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『道浦TIME』

新・ことば事情

4813「しんでも」

7月、8月のこの時期は、

「大学のコマーシャル」

が結構流れています。というのも、夏休み期間中に「オープンキャンパス」を行って、「受験生集め」に努める大学が多いからです。少子化の現在、学生を確保することは、私立大学にとっては死活問題なのです。

でも、大学は「モノ」を売っているわけではありませんので、なんとなく「コマーシャル」と結びつかない感じがあるのも事実。昔、「銀行のコマーシャル」が解禁になった時に感じたのと同じような違和感があるのも確かです。その意味では、「イメージCM」なんですね、大学のコマーシャルは。

そのコマーシャルを見て、小学2年生の娘がひとこと。

「大学のコマーシャルは、しんでもええやろ」

えー!

「死んでもええやろ」

って、どういうこと?コワイなあ。もう。

少し考えて、「ああ、そうか」と意味が分かりました。大阪弁で言うなら、

「せんでもええやろ」

ですね。共通語で言うなら、

「しなくてもいいだろう」

です。「しない」を大阪弁では「せん」、これが私の住んでいる大阪の枚方あたりは、ちょっと京都弁の影響も強くて「しん」になっているのですね。私なら「せん」と言うところを、枚方生まれで枚方育ちの娘は「しん」と言うと。びっくりしたなあ、もう。

これと同じようなことは、現在中学3年生の息子の時にも感じたことがありました。今から9年前の2003年の9月に書いた「平成ことば事情1395 しんくても」を読むと、当時5歳の長男の言葉で

「電話しんくても安いで」

というのがあり、意味は、

「電話しなくても安いよ」

この「しなくても」→「しんくても」という否定の「ない」→「ん」への変化について書いています。

共通語の「来ない」を大阪弁では「けーへん」と言うのに対して、京都弁では「きーひん」と言いますが、母音に関して大阪は「エ」の文化、京都は「イ」の文化なのかもしれません。

その関連で先日気付いたのは、枚方市の地名で、

「三栗」

と書いて、

「めぐり」

と読むところがあります。これに関しては「平成ことば事情4018『三栗』を『めぐり』と読む理由」に書きました。あれは「大阪の事情」に関して書いたのですが、京都は「イ」ということも加味すると、もともと共通語でも「三」は「み」だとしても、それに"京都的要素"を感じた大阪側が、

「ここは京都とちゃう(違う)で、大阪やで!」

という主張をせんがために、わざわざ変えなくてもいい「三(み)」という音(おん)を、「エ」の母音を持つ、「め」に変えてしまったのではないか?という勘繰りをしてしまいました。そこまで勘繰りを、

「しんでも」ええで。

(2012、8、7)

2012年8月14日 11:21 | コメント (0)