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『道浦TIME』

新・読書日記 2012_101

『秋の思想~かかる男の児ありき』(河原宏、幻戯書房:2012、6、3)

 

「かかる男(お)の児(こ)ありき」・・・こういった男がいた。まさに「男の中の男」、時代に流されることなく、時代を超えて「人間とはいかに生きる(死ぬ)べきか」ということを問いかけ、実践した人たち。決してそういう意味では脚光を浴びてはいないが実は、そんな「男の児」であったと、著者は紹介する。それはすなわち、我々がこれからの世の中を生きていくための指針として、こういった「男の児」の生き方を参考にすべしという「人生の参考書」としての役割を本書は示している。「秋の思想」というタイトルの「秋」は、ホイジンガーの「中世の秋」の「秋」と同じだそうだ。絶頂期を過ぎた「時代」が向かう先、そこに至る下降線の時代の中で取るべき態度は?ということを考えさせられる。

著者は、私の大学のゼミの恩師である。今年2月、突如として83歳の生涯を終えた。83歳で「突如」?と思われるかもしれないが、本書を読めばその意味がわかる。昨年311日の「東日本大震災」とそれに伴う原発の事故。それらを受けて、著者はしっかりと本書を記しているのだ。まだまだ、あと10年以上はお元気でいられるのでは?という疑問が出るぐらい怜悧な文章である。

5月下旬に「お別れの会」が開かれ、過去のゼミ生100人ほどが参集した。

「当時、河原先生は結構お年(年配)に見えたけど、今の俺たちはもうその頃(30年前)の先生の年齢に近づいてるんだよなあ・・・」

と久々に会ったゼミ同期の連中と話していると、30年前に戻ったかのよう。先生の遺影も、とても80歳を越えているようには見えない。30年前のままのように見える。

本書で取り上げられた「男の児」は、源実朝・楠正行、近松門左衛門・伊藤若冲、小林清親・栗源鋤雲(島崎藤村)・成島柳北(永井荷風)、三島由紀夫・深沢七郎・遠藤周作。それぞれ時代ごとに、その時代を代表するような「男の児」である。

本書では「科学技術の発展とその行く末」「輪廻転生と臓器移植」「自然と人間」といったテーマも取り上げられているが、その、ここかしこで「東日本大震災」が出て来る。「3・11」を機に、「現代日本」は「それまでの日本」と決別させられたのだと。

著者の「現代社会」とその行く末に向けるまなざしの"方向性"が、決然と伝わってくる。「かかる男の児ありき」とのたまったサブタイトルは、「私もかくありたい」という意思表明であり、その希望のように、先生は人生を送られたように、本書は読めた。巻末に、京都大学の中野剛志氏が綴ったように、

「それは『死すべき者』としての人間を含め、生きるものすべてに対する哀れみとやさしさの心、死者に対しては『生くべかりし者』とみなす祈念と哀傷の心を身につけたこの国の文化を形成してゆくことから始まるであろう。」

という本書を結んだ言葉が、河原先生の遺言のように、私にも感じられた。

 

 

 


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(2012、6、11読了)

2012年6月14日 11:56 | コメント (0)