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『道浦TIME』

新・ことば事情

4692「傾聴は尊敬語か?」

 

2011117日に、2行だけ書き始めたまま放っておいたものです。当時の番号は、4283でした>

「『傾聴』という言葉は『尊敬語』でしょうか?」

と質問を受けました。即答できませんでした。

「聴く」の「尊敬語」(「謙譲語」ですね)は、

「拝聴」

でしょう。しかし、たしかに「傾聴」は、相手を尊敬した状態で使う言葉で、

「聴きました」

よりも、敬語の「位」は高いように感じます。「けい」という音が、

「『尊敬』の『敬』と同じ」

なので「敬語っぽく」聞こえるのではないでしょうか?あ、でも

「『軽薄』の『軽』とも音は同じ」

ですから、この考えは「×」ですね...。

 

それから1年あまり、きょう(2012年4月16日)、急に思いつきました。

「『傾聴』は『耳を傾けて熱心に聞く』ということ。つまりその『聴く姿勢』に、『相手に対する敬意』が感じられる。だからその意味では『敬語』である」

と。そう思いついてから・・・ですが、「傾聴」を辞書で引いてみましょう。

 

『精選版日本国語大辞典』=つつしんできくこと。謹聴。

『デジタル大辞泉』=謹んできくこと。

『明鏡国語辞典』=耳を傾けて、熱心に聴くこと。

『広辞苑』=つつしんできくこと。

『三省堂国語辞典』=熱心に聞くこと。

『新潮現代国語辞典』=よく注意をして熱心にきくこと。

『岩波国語辞典』=(耳を傾けて)熱心にきくこと。

『新明解国語辞典』=聞きもらすまいとして熱心に聞くこと。

 

辞書からは「謹んで聞く」「熱心に聞く」「注意して聞く」というような意味が。ということは・・・そうか、

「そのような態度で接する『話』」は決して軽んずるものではなく、重い意味合いを持つものだから、当然そのようなことを話す人は、尊敬されてしかるべきである」

と。「三段論法で敬意が表現」されているのですね。やっとわかったような気がします。

単に「拝聴」するのは「立場」として「話を伺う」のだけれども、「傾聴」は立場には関係なく(だから「敬語」とは限らない)、相手の話の内容を尊重して聞く、という微妙な違いがあるようですね。

このコラムは「傾聴」に値したでしょうか?あ、「傾聴」は文字には使わないか。「傾聴」はあっても、

「傾読」

はないのかな?なさそうだな。「耳」は「傾ける」けど「目」は「傾けない」からか。目はどうするんでしょうか?「熟読」は「熱心に読む」ことだけど、そこに「敬意」は特に感じられないなあ・・・。うーん、これは次への課題にします!

 

(追記)

なんと平成ことば事情4576「傾聴する」に同じようなことを書いていました。そこには、(2009年の122日に書き始めて、そのままになっていました。当時の番号は「平成ことば事情3614」)とありました。そっちも読んでみてね!

                      (2012,4,20)

 

 

 

 

(2012、4、16)

2012年4月19日 18:06 | コメント (0)