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『道浦TIME』

新・読書日記 2010_005

『落語・昭和の名人決定版23 二代目・桂小南~上方噺で咲かせた"自分だけの花"』(小学館:2009、11、24)

桂小南(1920(大正9)年~1996年)。生まれ育った京都訛りをハンディから個性に転換して、東京でも上方でもない"小南落語"を確立したと。たしかに、東京でもない上方でもない喋り方をしはるが、そのバランスの取り方が、先輩で京都出身のアナウンサーの喋り方にちょっと似ている気がした。

☆「いかけ屋」昭和50年頃、東宝名人会。「お屋敷でおぼっちゃま、おぼっちゃまと言われた・・・子と一緒に遊んでいた頃」という振り方、ああ、ここにもあったのか!と。「間」がすべて。このネタは、「いかけ屋」がなくなった現代ではきつい。「鰻屋」でのてんやわんやは、おもしろい。別の、現代的な商売でも置き換えて出来そう。

☆「しじみ売り」(昭和601218日)まずまず。

☆「ぜんざい公社」(昭和56525日)。「ビルヂング」、「ビルディング」ではなく。しゃべりが、上方の人が喋る東京弁。東と西の間で悩んだあとに、「これでいいのだ」と気付く、そういう瞬間があったのだろう。

小南の句だという「河岸の雪、明治は遠くなりにけり」。中村草田男の本家取りか。

昭和4344年連続で芸術祭賞のときに、以前、師匠の金馬に「本当の大阪落語は、東京じゃ受けないよ」と言われたことを思い出したという。「東京でもない、上方でもない」独特のスタイルを生むきっかけになったか?

小南は「目は人間。マナコなり」と高座でよく言っていたそうだ。また、目線の使い分けで登場人物の気持ちを表現することを大切にしたとも。


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(2010、1、5読了、聴了)

2010年1月12日 10:21 | コメント (0)