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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_131

『この国で起きている本当のこと』(辛坊治郎、朝日新聞出版:2012、4、20)

週刊朝日誌上で去年4月に連載されている、見開き2ページのコラムをまとめたもの。あの連載が始まってしばらく経ったときに、「あれ?これはもしかして1年後ぐらいに本にするのでは?」とメールしたら「あたり!」という返事が戻ってきた、というもの。1粒で2度おいしい。最初から単行本化を考えてしっかりと書かれている。現在シンボウ氏は、月曜から日曜まで毎日、テレビ出演する一方で、週1回東京でラジオ番組にも出演、そのぷ絵週刊誌と週1の新聞の連載が合計3本。それぞれの媒体にあった内容を、媒体に合った文体で書いている。なんと器用な。その間に講演もこなしているのだから、恐れ入る。


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(2012、7、5読了)

2012年7月31日 22:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4800「えりごのみか?よりごのみか?」

食堂で昼飯を食べていたら、ほかの番組のスタッフから質問を受けました。

「『えりごのみ』と『よりごのみ』、両方あると思うのですが、どちらが正しいんでしょうか?」

なるほど、どちらも耳にしますね。おそらく、と断ってから、

「『えりごのみ』の方が古い言葉で、『よりごのみ』は新しい言葉。でも、実際は、両方使われているね」

と答えました。そのスタッフは、「そうですか、すっきりしました」と喜んでいましたが、実は私は、

「本当にそうなんだろうか・・・?」

とちょっと不安になって、席に戻ってから『精選版日本国語大辞典』を引いてみました。すると、「えりごのみ」の用例は、1889年、坪内逍遥の『細君』から、

「邸も売払ひ、山の手に移りしが、<略>尚ほ借家の体裁に選好(エリゴノミ)をなし」

というもの。「よりごのみ」の用例は、1895年、柳家禽語楼の落語『墓違ひ』で、

「然んなに貴娼が病気の撰(ヨ)り好みを為すっちゃア困ります」

というもので、どちらも19世紀後半(明治時代)の用例でした。

そこで、今度は「える」「よる」という動詞を調べてみると、

「える」の用例は、なんと720年『日本書紀』や、10世紀終わりごろの『枕草子』、一方の「よる」の方は、1582年(天正10年)の『多聞院日記』でした。それで言うとやはり「える」の方が「よる」よりは古い言葉と言えそうですね。

良かったです。

なお、私は「える」か「よる」か、「選り好み」は致しません。両方使います。

(2012、7、31)

2012年7月31日 22:09 | コメント (0)

新・ことば事情

4799「ガルストヤンか?ガルスチャンか?」

ロンドン五輪、柔道・平岡選手と決勝を戦った選手の名前ですが、「ミヤネ屋」の原稿には

 

「ガルストヤン選手」

 

と書かれていましたが、スーパーは、

 

「ガルスチャン選手」

 

でした。Google検索(730日)では、

 

*「ガルストヤン選手」=1280

*「ガルスチャン選手」=7790

 

また、各メディアの表記は、

*「ガルストヤン選手」=読売新聞、朝日新聞、時事通信

*「ガルスチャン選手」=毎日新聞、サンスポ、日刊スポーツ、スポニチ、NHK、フジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、共同通信

 

といったところでした。あまり聞いたことがない外国人の名前のカタカナ表記は、本当に困りますねえ・・・。

(2012、7、31)

2012年7月31日 20:08 | コメント (0)

新・ことば事情

4798「200mでも・・・200mではですね」

ロンドンオリンピック、3連覇を狙った競泳男子100m平泳ぎで、5位に終わった北島康介選手、レース後のインタビューで、こう答えていました。

 

「気持ちを切り替えて200mでも・・・200mではですね」

 

「でも」ではなく「では」、こう言い直すあたりに、北島選手の冷静さ、客観的に自分を見つめる姿が見て取れました。さすがです。

100mももちろん全力で頑張った。でも結果は5位と、いい結果を出すことはできなかった。200mでも頑張って100m以上の成績を残したい。当然そう考えているでしょうが、

「200mでも頑張る」

のつもりで、つい「でも」と言ってしまったが、国民が注目しているのは「結果」。そうすると、「でも」と言ってしまっては、

「100mと同じ残念な結果」

という意味になってしまう。そこで、「200mでは」と言い直したあたりに、「さすが」と思わせるものがありました。

ロンドンオリンピックでは、競技の内容と結果と合わせて、こういった「言葉」にも注目していきたいと思います。

(2012、7、30)

2012年7月31日 19:07 | コメント (0)

新・読書日記 2012_130

『随筆 辞書を育てて』(水谷静夫、岩波書店:2012、6、7)

帯は「舟を編む」の三浦しおんさんが書いています。

「エッセイ」ではなく「随筆」とするのが「さもありなん」と思われる文章の数々でした。

本の中でも出てくる山田俊雄先生の『詞苑間歩』をほうふつさせる本でした。

日々、言葉について考えていく態度、たぶん一生、続くんでしょうね。

いま「舟を編む」で辞書編纂者に注目が集まっていますから、こういった本も、一般の方に読まれるかもしれませんね。ちょっと専門的で渋いけど。


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(2012、7、29読了)

2012年7月31日 15:43 | コメント (0)

新・読書日記 2012_129

『ハーバード白熱日本史教室』(北川智子、新潮新書:2012、5、20第1刷・2012、6、30第8刷)

「ハーバード白熱教室」というと、マイケル・サンデル教授の、あのパフォーマンスというか、教室(学生)と一体になっての参加型の講義(講演)のイメージが強く、この本もそんな亜流なのかな?と思って買わずにいたのだが、1か月で8刷というという勢いに押されて(?)買ってしまった。帯の写真の若いきれいな女性が、そのハーバードでの「白熱日本史教室」のご本人とは!まだ32歳!若い!そんな若い人がハーバード大学で「教えて」いるのか。すごいなあ。サンデルさんだけじゃないんだなあ。

しかも読んでみると、彼女はもともと「理系」の人で、留学先でたまたま受けた「日本史」の講義が「なんだか違う」と思ったところから、専門の「数学」ではなく、「日本史」の世界に引きずり込まれるきっかけになったとは。しかも日本で、ではなく、アメリカで、日本史を教えて頑張っている若い人がいるんだなあと驚くとともに感心。

アメリカでの「日本史」は、結局「サムライ」について教えているだけで、そこに「女性の存在」が欠けていることに気付いて疑問に思ったところから、すべては始まっている。一つの疑問を突き詰める集中力、気付く感性、いろんなものが一つになってきたのでしょうね。勉強になりました!


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(2012、7、22読了)

2012年7月31日 11:20 | コメント (0)

新・ことば事情

4797「東西南北のアクセント」

「東西南北」

をそれぞれ単独で言うとき、「方角」であれば、

「ヒ/ガシ」

「ニ/シ」

「ミ/ナミ」

「キ/タ」

と、(標準語・共通語の場合)アクセントはすべて「平板アクセント」なのですが、これが、「人名」(おもに名字)だと、

「ヒ\ガシ」

「ニ\シ」

「ミ\ナミ」

「キ\タ」

と、全部「頭高アクセント」になるのは、なぜなんでしょうか??

ロンドン五輪男子サッカーの「東選手」を見ていて思いました。

ちなみにこれが「地名」になると、大阪の「ミナミ」「キタ」のように、「人名」と同じく「頭高アクセント」だと思うのですが、「ヒガシ」「ニシ」になると、「地名」と「方角」の中間だからか、まだ「地名」としてよりも単なる「方角」という意識の方が強いからか、「平板」の方が強いように思います。

不思議ですねえ。

(2012、7、30)

2012年7月31日 09:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4796「『もっと』『ずっと』の『っ』」

 

「もっと」「ずっと」

と言った場合の小さい「っ」は、いったい何なのかが気になりました。たとえば、

「めっちゃ」

という場合の小さい「っ」は、「めちゃ」の

「強調」

の意味を表しますが、それと同じようなものなのでしょうか?それとも、

「単に語調を整えるもの」

なのでしょうか?あ、同じようなものに、

「きっと」

がありますね。うーん...と考えて、そうか、

「語尾の『と』」

「状態を表す接尾語」と考えれば、これらの言葉の「幹」となるべきところは、

「も」「ず」「き」

となる。それらの持つ意味は、

「『も』は『さらに』」

「『ず』は『時間・量を凌駕して』」

「『き』は『間違いなく』」

というような意味を表しているのではないか?と考えました。

そうすると小さい「っ」は、「強調」と「語調を整える」の両方の働きをしているように思えますが、いかがでしょうか?

(2012、7、30)

2012年7月30日 22:54 | コメント (0)

新・読書日記 2012_128

『誰も知らない「名画の見方」』(高階秀爾、小学館101ビジュアル新書:2010、10、6第1刷・2011、12、21第6刷)

『週刊西洋の巨匠』全50巻で連載されたものをまとめたもの。豊富なカラー写真の名画を眺めるだけでも価値がある。新書にしては高い1100円も納得。ひとつ一つの絵の解説も長すぎず短すぎず、コンパクトで「へえー」と思わせる内容で、読んで得した感じ。

表紙のフェルメールの「真珠の首飾りの少女」、今度、神戸に来るんだよね。ぜひ見に行きたいです!


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(2012、6、14読了)

2012年7月30日 19:38 | コメント (0)

新・読書日記 2012_127

『差別語からはいる言語学入門』(田中克彦、つくま学芸文庫:2012、6、10)

単行本は2001年。もう10年以上もたつのかぁ。もちろん当時、買って読みましたが、あとがきによると「あまり売れ行きはよくなかった」そうです。そのうちの一人の読者です。

ちょうど甲南大学で「差別語」についての話をするタイミングでもあったので、学生さんたちに「ぜひ読むように!」と勧めたが、読んでくれたかな?

いま読んでみても、大変勉強になる一冊です。若いアナウンサーはぜひ読むべし!


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(2012、6、30読了)

2012年7月30日 11:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4795「跳ね返すか?撥ね返すか?」

「ミヤネ屋」のスーパーチェックで、

「はねかえす」

という言葉の漢字表記は、

「跳ね返す」か?「撥ね返す」か?

「撥」は表外字なので、テレビ・新聞では「平仮名」で書くか、ルビを振るかですが。

『新聞用語集2007年版』には、「はねかえす」の用例は載っていませんが、

「跳ね飛ばす」

は載っていましたので、「跳ね」でいいのかなと思っていたら、読売新聞OBのOさんが、

「『撥ね』ではないか?だから『平仮名表記』では?読売新聞社の『読売スタイルブック2011』には『撥ね』で(つまり平仮名の「はね」)で載っている。『広辞苑』もそうだ」

と言って来ました。国語辞典をいくつか引いてみたところ、以下のような結果になりました。

*「跳ね返す」

=新聞用語集2007年版、精選版日本国語大辞典、デジタル大辞泉、新潮現代国語辞典、新選国語辞典、岩波国語辞典

*「撥ね返す」

=読売スタイルブック2011、広辞苑、三省堂国語辞典

 

意見が分かれているのですね。

思うに、「跳ね返す」は「跳躍」の「跳」ですから、まさにジャンプするような感じで「はねる」のでしょうね。助走がある感じ。

それに対して「撥ね返す」は「撥条(ばね)」の「撥」ですから、そういった意味の弾き返す、力をためている静的(スタティクスだっけ?)な感じから力を破裂させてはねかえす感じです。助走なし。

そんな中で『新明解国語辞典』は、「跳ね返す」と「撥ね返す」で、意味を別に書いてありました。

*「跳ね返す」=①勢いよく元の状態にもどす。②跳ねてひっくり返す。

*「撥ね返す」=相手からの働きかけに負けない勢いを見せる。(例)劣勢を撥ね返す

うーん、どっちもおんなじように感じてしまいます。漢字の使い分けは難しいです・・・。

(2012、7、27)

2012年7月29日 22:25 | コメント (0)

新・読書日記 2012_126

『日本人はなぜさようなら」と別れるのか』(竹内整一、ちくま新書:2009、1、10)

77日に武庫川女子大学・佐竹秀雄先生の主宰される一般の方対象の「ことばの勉強会」が開かれたので出席しました。テーマが「あいさつのことば」でした。

その中で佐竹先生が、

「日本語は、『出会いの挨拶』よりも『別れの挨拶』の方がバリエーションが多い気がする」

 とおっしゃって、興味深いなあと思いました。家に帰って本棚を見ると、この本が。以前に買って、まだ読んでなかったので、読み始めたのですが、これがなかなかおもしろい。「さようなら」という挨拶は、「日本人の死生観」と密接な関係があるのではないか?という考察です。そのなかに出て来た十返舎一九の辞世の歌は、

 「この世をば どりゃ おいとまに線香に ともにつひには灰 左様なら」

 以前、これは聞いた(読んだ)ことがありましたが、「十返舎一九」の辞世の歌だったかと改めて知りました。うまいこと言うなあと思いました。


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(2012、7、14読了)

2012年7月29日 17:25 | コメント (0)

新・ことば事情

4794「つぶやいた」

726日の朝日新聞朝刊「ロンドン五輪」特集の、

「なでしこ いざ頂点へ」

という見出しの記事の下に、

「ギリシャ選手人種差別発言、五輪出場取りやめ」

という小さな見出しの記事がありました。ざっと読んでみたら、

「パパクリストウ選手は、アフリカからの移民をからかい、移民排斥を掲げる極右政党への支持を表明するようなつぶやきをした」

「パパクリストウ選手は25日になって、『誰かを傷つけたとしたら謝る。私はアスリートであって、政治には関わっていない』などとつぶやいた」

とありました。ボウラ・パパクリストウ選手は陸上女子の三段跳びに出場予定だったそうです。

私が気になったのは発言内容もさることながら、それを紹介した、

「つぶやきをした」

「つぶやいた」

という表現。「つぶやいた」だけでは、こんなに問題にならんだろう、独り言だし。当然これは、

「ツイッターに書き込んだ」

という意味で書かれているのだと。よく読んだら最初に、

「ツイッターで人種差別的なつぶやきをした」

とはっきり書かれていました。

しかし、「つぶやきをした」はともかく、全国紙の記事で単独で、

「つぶやいた」

と書いて、

「ツイッターに書き込みをした」

ことを意味する記事を目にした記憶はなかったので、ちょっとびっくりしました。それだけ「つぶやく」ことが一般化していることの表れなのでしょうか?

記事は「平井隆介記者」の署名記事でした。

 

(追記)

朝日新聞が、

「ボウラ・パパクリストウ選手」

とした選手の名前が、7月26日の深夜(27日)のNHKのニュースでは、

「バラスケヴィ・パパクリストゥ選手」

と出ていました。また、読売新聞は、

「パラスケビ・パパフリストゥ選手」

で、「ビ」か「ヴィ」かの違いはありますが、NHKと読売新聞は同じですね。

また、毎日新聞は、朝日新聞と同じく、

「ボウラ・パパクリストウ選手」

でした。

(2012、7、27)

 

 

(2012、7、26)

2012年7月29日 10:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4793「せびる」

ふと、思いました。

「せびる」

というのはいったいどういう語源なのだろうか?と。

「小遣いをせびる」

などの「せびる」です。

『精選版日本国語大辞典』で「せびる」を引くと、意味は、

「無理に求める。しいて頼む。せがむ。ねだる。せぶる。」

とあって、その前になんと、

「『せぶる』の変化した語」

とあるではないですか!「せぶる」、聞いたことがない。そこで「せぶる」を引くと、

意味は「→『せびる』」とだけなっていて、用例として「浮世草子・男色十寸鏡」(1687)や「洒落本・素見数子」(1802から引いてあります。

ここでハタと思い付きました。

「『せぶる』の『せ』は『施』、『ぶる』は『振る』ではないか?」

「施」は「ほどこす」ですから「与えること」、「振る」は「まき散らす、配当する」というような意味だと考えれば、「せぶる」は、

「施しを与えるようせがむこと」

というような感じで、意味がつながって来ませんか?

いや、思いつきですから、ほんとかウソか知りません。「せがむ」の意味がどこから来たかわからないし。でもなんとなく通じるような・・・どうでしょうか?

(2012、7、26)

2012年7月28日 19:02 | コメント (0)

新・読書日記 2012_125

『いじめの構造~なぜ人が怪物になるのか』(内藤朝雄、講談社現代新書:2009、3、20)

3年前に購入して本棚の肥やしになっていたが、今回の滋賀・大津市のいじめ自殺事件をきっかけに、本棚から引っ張り出してきて読んだ。

 

「いじめ」は、"市民社会における秩序とは別の秩序"が成り立っている「学校」で起きる。学校での秩序は「群生秩序」と呼ばれるもので、そこでの善悪の基準は一般社会とは異なる。「善」とは「みんなのノリにかなっていること」、つまり「KY(空気が読めない、読まない)」は「悪」なのだ。それが、そこでの「倫理」だ。そしてその「群生秩序」の中での「身分」は厳密に定められている(一方的に)。こういった「いじめ」は子供たちだけではない。あらゆる社会集団に存在する。また、いじめに走るきっかけは、加害者側の「全能感」が外されたことによる怒り、「おまえが思い通りにならないから」というまことに「手前勝手」な理由によるという。加害者側は、加害者側の倫理の中で「遊んでいるだけ」で、加害者側の定義する「いじめ」と、被害者側の感じる「いじめ」は、全く別物であることにも注意を払うべきだ。被害者側が「いじめ」で訴えて、加害者側が「遊びだった」というのは、まさにこの構図に合致する。

こういった記述を読んでいて感じたのは、

「あ、これって『暴力団の論理』と同じじゃないか!」

ということ。本書は、そういった感情を生む"環境"として、現在の「学校教育の組織」を挙げている。その改革のための方策として、(1)学校の法化(2)学級制度の廃止の2点を挙げている。つまり<聖域としての特権>を廃して学級制度を廃止せよ、というのだ。

自由な社会を築きつつ絆も結ぶという、相反することの距離感をうまく取るためにはどうすればいいのか?それを考えていかないといけない。示唆に富む一冊であった。


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(2012、7、23読了)

2012年7月28日 13:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4792「痔ィなんだよな」

斜め向かいの席と、その向かいの席の「ミヤネ屋」のスタッフが、何やら話しているのが、ちらっと耳に入ってきました。

 

 

「痔ィなんだよな」

 

 

あら。。。聞いてはいけないことを聞いてしまったか。聞こえなかったふりをしよう。

そう思っていたら、

「しかし、2度も鉄棒から落ちるほど、この技は難しいんだよな」

と。あれ?なんだか話が・・・あ、そうか、オリンピックの時期・・・鉄棒・・・とくれば、これは「痔」ではなく、

 

 

 

「G難度」

 

 

だ!彼は、

「G難度やな」

と言ったのでした!どんな聞き違いや!

でも、彼と話していたスタッフも、

「なんで急に、痔の話をするのかと思いました」

と言っていたので、「G難度」な「痔ィなんだ」と聞き間違いやすいことは確かでしょう。さすが「G難度」、取扱い注意。体操というと、

「ウルトラC」

ぐらいしか思いつかない私のような素人は、言わない方がいい言葉かもしれません。

(2012、7、26)

2012年7月28日 11:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4791「中高アクセントの320円」

 

「320円」

 

という金額を発音するときに、もともとは、

「サ\ンビャク・ニ\ジューエン」

あるいは、

「サ\ンビャク・ニ/ジュ\ーエン」

と発音していました。

しかし、最近よくコンビニなどで耳にするアクセントは、「中高アクセント」の、

「サ/ンビャクニジュ\ーエン」

です。このアクセントについて考えてみました。

「中高アクセント」は最近、よく使うから、それが指す金額が「安く」聞こえるということは、『平成ことば事情3765「1500万円のアクセント」』に書きましたが、先日、

「もしかしたら・・・」

と思ったことがあります。それは、

「安く聞こえるのは、実際に価値が下がっているからではないか?つまり『金額を指す言葉の価値』の相対的低減。金額の価値が下がったから、それをよく使う人が、そのことを敏感に感じて、アクセントによって『価値が下がった』ことを告げようとしているのではないか?つまり、『言葉のインフレ』ではないか」

という「思いつき」です。

「超」や「バリ」「めっちゃ」あるいは「神」、テレビ業界における「生」などの、いわゆる「強調語」が多用されるのも、

「言葉の価値が下がっている」

つまり、

「言葉のインフ現象」

なのではないでしょうか?よく、

「言葉に手あかが付いた状態」

というのは「言葉のインフレ」と言えるのではないか、と。

皆さんはどう思われますか?

(2012、7、26)

2012年7月27日 21:52 | コメント (0)

新・ことば事情

4790「ボリューム」

「平成ことば事情4788ボリューミー」を書いた時に、「ボリューム」について英和辞典で調べていたら、

「音量、物の量」

などの意味と並んで、

「本、VOL

という意味も出てきました。あ、そうだったのか!よく、本やCDなどで、

vol.1」「vol.2

というような表記が出てきて、確かにこれを、

「ボリューム・ワン」「ボリューム・ツー」

と読んで(呼んで)いながら、

「なぜ、本の第1巻、第2巻の『巻』を『ボリューム』と言うのだろうか?」

と思っていたのですが、そうか「ボリューム」には、もともとそういう意味があったのか!

「国語辞典」で「ボリューム」を引いてみると、『精選版日本国語大辞典』には「3番目の意味」で、

「書物。巻。冊」

が載っていて、用例は1914年の『外来語辞典』でした。

『デジタル大辞泉』にも4番目の意味」で、『明鏡国語辞典』「3番目の意味」で載っていました。用例はなし。『広辞苑』はなんと1番円の意味」で、

「(書物の)巻。冊」

と載っていました。

『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』は、この意味は載せていませんでした。

(2012、7、26)

2012年7月27日 18:50 | コメント (0)

新・ことば事情

4789「熱転がって」

 

ケータイメールを打ってから、今送ったメールを見ると、こんな文字が。

「熱転がって」

あ・・これは、

「ねっころがって」

と打って、

「寝っ転がって」

と変換されることを期待していたのですが・・・そう来ましたか。

でもこの「熱転がって」は、

「暑苦しい感じ」

が出て、娯変換ながら感じが出ているなあと感心しました。

熱帯夜には、「寝っ転がって」いても「熱転がった感じ」になりますね。

暑いんで、このコラムも短めに・・・。

(2012、7、25)

2012年7月27日 15:22 | コメント (0)

新・読書日記 2012_124

『書店員が本当に売りたかった本』(ジュンク堂書店新宿店、飛鳥新社:2012、7、24)

ジュンク堂新宿店が、今年の3月末で閉店したそうだ。行ったことなかったけど。そのお店の書店員たちが、自ら作った「この本を読んで!」という「ポップ」を撮影した写真を集めた本。だからほとんどが写真。その写真は「文字」「文章」を写したものだが。うちの中3の息子はこの本を見て、「なにこれ?本と違うやん!」と言っていたが、まあ要は「書店員お薦めの本の書評集」みたいな一冊。「ジュンク堂新宿店」の「本屋大賞」みたいなものですね。

ポップの文字の色が「赤」だったりするとイライラしたし、字が汚ないポップを見ると読む気が失せたが、中には「フムフム」と読ませるものもあって、実際、ここで紹介されている本から10冊ぐらい、買ってしまった。こんな「書評欄本」ってのも、あるんだなあ。


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(2012、7、18読了)

2012年7月27日 13:52 | コメント (0)

新・ことば事情

4788「ボリューミー」

719日木曜日「秘密のケンミンshowのPRを見ていたら、

「超ボリューミーな食事」

というような表現が出てきました。この、

「ボリューミー」

という言葉、耳慣れませんが、チラッと聞いたことはある感じ。意味は、

「ボリュームがある」

「ボリューム」の形容詞形ですね。でも、本当に「英語」なのでしょうか?「和製英語」なのでしょうか?

英和辞典を引いてみると、やはり「ボリューミー」という単語は載っていません。「ボリューム」の形容詞形は、

「ボリューミナス(voluminous)」

でした。

Google検索してみたら(7月25日)、

「ボリュミー」=239万0000件

「ボリューミナス」=   889件

でした。「関心空間」というサイトには、

「ボリューミー 【和製英語】 =英語を母国語にする人には伝わらない和製英語。ボリューミーに相当する英単語は、voluminous () 」

と記されていました。

また、goo辞書(「デジタル大辞泉」)には、

「ボリューミー」=〔volume(量,量感)からの和製語〕

俗に,量感のある様子。「―なヘア-スタイル」「―な料理」

と、ありました。私の持っている電子辞書の「デジタル大辞泉」には「ボリューミー」は載っていませんでした。

(2012、7、25)

2012年7月27日 11:24 | コメント (0)

新・読書日記 2012_123

『未来ちゃん』(川島小鳥、ナナクロ社:2011、4、1第1刷・2011、12、24第13刷)

42回講談社出版文化賞写真賞受賞。

あまりにも作りすぎ感があり、すんなり入り込めない。

未来ちゃん、黒目が大きすぎ!昭和のかおりの過剰演出か。ラップのコマーシャルのおんなのこによく似ている。もしかして、本人?


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(2012、7、24読了)

2012年7月26日 23:34 | コメント (0)

新・読書日記 2012_122

『じいちゃんさま』(梅佳代、リトルモア:2008、8、8第1刷・2011、11、28第5刷)

久々に「うめかよ」の写真を見ました。知らない間に写真集、出してたのね。しかも「5刷」って、売れてるじゃないですか。

なんだか、愛情を感じる写真の数々。

実は、「最後でおじいちゃんは死んじゃうんじゃないか」と思ったのですが・・・大丈夫でした。お元気で!


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(2012、7、24読了)

2012年7月26日 15:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4787「ピネドトグチ・マックスエンリク容疑者」

少し前に、報道の女性記者のOさんが、

「きのう、とっても難しい名前の外国人の容疑者が、原稿に出てきましたよ」

と教えてくれました。その容疑者の名前は、

「ピネドトグチ・マックスエンリク容疑者」

というものでした。

なるほど、これは長くて言いにくいし、覚えにくい。覚えなくてもいいかもしれませんが、カツゼツ練習に取り入れてもいいかもしれないですね。

国際化が進むと犯罪も国際化して、日本人にとっては聞き慣れない名前の外国人がニュースに登場する機会も増えてくるのではないでしょうか?

そうならないように望みたいところですが、準備はしておかなくてはなりますまい。

(2012、7、17)

2012年7月26日 10:13 | コメント (0)

新・読書日記 2012_121

『深読みフェルメール』(朽木ゆり子×福岡伸一、朝日新書:2012、7、30)

福岡伸一ファンである私は、その導きで、フェルメールの世界にちょっと足を踏み入れた感じの初心者。朽木さんの著書は、まだ読んでいない。その二人の対談集。結構、丁々発止というか、ああ打てばこう受ける・・・のような"言葉の卓球"が心地よく、フェルメールの世界を味わうことができた。ただ深さでいうと、ことし初めに読んだ『フェルメール光の王国』(福岡伸一、木楽舎:2011811刷・20111012刷=2012読書日記002)の方が、当然だが深い話が書かれているので、その周辺の"雑誌"を読んでいるような感じでした。フェルメールが住んでいた街・オランダのデルフトも行ってみたいなあ。


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(2012、7、23読了)

2012年7月25日 20:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4786「スタンドアップの表記」

 

 

この間から、717日に桑名正博さんを見舞った内田裕也さんの「お見舞いコメントの表記」をどうするか、悩んでいました。

「ミヤネ屋」では、おととい(7月18日)は、

「スタンダップ」と「スタンドアップ」

が混じり、きょう(20日)は英語で

「STAND UP」

でしたが、このところのスポーツ紙を見たら、

(スポニチ)STAND UP!桑名

(日刊スポーツ)STAND UP!桑名

(デイリー)スタンドアップ!桑名

(報知)スタンドアップ桑名!!

(サンスポ)スタンダップ!桑名正博

と、やはり3種類が混じっていたのでした。

 

(2012、7、20)

2012年7月25日 11:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4785「失敗裏」

 

NHKの原田邦博さんからメールが来ました。

「今日、テレビを見ていたらリポートで『成功に終わる』という表現がありました。

『成功』の場合は『成功裏に~』とか、『成功のうちに~』のほうが、安定感があるのではないでしょうか。一方『失敗』の場合は、『失敗に終わる』が普通で、『失敗裏に~』はないし、『失敗のうちに~』も変ですね。」

という、なるほどーと思いつつも、「謎かけ」のようなメールです。この謎を解いてみよ!という感じ。

とりあえず『広辞苑』を引いてみました。「~裏に」という表現

「秘密裏に」

載っていたのですが、実は「成功裏」は載っていませんでした。

また、漢和辞典を引いたら、

「暗々裏」「盛会裏」

というのもありました。「暗々裏」って知らない言葉だなあ。「盛会裏」は使ったことあるけど。「~裏」は、

「~の状態のうちに」

の意味のようです。Google検索は(7月17日)、

「成功裏」=   32万6000件

「秘密裏」= 122万0000件

「盛会裏」=   2万6600件

「暗々裏」=   2万6200件

「失敗裏」=   1万0100件

「成功裏に」=202万0000件

「失敗裏に」=    2930件

でした。この言葉の探索は、果たして「成功裏に」終わったのでしょうかね?え?まだ続いているって?

 

(2012、7、17)

2012年7月24日 11:58 | コメント (0)

新・ことば事情

4784「元帥と次帥」

 

718日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が、

「元帥」(げんすい)

になったというニュースがありました。それを聞いて、

「多分、そういう間違いが出るだろうなあ・・・」

と思っていたら、やっぱり「ミヤネ屋」のスーパーチェックをしていると、

「元師」

という間違いが出ました。もちろん放送に出る前に直しましたが。

「教師」の「師」ではありません。右側の上に「一」がない「帥」です。

「統帥権」、読めますか?

 

さて今回はこの「元帥」のアクセントですが、私は「将軍」と同じ「平板アクセント」で、

「ゲ/ンスイ」

かと思ってアクセント辞典を引いたら、『NHK日本語発音アクセント辞典』『新明解日本語アクセント辞典』「明解国語辞典」の3つの辞典で、

「ゲ\ンスイ」(頭髙アクセント)

しか載っていませんでした。前日には、側近の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)氏が、

「次帥(じすい)」

に昇格したというニュースがありましたが、このアクセントも「元帥」に倣うと、

「ジ\スイ」(頭高アクセント)

なのでしょう。「平板アクセント」だと、

「自炊」(ジ/スイ)

になってしまいますしね。

「次帥」という言葉は、私が引いた辞書には出ていませんでした。

 

(2012、7、18)

2012年7月23日 11:11 | コメント (0)

新・ことば事情

4783「パーライオン」

 

7月初め、京阪電車の中で見かけたポスター。

シンガポールの「マーライオン」のような表情・ポーズをした、お笑いタレント・ブラックマヨネーズの小杉さんが、口から豪快に水を噴水のように吐き出している写真の下に、大きな文字が、

「パーライオン」

と。これは「ひらかたパーク」、通称「ひらパー」プールの宣伝ポスターです。

言うまでもなく、「ひらパー」と「マーライオン」をくっつけたダジャレです。好きだなあ、これ。ポスターの写真も、なんとなく涼しげです。

ブラマヨの小杉さんは、ここ数年、「ひらパー」イメージキャラクターとして頑張ってくれています・・・って、まるで「ひらパー」の社長のような言い回しですが。違いますけど。

 

(2012、7、19)

2012年7月22日 12:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4782「これまでに経験したことのないような大雨」

 

今回(711日以降)の九州での豪雨に関して、7月12日、気象庁は、

「これまでに経験したことのないような大雨」

という、これまでに耳にしたことのないような表現を発表しました。

これは、「短文」で災害への危機感を喚起する、

「記録的な大雨に関する気象情報」

で、実は先月(6月)下旬から、この言葉は導入されていたそうですが、実際に使われたのは今回が初めてだったとのことです。

気象庁はこれまでも、24時間から2~3日先に災害に結びつく気象現象が発生する恐れがある場合には、雨量や気圧配置などの解説や実況を詳しく説明する、

「長文形式の気象情報」

を発表していたのですが、去年の「紀伊半島豪雨」の後に地元の防災関係者から、

「総雨量が何ミリと言われて、危険の度合いが分からない」

といった意見が寄せられたことから、(「長文形式」に加え)「短文形式」でも発表するように改善したのだそうです。

その結果は・・・警戒してもそれを超えるような豪雨、また「避難指示」がその発表に答える形で発令されなかったことも含めて、死者の数を見る限り、残念ながら今回は有効な機能を果たさなかったのではないでしょうか。

ただ、今回これだけ注目を浴びたのですから、今後この「短文形式」の情報が発表されれば、

「これは、ほんとに大変なんだ!」

と感じてもらえるのではないかという気がしました。この言葉のさらなる浸透を図るとともに、我々の側も「心の準備」が必要なのかもしれません。

 

(2012、7、18)

2012年7月21日 12:28 | コメント (0)

新・読書日記 2012_120

『BAKUMAN(バクマン)19&20』(原作・大場つぐみ、漫画・小畑健、集英社:~2012、7、9)

 

2010年の正月に一気に読んだ漫画。その後も息子がコミックス(単行本)を買い続けていたものの、私は読んでいなかったが、このたびコミックス「第20巻」でめでたく完結、ということで、その直前の19巻と20巻を読んだ。間がずいぶん抜けたけど、11巻までは読んでいたので、ほぼ流れはつかめた。

感想は・・・これは実は「少女マンガ」なのではないか?昔の漫画(35年ぐらい前)に読んだ漫画で言うと、「弓月光」あたりの。そんな気がしました。

 

 


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(2012、7、15 読了)

2012年7月20日 20:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4781「山田五十鈴」

 

昭和の大女優・山田五十鈴さんが亡くなりました。95歳でした。

それを710日の「ミヤネ屋」で伝える前に、ふと思いついて、

 

「山田五十鈴、って知ってる?」

 

若い女性アナウンサーに聞いたら、

 

「社内の方ですか?」

 

と言われました・・・・。もう一人の若い女性アナウンサーに聞いたら、

 

「一応、お名前は。でも『みんなちがって、みんないい』の人と、よく、ごっちゃになります・・・」

 

という返事が。それは、

「金子みすヾ」

だよ!山田五十鈴、金子みすず・・・たしかに似ているが・・・。

20代の人たちにとっての95歳の大女優・山田五十鈴は、そんな存在なのだなあと、改めて勉強になりました。

合掌。

 

(2012、7、18)

2012年7月20日 11:45 | コメント (0)

新・読書日記 2012_119

『ケルベロスの肖像』(海堂尊、宝島社:2012、7、6)

 

おもしろく、明け方までかかって読み切ってしまいました。寝不足です。これ、映画化とかドラマ化、シリーズでされているけど、私は田口先生役は吉岡秀隆さんか、もしくは今回読んでいて、大森南朋さんでもいいのかな?というように感じた。

東堂先生は、厚生労働省の火喰い鳥・白鳥と同じく"狂言回し的"な感じが。あまりにもはしゃいだ役割なので、読んでいて思わず噴き出してしまった部分(「ヨッ、マイボス、大統領!」)もあった。

それと、MRIの化け物を運ぶのに戦車を使う場面、そんな許可を自衛隊が出すのか?という疑問よりも、

「一般の公道を、戦車が走れるのか?」

という疑問の方が先に立った。ま、お話だからいいんだけど。普通のアスファルトの道路を戦車が走ったら、アスファルトが沈み込んで、キャタピラーの跡が付いてしまうのではないか?と疑問に思ったのだ、北海道ならともかく。

本の表紙が「藤色」というのも、なかなかドギツイ。しかし、一連のシリーズの色合いには、トーンが合っていた。

 

 


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(2012、7、16読了)

2012年7月19日 20:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4780「久々に聞いた『れ足す言葉』」

 

ロンドン・オリンピックが近づいてきました。

2012年7月17日の日本テレビ『ニュースZERO』で、男子競泳・背泳ぎの入江陵介選手の特集をしていました。その際に、入江選手がインタビューに答えて、

 

「一つでも多くのメダルをつかめれたら」

 

と言っていました。おお、久々に聞いたぞ「れ足す言葉」!本来は、

「つかめたら」

でいいのに、そこに「れ」を入れてしまう言い方。これまでに「平成ことば事情161れ足す言葉」「平成ことば事情1926れ足す言葉2」でマラソンの高橋尚子選手(当時)が、

「オリンピックに行けれるように」

「一日一日、輝いて行けれるように、頑張ります」

と、また元・阪神投手の中西清起さんが、
勝てれる

と。そして俳優の佐藤浩市さんが、

「友達が増やせれるかな」

プロ野球パシフィックリーグの近鉄バファローズ、大村選手(当時)が、

「近鉄で教えてもらったことを、生かせれるように頑張りたいと思います。」

などと言っていた記録を書き残しましたが、そこに入江選手も入りました。水泳界からは初めてかな?

ちなみに入江選手のコーチは、

「道浦健寿コーチ」

という方でした。歌人の「道浦母都子さん」以外で「道浦」という名字をテレビで聞いた(見た)のは初めてでした。親戚ではありません。

 

(2012、7、18)

2012年7月19日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4779「このあと」

 

 

もう2年前の話です。

2010222日にバラエティー番組を見ていたら、

「このあと、ついに明石家さんまが」

という告知があってCMに。当然CMのあとに出てくると思ったら、明石家さんまさんの出演は、

「来週」

でした。来週の予告がちょっとだけ流れておしまい。そのときに書き残したのが、

「あれはあかんやろ!」

「『このあと』と言ってCMになったら、当然、『CMのあと』に登場してくれなければなりません」

そこで、ほんのちょっと出てきて、

「本編は来週」

というのは、視聴者を欺く行為です。

これはアカン!と憤る私を前にして、当時、小学6年生の息子が、

 

「時間を見てみいや、(午後)10時まであと10分もないもん。この番組は、10時までやろ、こんな時間から、さんまが出てくるはずがないやん」

 

子どもにはすっかり見透かされています。だまされるのは大人ばかり・・・。

こんなことをしていてはいかんと思っているうちに、この手法はあちこちに広まり、2年も経たないうちに、もう最初から誰も「このあと」に期待しなくなりました。本末転倒です。

小手先のテクニックではなく、本編の魅力で見せる姿に返るべきときです。

 

(2012、7、18)

2012年7月19日 11:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4778「紅零点」

 

201266日に書き始めました。>

ものの本を読んでいて、「紅一点」ならぬ、

「紅零点」

という表現を見かけました。これは、

「女性が一人もいない状態」

を指すそうです。初めて見ました。意味は分かりますが、なんだか違和感が。「女性がいることを前提」とした表現ですね。

逆に「女の中に男ひとり」は、

「ほくろ」

あるいは、

「白一点」

とも言うそうです。「女の中に男が一人」に関しては以前、書きました。その際に「白一点」はあったと思いますが、「ほくろ」という表現は初めて見ました。

Google検索では(717日)、

「紅零点」=      257件

「紅一点」=123万0000件

いろんな表現が出てくるのですね。

 

(2012、7、16)

2012年7月18日 19:45 | コメント (0)

新・ことば事情

4777「『起これ』と『起きろ』」

 

ロックミュージシャンの桑名正博さん(58)が脳幹出血で意識不明だというニュースを、7月16日の「ミヤネ屋」でお伝えしました。翌日の放送でもこのニュースを伝えるため、翌日分の「ラテ欄の文言」に関して、スタッフから質問が。それは、

「奇跡起これ」か?「奇跡起きろ」か?

という質問でした。つまり「起こる」と「起きる」の違いですね。同じと言えば、同じなんですが・・・

私の語感としては、「起これ」という命令形は「願い」であり、しかも自分の力ではどうしようもないことを神に祈るような感じ。

一方の「起きろ」は、自分の命令によってたちどころに「はい!」と起き上がってくるような、自力で何とかできそうな感じがします。

『NHKことばのハンドブック第2版』を引いてみると、

「起きる」・「起こる」、「起きない」・「起こらない」

について書かれていて、

『伝統的な語法としては「起こる」、現代口語では「(津波が)発生する」という意味では「起きる」と表現する慣用が強い。「起こらない」も認める。』

と記されていました。

奇跡が「起こって」ほしいし、「起きて」ほしいです。

 

 

(2012、7、16)

2012年7月18日 18:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4776「『とは』のつく言葉、つかない言葉」

 

20092月に書き始めたときは「平成ことば事情3700」でした。ブログに移るかどうかの頃ですね。そのまま寝かしておきました】

 

2009210日に放送した「情報ライブミヤネ屋」「ビューティフル・ピープルネット」というものをご紹介しました。「美男美女」だけが集まるサイト・サークルなんだそうです。

その原稿の中で

*美しさを保つワケとはいったい・・・

*サイト誕生のワケとは・・・

*その斉藤社長の暮らしぶりとはいったい・・・

というふうに、

「〇〇とは(いったい)・・・」

という形が3回も出てきました。「サイト誕生のワケとは」は、主語がクラブの会長だったので、

「サイトを誕生させたワケとは」

に変えました。

それとは別に「とは」の「と」が気になりました。「と」が付くと、強調される気がします。しかし、謎解きをするものは、その前に書かれているもの、つまり、

「美しさを保つワケ」「サイトを誕生させたワケ」「斉藤社長の暮らしぶり」

です。それが「いったいどういうものか?」という答えがその後に続くのでは。

ただ、「とは」と付く時は、その前に出てくるものが「知られていない」ことが前提です。たとえば、

「ヒチャギラネシテス(※)とはいったい?」(※今、適当に作った名前)

のように「ヒチャギラネシテス」が誰にも知られていない時に、

「とは=というものは」

ということで「伝聞」の形で「知らないことを強調」しているわけです。その質問で出てきている「モノ・コト」自体が「なんのこっちゃ分からない・知られていない時」、また「答えが想像を絶する時(=想像を絶することを話し手は知っている時)」には、

「『とは』は使える」

と思うのですが、質問で出て来たモノ・コトが「ある程度想像が付く時、答えを話し手が知らない体(てい)の時」には使いにくいのではないか?と思いました。

なかなか説明しにくいのですが、要するに最初の「*」の3つに関しては、「と」を取って、

*美しさを保つワケは(いったい)・・・

*サイト誕生のワケは・・・

*その斉藤社長の暮らしぶりは(いったい)・・・

としたほうがスッキリした良い文になると思う、ということです。

「とは」は「強調」なので、あまり乱発すると効果が薄れます。「ここぞ!」というところで使うといいと思います。

なお、「北京のテレビ局隣接のビル火事」のQカードの原稿でも、

「カメラが見たものとは?」

というふうに「とは」が出てきました。「とは」は「強調」と同時に、その「とは」に続くものの範囲を「限定」します。答えがなんなのか?と思わせるときには、限定しない方が、想像が膨らむと思うのです。その意味で、ここも

「カメラが見たものは?」

の方が適切だと思いましたので、そのように直しました。

 

その翌日、出社途中の電車の中で、「とは」について考えました

「『とは』は、その言葉も中身も知らないことについて謎解きをする枕詞。

『は』は、名前は既知のものの、知らない中身・内容についてその後、謎解きする。

『とは』のあとには、あらかじめ用意された答えの中から選択する感じ。わけとは、次のうちどれ?1番、2番、3番?

それに対して『わけ』は、記述式解答のよう。』

 

出社するとナレーション原稿が待っていました。きょうは「政府紙幣」についてです。その原稿の中に、また「とは」が出現!

「政府紙幣とは、一体何なのか?」

この「とは」は問題ないですね。「政府紙幣」の名前は聞いたことがあっても、その内容についてはよくわからない。それに対して「とは」を使っているのですから。「と」を省いて

「政府紙幣は、一体何なのか?」

とすると、意味が伝わらなくなりますね。そして、もう1回出てきた「とは」は、

「その驚きの発行額とは?」

というものですが、これは問題の「とは」です。

「その驚きの発行額は?」

というふうに「と」を省いても意味が分かります。より分かりやすい。

「発行額」と言った時点で、そのあとに出てくるのは「金額」と分かります。分からないのは、

「具体的な金額」

です。「政府紙幣」の場合は、どのような具体的な説明が出てくるかが、今ひとつ分からない。その違いですね。

落語の「千早振る」で、

「千早振る 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」

の意味をこじつけで説明していって、うまく説明できたと思ったら最後に、

「『とは』ってぇーのは何ンですかい?」

と聞かれて、苦し紛れに、

「え!・・・そりゃぁおめぇー・・・千早のお母さんの名前だ」

というのが"オチ"(サゲ)ですが、あの"オチ"を思い出しました。

(2009、2、11) 

(追記)

その後も「とは」は、いっぱい出てきています。最近「とは」に関しては不感症になりました。メモを残しておきます。

 

×「はたしてその正体とは?」→○「はたしてその正体は?」

×「はたして大物スターはいったい誰?」→○「はたして大物スターとはいったい誰?」

 

2009331日「スッキリ!」

「一体彼女の真意とは?」

マラウイで二人目の養子縁組をするマドンナが「デービッドにはマラウイ人の兄弟が必要です」と。

同じく「スッキリ!」で。

「れっきとした新聞社がこんなうそ記事を載せた理由とは?」

 

2009331日「スーパーモーニング」のニュースのタイトルスーパー

「食卓からお米が消える!?日本農業の危機とは?」

これはOKか。

 

200941日放送「ミヤネ屋」

スーパーは「その思惑とは?」

ナレーションは「その思惑は、一体?」

 

既知の情報は「が」、未知の情報は「は」。

 

「とは?」は「質的な疑問」、「は?」は「量的な疑問」。「その年俸とは?」と言えば、お金ではなく、「物」とか「土地」とか「現物支給系」で、「その年俸は?」というのは「金額」。つまり、「とは」には意外性があり、「は」には意外性がない。

 

 

2012223

「入院から4か月、最近のけいこさんの様子とは?」

この「とは」はおかしい!

「謎とは?」「秘密とは?」はオーケー。どう違う?

「原因とは?」はダメ!「希望とは?」はオーケー。「魔球とは?」「勉強法とは?」「ダイエット法とは?」はオーケー。「その座席とは?」「特急とは?」「自動車とは?」はダメ!「その本とは?」はオーケー。

 

2012618

「オウム真理教の今とは?」→「今は?」でいい。「現状とは?」は可。「状態」ならば「状態は」。その言葉の内容説明ならば、「とは」。

 

2012625

「人気の秘密とは?」→「人気の秘密は?」でよい。「子育て法とは?」は「とは」でいい。

 

 

(追記)

アメリカ在住のI先輩からメールが来ました。「とは」に関しての記述が面白かったと。それで、落語「ちはやぶる」に関しては、

「ぼくの持ってる柳家三之助のでは、下げは、『とは』は、『千早の本名』だったということになっています。ウィキペディアの記事でも、下げは『千早の本名』ということになっていました。違うバージョンがあるのかもしれませんが、念のため。」

ありがとうございます。そちらの下げも聞いたことがあるような気がします。私の「おばあさんの名前」は、小学生の頃におじから聞いた「下げ」だったように思いますが、ちょっと、取ってつけた感じですね。

(2012、7、20)

 

 

 

 

(2012、7、17)

2012年7月18日 15:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4775「船鉾」

 

祇園祭が近づいてきました。

いや、近づいてきた・・・のではなく、本当はもう、7月1日に「祇園祭」は始まっているんですが。

しかし、やはり「祇園祭」と言えば「17日」の「山鉾巡行」がメインで、その前の数日の「宵山」「宵々山」が、夜店も出て楽しみです。

その「山鉾巡行」に出てくる32基の「山と鉾」の名前で、

「○○鉾」

という場合の「鉾」を「ほこ」と読むか、「ぼこ」と濁って読むかで、いつもアナウンサーは泣かされます。読売テレビでは、

「長刀鉾」=ぼこ=濁る

「月鉾」 =ほこ=濁らない

というところは毎年同じなのですが、それ以外の「鉾」がニュースに登場すると、いつも迷ってしまいます。今年質問を受けたのは、

「船鉾」

です。たしか昔、これは調べたような気が・・・と昔のノートを紐解いてみたら(ノートは「紐解く」でいいのかな?本じゃないけど)・・・ありました!1997年の7月に書き残したものが!これが今も通用するかどうかは分かりませんが、そこには、

「ニュースで『ふなぼこ』と読んだが、他局は『ふねぼこ』と読んでいた」

という記述があり、さらにその後に、

「『ふねぼこ』が正しいようです」

とも記されていました。

ところが今年のニュースではどうアナウンサーが読んだか?と言うと、

「ふねほこ」

と濁らずに読んでいました。なんか「ぼこ」と濁ると、

「かまぼこ」

みたいに感じてしまう気がします。

関西の各局の知り合いに聞いてみたところ、

(毎日放送)「船鉾」を、ここ数年、原稿検索をかけてみましたが、2010年に1度だけ出てきました。ルビは「ふねぼこ」と濁ってふってありましたので、そのままOAしていると思います。ちなみに「船鉾町」は「ふなぼこちょう」で読んでいたようです。

今後出てくるときは、取材先の言うとおりにするよう言ってありますので、よくお世話になる「月鉾」も、年によって先方の言うとおりにするので、「つきほこ」だったり「つきぼこ」だったりしています。「なぎなたぼこ」は常に「ぼこ」です。

(関西テレビ)「フネボコ」「ナギナタボコ」と読んでいます。 鉾についてはすべて「ボコ」で統一しています。

 

と、ここまで書いてほったらかしになっていて、717日。各紙夕刊を見てみると、ルビ(振り仮名)は、以下のとおり。

 

「山鉾」  「大船鉾」

(毎日新聞)やまほこ  おおふねほこ

(朝日新聞)やまほこ  おおふねほこ

(日経新聞)やまほこ

(産経新聞)やまほこ  おおふね(「鉾」にルビなし)

(読売新聞)やまほこ  おおふね(「鉾」にルビなし)

という結果でした。

 

(2012、7、17)

2012年7月17日 20:16 | コメント (0)

新・ことば事情

平成ことば事情4774「ばくらい」

 

去年(2011年)の11月に青森で開かれた新聞用語懇談会の総会に出たときのこと。

夜、街に繰り出したときに、前日入りして街のリサーチをしていた、酒に詳しい毎日放送の柏木アナウンサーが教えてくれた酒の肴に、

「ばくらい」

というものがありました。これは、

「ホヤの塩辛」

で、漢字では、

「莫久来」

と書くらしい。当て字でしょうか?

青森のその店では「ホヤ」はあったのですが、残念ながら「ばくらい」は品切れでした。

「ホヤ」もこれまで口にしたことがなかったのですが、勧められるままに食してみると、これがなかなか、美味!

「ばくらい」なるものも、是非食べてみたいなあと思っていたら、翌日、岩手・盛岡に移動しての夜。なんと盛岡の店には「ばくらい」があったので、注文して、生まれて初めて食べました。ちょっと辛めでしたが、これなら酒が進むであろうと納得。

関西にいては多分食べることができない(できるかもしれませんが一般的でない)ものを、それぞれの地域に行くことで、味わうことができるのは素晴らしいなあと感じたのでした。

それにしても「ばくらい」って、国語辞典には載っていないんじゃないかな?5~6種類の国語辞典を引いてみましたが、「爆雷」は載っていても、ホヤの「莫久来」は載っていませんでした。

Google検索(7月17日)では、

「莫久来」    =1万6100件

「ばくらい、ホヤ」=  7750件

でした。

 

 

 

 

(2012、7、17)

2012年7月17日 18:37 | コメント (0)

新・読書日記 2012_118

『怒りの作法~抗議と対話をめぐる哲学』(小川仁志、大和書房:2012、3、5)

 

「怒らない」方法を説く本が多い中で「怒りの作法」というタイトルは目を引いて「これだ!」と買ってしまった。ま、「怒り」は「いかり」と読むのですが。

最初のほうを読むと「怒りは人間にとって不可欠の営み」とか書いてあって「そうそう!」と共感してしまいました。しかし中身を読み進めると、これは実は「哲学」の本であるということがわかってきます。哲学者の似顔絵が書いてあったり、(写真じゃないところがいいと思います)それと同じ似顔絵が表紙に、ちょっと「ぷちょっ」と出っぱった手触りのいい印刷になっていたりで、なんとなくお気に入りの一冊です。

とにかく、これを読んで物事を考えるという習慣を取り戻さないといけないと思います。怒らないのは、モノを考えるのをやめるからではないでしょうか?考え事をすると、怒りが湧いてくるのではないでしょうか?そうでもない?

 


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(2012、7、6読了)

2012年7月14日 15:33 | コメント (0)

新・読書日記 2012_117

『動員の革命~ソーシャルメディアは何を変えたのか』(津田大介、中公新書ラクレ:2012、4、10)

 

ふだんなら手に取らなかったであろう本書を手に取ったのは、著者・津田大介に興味があったから。NHKの24時(午前0時)のニュースのコメンテーターとして出ている金髪の男は一体何者なのかを、私は知らなかったので、本屋さんで金髪の著者のカラー写真が(たしか)帯にあったこの本を手に取ったのだった。

「ソーシャルメディア」の何が「革命」なのか?と言うと、「動員」が簡単にできるようになったことだと、著者は説く。たとえば「脱原発のデモ」「中東の革命」。ふーん、なるほどなあ。中東の「ジャスミン革命」のきっかけになったのが「フェイスブック」だとは聞いて知ってたが、「たまったガスに火を付けるライターの役目」を、ソーシャルメディアはするのかもしれないなあ。勉強になりました。

 

 


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(2012、6、16読了)

2012年7月13日 17:40 | コメント (0)

新・読書日記 2012_116

『日本の苗字~難読・珍姓・最多苗字、都道府県別ベスト10』(「歴史読本」編集部編、新人物文庫:2012、5、11)

 

平成ことば事情4738「柳沼」で、「柳沼といい、柿沼、沼田、大沼、沼津と、沼の付く地名・人名は『東日本』に多いのではないか?」という疑問が出ました。その謎を読み解くためにたまたま本屋さんで見つけたこの本を読んだのですが・・・それぞれの都道府県で多い名字と独特の名字がランキングで載っていてそれはそれで面白かったのですが、私の疑問が解かれることはありませんでした。家紋も載っていて面白い。きのう、「七月大歌舞伎」の題目で「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」というのが出てきて読み方(アクセント)を聞かれましたが、そのときに「たしか『五三桐』というか門があったな」と思い出せたのも、この本を読んでいたおかげです。

 

 

 


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(2012、6、10読了)

2012年7月13日 11:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4773「ブルーシート」

 

「ブルーシート」という表現を放送で使ってもいいのか?という質問が「ミヤネ屋」のスタッフから出ました。

「大丈夫だと思いますよ」

と答えて、たしか以前、そういった討議が新聞用語懇談会の放送分科会でされた気がしてメモを探してみました。

すると、2007年6月29日に東京で行われた放送分科会でフジテレビの委員から、

「ブルーシートという表現は使ってもいいのか?」

という、まさに同じ質問が出ていました。それに対して各社の委員の回答は、

 

(MBS)「ブルーシート」はOK

(KTV)フジテレビに準じる。

(テレビ大阪)「ブルーシート」使っている。「青いシート」という表現も使っている。阪神大震災以降、「ブルーシート」は市民権を得たのではないか?

(NHK)「青いシート」「工事用シート」などの表現を使っているが特に取り決めはない。ただ、素材が「ビニール」ではないので「ビニールシート」という表現は使わないようにしている。

(日本テレビ)NHKと同じ。「ブルーシート」「青いシート」などとしている。

(TBS)「ブルーシート」使っている。ラジオでは「ビニールシート」は使わないと決めているが、テレビでは、もしかしたら使ってしまっているかも。「青いシート」も。

(テレビ朝日)「青いビニールシート」などと言うこともあるが「ビニール」は間違い。「ブルーシート」「青いシート」も使う。

(テレビ東京)「ブルーシート」を使うことが多いが、統一はされていない。以前、NHKの長崎局にいた際の1991年、台風19号が佐世保を襲った。最大瞬間風速54,3メートルで、屋根が飛んでしまった家もあった。その際は「青いシート」と言った。「ブルー」とは言わなかった。キャンプをする人の間では青いシートを「タープ」と呼ぶ。

 

というようなものでした。

 

 

(2012、7、12)

2012年7月12日 19:35 | コメント (0)

新・読書日記 2012_115

『金正恩の北朝鮮と日本~「北を取り込む」という発想』(辺真一、小学館101新書:2012、3、4)

 

4月の故・金日成(キム・イルソン)国家主席生誕100年の節目に、金正恩(キム・ジョンウン)体制を固めてくるであろう北朝鮮。その基礎知識を得ようと、4月に読んだ。で、そのまま、読後感を書くのが遅くなってしまったので、内容をだいぶ忘れてしまった。そういえばここ3か月ほど、あまり北朝鮮のことがニュースに上がって来ない気が。どうなっているのであろうか?

本書によると、4月以降、北朝鮮は「金ファミリー・党・軍」による「トロイカ体制」になろうと。「体制維持に長けている北朝鮮は、意外と潰れない」と辺真一氏は述べる。金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去の情報をつかめなかった日本の諜報・情報部門はどうなっているのか?とも思うが、それだけ北の"鉄のカーテン"が、しっかりしていたということでもあろう。

金正恩の後見人のキーパーソンは7人いて、中でも故・金正日総書記の妹・金慶喜(キムギョンヒ)・とその夫・張成沢(チャン・ソンテク)は、ファミリーであるだけに強力にバックアップするであろうと。さらに軍参謀総長の李英鎬(リ・ヨンホ)、人民武力相の金永春(キム・ヨンチュン)、軍政治局第一副局長の金正角(キム・ジョンガク)、国家安全保衛部第一副部長の兎東則(ウ・ドンソク)、そして国防委員会副委員長の呉克烈(オ・グンヨル)の名前をキーマンとして挙げている。参考にしたい。

 


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2012年7月12日 17:55 | コメント (0)

新・ことば事情

4772「赤ちゃんパンダ急死」

 

201275日に東京・上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃんですが、711日の朝、死にました。午後1時25分に速報が出て、この日の「ミヤネ屋」は、

「パンダ一色」

になってしまいましたね・・・パンダは二色(白・黒)ですが。

なお、動物が死んだときには「死亡」「亡くなる」などは使わないということになっています。というのも、「亡」という漢字は「人間が死んだときだけ」に使うからです。実際は、上野動物園の張り紙にも、

「亡くなりました」

と使われていましたし、一般的には使われています。

それについては、過去に調べて書いた「平成ことば事情271 犬、死亡」をお読みください。また、『放送で気になる言葉2011』(ピンクの表紙の冊子)の22ページにも載っています。

パンダの赤ちゃんの死を伝えた翌日(712日)の各紙朝刊の表現は、

 

<見出し>             <本文>

(読売)赤ちゃんパンダ急死         死んだ・急死した

(朝日)赤ちゃんパンダの死 無念      死んだ

(毎日)パンダ赤ちゃん肺炎で死ぬ      急死した

(産経)赤ちゃんパンダの成長見守りたかった 死んだ・生後4日で死亡(=タンタン)

(日経)パンダの赤ちゃん死ぬ        死んだ・死亡する例が・肺炎による死亡

 

というように、見出しでは「死亡」を使った社はありませんでしたが、本文では、産経と日経が「死亡」も使っていました。

今回、目立った表現は、

「急死」

です。これは、読売新聞と毎日新聞のほかに、日本テレビも使っていました。動物にも使えるのですね。

合掌・・・。

 

 

 

(2012、7、12)

2012年7月12日 14:33 | コメント (0)

新・読書日記 2012_114

『日本語を使う日々』(吉田戦車、小学館:2012、4、5)

 

表紙が地味で渋い。ことわざ辞典のようだ。

『伝染(うつ)るんです』などでおなじみの漫画家・吉田戦車が書いた日本語エッセイ。以前、『たのもしき日本語』とかいう共著で、やはり日本語に関する本も読んだ覚えがある。ずいぶん昔だが。

最近は、結婚した同業の妻・伊藤理左のひとコマまんがに戦車が出てきたり、戦車のマンガに妻が出てきたり、その両方に子どもも描かれていて、家族全体が「リアル」なのか「マンガの登場人物」なのか、わからなくなっている感じがする。

「マンガ」という「絵」のプロではあるが、セリフもあることだし「言葉」にも敏感なんだろうな。そして戦車は、結構「言葉」を絵にするマンガも多くて、そのあたりのセンスが研ぎ澄まされているのだろうなという風に感じました。おもしろかったです。

 

 


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(2012、6、17読了)

2012年7月12日 12:54 | コメント (0)

新・ことば事情

4771「マスターとマイスター」

 

近くのラーメン屋のおやじさん、たまたま店に寄った日が「誕生日」だったようで、常連さんからお祝いされていました。そのときに常連さんが、

「マスター・・・あ、今『マスター』って言ってしもた。ふだんは『大将』って言うてるのに。『マスター』ってガラじゃないよな」

と言ったのを聞いて、

「たしかに、バーか何かは『マスター』やけど、ラーメン屋さんは『マスター』って感じじゃないな」

と思いました。それと同時に、ワーグナーの、

「ニュンルンベルグのマイスタージンガー」

を思い出しました。この「マイスタージンガー」を日本語で、

「親方歌手」

と訳したものを目にしたことがありますが、なんか「歌手」に「親方」は合わないなと感じたのを思い出し、「親方」と「大将」に共通点を見つけた気がしたのです。そして、

「『マイスター』が『親方』で、『大将』が『マスター』なら、もしかして『マイスター』と『マスター』は同じではないか?」

とひらめきました。今まで全く考えたことなかったけど、多分そうだよな。「マイスター」はドイツ語、「マスター」は英語だけど、同じ言葉か。イタリア語はもちろん「マエストロ」だな!

「マイスター」という言葉を知ったのは1974年、サッカーワールドカップ西ドイツ大会のとき(当時中学1年生)に、WMと書いて

「ヴェルト・マイスター」=「ワールドカップ(所持者=優勝者=世界一)」

の意味だと知ったときですが、この「マイスター」が「マスター」に繋がるとは・・・40年近くたって初めて気付いたラーメン屋さんのカウンターだったのでした。

 

(2012、7、9)

2012年7月11日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情

4770「上京」

 

先日、神戸の女子短大で連続2コマの授業をしました。(3時間!)ここ10年ほど、年に1回か2回、「日本語入門」」という講座の中で「日本語」に関する話をしているのです。170人ほどの学生さんが熱心に聴いてくれました。(途中ちょっと、おしゃべりがうるさかった時間帯もあったけど)その授業の感想文がどさっと送られてきました。おおむね好評だったようなのですが、その中で気になった文章が。

「私は、今年の春、鳥取から神戸に上京してきたのですが」

「岡山から上京してきて初めに気付いたのは」

というように、

「上京」

という言葉を使っている学生が、かなりいたのです。もちろん「上京」とは、

「首都・東京に行くこと」

なのですが、「地方」から「神戸」に行くことを「上京」とした学生さんは、いわゆる「都会」に生活のために出て行くことは全部「上京」だと思っているのかもしれませんね。

それと、読んで思わず笑った感想は、

「授業中は、絶対に寝ると思ってたけど、話に引き込まれて一睡もしませんでした」

というもの。何人か「寝ると思ったのに寝なかった」ことを「サプライズ」として書いています。「一睡もしませんでした」って、

「徹夜の授業か!」

と、感想文のレポート用紙に向かって突っ込んでしまいました。みんな「授業中は寝るものだ」と思っているのでしょうか。ま、自らの学生時代を思い返してみると、確かにそういう側面も・・・。でも、短大はスケジュールが密だから、そんな余裕はないのでは?とも思いましたが。

たまにこういう反応を聞く(読む)とうれしいものですね。少なくとも、

「授業は退屈で退屈で、ぐっすり眠ってしまいました」

「あまりにもぐっすり眠ってしまって、授業ガ終わったことにも気付きませんでした」

などという感想よりは、100倍、いいです。

 

(2012、6、27)

2012年7月 8日 12:22 | コメント (0)

新・ことば事情

4769「性癖」

 

先日、「ミヤネ屋」の新聞コーナーを担当している後輩のIアナウンサーが、

「道浦さん、『性癖』って言葉は、ちょっとお昼の番組のオンエアーでは読んじゃだめですよね?」

と言うので、

「なんで?別にかまわないんじゃないの?セイヘキだろ」

と言うと、

「でも・・ねえ・・・セイヘキですから・・・エヘヘ」

恥ずかしそうに笑うので、「なんで笑うのかな?」と思ったのですがすぐに「あっ!」とその原因を思いつきました。そこでIクンに、

「おまえもしかして『性癖』って、セクシャルな意味だと思ってるんじゃないか?」

と聞き返すと、(鳩に豆鉄砲を打ったことは、私はありませんが)鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、

「え!?違うんですか?」

というので、「やっぱり!」と思いました。そういえば以前、

「最近、『性癖』を『セクシャルな意味』だと思っている人が増えている」

という話を、NHK放送文化研究所の塩田雄大さんに聞いたのを思い出したのです。そのときは「そんなバカな」と思ったのですが、どうやら、その「バカな」が進行しているようです。国語辞典を引いてみると、

「生まれつきての性質。また性質上のかたより。くせ」(『精選版日本国語大辞典』)

とありました。『広辞苑』は、

「性質のかたより。くせ。(例)変な性癖の持ち主」

とあり、例文はちょっと「セクシャルな感じ」へのにおいを感じないでもありません。

そして『デジタル大辞泉』は、

「性質上のかたより。くせ。(例)大言壮語する性癖がある。◆「性」を性質の意でなく、性交の意ととらえ、誤って、性的なまじわりの際に表れるくせ・嗜好、交接時の習慣・習性の意で用いることがある。」

と、これはIアナウンサーの「間違った性癖」の理解のことをあからさまに書いてあります。でもやはり「誤って」なんだ。誤って使われるケースは、増えているのでしょうかね?

 

(2012、7、6)

2012年7月 7日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4768「エジプトの新大統領の名前」

 

 

エジプトの新大統領の名前の表記と読みですが、新聞・放送各社で「ばらつき」があるようです。6月25日の時点で私がチェックできた範囲と各社に聞いた現状では、以下のようです。

「モルシ」 =読売新聞、毎日新聞、日経新聞、共同通信、NHK、テレビ朝日、

テレビ東京

「モルシー」=産経新聞、日本テレビ

「ムルシ」 =朝日新聞、TBS、MBS

 

その後、71「日本テレビ」のお昼のニュースでは、

「モルシ」

と語尾の「ー」が取れていました。

新しくニュースで取り上げられる「外国の地名や人名」は、当初ばらつきがありますが、登場回数が増えてくると、触れ幅は狭くなり、統一される傾向にありますが、中には例外もあります。統一される前に、ニュースに出なくなる人や地名もあります。これまでもそういった外国の地名・人名のばらつきをこの「平成ことば事情」でも取り上げてきました。

エジプトの大統領は、どうなっていくのか、注目です!

 

(追記)

TBSも、これまでの「ムルシ」から、

「モルシ」

になったそうです。「モルシー」とは伸ばさないそうです。

(2012、7、18)

 

 

(2012、7、6)

2012年7月 6日 17:57 | コメント (0)

新・読書日記 2012_113

『「疑惑」は晴れようとも~松本サリン事件の犯人とされた私』(河野義行、文藝春秋:1995、11、30第1刷・1996、5、5第8刷)

 

菊地直子、高橋克也容疑者逮捕をきっかけに、オウム真理教の一連の事件をおさらいしようと読み始めた書籍の2冊目。1994年に起き8人が死亡した松本サリン事件で、当初「加害者」と目されて警察の厳しい取調べを受け、マスコミも「犯人視」していた河野義行さんが、当時のメモなどを元に、どのような扱いを受けたかを記した一冊。オウムのことはほとんど出てこないが、警察の見込み捜査とマスコミへのリーク、でっち上げによる冤罪の構図がはっきりと見えてくる。われわれマスコミ側は、そういった警察側の意図に載せられないようにしないといけないのだが、事件から18年経った今、「こういうことは、今はない」とはっきり言えるかというと、自信はない。しかし現場は、常にそういった警察側の「リーク」がありうると疑って取材に当たっているのは確かだと思う。我々は常に「被疑者=犯人ではない」ということを念頭に置いておく必要があるということを、改めて思い起こさせてくれた一冊。

なお、サリンの被害で寝たきりになっていた河野さんの妻・澄子さんは、14年間意識が戻らないまま、2008年8月に亡くなった。

 

 


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(2012、7、4読了)

2012年7月 6日 11:37 | コメント (0)

新・読書日記 2012_112

『「オウム真理教」追跡2200日』(江川紹子、文藝春秋:1995、7、20第1刷・1995、9、25第8刷)

 

6月に入って菊地直子容疑者が逮捕され、その後も逃亡を続けた高橋克也容疑者も逮捕されるに及んで、一旦関連の裁判が終結していたオウム真理教に対する注目がまた高まってきた。地下鉄サリン事件から17年、松本サリン事件から18年、さらに坂本弁護士一家拉致殺害事件からでは23年という長い年月が経った。当時のことを知らない記者も増えた。地下鉄サリン事件の直後の4月に入社した人たちが、もう40歳になるのだから、当然と言えば当然。当時、既に報道の仕事をしていた私たちでも、もうかなり当時の記憶が薄れている。

オウム真理教とはなんだったのか、どういったことを起こしたのか。なぜそういったことが起きたのかを考える上で、やはり基礎の情報をもう一度おさらいしておく必要がある。そう考えて本棚を探したときに出てきた一冊が、この本。500ページを超える本書を、当時は、買ったもののちゃんと読んでいなかった。読まなくても、日々テレビで見る江川紹子さんの話を聞いていれば、わかった。しかし改めて当時の記憶の糸を手繰り寄せるためには、読むべき一冊である。

オウムに家族を"取られ"て、家族を取り戻したいと訴える人と坂本弁護士を引き合わせたのは、江川さんだった。その贖罪の気持ちが、江川さんをオウムとの対決に向かわせた。しかしそんな彼女も、1989年の事件発生後1~2年は、『週刊文春』誌上などで徹底的にオウムの謎を暴き、坂本弁護士一家の行方をたどろうとしたが、その後数年、この本では論文(記事)が出てこない。次に出てくるのは1994年、「松本サリン事件」「宮崎資産家拉致事件」が起きてからである。それもまた、江川さんの罪の意識を刺激した。序章の「オウム真理教と私」を読むと、そのあたりの心理状況も読み取れる。

オウム真理教がいかにその姿を変えて行ったかも、詳細な当時の記録を追うことで、見えてきたように感じた。

 

(2012、6、25読了)

(☆4つ)


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2012年7月 5日 11:40 | コメント (0)

新・読書日記 2012_111

『「当事者」の時代」(佐々木俊尚、光文社新書:2012、3、20)

 

「当事者」というのは、情報の産直。産地直送!メディアは仲介業者、つまり問屋。それは不要か?広告代理店は?旅行会社は?共通点は?

500ページ近いこの新書、最初に「読んでみるかな?」と思ったきっかけは、世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」について描かれていたからです。それは、白人が顔を黒く塗って黒人の格好をして歌う「ミンストレル・ショー」というものだったらしい。初めて知った。また冒頭で、早稲田大学在学中から評論活動を行ってきたライターの「津村喬」という人物を紹介しているが、この人は、実はジャーナリストの高野孟さんの弟さんだというのだ。高野さんには以前「ミヤネ屋」にもご出演いただいてたので、親しみがあって読み進めたということもある。

そして全編を通じて描かれているのは「弱者への憑依(ひょうい)」という現象。戦後日本で行われてきたことは、この「弱者への憑依」という考え方で読み解けるのではないかと著者は指摘。単なる「弱者への目線」が深みにはまると、弱者に憑依してしまって、客観的に見ることが出来なくなるというあたりは、納得がいった。その家庭で本多勝一の名前が出てきたりして、なんか懐かしかった。(最近読む本には、なぜかあちこちに本多勝一の名前が出てくる。甲南大学の学生に「本多勝一って知ってる?」と尋ねたところ、20人ほどの学生の中に本多勝一の名前を知るものは、1人もいなかった・・・)これからは、そこからの脱却を目指すべきではないかと。なかなか納得のいく話である。

ただ、やはり壮大な500ページ近い展開に最後まで読んでついて行けるのか?というぐらいの力作。私は読み始めから(途中で中断したりして)読み終えるのに3か月近くかかりました・・・。

 


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(2012、6、25読了)

2012年7月 2日 03:06 | コメント (0)