黄金列伝

月亭八方 陣内智則 月亭方正

放送内容

ハイヒール

2014年3月22日(土)
午前10:30~11:25

 今回は年表でコンビの歴史を追いながら2人の秘密に迫っていく。ハイヒールは吉本総合芸能学院(NSC)の第1期生で、同期にはダウンタウン、トミーズらがいる。陣内や方正は「1期生の皆さんの活躍を見てNSCを知り、憧れて入った」と大きな影響を受けたことを明かす。だが、意外にも「芸人になる気はなかった」という2人。女子大生だったリンゴは元々ラジオのDJ志望で、NSCにはDJコースで受験。一方やんちゃだったモモコは「竹の子族の衣装を買いにタダで東京に行きたい!」という思いだけで、バラエティ生番組「笑ってる場合ですよ!」の「お笑い君こそスターだ!」というコーナーに友達とコンビを組んで出演。それを見た吉本興業関係者にスカウトされてNSCへ途中入学した。そんな2人がコンビを組むことになるまでの経緯が明かされる。

 そして1982年、リンゴ20歳、モモコ18歳のとき、“現役女子大生と元スケバン”というキャッチコピーでデビュー。当時の漫才VTRでは、すでに達者なリンゴのツッコミに、陣内が「この時からもう“リンゴ姉さんや!”」と感心する。なにもかも正反対だった2人だが、「入り時間に遅れるときは必ず電話する」「割り勘」などのルールを決めていたという。リンゴは「元が友達じゃないからこそ、互いにきちんとルールを作ることでやってこれた」といい、リンゴは「“ハイヒール商店”を二人で経営している感じだった」と振り返る。そんな当時を知る太平サブローはVTRコメントで、「NSC1期生はデビューからすぐに仕事もあり給料ももらっていた。師匠について下積みしているほかの芸人たちからは異端児扱いされて、本人たちもしんどかったと思う」と証言する。

 デビュー2年でモモコが「エンドレスナイト」に1人でレギュラー出演が決まる。当時コンビがピンで仕事をするのは珍しかったが、相方リンゴの心境は?そして5年目にはバラエティ番組「4時ですよーだ」に出演。「ダウンタウンのファンにカミソリを送られた」と、彼らのすさまじい人気ぶりが伺える共演エピソードも飛び出す。さらに、1992年からはリンゴもその確実なツッコミの技が評価されて、ピンでのレギュラーの仕事が増え、2人は芸人として充実の時期を迎える。

 プライベートでは 1993年にモモコが結婚。テレビのお見合いがきっかけだったといわれているが、本人は「ノリでやった」といい、番組で結ばれた夫とは最初はまったく結婚する気はなかったという。それが月亭八方の妻がきっかけで結婚することになったというのだが、いったい何があったのか? そしてその2年後にはリンゴも33歳で結婚。「きっかけは阪神淡路大震災」という。現在の夫とはたった2週間の交際の末に結婚したという仰天の婚活エピソードが語られる。

 女性漫才コンビとして仕事も脂が乗り、1996年には今も続くハイヒールの代表番組「あさパラ!」と「真夜中市場~ハイヒールの眠れない夜」がスタート。「あさパラ!」についてはモモコが「当時0歳の子を子育て中で、預けるところもなかったのに“現場に子供を連れてきていいよ”といってもらえて続けられた」という。VTRでは2人と番組で共演している川合俊一と角淳一が、2人の弱点や素顔を暴く?

 一方、漫才では1995年に上方漫才大賞、1998年に上方お笑い大賞を受賞している。それまで女性コンビの漫才は結婚や恋愛ネタばかりで、ほかに何かないかと悩んでいたという。リンゴは「そんな時にNHKで毎週時事ネタをする漫才番組をやって新境地が開けた。時事ネタを入れるという自分たちの形を確立できて、自信もついた。その流れで2つの賞をいただけた」と振り返る。

  そして昨年は30周年を迎えた。「あさパラ!」の記念番組で訪れた南極では漫才を披露したエピソードや、昨年久しぶりに漫才を復活したが「実は休んでいる間も、漫才の稽古だけは続けていた」と知られざる秘話も明かす。コンビ結成当時は「こんなに長く続くと思っていなかった」という2人。モモコは「80歳になっても通販番組やって、漫才を続けていたい」と夢を語る。そんな2人が、改めて互いに「直してほしいところ」「すごいと思うところ」を挙げるが、一体どんな要望や賛辞が飛び出すのか?

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