黄金列伝

月亭八方 陣内智則 月亭方正

放送内容

2013年5月5日(日)
午前9:55~10:55

 矢野・兵動の結成は1990年。NSCの9期生で、同期にはナインティナイン、宮川大輔、ほっしゃん。へびいちご、川畑泰史らがいる。彼らが次々と売れていくなか、10年も売れない時代が続いた2人。性格も漫才に対する思いも正反対で、平行線のような彼らが、長き不遇の時代を経て、ようやくその漫才が高く評価されるようになった現在までの歴史を、その時々にそれぞれが感じていた“幸福度”を明かしながら紐解いていく。

 まずはNSCに入学した1990年は、矢野が「この先に華々しい道があると信じていた」と幸福度100%なのに対して、兵動は意外にも40%。ダウンタウンに憧れて子供の頃から芸人に憧れていた兵動は、素人時代からへびいちごの島川とコンビを組み、2人でNSCに入学したが、実力のある同期生たちを目の当たりにして「自分は芸人としてやっていけるのか」と不安でいっぱいだったという。さらに当時、兵動が一緒に暮らしていた最愛の祖母からいわれたある根拠のない一言から漫才を諦め、島川とのコンビを解散。構成作家志望に変更することに。そんな中で出会ったのが、NSCに途中入学した矢野だった。

 コンビ結成は一応その年となってはいるが、兵動は「コンビを組んだ覚えはない。気がづいたら矢野が勝手に横で“何でやねん”といっていた」ときっぱり。一方、矢野は「“事実婚”と同じ。5年以上横におったら法律的にもコンビや」と主張するが…。そんな2人の意識の行き違いは、初めてNSCで漫才をやった時に端を発していた!?同期の宮川大輔とほっしゃん。がVTRで当時の2人の様子や、そんな温度差を証言。さらに、超大物芸人の紹介でNSCに編入したという矢野の知られざる過去に、月亭八方も「知らなかった!衝撃や」と仰天する。

 ナインティナインが東京を席巻し始めた1994年。漫才のクオリティの高さは芸人仲間には知られていた矢野・兵動だが、同年にようやく彼ら初となる最高賞、YTV上方お笑い大賞「銀賞」を受賞する。これで彼らも一気に売れっ子に…と思いきや、何故か仕事が激減。兵動の幸福度は急降下する。それから営業が月に1回だけという不遇の時代が続き、当時2丁目劇場で人気だった陣内も「楽屋でどう声をかけていいのかわからなかった」と振り返る。ところが矢野の幸福度はまだMAX続き。歌好きで知られる彼は「自分の好きなことを伸ばそうと」と、苦悩する兵動を横目にボイストレーニングに通う日々。陣内は「あの頃の矢野さんは本当にやばかった。空気が読めず、周囲から“イタい”といわれていた」と証言する。そんな相方に兵動は一体どんな思いを抱いていたのか?

 さらに2000年、祖母の死で兵動の幸福度はどん底に。芸人として頑張っていこうと覚悟を決めたものの、仕事がない状況は変わらず、トータル10年間も不遇の時代が続いた。そんな中で細々と漫才ライブを続けていた彼らの評判が少しずつ高まり、さらに2004年に兵動が結婚したことで、彼の幸福度も徐々にアップ。そんな兵動が独り懸命に漫才のことを考え、もがき続ける一方で、相方・矢野がボイストレーニングに続いて新たに始めたこととは?兵動もついに「絶対ピンになろうと思った」という矢野の思わぬ行動に、月亭方正らも「イタすぎる」と呆れるばかり。だが、そんな矢野を尊敬してやまないとう奇特な後輩芸人・チュートリアル徳井がVTRで登場。「煙たがられるのも人徳」と彼の魅力を大いに語る。

 そして2006年には兵動に子供が誕生。大木こだま・ひびきのこだまにいわれたある一言で大いに発奮し、兵動は1人で月1回のトークライブを始めることに。そんな地道な活動が実を結び、2007年には兵動に「人志松本のすべらない話」シリーズへのオファーが舞込む。そこで3連続MVPを獲得する大活躍を見せ、同時に「コンビとしても流れが来た」という。現在は共に幸福度100%の2人。矢野は「ここでやっと2人の波長が合った」と胸を張るが、実は漫才で人気が上向き始めたコンビの大事な時期に、漫才とはまったく関係ないある仰天のオーディションを受けていた事実が明らかに!陣内らは「万一受かってたらどうするつもりやってん!」と非難囂々で…。さらに、方正が矢野の自宅を突撃訪問。子連れの女性と2007年に結婚した矢野の、“夫”“父”としての素顔を暴く。

 コンビでありながら常に平行線のような道を歩み、不遇の時代を乗り越えてようやく不動の人気を勝ち得た2人。今だからこそ言えるお互いへの本音、そしてこれからのコンビとしての展望とは?

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