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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_170

『テルマエロマエ Ⅴ』(ヤマザキマリ、エンターブレイン:2012、10、5)

漫画です。なかなか「Ⅳ」(4巻)のあと単行本が出なかった。その間に映画も公開されて・・・映画より原作の方が面白い。これまでは「風呂」漫画に特化したギャグ漫画(?)であったが、4巻ぐらいから、ちょっとロマンスっぽい要素も。それが「おお!?」となったところで、6巻に続く、です・・・。

 


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(2012、9、27読了)

2012年9月30日 16:46 | コメント (0)

新・読書日記 2012_169

『岳~みんなの山18』(石塚真一、小学館:2012、9、4)

最終巻。完結編。連載を毎回読んでいて楽しみにしていて、突然終わったように感じたが、こうやってまとまって1巻読むと、「ああ、そうだった」のかと。本当に素朴で、気高く、強い身体と意志を持った、ある種"神"のような存在の三歩に、献杯!・・・あかん、涙、出てくる・・・。


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(2012、9、27読了)

2012年9月30日 11:44 | コメント (0)
2012_168

『「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる』(佐藤健太郎、光文社新書:2012、9、20)

「安全」と「安心」は違う。たとえ「安全」であっても、それをちゃんと説得して納得させる術を持たないと、人は「安心」しない。そこまでの努力をするべきだ。そう思ってきたが、それは「100%」を求めることになると。普段は「完全=パーフェクト」など「あり得ない」と思っているけど、こと「安全」に関することだと「ゼロリスク=完全」を求めている自分に気付いた。結局この地球で、日本で生きている、限りある命の生き物であると「ゼロリスク」はあり得ないという著者の主張には納得した。「放射能」「原子力」に関しても、もっと冷静な目を持たないといけない。とはいえ、去年の東日本大震災後の福島原発の様子、それを管理する人たちの様子を目の当たりにすると、「理性と感情は違うんだ」というスタート地点に戻ってしまうのだが・・・。

 

(2012、9、20読了)

2012年9月29日 18:42 | コメント (0)

新・読書日記 2012_167

『つるかめ助産院』(小川糸、集英社文庫:2012、6、30第1刷・2012、7、24第2刷)

著者は1973年生まれ。本作が4作目。独特の雰囲気を持った、やさしく懐かしい世界を作る作家だ・・・って、この作品しか読んでいないが「食堂かたつむり」は、読もうと思って買った。(まだ読んでいない。)「食堂かたつむり」は、イタリアのバンカレッラ賞と言う賞を取ったらしいし映画化もされたが、この本もNHKのドラマになっている。主演は仲里依紗。1回目だけ見た。なかなか、よかった。

「人間の営み」と言うか、「家族」と言うか、自然の中で「どう生きるのか」を考えさせられるような、ハート・ウォーミングな物語。


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(2012、9、26読了)

2012年9月29日 10:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4849「額づく」

 

大相撲秋場所千秋楽で、横綱白鵬を破って2場所連続全勝優勝を決めた大関・日馬富士が、白鵬を下手投げで一周振り回して投げた後に、自分も土俵に倒れて、しばらく立ち上がれなかったシーンは感動的でした。

「渾身(こんしん)の一番」

というのは、こういう勝負を言うのでしょう。私がもし野田首相なら、総理大臣杯を授ける時に、つい

「感動したっ!」

と言ってしまいそうなぐらい。(余談ですが、そういえば「渾身」の「渾」は、「褌」に似ています。)

その日馬富士関、立ち上がる前に、「おでこ」を土俵に付けました。「土俵の神様に祈っていた」そうです。立ち上がった時に、額(ひたい)には土俵の土がついたままでした。それを見て私は、

「ああ、これが『額(ぬか)づく』という事なんだな」

と思いました。ふだんあまり「額づく」なんて言葉は使いませんが、こういうシーンを見て、ふと頭に浮かんだ言葉でした。

そして、「額づく」というのは、動作もさることながら、

(なんらかの)神様に祈る、頭(こうべ)を垂れるという気持ち」

自然に取らせる動作なのだということを感じたのでした。

日馬富士、白鵬、ありがとう!(と、思わず「額づく」)。

なお、日馬富士は926日に、正式に第70代・横綱に決まりました。全身全霊で頑張ってくださいね。

(2012、9、26)

2012年9月28日 18:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4848「弟、妹の『と』」

 

いつものように、またふと、思いつきました。

「妹(いもうと)」

「弟(おとうと)」

最後の「と」は「人」という意味ではないか。そうすると

「いもの人」「おとの人」

という意味では?そうすると「いもうと」「おとうと」の「う」は「ウ音便」で「の」の意味を表している!

「狩人(かりゅうど)「落人(おちゅうど)」

同じ語構成ではないか?また、沖縄方言

「海人(ウミンチュ)」「沖縄人(ウチナーンチュ)」

は、発音がちょっと違うが、構成は同じだ!沖縄方言の場合、「人」という意味の「と」「ど」の部分が脱落していると考えればいいのでは?

そんなことに考えが及びました。

では、「いもうと」の「いも」は何?「おとうと」の「おと」は何?

「妹背(いもせ)」という言葉もあるし、「いも」は「小さい女性」、「おと」は「男」の「おと」なんだろうなあ。わかんないけど。

(2012、9、23)

2012年9月28日 12:21 | コメント (0)

新・読書日記 2012_166

『30秒で人を動かす話し方』(岩田公雄、PHP新書:2012、10、2)

著者は、読売テレビでの先輩。土曜朝の「ウェークアップ!ぷらす」や「情報ライブミヤネ屋」で、その巨体を目にしたことがある人も多いだろう。

先日、サイン&ハンコ入りでご高著を頂いた。読んでの一番の感想は、

「文は人なり」

ですね。やさしい文章ですよ。いや、やさしいというのは「人柄の優しさが文章に出ている」という意味での「優しい」です。でも「易しく」もあります。20代の若い人に読んでもらいたい。そしてタイトル通り、「30秒で」この本の内容を言うと、

「コミュニケーションを取る上で、『つかみ』は重要」

ということになろうか。タイトルがタイトルだから、「30秒で読めるか?」と思ったら、さすがにそれは無理でした。1時間半ぐらいはかかります。あ、目次だけなら「30秒で」読めますよ。そういったコツも大事ですね。


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(2012、9、26読了)

2012年9月28日 07:24 | コメント (0)

新・読書日記 2012_164

『別冊宝島・大人の10人中9人が間違ってつかう日本語ドリル1000』(関根健一、宝島社:2012、10、21)

用語懇談会でご一緒させていただいている、読売新聞の用語幹事・関根さんの最新刊。ご寄贈いただきました。ありがとうございます。

サブタイトルが「正しく美しい日本語・漢字・警護が身に付く本!」であるが、そのサブタイにウソはないと思う。よくこんなにコンパクトに、これだけの広い範囲を網羅したなと。取り上げているものは、よく使うけれども(本当に)10人中9人が間違って使っていそうで、死角・盲点を突くような言葉の数々。かなりレベルは高いと思う。でも関根さんは「言葉は変わるものだ」と冒頭でおっしゃっている。その通り。でも、それに身をゆだねてしまったままで何も考えなくていいの?と我々の"良識"に訴えかけてくる。勉強になる一冊。


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(2012、9、25読了)

2012年9月27日 22:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4847「男好き」

「男好き」「女好き」

という二つの似た言葉について考えてみました。

「好き」

の前の言葉は「男」「女」と立場が違うように見えますが、実はどちらも「主語は男」ですね。つまり、

「女好き」=「女のことを、とても好む男」

「男好き(がする)」=「男が好みそうな女」

なのです。

「○○好き」

という言葉の「○○」は、

「ワイン好き」「音楽好き」「サッカー好き」「本好き」「お菓子好き」

のように「好きな対象となるもの」が入り、

「○○というものが好き」

という意味になるのが普通だと思うのですが、こと「男好き」だけは、「男(というもの)が好き」ではなく

「男が好みそうな、好きになりそうな()

という意味なので、ほかの「○○好き」とは種類が違うのですね。「○○が好き」という意味であるとすると「男好き」は助詞の「が」が脱落した形ですね。

つまり、ちょっと難しい日本語なのではないでしょうか。日本語を学ぶ外国人には、なかなか理解されないのではないかなあ。

(2012、9、23)

2012年9月27日 22:17 | コメント (0)

新・ことば事情

4846「平気と大丈夫」

 

百田尚樹の『ボックス!』(太田出版)を読んでいて出て来た言葉に目を引かれました。

 

「2ラウンド続けても平気だった」

 

ボクシングの小説です。この「平気」という言葉、関西人はまず使いません。「平気」は関西人は知っているけれども、まず使うことはない言葉です。

そしてニュアンスも微妙に違うような気がします。「大丈夫」は、

「なんとかもつ」

という感じですがそれに対して「平気」は、

「余裕で大丈夫」

という気がします。

「関西人は『平気』という言葉を使わない」ということは、『関西人のルール』(千秋育子、中経文庫)という本にも出てきました。

(2012、9、23)

2012年9月27日 17:14 | コメント (0)

新・読書日記 2012_163

『聞き書 野中広務 回顧録』(御厨貴・牧原出編、岩波書店:2012、6、28第1刷・2012、7、25第3刷)

2800円+税という高額な分厚い本なので、買うか買うまいか、悩んでいたのだが、本屋さんで実物を手に取りパラパラと見てみて「これは買いだ!」と即決。阪神大震災後の「第7章」から最後までを先に読んで、その後、最初から第6章までを読んだ。

この本の中で、野中は小沢一郎のことを「自ら責任を取らない政治家だ」と言っている。

白河上皇の院政、インドのソニア・ガンディーの政治など、矢面に立たず、傀儡の首相・天皇・摂政関白を立てることで、その支配期間を長引かせるということは、古来あった。

小沢さんは、「竹下七奉行」の中で、一番弟子と思っていたら竹下さんは首相になった時に小渕さんを官房長官にして小沢さんを官房"副"長官にした。これで竹下さんに対する不信感ができたのではないかと野中さんは話している。竹下・小渕は早稲田・雄弁会出身、小沢は慶應出身、ということももしかしてあったのかな?

野中さんは全部本当のことをしゃべっているとは思えないが、「ウソ」もついていないと思う。「言ってはいけないことはしゃべっていない」ということで。でも「言ってない」けど「言っている」部分もあって、たとえば当時の竹下首相が小沢さんとこっそり会うときに、東京駅前でやっていた「劇団四季」のミュージカルを観に行くようなふりをして、公演用のテントの横にあるスタッフ用テントでこっそり会った話では「間に立ってくれる人がいて」とその人の名前は出さないのだが、「劇団四季だから。わかるだろう」と。

あ、浅利慶太か。

言ってるのと同じだけで言ってない、ということもあるのですね、大人の(政治の)世界には。あと、こんなことも言っている。

「安倍晋太郎先生は『よく世間で俺は岸伸介の息子みたいに言われるけど、俺の親父は昭和一七年大政翼賛会の時に、それに反対して反戦政治家として出た安倍寛なんだ。』ということを胸を張って言っておられたことを私は忘れません。そのことを私は安倍晋三君にも申し上げたことがあるのですが、安倍晋三君は残念ながら、そういうお父さん、あるいはおじいさんの遺志を継いでくれなかったのかな、という気がして、いま思い出しております。」

これは数年前の発言だが、そんな安倍さんが、自民党で再び総裁に選ばれた。いろいろ考えさせられる。

また選挙制度については、

「たしかに中選挙区の広さには問題もある。僕のところは日本一だったんだから。南北一七0キロあったんですから、非常に広いし自分の選挙区としては扱いかねるぐらいのところでした。だけれども、やはり五人出ることによって、自民党が二人になったり一人になったりする選挙区もあれば、三人になる選挙区もある。そういうことによって、社会党も出られるし、民社党も出られる。そういう民意が活かされていく。民意が反映して国政になるんだから。それが一人しか当選しないということになったら、あとの民意はすべて封殺される。これは国家のためにはいい制度ではない。しかも世襲制度をより長く、強くしていく。そう思いましたね。」

野中さんの言う「民意」と、橋下さんの言う「民意」は、言葉は同じだけれでも、明らかに「指している範囲」が違いますね。それによって、全然、意味も違ってきているように思う。

それと、毎日「首相の動き」の小さな新聞記事をスクラップしている私にとって興味があったのは、

「このごろの新聞の首相動静欄でも『秘書官と食事』というのがあるでしょう。これは、秘書官同士が飯をとっていて、総理は、本当の目的の人、表に出してはいけない人と会ってるわけです。」(別途、本当の目的があるのですね)「『秘書官と食事』というのは、みんなそうです。奥の院があるんです。」(麻雀をやるときもそんな感じで、食事の名目で行くんだけれど、実は裏でそういう人たちと会っているという感じになっていたんですね。)「そうだったね。僕はそう感じた。だから、階段がいくつもあったり、階段と渡り廊下で座敷に行ける場所があったり、そういう料理屋が選んであったもの」

 

どうです?おもしろいでしょ!?こんな話が満載なんです。3000円出して野中さんの話を何回も好きなだけ聞ける(読める)と思えば、安いものではありませんか!


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(2012、9、14読了)

2012年9月27日 15:58 | コメント (0)

新・ことば事情

4845「夏雨・冬雨、冬場所」

 

「春雨」と「秋雨」は、ともに「雨」を

「さめ」

と読み、そういった表現をよく耳にしますが、なぜ「夏雨」と「冬雨」はないのでしょうか?これについて考えました。

つまり「春雨」と「秋雨」は、「シトシト降る雨」なのに対して、「夏」と「冬」の「雨の降り方」は、「シトシト」ではない。「夏」は激しく「夕立」、「冬」は「霧雨」か「氷雨」だ。その「雨の降り方」によって「さめ」と読むかどうかも分類されているのではないだろうか?

関連で、大相撲に、「春場所」「夏場所」「秋場所」があって、なぜ「冬場所」がないのでしょうか?

雨宿りしながらこんなことを考えていると、1時間ぐらい、すぐにたちます。

(2012、9、23)

2012年9月27日 12:13 | コメント (0)

新・ことば事情

4844「上手と下手」

 

「上手」「下手」と書いても、「かみて」と「しもて」の話ではありません。

「上手い」

と書くと、たぶん100人中90人以上が、

「うまい」

と読めるでしょう。ところがこの「上手(うま)い」と書くのは「表外訓」(熟字訓)なのです。「下手」と書いて、

「へた」

と読むのは「慣用」で許容とされているのに、その反対の「うまい」を、なぜ慣用としないのでしょうか?

考えるに、「上手」は「じょうず」と読むのが「下手(へた)」の対語で「慣用」で許容だからではないでしょうか。でもたとえば、

「下手い」

と書いて、

「まずい」

というのも、なくはないですよね。「へたい」とは読まないでしょう。そう考えると、「上手い」を「うまい」と読むのを認めてもよさそうなものを。

それとも「味覚」の「うまい」とのすみ分けが難しいので、認めないのでしょうか?

味覚の「うまい」を、

「美味い」

と書くのも表外訓(熟字訓)ですしね。これも認めてもいいような気がするなあ・・・。

(2012、9、23)

2012年9月26日 22:10 | コメント (0)

新・ことば事情

4843「ムーンジェリー」

 

5月に東京に行ったときに、開業間もない「東京スカイツリー」を見てきました。上には登れませんでしたが。7階までは行ったな。それで、横にある、

「東京・すみだ水族館」

には行きました。予約も要らず、そこそこすいていたので。そんなに規模は大きくなくて、「これなら大阪の海遊館の方がすごいかなあ」

とちょっと思いながらも、熱帯魚などの展示の仕方は、親しみやすくてわかりやすかったです。その中に、

「水クラゲ」

というのが展示されていて、その展示の英語表記は、

Moon Jelly

でした。へえー、「クラゲ」は「月」のような傘を持つ「ゼリー」なわけか。

そういえば、たしか男声合唱曲で『月下の一群』という曲集の歌詞の中に、

「クラゲは海の月」

という歌詞もあったし、漢字の熟字訓では、その通り、

「海月」

と書きますね!もしかしたらMoon Jelly」の中国語訳が「海月」で、日本語の「クラゲ」に中国の漢字表記を当てはめたのかも。

いま、英和辞典でJellyを引こうとしたらその前に、

Jell

がありました。「ジェル」・・・「ゲル」。あ、語源は同じか。

「ゲル状」=「ジェリー状」

なわけですね。クラゲはいろんなことを教えてくれますね。

そうすると「木クラゲ」は英語では「Wood Moon Jelly」か?

なわけ、ないか。一応「和英辞典」を引いてみると、なんと「木クラゲ」は、

Jew's ear

え!「ユダヤ人の耳」!?

1544、中世ラテン語auricula  Judae (逐語訳 Juda's ear)の誤訳;形が耳に似ており、Judas Iscariotが首をつったとされるニワトコの木(elder)に寄生することから」

と書かれていますが何やら、よくわからん。たしかに「耳」に似ているのは認めますが。

Auricula=アツバサクラソウ

Iscariot=キリストを裏切ったJudasの姓。(転じて)裏切り者、謀反人

ふーん。クラゲからは、ずいぶん離れてしまいました。

(2012、9、23)

2012年9月26日 16:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4842「痔」

2012年919日の「ミヤネ屋」でスーパーチェックをしていて、

「『痔』にルビを振ってください。『し』 に『てんてん』の『じ』ね!」

と言ったところ、

「『ち』に濁点の『ぢ』じゃないんですか?」

とオペレーターさんが。

「いや、『し』に濁点の「じ」。『ぢ』という表記は、痔の薬のヒサヤ大黒堂が『ロゴ』として考え出したものだよ」

と言うと、並んでいた5人のオペレーターさんが全員、

「ええー!!」

声を上げて一斉に振り向きましたが、本当の話。

×「痔」→○「痔(じ)」

なんです。でも「ち」に「てんてん」の方が、お尻から「血」が出ているようで、イメージが膨らむんですよね、きっと。

(2012、9、23)

2012年9月26日 11:03 | コメント (0)

新・ことば事情

4841「自転車操業」

 

5年前に出た拙著『スープのさめない距離』(小学館)で、「自転車操業」という言葉について書きました。そこでは、「自転車操業」について、

「常にペダルをこぎ続けないと倒れてしまう(=倒産する)」と、会社の経営状況を自転車にたとえて、余裕なく働いている様子を示したもの。転じて売上金の全部もしくはその多くを、そのまま仕入れ金にあててかろうじて操業を続けること」

と書いて、この言葉を作ったのは、「評論家の臼井吉見氏」としています。その根拠として、1960(昭和35)年に『現代用語の基礎知識』が開いた座談会(臼井、大宅壮一ら4人が参加)で、臼井自身が「造語」についてこう述べている、と記しています。

 

「ぼくは一つだけつくったですよ。いまでも使われている。そして、ぼくがつくったということはおそらくだれも知らないで使われているのはこの『現代用語』の日本経済と社会風俗の項にとり入れられている"自転車操業"というのがそれです。あれは『改造』の座談会にぼくが言い出したことです。『改造』で、中野好夫さんと、大宅さんと三人でムダ話をやったでしょう、あのときに言い出した。いまや、つくり主がだれかわからぬくらいに・・・。」(現代用語の基礎知識編『20世紀に生まれたことば』新潮文庫)

 

また、梅花女子大学の米川明彦教授は、「自転車操業」に似ているけれどそれよりも古い言葉を、1955(昭和30)年に出た『はだか随筆』(佐藤弘)の中から見つけています。それによると、

 

『「先日、高島屋の常務の川勝氏に会ったのですが「どうです。デパートは儲かりますか」と聞いたら、「デパートは日本経済と同じく自転車経済ですよ」といわれた。何んのことですか」と反問したら、「こいでる間はいいが、とまったら、すぐ倒るから」と。』(この部分は1953【昭和28】年11月発表)

 

米川先生は、2001725日の読売新聞大阪夕刊の「ことばのこばこ」というコラムで、

『これから察するに「自転車操業」という言葉はまだ使われていなかったようだ。「自転車経済」から「自転車操業」ができたのだろうか』

 

という疑問を呈しています。

また、「語源」ではないですが、こういう風に使われているという例で、赤瀬川原平の『日本男児』(文春新書)を読んでいたら、「自転車操業」が出てきました。

「やはり世の中のみんなの気分が、じわじわとデジカメ、つまり電子機器の方に流れたのだろう。これは人間の世の中のラストスパートみたいに感じられる。あるいは自転車操業といってもいいが、そうするほかないというか、そうなってしまうようなところに、世の中がきているのを実感する。」

「現在から現在への自転車操業とはそういうことなのだった。」

赤瀬川氏は、デジタル化で加速する世の中全体を指して「自転車操業」と呼んでいます。さすが「老人力」の発案者ですね。

そして、ことし(2012)5月25日に、かのアインシュタインの言葉で、

 

「人生は自転車のやうなものだ。漕ぎつづけなければ倒れてしまう。」

 

というのにぶち当たりました。(本なのか、テレビなのか、記憶にないのですが。)

これってまさに「自転車操業」なのでは?

そうすると、「自転車操業」という言葉の発案者ってアインシュタイン?「自転車操業」は「相対性理論」?謎はさらに広がりました・・・。

(2012、9、23)

2012年9月25日 22:02 | コメント (0)

新・ことば事情

4840「ヒポクリットとカバ」

 

私の所属する男声合唱団が、9月に「おたまじゃくし音楽祭」というコンサートに出演して、「黒人霊歌」を2曲歌いました。その練習をしていた時のこと。

黒人霊歌はこれまでにも何度も歌っていますが、ちょっと間をあけると忘れてしまったりするので、何度も何度も繰り返し練習します。その中で、もう英語の歌詞の意味も全部わかっていると思っていたら、先輩のMさんが、「イノセン・ラム」と言う曲の中に出てくる歌詞について、

「なんでここに突然『カバ』が出てくるんやろなあ」

と言うではないですか。ああ、たしかに。

hypocrite

という歌詞です。「ヒポクリ」・・・カバ・・・「イノセント・ラム」と言うタイトルから「羊」何で、「カバ」も出てくるのかな?聖書の中に出てくるんではないでしょうか?

と思っていたら、なんと「hypocrite」、辞書を引いてみたら、

「偽善者」

という意味でした!ああ、「偽善者」を「カバ」を間違えるなんて、もう・・・カバ、いや、バカ。

「カバ」は 「ヒポポタマス」(hippopotamus)でしたね。俗語では「ヒッポ」(hip)で似ていますが。

hypo」を引くと、

「下に、以下、少し」

の意味がありました。つまり「hypocrite」は

「クリティカル以下」「批判以下」

ということか。それが、

「偽善者・ねこかぶり」

戸言う意味になるんですね。「ヒポクラテス」の人名の意味は?「偽善」の「hypocrite」と関係があるのかな?

hypostasis」は、哲学用語で

「本質、実体、実体化」

だそうです。「stasis」は、「本質」かな。病理用語では、

「体流液の停止、血行停止。比喩的に停滞、沈滞」

だそうです。あ、「ホメオスタシス」の「スタシスか」!どんどんつながっていくぞ!

「ホメオ」は「ホモ(=同質)」と言うことですね、きっと!みんな名前が意味を表しているんですね。ギリシヤ語や何かなので、我々が言葉の意味が分からないだけで。

hypo」が「下に、以下、少し」ということは、「hypostasis」は「stasis(本質)」のその下、ということは、

「形而下」

つまり「実体」ということなのでしょうか?

どんどん話が膨らみますが、面白いですね、「ピポクリ」

(2012、9、23)

2012年9月25日 17:02 | コメント (0)

新・ことば事情

4839「野球の9番の読み方」

 

先日の新聞用語懇談会放送分科会で出た「日々の事例」の中に、

「野球の打順の9番の読み方」

という議題がありました。朝日放送の委員から、

「先日、プロ野球と高校野球のニュースを読む際に、原稿に『9番』があり、ためらうことなく『くばん』と読んだところ、ディレクターから『きゅうばん』で読み直してくださいと言われたが、納得いかない。他局の皆さんのところではどうされているのか?」

という質問が出たのです。

これに対する各社の答えをまとめると、

「昔は『クバン』と言えと、先輩アナウンサーに教わった。『キューバン』と読むと『おまえはキューバン・ボーイズか!』とからかわれた。しかし今は『キューバン』。各球場のウグイス嬢も、プロ野球・高校野球とも『キューバン』と言っている。」

「関連で『四国八十八か所』の『九番札所』も、ユー・チューブで聞くと『キューバンふだしょ』と言っている・・・。」

「ベートーベンの『交響曲第九番』のことをNHKは『ダイク』と言う。」

「毎日放送は『ダイクバン』と『番』を付けて言う」

という意見も出ました。

こと、野球に関しては、「9番」はもはや「キューバン」のようですね。

なお、「4番バッター」の「4番」は、いまだに「ヨバン」が優勢で、「ヨンバン」とは言わないそうです。「ヨンバン」とは、「呼ばん」。

 

(追記)

2015年8月17日の夜7時のNHKニュース、高校野球のニュースで、「秋田商業」対「仙台育英」の試合を伝えた女性アナウンサーが、

「9番・工藤」

の「9番」を、

「キューバン」

と呼んでいました。「工藤(くどう)」だけに、ここは、

「クバン・クドウ」

と「韻」を踏んでほしかったです。

(2015、8、18)

 

 

(2012、9、23)

2012年9月25日 10:01 | コメント (0)

新・ことば事情

4838「ウエイクボードかウエークボードか」

 

2012年8月25日、奈良県桜井市の財政課長・田中将晴さん(49が、モーターボートに引っ張られて、

「ウエイクボード」

をしていたところ、そのモーターボートのスクリューに巻き込まれて死亡するという痛ましい事故がありました。ケータイサイトのニュースを見ていたら、

時事通信社は「ウエイクボード」

読売新聞・朝日新聞は「ウエークボード」

と表記が違いました。

外来語の表記の原則から言うと(ここはちょっと古い感じですが)、「エ」が大きく、二重母音は「-」で引っ張って、

「ウエークボード」

つまり読売や朝日のような表記になります。

9月10日、今度は、タレントの梅宮アンナさんが、その前の週に行われたテレビ東京の旅番組のロケで、

「ウエークボード」

がひっくり返って、膝の靭帯を損傷して全治2か月の大けがをしたというニュースが。

その際、「ミヤネ屋」のスタッフから、

「ウエークボードでしょうか?ウエイクボードでしょうか?」

と質問を受けたので、

「ここは英語だと二重母音を『ウェイクボード』としたいとこっろだろうけど、外来語のカタカナ表記の原則だと、『ウエークボード』になるね」

と答えて、そのように放送しました。

Google検索(9月10日)では、

「ウエークボード」=  1万3700件

「ウエイクボード」= 18万8000件

「ウェークボード」=  3万4900件

「ウェイクボード」=146万0000件

でした。ネットの「デジタル大辞泉」には、

「ウエークボード wakeboard

 《「ウェイクボード」とも》スノーボード状の板に乗り、モーターボートに引かれて水面を滑り、ボートの引き波に乗って楽しむスポーツ。

と載っていました。

(2012、9、10)

2012年9月24日 22:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4837「ひなたの『な』」

 

9月の10日、いつものようにテロップのチェックをしていて、「ひなた」という言葉について、ふとある考えが唐突に頭に浮かびました。

「『ひなた』の『な』は、『の』の意味だ。『みなと』の『な』と同じ。そして『た』は『所』の意味。『かなた』の『な』『た』と同じ」

ということです。あ、「みなと」は「港」ですが、語源は「水(み)な戸(と)」、つまり海に向かって開いている「水の戸」なんですね。それで、つまり「ひなた」は、

「日の当たるところ」

という意味。そのままですが。「ひかげ」=「日陰」はわかりやすいけど、「ひなた」はあまり考えなかったなあ。

ふだん何げなく使っている言葉の中に、古語がそのままもぐりこんでいることって、結構あるんだなあと感じました。

(2012、9、23)

2012年9月24日 18:58 | コメント (0)

新・読書日記 2012_162

『神の雫 34』(作・亜樹直、画・オキモトシュウ、講談社:2012、8、23第1刷)

ワイン対決、いよいよ「第十の使徒」は「ブルゴーニュ」。なんとその「ビンテージ(年度)違い」という微妙な話に。しかも「十二使徒」のうち「十」まで終わって、勝負は五分五分。ということは・・・「十二」まで行ってイーブンで、最後の「神の雫」で決着か!?と先が見えてまいりましたが、ワインの味の表現はなんだか哲学的過ぎてよくわからない世界へ・・・。ジャン・グロの息子ミッシェル・グロの「ヴォーヌ・ロマネ・クロ・ド・レア」というおいしそうなワインも紹介されていて「飲んでみたい!」と思いました!


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(2012、9、23読了)

2012年9月24日 11:10 | コメント (0)

新・読書日記 2012_161

『杏仁豆腐はキョウニンドウフが正しい!~大人が読み間違うと恥ずかしい漢字』(根本浩、中公新書ラクレ:2012、9、10)

表題のように、「アンニンドウフ」だと思い込んでいる漢字(でも、間違った「アンニンドウフ」が今や正しくなっているという意味では、「独擅(セン)場」→「独壇(ダン)場」のようなものかなあ)の「読み」や、「このぐらいは読めないと大人として恥ずかしい漢字」などの問題集。全部キッチリと読む必要はないが(読めるものは飛ばしてもいいでしょう)、チェックする意味でパラパラと読んだら、後半に結構、読めない漢字がいっぱい出て来た。

「万遺漏(ばん・いろう)なきように」「女衒(ぜけん)」「眩惑(げんわく)」「賤ケ岳(しずかだけ)」「不可触賤民(ふかしょくせんみん)」「賤の女(しずのめ)」「太田道潅(おおたどうかん)」「潅漑事業(かんがいじぎょう)」「百日紅(さるすべり)」「女郎花(おみなえし)」「啓蒙(けいもう)」「「蒙昧無知(もうまいむち)」

皆様いかがでしょうか?あ、これは、私は読めたもの。読めなかったのは、

「熟(こな)す」「幼気(いたいけ)」「矍鑠(かくしゃく)」「具(つぶさ)に」

などなど。

実はこういった漢字、中学生の時は、手書きで書いたりしていた気がします。好きな作家の文体をまねて書いたりしたときに、覚えたはずの漢字でした。今は使わないなあ・・・。


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(2012、9、12読了)

2012年9月23日 20:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4836「どっかへ寄って何かを買う!」

 

「さて、帰るか」

と、会社のパソコンの電源を落として、カバンを肩にかけて、何か忘れている気がします。

そうだ、今朝、「帰りがけに、何かしよう」と思ったんだっけ。その気持ちを思い出そうとして、頭に浮かんだのは、

 

「どっかへ寄って、何かを買う!」

 

うーん、

 

「これでは、何も行動を起こせない!」

 

せめて「どこか」、あるいは「何か」がわかれば、思い出すこともできますが、両方わからないとお手上げです。

仕方がないから、周りのスタッフに、

 

「帰りにどこかへ寄って、何かを買おうと思ったんだけど・・・何だっ

たか、わかる?」

 

と聞いてみましたが、当然、みんな冷やかに、

 

「そういう時は、早く家に帰ってください」

 

と答えるだけでした。そりゃ、そうだ!

ところが、そうこうして家の近くの駅で降りて改札を出たとたんに、

 

「そうだ!息子の誕生日のプレゼントに図書カードを買おうと思ってたんだ!」

 

ということを、奇跡的に思い出したのでした。人間の記憶って不思議ですねえ・・・・。

(2012、9、17)

2012年9月18日 11:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4535「準強姦のアクセント」

 

柔道五輪2大会連続金メダリストの内柴正人被告が問われている罪、

「準強姦」

のアクセントは、

「ジュ/ンゴ\ーカン」(中高アクセント)

か?それとも、

「ジュ\ン・ゴ/ーカン」(2語)

か?「強姦」の意味をしっかり解らせるためには、「2語」で、

「ジュ\ン・ゴ/ーカン」(2語)

だと思いますが、もう「準強姦」と言う言葉が一般になじんでいるということに案ればコンパウンド下「中高アクセント」の、

「ジュ/ンゴ\ーカン」(中高アクセント)

もあり得ます。わたしは、「強姦」の意味をきっちりと伝えるために、分けて読む「2語意識」の、

「ジュ\ン・ゴ/ーカン」(2語)

が良いと思いますが、一応、「準○○」の3文字以上の単語と、「準」とほぼ同じ意味の「准」の3文字以上の単語を「広辞苑」から引っ張ってきました。

「準強姦、準決勝、準安定、準委任、準学士、準漢籍、準起訴、準共有、

準禁治産者、準結晶、準現行犯、準抗告、準強盗、準静的、準世帯、準全損、準占有、準体言、準体助詞、准長石、準問屋(といや)、準文書(ぶんしょ)準平原、準防火地区、準名人、準惑星」

「准看護師、准官吏、准教授、准国持、准国主(こくしゅ)、准三后(さんごう)→じゅさんごう、准士官、准大臣、准門跡」

うーん、こうやって見ると、観たこともない言葉もありますが、結構「中高・コンパウンドのアクセント」の、

「ジュ/ン○\○○」

のパターンのものも、多い気がしますね。

でも各社のアナウンサーの読みを聞いていたら、また法律の専門家のアクセントを聞いていても、2語に分ける、

「ジュ\ン・ゴ/ーカン」

がほとんどのように思えました。(私が耳にした範囲ですがね)

(2012、9、12)

2012年9月17日 22:38 | コメント (0)

新・読書日記 2012_160

『TPP亡国論』(中野剛志、集英社新書:2011、3、22第1刷・2011、11、16第8刷)

TPPについては勉強不足で、なんとなく「やっぱり『バスに乗り遅れるな』じゃないけど、国際的な流れについていかないといけないんじゃないの」と感じていたが、少しずつ勉強するにつれて「これのメリットとデメリットを考えると、何が何でも参加というのはおかしいのでは?」と思い始めていた。この中野剛志という人は、会ったことも話したこともないが、写真の印象で(結局「第一印象」かよ!)どうだかな・・・と。

ところが!「2012読書日記159」などでも書いた、今年2月に亡くなった大学の恩師・河原宏亜先生の本の「献辞」というか「あとがき」と言うか、そこに「中野剛志」さんが文章を書いていたので、急に親しみを覚えて「読んでみるか」となりました。結局、そんなものなのかもしれないな、どんな本を読むのかということも。帯に写真を載せるのも善し悪しですね。こないだ読んだ本は、新聞の書評で読んで注文して、本屋さんから届いた時から紙のカバーが掛かっていたので「著者の写真」はわからなかったんだけど、読み終わって紙のカバーを外したら「え!こんなヤツだったの?書いていたのは」と思ったことがあったもんね・・・。あ、全然、この本の内容がわかりませんなあ、これでは。


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(2012、8、15読了)

2012年9月13日 11:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4834「ひとよぎり」

 

何年か前に、わたしの所属する合唱団で「日本の笛」という曲集を演奏しました。その際に出て来た歌詞の中に、

「ひとよぎり」

というのがありました。これを私は、

「一夜限り」

の意味にとらえていたのですが、先日、『倍音』という本を読んでいたら「あっ!」と驚きました。そこにはこのように書かれていました。

「一節切(ひとよぎり)。室町時代の尺八。一尺八分・約33センチ。日本の笛でひとよぎりは出てくる。節の数は一つ。指孔は表に4つ、裏に一つ。吹き口の形は現在の尺八とほぼ同じ。現在の尺八は節の一治7つ。指孔は表に4つ、裏一つ。」

「ひとよぎり」というのは「尺八」の名前だったのか!知らなかった!

なかなか、風情のある名前の付け方ですね。

 

(2012、9、11)

2012年9月12日 18:43 | コメント (0)

新・ことば事情

4833「アコギ」

 

町山智浩『キャプテンアメリカはなぜ死んだか~超大国の悪夢と夢』(文春文庫)を読んでいたら、

「アコギ」

という言葉が出てきました。漢字で書くと、

「阿漕」

なのか?と思ったらどうやら様子が違います。(「阿漕」はもともと三重県の地名だそうですね。)この本の中での使われ方は、

「アコギ一本で男が歌っている。フォーク・ブルースのようだがコードもスケールもない。」

つまりこの「アコギ」は、

「アコースティックギターの略」

なんですね。アクセントは、おそらく「平板アクセント」で、

「ア/コギ」

なんでしょう。聞いたことがあるようなないような。この略語、私は使ったことはありません。(ギターを)弾いたことはありますが。

「アコギ一本で商売しようなんて、アコギな奴だな」

なんてね。Google検索(911日)では、

「アコギ」= 10900000

「アコギ一本」=338000

「アコギ、アコースティックギター」=177万件

でした。

(2012、9、11)

2012年9月12日 11:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4832「アッコの秘密」

 

映画『ひみつのアッコちゃん』が公開されました。(91日)綾瀬はるかさんの主演。なんだか懐かしい、赤塚不二夫の少女マンガが、どのように映画に仕上がったんでしょうか?興味があります。

それはさておき、この「アッコちゃん」本名は、

「あつ子」

です。しかし「アッコ」で思い出すのは「アッコにおまかせ」の、

「(和田)アキ子」

さんですね。こちらは「あつ子」ではなく「アキ子」。ともにニックネームは「アッコ」。これでわかるのは、「つ」と「き」に「母音の無声化」が起きているということですね。その場合、同じく「促音化」して、「アッコ」になるということです。

アッコというニックネームのの秘密は、「母音の無声化」でしたか!

(2012、9、10)

2012年9月11日 19:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4831「『狂わされた』か?『狂わせられた』か?」

 

「ミヤネ屋」のスタッフからの質問。

「予定を『狂わされた』でしょうか?それとも『狂わせられた』でしょうか?」

うーん、難しいが、元の形を考えればいいね。

「狂わされた」は「狂わす」

「狂わせられた」は「狂わせる」

が、それぞれもとになっているから、そこから考えればいいんじゃないかな。

辞書を引いてみると、ほとんどは「狂わす」は「空見出し」で、

「『狂わせる』を見よ」

になっている。ある辞書には、

「『狂わす』は『文語』」

になっていました。とすると「口語」(現代語)の形としては、

「狂わせる」

が主流。とすると、それをベースにした、

「狂わせられた」

が良いのではないかな?と答えておきました。

(2012、9、8)

2012年9月11日 14:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_159

『ドストエフスキーとマルクス』(河原宏、彩流社:2012、5、30)

2012読書日記101で取り上げた『秋の思想~かかる男の児ありき』(幻戯書房)と同じく、今年2月、突如として83歳の生涯を終えた私の大学のゼミでの恩師の著。5月下旬に開かれた「お別れの会」で2冊同時に頒布されたもの。

「秋の思想」の「かかる男の児ありき」というサブタイトルは、「自分もかくありたい」という意思表明であり、その希望のように先生は人生を送られたように「秋の思想」は読めたと書いたが、そう生きるための参考にされた「生き方の一つ」として、ドストエフスキーとマルクスも存在したのであろう。しかしこのタイトル、一般の人は(私も含めて)ふつう、「難しそう」と敬遠してしまうようなあ・・・単純だけど、重すぎるから。

河原先生は、「人間はどう生きるべきか」ということを常に考えていらしたのだなあと思う。それは、世の中には「どう生きるべきか」がわからない、考えないまま「のほほん」と生きている人が多いから。「それではいけないのではないか」と、ご自分は考えていたからではないだろうか。「どう生きるべきか」を考えるのは、普通は「青春時代」のことだ。その意味では、河原先生は最期まで「青春」を生きたと言うべきか。

そういえば河原先生の本で新・読書日記 2009244」で読んで書いた『青年の条件~歴史のなかの父と子』(河原宏、人文書院:19981025)の中で河原先生は「はじめの問い」として、ゴーギャンの代表作の一つ「われらはいずこより来たり、何者であり、いずこに行くのか」を取り上げて、この「人間は、何処から来て何処へ行くのか」はすなわち「歴史と未来」であり、その形は「父と子」に収斂するが、それを求めて葛藤するのが「青年」だ、というように話がつながっていった。

「自らが、どこから来てどこへ行くのか」のひとつ前は、「『父』がどこから来たか」。そうやって「歴史」はつながって来たし、つながって行く。その果てに「未来」があるという歴史観である。


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(2012、7、20読了)

2012年9月10日 13:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4830「シャンディーガフ2」

 

ちょうど1年ぐらい前、平成ことば事情4461で書いた「シャンディーガフ」の話です。

こないだスーパーで、「ショウガ」つまり「ジンジャー」のエキスを売っているのを見つけました。ひとビン400円。兵庫の芦屋で作っているものらしい。5倍濃縮だそうです。つまり、飲むときは5倍に薄めればいいんですね。

で、買って帰ってノンアルコールデーの月曜日、ノンアルコールビールにこの「ジンジャーエキス」を入れて5倍かまあ、適当に薄めて飲んでみたところ・・・

 

うんまい!

 

まったくもって濃いめのジンジャーエールだね!もちろんソーダ水で割ればジンジャーエールがご家庭でできます。

さっそく、翌日はビールでもやってみましたが、なかなかいける!アルコール分はあまり関係なく、のど越しの刺激がたまりません。これがあの、「シャンディーガフ」かあ。すっかりファンになってしまいました!結構、スカッとしますよ。少し甘めですが、おすすめです!

(2012、9、8)

2012年9月 9日 23:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4829「いつまで後輩を叱ればいいか?」

 

先日、後輩のアナウンサー(・・・と言っても入社23年目のベテランですが)から、ため息交じりに、

「いつまで、後輩を叱ればいいんですかねえ・・・」

と相談を受けました。それについて、こんな返事をメールでしました。

 

『日本を代表する宮大工の棟梁・西岡常一の最後の弟子である、小川三夫さんの語りを記した本、『棟梁~技を伝え、人を育てる』(小川三夫、聞き書き・塩野米松、文春文庫:20111101刷・20115152刷・単行本は20081)を読んでいたら、こんなことが書かれていました。

*「親方に怒られて十年。この十年で基礎を学ぶんだ。次の十年は世の中を知り、他の職人を知り、自らに気づくんだ。この間も怒られ、叱られ、文句を言われながら自分を磨くんだ。叱るのはここまでや。」

*「叱るときは、気づいたときにその場で素直に言ってやることや。小利口に後になってとかいうのではあかん。一番染みこむのは失敗したその時や。」

ということは、

「20年ぐらいは叱らないといかん」

ということかな。』

 

これは「宮大工」の場合ですが。

いまやアナウンサーも「宮大工」みたいなものですからねえ。「鼻濁音」なんて「伝統芸能」ですから、もはや。

叱るのにも、体力と愛情がないとできないんですよね、継続的にやるには。

(2012、9、8)

2012年9月 9日 20:32 | コメント (0)
2012_158

『ALWAYS地獄の三丁目 本当は怖い昭和30年代』(稲村貴、鉄人社:2012、7、24)

『週刊文春』の96日号のコラムで、評論家の宮崎哲弥さんが紹介していた本。いわゆるコンビニ本(おもにコンビニで売っている500円ぐらいのペーパーバック)です。実際、これが524円+税とは安い!大変勉強になりました。

映画「三丁目の夕日」がヒットした2005年ぐらいから、「昭和30年代ブーム」が巻き起こっている。「あの頃はよかった」と、主に昭和20年代生まれより年配の人たちの間に湧き起っているブーム。「ノスタルジー」を、昭和30年代以降生まれの我々もなんとなく感じ、それが若い頃の「夢」につながっているのだ。しかし、本当に昭和30年代はよかったのか?と、データの裏付けで考えると、かなり「ヤバイ」状態であったと。今からでは考えられないぐらい"不潔"で"危険"で"無茶苦茶な国"であったと。そりゃあ、現在の基準で見たら、そうなるよね。単純には比較できないと思うけど、なんでも「あの頃はよかった」としてしまうよりは、冷静に見ることも大事であるということを思い出させてくれる一冊。

(2012、9、6読了)

2012年9月 9日 16:27 | コメント (0)

新・読書日記 2012_157

『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか~超大国の悪夢と夢』(町山智浩、文春文庫:2011、12、10)

去年の年末に出たときに買っていたが、460ページもある分厚さに、読み始めるのを遠慮していた。が、そろそろ・・・と思ったきっかけは、まさにタイトルの「キャプテン・アメリカ」が出てくる映画『アベンジャーズ』を、夏休みの旅行中の飛行機の中で見たから。日本で公開される少し前で、まだ日本語吹き替えが付いていなかったが、「まあ、正義は勝つ!」というようなヒーローものだから、観てりゃわかるだろうと観たのだが、アイアンマンもハルクもキャプテン・アメリカもほとんど知らないものだから、全然、感情移入できない。特に「キャプテン・アメリカって、弱いやん!どこが正義のヒーローなん?」と思いながら。それで、旅行から帰って来てたまたま「あ、これ、キャプテン・アメリカについて書いてある本だ!」ということで読み始めたわけ。

アメリカの「悪夢」の部分の実態は、あまりマスコミには出てこないが、その実態がよくわかる本。あまりにもよくわかりすぎて気持ち悪くなるぐらい、子供は読んじゃ、ダメ。

特に宗教とセックス、ドラッグに関する実態はなかなかわからない部分が多いが、最近ドラッグがかなり日本でもはびこっているように、ニュースを伝えていて思うが・・・。

そうそう、旅行の往復の飛行機の中で観た映画、今回はなんと10本にも上りました!この一年ぐらいで観たかったけど観逃していた映画、ほとんど観たな。

1、アイアン・ウーマン(「マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙」)

2、ハラがコレなんで

3、ウディ・アレンのドキュメンタリー(タイトル忘れた)

4、僕たち急行 A列車で行こう

5、ものすごく近くてありえないほどうるさい

6、ロボジー

7、三丁目の夕日64

8、アベンジャーズ

9、バトルシップ(戦艦で戦う奴、日本とアメリカ合同でエイリアンと)

10、テルマエ・ロマエ(原作の漫画は読んでいるが、なかなか映画化は難しいなあと)

『ハラがコレなんで』は、あり得なくてバカらしくて、力強くて面白かった。小林信彦が言うように、仲里依紗はコメディエンヌだな。ちょっと鼻が上向きのところがいいのかな。それにしても仲里依紗、NHKで今やってるドラマ「つるかめ助産院」でも妊婦役。何人産むんだ?

『僕たち急行 A列車で行こう』は森田芳光監督の遺作。ほんわかしていて、森田監督は「鉄道おたく」だったのかな?と。

「ものすごく近くてありえないほどうるさい」は、「9、11」で父親を失った少年と、祖父や母親の交流。涙なしには見られない。胸が痛い。

「ロボジー」はフジテレビ製作の映画で、全然知らない映画だったが、まあこれもあり得ない話だけど、「中の人」のおじいさんの悪人ぶりに、結構笑えました。

 

 

 

(追記)

飛行機の中で、もう1本観てました。

「スノーホワイト」

「白雪姫」ですね。CG使ったら、童話もすごいことになるなあ。

 


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(2012、9、5読了)

2012年9月 9日 11:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4828「終戦の日の新聞の日の丸」

 

平成ことば事情607でまとめた、昭和38(1963)の第1回からの毎年815日に行われる「全国戦没者追悼式」の新聞記事の写真。これに「日の丸」が」写っているかどうかですが、「平成ことば事情607」とずいぶん前のところに毎年「追記」してきましたが、も10年近くたつので、新しいブログ版の方に表を転記します。

○が日の丸の写った写真が載っていた年、×は写っていなかった年です。そして、※印は、写真そのものが載っていなかった年です。

 

 

 

  読売

  朝日

  毎日

  産経

  日経

1963

(38)

    

   

   

   

   

64

(   39)

    

   

   

   

   

65

(   40)

    

   

    ×

   

    ×

66

(   41)

    

   

   

    ×

    ×

67

(   42)

    

 ※ ×

   

   

    ×

68

(   43)

    

   

    

   

    ×

69

(   44)

    

    ×

   

  ※×

   

70

(   45)

    

    ×

   

   

    ×

71

(   46)

    

   

   

   

    ×

72

(   47)

    

   

    ×

   

    ×

73

(   48)

    

   

    ×

   

   

74

(   49)

    

   

   

   

    ×

75

(   50)

    

    ×

   

    ×

    ×

76

(   51)

    

   

   

   

    ×

77

(   52)

    

    ×

   

   

    ×

78

(   53)

    

    ×

   

   

    ×

79

(   54)

    

    ×

    ×

   

    ×

80

(   55)

    

    ×

   

  ※×

    ×

81

(   56)

    

   

   

   

   

82

(   57)

    

   

    ×

   

    ×

83

(   58)

    

   

   

  ※×

    ×

84

(   59)

    

   

   

    ×

    ×

85

(   60)

    

   

   

    ×

    ×

86

(   61)

     ×

    ×

   

   

    ×

87

(   62)

    

   

   

    ×

    ×

88

(   63)

    

    ×

    ×

    ×

    ×

89

(  1)

     ×

    ×

    ×

  ※×

    ×

90

(   2)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

91

(     3)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

92

(     4)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

93

(     5)

     ×

    ×

    ×

  ※×

    ×

94

(     6)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

95

(     7)

     ×

    ×

   

   

    ×

96

(     8)

     ×

    ×

    ×

    ×

   

97

(     9)

     ×

    ×

   

   

    ×

98

(   10)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

99

(   11)

     ×

  ※×

    ×

  ※×

  ※×

2000

(   12)

     ×

   

    ×

    ×

    ×

1

(   13)

     ×

    ×

    ×

    ×

    ×

(   14

   ×

  ×

  ×

  ×

  ×

(   15)

   ×

 ※×

  ×

  ×

  ×

(   16)

   ×

  ×

  ×

 ※×

  ×

(   17)

   ×

  ×

  ×

  ×

  ○

(  18)

   ×

 ※×

  ×

  ×

  ×

      7 

( 19

   ×

  ×

  ×

  ×

  ○

      8  

( 20

   ×

  ×

  ×

  ○

  ○

      9  

( 21

   ×

  ×

  ×

  ×

  ○

     10

( 22

   ×

  ×

  ×

  ×

  ×

11

( 23

   ×

  ×

  ×

  ×

  ×

12

( 24

   ×

  ○

  ×

  ×

  ×

  

 

  250

 182

 222

 203

  105

 

 

読売

朝日

毎日

産経

日経

ただし、朝日の1974年(昭49)は、1面ではなく2面に写真が載っていました。

また、日経の1968(43)は、1面ではなく7(社会面)に写真が載っていましたが、日の丸は写っていませんでした。

 

最後の合計というのは、50回のうち日の丸が写った写真を載せた回数の総計で、  )内は、そのうち 平成になってから日の丸の写真を載せた回数です。

 

で、今年2012年のトピックスは、なんといっても、

「朝日新聞が日の丸の写真を載せた」

ということです。朝日が「日の丸」の写真を載せたのは、平成に入ってからは平成12年(2000年)以来12年ぶり2度目のことです。2000年は、戦後55年という節目の年、また7月(21日から23日)には「沖縄サミット」が開かれた年でした。そういった「節目」だったのでしょうか。それにしても、

「今年はなぜ『日の丸』を載せたのか?」

しかも、5紙の中で「朝日新聞だけ」が「日の丸」の写真を載せています。戦後67年・・・はキリが悪いし・・・と思ったら、おそらくこれが正解でしょう、

 

「今年は『前億戦没者追悼式』が『50回目』の節目だったから」

 

ではないでしょうか?

一方で「読売新聞」は頑なに、「平成」に入ってからは日の丸を載せません。日の丸といっしょに写す天皇皇后両陛下の写真は載せません。これは一貫しています。「昭和」の時代は「昭和61年(1986年)」の1回だけを除いて、「すべて日の丸を載せていた」のに、です。意図は明らかでしょうね。

(2012、9、8)

2012年9月 9日 10:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4827「どがいしょなし」

 

大阪弁の強調語のひとつに、

「ど」

があります。これが頭に付く言葉で思いつくのは、

「どたま(=頭)、どあほ、どべた(=ビリ)、ど根性、どスケベ・・・」

などがあります。これらはすべて「ど」のあとの音は濁らない、清音です。

しかし、一つだけ、濁る言葉があります。それは、

「どがいしょなし」

です。これは、「甲斐性なし」に「ど」が付いた強調語です。

とてつもなく甲斐性がないような気がします。究極の罵倒語でしょう。

「ど」の次が、か行・さ行・た行・は行の場合に、濁るかどうかを考えてみると、普通は「濁らない」ですね。なぜ、この「どがいしょうなし」は濁るのでしょうか?

それを考えると夜も眠れない。

Google検索では(97日)、

「どがいしょなし」=  80件

「ど甲斐性なし」 =4240件

「ドがいしょなし」=   0件

「ド甲斐性なし」 =5830件

でした。濁らないのも検索してみましょう。

「どかいしょなし」 =62件

「ドかいしょなし」 = 5件

「どかいしょうなし」= 8件

「ドかいしょうなし」= 0件

 

うーん、「甲斐性」が漢字だと、濁るのか濁らないのかわからないな。平仮名部分はどちらも件数が少なくて、

「濁る:濁らない=80:62」

これではあまり比較はできませんね・・・。

いずれにせよ、このようには呼ばれないようにしないといけません、ね。

(追記)

平成ことば事情4660「ドハンサム」などもお読みください。

 

(2012、9、7)

2012年9月 8日 20:13 | コメント (0)

新・読書日記 2012_156

『東京から郊外が消えていく!~首都圏高齢化・未婚化・空き家地図』(三浦展、光文社新書:2012、8、20)

著者は、マーケティングの手法でいつものように「現代日本」を分析、予言していく。

「空き家地図」は、カラーの地図でけっこう衝撃的。こんなになったら地価なんてどうなるのよと思ってしまった。

「郊外の都市化」を言うが、郊外が都市化すれば、「郊外」ではなくなるのではないか!?

世代によって「あるべき町の姿」の理想が違うこと、全体のパイが縮んでいくこと、そういった分析から、著者は「こうなればいいのではないか」という"理想"の提言をしている。若者は未来を担うけれども、現在は高齢化が進んでいるのであるから、その高齢パワーを活用できないか?といった視点での意見には、耳を傾けるべきこともたくさんあるなと思った。


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(2012、8、30)

2012年9月 6日 11:43 | コメント (0)

新・読書日記 2012_155

『ごきげんな人は10年長生きできる~ポジティブ心理学入門』(坪田一男、文春新書:2012、7、20)

「笑う門には福来る」と言いますし、笑うとキラー細胞(?NK細胞?)が増えて、がん細胞もやっつけられるだとか、いろいろそういった話は聞いたことがあったけど、この本もそんな感じかな?と思いながら読んだ。ひとことで言うと「幸せな人は長生きする」という話でした。

中でも面白かったのは、2002年のノーベル経済学書を受賞したダニエル・カーネマン博士(金男?)の論文に「年収と幸福」に関するものがあって、それによると、アメリカ人45万人を対象にした調査で、年収が多ければ多いほど「生活評価」は高まるものの、「幸福度」は年収7万5000ドル(=日本円にして約600万円=1ドル80円換算)で頭打ちになるのだという。「そもそも人は他人との比較によって、たやすく幸せを見誤る」と言う。そして、「幸せと感じられる時間」や「不機嫌な時間」が日常生活の中でどのくらいあったかの調査では、「幸せ」と最も大きな相関関係があったのは、「睡眠」と「上司」だった!「結婚」が幸せに与える影響すら、「上司」の比ではないという。いい上司だと幸せで、悪い上司だと不幸せ。そんなに「上司」は影響があるのか・・・。どうですか?みなさん、幸せの度合いは?それと「幸せは伝染する」と、2008年に社会学者のクリスタキと政治学者のファウラーが発表した論文は述べているという。ふーん。


star3_half

(2012、8、29読了)

2012年9月 5日 17:38 | コメント (0)

新・ことば事情

4826「昭和な人」

 

電車の中で、

「昭和な人やなー」

という言葉が耳に入ってきました。

「めっちゃ昭和や」

という声も。40代半ばぐらいの、私より少し若いぐらいの人たちのグループでした。ここでの「昭和な」は、

「レトロな」「古風な」「古い」「時代遅れの」

という意味で使われています。ところで、

「明治の人」

という表現は「昭和」になっても使われました。これは、

「一本気な」「頑固な」「古風な」

というような意味で使われていました。その一方で、

「大正の人」

という物言いは、昭和の時期にあったのでしょうかね?あまり耳にしなかったように思うのですが。「大正」は15年弱と期間が短かったから、それほどそういった表現は定着しなかったのでしょうか?

そう考えていたある日、「アッ」と思い出しました。亡くなった、大正生まれの祖母からもらった手紙に、祖母が今度「同窓会」に行く話があって、そこで、

「大正の娘さんたちと楽しんできます」

といった表現が、たしかあったのです。

「大正の人」もあったのですね、きっと。

(2012、9、3)

2012年9月 5日 11:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4825「『情報』という言葉」

『現代史のリテラシー~書物の宇宙』(佐藤卓己、岩波書店:20121131刷)という本を読んでいたら、

「情報」

という言葉の語源について書かれていました。数年前、知り合いに、

「江戸時代には『情報』という言葉はなかった。一体いつから使われるようになったかが知りたい」

と聞かれたことがあって、答えがわからずそのままになっていたのですが、こんなところに答えが!

それによると、「情報」という言葉は、

「敵情報告」

略語として明治時代に創出された「軍事用語」で、初出例は、

「陸軍参謀本部が1876年に訳した『仏国歩兵陣中要務実地演習軌典』」

であり、新聞では「日清戦争報道」から使用が始まったのだそうです。

ということは1894年からか。まだ118年の歴史しかないのか。ずいぶん新しい言葉なんですね「情報」って。

森鴎外訳のクラウゼヴィツツ『大戦学理』には、

「情報とは、敵と敵国とに関する智識の全体を謂ふ」

とり、「諜報(intelligence)」の意味で使われ始めたといいます。明治期の英和辞典で「information」の訳語には、「消息・知識」が当てられていて、「情報」は見当たらないそうです。一般の国語辞典に「情報」が登場するのは、1904年に日露戦争のロシア人捕虜を管理する「俘虜情報局」が設置された後だそうです。

1918年にイギリスで敵国への戦時宣伝を統括する国家機構、

Ministry of Information

が設立されましたが、当然ながら日本では「知識省」ではなく実態に即して、

「情報省」

と意訳され、ここに、

information=情報」

の翻訳が成立したのだそうです。ということは、まだ100年たってないんだ・・・。

以上、佐藤先生の本からの「情報」でした!

(2012、8、27)

(追記)

「戦争報道の内幕」(フィリップ・ナイトリー著・芳地昌三訳、中公文庫)を読んでいたら、

「英宣伝機構の発展」という項がありました。それによると、第一次世界大戦の時期に、

「イギリスの宣伝機関は次第に発展を遂げ、やがて世界の羨望の的となった。当初は議会戦争目的委員会で発足し、やがて保険局長のオフィスに属するウェリントン・ハウス内に設置された小さい部門として動きはじめた宣伝活動―――「外務等機密情報部」の歳費で賄われたーーーだったが、イギリスは終戦までに、これをレッキとした宣伝機構に仕立て上げていた。約二0年後ゲッベルスは、これをモデルにドイツ版宣伝機関を創設したのである。」

「イギリスでは、議会戦争目的委員会と急場しのぎにつくり上げた報道部とは発展的に解消して情報局へと拡大し、最終的には情報省(長官はビーバーブルック卿)となった。同省には、互いにライバル関係にある部門があまりにも多かったので、今日でもそれを分類するのは困難である。」

あ、そうか「MI5」とか「MI6」とか、あれですね!スパイ映画だな。「保健局」のオフィスに「情報」が必要だったのは、「保険」の料率を決定するには「情報」が不可欠だったのですね。ナポレオンの戦争の時代に、いち早く「情報」(=戦況)を手に入れて巨万の富を築いたのが「ロスチャイルド家」と聞いたことがありますし、その時代(1700年代の終わりから1800年過ぎ=18世紀後半から19世紀初頭)には、すでに「情報」の実態は、欧州では確立されていたということでしょう。しかし、同時期の日本は江戸時代、まだ「情報」という言葉は伝わっていなかった(実態はあったかもしれないが)のでしょうね。

英国の「情報局」「情報省」あたり訳すのに、日本でも「情報」という訳語が生まれたのでしょうね。

(2012、9、4)

2012年9月 4日 19:47 | コメント (0)

新・ことば事情

4824「ロンドンオリンピックの開会式」

まだ、この夏の思い出の余韻として残っている「ロンドン・オリンピック」。数々の競技の奮闘ぶりもさることながら、やはり「開会式」が印象深かったです。ポール・マッカートニーが「ヘイ・ジュード」を歌ったり、ミスター・ビーンが出てきたり、イギリスには世界的に有名な人たちが、たくさんいるんだなあ、と改めて。

で、注目されていた聖火リレーの「最終ランナー」ですが、みんなが知っている有名人ではなくて、

「無名の(?)若いアスリート7人」

が登場しました。若者が最終ランナーを務めるのは「未来へスポーツの火をつなぐ」という意味があるのでしょうが、なぜ「7人」だったのか?

これは「7」という数字の持つ意味が関係するのではないでしょうか?たとえば、英国は歴史的にみると、

「七つの海を治めた大英帝国」

でありますし、「七つの大陸」「一週間は七日」「色は七色」(=色を7つに分けたのは、イギリスのアイザック・ニュートン)「ラッキーセブン」などなど。

あ、そうだ開会式に登場したのも、

「007」

でしたね。「ラッキーセブン」で、「7」には縁起のいい数字ということもあるんでしょうね。そんなことを考えながら、開会式を見ました。

(2012、9、3)

2012年9月 3日 14:44 | コメント (0)

新・ことば事情

4823「緊張極度」

 

20101126日毎日新聞の見出し。

「2次砲撃備え緊張極度」

あ、これは北朝鮮の延坪島砲撃の時の記事ですね。

本来なら、

「極度に緊張」

という語順するところですが、見出しとして字数を減らすために、まるで「四字熟語」のようにしてしまったのですね。その際に、

「極度緊張」

というふうに、「修飾語(形容動詞)+名詞」にはせずに、語順を入れ替えて、

「緊張極度」

というように「名詞+修飾語(形容動詞)」としたと。意味は分かるが、語形としてはなんだかちょっとおかしいような。

でも、意味がわかって「ん?なんかおかしい」と注目を浴びたとしたら、「見出し」としては十分に役割を果たしているとも言えますね。

(この文章を書きかけたのは、2年前。その時に付けた番号は「平成ことば事情4248」でした)

(2012、8、31)

2012年9月 3日 11:40 | コメント (0)