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『道浦TIME』

新・ことば事情

4822「激泣き立ち直りソング」

ケータイの画面に出ていた言葉に目を奪われました。

 

「激泣き立ち直りソング」

 

西野カナさんの曲に対して付いた「あおり」のフレーズですが、この、

 

「激泣き」

 

って、すごい言葉ですね。しかも「激泣き」していたのが、すぐに「立ち直る」音楽なんですか?その曲の力もすごいですね。

最近「ゲリラ豪雨」とか「ゲリラ雷雨」とか「竜巻」とか、自然現象も激しいけど、音楽の世界も・・・と言うか「若者の心理状況」も「激泣き」したかと思うともう立ち直っている、激しいんですね。びっくりしました。

Google検索では(831日)

「劇泣き」=3万5500件

でした。

(2012、8、31)

2012年8月31日 22:50 | コメント (0)

新・ことば事情

4821「とむね」

8月29日のお昼のニュースを見ていたS記者が質問してきました。

「いま、MBSのニュースを見ていたら『10棟』を『とむね』って言ってたんだけど、そんな読み方、あるのかい?」

ああ、そうですか、「10棟」を「とむね」

日本語の数の数え方には大まか言うと、

「漢語系」「和語系」

の2つがあります。「漢語系」は「いち、に、さん、し・・・」、「和語系」は「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・」ですね。

ですから「10棟」を「漢語系」で読めば、

「ジュウムネ」

「和語系」で読めば、

「とむね」

とこうなる。ただ、数え方の最近の傾向としては、「和語系」で読むのは、「ひと」「ふた」まで「3」からは「漢語系」の「さん」と読むことが多いですね。

「10」を「と(う)」と読むのは、

「10の市町村が参加して」

というような場合に「10」を「とう」と読むことがあります。「ジュウ」とも読みます。それと、「針」で「10針」を、

「とはり」

と読む場合もありますが、まあいまや原則、「ジュウ」と読むでしょうなあ、ということで。で、MBSは誰が読んでいたんですか?

「ベテランの男のアナウンサーだったよ」

「柏木アナウンサーだ」

と言うので、その場面を私は見てなかったのですが、柏木さんにメールをしたところ、

「わはははは~。さすがはYTV報道部ですね!!!実は、わが社の放送用語ハンドブックでは『十棟=トムネ。最近はジュウムネとも読む』となっています。別にそれにこだわっているわけではありませんが『ここはひとつ、頑固にやっちゃるか!』と報道デスクに宣言して犯行に及びました。古い表現を何でもかんでも『本来は~』というのは好きではありませんが、何でもかんでも『十=ジュウ(ないしはジウ)』と決め付けて言葉のプロが読むのもいかがなものかという反逆です。」

という愉快なメールが届きました。

(2012、8、30)

2012年8月31日 21:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4820「雨くさい」

朝、子供の登校時に玄関から外に出ると、湿ったぬるい空気がモワーッと広がってきました。きょうの天気予報では、夕方には雨が。その空気を感じ取った小学2年生の娘が一言。

「雨くさい」

ひえ?「あめくさい」?そんな所に「くさい」を使いますか?小学2年生は。大人だったら、

「雨の匂いがする」

と言うところなんですが。

「匂いがする」=「○○くさい」

なんですね。でも「水くさい」は「水のにおいがする」という意味ではないことも教えておかないといけないなと思いました。

あ、カサ、忘れずに持って行ってね!

(2012、8、30)

2012年8月31日 19:48 | コメント (0)

新・読書日記 2012_154

『ラジオのこころ』(小沢昭一、文春新書:2012、8、20)

関口宏さんの「テレビ」に関するエッセイを読むのと並行して、この小沢昭一さんの「ラジオ」番組をそのまま文字化した一冊も。テレビとラジオの違い、やはりラジオの方が細かく描写しているなあという感じ。きっちり構成して。40年も続く番組を、実は私は聴いたことがない。ごめんなさい。「○○のこころだあ!」という最後の決め言葉の意味は何だろうあ?と。「ココロの親分」というのが赤塚マンガのキャラクターにいたけど、あれの元祖は小沢さんなの?AKBやTTPなど最新の話題をまな板に載せて捌いていく、架空の宮坂さんが活躍する、創造力と話術の世界なんだなあ、と。ラジオにCGはいらないもんね。でもCG並みの話を、自分の頭の中だけで作れます、タダで。あ、タダではありませんが。


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(2012、8、26読了)

2012年8月31日 18:45 | コメント (0)

新・読書日記 2012_153

『テレビ屋独白』(関口宏、文藝春秋:2012、6、30)

関口宏さん、なんと自身"初"の著作らしい。本、いっぱい書いていそうなのですが、意外でした。ご自身のイラストもふんだんに入っていて、それほど文字ばかりではなく、ゆるい感じの読みやすい本。テレビ界で50年=半世紀生きてこられた著者の、50年を概観しての感想をまとめた本ですね。テレビの特性、良い面・悪い面を書いているが、その中で呈された「苦言」に耳を傾けるべきものがあった。

『相手のコマーシャルタイムとずらして敵の客を引き込む。よく考えれば、そこで引き込んだ視聴者も、自分のところのコマーシャルタイムには、また敵にとられるという「結果チャラ」のはずだと私は思うのだが...そうせずにはいられないのが最近のテレビ屋であって、どこかゲーム感覚に似ているのかもしれないが、残念ながら、今ではこの戦法は常識化しつつある。』

『「内容よりもテクニック」に走る、今のテレビの「矛盾」が垣間見える』

『「瞬間構成力」。つまりこれは、「起」「承」「転」「結」とよく言われる文章の基本的な構成方法のことで、それを瞬時に判断する能力ということになる。』

『ヒットラーの右腕と言われたゲッペルスが、プロパガンダには、映画とラジオが最適だと見抜いて、盛んにこれを利用した。そしてゲッペルスはこうも言ったと伝えられる。「まずは女だ。女を取り込めば子供はそれに従う。その母子を見て、やがて男どももついてくる。」と』

『マクルーハンが盛んに指摘していたテレビの特質は「ハプニング」だ』

『いかにもあざとい、騙しに近い手は、使ってほしくない。ハプニングとは一寸ニュアンスが違うかもしれないが、「この後すぐ!」「この後すぐ!」と言って、視聴者を四時間も五時間も待たせるなんてことは、言語道断である。』

『テレビの本質をまとめておこう。それは端的に言って、「疑似」「生」「ハプニング」に集約できそうだ』

『過当な視聴率競争の中で、知らぬ間にテレビ屋が陥ってしまう罠のようなもので、一度取り込んだお客、視聴者を離さないように離さないように、これでもか、これでもかとテクニックを駆使する』演出術の愚かさであって、よりショッキングに、よりオーバーに表現する、慢性テレビ症候群とでも名付けたい。たとえば、なんでもない出来事を、オーバーなナレーションと大袈裟なBGM、つまり音楽の効果で、時にはなんでもない小さな出来事を、お涙頂戴物語り風に仕上げてしまう、安手のサギに近い手だ。』

『よく報道番組などでみられるカギ「 」(問題となっている本人が述べた言葉を、原稿上、「・・・」で表す手法で、業界では、カギカッコと読んでいる)に声優さんを使う演出法も、その範疇に含まれると私は思っている。つまり、上がってきた原稿にカギ「 」の言葉があると、今では自動的に、声優さん、もしくはAD、アシスタントディレクターあたりに、ドラマ仕立てに読ませてしまう演出法のことで、殺人事件の容疑者が、「私はやっていません」というカギ「 」の原稿を、声優さん、もしくはADの、ドラマ仕立てのセリフにしてしまった場合、どこまで真実に迫れるのかは疑問である。さらに言えば、セリフにしてしまうことによって、視聴者には断定的に伝わってしまい、真実とおよそかけ離れた判断を強いてしまあう場合も出てくるはずである。(中略)ただ、ナレーターが、感情を入れず、たんたんと「私はやっていません」と読めば良いのだ。そしてそのニュアン、受け取り方は、視聴者にお任せすれば良い。』

『字幕、スーパーの多用も、視聴者のイマジネーションを掻き消してしまう場合がある。(中略)娯楽番組ならともかく、正確を期すべき情報系の番組で、これでもか、これでもかと字幕を出されると、辟易してしまう視聴者もいることを忘れるべきではない。(中略)昔はここまでやらなかった。せいぜい聞き取り難い方言、訛りのフォロー、どうしても説明しておかねばならないメッセージ程度にしか使われなかったし、編集機が発達していなかったから、スーパー一枚一枚にコストがかかり、何とか予算を最低限に抑えようと頑張っていたのだが、それで充分事足りたし、画面にも、それこそ「品」のようなものが漂っていたように思われる。そもそもテレビとは映像メディアなのであって、絵が主役。それをフォローするのが音であり、スーパーはほんの付け足し程度のツール、つまり道具なのだ。それが字だらけとあっては、海老がどこにいるのか分からないコロモだらけの天婦羅になってしまうのである。』

なかなか辛辣な批判だが、「その通り!」思う部分と、「そうは言っても、ねえ・・・」という部分の両方があった、「テレビ屋」として。


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(2012、8、26読了)

2012年8月31日 15:44 | コメント (0)

新・読書日記 2012_152

『倍音~音・ことば・身体の文化誌』(中村明一、春秋社:2010、10、30第1刷・2011、12、20第5刷)

『ジュンク堂の書店員が売りたかった本』という本の中で推薦されていた本。「徹子の部屋」にゲスト出演したタモリさんが、愛読書として推薦して売り上げが伸びたとか。

著者は尺八奏者。

「倍音」には興味があるが、正直、難しかった。「整数次倍音」がいわゆる「倍音」で、「非整数次倍音」はいわゆる倍音ではない音なのかな。そのあたりがはっきりしなかった気がするので、入り込めなかった。残念。

「整数次倍音」=神々しさ、宗教性カリスマ性を感じる

「非整数次倍音」=エネルギーが少なくて済む。超高周波と呼ばれる高次倍音も出せ、この超高周波を聞くと、α波をはじめ脳内で快感となる抗ストレス・ホルモン、免疫機能向上ホルモンを出すことが分かっているとか。うーん、難しいや。


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(2012、8、27読了)

2012年8月31日 11:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4819「中村吉右衛門」

奈落への転落事故に遭った市川染五郎さんの代役に、染五郎さんの叔父さんが決まったというニュースを、8月29日の「ミヤネ屋」でお伝えしました。そのテロップをチェックしていたら、

「中村吉衛門」

と書かれていました。最初は見逃してしまったのですが、あれ・・・よく見ると・・・

「右」

が抜けているではないか!正しくは、

「中村吉右衛門」

です。「吉衛門」でも「きちえもん」と読めることは読めますが。

それにしても、なぜ「右」が入って「えもん」と読むのか?「右」が入ったら、

「うえもん」

ではないのか?と考えたときに、あ、そうか!と思い当りました。

もともとの発音は、「キチエ(e)モン」ではなく、

「キチウェ(we)モン」

だったからではないか?その名残りとして、表記には「ウ」に当たる「右」が残っているのではないか?ということです。たぶん、そうなんじゃないかなあ。だから「右」は必要なんだよね。

(2012、8、30)

2012年8月31日 02:35 | コメント (0)

新・読書日記 2012_151

『オーケストラ再入門~シンフォニーから雅楽、ガムラン、YMOまで』(小沼純一、平凡社新書:2012、8、10)

内容はよかったが、ちょっと私には難しい部分も多かったので、☆半分減らして3つ半。

帯に著者と坂本龍一のカラー写真が載っていて、てっきり二人の「対談」が載っているかと思ったら、なかった。これはちょっとだまされた感じあり。帯の言葉を寄せてくれただけかよ、と。

改めて「オーケストラとは何か?」という根源的な問題を、哲学的に(?)考えてみましたというような一冊。1章から5章までは、そういった哲学的な感じ。6章で「映画の中のオーケストラ」について述べているが、これが「映画案内」のようでよかったと思う。


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(2012、8、27読了)

2012年8月30日 22:42 | コメント (0)

新・読書日記 2012_150

『最高に贅沢なクラシック』(許 光俊、講談社現代新書:2012、6、20)

読み始めて、なんて嫌味なキザ野郎なんだと。しかし実はそれは、偽悪的なポーズではないかと感じた。帯には「都市と劇場の味わい方」と大きな文字が。

著者とともに香港、オーストリア、イタリア、ドイツ、フランスと「地元のオーケストラ」の音楽を求めて旅しながら、その地の音楽と音楽家、演奏家と町の紹介を交えつつ、本当に"知的な旅行"をしている気分になれる。しかし、たどり着いたのが、なんと日本・青森は六ヶ所村・・・。文明とクラシック音楽の関係について考えてきて、最終章が六ヶ所村。この地で行われた鬼神のようなポゴレリチの破壊的な演奏、私も聴いてみたかった。そしてまた、旅は始まる・・・。


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(2012、7、14読了)

2012年8月30日 20:41 | コメント (0)

新・読書日記 2012_149

『くちびるに歌を』(中田永一、小学館:2011,11、29第1刷・2012、1、30第4刷)

長崎の五島列島の高校合唱部が、Nコン(NHK合唱コンクール)に挑む青春物語。タイトルがいい。内容は、「ああ、これは中学か高校時代に読んだらよかったな」という感じ。同じく青春物では、この間読んだ「ボックス!」のほうが、年を取ってから読んでも入り込める感じがした。この小説は、主語が知らない間に変わっていて、あまりストーリーが頭の中に入って来なかった感じがする。そこを整理すると、もっと物語に入り込めるのではないかという気が。。。こちらの読解力が低いのかもしれないが・・・個人的には入り込めなかったというのは事実。テーマは、私も合唱をやっているので、とても興味のあるものだった。「2012年本屋大賞ノモミネート」という触れ込みだが、本屋さんの店員さんにも年齢の幅があるし、好みの違いもあるからね。著者も1978年生まれと若い人。若い感性ですね。


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(2012、8、27読了)

2012年8月30日 18:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4818「乳がん検診とポイント」

妻に届いた「乳がん検診」の案内。いわゆる、

「マンモグラフィー」

ですね。そのお知らせの紙の下の方に、こんな文字を見つけて驚きました。

 

Tポイントがつきます」

 

え!乳がん検診を受けるとポイントがたまるの!

すごいなあ。最近のポイントは。

 

ポイントを・・・というかマイレージをためることを第一目的に飛行機に乗る人たちがいるという話を、以前、新聞で読んだことがあったけど、こうなってくると、ポイントをためるために「がん検診」を受ける人たちが増えるのかもしれませんね。日本人はポイントって、本当に好きなんだなあ。世界中、こんな感じなのかなあ。検診もポイントがたまるとグレードアップができたりして・・・。

 

そのうちあれですね、「お葬式」とかにもポイントが付くようになって、「あの世」へもマイレージで行けるようになって・・・三途の川の渡し賃もクレジットカードで払えて、ポイントがたまって、「ビジネスクラス」にグレードアップしてくれたりして。

三途の川の渡し賃って「六文」でしたっけ?地獄の沙汰も金次第。「六文銭」といえば、あれですね、真田家の旗印ですね。「上條恒彦と六文銭」、「出発(たびだち)の歌」。そうかあの「旅立ち」って、「あそこ」への・・・。「あの世」までは何マイルでしょうか?マイル・・・参る・・・。

 

お彼岸が近付いてくると、もう秋でございます。(芥川龍之介、「蜘蛛の糸」ふうに)

(2012、8、30)

2012年8月30日 14:50 | コメント (0)

新・読書日記 2012_148

『ボックス!下』(百田尚樹、太田出版:2010、3、31第1刷)

文庫。単行本は2008年に出ていました。

いやあ、久々にむさぼるようにして読んだ小説。青春はいいなあ。

冒頭の(上巻)「電車の中のケンカシーン」なんか、ボクシングの「ボ」の字も知らない私が、思わず拳を握りしめたもんなあ・・・。最後のところ、オチは言いませんが、最後まで楽しめることは請け合います!ロンドン五輪の前に読んでおけば、もっと良かった。


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(2012、8、22読了)

2012年8月30日 12:38 | コメント (0)

新・読書日記 2012_147

『ボックス!上』(百田尚樹、太田出版:2010、3、31第1刷)

文庫本。単行本はもっと前に出ている。「永遠の0」の百田さんの本で、存在は知っていたが、タイトルの「ボックス」の意味は知らなかった。ボクシングで2人の選手が戦う際にレフェリーが「ファイト!」と試合再開を告げるが、アマチュア・ボクシングでは「ボックス!」(ボクシングしろ=戦え)と言うそうだ。最近はプロボクシングでも「ファイト」よりも「ボックス」と言うようになって来ているらしい。ということで、大阪の高校アマチュアボクシングを題材にした青春物。友情、スポーツ、淡い恋、死、夢・・全部詰まっています。上下2巻、夢中になって読みましたよ。お盆に、中学時代の同級生と一緒に飲んだ時に「これ、絶対ええで!これ、読んでたから、ロンドン五輪のボクシング、見ててようわかったもん」と勧められた本です。


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(2012、8、20読了)

2012年8月30日 10:37 | コメント (0)

新・読書日記 2012_146

『テレビは何を伝えてきたか~草創期からデジタル時代へ』(植村鞆音・大山勝美・澤田隆治、ちくま文庫:2012、6、10)

植村鞆音氏は1938年生まれ、元テレビ東京常務で、「直木賞」の直木三十五の甥・植村清二の子。「直木三十五伝」という評伝も書いている(以前、読みました)。大山勝美氏は1932年生まれ、ドラマディレクター・プロデューサー、澤田隆治氏は1933年生まれ、「花王名人劇場」で「MANZAI」ブームを興し、「ズームイン!!朝!」を立ち上げたプロデューサー。いずれも大御所。テレビ現場の生き証人の大山・澤田両人に、植村が司会で聴くという形の「証言集」とでも言うべき一冊。表紙のイラスト(写真?)は、「東京スカイツリー」の展望台付近のアップ。サブタイトルの「草創期からデジタル時代へ」も「デジタル時代」を象徴している。大山・澤田の両人は、主に草創期からアナログ期に活躍されたが、それはテレビの興隆と軌を一にしている。

3者の対談は「月刊民放」誌上で2年に亘り連載されたそうだが、それは読んでいなかった。まとめて読むと勉強になる。すべてのテレビマンに読んでもらいたい一冊だ。

中にはなんと「情報ライブ ミヤネ屋」に触れた部分もある。「ゴールデンタイムで司会を張れる大物タレントが20年前と変わらない。相変わらず、さんま、たけし、タモリ、紳助、ダウンタウン」と。(その後「紳助」に関しては状況が変わったが。)それに関連して大山さんが、「『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)の宮根誠司みたいに、地方には結構司会者はいるんですよ」と言うと、澤田さんが「普通アナウンサーが言わないようなことを彼は平気で言っちゃうというんで、人気があった。一種のモラルハザードみたいなのを越えられるキャラなんです。やしきたかじんの手法です。たかじんの場合は東京のスタッフともめて東京進出に失敗したんですけど。鶴瓶だって2回失敗していますから。3回目は行儀よくしてうまくいってる。みんな努力しているんです」という部分です。


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(2012、8、12読了)

2012年8月29日 20:36 | コメント (0)

新・読書日記 2012_145

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(小暮太一、星海社新書:2012、4、25第1刷・2012、7、2第5刷)

「星海社新書」という聞き慣れない新書は、この手のビジネス書をメインに扱うようだ。タイトルは惹かれるものがある。目次を見ると、「しんどい働き方は根本から変えていこう」「僕たちの『給料』はなぜその金額なのか?」「僕たちは『利益』のために限界まで働かされる」「僕たちは、どうすれば『高い給料』をもらえるようになるのか?」「年収1000万円になっても、僕たちには『激務』だけが残る」「僕たちが目指すべき『自己内利益』の増やし方」「僕たちはどういう『働き方』を選択すべきか」「働き方を変えて、生き方を変えよう!」と、こう並べただけで、内容はもうおわかりかと思う。ビジネス書は大体、目次を読めば内容はほぼわかる。それでわからないビジネス書は、すでにビジネス書ではない。(「説明の要領が悪い」ということだから、ビジネスの役に立たないであろう)

と、いうことは、わざわざ買わなくても立ち読みで事足りる・・・となってしまっては身もふたもないが、要は、同じ結果(内容)をいかに対象読者に引き付けて書けるか?ということになるか。この目次でも「僕たちは」という惹句を使い、対象年齢が「若い男性」ということが透けて見える。(大体ビジネス書はそうだけど。中高年向けもありますが)そこに「同じ立場なんだよ」という意識を持たせているのだろう。

内容で頭に残ったのは、「華やかな注目を受けている産業は、その知識・技術が陳腐化するのも早い」「斜陽産業の方が身に付けた知識は長持ちする」というところ。まぁしかし、斜陽産業が生き残っていれば、知識・技術は長持ちするが、そもそもその産業が完全にすたれてしまえば、せっかく長持ちした知識・技術を役立てる場がなくなってしまうのだが・・・。

若い人、20代後半ぐらいの人に読んでほしい本だと思う。

(☆3つ)


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(2012、8、17読了)

2012年8月29日 18:33 | コメント (0)

新・読書日記 2012_144

『聴かなくても語れるクラシック』(中川右介、:2012、8、8第1刷)

この著者の「第九」を以前読んで面白かったので、ちょっと「いいのかな、こんなタイトルで・・」という本だが、読んでみた。最近、音楽関係の「完全な専門書」ではなく、音楽に興味のある一般の人の入門書的な本を、新書でよく目にするような気がする。

「国際的なビジネスをするならば、世界史の知識は不可欠だし、音楽(クラシック)の知識も不可欠」と著者は言う。それはそうでしょうね。日経から出ているので、「クラシックもビジネスだ」という章は、ビジネスに明け暮れるビジネスマンを、少しでもクラシックに引き付けようという意図が見える。また、本書でもチラッと触れているが、最近地方自治体が持つオーケストラを「不要だ」という首長の主張があるが、「本当にそれでいいのか?」という問いかけもしているのだと思う。「聴かなくても・・」と銘打っているが、やはり「聴かないと・・・」ということで、巻末には「最低限これを抑えれば」というところも紹介してあって親切。


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(2012、8、21読了)

2012年8月29日 15:32 | コメント (0)

新・読書日記 2012_143

『関西人のルール』(千秋育子、中経文庫:2012、2、25)

読みやすいはずの文庫本ですが、ちょっと・・・はっきり言って読みにくかった。それは内容ではなく、書き方が。特に、用例を最初に書いて「そこでクエスチョン!」と矢印が上下に動いたあとにまた(縦書きなので)流れが横にいくあたりが、わかりにくかったです。だって、最初にもうタイトルが「疑問形」で出ててるんだから、その答えが来たほうがわかりやすいに決まってます。その形も、あるのですが、混在してるので、よけいにややこしい。著者よりも編集(構成)に問題があるのかも?ちょっと凝りすぎたか?

内容は、現在の関西弁を幅広く取り上げていて「そうそう!」とうなずけるものでした!それだけに、構成が残念!


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(2012、8、19読了)

2012年8月29日 11:28 | コメント (0)
2012_142

『サッカー「海外組」の値打ち』(小宮良之、中公新書ラクレ:2012、5、10)

著者はスペイン・バルセロナを拠点に取材を続けるサッカー・ャーナリスト。タイトルから、海外組に否定的な本かと思ったら、違った。

我々がよく知っている日本代表になっているような海外組の話もあるが、それよりも、名前も知らない、それでも中南米からヨーローッパに渡ったりしている日本人の話が、大変興味深かった。また、やはりイスラムの国の選手は、ラマダン(断食)の時期の昼間の試合では、食べてないからスタミナがないという話も「やっぱりな!」と思った。この間のロンドン五輪で日本と戦ったエジプト代表も、もしかしたらそうだったのかも・・・と思った。

(2012、8、19読了)

2012年8月28日 22:39 | コメント (0)

新・読書日記 2012_141

『3.11以後』(茂木健一郎・竹内薫、中公選書:2011、11、10)

 

読んでいる途中で「どうも茂木という人は、知識・教養はものすごいが、なんとなく信用できないような気がして・・・」という思いが強くなったが、最終章あたりを読んでいると「なるほど」と思ったりした、二人の対談集。二人が学生時代からの長い付き合いであることを初めて知った。

タイトルどおり、去年の「311日」を境にして、日本を巡る状況、世界を取り巻く状況は大きく変わったと。その中で目指すべき方向性に関する対談集。いいところだけ参考にしたいと思います。

 


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(2012、8、20読了)

2012年8月28日 20:38 | コメント (0)

新・読書日記 2012_140

『現代史のリテラシー~書物の宇宙』(佐藤卓己、岩波書店:2012、1、13第1刷)

京都大学の佐藤先生の新著ということで、見つけてすぐに買ったが、読み終えるのには時間がかかった。少しずつ読み進めた。これまでに書かれた書評を一冊にまとめたもの。主に情報リテラシー関係の本が対象でファシズム関係なども多い。しかも専門書が多いので、やはり書評も難しい。中には私が読んだことがある本も何冊かは交じっていた。

そんななか!「情報」という言葉の語源について書かれていた!以前、知り合いから「江戸時代には『情報』という言葉はなかった。一体いつから使われるようになったかが知りたい」と聞かれたことがあって、そのままになっていたが、こんなところに答えが!

大変勉強になった書評集でした!


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(2012、8、18読了)

2012年8月28日 12:36 | コメント (0)

新・読書日記 2012_139

『なぜ、「怒る」のをやめられないのか~「怒り 恐怖症」と受動的攻撃』(片田珠美、光文社新書:2012、7、20)

そうなのよ、このテーマが解決されればノーベル平和賞もらえるわ!と思って買いました。

著者によると、実は日本人は「怒り恐怖症」で、ふだん怒りを抑えているから、爆発すると。私は、そんなには抑えていないけど、爆発するんですけど、なぜ?リミッターが低い?受動的攻撃っていやですねえ。心理学の面から迫りました。


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(2012、8、8読了)

2012年8月27日 20:13 | コメント (0)

新・読書日記 2012_138

『オリンピックと商業主義』(小川勝、集英社新書:2012、6、20)

ロンドンオリンピックに合わせて6月に購入して、ロンドン五輪の期間中に読みました。一般的な認識としては、オリンピックに商業主義が入ってきたのは、1984年のロサンゼルス五輪の大会実行委員会のピーター・ユベロス委員長の手によるというもの。私もそう思っていたが、本書では、その間違いを指摘する。それ以前からも商業主義はあったし、「アマチュア主義の権化」とされた、IOCのブランデージ、キラニン会長の時代にも、商業主義は入り込んでいたと。ロサンゼルス五輪では、聖火リレー走者の権利を売り渡したことが「商業主義」と言われたが、実はこれらの金は、五輪実行委員会には入らなかったという。当時知っていてもおかしくないたはずのことが、なぜ間違って伝わったのか?というような話も出てきて興味深かった。

 


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(2012、8、11読了)

2012年8月23日 12:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4717「不思議ちゃん」

 

2012711日号のタブロイド判「読売ファミリー」の「手相芸人・島田秀平の開運手相塾」で紹介された手相の中に、

「不思議ちゃん線」

というのがありました。それによると「不思議ちゃん線」というのがある人は、

「自分ではしっかり者と思っていても実は天然で、周りを自然になごませる癒やし系ですが、落ち着きがなく衝撃的な行動が見られる」

のだそうです。有名人で言うと、具志堅用高さん、ガッツ石松さんが挙げられるそうです。・・・それって「元ボクサーの芸能人」が「不思議ちゃん」ということ?男性でも「不思議ちゃん」なのですかね?

この「不思議ちゃん」という言葉、最近よく耳にするようになりました。

2012822日の日本テレビ『スッキリ!!』では、ロンドン五輪の柔道女子金メダリストの松本薫選手も、

「妖精を見たことがある」

という発言から、

「不思議ちゃんキャラ」「不思議ちゃん発言」

と呼ばれていました。

「不思議ちゃん」とは、マイペースで常人には不可解な言動を取り、一般常識からは離れた"常識"を持つ、いわゆる「天然系」のキャラクターの女性を指す言葉ですね。

タレントの千秋さんは、もう20年ほど前の少女時代から「不思議ちゃん」と呼ばれていたそうですが、昨今「不思議ちゃん」は、一つの「そういう性格」として認知されてきました。それが「魅力の一つ」にも数えられています。

「子どもっぽい」「大人になりきれていない」という「不思議ちゃん」の特徴を、プラスに取るかマイナスに取るかは、相手次第なのでしょうね。

あ、読売テレビのアナウンス部でも、Yアナウンサーが「不思議ちゃん」と呼ばれています。

(2012、8、22)

2012年8月22日 20:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_137

『養老孟司の大言論 嫌いなことから人は学ぶⅡ』(養老孟司、新潮社:2011、3、25)

都市では「同一性」が優先される。宗教も、八百万の神より「単一神」。合理的ではある。しかし"保険"の観点からは、「同一性」「単一性」は危険なのではないか?と思うのだが。そして、「都市」は「合理化」の巣。「合理化」とは、単位時間あたりの生産量や消費量が多いこと。現在を中心とした短期間の利便性を考えると、50年以上先のことを考えるのは合理的ではない。合理性と安全性は背中合わせである。合理化を究極に進めた場合の破談点はどこなのだろうか?

最初の方は、いつもの養老先生の「独り言のつぶやき」のようにも思えたのですが、途中から非常に示唆に富む文章になっていったような感じがしました。


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(2012、8、4読了)

2012年8月22日 16:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4816「じゃぶじゃぶ池」

森若アナウンサーのブログ(816日付)を読んでいたら、

「じゃぶじゃぶ池」

という言葉が目に入りました。略して、

「じゃぶ池」

とも言うそうです。大阪・船場の「丼(どぶ)池」商店街は知っていましたが、「じゃぶ池」は初めて目にした言葉です。森若アナウンサーによると、

「東京に住んでいる甥っ子たちは普通に使っている言葉で、区の公園などにある、幼児向けの浅い池・水遊び施設のこと」

だそうです。森若アナウンサーは、甥っ子が「じゃぶ池」で遊ぶようになってから初めて知った言葉だそうですが、少なくとも東京では一般的なようで、ちゃんと利用時間も決まっていて、監視員の方がいる所もあるそうです。森若アナは、

「東京の"ママ・ブロガー"の間では普通の言葉のようですが、これは全国共通の単語なのでしょうか!?(ママ・ブロガー"も私には新鮮な言葉でした)

と疑問を呈しています。

私もGoogle検索(821)したら、なんと、

「じゃぶじゃぶ池」=22万6000件

も出てきました。その中で東京都足立区のサイトによると、

「じゃぶじゃぶ池とは、オムツが取れた就学前の子が、遊びながら水に親しめるように整備された無料の施設です。オープン中は、安全・安心に遊べるよう、毎日水を入替え、週に一回はじゃぶじゃぶ池をお休みして、施設点検等を実施します。」

とありました。最近のはやりなのですかね?ちなみに通称(略称)の方は、

「じゃぶ池」=9210

でした。あまり関西では聞いたことがない気がするのですが、ネットでみると、京都などにもあるようです。

夏の暑い時期は、子どもたちに安全に水遊びをさせられるそういった環境があるのは、親にとってもありがたいものですが、少し過保護な気がしないでもありません。でも都会では、安心して子供たちに水遊びをさせられる場所がなくなっているからこそ、こういったものが出て来たのでしょうね・・・。

(2012、8、21)

2012年8月21日 17:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4815「予洗い」

 

台所用洗剤のコマーシャルで、

「予洗いなしで強力洗浄」

というコメントを耳にしました。この、

「予洗い(よあらい)」

というのは一般的な言葉なのでしょうか?私は初めて知りました。手元にある、

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『三省堂国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』『新選国語辞典』には、

 

「よあそび(夜遊び)」「よあらし(夜嵐)」「よあるき(夜歩き)」

 

は載っていても、「よあらい(予洗い)」は載っていませんでした。

ネット検索(Google)では(820日)

「予洗い」=82800

も載っていました。その中の「Yahoo知恵袋」によると、どうも、

「食洗機」

の説明などに書かれている言葉のようです。また、

「洗髪」

にも「予洗い」があるようです。

「予洗い・食洗機」  =13500

「予洗い・洗髪」   =10900

「予洗い・シャンプー」=49400

でした。また、「シャボン玉友の会」というサイトの「石けんQ&A」には、「予洗い」の意味として、

「粉石けんを入れて洗濯する前に、水と洗濯機の機械的作用だけで洗うことを『予洗い』といいます。」

とありました。また「予洗」と書いて「よせん」と読むこともあるようです。Web辞書の三省堂「大辞林」には、

「よせん(予洗)」=「下洗(したあら)い」に同じ。

となっていました。「下洗い」を引くと、

「下洗い」=本洗いの前にざっと洗い落とすこと。予洗。

とありました。「下洗い」は、

「『予洗(ヨセン)』の意の口語的表現。(新明解国語辞典)

「汚れのひどい洗濯物などを本洗いの前にざっと洗うこと。予洗(よせん)」(精選版日本国語大辞典)

などと載っていました。

ということは、そもそもは「漢語的表現」として

「予洗(よせん)」

という言葉があり、また口語的表現では、

「下洗い」

があったところに、最近「予洗」の「洗」を訓読みして、

「よあらい」

と言う人たちが出て来たのではないか?その証拠に、「予洗(よせん)」を載せている辞書はありますが、「予洗い」を載せている辞書は今のところ見当たりません。

言葉って、こんな使われ方・変わり方をするものなんですね。ワードウォッチングの醍醐味ですねえ。

 

(2012、8、20)

2012年8月21日 13:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4814「もっといい色のメダルを」

 

ロンドン五輪競泳男子100m背泳ぎで「銅メダル」を取った入江陵介選手。レース後に、

「もっといい色のメダルを」

と言っていました。そして、その言葉通りに200m背泳ぎでは「銀メダル」を獲得!しかしそのあとのインタビューでは、

「もっともっといい色のメダルを取りたかった」

と。やはり、目指すは「金メダル」なのですね。

また、サッカー女子「なでしこジャパン」のキャプテン・宮間あや選手が、準決勝のフランス戦に2-1で勝った後のインタビューで、

「一番いい色のメダルを取るために」

と発言していました。インタビューを担当した日本テレビのラルフ鈴木アナウンサーも、

「一番いい色のメダルを目指して頑張ってください」

と言っていました。

最近は昔のように、

「金がいいですう」

というようなダイレクトな表現はしないで、

「いい色のメダル」

「一番いい色のメダル」

という「婉曲表現」が流行っているようです。

確かに、我々の期待も「一番いい色のメダル」ですが、メダルを取れるだけで・・・もっと言うと、オリンピックに出られるだけで「すごいこと」だと素直に思います。

 

関係ないけど、澤穂希選手のしゃべりは、柔道の田村()亮子選手(=柔ちゃん)に声のトーンに似てる!

それと「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督、桑名正博さんに、一瞬、似ているように感じました。年齢が近いからかな?

(2012、8、7)

2012年8月20日 19:51 | コメント (0)

新・読書日記 2012_136

『普通の家族がいちばん怖い~崩壊するお正月、暴走するクリスマス』(岩村暢子、新潮文庫:2012、4、1)

著者は「アサツーディ・ケィ」の「200×ファミリーデザイン室」に勤務している調査の専門家。サブタイトルの「崩壊するお正月、暴走するクリスマス」につられて買った。単行本は、もう5年ぐらい前に出ていたそうで、養老先生のこの間読んだ本にも、(ここに出てくるような)家族の状況を調べた本として、この本が紹介されていた。養老先生の本を読む前に、この本を買って読んでいるところだったので、偶然の一致にびっくりした。

しかし、巻頭から巻末まで徹頭徹尾、「ダメな若い主婦」を叩いているような感じがして、データを解説しただけだとしても、かなりイヤな気分になるのは事実。「そこまで言わなくても・・・」という感じがする。しかし、最後に出てくる、「言っていることと、やっていることが全く違う主婦」には憤りを感じるし、そういった傾向が、今の30代、40代、はては50代にもあるのは確かだと感じる。

それは女性だけの責任ではなく、それを許している旦那・夫にも責任があるに決まっている。とすると、「世の中全体の風潮」ということになるのだが・・・。そこにまでは、視点が届いていないのが残念。あくまで主婦、そして「母と子」にとどまっている気がした。

「家族のつながりとは何か?」「主婦のわがままを許している夫の、家庭内での地位は?主導権は?」ということも考えさせられる。家庭のことを妻まかせにして顧みないから、このような事態になったのではないか?また、主婦は「ノリ」を重視するという記述を読んで「アッ!」と思った。それは「いじめ」をする「子供たちと同じ」ではないか!山本七平の『空気の研究』に出て来た「空気」が、現代においては「ノリ」という言葉で表されているのではないか。「無言の強制力」である。これに抗するには「ハブ」(=村八分)にされる「覚悟」が必要で、そんな中でも生きていける「強い自己」を持っている人しか、抗することはできないのだと思う。そういった考察にまでは到達していなかった。マーケティングには、そこまでの考察は必要ないということかもしれない。


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(2012、8、7読了)

2012年8月15日 12:10 | コメント (0)

新・ことば事情

4813「しんでも」

7月、8月のこの時期は、

「大学のコマーシャル」

が結構流れています。というのも、夏休み期間中に「オープンキャンパス」を行って、「受験生集め」に努める大学が多いからです。少子化の現在、学生を確保することは、私立大学にとっては死活問題なのです。

でも、大学は「モノ」を売っているわけではありませんので、なんとなく「コマーシャル」と結びつかない感じがあるのも事実。昔、「銀行のコマーシャル」が解禁になった時に感じたのと同じような違和感があるのも確かです。その意味では、「イメージCM」なんですね、大学のコマーシャルは。

そのコマーシャルを見て、小学2年生の娘がひとこと。

「大学のコマーシャルは、しんでもええやろ」

えー!

「死んでもええやろ」

って、どういうこと?コワイなあ。もう。

少し考えて、「ああ、そうか」と意味が分かりました。大阪弁で言うなら、

「せんでもええやろ」

ですね。共通語で言うなら、

「しなくてもいいだろう」

です。「しない」を大阪弁では「せん」、これが私の住んでいる大阪の枚方あたりは、ちょっと京都弁の影響も強くて「しん」になっているのですね。私なら「せん」と言うところを、枚方生まれで枚方育ちの娘は「しん」と言うと。びっくりしたなあ、もう。

これと同じようなことは、現在中学3年生の息子の時にも感じたことがありました。今から9年前の2003年の9月に書いた「平成ことば事情1395 しんくても」を読むと、当時5歳の長男の言葉で

「電話しんくても安いで」

というのがあり、意味は、

「電話しなくても安いよ」

この「しなくても」→「しんくても」という否定の「ない」→「ん」への変化について書いています。

共通語の「来ない」を大阪弁では「けーへん」と言うのに対して、京都弁では「きーひん」と言いますが、母音に関して大阪は「エ」の文化、京都は「イ」の文化なのかもしれません。

その関連で先日気付いたのは、枚方市の地名で、

「三栗」

と書いて、

「めぐり」

と読むところがあります。これに関しては「平成ことば事情4018『三栗』を『めぐり』と読む理由」に書きました。あれは「大阪の事情」に関して書いたのですが、京都は「イ」ということも加味すると、もともと共通語でも「三」は「み」だとしても、それに"京都的要素"を感じた大阪側が、

「ここは京都とちゃう(違う)で、大阪やで!」

という主張をせんがために、わざわざ変えなくてもいい「三(み)」という音(おん)を、「エ」の母音を持つ、「め」に変えてしまったのではないか?という勘繰りをしてしまいました。そこまで勘繰りを、

「しんでも」ええで。

(2012、8、7)

2012年8月14日 11:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4812「マラソンの『拾う』」

ロンドン五輪の女子マラソンの中継を聞いていたら、実況アナウンサーと解説の有森裕子さんのコメントの中に、

「重友選手は、前の選手を拾っていかなくてはなりません」

というような文脈での、

「拾う」

という言葉がよく出てきました。別に、投げ捨てたサングラスや、給水用のボトルを拾うのではありません。これは、

「前を走る選手を拾う」

のです。それも「先頭集団を走る選手」を「拾う」のではなく、

「先頭集団から こぼれ落ちてきた(=脱落した)選手を拾う」

のですね。

「前を走る、自分から一番近いところの選手」を「キャッチアップ」して「競う」ことで、さらに前へ進む力・気力を養う、レース中の戦い方の一つが、この、

「拾う」「拾っていく」

ということなんでしょう。おそらく辞書には載っていない言い回しでしょう。辞書、引いてないけど。載っていたらすごい!

ちょっと『三省堂国語辞典』と『精選版日本国語辞典』だけ引いておこうかな。

「精選版」にこの使い方の語は載っていないですが、3番目の意味の、

「多くの物の中から選び取る。必要なものだけを選び出して利用する」

というのは近い意味のように感じました。

(2012、8、6)

2012年8月13日 11:20 | コメント (0)

新・読書日記 2012_135

『40歳からの"名刺をすてられる"生き方~疲れた職場で生き残る8つの法則』(田中靖浩・公認会計士、講談社+α潮新書:2012、7、20)

ゆでガエル化してきた日本の職場、もう右肩上がりの時代ではない。「正しく衰える」気概を持って、「会社」に頼らなくても生きられる術と心構えを身につけましょう・・・とまああ、こんな感じの本ですか。ダチョウは危機になると、自分の頭を隠して、危機を直視しないのだそうです。そういった「ダチョウのようなオヤジ=上司」が周りにいませんか?と。そして、会社との距離をしっかり取って、「積極的手抜き=見(けん)」を身に付け、「社外の縁を増やす」と。こういったことが説かれています。

まあ、もうずっと前からやってるけどね。

それと「悪い黒字」と「良い黒字」の話はなるほどと思ったな。わかっちゃいたけど。

それにしても、「40歳から~」を「50歳」になってから読んでも、遅い感じもするんだけどね。40歳より若い方、どうぞ。


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(2012、7、24読了)

2012年8月12日 12:15 | コメント (0)

新・読書日記 2012_134

『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著・池田香代子訳、みすず書房:2002、11、5第1刷・2012、7、13第18刷)

「夏休みに何を読もう?」

夏になると学生時代の「読書感想文」ではないが、なにかちょっとしっかりしたものを読まないと・・・という強迫観念に襲われることはないですか?私はまあ、そんな意識もあり、またこのところ読む本に次々と「夜と霧」が出てきて、「やっぱりこれは読んでおかないといけないなあ」と思いつつ、怖くてページを開らけないまま、学生時代から30年たってしまった本。あの固い箱に入っている本は、なんだか怖い。

と、そんな思いを持っていたら、本屋さんで見かけたのが「新版」となっているこの本。もう10年も前に新版が出て、それがすでに18刷のロングセラーになっていることすら、知らなかった。とりあえず「これなら読めそう」と読み始めたら、150ページほどだからすぐに読めました。ついでに旧版も本棚から引っぱり出してきて眺めてみると、「ああ、これは、字の小さい『解説』が、初めの方にドッサリ載っている。これで読む気をなくしたのだな」と。そしてむごたらしい写真の数々。これは、夜には読めない。新版は、一切写真はなし。でも、せっかく新版を読んだので旧版も読んでみようと思う。新版は、のち(1970年代)にフランクルが手を入れたものだそうだ。つまり旧版とは、一部別物らしい。「夜と霧」というタイトル、本来は「心理学者 強制収容所を体験する」というのが原題だったそうだ。それを霜山徳爾氏が「意訳」したそう。今回、池田氏はそのタイトルを踏襲した。素晴らしいタイトルだが、原題の方が、読みやすかったかもしれません。


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(2012、8、5読了)

2012年8月11日 12:05 | コメント (0)

新・ことば事情

4811「サーブのアクセント」

ロンドン五輪のバレーボール女子の中継を見ていました。すると、

 

「エースのビーティーのサーブです」

 

というコメントの「サーブ」のアクセント「平板アクセント」で、

 

「サ/ーブ」

 

でした。普通は・・・と言うか、本来は、「頭高アクセント」で、

 

「サ\ーブ」

 

だと思いますが、いわゆる「専門家アクセント」では「平板アクセント」なのでしょう。

去年から今年にかけて、外来語のアクセント(アクセントによって意味が変わる外来語一覧)に関して、新聞用語懇談会放送分科会で、話し合いました。その際には、

「いわゆる『専門家アクセント』の『平板化したもの』は、放送ではできるだけ使わない」ことを原則とするというものでした。でも、「もう定着しちゃったものは仕方がない」ということでもあったのですが。

たとえば、

*「ド/ラ\イバー」(中高)=運転者

*「ド/ライバー」(平板)=工具、ゴルフ、コンピューター

となっていたのですが、実は「工具」の場合は「中高アクセント」もあるということで、「工具」は表から除外されました。

また、「ラップ」も、

*「ラ\ップ」(頭高)=トラック1週・プール片道または1往復

*「ラ/ップ」(平板)=包装 ラップフィルムの略

*「ラ/ップ」(平板)=リズム中心の音楽・歌唱手法

とありましたが、アクセント使用の実態は混在しているとの指摘が相次ぎ、「この項目を削除」ということになりました。

それから「リード」は、

*「リ\ード」(平板)=先行する・先導する、(新聞記事の)前文

とあったのですが、「(新聞記事の)前文」のアクセントは「平板」ではないか?とか、「放送でも『リード』は使う。新聞だけではない」などの意見が出たことから、この部分〔意味説明〕は削除となりました。

 

こうやって言葉(のアクセント)は、変わっていくのです。

(2012、8、6)

2012年8月10日 12:52 | コメント (0)

新・ことば事情

4810「ジンベエザメか?ジンベイイザメか?」

ニュースで出て来た大きなサメ。大阪の水族館「海遊館」でもおなじみ

「ジンベエザメ」

ですが、その表記は、

「ジンベイザメ」

でしょうか?それとも、

「ジンベエザメ」

でしょうか?

これに関しては、以前調べたなと思いつつ、資料を捜すと、2007710日の新聞協会からのメールが見つかりました。そこには、

2007630日の放送分科会で、『ジンベエザメ』の標準和名について保留としましたが、事務局で日本魚類学会に問い合わせたところ、魚類の標準和名は同学会標準和名検討委員会で『日本産魚類検索第2版』(中坊徹次編)を基準とするとすることに決めている。これによれば『ジンベエザメ』が適切な標準和名である―という回答を得ました。したがって『放送で気になる言葉』のコラムも『ジンベエザメ』の表記で確定したいと思います」

というものでした。

「エ」

で良かったのですね。ちなみに、google検索をしてみると(201286日)、

「ジンベエザメ」=571000

「ジンベイザメ」=870000

と、ネットでは「イ」の方が優勢でした。

(2012、8、6)

2012年8月 9日 12:50 | コメント (0)

新・ことば事情

4809「本当に細かく」

お昼前の日本テレビの長寿番組「キューピー3分クッキング」を、

会社の食堂で早めの昼食を取りながら眺めていたら、その日の献立は、

「たちうおの塩焼き青じそソース」

でした。

最近は、料理のアシスタントを務めるのは女性アナウンサーとは限りません。男性アナウンサーもやるようになっています。この日も、アシスタントは男性アナ(寺島君)でした。

その寺島アナウンサー、青じそを細かく刻んでいく様子を見ていて、こう言いました。

 

「本当に細かくなっていきますね」

 

それを聞いてちょっと引っかかりました。

この「本当に」というのは、

「『うそ』かと思ったら『本当』だった」

ではなく、

「『細かく』という言葉の原義に、本当に忠実に」

という意味合いの「強調語」なのではないか、と。

こんなことを「3分クッキング」を見ながら考えて昼飯を食べている人は、

「本当に少ない」

のではないでしょうか。これも「強調語」ですね。

(2012、8、6)

2012年8月 8日 12:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4808「入り方」

最近よく耳にするようになった言葉に、サッカーの用語で、

「(試合の)入り方」

という言葉があります。201281日、ロンドン五輪の予選リーグ最終戦、「日本対ホンジュラス戦」の前に、NHKの工藤三郎アナウンサーが、ゲストの元・日本代表・宮本恒靖さんに、

「試合の入り方ですが・・・」

と尋ねると、宮本さんは、

「まず、いい守備で入りたいですね」

と答えていました。

この「入り方」を普通の言葉に訳すと、

「試合の始め方」「序盤の戦い方」

というような意味だと思いますが、なぜか「入り方」って言いますね。

これが「水泳」なら、「シンクロナイズドスイミング」とか「飛び込み」とかで、

「(水への)入り方」

と言うのはよくわかるのですが、サッカーの試合となると、少し変わった使われ方ではないかと感じます。私がサッカーをしていたころには言わなかった表現です。いつの間にやら広まってしまいました。Google検索(86)では、

「入り方」     =2920000

「試合の入り方」  = 513000

「サッカー、入り方」= 416000

でした。そのなかに最近(2012年71日)の「スポーツニッポン」の記事、Jリーグガンバ大阪の記事で、松波監督の言葉としても出てきます。

『G大阪は前半20分までに3失点すると、後半も3失点。リーグ戦の6失点以上は96年5月4日の柏戦(1―7)以来、16年ぶりの屈辱スコアとなった。松波監督は「入り方が悪かった...」と嘆き』

いつの間に広まったんでしょうねえ。

(2012、8、6)

2012年8月 7日 13:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4807「何、一番したいですか?」

8月2日の日本テレビ「スッキリ!」。ロンドンのスタジオで、競泳男子200m平泳ぎ・銅メダリストの立石諒選手に対して、司会の加藤浩次さん

「何、一番したいですか?」

という質問をしたところ、立石諒選手は、一瞬、聞き取れなかったような顔をして、

「え?何、自慢したいですか?」

と聞き返しました。いったいあなたはなんて失礼な質問をするんだ?という感じで。確かにそう聞こえました。

これは、「一番したいですか」と「自慢したいですか」の違いが、

「一番」と「自慢」

の部分、ローマ字で書いてみると、

ichiban」と「jiman

ですね。最初の「i(い)」が聞こえにくくて、さらに「chiban(ちばん)」が濁って「jiman(じまん)」に聞こえる恐れがあるということですね。本来ならば、

「何一番したいですか?」

助詞の「が」を入れれば、こういった聞き間違いは防げました。

というのも、「何一番」の「何(nani)」のあとの「一番(ichibann)」がつながって、「なに」の「に」と「いちばん」の「い」がくっついてしまって「いちばん」の「い」が脱落したのです。それで、

「なにい、ちばんしたいですか」

この「ち」が次の「ば」の影響で濁って、さらに「ば」が、同じく唇を結んでから発音する、子音「M」で「ア行」の音の「ま」に聞こえた。それで、

「一番」→「自慢」

に聞こえたというわけです。「鼻濁音のような音の響き」もあったのかもしれません。

それを防ぐには、

「一番したいのは何ですか?」

と聞けばよかったのです。

相手に聴き間違いを起こさせないしゃべり方というのもあるのですね。その逆も。

他山の石とします。

(2012、8、6)

2012年8月 6日 20:07 | コメント (0)

新・ことば事情

4806「田中克彦の『克』」

 

先日、言語学者の、

「田中克彦」

先生の本をリビングで読んでいたら、2の娘がやってきて、

「たなか かつひこ」

と読めたので、ビックリしました。「田中」はまあ、小学2年生が読めても不思議はないです。また、私の名前が「俊彦」と「彦」が付くので、「彦」も読めてもそれほど不思議はない。しかし、

「克」

の字は、小学2年生では読めないのでは?と思ったので、

「なんで『克』が読めたの?」

と聞くと、なんと、

「高橋克也容疑者の『克』やろ」

と答えるではないですか!そこで

「『高橋克也容疑者』って、何の人か知ってる?」

と聞くと、

「オウムやろ」

と答えます。まさか・・・と思って、

「・・・オウムって?」

と聞くと、

「しらん」

さすがに、これは答えられませんでした。

それにしても、小学校低学年の子供は見ていないようでも、流れているニュースをこれだけ覚えてしまうのですね。ビックリしました。

(2012、8、1)

2012年8月 3日 17:28 | コメント (0)

新・ことば事情

4805「ぶちぎれた理由」

 

「ミヤネ屋」の原稿をチェックしていたら、

「ぶちぎれた理由」

という言葉が出てきました。この、「ぶちぎれた」というのは、「ぎれた」「濁る」のではなく、

「ぶちきれた」

「濁らない」ではないでしょうか?

もちろん、濁った方が「ブチブチ切れた感じ」がするのは確かですが・・・。

Google検索では(81日)、

「ぶちぎれた」= 144000

「ぶちきれた」= 313000

「ぶちギレた」= 163000

「ぶちキレた」= 102000

「ぶち切れた」=1440000

でした。「平仮名」の場合は、

「ぶちぎれた」<「ぶちきれた」

「濁らない」方が多いのですが、その部分が「カタカナ」の場合は、

「ぶちギレた」>「ぶちキレた」

「濁る」方が多かったのです。「ぶちギレた」は、かなり使われているのですね。

表記では、漢字で、

「ぶち切れた」

とすれば問題はないのですが、読む場合には「濁る・濁らない」問題は、常に付きまとう問題です。名詞の、

「ぶちきれ」「ぶちぎれ」

両方ありそうです。検索すると、

「ぶちきれ」=440000

「ぶちぎれ」=274000

「ぶちキレ」=145000

「ぶちギレ」=476000

でした。やはり「カタカナ」では「ギレ」と「濁る」ものが多いですね。

(2012、8、1)

2012年8月 3日 11:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4804「『おのずから』と『みずから』」

ふと、疑問が湧きあがりました。

「おのずから」と「みずから」

を漢字で書くと、

「自ずから」と「自ら」

で、ともに「自」という漢字が含まれています。でも、意味は微妙に違うように思います。その違いはいったい何だろうか?と。

私の考えでは、

「おのずから」は「自然」、「みずから」は「自分」。

つまり、主体が「自然」なのか、「自分」なのかという違いではないでしょうか?

答えは「おのずから」わかるのか、「みずから」わかるのか?

どっちなんでしょうね?

(2012、8、1)

2012年8月 2日 16:24 | コメント (0)

新・ことば事情

4803「修行と修業」

さて、問題です。正しいのはどちら?

(A)板前修業

(B)板前修行

 

 

 

 

答えは(A)板前修業

「修業」一般用語、学問・技芸・職業などを修めること。例としては「板前修業」のほかに、

「二軍で修業し直す」「花嫁修業」「文章修業」など。

一方の「修行」は、仏法・武道などを修める、巡礼することで、例としては、

「学問の修行<古風な表現として>」「修行僧」「諸国修行」「仏法修行」「武者修行」

などがあります。

でも、これって気付きにくい同音異義語だと思いませんか?

「ミヤネ屋」でも時々出てくるんですが、見逃しがちです。注意したいと思います。

これも「修行」・・・ではなく「修業」ですね。

ちなみにGoogle検索では(8月1日)、

「板前修業」=49100

「板前修行」=29000

でした。正しい方が、間違ってる方の倍ぐらい使われているものの、やはり間違いが多いですね。

(2012、8、1)

2012年8月 2日 11:23 | コメント (0)

新・読書日記 2012_133

『日本の自殺』(グループ一九八四年、文春新書:2012、5、20)

タイトルから、日本における「自殺」の現状について書かれているものだとばっかり思っていたら、そうではない。「日本」という国が、今、「自殺行為」に及んでいるという話。しかもこの「今」というのは、「21世紀の"今"」ではなく、なんと1970年年代。そう言えばこの本、昔、買ったけど「積んどく」になっていた本ではないか?捜せば出てくるかも・・・いや、読まないまま処分したか・・・などと思って購入した。

帯にある言葉「日本没落を予言した幻の衝撃論文~あの土光敏夫が驚嘆!」は正しい。確かに、1970年代に書かれたものとは思えない。現在の状況を見事に言い当てているように思える。

著者の「グループ一九八四年」の「1984年」は、当然、ジョージ・オーウェルの「1984年」を指している。そしてこの論文は、おそらく香山健一氏(元学習院大学教授)の手によるものだという。香山の教え子で、現在、産経新聞編集委員の大野敏明氏や、福田和也氏、中野剛志氏らが巻末に書いている"解説"というか寄せる言葉も参考になった。


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(2012、7、26読了)

2012年8月 2日 10:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4802「運転か運行か」

 

2011年5月30日に書きかけました。当時の数字は「平成ことば事情4360」>

 

2011年429日、東日本大震災から49日ぶりに東北新幹線が全線で運転を再開した日本テレビのニュースが伝えていました。スーパーは、

「全線で運転再開」

です。この場合、

「運転」

が正しいのでしょうか?それとも、

「運行」

が正しいのでしょうか?

同じ日のテレビ朝日のスーパーは、「運転」も「運行」も使わずに、

「東北新幹線が全線開通」

でした。辞書を引くと(『精選版日本国語大辞典』)

*「運転」=(2)機械や乗り物などが、人力や動力で動くこと。また動かすこと。操縦すること。

*「運行」=(2)きまった道筋に沿って、めぐり進むこと。現在では多く、天体や交通機関などについていう。

とありました。新幹線などの「鉄道」は「きまった道筋を巡って」進むわけですから、やはり、

「運行」

ではないでしょうか?ただ、「新幹線の車両」「電車そのもの」を動かすことは、

「運転」

なのでしょうね。交通機関としてのダイヤは「運行」。

電車の「運転」を再開することで、「運行」も再開できると。

うーん、使い分けが難しいなあ。

(2012、7、31)

2012年8月 1日 17:19 | コメント (0)

新・読書日記 2012_132

『テレビの日本語』(加藤昌男、岩波新書:2012、7、20)

これはまさに、私が書かなければいけない本のタイトルだ!・・・と、本屋で見かけたときに思って、即購入。一晩で読んだ。

著者は元NHKアナウンサー。1943年生まれということなので、アナウンサーの大先輩だ。

本書の中の「時代を映す言葉」や「テレビの言葉はこう作られる」などは、テレビの内側にいる我々にとっては「研修の教科書」のような感じだが、一般の方には新鮮に感じる内容が多いのではないか?また、東日本大震災を受けての「災害の報道の言葉」も勉強になる。42ページから46ページぐらいまでの、テレビがいかに饒舌になったか、早口になったかを数字で示しているあたりのデータは、大変参考になった。


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(2012、7、25読了)

2012年8月 1日 14:18 | コメント (0)

新・ことば事情

4801「大学初任給50円」

7月10日の「ミヤネ屋」の中に出て来た表現について、スーパーなどのチェックを担当してもらっている読売新聞OBのOさんから、

「『大初任給50円』という表現は、『大初任給50円』ではないか?」

とご指摘を受けました。あ、危ない。確かに、大学に入って給料もらうんじゃなくて、大学を卒業して就職しての給料だから、そりゃあ、

「大卒初任給」

でないといけませんね。それで、ふと思いついたのは、

「1930年(昭和5年)当時、『大卒初任給50円』というのは高すぎるのではないか?」

ということ。調べたら、これは正しかったのです。

1927年(昭和2)で、女子賃金は男子の39「日給5070銭」(1円=100銭)。月給換算30倍)では、15円から21ですね。

当時の物価は、

「カレーライス」710

「銭湯」6

「市電」7

給料は、

「熟練工、大工が月給換算」50

「少年工」10円、

「大卒初任給」50

だそうです。

おそらく今の貨幣価値から言うと、「1円=1万円」ぐらいではないかと。そうすると1銭が100か。そう考えると、大卒は初任給50万円は高い!

でも当時の「大卒」というのは、今の「大学」ではなく、全国に8つしかない「帝国大学」、つまり「超エリート」だったのですから、そのぐらいでも妥当なのでしょうね。

また、その近辺の時代の物価では、1910年(明治から大正)頃に輸入された「英国製のガス・コンロ」は「16円」で、

「大卒初任給の4分の1」

にあたるほど高価なものだったそうです。

そして、1931年(昭和6年)、東芝の前身である芝浦製作所がGE社製をモデルに開発した「アップライト型・国産第1号の電気掃除機」の価格は110円」で、

「当時の大卒初任給の約2か月分」

にあたったということです。その時代に山田五十鈴さんは、契約金500円、月給100です。スゴイなあ!それでやっぱり、大卒初任給50円ぐらいだったのですね、当時は。

その後調べたところによると、

1945年(昭和20年) 銀行員大卒初任給       80

46年(昭和21年) 国家公務員大卒初任給  540

47年(昭和22年) 銀行員大卒初任給      220

48年(昭和23年) 国家公務員大卒初任給 2990

49年(昭和24年) 銀行員大卒初任給     3000

50年(昭和25年) 銀行員大卒初任給     3000

51年(昭和26年) 銀行員大卒初任給     3000

52年(昭和27年) 銀行員大卒初任給     5600

53年(昭和28年) 銀行員大卒初任給     5600

54年(昭和29年) 銀行員大卒初任給     5600

55年(昭和30年) 銀行員大卒初任給     5600

56年(昭和31年) 銀行員大卒初任給     5600

57年(昭和32年) 銀行員大卒初任給    12700

58年(昭和33年) 銀行員大卒初任給    12700

59年(昭和34年) 公務員大卒初任給    10200

60年(昭和35年)    大卒初任給    12190

61年(昭和36年)    大卒初任給    15690

値段の歴史って面白いですねえ。

私の父が、1958年(昭和33年)大卒初任給が1万3000円ぐらいだったと聞いたことがあります。私は1984年(昭和59年)に大卒で、初任給が14万3500円でした。親父と26年で10倍になってるんだと感じたことがあるのを思い出しました。

(2012、7、31)

2012年8月 1日 10:16 | コメント (0)