうも、従来の「民主主義」というものの「賞味期限」が切れて来たのではないか?もしくは「理想の民主主義」とは"違う方向"にぶれて来ているのではないか?という気が、ここ数年しているので、興味がありました。そういった"疑問の提示"という意味では興味深いのですが、"処方箋"をきっちりと示すところまでは行っていない気がして、残念でした。(方向性だけか。)「それを自分たちで考えるのが"民主主義"だよ」ということなのかもしれませんが・・・。


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(2012、12、24読了)

2013年1月 6日 11:24 | コメント (0)

新・読書日記 2012_234

『ほんわか介護』(城戸真亜子、集英社文庫:2012、10、25)

「ミヤネ屋」にもご出演頂いている城戸真亜子さんの著書の文庫化。ご本人からいただいた。ありがとうございます。イラストもご本人お手によるもの。画家だから当然上手・・・でも、愛情あふれるかわいらしい絵柄です。

旦那さんのご両親、お義父がガンにかかられて先に逝かれたあとに、認知症のお義母さんと同居しながらの介護。仕事もしながらでの介護の大変さを、苦労を苦労とも思わないタッチで書かれている。そこは著者の人柄か。たぶん、普通はこんなにおだやかな感情ばかりで接することはできないのではないか?城戸さんも本当は、書かれているように「綺麗」な面ばかりではない所がたくさんあったと思う。でも、それを俯瞰して見守る、広く温かい視野をお持ちなのだろうなあと感じた。

 


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(2012、12、23読了)

2013年1月 5日 19:17 | コメント (0)

新・読書日記 2012_233

『横道世之介』(吉田修一、文春文庫:2012、11、10)

帯に「青春小説の金字塔」と。2013年2月には映画化もされるらしい。でも「50のおっさんが読んで面白いのかな?」という疑問と、以前、読んだ吉田修一の本があまり面白く感じられなかった気がして、二の足を踏んでいたのだが、「えいっ!」と購入して読んでみたら・・・これがおもしろい!もう、ほんとに青春小説、だよね!いいです。主人公の「横道世之助(よこみち・よのすけ)」という名前は、井原西鶴の『好色一代男』の主人公の名前と同じらしい。あ、西鶴を読んでいないのがバレた・・・。

で、舞台は1980年代半ば。それと現在(20年後)がオーバーラップしながら、お話は進んでいく・・・あとは、本を読んでください。面白いから。

そうだ、吉田修一と言えば、名作『悪人』があったな。あれは「本当の正義とは何か、悪とは何か」そして「愛とは何か、生とは?死とは?」ということを「マイナス」の面から突き詰めようと描いたものだった(と思う)が、この『横道世之助』も、結局、突き詰めようとするテーマは同じで、明るい方から正統的に「プラスの面から」迫っていったのではないかなと感じた。


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(2012、12、26読了)

2013年1月 5日 16:53 | コメント (0)

新・読書日記 2012_232

『言わぬが花~小沢昭一的世界』(小沢昭一、文春文庫:1986、7、25)

亡くなったなあ、小沢昭一さん。学生時代に一度だけ、「生・小沢昭一」さんに会ったことがある。もう30年以上前になるけど。当時所属していたグリークラブの一員として、ラジオだか舞台だかのコーラス隊として呼ばれたときに共演した、のだと思う。私はあまり小沢さんのことを存じ上げなかったのだが、合唱団の先輩が小沢ファンで、著書を持参していそいそとサインを求めていた、ような記憶が。

で、本書は、大学を卒業してしばらく(2年ほど)経った頃に出たものだが、本棚の肥やしになっていたものをひっぱり出してきて読んだ。もう、だいぶページが茶色くなっていた。懐かしい感覚です。でも、おもしろかったですよ。


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(2012、12、21読了)

2013年1月 5日 13:50 | コメント (0)

新・読書日記 2012_231

『教室内(スクール)カースト』(鈴木翔 解説・本田由紀、光文社新書:2012、12、20)

2012年は「いじめ」の問題が改めて取り上げられた1年でもありました。「いじめ」は学校、子どもたちだけの間でなく、社会全体にあるが、その発生起源を「学校」というくくりからさらに一歩進めて「教室」に求めたのが本書。ただ「教室内」に「スクール」とカタカナのルビが打たれています。

著者は1984年生まれの東大社会学研究所の支援専門職員。(ってどんな仕事なんだろうか?)主な研究テーマは「中高生の交友関係」だそうです。その東大大学院での修士論文に加筆したものが本書。論文なのに、平たくて読みやすくされていて、論文ぽくはありません。でも、調査をもとに書いているあたりは論文で、ちょっと、読み物としては、まだるっこくも感じます。担当教官が本田由紀・東大教授。「フリーター」関連の研究で有名な方です。これまで何冊か、本を読みました。

内容は子どもたちの「教室」の中で「階層(カースト)」が出来ていると。小学校の時は「運動(スポーツ)」のできる子の「地位が高い」が、中学・高校になると変わって来るとか、確かに私の「体験的に」感じてきたことが、子どもたちへの具体的な聴き取りや調査に基づくデータで出てきているという点で、そこまで調べた人はこれまでいなかったんだろうと思います。

しかし、私が小学生だった「40年前」に感じたことと、大規模アンケートによって明らかになった「現在の姿」が「同じ」なのに、なぜかくも"現れる形"としは変わってしまったのか?という考察が抜けているように思います。ポイントはそこじゃないのかな?


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(2012、12、23読了)

2013年1月 5日 10:49 | コメント (0)

新・読書日記 2012_230

『談志が死んだ』(館川談四楼、新潮社:2012、12、15)

地下鉄の駅の近くの本屋で立ち読みしていたら目についた一冊。「談志」の弟子「談四楼」の手によるもの。そういえばこの人の落語の本、何冊か読んだことあったな。「談志が死んだ」っていうのは「回文」だな、「竹藪焼けた」「新聞紙」のようなもので、「談志」の戒名は「雲黒斎」(うんこくさい)で始まるものだが、もしかして「談志」も「死んだ」まで考えて回文になるように決めたのか?と思うぐらいぴったりの・・・。

で、立ち読みを始めて驚いた!談志が亡くなった際に「ミヤネ屋」で、談四楼さんを大阪のスタジオまでゲストでお呼びしていた!その時の模様がなんと20ページ以上にわたって克明に記されている!これは買うしかない!と思うレジに。さらに読んだ後、今度は「ミヤネ屋」のスタッフにもコピーしてバラまいた。「ここに書かれているの、オレです」と名乗り出てくる人もあり、みんな熱心に読んでいた。

何だろうねえ、こういう師匠と弟子の関係。すごく濃くて、中にはついて行けない人たち、落ちこぼれる人も出て来るけれども、それでもその後もつながって行く、。「ミヤネ屋」のスタッフにも通じるところがあるような気がしました。合掌・・・・。


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(2012、12、19読了)

2013年1月 4日 22:45 | コメント (0)

新・読書日記 2012_229

『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄、小学館:2012、11、22)

2012年もいろんな人が亡くなった。かなり年配の大御所から、

「え!まだ若いのに・・・」

という人まで。その中も特に「若くして死んだ有名人」として、41歳の若さで亡くなった「金子哲雄さん」の名前が挙げられるだろう。確かに以前に比べるとかなり痩せてはいたが、それでもちょうどいいぐらいの感じで「ダイエット中です」という言葉を信じていた。読売テレビの番組にも出演していただいていた。「ミヤネ屋」にも出てもらっていた。まさか、そんな病と闘っていたとは・・・。

そして、自分の葬儀までプロデュースするというサービス精神・プロ根性には頭が下がった。何もそこまでやらなくても・・・と思うぐらい、すごいことだ。「ミヤネ屋」でも、訃報と、この本の内容を取り上げさせてもらい、朗読をさせてもらった。

前から気になっていたのだが、金子さんがこうやってテレビで有名になる前に、たしか名刺交換をしたことがあると思っていた。昔の名刺入れを整理していたら・・・出て来た。2001年11月、確かに彼と会っていた。当時はまだ彼が30歳を少し出たくらいの時、京都の大学で私が講演をした後に、近付いて来られて自己紹介をされた、やっぱりあの人だったのだ。まだまだ、これからだったのに・・・残念です。合掌。

 


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(2012、12、11読了)

2013年1月 4日 20:42 | コメント (0)

新・読書日記 2012_228

『動乱のインテリジェンス』(佐藤優・手嶋龍一、新潮社新書:2012、11,1)

 

佐藤優・手嶋龍一両氏の対談集。示唆に富む内容は、国際問題、日本外交のあり方など、かなり高度で、なかなかついて行けない部分もある。「インテリジェンス」は佐藤氏がよく使う用語だが、確かに、異なる国と国の間の外交においては欠くべからざるものだ。

かなり「高度」な内容の対談であるだけに"手軽に読み進める"というわけにはいかなかった。じっくり時間をかけて読む対談本である。勉強になることは請け合い。


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(2012、12、6)

2013年1月 4日 16:39 | コメント (0)

新・読書日記 2012_227

『続・暴力団』(溝口敦、新潮新書:2012、10、20)

2012年は、いわゆる「半グレ」集団によるとみられる犯罪が大きく取り上げられた年でもあった。この「半グレ」という言葉の名付け親が、本書の著者の溝口敦氏だそうだ。なぜ「半グレ」がクローズアップ(のさばる)ようになって来たのか?その背景には、全国すべての自治体で制定・施行された「暴力団排除条例」があるという。20年ほど前に制定された「暴対法」(暴力団対策法)という「法律」は「国」が決めたものだが、実はこの法律は"暴力団の存在を認めた"上で対策を定めた法律だった。それに対して「暴力団排除条例」は、"暴力団そのものの存在を認めない"条例なのだ。本来「法律」の方が、地方自治体の「条例」よりも上位に位置するが、今回の「排除条例」は、より厳しく暴力団を追い詰めることになった。"自治体"と言えば、"警察"は「大阪府警」や「福岡県警」の様に各自治体の所属である。そして暴力団などを取り締まる現場で働くのは、その警察の警察官だ。そういった「現場」が暴力団を排除する、暴力団の存在そのものを、表の世界から抹殺する"道具"として「排除条例」は使われている。暴力団の生活の糧である「しのぎ」をしらみつぶしに封じ込め、さらに、これまでは暴力団同士の抗争で相手の暴力団員を殺害しても、警察や一般人の様に無期懲役や死刑というようにはならなかった(暴力団員の命は軽かった)ために、暴力団員は殺(あや)めることがあっても、一般人や警察官を殺めることはなかったのだが、最近は相手の暴力団員を殺害しても「死刑」になるようになってきた。「それなら、警察や一般人でも同じではないか」と暴力団側が考えるようになったとのこと。イタリアのマフィアなどが裁判官や警察官を殺害するシーンがその手の映画ではあるが、それと同じようになって来ていると。つまり、世界的に見ても、まともな国で、国家として「暴力組織」を認めている国(=日本)はない(だからマフィア等の組織は地下へ潜る)のだが、他国と同じように「条例」で縛ることで、暴力組織の地下化を進めているのではないか、というのが著者の見方。そしてその条例や法律にとらわれず、組織化されていないグループ、それが「半グレ」集団であると。ある種の「隙間産業」的な働きをしているのではないか。ただ著者は、そういった暴力団を追い詰める「排除条例」の動きを否定してはいない。暴力団に対する新たな動きの副作用が出ている時期ではないか、というように見ているように感じた。


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(2012、12、14読了)

2013年1月 4日 13:37 | コメント (0)