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『道浦TIME』

新・ことば事情 3801

「新聞広告に見る季節感」

 

今年の紅葉は、結構遅かったような。やはり温暖化のせいでしょうか、12月に入ってからまだ「見頃」のところも多かったようですね。

ところで最近、私が気にしている「季節感を表すもの」があります。それも「紅葉」と同じように、冬になってくるとだんだん「赤く」なってくるものなんです。何か、わかりますか?タイトルに「新聞広告」って書いてあるけど、「何の」新聞広告でしょうか???

正解は、

「カニの通信販売」

の新聞広告です。

それは、11月の下旬になると、新聞紙上に目立ち始めます。最初は、

「全面広告の、上4分の1ぐらい」

のところに、カニの赤い身の写真が載ります。場合によっては、まだカラー写真でなく「白黒写真」のこともあります。下の方は、

「あったか下着」「発熱ベスト」「手軽にひとり分のお鍋」

の広告です。この「カニ」の赤い広告を見て、

「お、今年も、季節だな」

と思うわけです。今年、私がこの「赤い広告」に気づいたのは1130のことでした。それから気をつけて見ていると、徐々にその広告に占める面積が増える、つまり紙面が赤くなって行くのです。ついに129には、紙面を3つに分けた1段目と2段目、さらに残りの段の3分の2が「カニ」になりました。つまり新聞紙全面の

3分の2」+3分の1×3分の2」(=9分の2)=「9分の8」

まで来ました!あと少し、「国産とらふぐ鍋セット」を駆逐すれば、全面「カニ」制覇、「冬の味覚」全開です!(フグも十分「冬の味覚」ですが。)

ところが、今年の「カニ」はそこまで勢いがないのでしょうか、1217日には、全面の「3分の2」に、18日には「2分の1」にまで後退します。残りの半分は、

「本格ラム革ハーフコート」「ミンク鯨赤身5kg」「国産サーロインステーキ」「高級たらこ」

なかなかどうして、強敵です。どうした「カニ広告」!?不況でカニが売れないのか?それとも「カニ漁が不漁」なのか?

しかーし!ご安心下さい、21日にはまた、「4分の3」にまで巻き返しました。あとは「下4分の1」の「青森産りんご」「熊本産みかん」「北海道産男爵いも」「紀州・南高梅を使った梅干し」をやっつければいいのです。うーむ、結構、手ごわいかも。

そして、ついに1224日・クリスマスイブ、「カニ」が全面勝利する日がやってきました!サンタがカニにやって来た!この日の産経新聞は、

「タラバ2杯とズワイ3杯で10500円」「ツメ肉2kgがお買い得」「生タラバムキ身1kg8980円」「タラバとズワイ、3kgが9800円」「姿ズワイガニ8杯、40kgで8980円」「どどーんと、ずわい5kg、折れ脚が8980円」

と言うことで、ついに全面、「真っ赤なカニ」の写真で埋め尽くされたのです!お待たせしました、皆さん、本格的な冬の到来です!

ま、でも、実はまだ一度も買ったことないのですがね、私は。広告で季節感を味わっています。一度買ってみるかな、カニ。

(2009、12、29)

2009年12月31日 20:15 | コメント (0)

新・ことば事情 3800

「チクロ」

20091014日の日経新聞夕刊の、ベタ記事(1段)の見出しは、なんと言うこともないものでした。

「輸入チョコ巡り 大阪市回収命令から禁止添加物検出で」

フーン・・・と思いながら記事読むと、スペインから輸入したチョコレートに、日本では使用が認められていない人口甘味料、

「サイクラミン酸(通称チクロ)」

が検出されたと書かれていました。そこに目が釘付けに。

「チクロ!あのチクロ!」

そう、わたしたちが小学校低学年の時に、それまでは使用が許されていた「チクロ」に発がん性があるということで、急に「チクロ入りのお菓子」は販売が中止されたり回収されたことがありました。1968年か69だったのではないでしょうか?確か小学校2年、8歳だったな。そうすると1969年か。アポロが月に到着した頃。

それは身近なお菓子に関することだけに、子供たちにも結構ショックな社会的なニュースでした。(そうか、あの「チクロ」、正式には「サイクラミン酸」と言うのか。たぶんcyclominとか書くのかな、それをローマ字読みしたから「チクロ」なのかも。)

そんなある日、友達のF君の家にお邪魔して、おやつを食べていた時のこと。とってもおいしいお菓子でした(何のお菓子かは忘れましたが)。F君と争うようにムシャムシャ食べていて、何気なくその袋を見たら、そこにはなんと、

「チクロ」

の文字が!急にお菓子の袋に伸びる手が止まりました。

「どうしたん?食べへんの?」

と不審そうに私に聞くF君に、

「ほら、ここ・・・」

と、私が袋の文字を指さすと、

「あ・・・・チクロ・・・・」

F君も、お菓子の袋に伸びる手が止まりました。ど、どうしよう、もう随分食べてしまった・・・・ガンになる・・・がーん。そんな気持ちでした。

ちょうどその時、買い物に出かけていたその家の(F君の)おかあさんが帰ってきました。そしてニッコリ笑って、

「あら、いらっしゃい。お菓子、食べてね」

と言うではないですか!(鬼か!)私はもじもじして言いにくそうに、

「うん・・・でも・・・ここに『チクロ』って・・・」

と言うと、おかあさんは袋を見て、笑いながら、

「ああ、これは『チクロは含有していません』って書いてあるのよ。チクロは入ったないから、大丈夫!」

ああ、良かった!小学2年生には、「含有」は読めなかったのです。「ガン有」じゃなくて本当に良かった。それからは安心して、2人でまたムシャムシャとお菓子を頂いたのでした・・・・。

 

その「チクロ」が、40年ぶりに目の前に文字として現れた!ベタ記事を読んで、ちょっと感動したのでした。F君、元気かな。

(2009、12、29)

*年内に「3800回」に到達しよう!と、先週決めて、頑張りました。何とか到達できました!ネタはあるけど、書く時間がない状態が続いています。来年はとりあえず「4000回」到達が一つの目標です。よろしくおねがいします!

 

(2009、12、29)

2009年12月31日 14:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_243

『強い就活(シューカツ)』(石渡嶺司・常見陽平、ディスカヴァー・トゥエンティワン:2009、10、5)

『就活のバカヤローの著者・石渡氏と、常見氏の共著。この前、石渡氏にお会いした時に頂いた。精力的にお仕事されていますね!

で、中身は「ネットで調べたマニュアル的な就職活動をするだけでは他の人と「差別化」出来ない。マニュアルにとらわれずに、自分の中身を磨け!」という、わりと"骨太"の主張。ただ、「どうやって磨いたらいいか、分からない」という"骨細"の学生に向けて、懇切丁寧に「こうやったらいいんだよ。やる、やらないは自分の気持ち一つ!」という感じで水を向けてあげる。そこまでせんとアカンのか・・・と、最近の学生さんに、ちょっとビックリ・ガッカリ。

いわゆる「マニュアル本」ではない。どちらかと言うと「分析本」的な感じも。

3分の2ぐらいまで読んだところで、ちょうどシューカツ中の学生が会社にやってきたので、「僕が読むより、貴方が読んだ方がいいよ!」と、あげてしまった。きっと読んでくれると思います!就職、うまくいくといいね!(シューカツ生には☆☆☆☆、一般社会人には☆☆)


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(2009、12、29に3分の2まで読了)

2009年12月31日 12:41 | コメント (0)

新・ことば事情 3799

「『おいでやす』と『おこしやす』」

今年の秋に行われた関西地区の用語懇談会の懇親会は、大阪駅前ビルの地下の「京都風」の居酒屋風料亭(?)で開かれました。その席で毎日放送の用語委員のT氏が、

「京都では、店がお客を迎えるときの言い方は、客によって『おいでやす』と『おこしやす』を使い分けるんですよ」

と教えてくれました。

「え!そうなんですか?どう使い分けるんですか?」

と聞くと、

「なじみの上客には『おこしやす』、普通のお客さんには『おいでやす』です」

とのこと。えー!そうなの?知らなかった!

ちょうどその時に読みかけていた本が、『KYOのお言葉』(入江敦彦、文春文庫)という本。急いで目次を見てみると、まさにその、「おいでやす」が載っているではありませんか!しかも、読んでみるとそこには

「『おいでやす』には、より丁寧な表現に当たる『おこしやす』があることは意外と知られていない。というか、よそさんは同じだと思っている。まして、さらに最上級敬語である『おこしやしとくれやす』なんてものが存在しているとは考えもしない」

とあるではないですか!

そ、そうなのか!・・・うーん京都、奥が深い。深イイ話でした。

ちなみにその「京風居酒屋風料亭」に我々が入ったときに、お店の女性店員さんたちは、

「おこしやすぅ」

と言ってくれました!

そうそう、来年は14日がスペシャル、6日から通常放送の「ミヤネ屋」、

「ご覧になっておくれやしとくれやす」

アタ。舌、カンダ。

 

(2009、12、29)

2009年12月31日 12:06 | コメント (0)

新・読書日記 2009_242

『ことばの知恵・知識事典~現代言葉調・追録第11号』(ぎょうせい:2009、12、22)

 

2003年の秋に、『経済白書』や『防衛白書』といった"お堅い書物"を出している出版社「ぎょうせい」から出された「バインダー式」の本で、半年に1度くらい「追録」が出ます。実は私も「著者の一人」に名を連ねていまして・・・その意味では「宣伝」ですね、はっきり言っておきます。

私以外の著者は、石井勲(教育学者)、伊藤章雄(ゆきお、詩人・エッセイスト)、小川由秋(作家)、角間隆(国際ジャーナリスト)、亀井肇(新語アナリスト)、川上裕之(元NHKアナウンサー)、佐川二亮(つぐすけ、朝の読書推進協議会事務局長)、佐藤律子(作家)、三遊亭鳳楽(落語家)、塩原経央(つねなか、産経新聞論説委員兼編集局特別記者)、田中真澄(社会教育家)、土屋秀宇(ひでお、日本漢字教育振興協會事務局長)、童門冬二(作家)、長嶋猛人(埼玉県立浦和第一女子高等学校教諭)、中村真夕(映画監督)、西村拓也(言語学者・フランス在住)、林雄介(作家)、渡辺琴子(きんこ、作家)といった面々。総計(私も入れて)19人で書いています。

今回私は「追録第11号」に、「心が折れる」「半純血のプリンス」の2編を書きました。

実はいつも「追録」が届くと、知り合いの塩原さんの文章ぐらいしか読んでなかったのですが、今回改めて皆さんの文章に目を通すと、「なるほど、なるほど」と勉強になりました。今回は事前に、土屋さんや長島さんの他の著作も読んでいた(ことがわかった)ので、「なるほどねえ」と、より親しみを感じて読めました。

 


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(2009、12、28読了)

2009年12月31日 10:25 | コメント (0)

新・読書日記 2009_241

『夫婦力22章』(湯原昌幸×荒木由美子、バジリコ:2009、11、22)

 

以前、「ミヤネ屋」にご出演いただいていた荒木由美子さんと、ご主人の湯原昌幸さんの共著。荒木さんのマネージャーさんから送っていただいた。荒木さんの前著で、義母の介護の経験を記した『覚悟の介護』も読ませていただいていたので「予備知識」はあったが、今回はそういった介護の苦労を抱えつつ、また「山あり、谷あり」のご主人の芸能界でのお仕事ということも抱えつつ、いかに夫婦として27年過ごしてこられたか、そのコツというか、ある種のお二人の信念というか、そういったものを交互に11章ずつ記した。各章末には、お互いの文章を読んでの感想が短くまとめられてある。

それにしても荒木さんの信念の強さ、プライドの強さ(「高さ」ではなく)には感服させられる。やはり「女性は強い!」と改めて・・・。しなやかなので「柔よく剛を制す」なんですよね。

本書が刊行された「1122日」は、「いい夫婦」の日。「22章」というのともあわせて、仲睦まじい様子が伺える。

 

 


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(2009、12、28読了)

2009年12月30日 20:24 | コメント (0)

新・ことば事情 3798

「なるはや」

<もう4年以上前に書きかけてほったらかしの文章です>

あのホリエモンが、ソ連の古いロケットを使っていく、20億円ぐらいかかる個人の宇宙旅行に対して、

「宇宙旅行は『なるはや』で」

と言ったそうな。「なるトモ」ではありません。「なみはや」でもありません。

「なるべくはやく」

の略の若者言葉です。

20051018日にここまで書きました。当時、平成ことば事情2269をそのまま放置>

よく似た言葉で、

「なるへそ」

というのがありますが、これは省略語ではありません。「なるほど」のしゃれ言葉です。語感は似ています。

いずれにせよ、俗語で、あまり公の席では使わないよな、「なるはや」。ネットでは使いそうな気がするけど・・・。同じ仲間には、

「あけおめ」(=「明けましておめでとう」の略)

「ことよろ」(=「今年もよろしく」の略)

があるような気がします。ちょっと検索(Google20091229日)

「なるはや」=21800

「誰も教えてくれない用語集」というサイトや、あの「オトナ語の謎ーほぼ日刊イトイ新聞」「つい口に出る『微妙』な日本語第11回」でも取り上げられているようですね。

でも、2万件あまりというのは、私が思っていたよりは、少なかったです。

一方の「なるへそ」は、

「なるへそ」=112000

こちらの方が歴史があるよね、同じ俗語でも。

『三省堂国語辞典』『広辞苑』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』『岩波国語辞典第7版』には「なるはや」は載っていませんでした。『日本俗語大辞典』には「なるへそ」は載っていましたが、「なるはや」は載っていませんでした。ちなみに「なるへそ」は、なぜ「へそ」かと言う「なるほど」の、

「ほど」→「ほぞ」=「臍」=「へそ」

という変化だそうです。へえー、なるへそ。

『辞典<新しい日本語>』にも「なるはや」は載っていませんでした。

国語辞典に載るまで、その命脈を保つことが出来るか?・・・「なるはや」だけに「なるはや」で消えていきそうな気がしないでもありません。

 

(2009、12、29)

2009年12月30日 18:04 | コメント (0)

新・ことば事情 3797

「人が降ってきた!」

これは「ことば事情」じゃないかもしれません。きっと違うでしょう。でも書いておきたいし、書いておいたほうが良いと思うので書きます。

先日・・・もう2週間ほど前になりますが、忘年会の帰り、夜10時ごろです。自宅の最寄の駅で電車から降りて、ホームからの階段を下りていたときのこと。

階段は、全部でおよそ50段ぐらいはあるのかな、半分のところに踊り場があります。(「踊り場」って、別に踊らないのに、なんで「踊り場」って言うんだろ?昔は踊っていたのかな?また調べておきます。)その踊り場を過ぎて、一番下まで降りた、その時!後ろから、

「ドーン、ドン。バサバサッ!」

という大きな音がしたので、振り返ると・・・何と、人が降ってきたのです!振り向いた時には、もう2度ほどバウンドして、階段の一番下のところに落ちてきました。そして、その落ちてきた人(50代後半か、60歳ぐらいの男の人)は、階段を下りていた乗客の男女2人をなぎ倒す形で、階段の下の地べたに倒れこみました。踏み外すと言うよりは、飛び降りたかの様な形なのでしょうか、頭から突っ込むように落ちてきた男の人は、ピクリとも動きません。幸い、下敷きになった人は、それほどのケガではなかったようで、すぐに立ち上がりましたが、落ちてきた人は、まぶたの上がパックリと切れて血が流れ、頭の下に直径15センチぐらいの血だまりが既に出来ています。男の人は意識がないようです。私はすぐに駅員室に走り、

「人が階段から落ちた!救急車呼んで!」

と頼みました。おずおずという感じで駅員さんが2人、来てくれました。

「大丈夫ですか?救急車呼んだからね!」

と駅員が声を掛けます。まぶたの上が切れただけでなく、口の中も切れているようで、

「ゴボッ・・・」

という感じで、口から血があふれ出します。

「これは気道の確保が必要だ、上を向いたままだと血で窒息するかも」

と頭を横に向けましたが、

「頭を打っているのに、頭を動かして良いものやらどうやら・・・」

わかりません。周囲の乗客たちも、どうしたものかと見守っています。しばらくすると、男の人は、

「うーん、うーん」

と、うなり声を上げ出しました。良かった、死んでなかった。意識があるかどうかは分からないけど、生きている。眼鏡が落ちていたので、

「これ、メガネ、あなたのですか?」

と横たわっている男の人に声を掛けると、脇に立っていた20代後半ぐらいのサラリーマン風の男性が、

「あ、それ僕のです。」

と。メガネはフレームが少し曲がっていました。そちらの方を見ると、彼もまた、まぶたの上を少し切って血がにじんでいました。下敷きになった男の人でした。

「大丈夫ですか?」

と声を掛けると「大丈夫です」との答えでした。

中に応急処置の心得のあると思える、やはり50代後半ぐらいの男性乗客が、

「声を掛け続けた方がいい。意識がなくなると、心臓が止まるかも知れないから」

とアドバイスしてくれました。駅員さんが男の人のポケットから「定期入れ」を取り出して名前を確認、みんなでその名前を呼んで、

「○○さん、大丈夫ですか?動いたらあきませんよ!もうすぐ救急車来ますからね!しっかりしいや!」

と、意識が途切れないように声を掛け続けました。

こういう時の1分は、ものすごく長い。1分が10分にも感じました。

そうして待つこと15分、ようやく救急隊員が担架を担いでやって来ました。消防署から駅までなら、普通は3分以内で来られそうな距離ですが、おそらく、こういった救助要請が各地で起きていて、人出が足りないものだと思われます。救急隊員の方が来たので、ほっとして、ようやくその場を離れました。その後、あの男の人が無事であったのかどうかは、知りません。

それ以来、駅の階段では、一番最後に壁際の手すりにつかまって降りるようにしています。みなさん、もちろん自分が落ちないように気を付けるとともに、上から(後ろから)人が降ってこないかどうか、注意された方がいいですよ。

「晴れ時々人が降るでしょう」

なんて、しゃれになりませんから。いずれにせよ、忘年会・新年会シーズンは気をつけた方がいいなと思いました。

2009年12月30日 16:43 | コメント (0)

新・ことば事情 3796

「『にと』を追うもの」

 

1228日の日本テレビ『スッキリ!!』を見ていたら、男性ナレーターの読みで、

「二兎を追うもの一兎も得ず」

というフレーズが出てきました。それが、

「二兎を追うもの"一頭"をも得ず」

に聞こえたので「え!?」と思いました。時々、こう勘違いしている人がいますが、もしかしたら私の聞き間違いかもしれません。

しかしこういった間違いが起こりやすい要素が、この文にはあります。

というのは「二兎(にと)」「一兎(いっと)」というような数え方に馴染んでいないことが、まず挙げられます。「兎(うさぎ)」の音読みが「と」だと知らないケースもあるでしょう。このことわざを「耳から覚えた場合」は、特に。

それともう一つは、「二兎」「一兎」の後に助詞の「を」が来ているので

「二兎を(ニトヲ)」

が、

「二頭を(ニトーヲ)」

に聞こえやすい。「ト」の伸ばし具合が人によって違うので、普通に「兎(ト)」と言ったのを、短く伸ばした「頭(トー)」だと思ってしまうことがありそうなのです。

しかし、後半の「一兎も得ず」は「一兎(イット)」のあとが「も」ですので、そういった種類の間違いはなさそうなのですが、この日の「スッキリ!!」のナレーターさんは、

「イットーモ」

「を」を入れていました。文の意味は「を」を入れて強調されただけで、大意は変わりません。それでそのように「カスタマイズ」されたのかもしれません。

「を」をめぐっては、

「~せざるを得ない」

という言葉を、

「~せざるを、おえない」「~せざる、おえない」

だと思っている人、結構いますよね。これも、目から見た文章で言葉を覚えたのではなく、耳から覚えた言葉を使っていることと、「を(お)」が、その前の長音の「お」とつながって区別されにくいというケースに起きているのではないかなと、思いました。

 

(2009、12、29)

2009年12月30日 12:21 | コメント (0)

新・ことば事情 3795

「『スクープ』が言えるために」

 

 

海原ともこさんは、「スクープ」という言葉がちゃんと言えない。すぐに、

「スプーク」

になってしまう。どうしたら言えるようになるのか?と、浅越ゴエさんからインタビューを受けました。普通アナウンサーは「インタビューをする」方なので、「受ける」のは結構珍しいのですが。その模様は2009319日の『なるトモ!』で放送されました。ああ懐かしい、『なるトモ!』

どうやったら言えるようになるかの前に、

「こういった音が逆になってしまうのは『音韻転換』と言って、結構よくあることなのです」

と説明した後、私が答えたのは、「スクープ」という4音節で言おうとせずに、

scoop

という「英語」をイメージして「1音節で」言ってしまう、その際にカタカナを意識せずに英語で言うようにする、というのが1

2は、「スクープ」を続けて言おうとしないで、

「巣・食う・プ」

という漢字と平仮名・カタカナをイメージして「3分割して言う」という方法です。特に「食う」を意識すると言えるのではないか、と答えました。すると朝越ゴエさんに、

「最後の『プ』はなんですか?」

と聞かれたので、

「まあそれは『おなら』でもイメージしたら、どうでしょう」

と答えたら、確かそのまま放送されました。きたねえー。

で結局、海原ともこさんは「スクープ」と言えるようになったのか?と言うと・・・・

やっぱり、ちゃんとは言えなかったみたいです。大分、言いやすくはなっていたようなんですけど。それより出演していたみんなが、

「ちゃんと言えたら、ともこらしくなくて、おもろないやん」

と言っていたので、一体この企画はなんだったのだろうか?と思いました。

今年の3月の出来事だったので、今年のうちに「年忘れ」で書いておきます。

(2009、12、28)

2009年12月29日 18:30 | コメント (1)

新・ことば事情 3794

「ばっかじゃなかろか」

2009年4月23日の「情報ライブ・ミヤネ屋」で、東北楽天イーグルスの野村監督(当時)が、

「ばっかじゃなかろか」

と言っている映像が流れました。意味は、

「バカじゃないの」「あほくさ」

みたいな感じだと思います。

実はこの言葉、私は子供の頃に聞いたことがあります。うちの母がよく口にしていました。

ちなみにうちの母は、野村監督とまったく同学年の、昭和10年(1935年)生まれ。

そこで、その世代が感受性の強いときに流行った言葉(流行語)ではないか?と調べてみると、実はこれは、

「トニー谷が流行らせた言葉」

であることがわかりました。わかりました・・・って、私が知らなかっただけなんですが。

梅花女子大学の米川明彦先生の編著による『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)180-181ページによると、これは、

「トニーグリッシュ」

とひとくくりにされる流行語で、1953(昭和28)年に流行したとのこと。野村監督、うちの母が、高校3年の時ですね。「トニーグリッシュ」の説明を書き写します。(漢数字は洋数字に変換)

*トニー谷が使った日本語と英語のごちゃ混ぜのことば。:『地上』(195312月号)に「いままたトニー谷が、『レディース・エンド・ジェントルメン・エンド・オトッチャン、オッカチャン・・・』で司会をはじめ、英語日本語混用の新機軸で売り出した。彼の常用する『・・・ざあんす』『・・・ざあんしょ』などは、むかし流行った『ザーマス』言葉の転用であるが、巷間、そうとう流行っている。『胸が、ドキリンコ』とか『うれしくって、ホンワカホンワカ』などと新語を造りだしている」と例が出ている。

*このほか「おこんばんは」「ネチョリンコン」「さいざんす」「ばっかじゃなかろうか」「家庭の事情」なども流行語になった。朝日新聞(1955715日『天声人語』)に「"家庭の事情ザンス"などと妙なことを言って笑わせるトニー谷」とある。

ということで、相当、流行語を作り出していたのですね、トニー谷は。トニー谷で私が知っていたのは、読売テレビ(当時=子供の頃は、どこのテレビ局の制作かなんて、もちろん全然気にしていなかった)の『アベック歌合戦』の司会で、

「♪あなたのお名前、なんてーの?」

と言っていた"ヘンなおじさん"のイメージしかないんですが。

やはり若い頃にそうやって覚えた言葉は、何かの折りに、フッと出てしまうもんなんですかねえ。

 

(2009、12、28)

2009年12月29日 17:58 | コメント (0)

新・ことば事情 3793

「2010年問題」

 

 

朝日新聞のSさんから、久々にメールが来ました。そこにはこう書かれていました。

「新聞界の2010年問題、というのをご存じでしょうか」

え?何それ?知りません。ちょうど10年前に2000年問題」というのはありましたが。

Sさんによると、2010年問題」というのは、「日本語の問題」なのだそうです。ええい、じれったいな。つまり、

「新聞における西暦の表記が変わった」

ということだそうです。知ってましたか?私はちっとも知りませんでした。Sさんによると、

朝日新聞は11月の終わりから紙面上いっせいに、これまで西暦の年を表すときには、

「98年」「09年」

と書いていたものを、基本的に「初出」の場合には、

「1998年」「2009年」

と書くようにしたというのです。新聞は「縦書き」で、数字は2ケタまでは1文字に入りますから「09年」と書くと「2文字」、しかし「2009年」と書くと「5文字」になってしまう。1文字1文字が貴重な紙面で、ひとつひとつの記事で「09年」を「2009年」にすれば、ずいぶんとスペースを食ってしまうので、本来ならこんなことはしたくないはずなのです。それをあえてそうした理由はと言うと、最近になって、

「10年3月期の業績見通しは」

「13年以降の排出枠が」

「23年までには開業したい」

といった記事が頻出するようになり、人物の経歴等でも、

「30年生まれ」「45年から文筆活動」

などというものが出て来るようになったのですが、「ゼロ(ゼロ)年代」

01~09年までは、誰が見ても『西暦』」

なのですが、

「13年とか23年とか45年では、西暦だか昭和だか大正だか平成だか区別がつかない」

という状態に陥ってしまうことに気付いたので変更したのだそうです。なるほどー。

 朝日新聞は2001年に、紙面の文字を「漢数字」から「洋数字」に変更したのですが、漢数字時代(つまり20世紀)には、西暦は「八八年」、和暦(元号)は「六十三年」と表記し、単位語「十の有無」で区別をしてきたとのこと。漢数字は、そういう意味では便利だったのですね。

この「初出で、西暦をきっちり省略しないで書く」というのは、ほかの新聞では、読売新聞が、もう少し早くから始めていたようです。毎日新聞が、朝日とほぼ同じ時期産経新聞は(数年前に洋数字に変わりましたが)、「西暦」は使わずに「元号」なので、こういった問題は起きていないみたいですね。やはり「新年度(2010年度)予算などの話」が出てき始めたので、気になったのかも・・・とSさんは見ているそうです。

ちなみに先日、森繁久弥さんが亡くなったときに、朝日新聞が、

「13年生まれ」(=1913年生まれ)

と書いたら、読者から、

「違うだろう、そんなに若くない」

という意見を多数もらったそうで、これは、読者が、

「昭和13年生まれだと思った」

人が多かったからなのでしょう。中には、

「大正13年生まれと思った」

方もいらっしゃったのでしょうね。世紀をまたいで、しかも3つもの「元号」を越えてくると、なかなか難しくなっちゃうものなんですねえ。

 その後、新聞をチェックしていたら、確かに「見出し」などでも「4ケタの西暦」を記しているものが目立つようです。2回目以降に出るときは「2ケタ」で「1マス」に収まるようにしているようですが。気付かないところで、新聞も変わっているのですね。

 

(2009、12、28)

2009年12月29日 16:55 | コメント (0)

新・ことば事情 3792

「『そむける』と『そらす』」

 

「むごたらしい現場を見たときには『目をそむける』と言いますが、『自分の人生の進路から』だと、『目をそむける』というのはおかしいのではないでしょうか?辞書の用例でも、『むごたしい・悲惨な実物から目をそむける』はあっても『人生から目をそむける』はないです。『そむける』と『そらす』の違いはなんでしょうか?」

という質問を、塾の講師をしてらっしゃるというTアナウンサーのお母様から、Tアナウンサーを通じて受けました。いつもお世話になってます。

うーん、難しいですねえ。そうだなあ、「そらす」は、視線を「真っ直ぐに」対象物に向けていたものを。その「真っ直ぐ」から少しずれるようにすることで、見えてはいるけど直視しない感じがします。これに対して「そむける」はもう全く見えないように、目や顔をその対象物と面と向かわないようにする感じがします。

むごたらしい現場は、全く見たくないわけですから「そむける」んですね。視線を「そらす」は、見ていないことがばれないように、でも直視しない感じかなあ。

ですから「自分の進路から目をそらす」は、

「進路の方向を見ているように周りの人に思わせながら、実はしっかりとは見ていない」

状態で、「進路から目をそむける」となると、

「進路上に見てはいけないものがある感じ」

で、

「もう全く、将来に対して背を向けるような感じ」

なのかなあ。なんだか、これでお答えになっていますでしょうか?私の感覚でお答えしましたが、いかがでしょか?

(2009、12、28)

2009年12月29日 15:54 | コメント (0)

新・読書日記 2009_240

『「キング」の時代~国民大衆雑誌の公共性』(佐藤卓己、岩波書店:2002、9、25第1刷・2005、9、25第5刷)

講談社を作った野間清治。彼が生み出した総合雑誌『キング』の盛衰を描くことによって、日本において「国民」「大衆」というものが形作られた過程を描き出す意欲作。随分前に購入してはいたのだが、分厚いしなかなか読めなかった。しかし実は、著者の佐藤卓己先生の講演会・・・というか勉強会に11月下旬に出席する幸運に恵まれたので、「その勉強会までに、読んでしまわなくては!」と自らにムチ打ち、読みました。462ページもあって分厚いので、ちょっと見ただけでは気が引けてしまう感じが・・・。表紙の絵柄は岩波にしては親しみやすいのだけど、中身は「論文」ですからね。

いくつか気に留まった部分の抜書きを。

1931720日『清く明るく正しき新聞』をモットーに『キング』創刊。宝塚・小林一三の『清く正しく美しく』に似ているが、どちらが先なんだろうか?

*野間清治は「虞微磨麟奈」から始まる28 字の掛軸をかけていたそう。「虞」は「グラッドストーン」、「微」は「ビスマルク」、「磨」は「マコーレー」、「麟」は「リンカーン」、「奈」は「ナポレオン」を意味し、28人の英雄・偉人に朝夕思いをはせながら、自己の野心を鼓舞作興していたのだそうだ。ふーん。

*「全然誤りであり」。1937年、ゲッベルス宣伝大臣の第14回ドイツ放送展覧会における開催挨拶の訳を載せた『放送』1937年10月号に、「全然」が肯定で使われている例。

佐藤先生に初めてお会いして「『キングの時代』を、ようやく読みました!」と言ったら、

「あれ、今なかなか手に入らないらしいですよ。古本屋さんでも8000円ぐらいするらしい」

と話してらっしゃいました。ちなみに私が本屋さんで新しい本を買った時には、「定価4000円+税」でした。結構高いですね、さすが専門書!


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2009年12月29日 14:06 | コメント (0)

新・ことば事情 3791

「天皇陛下の二十年のアクセント」

1122日の午後2時ごろの、自分のパソコンに送ったケータイメモに、こういうのがありました。

「『この二十年』のアクセント、『ニ/ジュ\ーネン』と天皇陛下」

そうです、天皇陛下ご在位20年の式典関連でのお言葉です。そこで20年」のアクセントを、陛下は、「中高アクセント」で、

「ニ/ジュ\ーネン」

とおっしゃったということですね。いま、若い人もそこそこ年配の人でも「20年」は、陛下と同じ「中高アクセント」で発音する人が多いことでしょう。従来の伝統的なアクセントでは、「頭高アクセント」

「ニ\ジューネン」

だったはずです。それが陛下も「中高」だったということは、そのようにアクセントも移り変わってきたのだな、と。

「平成」という時代も、「20年」という"とき"を経て、言葉もアクセントも変わってきたのではないかな、という実感を持ちました。

 

(2009、12、28)

2009年12月29日 13:03 | コメント (0)

新・読書日記 2009_239

『予習という病』(高木幹夫+日能研、講談社現代新書:2009、11、20)

著者は「日能研」の代表。教育カウンセラー。「予習」は病気であると断じる。「え?なんで?」と思うが、ここでいう「予習」とは、「教師の側があらかじめ予定しているカリキュラム」上の予習であり、その周辺や発展の問題というものは対象ではない。テキストを「たたき台」にして、いろいろと発展させて考えていくという勉強の仕方ではなく、あらかじめ設定されたものを「こなしていく」だけの勉強、それを進めることが「予習」であり、そういったやり方は「病」なのだという。なるほど、一理ある。そういった教え方をする教師(講師)は、ルートから外れる創造的な質問を嫌がるという。なんだか本末転倒な気も。著者による「予習病」の定義は、

『既に定められたカリキュラム、学んできたことに固執し、未知の事柄を「まだ教わっていない」「やったことがない」がゆえに無視、否定する精神の傾向。"近年、日能研によって発見され、治療の必要性が主張されている"』

と、ジョーク感覚で書かれていました。特に" "部分は"日能研の宣伝"だな。これを読んで思ったのは、

「全くもって、公務員や官僚の体質と言われるものと同じではないか」

ということ。おそらく右肩上がりの「高度経済成長」時代であれば、こういった物事の処理・対処の方法が、一番効率が良かったのでしょう。

しかし、正に未知の事柄が続く21世紀の現代において、このやり方・教育方法では、社会でのもろもろの出来事に臨機応変に対応することは出来ないと。それは確かにそうだなと思いました。

また著者は、「量が質に転化する」ということに関して、

「質に転化できない人も、たくさんいる」

という現実をシビアに提示し、普段は「量は質に転化する」と信じてきた私も、

「たしかに人によっては転化しない人も、結構いるのだろうな」

と納得してしまいました。つまりは、

「転化する量まで達することが出来ない人」

という意味ですが・・・。

 

 


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(2009、11、30読了)

2009年12月29日 12:45 | コメント (0)

新・読書日記 2009_238

『解説・戦後記念切手別冊 年賀切手』(内藤陽介、日本郵趣出版:2008、12、25)

 

実は昨年末、著者の内藤さんから送っていただいた。「年末にタイムリーな企画だな」と思ったが、思っているうちに年を越してしまい、新年のおとそ気分も抜けると、読む意欲が低下し・・・1年経ちました。今年はお正月までに読もう!と気合を入れて、11月中旬から少しずつ、毎日のように読みました。

懐かしい年賀切手も多数ありましたが、その中で「あれ?あまり覚えがないな」というものも。それは昭和581983)年の年賀切手。なぜだろうか?と考えてハタと思いつきました。その前年の昭和571982)年、祖父が亡くなったので、その年は年賀状を出さなかったし、あまり送られてもこなかったのです。だから見覚えがないんだ!

思わぬところで、20数年前の祖父の死を思い出しました。

切手原画作者として、久野実という人の名前がよく出てきました。こういった世界での、超有名人なんでしょうね、きっと。

なお「年賀切手」と「国立公園切手」は、いわゆる「記念切手」とは別の分類になるそうです。知りませんでした。

 

 


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(2009、12、24読了)

2009年12月29日 11:10 | コメント (0)

新・読書日記 2009_237

『朗読は楽しからずや 付録CD』(久米明、光文社:2007、4、30)

本に付いているミニCD。本は出た時に、2年ほど前に読んでいましたが、CDは聴いてなかったので、今回聞いた。

まず「朗読の注意点」を久米明さんが論じ、その後に「山椒大夫」「トロッコ」という名作を、実際に読んで聞かせている。それを聴いていて気付いたこと。

・「経験(けいけん)」=「けーけん」ではなく。

・「話芸(わげい)」=「わげー」でなく。

・「映像(えいぞう)」=「えーぞう」でなく。

・「尾崎紅葉(お/ざきこ\うよう)」と一語で「中高アクセント」。

・「明治30(サ\ンジューネン)年の作品ですが、全く新鮮なのです」=「30年」が頭高アクセント。そして「全く新鮮なのです」と「肯定」に「全く」を使っています。

・「先代小さん師匠の話、『声色を使わなくても、情景がわかれば演じられる。「なぜ」を「何」の裏に捕まえれば、よい朗読になる。力強く説得力のある朗読になる。理屈はいりません。演じる自分を醒めた目で見る自分がいる。話の情景をしっかり飲み込んで頭の中に入れ、人物の性根が頭に入っていれば、声色ではなく自分の声で演じることができる。それが話芸の極意。『何を』ではなく『なぜ』しゃべるか。『なぜ』を見せて初めて『おもしろみ』が出る」=納得。いつも私もそう考えています。「吹き替え」は「物まね」ではないというのは、正に「声色ではない」に通じ、わが意を得たり!

・「作者(さ/くしゃ)」が「平板アクセント」。

・「名ぜりふ」と濁った。

・「作品」が無声化していない。

・×「付け刄」→○「付け焼き刃」=「弘法も筆の誤り」の言い間違え?

『山椒大夫』(森鴎外)の朗読では、

・「どうしてそんなに"じ/んき"が悪いのでしょう。」(人気?)

・「しゅうじゅう(主従)四人」=「しゅじゅう」ではなく。「う」が入る。

『トロッコ』(芥川龍之介)の朗読では、

・「土工(どこう)」。

・「最初、おもむろに」(トロッコの動き出しよう)

勉強になりました。でも、きっと「久米さんだけの本当の極意」は、こんなところでは語っていないのでしょう。「一般向けの極意」のように感じられましたが、いかに?


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2009年12月29日 10:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_236

『落語・昭和の名人決定版26三代目・桂三木助~芝浜・へっつい幽霊』(小学館:2009、12、22)

今年1月から2週間に1冊のペースで1年かけて刊行してきたシリーズも、これで打ち止め。この先代の桂三木助は、初めて聞いた。「芝浜」は端正で、声がいい。江戸っ子、歯切れ良く、リズムが良い。

「妙な"しも(紐)"だなあ」。江戸弁ですね、「ヒ→シ」。

日の出の色の表現が卓抜。また、「しも(紐)」が、

「長い間水に浸かってぬるぬるしてる」

というのは、リアルな表現。

「はなあ、おりゃ魚だと思ったんだ。」=「はな=端=最初」。この辺りも江戸っぽく生きが良い。

「七十(しちじゅう)両」と。「ななじゅう」ではなく。

踊りの師匠になったり博打にはまったり、かなり波瀾万丈であったようだが、上方の名跡であった「三木助」の三代目を襲名したのが48歳。その年に仲子と結婚。58歳で胃がんで死去。

それにしても横顔が、桂小春団治さんにそっくり!!

 


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(2009、12、25読了・聴了)

2009年12月28日 23:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_235

『落語・昭和の名人決定版24・六代目春風亭柳橋、柳家金語楼、十代目・桂文治』(小学館:2009、12、8)

それぞれ、気付いたことをメモ書きで。

*六代目・春風亭柳橋『粗忽の釘』。昭和3595日。おもしろい!

説明の地の文は、平板の語り口で、桂歌丸に似ている。「アイスマン(氷の配達人)」と「相いすまん」の地口。会話の部分は抑揚あり。

「箒」のアクセントが頭高で「ほ\うき」。今は平板の「ほ/うき」の方が、アクセント辞典で先に載っているが。「前にこの家に住んでいた人」のことを「前(せ\ん)の人」。「お道具」と「お」が付いていた。「えらいことに」は関西弁風。「け\んつくを食わないうちに」は今は使わないねえ。「あくぎ(悪気)があって」は「わるぎ」ではなく。「すじむこう」。「仲人あって?出来合いで?」の「出来合い」は「恋愛結婚」のこと。いまや仲人を立てる結婚披露宴は都市部では皆無に。世の趨勢。とは言え、ここ10年ほどで急速に。終身雇用がなくなってきたことも背景に?

 

*柳家金語楼『きゃいのう』。昭和32127日。録音が古い感じ。金語楼って、こんあ声だっけ。間の取り方がうまい。「あまり古いことは、昔ということは、私ども"青年"は存じません」と「青年」が出てくる。

「俳優という言葉はなく、役者」。「新劇・新派、新国劇に対して、『旧劇』」。「だいぶ、すえより様子が変わったね。」の「末より」。「よったり(四人)で行った」。「大森までわざわざ行った」。「四つ足でない、動物でない」と言い換え。「バ\カにしないこと」。「人間の役。ひにん(死人)」。一瞬「非人」かと思ったが、たぶん「シ」が「ヒ」になる江戸弁だったのでしょう。危ないな。「お\やま(女形)」。「お姫(しめ)さま」、これも江戸弁。「セ\リフがあるんだからね」は「セリフ」が頭高アクセント。「きやいのう」は、「乞食」に対してのセリフ「とっととそとにゆ・きゃいのう」。「にっぽんご」と言っていた。

 

*十代目・桂文治『源平盛衰記』。昭和63813日。「盛者(しょうじゃ)必衰」。「にほんご」。「アルバイト・サロン」。「おビール」。声はダウンタウンの浜ちゃんと似ている。講談調。「メリヤスのももし(ひ)き」。「ひっくらかえった」。「ぞうし(ひ)ょう(僧兵)」。「まっとぅぐ(まっすぐ)」「オードリー・ヘップバーン」。

 


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(2009、12、26読了・聴了)

2009年12月28日 22:32 | コメント (0)

新・ことば事情 3790

「念力スプーン曲げ」

毎日、会社では新聞5紙に目を通します。

その日も新聞を見ていて、ある広告に目が留まりました。それは、

「通信教育の手品の広告」

でした。結構、需要があるのでしょうね。うちの父も一時、手品にはまっていました。私は手先が不器用なので、あまりやろうと思わないのですが。その広告に記された「手品」の種類を見て「お!」と思ったのです。そこには、

「念力スプーン曲げ」

と書かれていました。「念力」「スプーン曲げ」・・・「超能力」じゃなかったの?って、そんなわけはないけど、手品の通信講座の「スプーン曲げ」を教えてくれるんだ。しかも「念力」。「念力」が手品なのか、それとも「スプーン曲げ」が手品なのか。「両方とも」手品なのでしょうか。

子供の頃、「スプーン曲げ」を見て「すごい!」と思い、不思議な気持ちで、家で一生懸命トライした・・・ような気がします。30何年ぶりに、新聞広告でまで「正体見たり!」というのは・・・いいのかな、こんな「ネタばらし」して・・という気がしたのでした。

 

(2009、12、28)

2009年12月28日 22:09 | コメント (0)

新・ことば事情 3789

「ニチハ」

4年ほど前に書きかけて、ほおっておいたものですが・・・。

ご存じの方も多いと思いますが、

「こんにちは」

という挨拶の掛け声を、中学や高校の運動部員は、

「ニチハ」

もしくは

「チハ」

と聞こえるように言いますよね。「コン(ニ)」を付ければ、正しい形の「コンニチハ」「コン」がなくても、「ニチハ」と言えば「コンニチハ」に聞こえる。「チハ」だけでもOK!というわけで「頭」を省略して勢い良く言うのが「符丁」のようになっている。

こういった「頭省略」の言葉、例えば大阪の「地名」で言うと、

「トンボリ(=道頓堀。「ドウ」を省略)

がありますね。東京だと、

「ジュク」(=新宿。「シン」を省略)

「ブクロ」(=池袋。「イケ」を省略)

などがありますが、こういう言い方の方が「通(ツウ)」な感じで、やさぐれ感も出ますね。プロっぽいです。何のプロだ?その土地のプロかな。

野球部やサッカー部が「チハ」(チワ)というのも、「その道のプロ」感を出そうとしているのかもしれません。

あ、「サザエさん」の三河屋のサブちゃん(だっけ?)も、

「チワー、三河屋です」

と言ったっけ?あれも「プロ感」を出すためかな?御用聞きの。どうなんざんしょ?

2009年12月28日 21:04 | コメント (0)

新・読書日記 2009_234

『美人好きは罪悪か?』(小谷野敦(とん)、ちくま新書:2009、6、10)

『もてない男』の衝撃以来、気になる書き手であったが、その後は、「何となく合わない感じ」であったので、それほど積極的には読んでいなかった。今回、表紙に、

「この本の表題『美人好きは罪悪か?』だが、実際には、美人とは何か、という問題は、一つのまとまった問題としては存在しない」

と抜き書きしているように、この本は「美人論の本」だ。そこかしこに著者の素直な気持ちが吐露されているが、それはすなわち、社会的には"毒舌"と言われるたぐいで、そこまで書いていいの?という感がある。そういう意味では"異端の学者"だったのだなあ。だから大学を辞めて文筆業一本になったのかな。大学という枠の中では窮屈だったのだと推測します。しかし博識。勉強になりました。

 


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(2009、12、27読了)

2009年12月28日 16:23 | コメント (0)

新・読書日記 2009_233

『名ばかり大学生~日本型教育制度の終焉』(河本敏浩、光文社新書:2009、12、20)

「いまの大学生は、昔だと暴走族していて高校にも行けなかった学力レベル、だから『早起き』とか『百マス計算』なんてやっても根本的解決にならない。かと言って、大学入学枠を減らしても解決策にならない。国際的に見て日本の大学進学率44%は、決して高くはない。他国の大学進学率はたとえば、ラトビア97%、アメリカ62%、オーストラリア85%」といったことが書かれていて、かなり刺激的な本。"目からうろこ"の部分もあった。


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(2009、12、21読了)

2009年12月28日 14:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_232

『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか~数リミなる効果~』(飯田朝子、小学館:2008、3、1)

あの『数え方の辞典』の飯田朝子さんが小学館から去年(!)、こんな新書を出していた!知らなかった・・・たまたまネットで見つけて注文。1年経って、あまり知られていないということは、それほど売れなかったのだろうが、これはおもしろい本ですよ。数え方について、特に「8」という数や「5」「7」といった数が示す「数え方ではない意味」について書かれたもの。最初に出てきた、あるものを3個買う場合、

「1個99円のものと、3個で298円のものがあったら、どっちを買う?」

という設問に、迷わず「3個298円の方」と答えてから「あ!」と。そう、199円を3個買ったら、「297円」!こっちの方が安いではないか!明らかにこれは「298円」の「8」にだまされたケース。「8」の持つ魔力を、著者は「サブリミナル」の引っかけて「数(かず)リミナル」と名付けている。確かにあるよね。「五色(ごしき)沼」も「5色(ごしょく)」ではない。「五色(ごしき)」=「七色(なないろ)」なんですよね。そこが日本語の魔法。難しく、おもしろいのです。

タイトルの「アイドルのウエスト・サイズ」についても、小学館の編集者と一緒に、なんと103人のアイドルのウエストサイズを調べて統計化している。手作り感あふれる本ですよ。

 

 


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(2009、12、22読了)

2009年12月28日 12:20 | コメント (0)

新・読書日記 2009_231

『納棺夫日記・増補改訂版』(青木新門、文春文庫:1996、7、10第1刷・2009、3、10第22刷)

今年2月に『アカデミー賞外国映画賞』を受賞した映画『おくりびと』の、事実上の原作本。映画を見に行ってすぐに本も買ったが、読み出すのに時間がかかった。実は映画より先に、「漫画」を読んでいて、好きな漫画ではあった。本は「やはり、今年中には読んでおかなくては」と読み出した。この『原作』、著者は「(映画の)『原作』とは呼んでほしくない」と言っていると、確か映画のプログラムに書いてあったが、その意味はわかる気がする。「物語」や「小説」「エッセイ」と言うよりは、この文章は「詩」なのである。だから本の中には、宮沢賢治をはじめ、詩がたくさん出てくる。それは、著者本人がもともと好きだったのかもしれないが、「納棺師(夫)」という"職業的な部分"から出てきたものも関係あるかもしれない。詩は、文章を削ぎ落として削ぎ落として作る。それが死に対面する納棺夫には、よくわかるのではないか。死は、生から余分なものを削ぎ落としたものだから。「透明」でもある。

後半は詩から、哲学・宗教、思索へ。「詩作」から「思索」。そういう意味では、「書くこと」が「考えること」になっている、まさに「日記」であろう。

本の半分は「『納棺夫日記』を著して」という、その出版後の反響などについて書いている。この本の中に出てくる詩人の高見順が、死の1年前に刊行した詩集『死の淵より』の中の一編「電車の窓の外は」の表現は、吉井勇の詩『I was born』の中の表現に似ている。「糸トンボがおなかに卵を孕んでいる」という同じ表現があったように思う。どちらが先に書いたのだろう。また調べておきます!

 


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(2009、12、25読了)

2009年12月28日 10:17 | コメント (0)

新・ことば事情 3788

「微糖」

最近、結構「缶コーヒー」を飲むようになりました。

でも缶コーヒーって、結構カロリーが高い。砂糖がたくさん入っているからです。そこで、「ブラック」や「カロリー控えめ」のものを・・・となるわけです。

そういった我々世代をターゲットに(?)よく見かける表現が、

「微糖」

です。ぱっと見て意味はすぐ分かりますが、この言葉は意外と辞書には載っていない言葉ではないでしょうか?そう思って、『精選版日本国語大辞典』『明鏡国語辞典』『デジタル大辞泉』『新潮現代国語辞典』『新明解国語辞典』、そして新しい言葉を素早く採用することで知られる『三省堂国語辞典』(第6版)を引いてみましたが、載っていません。この1120日に出たばかりの『岩波国語辞典・第7版』にも載っていません。

しかし、何と『広辞苑・第5版』には載っていました!

「微糖」=糖分をわずかしか含まないこと。(例)微糖コーヒー

それそれ!

Google検索(日本語ページ、1225日)では、

「微糖」=235000

も出てきました。すっかり日本語として定着している感じでしょうか。それにしても『三国』より『広辞苑』の方が『微糖』の採用が早いとは・・・。『広辞苑』の編集部に、缶コーヒーの微糖ファンが多いのかもしれませんね。

(2009、12、27)

2009年12月27日 22:11 | コメント (0)

新・ことば事情 3787

「長身な彼」

 

 

『問題日本語』

という本がベストセラーになったのは、もう5、6年も前になりますか・・・。

タイトルにもあった、

「問題な~」

という形容動詞(?)の使い方が、従来の使われ方と違う。正しくは、

「問題となる日本語」

「(使い方に)問題がある日本語」

といったところでしょうが、長いので、短くしてしまったような感じがあります。このように、文法的に言うと「間違った使い方」の最近の新しい言葉をピックアップするとともに、本来の表現も載せるというようなもの。試みとしては決して新しくはないけど、タイトルのつけ方がうまかったのと内容がおもしろかったので、ベストセラーになりました。(と思っています。でも、売れるにはそれが一番大切なんですけどね。)

ところが!もう随分前に書かれた文章に、この「問題な~」と同じような言葉の使い方をしているのを見つけました。柳瀬尚紀編『日本の名随想 別巻74 辞書』(1997の中に収められた堀田善衛が書いたコラム「辞書と人生」です。19759月に出た『堀田善衛全集 第16巻』(筑摩書房)の中から取ったものだそうです。

その中で、友人の「團伊玖磨」を指して

「長身彼」

と記していました。「長身彼」ではなく。この「長身な」も、ちょっと現在だと(私は)違和感のある表現です。でも、当時は違和感なかったのかな。最近の若者の表現でも違和感がない。とすると、その間(はざま)のわたしたち世代だけが違和感を感じる表現、ということになる。そうすると、「長身な彼」「問題な日本語」は文法的に間違っていると、歴史的に見て言い切れるのかどうか。言い切れないのではないか。現在(と言ってもちょっと前)においてのみ「正しい」と言えるのではないか、という気持ちになりますよね。

それと、最近「間違いではないか」と注目されている表現に、

「文頭の『なので』」

がありますが、『納棺夫日記・増補改訂版』(青木新門、文春文庫:19967101刷・200931022刷)を読んでいたら、その中に出てきた、詩人の高見順の詩集『死の淵より』の中の「電車の窓の外は」に、

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死なねばならぬ

だのにこの世は実にしあわせそうだ

と、「だのに」を「文頭」に使っていました。この「だのに」と「なのに」は、ほぼ同じなのではないでしょうか、文頭に使うやり方も。

そんな気がしました。(2009、12、25)

 

 

 

(追記)

石原千秋『国語教科書の中の「日本」』を読んでいたら、

「全然、反対な方向に動こうとする勇気である」237ページ)

と言う表現が出てきました。これって、

反対の方向」

なのでは?でも、国語の教科書作っている(いた)石原教授の文章だし・・・「反対な」は使ってもOKなのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

(2010、1、8)

2009年12月25日 16:00 | コメント (1)

新・ことば事情 3786

「二人称としての『うぬ』」

10月中旬、遅ればせながら、「ミヤネ屋」のオパネリストでもある崔洋一監督の『カムイ外伝』を見ました。17世紀が舞台で、その意味でも「蜷川マクベス」的、「シェイクスピア的」な感じがしました。ちょっと危ない系の「殿様」の衣装なども。

その中で、「二人称」を指すときに出てくる言葉が気になりました。それは、

「うぬ」

でした。今は使いませんよね、「うぬ」。映画の舞台からのイメージだと、「沖縄語」なんだけどな。(ロケは沖縄で行われたそうですし)

ネット検索したら「狼魔人日記」というサイト(沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等、何でも思いついた事を記録する)

『日本語には、「吾(われ)」と「汝(なれ」」の入れ替わりが行われる例。

なれ 【汝】が、「おの(己)」の転用で、うぬ 【汝/▽己】 に変る。そして二人称で相手を罵る場合、汝(なれ)が己(おのれ)に変る。つまり「おのれ」は相手を罵倒する二人称でもあり、自分を表す一人称としても使われる。それがを端的に表す御馴染みの言葉は「自惚れ(うぬぼれ)」』

と載っていました。自分を指す一人称の「おの(れ)」が音韻転換で「うぬ」になったのか!

ono 」→「unu

ということはo」→「u」への母音が変わったと。確かに沖縄の言葉(方言)を指して、

「ウチナーグチ」

というのは、

「沖縄口(オキナーグチ)」

母音「o」が「u」に置き換わって、

「ウチナーグチ」

になったと、どこかで読んだ覚えが。それと同じだ!やっぱり「うぬ」は沖縄ぽかったのかな。

初めて沖縄に行った時におみやげで買った『沖縄おもしろ方言事典』(沖縄雑学倶楽部編、創光出版:1991974版)という本を紐解くと、「沖縄方言の基礎知識」の「第二章=音韻」に、

『母音が「ア、イ、ウ」の三音しかないため、「エ列」は「イ列」に、「オ列」は「ウ列」に発音する。この原則を知って沖縄方言を聞くと、多くの単語は、日本語そのものがなまったものであることがよくわかる』

とありました。しかし『精選版日本国語大辞典』「うぬ」を引くと、

「うぬ(汝・己)」=(1)対称。相手をののしったり軽んじたりする場合に用いる。(2)(反射指示)自分自身のこと。侮蔑的に用いる。てめえ自身。

とあり、ともに用例は1718世紀という古いもの(江戸時代)でした。つまり「うぬ」は、特に沖縄の言葉、というわけではなく、古くからある言葉のようですね。

うぬ、わかった。それは「うむ」。

 

(2009、12、24)

2009年12月25日 13:58 | コメント (0)

新・ことば事情 3785

「120分おくれ」

 

今年6月、甲南大学へ向かう途中のJR大阪駅での出来事。

何でも、滋賀県内のJR東海道線で人身事故があった影響で、JR神戸線が遅れているとのこと。それはまあ仕方がないといえば仕方がない。(ただ、JR神戸線とJR東海道線に直通電車を走らせて、大阪駅で乗り換えなくても良い「便利」を追求した結果、どこか遠いところ(滋賀県)で事故がおきると神戸まで影響が出る。大阪駅で乗り換えにしておけば、神戸線には影響は出なかったはず、という構図はありますが。)

私が文句を言いたいのはそれではありません。その事故の影響で遅れている電車の時刻表示(案内)に関してなのです。

もう半年経って怒りは薄れているとは言え、こうやって書いていたら、またフツフツと怒りがこみ上げてきた。怒りの記憶というのは、時間を置いても再生しますね。

「遅れ」の表示および構内放送アナウンスでは、次のようなものでした。

 

「次の列車は、750分発の○○行き。120分おくれです」

 

「120分」遅れ?いまさら750分発(予定だった列車)が来ようが何時発の列車が来ようが関係ない、とにかく、なかなか来ない電車が来てくれれば、お客はいいはず。これがもし指定席券を持っていないと乗れないような「特急」だとか「飛行機」であれば、「何時発の便」ということは重要ですが、普通の快速電車だったり普通電車であるわけです。予約をして乗るわけではありません。何時発であろうが、来た電車に乗る。都会で、5から6分おきに来る電車を利用している者にとっては、ごくごく当たり前の行為です。1時間に1本しか電車が来ないところは、「何時発」が重要な情報かもしれませんが。

そんな中で750分発だった電車が2時間遅れで到着します」という情報は、お客を安心させるどころか、かえって腹立たせるのではないでしょうか?2時間も遅れるほどダイヤが乱れていてなかなか電車が来ないときに、お客が欲しい情報は、

「何分発だった列車が何分遅れで到着するか」

ではなく、

「次の電車は、いつ来るのか」

ということです。これが「2~3分」とか「5~6分」の遅れなら「○分おくれ」という情報に価値がありますが。

ダイヤを何より大事に考えているあまり、「もともとの発車時刻」にこだわるあまり、こういった発想のアナウンスをしてしまうのであって、「お客が何を欲しているか」を考えれば、こういった案内は出来ないはずです。

京阪電車は、人身事故などの場合には、電車の表示板を止めています。そして、

「あと何分で、どこ行きの電車が到着します」

というような「お客の立場にあった放送」をしています。JRは、これを見習うべきではないでしょうか?緊急時にもダイヤに縛られた発想をしていると、また間違いを犯しかねない気がします。

 

(2009、12、10)

2009年12月25日 13:04 | コメント (0)

新・ことば事情 3874

「ファーストバイト」

こないだの日曜日、後輩の五十嵐竜馬アナウンサーの結婚披露宴に出席しました。

いやあ、感動しました。私もこれまで、おそらく100回を超える結婚披露宴に出席していますが、その中でも間違いなく、1・・・寒かった・・・・。

大阪はこの日「初雪」が降ったのですが、そんな中、

「ガーデンパーティー付き」披露宴。

「付き」というのは、本体の披露宴は「室内」なのですが、その披露宴に入る前に15分程度と、デザートタイムが「屋外」なのです、この寒空に。晴れてくれて良かった。これが雨だと考えると・・・・いやあ、晴れてよかった!10年ぐらい前に「氷ノ山」で遭難した人が出たので中継に行って、中継している最中に、頭に雪が降り積もった時よりは、寒くありませんでした!なんのこ・れ・し・き!!寝るな!寝ると死んでしまうぞ!なんて声も聞こえませんでしたし。外が寒かっただけに新郎新婦・カップルの「熱さ」が際立ちました。そういった「演出」だったのですね。おあとがよろしいようで・・・。

 

さて、最近はめったに披露宴に出ないので、「おや?」と思った「儀式」がありました。それは司会の大田良平アナウンサーが、「ウエディングケーキ入刀」されたあとに言った、

「ファーストバイト」

という言葉です。意味は、ケーキカットされた後のウエディングケーキを、お互いに「アーン」と食べさせることのようです。それを聞いて、

「ファーストバイト?俺のファーストバイトは、家庭教師だったかな?いや小田急百貨店の"デパ地下"での"鈴廣のかまぼこ"の販売員だっけ?パソコンの記憶容量は、今は"ギガバイト"と言ったかな?それとも"テラバイト"だっけ?」

というような思いが、一瞬のうちに頭をよぎり、そのあと、

「ああ、『最初の一口(一かじり)』という意味ね」

と納得。でも、あれって、結構見ているほうも恥ずかしいですよね。Googleで検索したら(1224日),

「ファーストバイト」=32100

でした。そのトップに出てきた「ウエディング用語辞典」というサイトに、

「ファーストバイト(first bite)とは、ケーキカットの後で、カットしたウエディングケーキの一切れを新郎新婦が互いに食べさせあう演出。欧米で古くから行われている習慣が伝わったもの。バイトとは英語で『かじる』という意味。新郎から新婦への一口は『一生食べるものに困らせないから』、新婦から新郎への一口は『一生おいしいものを作ってあげる』との意味が込められている。『ケーキシェアリング』『ファーストイーティング』ともいう。」

と書かれていました。ふーん、ヨーロッパでは昔からあるのか。でも新婦が、

「一生おいしいものを作ってあげる」

という意味合いは、今の時代だと結構、物議をかもしそうだけど。そうでもないんですかね、最近はやっているということは。「亭主関白」の"揺り戻し"なのでしょうか。

なにはともあれ、五十嵐君ご夫妻、末永くお幸せに・・・ハーックション!!!

(2009、12、24)

2009年12月25日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情 3783

「撃沈させました」

トヨタプレゼンツ・クラブワールドカップ(CWCは、今年は中東のアブダビで開かれました。「トヨタカップ」時代から長年、東京で開催してきたので、ちょっと寂しい気がします。時差の関係もあって、放送はほとんど深夜でした。

決勝は、欧州代表のスペインのバルセロナが、劇的な逆転劇。今年の世界最優秀選手でアルゼンチン代表のメッシの決勝ゴールで、南米代表・アルゼンチンのエストゥディアンテス(スペイン語で「学生」の意味)を2対1で破り、初優勝を遂げました。エストゥディアンテスには、メッシと同じアルゼンチン代表で「小さな魔法使い」と呼ばれるベロンがいましたが、一歩及びませんでした。いい試合でしたね、と言っても後半の15分、バルセロナがリードされているところまで観て(もうそれで夜中の215分)、寝てしまったのですが。一番いいところを見逃した!

その中継の中で、実況アナウンサー(日本テレビの藤井アナウンサーでしょう)が、バルセロナに対するコメントで、

「レアルマドリードを撃沈させました」

と言っているのを聞いて「おや?」と思いました。これは正しくは、

「レアルマドリードを撃沈しました」

ではないでしょうか?でも思わず「撃沈させた」と言いそうなのも、なんとなくわかる気がします。

「撃沈」の主語は、この場合「バルセロナ」であり、「撃沈」の意味は、

「撃破して沈める」

なのですが、

「撃破して沈没させる

というふうにもとれます。この中にある「して」と「させる」は、「して」は普通の文(肯定・叙述分)ですが「させる」は「使役」のように見えます。それがねじれた状態で1つの「撃沈」という言葉の中に入っていると考えると、「撃沈」を、

「撃破され沈没する」「撃破され

だと、

「逆のねじれ状態」

だと考えると、

「撃沈させる」

という表現も、間違いとは言えないのではないでしょうか。

ただ、そういった使い方が従来されていたかどうかと言うと、「?」が付きます。

その辺が「微妙に違う」と感じたよりどころなのかもしれません。

そうそう、バルセロナがメッシ選手の活躍で優勝したことをさす四字熟語、知ってます?・・・・・・メッシ奉公。

 

(2009、12、22)

2009年12月25日 10:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_230

『京<KYO>のお言葉』(入江敦彦、文春文庫:2009、10、10第1刷)

 

1つの京言葉を4ページで解説。といっても、4ページのうち1ページは、おしゃれな写真。そして最終ページの4分の1ぐらいは、その言葉にまつわる京都の名所・お店のガイドという、なにやら「シティーガイド」のようなコンパクトな一冊。情報満載。おしゃれ。

あ、ええな、これ。が第一印象。え?入江さんて同い年?宮内庁で勤めてたおじいさんとちゃうの?が第二印象。1961年生まれって、同い年やがな。

175ページにッ出てくる「おモーにあらつしゃいますか?」で、「モーする」は幼児語にあらず、女房詞だった!

それにしても、文春文庫、35周年やて。中学1年の時に、おこづかいでザラ紙のような質の悪い紙を使った見慣れない文庫本を買った。それが文春文庫だった。あれから35年・・・たしかに13歳プラス35年=48歳。計算はあっています。紙、良くなりましたねえ。でもちょっとザラ紙の色が残っている気がするのは、気のせいか。

「おこしやす」と「おいでやす」の違いなんかも、シブイ。是非、読んでください。


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(2009、11、9読了)

2009年12月24日 19:46 | コメント (0)

新・読書日記 2009_229

『アスペルガー症候群』(岡田尊司、幻冬舎新書:2009、9、30)

 

最近時々耳にする「アスペルガー症候群」とは、実際はどんな病気なのか?興味を持って読んだ。この病気に特徴的なサインとは、

「表情や体の動きが、ぎこちなく不自然」「会話のキャッチボールができず、一方的に話す」「一人でいることを好み、他人に対する関心が乏しい」「人よりもモノに興味を示し、集めるのが好き」「言葉を文字通りに受け取り、冗談が通じない」「変化に対してパニックになりやすい」「興味のある分野には、驚くほど詳しい」とある。あ!「レインマン」に出てくるダスティン・ホフマンか!

この病気はオーストリアの医師、ハンス・アスペルガーが、それまでの20年間の臨床的経験を通じて1944年に著した論文で「自閉的精神病質」と呼んだもの、だそうだ。この病気の人は、ある意味「スゴイ!」。その「こだわりの強さ」で、社会的に大成功を収めた人もたくさんいることを、この本は教えてくれる。ただ、過去の人に関しては「あの人も、アスペルガー症候群だったのではないか」と、推測の域を出ないところが弱い。


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(2009、11、13読了)

2009年12月24日 10:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_228

『キャッチャーという人生』(赤坂英一、講談社:2009、8、31)

 

「野村と古田の陰に隠れた6人の名捕手たちの栄光と挫折」

と"帯"に銘打ち、村田真一、達川光男、山中潔、谷繁元信、大久保博元、里崎智也といった捕手=キャッチャーを取り上げ、インタビューをもとにしたスポーツドキュメント。

夏ごろ『週刊文春』の酒井順子さんの書評欄で見つけ、最近になって本屋さんに注文して取り寄せたもの。

読み出して驚いた。この中に出てくる「山中潔」捕手、現在は日本ハムの2軍のコーチをしているそうだが、彼は、「私の小学生時代の同級生」なのだ!いや、正確に言うと同じクラスにはなっていないので「同級生」ではなく、「同窓生」だ。しかし、一緒にソフトボールや野球をした。小学校の頃、彼はサードで4番バッターだったと思う。その頃から「将来は、プロ野球選手になるのだ」という"夢"・・・というよりはもっと具体的な"将来設計"を持ち、リトルリーグにも入り、お父さんにもそのように育てられていた。私が、クラスメートや仲の良い友達と「軟式の野球チーム」を作ったことがある。その際に山中君も誘ったら、快く「ええよ」と言ってくれたのだが、後日、彼から電話がかかってきた。「お父さんが、軟式のボールでクセが付くとあかんと言うので、ごめんやけど、参加できない」とのこと。とても申し訳なさそうな感じの声だった。わたしたちがやっている「草野球」は「軟式ボール」、そしてリトルリーグは「硬式」のボールだ。「わかった」と答えざるを得なかったが、「すごいな」と思ったのを覚えている。もう40年近く前の話だ。

その後、彼は野球の名門・PL学園に進み、高校2年の時に甲子園で優勝した。正捕手は1年先輩の木戸選手。ベンチでうれし泣きする彼の姿を、テレビで見た。3年の春か夏の甲子園は、優勝は出来なかったが甲子園には出たのではなかったか。いや、同じ学年には浪商の牛島投手とドカベン・香川捕手がいたので、出られなかったか?どうだったろうか。

そして、さらにその後、子どもの頃の"夢"をかなえて、彼はプロ野球選手に。広島カープに入団したのは知っていた。私もテレビ局に就職して取材で球場に行くことがあった。

彼とニアミスをしたのは、たしか1984年のジュニア・オールスターの甲子園。もしかしたら1985年?いや、あの年はタイガースの優勝一色だったから、その前の年だと思う。彼は選ばれて、グラウンドにいた。わずか2メートルほど先のところに彼がいた。が、「覚えていてくれなかったら・・・」と思うと声を掛けられなかった。私は、そんな意気地なしだったのである。

それからでも四半世紀。今度、もし会うことがあれば・・・一度話を聞いてみたい気がする。

 

 


star4

(2009、12、19読了)

2009年12月23日 12:03 | コメント (0)

新・ことば事情 3782

「パンプキン詐欺」

 

テレビの音声でニュースを「聞いて」いたら、

「パンプキン詐欺」

という言葉が出てきました。はて。かぼちゃ泥棒のことか?それともハロウィン関連で、何かだましたのか?と考えをめぐらせたあと、

「あ!」

と気が付きました。ニュースで言っていたのは、

「パンプキン」

ではなく、

「還付金」

だったのです。つまり、

「還付金がありますよ。でも、それを受け取るには手数料が必要です」

などと言葉巧みにだます、そういった詐欺の手口のことだったのです。そんな還付金なんてあるわけないけど、「くれる」と言われたら、「そうなのか」と、ついホイホイ行ってしまう人間の心理を突いた詐欺、というわけ。

うーん、確かに音とアクセントは似ている。

PANPUKIN

KANPUKIN

おお!違うのは、最初の「か」と「ぱ」だけじゃないですか!これなら間違うのも仕方がない・・・こともないか。

これで分かったことが、もう一つ、あります。

・・・・耳掃除、したほうがいい。

(2009、12、22)

2009年12月22日 21:59 | コメント (0)

新・読書日記 2009_227

『テレビ局の裏側』(中川勇樹、新潮新書:2009、12、20)

 

著者は制作会社でディレクターなどを経験したベテラン、らしい。

書かれていることは、テレビ局の"裏側"というより"内側"なので、その"内側"にいる私にとっては、目新しい話はあまりなかった。

結局、この10年あまりテレビ局が進めた「メディア・リテラシー」は、視聴者を賢くしたのではなく、どちらかというと"賢くなく"したのではないか?アイロニカルにしてしまったのは、皮相的なメディア・リテラシー教育だったのではないかという気持ち。

また、古き良き"ええ加減"が許された時代が、この10年で終わったたことは、時代の変化と表裏一体であると。スポンサーサイドや行政、視聴者から、やいのやいのと槍玉に上がるようになったことは、何だかんだ言って、まだテレビの影響力が強いからだとも、言える。

 

 


star3

(2009、12、20読了)

2009年12月22日 12:04 | コメント (0)

新・ことば事情 3781

「財源のアクセント」

本来は「頭高アクセント」ではないのに、「頭高アクセント」でよく使われる言葉と状況を、「平成ことば事情2049防犯・判決・支援のアクセント」で、なんと「追記50」まで書きました。「追記はもう、ええやろ」ということで、一旦やめましたが、今日(20091221日)テレビ朝日のお昼のニュースワイドショーを、聞くともなしに聞いていたら、民主党の川内博史議員とテレビ朝日コメンテーターの川村晃司という人が、ともに「財源」を、

「ザ\イゲン」

「頭高アクセント」で言っていました。正に政治家の「演説アクセント」の典型ですね。

『NHK日本語発音アクセント辞典』には、

「ザ/イゲン」

という「平板アクセント」か、

「ザ/イゲ\ン」

という「中高アクセント」しか載っていなくて、「頭高アクセント」は掲載されていません。

なんか「頭高」で「財源」を聞くと、風邪薬のコマーシャル

「カゼに改源」

を思い出してしまいます。あの「改源」は、

「カ\イゲン」

「頭高」でしたね。まあ、風邪薬のように、「ザ\イゲン」という「頭高アクセント」を使うと、「財源の問題」が解決するのなら、それもよいのですが・・・。

                                                   (2009、12、21)

 

(追記)

きょう(1222日)の「情報ライブミヤネ屋」で、5か月ほど前(728日)のニュースで放送した、まだ「野党」時代の鳩山由紀夫総理の発言を紹介しました。そこで総理は、

「財源はないわけではありません!しっかりとあるんです」

と言っていました。その「財源」のアクセントは、

「ザ\イゲン」

「頭高アクセント」でした・・・。

 

 

(2009、12、22)

2009年12月22日 10:10 | コメント (0)

新・ことば事情 3780

「背筋が凍る」

 元「ミヤネ屋」スタッフのT君から質問されました。

 

「『背筋が凍る』という表現は使っていいんでしょうか?『広辞苑』には『背筋が寒くなる』しか載っていないんですが・・・」

 

調べてみると、たしかに辞書をいくつか引いてみても「背筋が寒くなる」しか載っていません。従来の正しい言い方は「背筋が寒くなる」なのでしょう。それの強調語として出てきていつの間にか定着したのが「背筋が凍る」ではないでしょうか?

 

『日本語コロケーション辞典』(2006、学研)という辞書には「背筋が凍る」が載っていました。意味は矢印で「背筋が寒くなる」を見よ、と。「コロケーション」というのは「語のつながり」のこと。つまり「コロケーション辞典」は「背筋」を引くと「凍る」「寒くなる」「伸ばす」というふうに、「背筋」につながる言葉が列挙されている辞典です。

Googleで検索してみました(1218日)

「背筋が寒くなる」=163万件

「背筋が凍る」  =334万件

「背筋も凍る」  =292万件

と、既に本家の「背筋が寒くなる」の2倍、「背筋が凍る」の方がネット上では使われていますね。国語辞典に載る日も近いのではないでしょうか。

(2009、12、18)

2009年12月21日 17:42 | コメント (0)

新・ことば事情 3779

「目元が涼しい」

 

「涼しい目元って、どんな目?」

アメリカ在住のI先輩から久々のメール。そこにはこう記されていました。

『落語を聴いてたら、美人を表現するのに、「鼻筋の通った、目元の涼しい」とありましたが、「ほんまはどんな顔なんやろ。実例の写真かなんか、ないんかな?絵でもええけど」とか、ふと思いまして。どういう意味なんですかね?

まあ、「鼻筋の通った」というのは、前から見ると、鼻の巾が細いということかなと、そして「目元の涼しい」というのは、まぶたに脂肪が少なく、目尻が切れ長の目かな、とか勝手に想像するのですが、じっさい、どんな目鼻のことなんでしょう?また、機会があれば、とりあげていただきたく思います。』

 

うーん、特に気にしたことなかったな。考えてみよう。

辞書を引きながら、メールの返事を書きました。

 

『本当にご無沙汰しています。お元気ですね?(と、決め付けてみる)

さて、お尋ねの「目元が涼しい」、気が付かなかったなあ。

『精選版日本国語大辞典』で「目元」を引くと、

「めもとの潮」

という言葉がありました。「潮」は「愛嬌」の意味だそうです。

それ以上は出てきそうにないので、「涼しい」を引いてみました。すると、

「(3)物のさまがすっきりしてとしていて、さわやかである。いかにもすがすがしく感じられる。」

と載っていて、用例は泉鏡花の『義血侠血』(1894)という作品から、

「色白く、鼻筋通り(略)見るだに涼(スズシ)き美人なり」

というふうに使われています。そのほかにも「涼しい」の意味として、

「(4)ことばや動作がはっきりしていてすがすがしい」

「(5)心がさわやかである。心中にわだかまるところがなく快い。わずらいがない」

があるほど、そのものズバリの

「(6)目もとがはっきりしている。目にけがれがない。」

というのがあって、用例はなんと「1535年頃」の『京大二十冊本毛詩抄・四』(読み方は知りません)から、

「清は目のすすしい本揚げはまゆのあがった体ぞ」

とありました。「本揚げ」って「花魁」とかそういうものですよね?ちがいましたっけ?

「涼しい」は「暑さが去った後のプラス感覚」を表すようですね。「顔つき」でも、

「暑苦しい」

というのはマイナス表現ですが、その逆が「涼しい」なのではないでしょうか。「暑苦しい顔」は目と目の間が狭く寄っていて、ぎゅっと凝縮されたような顔なんじゃないのかな。目と目の間にうまく鼻筋が通ってバランスがいい顔を「目元が涼しい」というのではないでしょうか。

 

>まあ、「鼻筋の通った」というのは、前から見ると、鼻の巾が細いということかなと、そ>して「目元の涼しい」というのは、まぶたに脂肪が少なく、目尻が切れ長の目かな、と>か勝手に想像するのですが、実際、どんな目鼻のことなんでしょう?

 

そうですね「目もとがはっきりしている」ということは、まぶたが重たくぶら下がっていたりしてなくて「まなこ」が、くっきり・はっきり見えるような顔でしょうね。

細い目なのか、大きなクリッした目なのかは、美醜感覚が時代によって変わっているでしょうから、同じ「目元が涼しい」という言葉を使っていても、時代によってその対象は変わっているのではないでしょうか?「美人」が時代によって変わるように。

「明眸皓歯(めいぼう・こうし)」の「明眸」が、「涼しい目(元)」なのでは?

あ、「仮面の忍者・赤影」のテーマソングで「赤影」のことを歌った歌詞に、

「きらりと光る 涼しい眼」

というのがありましたよね!あれが「明眸」では?

実は、随分前に買っておいて、まだ読んでいないのですが、井上章一さんの『美人論』あたりに、答えが載っていそうな気がします。家に帰ったら読んでみます。

「鼻筋が通った」というのも「右目」と「左目」をきっちりと分けるところにプラスの意味があるのではないでしょうか?(では目が離れている方が「美人・美男」なのか?・・・それは分かりませんが、何事も程度問題でしょう。)

 

ということで、いかがでしょうか?とメールしたところ、早速返事が。

「いろいろ用例がありますねえ。 井上章一さんの『美人論』とは、するどい指摘ですね。私も持ってまして、今朝出掛けに、パラパラと見てますと、なかほどに『美人とブスの対照表』みたいなイラストが載っていて、そこの左列一番下の女性が、ぼくのイメージするところの『鼻筋が通って、目元が涼しい』でした。ぼくにとっては、鼻筋が通って、目元の涼しいというのは、女優でいうと、山本富士子とか池内淳子とか(古っ!)。あんまり目玉がくりっとしているのは、美醜を別として、あんまり涼しく感じません。そうそう、さいきんで言えば、田中裕子とか。(←ぜんぜん最近とちゃうやんけ)

でも、『暑苦しい顔』で、しかも美人ってのもあるでしょうね。ソース顔というか。ゴージャス系美人というか。例えばソフィア・ローレン(古っ!)なんか、美人なんでしょうが、じつに暑苦しい顔してますな。鼻筋といわず目元といわず顔全体から熱が発しているような暑苦しさ。。。」

というお返事。

そうですね、やはり「浮世絵に出てくる美人画」みたいな顔つきが「目元が涼しい」んでしょうね。あんまりクリクリッと大きな瞳だと、「涼やかさ」には欠ける気もしますしね。

なかなか勉強になりました。I先輩ありがとうございました!

 

(2009、12、17)

2009年12月21日 12:20 | コメント (0)

新・ことば事情 3778

「アミノバイタルフィールド」

 

20091218日の毎日新聞朝刊1に、アイマスクを装着してプレーするフットサル「ブラインドサッカー」の話題が載っていました。東京調布市で、そのアジア選手権が開幕したというニュース。その写真のキャプションには、

「東京都のアミノバイタルフィールドで」

とありました。「アミノバイタルフィールド」?どこ?それ・・・・あ、確か調布市には、

「味の素スタジアム、通称・味スタ」

があったな。あれが、もしかしたら名前が変わったのかも・・・そういえば「アミノバイタル」って味の素が出している飲料の名前では?

と思って、調べてみました。

調べてみたら、近いけどちょっと違いました。「アミノバイタルフィールド」は、

「味の素スタジアムのサブグラウンド」

のことでした。2005年に誕生。関東大学アメリカンフットボールリーグのメイン会場なのだそうです。天然芝に近い最新式の人工芝が使用されているとのこと。それならフットサルやブラインドサッカーも出来ますね。

うーん、いわゆる「ネーミングライツ(命名権)」ですが、サブグラウンドにまで及んでいるとは・・・すごいですな。

 

(2009、12、18)

2009年12月20日 19:22 | コメント (0)

新・ことば事情 3777

「COP15のアクセント」

 

1218日、コペンハーゲンで開かれている「COP15」のニュースで、どこの局かは忘れましたが、「COP15」を女性アナウンサーが、

「コ/ップジュ\ーゴ」

と読んでいました。「コ/ップ」というアクセントはないだろ。それじゃあ、

「水を飲むコップ」

みたいじゃないか。「九九の3×5」の、

「サ/ンゴジュ\ーゴ」

のようなアクセントでした。私はこの日の「情報ライブミヤネ屋」で、

「コ\ップ・ジュ\ーゴ」

と読みました。普通、そうじゃないの?

ところが、「普通」そうでもないみたいで・・・夕方6時代のTBSのニュースで、女性キャスターは「COP15」を、

「コ\ップ・ジュ/ーゴ」

と読んでいました。なんだか数字の「15」のアクセントがなまっているな。

まあ、ことほど左様に「COP15」はなじみがなくて、ふだん読んだことがない、ということもあるのでしょうね。でも数字は読んだことがあるだろうになあ。組み合わせるとわからなくなるのかな?

 

(2009、12、18)

2009年12月19日 19:00 | コメント (0)

新・ことば事情 3776

「ビョン様」

元彼女(?)とのトラブルが問題になっている韓流スターの、

「イ・ビョンホン」

さんの記事が、1218日のスポーツ紙各紙に載っていました。

その記事で目に付いたのが、

「ビョン様」

という文字。『冬のソナタ』の「ペ・ヨンジュン」が「ヨン様」と呼ばれているのは知っていましたが、「イ・ビョンホン」は「ビョン様」なの?それは知りませんでした。

「ビョン様」という見出しの文字を使っていたのは、わたしが確認できたのは、

「スポニチ、日刊、報知」

3紙。「サンスポ」は、使っていませんでした。

Google検索では(1218日)

「ビョン様」=46600

「ビョンさま」= 8860

でした。ネット上でもそれほど多く使われてはいないようです。ちなみに「ヨン様」は、

「ヨン様」=1260000

「ヨンさま」=88000

ですから、やはり圧倒的に多く使われているようです。

(2009、12、18)

2009年12月18日 18:47 | コメント (0)

新・ことば事情 3775

「半紙」

 

1211日金曜、京都の清水寺「今年の漢字」が発表されました。

「新」

が今年の漢字になりましたね。「情報ライブミヤネ屋」で、その中継に出た女性アナウンサーが、森清範貫主が大きな筆で漢字を書く大きな紙(たぶん縦横2メートルぐらい)のことを、最初、

「半紙」

と言ってから、言い直しました。確かにあれは「半紙」ではありません。「半紙」とは、ご存じの通り、「習字」で字を書く紙のことですが、実は「大きさ」を表しているのです。すなわち、

「縦8寸(=24,2センチ)、横11寸(=33,3センチ)の和紙」

のことです。縦が同じ8寸で、横が22寸の紙(=つまり「全紙」)を半分に切ったところから「半紙」の名前があるそうです。

それと同じ大きさで白いきれいなものではなく、「ちょっと茶色っぽい紙」を、

「わら半紙」

と言いますよね。あれは「素材=ワラを混ぜた和紙、大きさ=半紙」ということですね。

「名は体を表す」と。覚えておきます。

(2009、12、17)

2009年12月18日 12:45 | コメント (0)

新・読書日記 2009_226

『アガワとダンの幸せになるためのワイン修行~ゴージャスワイン編』(檀ふみ・阿川佐和子、幻冬舎:2005、9、30)

「カジュアル編」と2冊組で購入して、先にカジュアル編を読んだら、もうおなかいっぱいになって・・・そのままほったらかしにしておいたら、もう4年も経ったということ。さぞかし熟成して・・・。

いろんな講師をお迎えして、実際にワインを飲んで勉強していくという、なんとも結構な企画で・・・。

講師陣の中で一番特色があってユニークだったのは、元ジャイアンツピッチャーで野球評論家の江川卓氏。この人自体は、やはりいまだにあの入団の時のこともあるし、それがなくても「ちょっと・・・」というところは(私は)あるが、こと、ワインの提示の仕方、檀・阿川という「ツワモノ」2人との言葉のやり取りなどは、群を抜いてうまい!この2人の「コンビ」は、もう完成されていますから、たいていの漫才を聞くよりもずっとおもしろい。個性がむき出しで(ちょっとはベールで覆った方がいいと思うが・・・)出ていて、確かにおもしろいです。地頭がいいですね、本当に。それと瞬発力がスゴイ。

2人が、タイトルのように「シアワセ」になれたかどうかは、飲んでいるときは間違いなくなれたでしょうが、「その後の生活において」は、また別の話。

 


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(2009、12、13読了)

2009年12月18日 09:30 | コメント (0)

新・ことば事情 3774

「一の読み方」

ご存じのように、日本語の数字の読み方には「和語系」と「漢語系」があります。これに「英語系」も最近は交じるようになっていますが、主流は和語・漢語の2つの系統です。

これらは後ろに来る言葉(助数詞など)が漢語か和語かによって決まることが多いのですが、例外もあります。ニュース原稿などでは、原則「一」と書いてあれば「イチ」と読み、「ひと」と読ませる場合は漢字を用いず、ひらがなで「ひと」と書くと、読み間違いを防げます。でも、そういったルールが必ずしも厳密に運用されているわけではありません。そこで、思いつくままに「一」の付く言葉の「イチ」と「ひと」の分類をしてみました。「思いつくままに」なので、網羅はされていませんが。あ、『新聞用語集2007年版』の「放送で標準とする読み方例」を読んで集めてみようかな。では、順不同で・・・。

ひと

一幕<以上『新聞用語集2007年版』より>、一役、一休み、一区切り、一時(ひととき=平仮名書きが原則)、一幕、一苦労

イチ

一隅(を照らす)、一見の客、一見(イッケン)、一言居士、一期一会、一個人(イチコジン、イッコジン)、一言一句、一言もない、一日千秋、一日の長、一段落、一縷(イチル)の望み、一蓮托生、一家言(イッカゲン)、一山(イッサン)の僧侶、一矢(イッシ)を報いる、一親等(イッシントウ)、一世一元(イッセイイチゲン)、一世風靡(イッセイフウビ)、一世一代(イッセイチダイ)、一対(イッツイ)、一途(イット)をたどる<以上『新聞用語集2007年版』より>、

一石(イッセキ)を投じる、一席(イッセキ)、一朝一夕(イッチョウイッセキ)、一時代、(氷山の)一角(イッカク)、一時(イチジ・イットキ)、一騎(イッキ)当千、一人当千、一罰百戒、一粒万倍、一汁一菜、一石(イッセキ)二鳥、一人会社、一兵卒(イッペイソツ)、一衣帯水

というふうに、気長に言葉を集めていこうと思います。しかし、「ひと」という読み方のことば、『新聞用語集』の「放送で標準とする読み方例」には「一幕」ただ1語しか載っていないんですね。それと、この中で読み方を間違う人が多いのは、

「一段落」

正しくは「イチダンラク」ですが、「ひとダンラク」と間違って読む人が多い気がします。あと「一幕(ひとまく)」を「イチマク」と読んじゃうとか。そのぐらい気をつけておけばいいかな。

                     (2009、12、17)

 

 

(追記)

その後、気付いたもの。

ひと

ひと汗流す、ひと味違う

 

イチ

一時代を築く

「ひと汗」「ひと味」の「ひと」は、平仮名で書いた方がいいですね。

それと『共同通信記者ハンドブック第9版』「ひと」を引いてみたら、漢字で書く「一」と書く場合と平仮名で「ひと」と書く場合の用例が載っていました。

 

*「一」(主に漢字に続く場合)一汗、一荒れ、一打ち、一思い、一声、一言、一塩(魚・野菜に塩をふりかける)、一筋、一続き、一(っ)飛び、一握り、一寝入り、一眠り、一昔、一休み <注>文脈によって「ひと汗」「ひと思い」「ひと声」「ひと昔」などと平仮名書きを活用。

*「ひと」(主に平仮名に続く場合、副詞)ひとくさり、ひところ、ひとしきり、ひとたび、ひとたまり、ひとつまみ、ひととせ、ひとまとめ、ひともうけ、ひとわたり<注>「昭和一けた生まれ」「青春の一こま」などは別。

 

とありました。「ひと」のところに書いてある「(主に平仮名に続く場合、副詞)」というのは目安としては分かりやすい気がします。

 

 

 

(2009、12、21)

2009年12月17日 18:33 | コメント (0)

新・ことば事情 3773

「近赤外線」

2009年12月16日の各紙朝刊(大阪版)に、関西国際空港で15日に行われた新技術を使った爆発物検知装置の実証実験が始まったという記事が載っていました。これはペットボトルに入った内容物を、今まで以上に精密に判別できるというものだそうです。その技術に使われているのが、産経新聞によると、

「近赤外線」

なんだそうです・・・うーん、「遠赤外線」は聞いたことがあるけど「近赤外線」というのは初めて知りました。「きんせきがいせん」って読むんだろうな。聞いたことがある方の「遠赤外線」というと、「炭火」とか「こたつ」とか、「珈琲(コーヒー)の焙煎」とか、なんだかそういう分野でポカポカするあったかいものですよね。「近」はどうなんだろうか?

そもそも、目に見える可視光線は「赤から紫のグラデーション」、つまり「虹の色」で、その外側、紫の外側の目に見えない波長の光が「紫外線」、赤の外側の目に見えない光の波長の電磁波が「赤外線」ですから、「近」は、「赤」の可視光線に近い波長ということでしょうか?もしかして目の良い人間は「近赤外線」が見える?遠赤外線は見えないでしょうが。なんだかそんなものではないのかなと想像して記事を読んだのですが、同じニュースに関して読売新聞は、やはり見慣れない言葉だから「近」を外したのか、単なる、

「赤外線」

になっていました。「近い」も「遠い」も、確かにひっくくれば「赤外線」ですね。そういう判断もあるか。

Google(12月16日検索)では、

「近赤外線」  127000

「遠赤外線」=1710000

で、やはり「遠赤外線」が10倍以上使われていました。

Yahooでは、

「近赤外線」= 795000

「遠赤外線」=14400000

でした。あ、「近紫外線」「遠紫外線」というのもあるようだぞ。(そりゃ、あるか)

Google(12月16日検索)では、

「近紫外線」=16500

「遠紫外線」=20600

Yahooでは、

「近紫外線」=78900

「遠紫外線」=25600

でした。「"近"赤外線」の方が「"近"紫外線」よりも10倍ほど、よく使われていますね。

ネットのIT用語辞典」によると、「近紫外線」は、

「紫外線(UV)の中でも、約300400nmの波長を持った最長波長の紫外線のことである。紫外線は、波長によってUV-A400315nm)や UV-B315280nm)、UV-C280100nm)に分類される。この波長の違いによって、物理的作用、化学的作用、生理的作用が異なる。紫外線の中でも近紫外線は、波長が可視光線に近い分、生物に与える影響はUV-BUV-Cに比べても少ないと考えられている。」

とありました。また「赤外線(=電磁波)」は、

「波長が0、75μm(マイクロメーター)~4、0μmを『近赤外線』、4、0μm~25μmが『遠赤外線』、25μm~1000μmが『超遠赤外線』」

なんだそうです。その外側には「マイクロ波」「電波」があり、「紫外線」の外には「X線」「ガンマー線」があるようです。勉強になりました!しかし・・・

ふだん、文系とか理系とか分けて「私は文系だから分からない」などというのは嫌いですが、ひとこと、言わせて下さい。

「文系だから、よくわかんない・・・。」

                  (2009、12、16)

 

(追記)

1221日の日経新聞朝刊に、

「血管見つけ自動採血」

という見出しで、堀場製作所などが共同で開発した「自動で血管を見つけ採血する装置」を試作したという記事が載っていました。その装置は、

「近赤外線を使い血管を浮かび上がらせて20マイクロ(マイクロは100万分の1)メートルの誤差で針を刺す。」

もので、

「糖尿病患者が自宅で血糖値を測ったり、医療機関で検査したりするときに使うことを想定し、実用化を目指す」

とのことですが、ここに、

「近赤外線」

が出てきました。かなり 実用化に近いところで「近赤外線」、よく出てくるようですね、注意して見ていると。これからも「近赤外線」、注目です!

 

 

 

(2009、12、22)

2009年12月17日 12:00 | コメント (0)

新・ことば事情 3772

「使いと遣いの使い分け」

 

毎日、『情報ライブミヤネ屋』の字幕スーパーのチェックをしています。そうするといつも同じようなところで悩むことが出てきます。その一つが、

「使う」と「遣う」の「つかいわけ」。

たとえば、「気をつかう」の「つかう」はどっち?

 

×「気を遣う」

    「気を使う」

 

なんですねえこれが。「遣」「気遣い」「金遣い」「息遣い」「無駄遣いなど主に

「名詞形」

に使います。これに対して「使」使い道」「使い手」「気を使う」「子供の使いなど主として

「動詞形」

で使うのです。この場合は「動詞形」なので「気を使う。しかし、

「気遣い

からの類推で、間違うケースが、結構多いのです。先日も、お笑いコンビ「オードリー」のコメントにかぶせたスーパーで、

「気を遣うじゃないですか」

と字幕をつけていましたが、

「気を使うじゃないですか」

に直しました。しかし、なぜか元の形がオンエアーに出てしまいました。今回は「動詞」なので「気を使う」が正しかったのに。(事前に直したものが、また直されてしまった。気を「使い」過ぎた?)

 

「つかう」の漢字の使い分けは、『新聞用語集2007年版』によると、

A)「使い・使う」=「一般用語・主として動詞形」

上目を使う、お使いに行く、仮名を使う、漢字を使う、気を使う、現地の言葉を使う、心を使う、子どもの使い、声色を使う、大金を使う、使い切れぬほどの金額、使い込みが発覚、使い捨て、使い手、使い道、使い分け、道具を使う、道路建設に使う予算、人形を使う(人形浄瑠璃では「人形を遣う」)、人使いが荒い

 

B)「遣い・遣う」=「限定用語・主として名詞形」

息遣い、上目遣い、仮名遣い、心遣い、小遣い銭、言葉遣い、人形遣い、筆遣い、無駄遣い、文字遣い、両刀遣い

<注>「剣術使い」「忍術使い」「魔法使い」「猛獣使い」は慣用として「使」。

 

となっています。「お金の場合には『遣う』」ということではなく、「動詞形」なら「使う」、「名詞形」なら「遣い」というのを、原則として覚えておくといいのかもしれません。

それにしても、

「『剣術使い』『忍術使い』『魔法使い』『猛獣使い』は慣用として『使』」

というのは、ややこしいですね。

 

(2009、12、16)

2009年12月17日 10:16 | コメント (0)

新・ことば事情 3771

「エンゼルス」

 

ニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズを制し、MVPにも輝いた松井秀喜選手が、「ロサンゼルス・エンゼルス」へ移籍することが決まりましたね。そのエンゼルス、私は正式名称を、

「アナハイム・エンゼルス」

だと思っていました。しかしニュースでは、

「ロサンゼルス・エンゼルス」

と伝えていました。あれ?本拠地が変わったのかな?と思っていたら、1216日の新聞のスポーツ面に、小さな文字で解説が載っていました。それによると現在の正式名称は、

「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」

2005年に正式名称がこのようになったそうです。

そもそも1961年にロサンゼルスに誕生、1966年に本拠地をカリフォルニア州アナハイムに移して、

「カリフォルニア・エンゼルス」

に名称変更、1997年からは、

「アナハイム・エンゼルス」

という名称だったそうです。そうか、その時代に私は知ったわけですね、きっと。『エンゼルス』というアメリカ映画もありましたよね。いつも最下位だけど、エンゼル(天使)が舞い降りてきて、あれよあれよといううちに優勝してしまうという、ハッピーな映画でした、たしか。

その後、本物のエンゼルスは、2002年にはワールドシリーズを初めて制覇していますから、今は強豪チームなんですね。最近6年間で5度、地区優勝しているそうです。そりゃスゲーや。

松井選手も、来シーズンは温暖な気候のチームで、がんがんホームランを打ってほしいですね。

 

(2009、12、16)

2009年12月16日 19:07 | コメント (0)

新・読書日記 2009_225

『何を根拠に』(ナンシー関、角川文庫:2007、3、25初版:2003、11世界文化社より単行本出版)

本を整理していて、「あ、まだこれって読んでなかった」とゴソゴソ読み出した。おもしろいが、こういう「連載コラム」を集めて一冊にしたもので、1回のコラムの分量が少ないものは、意外と読みにくい。11回、頭を切り替えないといけないから。それで読むのに時間がかかる。長い小説の方が、意外と一気に読めたりするものである。

この本の60ページに、

「第一試合から徐々にメートルを上げた私たちは、すぐ隣にあったとはいえロイヤルボックスの中に入り込んでしまったのだ。」

という文章で「メートルを上げる」という表現が出てくる。国技館でのプロレス観戦の際の出来事。お酒を飲んでもいないのにメートルを上げることが出来るんだ!と思いました。

それにしても、「ナンシー関」さんが亡くなって、もう7年以上経つのか。早いなあ・・・。

 

 


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(2009、11、29読了)

2009年12月16日 12:06 | コメント (1)

新・ことば事情 3770

「タワーマンションの新聞広告」

 

新聞を読んでいたら、「タワーマンション」、つまり「超高層マンション」の広告が載っていました。

114平方メートルで12000万円」。

へえー、結構安いやん・・・でも100平方メートル超えで「1200万円」?ちょっと安すぎない?と思って、よーーく見てみると・・・・

「0(ゼロ)が一つ、多い・・・・」

そう、お気づきの通り、

12000万円」

でした・・・そりゃあ、そのくらいするやろうな、都心だったし。

でも最初から「1億2000万円」と書くと、はなから見てくれない人も多いでしょうが、12000万」と書くと、「間違ってみてくれるかもしれない」という魂胆が見えましたね。そういえば、先日、某大手ハンバーガー・チェーンのコマーシャルで、

10万円が1千人」

に当たるという表記がありました。

この「1」は強調の「1」。なければたったの「千人」。

「1」  がある「1千人」方が、なんだかゴージャスですよね。「一千人」でもいいのにな。

「マーラーの交響曲第8番」は「千人の交響曲」。これは「一」はつかなかった気がします。

この場合、合計1億円のプレゼントだから、ゴージャスと言えばゴージャス、お客さん直数から言うと、どうなんでしょうか。

ここで言いたいのは、数字を大きく見せたり小さく見せたり、いろいろ苦労しているのだなあということでした。

 

(2009、12、15)

2009年12月15日 18:01 | コメント (2)

新・読書日記 2009_224

『アグネス・ラムのいた時代』(長友健二+長田美穂、中公新書ラクレ:2007、2、10)

正直に告白します、表紙の長友カメラマン撮影の「アグネス・ラムのカラー写真」だけで、この本を買いました。別に、内容はどうでもいいです。だって「アグネス・ラム」だもん、当時の。すごいです。かわいいです。

そうして、そういったアイドルのグラビア写真から「ヌード写真とロマンポルノが熱かったころ」「映画俳優との出会いと別れ」「渡辺プロの絶頂期」「フォークソング、キャンディーズ、そして八○年代へ」というふうに、時代を振り返っていく・・・アグネス・ラム、ピンク・レディー、キャンディーズ、山口百恵・・・生の証言者としての「ホンモノ」が伝わってきます。この本は2007年に出ていますが、その直前に亡くなった長友さんへの「弔問の意味を込めた本」だと思います。合掌・・・。


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(2009、11、23読了)

2009年12月14日 12:26 | コメント (0)

新・読書日記 2009_223

『日本流ファシズムのススメ』(田原総一朗・佐藤優・宮台真司、ぴあ・エンジン01選書:2009、10、10)

「ぴあ」がこんな本を出しているんだ!と新発見。田原総一朗と、佐藤優・宮台真司の対談集。これを読む問「田原さんの時代、もう終わったな」と感じさせられる。逆に佐藤優のスゴサが伝わってくる。

そんな中でも「へえーそうなの?」と思わされたのは、ムッソリーニの「ファシズム」は、ヒットラーの「ナチズム」とも違うということ。そして今後、日本が目指すべき政治形態は、ムッソリーニ型ファシズムである」であるという話。ムッソリーニのファシズムが、一体どんなものであったかに関しては、よく知らないのだが、ちょっと本を読んで勉強してみようかな・・・という気にさせられた一冊。


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(2009、11、16読了)

2009年12月13日 12:00 | コメント (0)

新・読書日記 2009_222

『豊田泰光のチェンジアップ人生論』(豊田泰光、日経新聞社:2006、4、20)

日経新聞の木曜日のスポーツ欄に連載しているコラムをまとめたもの。いま、新聞の連載コラムの中で、一番質が高くておもしろいと毎回「ムーン」とうならされるのは、豊田さんのこのコラムです。それをまとめた本が出ているとは知りませんでした。

何と大阪・京橋の「ブックオフ」で見つけて購入。さすがに深いですなあ、豊田さん。この本は一読の価値、大ありです!

 


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(2009、11、29読了)

2009年12月12日 20:05 | コメント (0)

新・読書日記 2009_221

『ちびくろさんぼのおはなし』(へれん・ばなーまん さく・え、なだもとまさひさ やく、径書房:1999、5、20)

「ちび黒サンボ」です。もう20年近く前ですか、「ちび黒サンボは、黒人差別だ!」と、黒人ではない大阪・堺の家族が組織する団体に糾弾されて岩波書店が絶版にしてしまい、各出版社が「右へ倣え」になって、「ちび黒サンボ」が消えてしまいました。その後、そういう風潮も薄れたので、「普通に考えたら、OKやろ」ということになって「復刊」したのが、もう10年前なんですね。20世紀末にようやく、イーブンの状態になったと。

うちの子どもに読んでやっていて、「あ!そうか!!」と思ったのは、当然「さんぼ」はイギリスの植民地時代の「インド」で、その「さんぼ」から傘や靴や服を取り上げる「トラ」は、いわゆる「列強」諸国であると。ということは、その「トラ」がお互いの覇権を争いながらグルグル回ってバターになっちゃって消滅する、というのは「帝国主義の終焉」を意味しているのだなと。そうして「帝国主義→資本主義(パックス・アメリカーナ)」の後に来るのは、「インド」であると。『BRICs』ですね、つまり。そこまで見通した物語なのかなあ、と深読みしてしまいましたとさ。なだもと先生は京都産業大学先生でしたね、たしか。

 


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(2009、12、8読了)

2009年12月12日 20:03 | コメント (0)

新・ことば事情 3769

「『天声人語』の始まり」

年末です。大掃除です。ちょっとずつ、やっています。

昔集めた資料が出てきました。その中から、終戦後すぐの時の「朝日新聞」の縮刷版のコピーが見つかりました。たしか、大阪の中之島の図書館でコピーしたものです。なんでこれをコピーしたんだろうな・・・あ、そうか朝日が国民に向けて「宣言」をしたんだっけ。

「宣言 國民と共に立たん~本社新陣容で『建設』へ」

という見出しの記事・宣言(昭和20117日)について調べていた時のことでした。そのついでにコピーされたらしいものも見つかりました。今回はその話。

昭和2095日の新聞の1面下を見ると、そこのコラムのタイトルが、

「神風賦」

とあったのです。あれ?この位置の「コラム」は、

「天声人語」

じゃないのか?と思って、いつから「天声人語」が始まったのか、調べてみると、6日の新聞は、

「天馨人語」

になっていたのです。もっとも「右から左への横書き」なので、

「語人馨天」

と書かれていましたが。そして読みにくいその活字を読んでいくと、最後の4行に、

「首相宮殿下は、特に言論洞(とう)開を強調遊ばされた。この御言葉を戴(いただ)いて、本欄(らん)も『天馨人語』と改題(だい)し、今後ともに●●の誠心を吐露せんとするものである。」

ちょっと印刷(コピー)が潰れてしまって読み取れないところ(●●)もありましたが、そういうことだそうです。ルビは横に振ってあります。やはり「神風特攻隊」などと使われた「神風」を戴いた「神風賦」は、敗戦後にはマズイということもあったのでしょう。

でも改題が、ポツダム宣言受諾(敗戦・終戦)の815日ではなく、それから3週間近く経ってということは、やはりゴタゴタがあったからでしょうか。それ(改題)どころではなかったのかも。

それとも、実際に「敗戦」が確定したのは、ミズーリ号の艦上で降伏文書に調印をした、

92日」

なので、それを待ってその5日後に、素早く動いたということでしょうか。

また、「東久邇宮首相」が皇族なので、その呼び方が、

「(東久邇)首相宮殿下」

というのも、

「『宮』は、そこに付くのか!」

と新鮮でありました。

                      (2009、12、11)

 

(追記&訂正)

「天馨人語」と書いていた「馨」、変換ミスです。すみません。正しくは、

「聲」

下が「耳」です。早稲田大学非常勤講師の飯間浩明さんからご指摘いただきました。ありがとうございます。また飯間さんは「たまたま」(!)その朝日新聞の縮刷版を持ってらして、私がコピーが不鮮明で読み取れなかった「●●」が、

「匪躬(ひきゅう)」

と書かれていることも教えてくださいました。重ねてありがとうございます。

これは読めないなあ。そもそも印刷の文字がつぶれてしまってたし。

「匪」「悪い奴」のイメージがありますね、「匪賊」という言葉は知っています。「躬」は「つくり」から「きゅう」と読めるかもしれないけど、ウーンどうだろ。意味は?

飯間さんもこの言葉は、初めて知ったそうです。『三省堂国語辞典』の編集にあたっている飯間さんが知らない言葉なんですから・・・。その飯間さんによると、

「『蹇蹇匪躬』ということばが戦時中の『明解国語辞典』に出ていますが、戦後の改訂版では削られています。」

とのこと。これ、なんて読むのかな?「ひんしゅく」みたいな感じだな。「顰蹙」おお!「ひんしゅく」で変換したら漢字が出ました。絶対書けないけど・・・でも、違うみたいですね。下の部首を読むと「そく」かな。「そくそくひきゅう」かな?

とりあえず「匪躬」を『精選版日本国語大辞典』を引いてみました。

「匪躬」(「匪」は「非」と同じ。「易経―蹇卦」の「六二、王臣蹇蹇、匪躬之故」による)わが身を顧みないで主君のためまたは国のために忠義を尽くすこと。」

とありました(用例略)。漢文をほとんど勉強していないからな、わたしたち世代は。高校までだし。これは「漢和辞典」を引かないと・・・ということで弾いてみたら・・・分かりました、この感じの読みは、

「けん」

でした。意味は「あしなえ。足が伸縮しないで不自由なこと」。「とどこおる。すらすら進まない。動きがわるい。また、すなおでない」「にぶくて足のおそい馬」「かかげる。衣服の上にあげる」という意味。つまり、『蹇蹇匪躬』は、

「けんけんひきゅう」

と読むのですね。こちらの意味は、

「家来が苦労をかさねて主君のために尽くす。」

という意味だそうです。

しかし、この時点ではまだ新しい「日本国憲法」は公布も施行もされていないから、「大日本帝国憲法」が有効ですよね。そうすると、「わが身を顧みないで、主君のためまたは国のために忠義を尽くす」の対象(=主君)は「天皇」?「国民」が「家来」?

それとも占領下なので、「大日本帝国憲法』は効力を停止していたのか?でも「天皇」は存在したし執行停止にもなってなかったですよね。ですから194611日に「天皇」が「人間宣言」もしてるんですよね?

うーん、難しい。

 

 

 

 

(2009、12、15)

2009年12月12日 19:22 | コメント (0)

新・読書日記 2009_220

『警察庁から来た男』(佐々木譲、ハルキ文庫:2008、5、18第1刷・2009、10、24第21刷:単行本は2006、12)

 

このシリーズ、『笑う警官』に次いで2冊目。『笑う警官』は、単行本の段階では『うたう警官』というタイトルだったらしい。それを文庫化する際に改題したと。「うたう」は「自白する」「告白する」「密告する」「チクる」の意味。その方が、本の内容にあっていたのに、なぜ変えたんだろう?意味が分からなくなってしまいました。それに、海外探偵小説で同じ題のものがあった(このことは、著者ご本人もあとがきで書いていて、"オマージュだ"と書いていますが・・・)

さて、途中まで読んで思ったこと。

「北海道警が舞台なのに、北海道弁が出てこない...なぜ?著者は札幌生まれなのに。」

そして、「敷居が高い」という表現に関して、札幌ジャイアンツという北海道警察の野球チームのことをさして、

「やや敷居が高い団体です。ノンキャリアの警官たちは、多少羨んでいるところがありますね。メンバーにはいろいろ面倒見がよいらしいですから」(257ページ)

と出てきましたが、本来の使い方と違うよなあ。

お話は・・・ぼくは「笑う警官」よりは、よくできていると思いました。シリーズ、第4作まであるそうです。

 

 

(☆☆☆☆)


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(2009、12、2読了)

2009年12月11日 19:53 | コメント (1)

新・ことば事情 3768

「高座のアクセント」

円楽さんが亡くなったニュースの関連で、今年よく出てきた「落語」の言葉に、

「高座」

があります。そのアクセントですが、

(A)コ\ーザ(頭高アクセント)

(B)コ/ーザ(平板アクセント)

のどちらでしょうか?

私は、以前はBの

「コ/ーザ」

という「平板アクセント」で読んでいました。しかし、どうやらもともとはAの

「コ\ーザ」(頭高アクセント)

だったようです。『NHK日本語発音アクセント辞典』には「頭高アクセント」「コ\ーザ」しか載っていません。そこで「ミヤネ屋」でも「頭高」で読むようにしましたし、各アナウンサーにも、そのように指示しました。

しかし、三省堂の『新明解日本語アクセント辞典』には、「新しいアクセント」として2番目に、

「コ/ーザ」(平板アクセント)

が載っています。どうしましょ?

先日開かれた「新聞用語懇談会・放送分科会」で、このアクセントをどうしているか、各社に聞いたところ、

*「コ\ーザ」(頭高)とする社=NHKNTV、フジテレビ、テレビ東京

*「コ/ーザ」(平板)が多い社=TBSABCKTV、テレビ大阪、ニッポン放送

というふうに分かれました。中でも注目は、MBSの委員から、

「江戸落語は『コ\ーザ』と頭高だが、上方落語は『コーザ』と平板」

というふうに、関東と関西で違うのではないか?という意見が出たことでしょう。

ただ、江戸の噺家さんでも、若い人は「平板アクセント」の「コ/ーザ」を使う人もいるようで、21世紀の現在、ものすごくアクセントが揺れている言葉のようです。

『NHKアクセント辞典』の改定作業を進めているNHK放送文化研究所の委員は、

「次のアクセント辞典の改訂でも頭高の『コ\ーザ』にする」

と話してらっしゃいました。

(2009、12、11)

2009年12月11日 19:09 | コメント (0)

新・ことば事情 3767

「二塁打王」

阪神タイガースの赤星選手が電撃引退を表明129日午後5時)することになった、その日の朝のサンケイスポーツに、「新助っ人」としてマット・マートン外野手(29を大リーグ・ロッキーズから獲得することが明らかになったと載っていました。思えばこれも赤星選手の引退が決まったことと、リンクしていたのでしょうね・・・。

そのマートン選手を紹介した記事の見出しにこんな文字が。

「米の二塁打王」

え?「二塁打王」?「本塁打王」は聞いたことがあるけど「二塁打王」ってあるんでしょうか?そんな呼び方。

Google検索(1210日)では、

「二塁打王」=4170

でした。まあ、結構ある・・・といえばある、かなあ・・・。

ちなみに、

「本塁打王」  =109000

「ホームラン王」=104000

「ツーベースヒット王」= 0件

「三塁打王」     =1900

でした。やはり「本塁打王」の方がなじみがありますね。でも「三塁打王」よりは「二塁打王」の方が件数、多いんだなあ。

(2009、12、10)

(追記)

Yahooでも検索してみましょう(1211日)。

「二塁打王」     =    8130

「本塁打王」     =  1050000

「ホームラン王」   =  870000

「ツーベースヒット王」=      0

「ツーベース王」   =      28

「三塁打王」     =     1600

こちらでは「二塁打王」の件数は倍増したけど、「本塁打王」の件数は10になったので、使用頻度の差は広がりましたね。

 

(2009、12、11)

2009年12月11日 13:45 | コメント (1)

新・ことば事情 3766

「子ども手当て」

民主党がマニフェストに掲げた「子ども手当て」ですが、やはり「財源」の問題で揺れています。「無い袖は振れない」ということで、国民が納得するかどうか・・・。財源が「無い」可能性があることをマニフェストでうたっていたか?ということです。無駄遣いを減らして財源を「作る」ことは十分可能だと言っていたのは誰?国債発行に関しても同じことが言えますね。「マニフェスト=政権公約」に違反すると言われても仕方がないでしょう。

おや、どこからか、こんな声が・・・・

「でも皆さん、もう一度、よおーーーーく、民主党のマニフェストを見てください。そう、『子ども手当』のところです。よおーーーーく目を凝らして見てください、虫眼鏡をお使いいただいても結構です。ホラ『子ども』と『手当』の間に小さな小さな小さな文字で、こう書かれているのにお気づきになりませんか?そう、

『店長』

の2文字が。そうなんです、国民の皆さん、『子ども手当』じゃあなかったんです、最初から。わたくしたちがお訴えしてきたのは、

『子ども店長手当』

だったんです。文字が小さくてお気づきにならなかった方が多かったのは、大変遺憾ですが、そういうことで、この手当は『加藤清志郎クン』にはもれなく差し上げます。これで、財源の2兆ウン千億円を節約することが出来ました。ありがとうございます、『子ども店長』!」

鳩山政権発足から3か月、そろそろ「ハネムーン期間」が終了します。

(2009、12、10)

(追記)

「店長」のほうの表記は、「子ども」ではなく「こども」でした。55日の「こどもの日」と同じですね。

(2009、12、11)

2009年12月11日 10:47 | コメント (0)

新・ことば事情 3765

「1500万円のアクセント」

鳩山由紀夫総理母親から、

「月々1500万円」

累計で9億円とも11億円とも言われるお金を、「知らないうちに」もらっていたことが報道され、弟の邦夫・元総務大臣も、同じように「月1500万円」をもらっていて、

「生前贈与に当たるというなら払う用意がある」

とコメントしていました。これが事実なら払うのは当たり前ですから、

「偉そうに言わなくても・・・」

ということはさておき、また内容の是非(「是」があるのか?)はともかく、注目したのはこの1500万円」のアクセントです。これまでアナウンサーは、

「セ\ン・ゴ/ヒャクマ\ンエン」

というふうに「セン(1000)」の部分と「ゴヒャクマンエン(500万円)」を分けてアクセントの山が2つ(1つ半?)できるような読み方をしてきたと思います。今もそれが正しいと思うのですが、最近よく耳にするのは、

「セ/ンゴヒャクマ\ンエン」

というふうに、つなげて読む、アクセントの山が1つの「中高アクセント」、いわゆる「コンパウンド」された形の読み方です。これが平然と行われています。アクセントは、時代とともに言いやすいように変わるものですから仕方がないのかな、と思っていましたが、今回の"事件"に関連して出てきた「1500万円」で「ハッ」と気付きました。

「中高アクセント」で「コンパウンド」することによって、実は重要な変化が現れてしまうのです。

ここで皆さんに質問です。

「①セ\ン・ゴ/ヒャクマ\ンエン」と「②セ/ンゴヒャクマ\ンエン」

どちらの方が、金額が高く聞こえますか?

・・・・おそらく、

「①セ\ン・ゴ/ヒャクマ\ンエン」

の方が金額が「高く」、

「②セ/ンゴヒャクマ\ンエン」

の方が「安く」感じるのではないでしょうか?

これはそもそも「コンパウンド」は、「その言葉をよく使うことにより、言いやすい形にする」ことで起きているのですから1500万円」という言葉をよく使うと、コンパウンドするようになるのです。

「万」を取った形の1500円」のアクセントに関しても、皆さんはコンパウンドした、

「セ/ンゴヒャク\エン」

の方がよく使われていませんか?昔は、

「セ\ン・ゴ/ヒャク\エン」

と言っていたのに。これは1500円」という言葉を、つまり金額を、よく使うようになったからですね。つまり、

「『1500円』の価値が(昔に比べて)相対的に下がっている」

ことを示しているのではないでしょうか?

「セ\ン・ゴ/ヒャク\エン」

というと、たとえコンビニで払うとしても、うやうやしく(?)「千円札」と「五百円玉」を出す感じですが、

「セ/ンゴヒャク\エン」

だと、

「すみません、一万円札でお釣り下さい」

という感じにならないでしょうか?感覚的に。

ここで問題なのは1500万円」、母親からもらっていたというそのお金の価値が、「コンパウンド」して読むことによって下がってしまうのではないか、

「大した額じゃ、ないじゃん」

というイメージを与えてしまうのではないか?という問題です。

昔であれば1500万円=千五百万円」は、「一」をつけて重々しく、

「一千五百万円(イ/ッセ\ン・ゴ/ヒャクマ\ンエン)」

と読まれたことでしょう。(この間、私は「ミヤネ屋」の中でのこのニュースの金額は「一」をつけて読みましたが。)

このアクセント変化は、価値のインフレ(価値の相対的下落)を示していると思いますが、それをさらに加速させるような読み方をこのケースではするべきではない、といううのが私の意見ですが、いかがでしょうか?

ちなみに、新聞用語懇談会放送分科会去年秋にまとめた『放送で使用する助数詞』の冊子では、15という数字とそれと結合した助数詞のアクセントに関して、最近よく耳にするアクセントパターンに警鐘を鳴らしています。それは、

15本」「15人」「15個」

といった言葉で、やはり「コンパウンド」した「中高アクセント」の、

「ジュ/ーゴ\ホン」「ジュ/ーゴニ\ン」「ジュ/ーゴ\コ」

というアクセントです。本来は、

「ジュ\ーゴホン」「ジュ\ー・ゴ/ホン」

「ジュ\ーゴニン」「ジュ\ー・ゴ/ニ\ン」

「ジュ\ーゴコ」「ジュ\ー・ゴ\コ」

といったアクセントが使われていたものですが、最近急速に「コンパウンド・中高アクセント」が広がっています。これに関して、備考欄で、

「最近増えているが、標準にはふさわしくない」

という注意書きをしています。この「15」と同じようなアクセント変化が、「1000」台の「1200」「1300」「1400」「1500」・・・というところで、急速に広がっているというのが2009年末の現況です。1000」台のアクセントにも「注意書き」をすべきだったと思います。去年の段階では、それほどは目立っていなかったように思うのですが・・・。

                      (2009、12、9)

(追記)

1211日本テレビ『ニュースリアルタイム』で原稿を読んでいた今野キャスターが、盗まれた金額の、

15万円」

を、最初は、

「ジュ\ー・ゴ/マンエン」

正しく読んだのに、思い直したように、

「ジュ/ーゴマ\ンエン」

読み直してしまいました。いまや「コンパウンド」した読み方の方が主流、ということでしょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

(2009、12、11)

2009年12月10日 10:29 | コメント (1)

新・読書日記 2009_219

『トランシルヴァニア・モルダヴィア歴史紀行~ルーマニアの古都を歩く』(内藤陽介、彩流社:2009、11、5)

内藤さんの「切手紀行シリーズ第2弾」の本書、贈ってもらいました。ありがとうございます。

 

読売テレビ「ベストヒット歌謡祭」で司会を務めた宮根誠司さんが、「関ジャニ∞」の紹介の時に、「コマネチ」をやった。ビートたけしさんのギャグのポーズだ。コマネチ・・・モントリオール五輪の「10点満点」、白い妖精。彼女がアメリカに亡命したのは、チャウシェスクの次男から愛人になれと言い寄られたからだった・・・それも、もう20年前の話か。チャウシェスクの哀れな遺体を、衛星テレビか新聞の写真でか見たのが、ちょうど20年前の1989年。たしか「高校サッカー」の取材で出張していた静岡あたりのビジネスホテルだったような気がする。世界が動いた年だった。

 

 

その「コマネチ」をめぐる記述の部分と、後半の「モルドバの牛探し」も、テーマ性があってよい。

 

全体的にカラー写真が本当にふんだんで、文章は専門的で難しい部分も多いのだけれど、写真を見ているだけで楽しい。たくさん出てくる教会の写真が、ドイツのゴチックやイタリアのロマネスクと違って、ちょっとロシア正教会風というかイスラム寺院風というか、丸いドーム型なのが独特。

『地球の歩き方』よりも地球を歩いていて、その意味で最新の情報も確実性が高いようだ。次はスペイン、巡礼の道・銀の道で、聖ヤコブの「ホタテ貝」のマークを追い掛けるとか、いかがでしょう?切手の図案になっているかどうかはわかりませんが...。

 

ということでルーマニアにちょっと注目していたら、今、大統領選挙が行われているんですね。(127日の新聞)それで、候補者2人の得票率がともに50%前後で、両陣営とも「勝利宣言」をしたとか。どうなっちゃってんだろ?


star3_half

(2009、12、6読了)

2009年12月 8日 12:45 | コメント (1)

新・読書日記 2009_218

『名言の正体~大人のやり直し偉人伝』(山口智司、学研新書2009、8、4)

エジソンを始め、ゲーテ、ヒポクラテス、パスカル、ニュートン、福沢諭吉、西郷隆盛、聖徳太子・・・正に「世界の偉人」の名言、有名な言葉を集めているのだが、それを従来の解釈で紹介するのではなく、意外な一面・・と言うより、これまでの一般的な捉え方は実は間違い(一面的でしかない)というような事を解き明かしていく一冊。「え!そうだったの?」ということが、いっぱい出てくる。

ただ、拙著『スープのさめない距離』(小学館)とちょっとコンセプトが似ているところもあって、全く私と同じ視点から書かれている部分も。たまたまだとは思うが。参考文献の中に私の本は入っていないが、この本が出たのは、私の本が出てから2年近くあとなので、「もしかしたら見たのでは?」とちょっと思わなくもない・・・。ま、いいか、そんなこと。

なかなか勉強になる一冊です!

 


star3_half

(2009、11、14読了)

2009年12月 7日 20:59 | コメント (1)

新・ことば事情 3764

「彼女らと彼たち」

もう半年前になりますが・・・今年5月、『ミヤネ屋』のスタッフから質問を受けました。

「『彼女たち』という言葉はよく使いますが、あまり『彼たち』とは言わないような気がするんです。その代わりに『彼ら』は良く使うんですが。なぜ『彼たち』はあまり言わないんでしょうか?」

 

それは気づかなかった。でも確かに「彼たち」ってあんまり言わない。それよりは「彼ら」を使うし、逆に「彼女ら」は使わず「彼女たち」を使う気がします。ネットでGoogle検索(2009520日)したら、

「彼女たち」=  10600000

「彼女ら」 =  654000

「彼ら」  =  18500000

「彼たち」=    25800

でした。実感どおり「彼ら」「彼女たち」は使われているけれど、「彼女ら」「彼たち」はあまり使われていない(相対的に)。なぜだろう?

「彼女ら」は関西弁のちょっと改まったしゃべり方では出てくる気はします。また「彼たち」は女性やニューハーフの人たち(「女性性」の持ち主)は、使うような気がします。

うーん、♪なんでだろう~なんでだろう?(先日の「流行語大賞」で、少し前の「流行語」を特集していたので・・・)

一応、現在のネット状況、検索しておきましょう。(123日現在)

「彼女たち」=  1120000件(←10600000件)

「彼女ら」 = 2800000件(← 654000件)

「彼ら」  =  9010000件(←18500000件)

「彼たち」=    2 9200件(←  25800件)

ということです。

あれ?「彼女たち」と「彼ら」が激減!ヒトケタ減っている!「彼女ら」が4倍増で「彼女たち」の倍以上も使われている!「彼たち」は横ばい・微増。ちょっと数字が動き過ぎの気がするなあ。

(2009、12、3)

2009年12月 3日 22:20 | コメント (0)

新・ことば事情 3764

「彼女らと彼たち」

もう半年前になりますが・・・今年5月、『ミヤネ屋』のスタッフから質問を受けました。

「『彼女たち』という言葉はよく使いますが、あまり『彼たち』とは言わないような気がするんです。その代わりに『彼ら』は良く使うんですが。なぜ『彼たち』はあまり言わないんでしょうか?」

 

それは気づかなかった。でも確かに「彼たち」ってあんまり言わない。それよりは「彼ら」を使うし、逆に「彼女ら」は使わず「彼女たち」を使う気がします。ネットでGoogle検索(2009520日)したら、

「彼女たち」=  10600000

「彼女ら」 =  654000

「彼ら」  =  18500000

「彼たち」=    25800

でした。実感どおり「彼ら」「彼女たち」は使われているけれど、「彼女ら」「彼たち」はあまり使われていない(相対的に)。なぜだろう?

「彼女ら」は関西弁のちょっと改まったしゃべり方では出てくる気はします。また「彼たち」は女性やニューハーフの人たち(「女性性」の持ち主)は、使うような気がします。

うーん、♪なんでだろう~なんでだろう?(先日の「流行語大賞」で、少し前の「流行語」を特集していたので・・・)

一応、現在のネット状況、検索しておきましょう。(123日現在)

「彼女たち」=  1120000件(←10600000件)

「彼女ら」 = 2800000件(← 654000件)

「彼ら」  =  9010000件(←18500000件)

「彼たち」=    2 9200件(←  25800件)

ということです。

あれ?「彼女たち」と「彼ら」が激減!ヒトケタ減っている!「彼女ら」が4倍増で「彼女たち」の倍以上も使われている!「彼たち」は横ばい・微増。ちょっと数字が動き過ぎの気がするなあ。

(2009,12,3)

2009年12月 3日 22:20 | コメント (2)

新・ことば事情 3763

「かじってぇー、耳...」

「かじってぇー、耳・・・」

朝、隣に座る若い女が、甘い声でそう言う・・・・

なーんて書くと、よからぬコトを想像する人がいるかもしれませんが、これは毎朝、わが家で繰り返される光景です。

 

そうです、お気づきの方、あなたが正解!

 

保育園児の娘(4歳)が、私に、トーストの「パンの耳」をかじってほしいとねだっている光景なのです。

トーストをこんがりと焼いた時に、パンの耳(ふちの部分)は、幼児にとっては硬くて、あまりおいしいものではない。内側の柔らかいバターが染み込んだ部分がお目当てなので、縁の「耳」を、お父さんにかじってほしいとねだっているのです。

言葉って、そこだけ取り出すと、とんでもないことになりますよね。状況・文脈だが大事ですね。

師走の忙しい時に、何を考えとるねえ、おれ。

 

(2009、12、1)

2009年12月 2日 16:19 | コメント (1)

新・ことば事情 3762

「サイボウ」

 

1123日の「情報ライブミヤネ屋」で、三遊亭円楽さんのお別れの会での、弟子の楽太郎さんのコメントを放送しました。その際にコメントの中に出てきた

「サイボウ」

という言葉、漢字で書くと、「細胞」か?「才望」か?と、スタッフから質問を受けました。文脈は次のようなものです。

「これからも皆様方、噺家(はなしか)一人一人を可愛がってください。  

そしてその"サイボウ"が、大きく落語界を育ててください。

それが旅に病み、そして夢は枯れ野を駆け巡った、

うちの師匠・円楽の想(おも)いだと思います。」

文脈だけ見ても分からなかったので、実際に楽太郎さんが喋っている映像を聞いたら(見たら)、これは、

「才望」

だと判断しました。つまり語りかけている相手は「皆様方」ですから、それを「細胞」とは呼ばないだろうと思ったのです。

結局、それで字幕スーパーを発注して放送しましたが、うーん、こういったケースは、コメントフォロー・スーパーを作るのが難しいなあと思いました。

(2009、11、30)

2009年12月 2日 13:06 | コメント (0)

新・ことば事情 3761

「完食」

 

千葉の英国人女性の死体遺棄の容疑で捕まった市橋容疑者。逮捕から2週間絶食していたけれども、その後、急に食事を食べ出したという「ミヤネ屋」のニュース原稿で、

「完食」

という言葉が何度も出て来ました。これは「俗語」でニュースにはふさわしくないので、言い換えましたと、と担当のHアナウンサー。たしかにそうですね、「大食い選手権」あたりから出てきた「俗語」ですね、「完食」は。

ところが、辞書を引いてみると、なんと『広辞苑』第6版には載っています!

でも、『精選版日本国語大辞典』『デジタル大辞泉』『明鏡国語辞典』『新明解国語辞典』には載っていません。新しい言葉を素早く取り入れる『三省堂国語辞典』(第6版・2007)には載っていますが、やはり「俗語」となっていて、

「かんしょく(完食)」=(俗)(量の多い料理を)ぜんぶ食べてしまうこと。

とあって、普通の量の食事を全部食べることを「完食」と言うかどうかは、疑問です。

11月20日に9年ぶりの改訂版(第7版)が出たばかりの『岩波国語辞典』にも、「完食」は載っていて、

「かんしょく(完食)」=出された食べ物の全量や全種類を食べきること。

とあって、量が多いかどうかには(あまり)触れていません。「全種類」というのは「量も多そう」ですが。

岩波書店は「完食」がお好きなようです。

 

(2009、11、30)

2009年12月 2日 11:02 | コメント (1)

新・読書日記 2009_217

『笑う警官』(佐々木譲、ハルキ文庫:2007、5、18第1刷・2009、10、30第50刷!!2004年12月に単行本発行)

映画化されたことで(映画はまだ見ていないが)原作を読んでみようかなと思った。

最近、こういったパターンで、原作を読むことが多い。そうでもないと最近は、なかなか推理小説、読まないよなあ・・・

内容は、たった1日・・・いや一晩の間に謎を解いてしまうというのは、やはり「お話」だからできるので、その辺りにはちょっと現実味がない感じもするが、警察官の熱き友情のような「信頼」が描かれているのは心地良い。これの続きの小説があるようなので、読んでみようと思う。


star4

(2009、11、24読了)

2009年12月 1日 19:42 | コメント (1)