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『道浦TIME』

新・ことば事情

4641「一般解」

 

内田樹の『呪いの時代』(新潮社)を読んでいたら、

「病気で苦しむリスクと、不況で苦しむリスクのどちらを取るかという問いかけに一般解はないからである」251ページ)

という文章で、

「一般解」

という言葉が出てきました。これは、

「どんな問いかけに対しても普遍的な正解」

「すべての問いに当てはまる正解」

というような意味でしょうか?私はそう解釈しましたが、専門用語のような気もします。内田樹の本には、やさしく書かれた文章の中にこういった専門用語がさりげなく散りばめられていて、それがちょっと、私はイヤなのですが・・・。わざとでしょうか?それとも「このぐらいは知っているだろう」ということでしょうか?

辞書を引いてみました。『広辞苑』『三省堂国語辞典』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』には「一般解」は載っていませんでした。

Yshoo智恵袋によると、

「微分方程式を満たす関数の中で、任意定数を含むものを一般解といいます。任意定数に特定の値を代入した解が特殊解です。また、ある種の微分方程式は特異解を持つものがあります。特異解は一般解の任意定数にどのような値を代入しても得られません。

1階の微分方程式の一般解には、1個の任意定数が含まれ、2階の微分方程式の一般解には、2個の任意定数が含まれます。一般に、n階の微分方程式の一般解には、n個の任意定数が含まれます。」

となっていました。わかりますか?これで。私はわかりません・・・。

 

(2012、2、26)

2012年2月29日 23:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4640「『僕』のアクセント」

 

2月20日の『スッキリ!!』ホイットニー・ヒューストンの弔辞を読んだケビン・コスナーの吹き替えで出てきた、

「僕」

のアクセントが「平板アクセント」の、

「ボ/ク」

となっていたので気になりました。『NHK日本語発音アクセント辞典』を引くと、

「ボ\ク」(頭高アクセント)

後ろの( )の中に、

(ボ/ク)

「平板アクセント」が載っていました!たしかに、普段のしゃべりでは「平板」でしゃべることもありますが、原稿を読んだり吹き替えをしたりするときには「頭高」を使う気がします。なぜ( )付きのアクセントでの「平板アクセント」なんでしょうね?

『新明解日本語アクセント辞典』には、

「ボ\ク、ボ/ク」

の順番で両方載っていました。

 

(2012、2、26)

2012年2月29日 22:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4639「掃苔」

 

『死ぬことを学ぶ』(福田和也、新潮新書:2011220を読んでいたら(97ページ)、

「掃苔(そうたい)趣味」

という言葉が出てきました。「苔(こけ)を掃く」というのは、どんな趣味なんでしょうか?園芸?庭掃除?辞書を引いてみました。『精選版日本国語大辞典』には、

「そうたい(掃苔)」=こけをきれいに取り去ること。転じて、墓参り。

お!そうだったのか、苔の掃除をするのは「墓参り」か!・・・って、しょっちゅう墓参りしていたら、苔は生じないと思いますが・・・ま、屁理屈はおいといて、知らなかったなあ。「墓参り」してないからかなあ。『デジタル大辞泉』にも載っていました。

「そうたい(掃苔)」=墓の苔をきれいに取り去ること。転じて、墓参り。特に盂蘭盆前の墓参りをいう。

ふーん、お盆のお墓参りのことを特に言うのね。それで「秋の季語」になっているのですね。『広辞苑』にも載っていました。

「そうたい(掃苔)」=(墓石の苔(こけ)を掃(は)く意)墓参り。特に盂蘭盆(うらぼん)の墓参。

『大辞泉』と同じですね。

『三省堂国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』には「掃苔」は載っていませんでした。

 

(2012、2、26)

2012年2月29日 18:50 | コメント (0)

新・ことば事情

4638「まず最初に・・・」

 

 

口癖、コワイですね。特にアナウンサー。何にも考えなくてもペラペラしゃべれるのがいい、と思っていると、墓穴を掘ります。

先日、他局の朝の番組を見ていたら、若手男性アナウンサーが、自分が担当する"2本目"の話題の"前に"こう言いました。

 

 

 

「まず最初に・・・次の話題です。」

 

 

 

・・・考えてない・・・何も考えてない・・。

口先だけでなんとかなる、と思っていないか、よおく胸に手を当てて考えないと、大変なことになりますよ・・・と、うちの後輩アナウンサーにも、「まず最初に」注意喚起しておきます。(そもそも「まず最初に」が「重複表現」だなあ・・・。)

 

(2012、2、20)

2012年2月29日 15:49 | コメント (0)

新・ことば事情

4637「ペチカ」

 

田中章夫さんというもう90歳になる日本語学者の方が書いた最新刊『日本語雑記帳』(岩波新書)、面白いです。大変興味深い。今、読んでる途中ですが。

その中で出てきたのが、

「ペチカ」

北原白秋作詞・山田耕筰作曲のあの曲について、書いています。そもそも「ペチカ」とは?という話で、本に出て来る三木卓さんによると「ペチカ」とは、ロシア語

「ペイチ」(=広く、「暖房器具・暖房装置一般」を指す言葉)

「愛称形」の、

「ペイチカ」

のことなのだそうです。北原白秋は、この歌詞を最初「ペチカ」と書いていて、のちに、

「ペィチカ」

と直したそうです。原音に近づけたのでしょうか。

これを見て「あ!」とひらめいたのは、同じ「ロシア語起源」の、

「トーチカ」

も、「トーチ」に「カ」が付いた「愛称形」なのか?ということ。

そういえば「トーチ」は「灯り」の意味で使うことがあるなあ!でも「トーチカ」は「灯り」ではないな、「頑丈な防御施設」だもんなあ。たまたま形が似ているだけですね、きっと。

 

(2012、2、26)

2012年2月29日 11:48 | コメント (0)

新・ことば事情

4636「阪急三番街と17番街」

 

先週、大阪駅から阪急梅田駅に向かって歩いているときに目に入った看板を見て、「ハッ」と思いました。

「阪急三番街」

「漢数字」で書かれていて、

17番街」

「洋数字」で書かれているのです。

これらはどちらも「地番」というよりは、

「固有名詞」

となっていますが、漢数字と洋数字の違いがあるなんて、何十年もこのあたりをウロウロしていて全然気付きませんでした。

これを逆にして書いてみると、どうなるか?

 

「阪急3番街」「十七番街」

 

うーん、あんまり違和感はありませんね。普段、意味が同じものは漢数字・洋数字、特に意識せずに見ているということなのでしょうか。

これが「人名」で、

「3島1郎」

とか、

「2村5郎」

となると、明らかにおかしいのですが、「番地」に関してはどちらの表記も存在するので、違和感を覚えないということかもしれませんね。

 

(2012、2、26)

2012年2月29日 07:47 | コメント (0)

新・読書日記 2012_032

『昭和切手少年』(泉麻人、日本郵趣出版:2012、12、27)

 

当然と言えば当然だが、泉麻人も「切手少年」だった!

泉麻人は、ボクよりも5つ年上の1956年(昭和31年)生まれ。その世代がまさに「ど真ん中」の『切手少年』だったのかも。でも「月に雁」を「親戚のおじさんからもらった」というのは、「ボクと同じだ!なんで知ってるの?」という感じ。「初日カバー」、集めてました!泉と同い年のみうらじゅん、彼が子どもの頃に、切手の中でも(既に)「仏像」(つまり国宝シリーズ)の図案に深い興味を持っていたなんて!と言うことは、まだ「少年」のままなんじゃない、彼の心は。「心は少年、体は中年!」"中年コナン"か!

当然、本の中には何度か「郵便学者・内藤陽介」さんのお名前が出てきました。

うーん、なんだか楽しい一冊。

 

 


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(2012、2、18読了)

2012年2月29日 01:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4635「なみだつか?なみたつか?」

 

「岬の墓」(堀田善衛作詞、團伊玖磨作曲)

 

 

という男声合唱曲の練習をしています(もともとは「混声」の曲ですが)。去年の8月にも歌ったのですが、今度、3月にもまた歌うのです。

その練習中、「歌詞の読み方」について、こんな質問が出ました。

 

「『海は波立つ』の『立つ』は、『だつ』と濁るのでしょうか?それとも『たつ』と濁らないのでしょうか?」

 

実は、これまで私は何の疑問もなく、

「なみだつ」

「濁って」歌ってきました。しかしよく見ると、確かに楽譜の歌詞は、

「なみ立つ」(波立つ)

と漢字で書かれているので「だつ」とも「たつ」とも、読もうと思ったら読めます。ルビは振ってありません・・・。

「どっちなの?」

と聞かれて私は、

「連濁なので、濁るでしょう」

と答えましたが、考えたことも無かったので、

「もしかしたら『なみたつ』なのかも・・・」

と思っていました。1983年、大学時代に歌ったときは、何の疑いも持たずに「濁って」歌っていました。その後も何回か歌いましたが、すべて濁って歌いました。

家に帰って調べてみると、私の持っている『新明解国語辞典』の「第3版~第7版」は、すべて、

「なみだつ」

濁ったものしか見出しにありませんでした!

また、『広辞苑』『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『三省堂国語辞典』『新選国語辞典』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典』にも、濁った、

「なみだつ」

しか載っていませんでした。漢字で書くともちろん、

「波立つ」

です。 ただ、『広辞苑』『デジタル大辞泉』『精選版日本国語大辞典』には、

「なみたつ」

という言葉も載っていました。ただしこれは漢字で書くと、

「並み立つ」「並立」

です。意味はそのまま、

「並んで立つ。ならびたつ」

です。用例は『後撰和歌集』(951年ごろ)でした。

ここから推測すると、「立つ」の前に来る言葉が「波」のような「名詞」であると「だつ」と連濁し、「並み」のように「動詞の連用形」だと「たつ」と濁らない傾向があるのではないでしょうか?

「連濁」は複合語において起きるのですが、一般的に「複合の度合い」が「強い(一語としての認識が強くなる)」と「連濁」(濁る)し、「弱い」と連濁しません。また、元の2つの言葉が「ほぼ並立」(両方の語の強さが対等)であれば濁りません。

「名詞+動詞」

は、一語になりやすいのに対して、

「動詞+動詞」

は、それぞれの動詞が意味を主張しあうので、濁らない傾向があるのではないでしょうか?

「立つ」が「濁らない」語『逆引き広辞苑』で引いてみると「並み立つ」のほかに、

「明け立つ」「在り立つ」「あわたつ」「言い立つ」「行き立つ」「熱(いき)り立つ」「勇み立つ」「急がし立つ」「急ぎ立つ」「出(いだ)し立つ」「い立つ」「居立つ」「出(い)で立つ」「弥(いや)立つ」「弥(いよ)立つ」「入り立つ」「入れ立つ」「色めき立つ」「浮かれ立つ」「浮き立つ」「受けて立つ」「うそ腹立つ」「打ち立つ」「打っ立つ」「生(おい立つ」「生(おお)し立つ」「起き立つ」「押し立つ」「押っ立つ」「思い立つ」「降り立つ」「下ろし立つ」・・・と、「あ段」だけでもこれだけ、「濁らない『たつ』」があります。

「あわたつ」の「あわ」は「泡」でも「粟」でもありません。名詞ではなく用言なのでしょうか?ほとんどは「動詞+動詞」というか「用言同士の複合語」ですね。このほか「そそり立つ」もそうですよね。

一方の「濁る『だつ』」(名詞+立つ)はというと、

「生憎(あいにく)だつ」「荒立つ」「荒れ立つ」「泡立つ」「粟立つ」「一端(いちはな)立つ」「田舎だつ」「今様立つ」「苛立つ」「色立つ」「浮き足立つ」「麗し立つ」「艶(えん)立つ」「後れ先立つ」「押し柄立つ」「怖気(おじけ・おぞけ)立つ」「大人立つ」「主立つ・重立つ」「表立つ」「親立つ」・・・と「あ段」はこれだけでした。

「荒立つ」「苛立つ」「麗し立つ」が、「名詞+動詞」ではなく「用言+動詞」のように思えますが、大部分は「名詞+動詞」ですね。

全体としては、「濁るほう」の数がやや少ないですね。

もしかしたら、一般的に「濁らない」「動詞+動詞」の方の数が多いから、そちらに引っ張られて、「なみ立つ」は「濁らない」と考える人が出てきたのかもしれませんね。

 

また、家にあった過去の『岬の墓』の演奏を聞いてみると、男声合唱では、

1978年「第27回東京六大学合唱連盟演奏会」(略称・東京六連)での「立教大学グリークラブ」(指揮・北村協一)

1980年「第29回東京六連」での「早稲田大学グリークラブ」(指揮・福永陽一郎)

混声合唱では、

1982年「早稲田グリークラブ第31回送別演奏会」での(おそらく)日本女子大学合唱団や聖心女子大学グリークラブ&早稲田大学グリークラブ(おそらく指揮・川元啓司)

     (年不明)「日本アカデミー合唱団」(福永陽一郎・指揮)

「なみだつ」と濁って歌っているのが聴き取れました。(久々に「カセットテープ」を聴きました。)

結論は

「波立つ」は、「なみだつ」「濁る」

ということでした。

平成ことば事情4579「罪づくり」もお読みください。

 

(2012、2、23)

2012年2月28日 22:51 | コメント (0)

新・読書日記 2012_031

『瓦礫の中から言葉を~わたしの<死者>へ』(辺見庸、NHK出版新書:2012、1、10)

 

辺見庸さんと言えば、初期の「自動起床装置」や「もの喰う人々」(表記はどうだっけ?)までは読んだが、その後読まなくなっていた。「詩」のほうにもいったり、お体を悪くされたりと聞いていたが、東日本大震災を機に今回の本を書かれた。というのも辺見さんは、宮城県石巻市の生まれ・育ちなのだ。故郷が自然の脅威の前になくなっていく喪失感・何もできない自分の無力感・悲しさ・・・そういった中で「書くこと」を続けた。2011年4月24日に放送されたNHK「こころの時代 瓦礫の中から言葉を」における発言を手がかりに全面的に書き下ろした「作家渾身の書」という帯の文字に、うそ偽りはないと思う。「すべてのことは起こりうる~破壊と畏怖」自然の中では当然そうなのだが、「人間が自然を支配できる」と思う「傲慢さ」の中から「想定外」が生まれただけ・・・。「ありえないことはない」は「例外のないルールはない」のよう。本書は、とても哲学的な書である。そりゃあ、そうだろ、「生と死」について考えれば哲学的にならざるを得ない。

「第3章・心の戒厳令」には「言語の地殻変動」や、ジョージ・オーウェルの「1984年」に出てきた「ニュースピーク」も出てきます。「これでもか」と流された「AC」のCMの「ぽぽぽぽーん」は「ニュー・スピーク」に相当すると。また「ファシズム」は「上から来る」とは限らないというあたりも、とても共感できました。

 

 


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(2012、2、15読了)

2012年2月28日 18:58 | コメント (0)

新・ことば事情

4634「本分と3分」

 

最近の若い人は、「時間」の「3分、4分」を、

「サンフン、ヨンフン」

と、「分」を半濁音の「プン」ではなく「フン」と言う傾向があることは、以前書きました。20052月の平成ことば事情2079「3ふん前、4ふん前」と、201010月の平成ことば事情4169「『よんふん』の理由」)

なぜ、そんなことになったのか?原因についても考察しましたが、きょう、ふとこんなことを思いつきました。

たとえば同じ「分」という漢字がつく言葉には、

「本分」

がある。これは当然、

「ホンブン」

「分」は濁音で「ブン」と濁る。そしてこれを

「ホンフン」

と濁らずに言う人は、今のところいない。

これに対して「3分、4分」の「分」は、「半濁音」。

ということは、同じ「分」で、その前の音が「ん」でも、「ん」に違いがあるから「濁音」と「半濁音」=「ぶん」と「ぷ」に分かれるのではないか。

具体的に言うと、「本文」の「本(ほん)」の「ん」は「M」の「ん」、そして「3分、4分」の「3(さん)」「4(よん)」は「N」の「ん」なのではないか?

そして「M」の「ん」は、上下の唇を強くくっつけてから開くために「ぶ」と「濁音」になり、「N」の「ん」は、唇をやや軽くくっつけてから開くので「半濁音の"ぷ"」になるのではないか?

また、唇のくっつき方が軽いので、「半濁音の"ぷ"」から、「清音の"ふ"」に移行するのも、濁音に比べて容易なのではないか?ということを考えながら、今朝は出社したのでした。

と、ここまで書いてから、平成ことば事情4169「『よんふん』の理由」を読んでみると、なんと1年4か月前にほぼ同じことを考えて書いているではないですか!

今回はそれに「本分」という、時間の「分」とは違う「分」で「ぶん」と濁音で言う言葉を持ってきて、ことば事情4169で述べた説を補強した形ですね。

 

(2012、2、23)

2012年2月28日 15:42 | コメント (0)

新・読書日記 2012_030

『超高齢社会の基礎知識』(鈴木隆雄、講談社現代新書:2012、1、20)

 

現在、日本は既に「超高齢社会」である。よく「高齢化社会」と言うのを聞くが、人口学上は、65歳以上の「高齢者」の割合によって呼び方が決まっている。高齢者が人口の、

7%~14%=高齢化社会

14%~21%=高齢社会

21%以上 =超高齢社会

なのである。もう「高齢化」なんていっていた時代はとっくの昔に通り過ぎているわけでる。まあ、呼び名はどうでもいいかもしれないが、その野ぐらい現状はタイヘンなことになっている。特に高齢化のスピード(これは「化」が付いてもよい)が、他国に無いぐらい早いというのが日本の特徴。日本はどこへ行ってしまうのだろう・・・?

 

 


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(2012、2、1読了)

2012年2月28日 02:27 | コメント (0)

新・読書日記 2012_029

『聞く力―心をひらく35のヒント』((阿川佐和子、文春新書:2012、1 )

 

阿川さんの「インタビュー力」と「話術」、特に「あいづち」の打ち方と「相手との距離のとり方」(間合い)には、いつも「週刊文春」誌上で感服している。後輩アナウンサーにも「これを読んだらインタビューのコツがわかる!」と勧めているのだが、読んでいるのかどうか・・・でもこの本を読めば、絶対インタビューが上手になる、と思う。そんなヒント満載。アナウンサーには「イチ押し」の本である。まあ、読んでみ!

 

 


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(2012、1、24読了)

2012年2月27日 18:26 | コメント (0)

新・読書日記 2012_028

『「上から目線」の構造』 (榎本博明、日経プレミアムシリーズ:2011、10、1第1刷・2011、11、1第2刷)

 

冷泉氏の本と合わせたかのように並んでいた「上から目線」に関する本。こちらは(日経プレミアシリーズという性質上)、どちらかと言うと「ビジネストーク」などの分野で「上から目線」と思われないようにするにはどうすればよいか?というような具体策が書かれている。この中で、ひとつ「へえー」と思ったのは、「対人恐怖」という言葉は日本で生まれたと書かれていたこと。つまり外国はそのような症状はないというのだが、ホントかな?

 

 

 

 

(追記)

アメリカ在住のI先輩からメールが届きました。「「対人恐怖症」についてはよく誤解されている、以前くわしく書いたものを参考までに転送します、とのことでしたのでご紹介させていただきます。「ボストン読本」というコラムの中からの抜粋だそうです。少し長めですが、転載します。

 

「アメリカには、米国精神医学会が刊行する『DSM-IV』(『精神疾患の診断・統計マニュアル第4版』)という分厚い本がある。精神科の医者がでくわすような病気ならなんでも書いてある、精神疾患の診断基準である。この本の巻末に付録として、「文化依存症候群の概要」という項目がある。

文化依存症候群というのは、ある地域・文化・社会だけにでる特殊な精神疾患で、その文化と深く結びついているものである。そこには、恐ろしい経験をして魂が身体から抜けてしまったために、心身に異常がでるという中南米の「ススト」、錯乱して暴力をふるい殺人や自殺にいたるマレーシアの「アモック」、怒りが積もって不眠・不安・呼吸困難などの症状がでる韓国の「火病(鬱火病)」など、不思議な病気がいろいろと記載されているが、そのなかに、「taijin kyoufusho」というのがでてくる。「対人恐怖症」である。日本に特徴的だと書いてある。

ということは、アメリカに対人恐怖症はないのか?アメリカ人はみな、社交的で、恥かしがり屋がいないのか?と、思うかもしれないが、それは早合点である。アメリカにも、人付き合いが苦手で苦手で、社会生活に支障を及ぼす人もけっこういるのである。そういうのは、DSMIVでは、

「社会恐怖症」とか「回避性人格障害」

というところに分類されている。

それによると、社会恐怖症とは、人前で恥をかくのではないかと極端に恐れたりパニックになったりすることで、アメリカ人の3%~13%もいるという。ある調査によると、20%の人が人前で話すのを過剰に緊張すると答えている。思いのほか、多いではないか。回避性人格障害とは、人から嫌われたり批判されたりするのを極端に恐れるために、人と会うような社会的活動を避ける。さまざまな人格障害の中では、一番多いケースらしい。

じゃあ、「対人恐怖症」は、日本に特徴的ではないじゃないかと思って、よく読んでみると、「社会恐怖症」や「回避性人格障害」は、「自分が恥をかくのではないか、嫌な思いをするのではないか」と恐れるのに対し、「対人恐怖症」は、「自分の行動や肉体上の欠陥が、他人に嫌な思いをさせるのではないか」と恐れることだと、細かく区別している。日本で、素人が普通に「対人恐怖症」というときには、そこまで区別せずに、「社会恐怖症」も「回避性人格障害」もひっくるめているような気がする。

とにかく、「欧米の人は個人主義だから、人前で自分の考えを述べるのを恥かしく思うような人はいません。日本人は回りのことばかり気にして個がないから対人恐怖症が出ます」などというのは俗説で、まるで嘘だということが分る。

 

なるほど、。確かに日本の「対人恐怖症」と「まったく同じ」ではないけれど、「社会恐怖症」や「回避性人格障害」といった「似たような症状」は外国にもある、ということですね。I先輩、ありがとうございます!

(2012、3、4)

 


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(2012、1、31読了)

2012年2月27日 09:25 | コメント (0)

新・読書日記 2012_027

『「上から目線」の時代』(冷泉彰彦、講談社現代新書:2012、1、20)

 

著者の冷泉氏はアメリカ在住。以前、『関係の空気』『場の空気』などの著書を読んだ覚えがある。帯には「なぜ目線にイラッとするのか?」とあり、心理学的な立場から「対人関係性」を説いていき、「上から目線」という言葉が出てきた背景、「お互いが『自分は被害者だ』と思う理由」や「モンスターはなぜ生まれるか」など、幅広い実例を挙げながらといていく。「KY」がはやった後に「上から目線」がはやる。そういった「空気」を生む現代日本社会の心理をといていく好著。

 

 


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(2012、2、3読了)

2012年2月27日 08:24 | コメント (0)

新・読書日記 2012_026

『音楽少年誕生物語~繰り返せない旅だから』(畑中良輔:2002、2、12第1版・2002、3、31第2版)

 

ブル先生に直接教わったことはないが、指揮してもらったことはある。1922年(大正11年)山口県生まれ。この本買ったの、もう10年も前かあ。読んでなかった...先生、「傘寿」を記念して、ということだったのかな。それから10年、今年は「卒寿」か。まだ現役とはすごいが、そろそろ学生コーラスの指揮はやめられるとも聞いたが。

きょう、小澤征治が、予定されていた演奏会をキャンセルするという記事を見た。76歳。大病をされて無理の聞かない体だろう。息子さんの出た映画を見た。なかなか存在感のある演技をされていた。時代の流れは止められないのか。「方丈記」である。

 

 


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(2012、1、28読了)

2012年2月26日 16:22 | コメント (0)

新・読書日記 2012_025

『尼さんはつらいよ』(勝本華蓮、新潮新書:2012、1、20第1刷)

 

同じ日に読売新聞と日経新聞の書評に出ていたので、「読んでみようかな」と購入。それまでにも書店で目にはしていたものの、特に読もうという気にはならなかったのだが、書評につられた。

で、読んでの感想は・・・うーむ、この人、なんで尼さんになったんだろ?仏教の勉強をしたかっただけなんだよね。それならば尼さんにならなくても良かったんじゃないか?せっかくやっていた事業、続けていたほうが良かったのでは?と思う部分も。ほかの尼さんの事をグチるところは、この本のポイントなんだろうけど、あまりいい感じはしなかった。後味が悪い。

 

 


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(2012、2、8読了)

2012年2月26日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4632「MAX」

 

2月8日の「ミヤネ屋」の「世界企画」で、ウクライナを訪れた笹川明人ディレクターが、スタジオ出演した際に、宮根さんにウクライナの首都・キエフの寒さについて聞かれて、

 

「マックス氷点下20度です」

 

と答えました。この「マックス」の使い方は「若者言葉」(業界用語?)で、放送(オンエアー)としては適さない表現でした。本人も放送後に反省していました。

意味は「最大」ということで分かりますが、私などの世代では使わない言葉です。耳にするのは、野球のピッチャーや、テニスプレーヤーのサーブの速さで、

「マックス150キロの速球」

「マックス250キロのサーブ」

というように使うのはよく耳にします。あ、それと、仕事の中でも、

「マックス金曜日までは待てるかな」

というような使い方も、たまに耳にします。それが、普段の生活にも使われるようになっているのでしょうか?

そう思っていたらその翌日、今度は「ミヤネ屋」の後の時間帯に関西地方で放送している、「ダウンタウンDX」(再放送=1年前の放送)に出演していた冨浦智嗣さんという若いタレントさん(?)が、そのか弱そうな見た目とは裏腹に、バーベルをベンチプレスで、

「MAX110kg挙げられる」

と話しているのが、そのまま字幕スーパーで出ていました。やはり若い人は使うのか?

「ミヤネ屋」の若いスタッフに聞いたところ、

「飲み会のセッティング(人集め)のときに、『5人からMAX10人まで』というふうには使います」

という答えが返ってきました。

また、2月12日放送の日本テレビ『世界の果てまで行ってQ「珍獣ハンター」いもとあやこさんが、小笠原諸島を訪れた際のコメントで、小笠原のお天気について、

MAX悪くてこれですよ」

と話していました。やはり「マックス」はかなり普遍的に、若い人の間では使われているようです。

辞書を引いてみると、この間出たばかりの『新明解国語辞典・第7版』には載っていません。新しい言葉をいち早く取り入れることで知られる『三省堂国語辞典・第6版』は、既に「マックス」を載せていました!

「マックス(max)」=最大限。最高値。マキシアム。

用例は載せていません。一方、『広辞苑』は用例(作例)付きで載せていました。

「マックス(max)」=(maximumの略)最大。最大限。(例)「マックスで5000人収容できる会場」

『新選国語辞典・第9版』「マックス」を空見出しで載せていました。空見出しなのに作例もありました。

「マックス(max)」=→マキシマム (例)「マックス一五0キロのスピード」

『明鏡国語辞典』の「第1版」(電子辞書)には「マックス」は載っていませんでしたが、「第2版」には、

「マックス(max)」=「マキシマム」の略」

と、一応載せていました。

『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『新潮現代国語辞典』『岩波国語辞典・第7版』には「マックス」という見出しはありませんでした。おそらく、この10年ぐらいで定着した言葉なのでしょうね。

 

(2012、2、13)

2012年2月26日 09:40 | コメント (0)

新・読書日記 2012_024

『共喰い』(田中慎弥、集英社:2012、1、30)

 

芥川賞受賞作の『共喰い』は、おどろおどろし過ぎて、わたしは評価できない(好きじゃない、ということ)。もう一本の『第三紀層の魚』のほうが気持ちがわかってよかった。芥川賞の純文学って、なんだかうっとうしい。綿矢りさの『蹴りたい背中』では感じなかったのに。でもあれ以来だな、芥川賞受賞作をすぐに読んだのは。「もらっといてやる」「都知事閣下」等の発言がなかったら、読まなかったと思う。

 

 


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(2012、2、19読了)

2012年2月25日 21:10 | コメント (0)

新・読書日記 2012_023

『流行り唄五十年~唖蝉坊は歌う』(添田知道・小沢昭一解説・唄、朝日新書:2008、4、30第1刷)

 

3年以上前に買って「積んどく」になっていたのだが、年末(201112月)に、本当に久しぶりに「高石ともや」のコンサートに行ったのがきっかけで読んだ。と言うのも、そのコンサートに友情出演(?)したのが「なぎらけんいち」だったのだ。歌、上手いんだ、本当に!しゃべりも、もちろん、おもしろい。そのしゃべりの中で、この添田唖蝉坊、添田知道、小沢昭一の話も出てきて・・・・。そういえば昔々、録音したテープに入っていた「呑気節」という曲、なんでこんな古い感じの歌を高石ともやが歌うのか?と、中学か高校生時代の私はいぶかりながらも聞いて、気に入って覚えてしまったけれども、それがこの本に載っている。つまり唖蝉坊が歌っていた曲だったのだね。「演歌師」のルーツ的な感じですかね。

 

 


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(2012、1、26読了)

2012年2月25日 16:10 | コメント (0)

新・ことば事情

4631「かわす」

 

2012年2月16日の日経新聞の記事ロンドン発の時事通信で、署名はありません。

そこにこんな文章が載っていました。

スペインのバルセロナが欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦で、ドイツのレバークーゼン相手に31で勝った。その試合でメッシ選手は1得点・1アシストの大活躍。その様子を書いた文章に、

CLの決勝トーナメントは通算19得点でシェフチェンコ、ラウルをかわして歴代1位。」

とありました。この、

「かわす」

、本来の使われ方ではありません。

「追い抜く」

という意味で使われています。本来は、

「追撃を振り切る」

つまり「逃げ切る」表現だったのに、「逆」になってしまっています。新しい用法です。

日本新聞協会新聞擁護懇談会放送分科会が出した『放送で気になる言葉2011』(40~41ページ)では、詳しく図解も入れて、新しい用法と従来の用法の違いを記しています。

新しい意味の、

「強豪を次々とかわしてトップに立った」

という使い方の「かわす」は「許容範囲」としながらも、

「強豪を次々に追い抜きトップに立った」

という表現でよい、と書いています。

「平成ことば事情4416敷居が高い2」にも関連のことを書いていますので、ぜひお読みください。

 

(2012、2、20)

2012年2月25日 12:06 | コメント (0)

新・ことば事情

4630「最新のニュース」

 

よく使う、よく耳にする言葉(常套句)に、

「以上、最新のニュースをお伝えしました。」

というのがあります。でもよく考えたら、

「最新のニュース」

というのは「重複表現」ではないのか?もう「ニュース」には「新しい」という意味が薄れてしまったということなのでしょうか?つまり単に「ニュース」と聞いても「情報」の意味にしか取れなくて、新しさを強調するためには、

「最新の」

を付けないと埋没してしまう、ということなんでしょうねえ・・・。

言葉は使えば使うほど手垢が付いて強調できなくなってしまうだからそれを強調するために「屋上屋を架す」ような表現が生まれてくるのでしょうね。

Google検索(2月20日)では、

「最新のニュース」=674万件

じつは、「ミヤネ屋」でも、毎日「最新のニュース」をお伝えしているのですが・・・。

 

(2012、2、20)

2012年2月25日 08:06 | コメント (0)

新・読書日記 2012_022

『ジワジワ来る○○』(片岡K、アスベクト:2011、7、25第1刷・2011、11、1第6刷)

ちょっと疲れていたので、この「VOW」みたいな笑える写真でなごもう、と買ったのだが・・・これ、去年読んでる・・・・そんな気が・・・「読書日記」には書いてないなあ、でも読んでいる気がする。立ち読みだったかもしれない・・・買ってまで・・・という気がしたのか、そのときは。買っちゃった。

「VOW」と違って、なんだか作為的なのが、だんだんいやな後味を残す気がするので、素直に笑えない。突っ込みもワンパターンだし。

 

 


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(2012、2、15読了)

2012年2月24日 20:43 | コメント (0)

新・読書日記 2012_021

『USAカニバケツ~超大国の三面記事的事実』(町山智浩、ちくま文庫:2011、10、10)

 

最近、著者の町山さんの本が書店でも目立つ気がする。これまで書きためてきた週刊誌などのコラムが次々出版されているか、それが文庫化されているか、もしくはその両方か?

タイトルの「カニバケツ」は、カニをたくさんバケツに入れておくと、蓋をしなくても逃げない。なぜなら、一匹が這い出ようとすると、ほかのカニが引きずりおろすらしい。そういった現象はアメリカでもあるそうだ。

タイトルのように、新聞やテレビニュースの「一面記事」では見えない、アメリカの「三面記事的生活の実態」を、アメリカ在住ならではの視点で生き生きと書いている。

2005年に離婚したブラピの元妻「ジェニファー・アニストン」の本名は「アナスタサキス」だそうで、ギリシア育ちのギリシア系だそうだ。(79ページ)これってロシアだと「アナスタシア」なのかな?あの生魚に寄生している「アニサキス」は、関係ないのかな?全然関係ないことに、気持ちが行ってしまった。

 

 


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(2012、2、4読了)

2012年2月24日 06:41 | コメント (0)

新・読書日記 2012_020

『図書館の主2』(篠原ウミハル、芳文社:2012、1、31初版)

 

マンガです。1巻を読み終わったときに、

「単行本・第2巻も出ているらしいが、近くの書店にはまだなかった。待ち遠しい・・・」

と思っていて、ようやく見つけました。

宮沢賢治の「貝の火」、懐かしいなあ、どこで、いつ読んだんだっけなあ。そういう童話をもう一度読みたくなる本ですねえ。

 

 


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(2012、2、12読了)

2012年2月23日 20:40 | コメント (0)

新・ことば事情

4628「クライアントの処理が・・・」

 

最近、会社のパソコンの「中身」を入れ替えられたので、今までできたことができなくなったり、大変具合が悪いです。そして、いつものように作業をしていると、こんな言葉がパソコンの画面上に。

「このアイテムを開くことができません。クライアントの処理が失敗しました。」

何だよ、その、

「クライアントの処理が失敗しました」

っていうのは!?「クライアント」って誰よ?そもそも「何の処理」に「失敗」したの失敗したら、どうなるの?

もう、不安でいっぱいです。しかも作業はできない。全然、効率が良くありません。腹立たしいこと、この上ない。

一体、誰が、何のためにパソコンの中身を入れ替えたりするのでしょうか?入れ替えてもいいけど、

「前のものを選べる」

ように「選択肢」を付けておいてほしい。前ので十分なんです、私は。

それと、「ちゃんとした日本語で」説明してほしい。

「肝心なポイントのところが、いつも意味不明のカタカナ」

なのです。まるで、「ピー音」が入っているような、モザイクをかけられているかのようです。これを何とかしてほしいです。カタカナ禁止!

 

(2012、2、20)

2012年2月23日 09:40 | コメント (0)

新・ことば事情

4627「歯医者のライトに・・・」

 

 

ここ何か月か、週に1回、歯医者さんに通っています。

長椅子に横になって上を見ていると、ライトが目に入ります。そのライトに書かれていた文字に注目しました。そこには、

BELMONT

と書かれていました。このライト=医療器具のメーカーの名前なんでしょう。

「ベルモン」

と読むのかな?「ベル」が「良い」で「モン」は「山」か?とすると「良い山」かな?フランス語でしょうね?

なんとなく語感から、ケチャップの、

「デルモンテ(DELMONTE)」

似ていますが、あれは「イタリア語」ですよね?「デルモンテ」は単なる「山」(ザ・マウンテン)でしょうか?「ピエモンテ」は「山の足」で「麓(ふもと)」でしたね。そんな名前のアイスクリームのメーカーもあったような・・・。

「モンブラン」は、フランス語で「白い山」。フランスとイタリアは国境が接しているので、同じ山を見て呼び方が違ったりするのでしょうね。山梨側から見る富士山と、静岡側から見る富士山の違いに、少し似ているかも。

でも「モンブラン」「ブラン(白い)」という形容詞が「後ろから形容している」のに、「ベルモン」「ベル(良い)」という形容詞が「前から形容している」のですね。同じフランス語でもそうなのかな?「ベルエポック(良き時代)」の「ベル」「前から形容している」な。

そんなことを考えていたら、歯の治療が終わったのでした。また来週!

 

(追記)

NHKの原田邦博さんと、アメリカ在住のI先輩からメールを頂きました。ありがとうございます。お二人とも、同じことを指摘してくださっていて、

「『BELMONT』の読み方は『ベルモン』ではなく、『ベルモント』ではないか。『タカラベルモント』という歯科機器のメーカーがあるようだ」

とのこと。しかもその会社の本社は大阪ですって。

ご指摘ありがとうございました。これで、歯の治療に集中できます・・・・?

                                               (2012、2、27)

 

 

(2012、2、13)

2012年2月22日 23:39 | コメント (0)

新・ことば事情

4626「ジャンタク」

 

「ミヤネ屋」のスタッフが、取材先の「ロジ」(ロジスティックス)関連の連絡で話しているのが聞こえます。その中で、

「ジャンタク」

という言葉が耳に飛び込んできました。

「え?取材先でマージャン(麻雀)をやるの?それが取材?」

2秒ぐらい思いましたが、すぐに、「あ、そうか」と気付きました。「ジャンタク」というのは、

「ジャンボタクシーの略」

なんです。普通は「ジャンタク」と言えば「麻雀卓」の略称ですよね。マージャンをすることを、

「ジャンタクを囲む」

と言いますよね。でも読売テレビの報道フロアで耳にする「ジャンタク」は、

「7~8人乗りのジャンボタクシーの略」

なんだなあ。ジャンボタクシーを囲んでも、ねえ・・・。

これって、業界用語?方言?どうなんでしょうか?

Google検索(220日)では、

「ジャンタク」=6280

で、トップに出てきたのはやはり、

「全自動麻雀卓」

でした。「タクシーの意味」で引くために、キーワードを追加しました。

「ジャンタクー、ジャンボタクシー」=678

でした。大阪以外でも、京都、広島、愛媛、北海道、東京など「あることは、ある」みたいですが、件数は少なそうです。

 

(2012、2、20)

2012年2月22日 18:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4625「ウエアーのアクセント」

 

2012年2月7日の夜11時半ごろ放送のTBS(MBS)のスポーツニュースで、青木キャスター(女性)がゴルフの石川遼選手に対してインタビューしている中で、

「ウ/エアーがマスターズカラーですが」

「ウエア」を「平板アクセント」で、しかも「語尾を伸ばして」話していました。

『NHK日本語発音アクセント辞典』では、

「ウ/エ\ア」

という「中高アクセント」しか載っていません。表記も発音も、

「『エ』が大きい」

のですね。最近は「小さい『ェ』」で表記して発音もそのようにする、

「ウェ\ア」

というのも出てきています。

いわゆる「専門家アクセント」(その言葉をよく・頻繁に使う人たちのアクセント)は「平板化する傾向」にあるということですから、

「青木キャスターも普段からよく『ウエアー』という言葉を使う」

か、もしくは、

「よく使うであろう石川選手に合わせる形で『平板アクセント』を意識して使った」

か、はたまた、

「何も考えていなかった」

なのか?果たしてどれでしょうね?

 

(2012、2、20)

2012年2月22日 12:12 | コメント (0)

新・ことば事情

4621「万死に値する」

 

山口・光市母子殺害事件の裁判で、最高裁は被告側の上告を棄却、事実上死刑が確定しました。

事件発生から13年、各ニュース番組は事件と裁判の流れを振り返っていました。

その中で流された、被害者側・遺族の本村洋さんのこれまでのコメントの中に、

「君の行った行為は万死に値する。」

という言葉がありました。たしか、事件翌年の2000年の発言だったと思います。

これまでにこの言葉は、よく政治家が口にしてきました。しかし、これまでに聞いたこの言葉の中で、これほど実感を持って、言葉の意味そのものがダイレクトに聞こえたことはありませんでした。

2月3日の読売新聞夕刊「いやはや語辞典」というコラムで、元・神戸女学院大学教授で思想家・文筆家の内田樹氏「万死に値する」という言葉を軽く使う政治家たちに苦言を呈しています。いわく、この「万死に値する」という言葉の字義は、

「一万回死ぬべきだ」

であり、それを唱えることで「呪いの言葉」として自己運動を始めてしまうと。そして、

「いま世を被っている攻撃性のインフレーションに対しては、もう少し警戒心を持ったほうがいいと私は思う。『攻撃的である』と『批評的である』ということはまったく別のことだからだ。批評的であるというのは『物事を根底からとらえる』ということであって、人を呪うことではない。行き交う言葉が断定的で、非寛容なものになるほど、人々の対話能力は劣化し、社会の空気はすさんでゆく。政治家がそれに加担してどうするのだ。」

と記しています。だいぶ、書き写してしまったが、この文章は重要です。

本村さんの発言が「呪いの言葉の自己運動」かどうかは分かりませんが、本村さんの活動が大きく司法を動かしたということは確かです。昨日の会見を聞いていると、本村さんはそんな「呪い」とかの低レベルの次元を突き抜けているように感じました。35歳というともちろん立派な大人ですが、そんな年齢ではないもっと成熟したというか、凡人では一生かかっても達しない「極み」のレベルに既に到達していると、そう感じました。

 

ずいぶん前ですが、2000年の6月14日に「平成ことば事情134」で「万死」について書いています。そのときは、神奈川県警の本部長が不祥事を揉み消していた事件の裁判で、裁判長の判決文の言葉が、

「罪は、万死に値する」

というもの。ところが、「万死に値する」はずのこの元本部長に、なんと、

「執行猶予がついた懲役刑の判決」

が下された、ということを書いています。その頃から、「万死」のインフレが始まっていたのかもしれません。私はそのとき、

「判決は検察側の求刑の『七掛け』、なんてこともよく言われます。しかし『万死』は、すなわち『死刑』ですから、『七掛け』でも『死刑』なんじゃないでしょうか。」

「言葉を安売りすると、言葉の持つ意味が軽くなってしまうのではないか、と懸念します」

と書いています。

 

 

 

 

 

 

(2012、2、21)

2012年2月21日 17:58 | コメント (0)

新・読書日記 2012_019

『キュッと曲がって90°!~関西オノマトペ用例集』(豊島みゆきとこそっと関西オノマトペ研究会、組立通信:2010、3、12)

 

 

豊島みゆきさんがこのようなオノマトペの本を出されたというのは、新聞記事で読んで知っていた。すぐに問い合わせ先に電話した覚えがあるが、たまたま話し中だったかでつながらないまま、ほったらかしになっていた。先日、久しぶりに家の近くの図書館へ行ったらこの本があったので借りた。おお、もう出てから2年が経過している・・月日がたつのは、早いなあ・・・。本を読むと、関西人はオノマトペで、「程度」を表す。街で聞いたアンケートを集計したところ、

「グッと曲がる」は45°

「キュッとまがってちょっと戻る」は150°

「シュッと曲がる」は30°

「チュイッと」「クイッと」ではなく「クリッとまがる」は120°

らしい・・・。いやあ、大阪弁の(擬態語・擬声語)はムツカシー!

 


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(2012、2、13読了)

2012年2月21日 04:35 | コメント (0)

新・ことば事情

4618「勝者なんかいない」

 

山口・光氏の母子殺害事件の裁判で、2月20日、被告側の上告を最高裁が棄却。大月(旧姓・福田)孝行被告の死刑が、事実上確定しました。それを受けて、遺族の本村洋さん(35が会見で、こう語りました。

 

「今回の判決で、勝者なんかいないと思う。犯罪が起こった時点で、みんな敗者なんです。」

 

なんと重い言葉でしょうか。

そして、真理を突いています。

亡くなった人は、裁判(死刑判決)によって生き返ることはないのです。

時計の針は"逆戻り"しない。

 

たとえ、当時何歳であっても、人の命を奪ったという事実は変わりませんし、その失われた命は、二度と取り返すことはできません。リセットできないのです。

 

その重みが分かっている本村さん。

 

怒りや、悲しみを乗り越えようと、死にものぐるいの心の葛藤が、そこまで到達するにはあったに違いありません。

 

13年という歳月の中で、研ぎ澄まされた本村さんの魂。

その凛とした精神が、内面からにじみ出てきているように感じます。

会見でのよどみのない言葉は、いかに本村さんの頭の中が悲しいまでにすっきりと整理されているかを、「ひとつの真理」に到達しているかを示していると思いました・・・。

 

(2012、2、20)

2012年2月20日 23:27 | コメント (0)

新・ことば事情

4633「有効的?」

 

 

2月20日の「ミヤネ屋」で夕刊を紹介する「ニューススクラップ」のコーナー(旧「ヨミ斬りタイムズ」)で、AKB48が、東日本段震災の被災地に合計12億円余も義援金を送るという話題で、山本隆弥アナウンサーが、

「有効的に使ってほしいですね」

とコメント。この「的」は余計です。「的」が付く「ゆうこう」は、

「友好的」

です。別の言葉になってしまいます。似ているようでも余計なものをつけてアバウトな表現にすると、別の言葉になってしまうのです。フリートークは要注意です!

あ、もちろん義援金は、取り合いなどにならないように、

「友好的に」

使ってほしいのですけど。うーん、これも微妙に使い方が違うような気がするぞ。

 

(2012、2、20)

2012年2月28日 10:32 | コメント (0)

新・ことば事情

4629「強暴」

 

奈良の警察官が発砲したのは違法か?適法か?の裁判の中で、被告側の言葉として出てきた言葉に、

「強暴」

というのがありました。え?

「凶暴」

の間違いじゃないの?と思って辞書を引いてみると、「強暴」って言葉、あるんですよね。

(広辞苑)①強く荒々しいこと②強迫して暴行を加えること。(例)強暴に屈する。

(明鏡国語辞典)強くて荒々しいこと。

(精選版日本国語大辞典)①強く荒々しいこと。また、そのさま。②強迫し乱暴すること。

(デジタル大辞泉)①強くて荒々しいこと。また、そのさま。(例)強暴なるスパルタに争抗し」②強迫や暴行を加えること。

(新明解国語辞典)力が有って乱暴な様子。

『三省堂国語辞典』は「強暴」を見出しに載せていませんでした。

また、『精選版―――』によると、

「彊暴」

とも書くようです。

一方の「凶暴」は、

(広辞苑)凶悪で乱暴なこと。(例)凶暴な犯人、凶暴性

(明鏡国語辞典)人を殺傷するほど乱暴なこと。(例)凶暴な犯人(性格)

(精選版日本国語大辞典)性質が非常に悪くて荒々しいこと。凶悪で乱暴なさま。

(デジタル大辞泉)性質が残忍で非常に乱暴なこと。また、そのさま。(例)凶暴な犯人、凶暴性を帯びる

(新明解国語辞典)非常に乱暴で、人を殺傷するようなことも平気でする様子。(例)凶暴性

 

「明鏡」と「新明解」は、

「人を殺傷する」

というのが含まれているのが「凶暴」の特徴ですね。これは確かにそうでしょう。

どうやら「強暴」が見かけの行動が荒々しいのに対して、「凶暴」は内面的な性格を主に指していて、それが表現系として表にも出てくる、あるいは、普段は「なり」を潜めているが、一旦出ると恐ろしい、そんな感じを持っているような気がします。「強暴」は「粗暴」な感じで偶発的な犯罪を起こしそうですが、「凶暴」は意外にも綿密・緻密に仕組んだ残忍な犯罪を起こしそうな気がします。その辺のニュアンスの違いなのかもしれません。ちなみにGoogle検索(2月20日)では、

「強暴」=514万件

「凶暴」=585万件

でした。意外と「強暴」は使われているのですね・・・。

 

(2012、2、20)

2012年2月23日 17:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4624「堆肥のアクセント」

 

2011年7月26日の夜9時のNHKのニュースを見ていたら、堆肥や腐葉土からセシウムが検出されたと報じていました。その際にアナウンサーが、

「堆肥」

のアクセントが、「平板アクセント」で、

「タ/イヒ」

と読んでいました。あれ?「平板アクセント」だと、

「待避」「退避」

みたいだなと思いました。「頭高アクセント」で、

「タ\イヒ」

ではないか?と。あ、でも「頭高アクセント」の「退避(タ\イヒ)」もありそうだな。

しかし『NHK日本語発音アクセント辞典』を見てみると、なんと、

「堆肥、退避、待避、対比」

はすべて、

「両方のアクセント」

が載っていました。そうだったのか!

 

(2012、2、20)

2012年2月22日 09:36 | コメント (0)

新・ことば事情

4623「個室17部屋」

 

大阪・京橋の「シアター・ブラバ」の女子トイレ入口に表示に、

「個室17部屋」

と書かれていました。

「17室」

なら違和感を覚えなかったのですが、

「17部屋」

って・・・そんなに広いのかな?

room

を直訳したら「部屋」になったとか?トイレの、あのスペースを「個室」と呼ぶのも、分かるけど分からないような。確かに「個室」ですけど。「ツイン」とかないし。

でも、おもしろい呼び名ですね。

 

なお、男性トイレの入り口にはそのような表示はありませんでした。

 

(2012、2、20)

2012年2月21日 23:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4622「飯切」

 

ちらし寿司を作るときに、「寿司飯」を作るのに使う、ご飯を入れる「たらい」みたいなものを、何と言うかご存じですか?

「飯切(はんぎり)」

と言うそうです。きょう(2月20日)の「ミヤネ屋」の名物コーナー「林先生のスパルタ料理塾」で放送していました。

あまり家で「ちらし寿司」など作らないし、その「飯切」もないので、私はその名前を知りませんでした。

しかし「ミヤネ屋」のIディレクターは、

「え?道浦さん、知らないんですか?私は知ってましたよ。よく、手巻き寿司とか作るときに、使いますよ」

とのこと。そうだったのか。

ところが、『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『広辞苑』『三省堂国語辞典』にも「飯切」は載っていませんでした。

もしかして、関西弁?と思って『大阪ことば事典』(牧村史陽編)も引きましたが、載っていません。『現代用語の基礎知識2012年版』にも載っていません。

Google検索(220日)では、

「飯切り」= 9840

「飯切」=7万6000

も出てきて、見てみると確かに、

「すし飯を作る"たらい"のような"たが"がはまった木製の容器」

でした。

 

(2012、2、20)

2012年2月21日 21:33 | コメント (0)

新・ことば事情

4620「同割」

 

2月20日の「ミヤネ屋」名物コーナー「林先生のスパルタ料理塾」の原稿に、

「同割」(どうわり)

という言葉が出てきました。これは『広辞苑』には載っていません。意味は、

「同じ割合で」

のようなので、原稿はそういうふうに、わかりやすく直しました。

『広辞苑』には「同割」は載っていなかったのですが、『精選版日本国語辞典』を引いてみたら、「同割」という言葉は、

「どうわり(同割)」=料理の材料や調味料を同量の比率で混ぜ合わせること。卵とだし汁、味噌と砂糖、酒と水などにいう」

と記されていました。

 

『三省堂国語辞典』も「第6版」になんと「同割」が載っていました。

「どうわり(同割)」=(料)同じ割合。(例)しょうゆとみりん同割

 

「料理用語」なのですね。さすが「料理関係には力を入れた」と、第6版の編纂に当たった飯間さんがおっしゃっていただけあって、広辞苑に載っていなかった「同割」を、小型辞典の「三国」が載せていました!

 

でも、少なくとも料理から縁遠い私などには、なじまない言葉ですね。最近は飛行機などの、

「早割」

や、ケータイ会社の、

「○○割」

というコマーシャルをよく耳にしますが、これはそういった「割」とは関係ないのですが、耳で聞いた感じでは、似ているように思えました。

 

 

 

 

 

 

(2012、2、20)

2012年2月21日 12:32 | コメント (0)

新・ことば事情

4619「身心」

 

2月20日の「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

「身心」

という文字が。危ない危ない、これは当然、

「心身」

だろうと思って直しました。そもそも「しんしん」で変換すれば「心身」としか出ないと思います。そこでオペレーターさんに聞いてみたら、なんとそのワープロソフトは先に、

「身心」

が出たそうです。そこで念のため辞書を引いてみると、

*「しんしん(身心・身神)」=(古くは「しんじん」とも。(1)身体と精神。体とこころ。心身。心人。(2)からだ。身体。心をあわせもつからだ。~『精選版日本国語大辞典』

*「しんじん(身心)」=からだとこころ。~『広辞苑』

*「しんしん(心身)」=心もからだも。(表記)「身心」とも書く。~『新明解国語辞典』

と載ってはいました。あるんだ、「身心」という表記も。

しかし、『新聞用語集2007年版』では、

「しんしん」=心身(精神と肉体)<例>心身ともに健全

=心神(精神、心)<例>心神耗弱、心神喪失

とあって「身心」は使われていませんでした。

Google検索では(220日)、

「心身」=2720万件

「身心」=1億件

でした。なんと「身心」のほうが多い!?中国語も含まれているのか?

あるサイトでは、『バカの壁』で有名な養老孟司先生が講演で、「身心」と「心身」について述べていたそうで、それによると、

『現在は「心身医学」「心身病」「心身症」のように「心」が上に来るが、昔は「恒に魔王のために、しかも僕使となって、六道に駆馳し、身心を苦節す。」(法然上人『選択本願念仏集』)や「参禅は身心脱落なり。」(道元禅師『正法眼蔵』「三昧王三昧」巻など)などのように「身」が上に来ていた。養老先生によると「身」と「心」の入れ替えは、どうやら江戸時代頃ではないかと推測されており、その理由を「何事も心がけ」という世界になってきたからだとしていた』

とのことです。ふーん。「身心」のほうが古く、現在は「心身」なんですね。勉強になりました。

 

(2012、2、20)

2012年2月21日 08:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4617「自称霊能者」

 

連日テレビのワイドショーを賑わわせている、オセロ・中島さんの洗脳騒動。まあ、騒いでいるのは、われわれテレビや週刊誌などなんですが。

読売テレビの「ミヤネ屋」では、中島さんと行動をともにしている女性を、

「自称"霊能者"」

という表記で放送しています。

2月20日のテレ朝『ワイドスクランブル』では、

"占い師"

" "付きで表記していました。(ただし「霊能者」ではなく「占い師」)

また、きょうの昼ニュース関西ローカル(ytv)で、インスリンを使って92歳の女性を

殺害させたという女の初公判を報じていて、そこではその女(寺西被告)のこと

" "付きで、

"霊能"

「力」の喪字が入っていました。同じ日のNHK大阪放送局の関西

ローカルニュースでも、

「自称"霊能力者"」

となっていました。

この裁判の記事、月20日の夕刊各紙は、

    (見出し)    (本文)

<読売>自称霊能者    自称霊能力者で元民生委員

<朝日>自称霊能者    元民生委員で自称霊能者

<毎日>(なし)     「霊能力者」を名乗って

<産経>自称霊能者の女  霊能力者をかたり

<日経>(なし)     自称霊能力者

となっていて、「本文」では「朝日新聞」以外はすべて、

「霊能力者」

と「力」を入れた「霊能力者」です。これは「被告本人が、そう言っている」のでしょう。

一方、本文では「霊能力者」としているのに、見出しでは「霊能者」としている新聞(読売・産経)は、「見出し」は文字数を減らしたいので「力」(という漢字)を抜いて、

「霊能者」

としているのでしょう。

「霊能者」は辞書に載っている"古くからの言葉"、「霊能力者」は辞書には載っていない"新しい言葉"のようです。おそらく「霊能者」と「超能力者」が合わさってできた「混交表現」ではないか?と私はにらんでいます。

平成ことば事情4616「霊能者と霊能力者」も、お読みください。

 

(2012、2、20)

2012年2月20日 21:29 | コメント (0)

新・ことば事情

4616「霊能者と霊能力者」

 

「ミヤネ屋」で、オセロの中島知子さんと自称"霊能者"の女性との関係のニュースを取り上げました。それらのテロップをチェックしていたところ、スタッフから質問が。

「『霊能者』と『霊能者』の違いは何でしょうか?」

うーん、全然気づかなかった!「力」が入るかどうか、ですね。

『精選版日本国語大辞典』では、

「霊能者」=心理的異常体験に基づいて、神霊会界と日常世界を結びつける宗教的職能者。霊媒、シャーマンなど。

と載っていますが、「霊能力者」は載っていません。『デジタル大辞泉』『広辞苑』『明鏡国語辞典』も同じ。『新明解国語辞典』はともに載っていません。

思うに、「霊能者」という言葉と「超能力」あるいは「霊能力」(?これも辞書に載っていない)が、くっついてできた新しい言葉が「霊能力者」なのではないでしょうか?

Google検索では(215日)

「霊能者」= 403万件

「霊能力者」=187万件

でした。

 

(2012、2、15)

2012年2月17日 19:01 | コメント (0)

新・ことば事情

4615「憂いて」

 

「ミヤネ屋」のテロップをチェックしていたら、

「憂て」

という表現が出てきました。なんと読むのでしょうか?「ういて」?もしかして、

「うれいて」

と読ませようとしているのか?それはちょっと無理があるのでは?

「憂い」

と書いて「名詞」で、

「うれい」

とは読めますが、「動詞」にはならないでしょう。「動詞」なら、

「憂て」

だと思います。

「憂」という漢字は、

「憂い表情」

と言うときは、「う(い)」と読み、

「政治を憂える」

と言うときは「うれ(える)」と読みます。でも、

「うれいる」

という言葉はありません。正しくは、

「うれえる」

ですね。「うれいる」は、それが訛(なま)ったのでしょう。

送り仮名を直しました。

 

(2012、2、15)

2012年2月17日 12:01 | コメント (0)

新・ことば事情

4614「ボディガード」

 

2月13日の「ミヤネ屋」で、ホイットニー・ヒューストン急死のニュースをお伝えしました。彼女の出世作となった映画の邦題は、

「ボディガード」

です。見ましたねえ・・・思い出します、いろいろと・・・。

さて、このカタカナ表記ですが、

「ボディー」

とは伸ばさずに

「ボディ」

と短いのです。213日の各紙夕刊は、読売・朝日・毎日・日経は、短い、

「ボディガード」

でしたが、産経だけがなぜか、

「ボディーガード」

と伸ばしていました。毎日新聞は、ホテルの浴室でヒューストンさんが倒れているのを発見した人は、

「ボディーガード」

と伸ばし、出演作は、

「ボディガード」

使い分けていました。

『新聞用語集2007年版』の外来語の表記によると、

「ボディーガード」

「伸ばす」ことになっていますが、

「固有名詞の表記は別」

なので、本当は映画のタイトルは「伸ばさない」はずなんですが・・・。

ま、いいか。誰も気付きませんよね、そんなこと。

それよりも、48歳の若さで亡くなった彼女の才能、残された娘さんの悲しみに思いをはせます・・・合掌。

 

(2012、2、15)

2012年2月16日 17:00 | コメント (0)

新・ことば事情

4613「褐色のダイヤ」

 

2月13日の「ミヤネ屋」で、ホイットニー・ヒューストン急死のニュースをお伝えしました。そのホイットニー・ヒューストンのデビューアルバム。邦題は、

『そよ風の贈りもの』

ですが、原題は、

『Whitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)

でした。原稿&スーパーは「邦題」を採用していました。「デビューアルバム」はどちらが正しいのか?と悩みましたが、どちらも正しかったのです。

また、ホイットニー・ヒューストンを称して、

「褐色の歌姫」

という原稿とスーパーが出てきました。これはちょっと人種的な差別の感じがしたので、「×」をつけておき、ディレクターがその表現をやめたようです。

しかし翌日14日の読売新聞朝刊で、音楽評論家・安倍寧(やすし)氏が書いた追悼記事で、

「この褐色のダイヤモンドには、もっと長く輝き続けて欲しかった。」

というように、

「褐色のダイヤモンド」

「褐色の~」という表現が出てきました。外部筆者の表現は勝手に直せないのだと思いますが、読売新聞側がつけるはずの見出しも、

「歌だけで輝いた『褐色のダイヤ』」

というように「褐色の」を使っています。これは差別的な表現とは捉えていないということなのでしょう。

以前「平成ことば事情」では、サッカーの「ジーコ」が「白いペレ」と呼ばれていたことに関して、その表現を使うかどうか?ということを書きました。(「平成ことば事情717」)その中では、元カメルーン代表のエースストライカー・エムボマ選手も、Jリーグのガンバ大阪に所属していた時に、

「なにわの黒ヒョウ」

と呼ばれたことや、カナダの陸上短距離・ベン・ジョンソン選手が、

「褐色の弾丸」

と呼ばれたことも挙げました。しかし、それらは今から18年~25年ほど前のことです。21世紀の日本では「褐色の~」は、いいのかなあ。あまり厳しいことを最近はまた言わなくなっているということでしょうか?いずれも「外国人」に使われていますね。なお、安倍寧氏はヒューストン(外国人)に、

「享年48」

という表現も使っています。「享年」は、外国人に使った例も古くはあるそうですが、なじまない感じもします。マイケル・ジャクソンが亡くなったときに、

「享年50」

という表現が「ミヤネ屋」でも出てきましたが、放送前にそれは削除しました。

 

(2012、2、15)

2012年2月16日 11:59 | コメント (0)

新・ことば事情

4612「エッジ」

 

先日の新聞用語懇談会放送分科会で話し合われた内容に、「アクセントで意味が変わる外来語」というものがありました。そのひとつに、

「エッジ」

があります。『広辞苑』を見ると、

(1)端

(2)スキーの滑走面の両側の角。スケート靴の氷に接する面の両角。

とありますが、最近はこれに新しい使い方・意味が出てきているようです。

先日、レンタルCD店に行ったところ、「レディー・ガガ」のCD『ザ・リミックス』の宣伝ポップにこんな文字がありました。

 

「エッヂィなクラブ系アーティストによるリミックスを収録」

 

表記が「ヂィ」となっているのもさることながら、この言葉の使われ方に注目しました。私は使ったことのない「エッジ」です。

私は『広辞苑』に書かれているとおり、スキーやスケートで、

「エッジが効いた滑り」

のような使い方ぐらいしか知りません。「効いた」もない単独の「エッジ」が使われた、

「エッヂィなクラブ系アーティスト」

とは、一体どんなアーティストなのか?

ま、想像するに、一言で言えば、

「カッコイイ」

ということなのではないでしょうか。それにしても「エッヂィなクラブ系アーティストによるリミックスを収録」って、「カタカナばかり」で、

「何を言ってるか、オジさんにはわからない」

というところでしょうね。「エッヂィ」が「エッチィ」に見えた人も多いのではないでしょうか?え?そんなふうには見えないって?

ぢゃあ、「エッチィ」に見えた人は「オヂサン」ということで・・・。

 

(追記)

アメリカ在住のI先輩からメールが。

「エッジー(edgy)というのは、米語ではだいたい二つの意味があります。

ひとつは、『先端的』『前衛的』『先進的』というような意味でこれはよい意味ですね。

もうひとつは、『とげとげしている』『つんつんしている』『いらいらしている』『怒りっぽい』というような意味でこれは悪い意味ですね。

もしかしたら、音楽業界に特有な使いかたがあるのかもしれませんが、普通は以上のような意味で使っています。

しかし『エッヂー』と、『ヂ』を使うとなぜか『おやぢ』を思い出しました。

(「おやじ」よりも「おやぢ」のほうが悪意があるような気がしますが、違うかな?)

 

ご教示、ありがとうございます。確かにその感覚は分かります。日本語に訳すと、

「とんがった」

というような意味ですね、良くも悪くも。「ヂ」を使った、

「オヤヂ」

ですが、広末涼子のドラマかなんかで田村正和が出ていたのに、そんな名前のがありませんでしたかね?検索してみると・・・・あ、10数年前のTBSの東芝日曜劇場で、

「オヤジぃ。」

というタイトルでした。「ヂ」ではありませんでした。201010月~12月放送。見てないけどタイトルだけ知っています。脚本は「家政婦のミタ」と同じ遊川和彦さんでした。

(2012、2、16)

 

 

 

 

 

 

(2012、2、15)

2012年2月15日 18:56 | コメント (0)

新・ことば事情

4611「おトイレする」

 

近くのデパートの最上階に、ペットを遊ばせるところがあります。私はペットを飼っていないので縁遠いのですが、たまたまそのデパートのエレベーターに乗ったら、こんな張り紙が張ってありました。

「ワンちゃんがおトイレをされた場合はスタッフまでお申し出ください」

この中の、

「おトイレする」

という言葉に目が引かれました。しかも「する」のは「ワンちゃん」です。

これは「おトイレでない場所」で「する」のですから「おトイレする」ではなく、正しくは、

「おもらしする」

ではないでしょうか?その「婉曲表現」として「おトイレする」を使っているのではないか?そして、

「このエレベーターの中で、そういった事態が起きるんだ」

ということも、ペットを飼っていない私にもよく分かった張り紙でした。

 

(2012、2、13)

2012年2月15日 12:34 | コメント (0)

新・読書日記 2012_018

『おじいちゃんのごくらくごくらく』(西本鶏介・作、長谷川義史・絵、すずき出版:2006、2、1第1刷・2007、4、16第6刷)

 

53回青少年読書感想文全国コンクール課題図書・小学校低学年の部。つまり絵本です。あの「いいからいいから」と同じ画家。おじいちゃんのタッチが同じなので気づいた!

1の娘が図書館で借りてきました。ちょっと、泣かせる内容です・・・。

 

 


star3

(2012、2、8読了)

2012年2月14日 18:54 | コメント (0)

新・読書日記 2012_017

『ハシズム~橋下維新を「当選会見」から読み解く』(第三書館編集部編:2012、1、1第1版)

 

この出版社に関しては「左」っぽいイメージを持っていたが、「ファシズム」ならぬ「ハシズム」には興味があるので購入。なんと半分以上は橋下徹氏が大阪市長選に勝利したあとの延々続いた記者会見を「実録」したもの。宮根誠司さんや「ハルカワ」解説委員、「フジムラ」リポーターといった「ミヤネ屋ファミリー」の発言をはじめ、各マスコミの記者の質問が実名で載っている。その意味では「ドキュメント」というか「実録モノ」だ。そしてその会見を"読んで"の感想を、「第三書館」的文化人が書いていると、まあそんな感じの一冊。記者会見はテレビで見たが、全部見たわけではないので、これを読んで全体像がつかめた。勉強になった。

橋下市長のいう「民意」というのは、彼に投票した「75万票」という人たちのこと。投票率が60%で、そのなかで23万票差をつけたということは、彼の得票率は約60%。ということは、大阪市の全有権者の60%×60%=36%の支持を受けたに過ぎない。残りの64%の市民は「反対」もしくは「賛成ではない」(興味がない?)という立場である。まるで「36%」だけが「100%」のように見せかける「民意」という言葉は、警戒したほうがいい。オールマイティーのカードではないと思う。だから民主主義には「多数決の原理」を補完する「少数意の尊重」があるのだが、これは得てして忘れられがちだ。時として故意に「忘れ」られる。「民意」を手にしたという人たちによって。

先日、「反ハシズム」の人たちがデモ行進をしているニュースを見かけたが、その人たちのプラカードに、

「これも民意だ」

と書かれていた。そのとおり!「民主主義」とは、

「あなたの意見には賛成できないが、あなたが意見を述べる権利は命をかけて守る」(ヴォルテールの格言といわれる)

という姿勢である。それがない世の中は「表現・言論の自由」がない世の中、「ファシズム(全体主義)」の世の中に、違いありません。

 

 


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(2012、1、28読了)

2012年2月13日 20:34 | コメント (0)

新・ことば事情

4610「速度を落として運転」

 

先日、東京出張の日。前日からの大雪で、新幹線は、やはり遅れていました。40分の遅れだそうです。1時間ぐらい余裕を持って出たので、会議にはちょうど間に合いました。

その新幹線車内での文字盤掲示を見ていたら、このような表示が。

「名古屋~新大阪間は、残雪のため、速度を落として運転しています。」

これを見て思ったのは、

「あれ?『速度を落として運転しています』なんだ!」

ということ。というのも以前はたしか、

「ひかりは120キロの徐行運転」

というように「徐行」という表現をしていたのです。

「時速120キロ」というスピードは、ふだん時速300キロで走っている「新幹線ひかり(のぞみ)」にとっては「徐行」なのでしょうが、一般的に「徐行」と言ったら、

「ブレーキをかけたらすぐに止まれるスピード」

「時速10キロから、せいぜい20キロぐらい」

をイメージしていたので、「特急並みのスピードである120キロ」を「徐行」と呼ぶ感覚にはついていけない、放送でその用語をそのまま使ってはいけないのではないか?ということで、新聞用語懇談会放送分科会でもその旨の発言をして、それが『放送で気になる言葉2011』の76ページにも載っています。

でも最近は「徐行」という表現をやめたのかもしれません。

より分かりやすい表現、業界的ではなく一般に近い表現にしてくれたのだなと、雪での遅れも気にせず、ちょっとうれしくなったのでした。富士山もきれいに見えました。

 

(2012、2、8)

2012年2月11日 13:31 | コメント (0)

新・ことば事情

4609「誤認逮捕」

 

今から15年前の19975月、千葉県流山市の会社員・田島由美さん(当時24)が自宅で殺された事件で、2012118日、当時17歳だった男が逮捕されました。千葉県警は会見で、

「真犯人を逮捕しました。当時、誤って逮捕された方々、およびその関係者の皆様に心からおわび申し上げます。本当に申し訳ありませんでした」

と謝罪しました。

千葉県警は事件当時、被害者の家族3人を「誤認逮捕」していたのです。「冤罪」ですね。

このニュースを聞いていたら、

15年前、千葉県流山市で女性が殺害され、3人が誤認逮捕された事件で」

というふうにアナウンサーが読んでいました。それを聞いて私は、

「3人が5人逮捕された事件?合わせて8人か?」

というふうに「5人」、いや「誤認」してしまいました。

「誤認逮捕」

という熟語は認識できますが、そこに人数が入ってくると、目で文字を見れば間違わないけれど、耳だけで聞いていると紛らわしい

4人が誤認逮捕」

とかのケースも出てくると、

「4人か5人か、どっちやねん!」

と怒鳴りたくなるぐらい分かりにくいです。やはり、

「誤って逮捕された3人」

のような言い方をしたほうがいいのではないかと思ったのでした。

 

(2012、2、8)

2012年2月10日 19:30 | コメント (0)

新・ことば事情

4608「マクロ」

 

会社のパソコンのOSってんですか、よく分からないんですが、それが先日入れ替えられたらしい。それ以来、どうも具合が悪い。何でも「直せるものと直せないものがある」そうで。お医者さんのようなことを言います、専門家は。素人でも同じ答えになると思いますが。で、先日もいつものように、パソコンをいじっていると、いきなり「警告」のような画面になって、こんな文章が出現しました・。

 

「マクロにはウイルスが含まれている場合があります。通常マクロを無効にすると安全ですが、マクロが適正な場合は機能が使えなくなります」

 

で、どうしろって言うんだ?と思ってよく見ると、その下に2つのボタンが。

 

「マクロを無効にする」「マクロを有効にする」

 

どちらかを選ばないと先へ進めないらしい。

「マクロ」が一体何なのか?がわかりません。「マグロ」でないことは分かっていますが。「ミクロ」でないことも分かっていますが。「マクラ」・・・ではないですよね?・・・デカいんでしょうな、「マクロ」って言うぐらいですから。

「無効」にすれば「安全」だって書いてあるから「無効」を押そうかな、でも、「マクロが適正」な場合は、

「機能が使えなくなる」

と書いてある。そもそも「マクロ」が何のことか分からないのに適正かどうかなんて分かるわけがないじゃないか。もし「適正」だったら・・・機能が使えなくなる・・・「機能」ってどんな「機能」?でも・・・コワイ・・・。

マウスを操る手はピタッと止まって動かなくなったのでした。

しかし、そんなこともしていられない、「機能」が使えなくなったら困るから「無効」は押せないので、「有効」を押しちゃえ、ええい、ままよ!「有効」を押した!!!

・・・・特に何も起こらず、普通にデータは開きました。ほっ。

さて、次の日。また同じ画面が出現。少し気持ちの余裕ができた私は、

「今度は『無効』を押したらどうなるかな?」

と、こわごわ「無効」をクリック・・・・特に何事もなく、データは開きました。

うーーーむ、一体この画面の意味は何だろう?

そもそも「マクロ」って何?

 

(2012、2、1)

2012年2月 8日 09:51 | コメント (0)

新・ことば事情

4607「アクビノビス」

 

7年ぶりに改定された『新明解国語辞典第7版』を読んでいると、

「欠伸」

という漢字表記が出てきました。もちろん、ご存じのようにこれは、

「あくび」

と読みます。それはいいのですが、「表記」のところに、

「今日の用字『欠伸』は、もとアクビノビスと訓(ヨ)んだ」

とあるではないですか!

「アクビノビス」

って何、それ?「アクアポリス」か!「もと」ってどのぐらい「もと」なの?

「第6版」にもこれは載っていましたが、まったく同じ表記なので参考になりません。『新明解』の見出し語に「アクビノビス(あくびのびす)」はありません。

仕方がないので、『精選版日本国語大辞典』を引くと、載っていました!

「あくびのびす」(欠伸)=手足を伸ばしてあくびをする。<用例>『観智院本妙義抄』(1241)「欠伸 アクビノビス」

ああ、「もと」というのは鎌倉時代のことだったのですか。それは知りませんでした。今からざっと900年近く前ですねえ・・・。

 

(2012、1、30)

2012年2月 7日 11:23 | コメント (0)

新・読書日記 2012_016

『宮澤賢治、ジャズに出会う』(奥成達、白水社:2009、6、30第1刷)

 

新聞緒書評で見かけて、「宮沢賢治」と「ジャズ」という組み合わせの妙に惹かれて、去年の11月下旬から読み出して、ようやく読了。(当初、「2011読書日記211」で書く予定が、なかなか読み終わらずに、年をまたいでしまった・・・)

去年東日本大震災があって、岩手出身で「明治三陸大津波」の年に生まれて「昭和三陸大津波」の年に37歳で亡くなった詩人・宮沢賢治に、これまで以上に注目が集まっているのではないか。もっともこの本は、2009年に出たものだけれども。

文章はちょっと硬くて、構成も引用が多く、字の分との区別が分かりにくいことや、宮沢賢治とジャズの関係があるのは最初のほうだけで、あとは話が広がりすぎで、興味深くはあるが、読みにくかったというのが実感です。

宮沢賢治の詩や文章に音楽がベースに流れているというのは本当だろうなと思う。

最近良く耳にする「タブレット」、「i-Pad」など「情報携帯端末」のことだが、私などが「タブレット」と聞いて思い浮かべる「錠剤」の意味の「タブレット」以外にも、こんな「タブレット」を宮沢賢治は使っていた。

*「こつちは最終の一列車だ シグナルもタブレットもあつたもんでなく とび乗りのできないやつは乗せないし とび降りなんぞやれないやつはもうどこまででも載せて行つて 北国あたりで売りとばしたり」

これは大正151926)年、同人詩誌の『銅鑼』編集発行・草野心平)7号に発表された「『ジャズ』夏のはなしです」という詩。

それを改稿した「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」という作品は『春と修羅第二集』に収録、とありました。

 

 


star3

(2012、1、29読了)

2012年2月 6日 18:41 | コメント (0)

新・ことば事情

4606「あぎと」

 

7年ぶりに改定された『新明解国語辞典第7版』を「読んで」いると、

「あぎと」

という言葉にぶつかりました(そう、まだ「あ」なんです)。

「あぎと?『仮面ライダー』にそういう名前のがいたな。息子が小さいときに映画を見に行ったような気がするぞ。」

と思いながら意味を読んでみると、

『あぎと(※漢字は「にくづき」に「鰐」のつくりと同じ字です)=「あぎ」は「あご」の意。「と」は「門」「所」の意。①(雅)あご。②魚のえら。』

え!そうなの!「あぎと」って「顎」のことなのか!

「あぎ」=「あご」

ですか。「と」が「門」というのは「港(みなと)」の「と」と同じですね。

「みなと」=「水(み)な門(と)」→この「な」は、「の」意味。

ふーん、日本語って本当につながっているんだなあと思いますね。

ところで「仮面ライダーアギト」は、そういう意味だったのかな?「あご」って、英語で言うと、

「ジョーズ」

つまり「仮面ライダー・ジョーズ」

 

(2012、1、29)

2012年2月 6日 18:23 | コメント (0)

新・ことば事情

4605「『新明解第7版』の『赤』」

 

7年ぶりに改定された『新明解国語辞典・第7版』、最初から読み始めました。

第6版は1620ページでしたが、「第7版」は1642ページと22ページ増えました。読み応えがあります。気づいたことを記していきますね。

「あ」でまず目に留まったのは「赤」。「第6版」ではその意味は4種類しかありませんでしたが、今回は6つに増えています。増えたものの一つは、

「校正・簿記などに用いる赤色の字。(例)ゲラ刷りに赤を入れる」

で、もう一つは、

「(赤い色を旗印にしたことから)共産主義(者)。(例)かつてはマルクスの『資本論』を持っているだけで赤と言われた」

で、ともに「第6版」では3番目の意味の中に含まれていたものが、独立しました。

用例は簡単に、

「赤狩り」

でも良かったのでは?と思いますが。ちなみに「第6版」では3番目の意味が、

「停止・危険を知らせる信号の色。校正・簿記などに用いる赤色の字。また象徴的には共産主義(者)。(例)彼は赤だ」

となっていました。うーん、確かに「第6版」は押し込みすぎでしたね。こういったところにも、辞書の改訂は目配りをしているのですね。

 

(2012、1、29)

2012年2月 6日 11:22 | コメント (0)

新・ことば事情

4604「『新明解第7版』の『本格的』」

 

7年ぶりに改定された『新明解国語辞典・第7版』、ぱらぱらと見ていて目に留まったのは、「本格的」

という言葉。その用例、たしか「第6版」には、

「『新明解国語辞典』は本格的な小型辞書だ」

という自負とも宣伝とも取れる用例が載っていたなあと思い、7版を見ると・・・ない!消えています。「第6版」では、

「本格的な学術論文」「本格的に復旧工事を始める」

という例文も載っていましたが、これはそっくりそのまま「第7版」にも載っています。でも「新明解国語辞典は」・・・の例文は消えている!さらに!「第6版」では、

「本格的なフランス料理を出す店」

という用例が載っていたのですが、「第7版」では、

「本格的な懐石料理を出す店」

と、和風に変化しているではないですか!

これは編集委員の「料理の好み」なのでしょうか?

「フランス料理」を「懐石料理」に変える必要がどこにあったのか?と思ってよおく見てみると・・・あ、そうか、

「字数の問題」

だな。「フランス料理」は6文字、「懐石料理」は4文字。これで「2文字」削減が可能なのですね。道理で、「第7版」の「懐石料理」の用例は、行の一番下のところまで使っています。もし、これを「フランス料理」にしていたら、2文字分、次の行に食い込んでしまうところだったのでしょう。「第6版」の「フランス料理」は、「行の半分ぐらい」で止まっていて空白(余裕)がありましたが。でも別に「懐石料理」じゃなくて、

「中華料理」(もしくは「中国料理」)「台湾料理」「韓国料理」「印度料理」

でも良かったのかな?

というか、「本格的」の用例の数が、一つ減ってもまだ三つもあるというのは多すぎない?

 

(2011、1、29)

2012年2月 5日 18:21 | コメント (0)

新・ことば事情

4603「天敵2」

 

「平成ことば事情4436」でも書いた「天敵」の続きです。(ちょっと、間が開いてしまいましたが。)

2011年11月24日の朝刊各紙のスポーツ欄大相撲九州場所で横綱・白鵬が、稀勢の里と対戦して勝ったことを報じるもの。各紙の「見出し」は、

(読売)「白鵬 天敵・稀勢封じ」

(朝日)「天敵」冷静に寄り切り

(産経)「白鵬全勝綱の意地 天敵・稀勢の大関取りに"壁"」

本文のほうは、読売と朝日だけですが。

(読売)「唯一無敗の白鵬は、厳しい攻めで難敵の稀勢の里を退け、11連勝とした。」

(朝日)「1年前に連勝記録を『63』で止められた天敵を冷静に退けた。」

というように、「天敵」を使っていました。

いまや、新しい意味での「天敵」も新聞のスポーツ欄でも定着したということですかね。

 

(2012、1、29)

2012年2月 5日 12:20 | コメント (0)

新・読書日記 2012_015

『電化文学列伝』(長嶋有、講談社文庫:2011、11、15第1刷)

 

長嶋有の面目躍如と言うか、よくこんなところ(小説の中で取り上げられ、表現されている電化製品)なんてところに目が向くな、と。フェチ系ですね、ここまでくると。マニアです。似たようなもので思い出したのは、子供の頃に切手を集めていたが、そういった切手収集家の間でも、「電車」とか「蝶」とか「動物」とか、「動物」でも「パンダ」だとか「犬」だと「猫」だとか、テーマを決めて(絞って)集めている人たちがいたが、それに似ている気がする。そういった「狭い世界」を一度味わってみるのも、いいかもしんない。

 

 


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(2012、1、29読了)

2012年2月 5日 11:31 | コメント (0)

新・読書日記 2012_014

『図書館の主1』(篠原ウミハル、芳文社:2011、8、24初版・2012、1、15第5版)

 

こんなマンガ、あったんだなあ。舞台は私設の児童図書館。主人公はそこの司書と、たまたま訪れて虜になるオトナ(男)。懐かしい絵本や物語も出てくる。「ニルスの不思議な旅」、読んでいないが知っている。でも、著者が「女性初のノーベル文学賞受賞者だった」というのは知らなかった。勉強になる。単行本第2巻も出ているらしいが、近くの書店にはまだなかった。待ち遠しい。

 

 


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(2012、1、24読了)

2012年2月 4日 17:26 | コメント (0)

新・ことば事情

4602「風があると光は揺れるのか?」

 

先日、マンションの部屋から夜景を見ていて、照明・ライトの光が(「ライトの光」は重複か?)ちらついているのに気が付きました。これまでもいろんな場所で夜景を見ていて、その光が揺れていることに出会ったことがありますが、なぜ揺れているかを考えたことはありませんでした。

 

この「ちらつき」は「空気の揺らぎ」なのでしょうか?

 

光は直進性を持ちます、空気の中を通るわけですから、その空気が揺れる=風が吹くと、直進しなくなるのではないか?それが「ちらつき」に見えるのではないか?

目がチラチラするのは、もちろん目のほうに問題があるケースもあるだろうけど、夜景の光が揺れるのは風のせいではないか?と思ったのです。

ほんまかいな。

あまり近いところの光は揺れない(ちらつかない)ですね、かなり離れたところの光は揺らめく(?)があったら、屈折率が変わって揺らめいて見えるのではないか?「蜃気楼」と似たような現象なのではないでしょうか?

言葉の問題ではないけど、疑問に思いました。

どなたか、詳しい方ご教示ください!

 

 

(追記)

1年ぶりの追記です。この季節は、光が揺らめくことが多いのでしょうか?やはり風が強くなるから?

こんなことを考えました。

 

「距離が近いと、光はまたたかない。空気がなければまたたかない?「またたき」は空気の揺れ、風により、光が屈折するのか?風は空気という物質の移動。これば気圧の差によって起こる。気圧の差は温度の差によって起こる。光、つまり光線は物質ではないが、物質の中を通過する際に、その物質の中の密度の影響を受けるということか?」

 

ありゃ。ほとんど内容が同じですね、1年前に書いたのと。「物質の密度」と「屈折率」との関係かな、ちょっと新しいのは。

(2013、1、15)

 

(追記2)

またまた1年ぶりの追記です。やはりこの季節は、またたく光が、気になるのかな?

鴨下信一『昭和十年生まれのカーテンコール』(幻戯書房)という本を読んでいたら、こんな記述が(90ページ)。

「音楽家の神津善行さんに聞いたモンゴルの草原の星の話だ。あそこでは水蒸気が地面からほとんど立たないので、星がまたたかないのだそうだ。」

ということは、やはり「星のまたたき」は「水蒸気=空気のゆらぎ」によるものなのですね!「かげろう」と同じか。蜃気楼とか。

「夜のかげろう」

ということですかね!

(2014、1、15)

 

 

(2012、1、29)

2012年2月 4日 12:46 | コメント (0)

新・ことば事情

4601「排雪」

 

2012年1月24日の「ミヤネ屋」。北海道の大雪で、雪かき作業をしている北海道の人のインタビューの中に、

「はいせつ」

という言葉が出てきました。

「排雪」

という字を当てていましたが、向こうでは普通の言葉なんでしょうね。「除雪」しただけではどうしようもないので、除雪した雪を捨てる(北海道方言では「投げる」)ことが必要なのでしょう。ひと晩で11トンダンプで30回も捨てに行かないといけないとは・・・雪との闘いなのですね・・・。

Google検索(126日)では、

「排雪」=114万件

も出てきました。ウィキペディアによると、

「排雪(はいせつ)とは、積雪地で除雪や雪下ろしの結果として出てきた雪を、邪魔にならない場所に移すことである。周囲に空き地が多い所では排雪はほとんど問題にならないが、特に都市で深刻な問題になる。」

のだそうです。

『広辞苑』を引いてみたら・・・なんと「排雪」、載っていました!

「排雪=積雪をおしのけのぞくこと。除雪。」

『精選版日本国語大辞典』にも載っていて用例は1936年の平井喜久松という人の『鉄道』という作品です。

「牽引機関車に排雪器を取り付ける方法」

小型の『三省堂国語辞典』にも載っていました。

「排雪」(文)=(1)積もった雪を取りのけること。(例)「排雪車」(2)積もったところから取り除ける雪。(例)「排雪が川につまる」

おお、これは詳しい。「行為」と「物」の両面から「排雪」を述べています。特に「物」のほう(2)の用例の「排雪が川につまる」というのは、雪国の人たちが雪で困っている様子が目に浮かぶようです。こればっかりは、住んでみないとわからない感覚のように思いました。でも、国語辞典ってこんな言葉まで網羅しているんだなあ。

 

(2012、1、26)

2012年2月 3日 10:45 | コメント (0)

新・読書日記 2012_013

『アホ大学のバカ学生~グローバル人材と就活迷子のあいだ』(石渡嶺司・山内太地、光文社新書:2012、1、20)

 

大学と大学生の今、そして振り返っての歴史が分かる本。

大学を出て20数年、入学からでは30年余り。2006年からは前期だけ大学生を教えているとはいえ、非常勤で年に十数回行くだけでは、大学の全体像は私には分からない。今、大学がどうなっているのか、就職関連およびその学力低下対策に関して、かなり具体的に分かった。ちょっとビックリするとともに「やっぱり!」という気もしている。それは、たとえば一部の若手社員の教育の際に感じる違和感。「こんなことも知らないのか?」「習ってないの?」という戸惑い。たまたまうちの若手社員(の一部)がそうなんじゃなくて、おそらく「うちがそうだということは、よそもみんな、そうなのではないか?」と、うすうす思っていたことが、これで明らかになった。大学がそこまで頑張っている(ケースもある)のなら、われわれも社内で教育に頑張らねば。すでに頑張っているけど。

また最近、知らない名前の大学が増えたが、「あ、あれはそう変わったのね」というように「目からうろこ」の事例も。女子大が共学になって名前が変わったという例も多いようだ。勉強になった。

刺激的なタイトルだが・・・石渡さん、内容はしっかりしているのに、こういうタイトルだと、ケンカ売られるでしょ?共著の山内さんは国内の四年制の784大学すべてのキャンパスを訪れたという、まさに「足で書いた本」ですな。

 

 


star4

(2012、1、23読了)

2012年2月 2日 12:43 | コメント (0)

新・読書日記 2012_012

『できることをしよう。~ぼくらが震災後に考えたこと』(糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞:2011、12、15)

 

糸井重里を信じて良かった、と思った。そこに寄り添う人々も、また。

「福島の特別な夏」。2011年、東日本大震災の年の高校野球福島県予選をルポ。感動的!でも、こういった夏がこれから30年続く。セシウムの半減期に達するまで。つまり、今年からは「特別ではない夏」が30年続くのだ・・・。

それでも原発?おそらく、この一点においてのみ、橋下君とは意見が合う。

 

 


star4

(2012、1、21読了)

2012年2月 1日 12:42 | コメント (0)