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『道浦TIME』

新・ことば事情

4187「映画『インビクタス』を観て思ったこと」

 

えー、なんだか小学生の感想文のタイトルみたいになっちゃいましたが・・・時々こういった映画の中から気付いたことを書いております。

クリント・イーストウッド監督作品『インビクタス~負けざる者たち』。映画館で観たかったのですが見逃してしまって、ようやくDVDで観ました。南アフリカが舞台ですから、サッカーワールドカップ・南アフリカ大会のあった今年、観るしかないと。ようやく借りてきました。

ネルソン・マンデラ大統領を演じたモーガン・フリーマンこの人しかいないという感じですね。たしかアメリカの大統領も演じてましたよね、オバマ大統領より早く、「黒人」の(白人ではない)大統領を。

そのモーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領の言葉に「お・・・」と思うフシがありました。

映画でのメインで取り上げられたのは、「ラグビー南アフリカ代表」で、愛称は「スプリングボクス」。

しかし、国は「白人の国」から「黒人の大統領の国」へと変わったのに、「ラグビー南アフリカ代表の愛称」も「国歌」も、国が変わる前のまま。そしてラグビーのワールドカップを開催国なのに、チームは弱いまま。国民は皆、

「チームの愛称を変えよ!」「国歌を変えよ!」

と迫ります。当然そうだよなと思ったときの、マンデラ大統領(フリーマン)の言葉が、

「愛称も国歌も変えてはならない。国歌はアフリカーナー(南アフリカに住む白人)たちの誇り。それを変えれば、国は崩壊する」

というものでした。それを聞いて、「あっ」と思ったのは、

「敗戦時の日本における天皇制」

についてです。戦争責任だなんだということであれば、責任者やその体制をすっかり取っ払ってしまうのが、正に手っ取り早いのかもしれませんが、その後、そこに住む「国民」が「国を再建」するためには、その「精神的な支柱」が必要。しかも「南アフリカ」の場合は、勝った黒人と、負けた白人が力を合わせて、これまでの、

「人種隔離政策(アパルトヘイト)」

を打破して「ひとつの国」を作り上げていかなくてはならないのです。マンデラ大統領は、その困難さを知っていました。そして、どちらの力がなくても(黒人か白人か、どちらか一方の力だけでは)、それは、なしえないことも知っていました。そのためには、負けた側の白人のプライドのよりどころである「スプリングボクス」という愛称や「国歌」を、

「国の体制が変わったからと言って、即座に葬り去ることは出来なかった」

のです。振り返って日本の場合「天皇制」は国民の精神敵支柱であったのでしょう。それがために負けたとしても、それをすぐに取り去ることは出来なかった。新しい「民主主義」という価値観を、「天皇制」を維持することで根付かせようというのが、アメリカ側の「日本再建策」だったのではないでしょうか?

その意味では、もしかしたらマンデラ大統領は、「アメリカの日本統治政策」を勉強していたのかもしれません。

そういったことを、この映画を観て感じました。

サブタイトルの「負けざるも者たち」とは、一体、誰を指すのか?「スプリングボクス」のメンバーだけではなく、「南アフリカの国民全体」を指すのかもしれません。「たち」という「複数形」が効いています。

それから15年の歳月が流れ、今年(2010年)今度はサッカーのワールドカップまで開催した南アフリカですが、この国はまだ完全にひとり立ちしたとはとても思えませんが、この映画を見る限り、いつの日か、立ち上がってくると感じざるを得ません。

それにしても今年の夏は、ワールドカップにかこつけて「南アフリカの赤ワイン」をよく飲んだなあ。ああ、おいしかった。

 

(2010、10、19)

2010年10月22日 12:14 | コメント (0)