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『道浦TIME』

新・ことば事情

4090「非差別部落」

7月27日の毎日新聞朝刊に「訂正記事」が出ていました。そこには、こう書かれていました。

「訂正・26日夕刊10面『非戦の僧100年の教え』の記事で、『非差別部落』とあるのは『被差別部落』の誤りでした」

早速、前日の夕刊を読んでみると、大逆事件で獄死した真宗大谷派の僧侶に関する資料集が発行されたという内容。このお坊さん(高木顕明)は、当時の大谷派幹部を批判してまで「仏教の極楽は、大義を立てて戦争を起こすことではない」などとその著で主張した「非戦の僧」大逆事件(1910年)からちょうど100年の今年、そういった資料集を出すことの意義を説いた記事なのですが、その中に2か所、

「非差別部落問題など」「非差別部落を訪れて」

というように、

「非差別部落」

という言葉が出てきますが、これはもちろん正しくは、

「被差別部落」

が正しい。うーん、「非」と「被」、意味が全く逆になってしまいます。「非戦」の「非」に引かれてしまったのでしょうか?毎日新聞は「署名記事」が多いのですが、これは「久木田照子」記者の署名があります。久木田さん、無念のことでしょう。今後は、より注意深く・・・。そしてこれを見逃した「校閲担当者」も、無念の思いは強いでしょう。お察し申し上げます。

それとともに、この訂正記事で感じたことは、「被差別部落」という言葉も、すでに遠くなってしまったのではないかということ。もちろん「差別」がなくなったわけではないでしょうが、少なくとも「部落差別」ということが、実体としても昔よりは少なくなったと。それはある意味(差別が少なくなっているなら)「よいこと」ですが、これまでの歴史もそれと同じように忘れられてしまう(なくなってしまう?)ということは、いかがなものか、ということです。

先日、教えに行っている甲南大学で、「放送上注意したい言葉」について話しました。「部落差別問題」などは、ある程度学校でも学ぶのかもしれませんが、比較的、生活の中で出てきそうな「身体障害者に対する差別的な呼称」、たとえば視覚障害者に対する差別的な呼び方である、

「めくら」

などは、

「その言葉は、聞いたことがありません」

「きょう初めて知りました」

という学生も、結構多かったのです。マスコミをはじめ家庭や生活環境の中でも、そういった言葉が使われなくなったことは喜ばしいことでしょう。しかし、「歴史は知っておいた方がいい」のではないか、と私は思いました。

 

(2010、7、27)

2010年7月29日 10:51 | コメント (0)