中世から栄えた街を巡り、佐々木が見つけた肥沼の足跡とは―。出演/佐々木 蔵之介

日本を遠く離れ、時代に翻弄されながらも、ドイツの人々の命を救い続けた日本人医師肥沼信次の生き様を伝え、現代を生きる日本人に勇気と誇り、そして感動を届ける。

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佐々木蔵之介が降り立ったのは、ドイツの首都・ベルリン。この街は20世紀の歴史の舞台となった街でもある。ベルリンのシンボル・ブランデンブルク門とそれに連なっていた壁は、東西ドイツ分断の象徴だった。ベルリンを知ることは20世紀を知ることとも言える。佐々木はブランデンブルク門やベルリンの壁を巡り、第二次世界大戦の爪痕と東西ドイツの統一前後の変化を知る。

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肥沼信次がドイツに渡ったのは第二次世界大戦前夜の1937年。ノーベル賞受賞者のアルベルト・アインシュタインに憧れ、放射線医学の研究者としてドイツへの留学を熱望した彼は、29歳の時、名門・フンボルト大学への留学を果たす。佐々木は肥沼が留学した頃のドイツを知るため、当時の面影を残す大聖堂や世界遺産の博物館島を巡る。

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ヒトラー率いるナチスドイツによる独裁が進む中、懸命に学んだ肥沼。佐々木はナチスによるユダヤ人迫害の歴史を知るため、ホロコースト記念碑や、ザクセンハウゼン強制収容所などを巡る。戦況が悪化する中、肥沼はその功績を認められアジア人初の教授資格を得るかと思われたが、1939年に開戦した第二次世界大戦の戦況が悪化。彼の“アジア人初の教授資格獲得”という栄誉も戦争の混乱の中に消えることとなった。大使館からは日本人に帰国を促す指示が出る中、肥沼はドイツに残ることを選ぶ。この選択が肥沼の人生を決定づけることとなる。

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ベルリンを離れた肥沼がたどり着いたのがドイツ北東部、ポーランドとの国境に近い、古都・ヴリーツェンだった。中世から栄えたこの街を巡り、佐々木が見つけた肥沼の足跡とは―。その足跡から垣間見えるヴリーツェンの人々の肥沼への感謝。肥沼がこの街へやってきたとき、ヴリーツェンではチフスが猛威を振るっていた。十分な薬もない中、チフスに苦しむ人々の治療にあたり続けた肥沼。今もなお彼が救った命がヴリーツェンで紡がれていた。ヴリーツェンの学校を尋ねた佐々木は、肥沼に祖父の命を救って貰ったという少年、ルイスに出会う。4歳の時に肥沼にチフスを治してもらったルイスの祖父、そしてヴリーツェン市長、肥沼を知る人々との出会いの中で、彼の人柄や医師としての献身的な姿を知る。ヴリーツェンでの彼の偉業は長らく日本に伝わることがなかった。その訳とは?肥沼の没後43年目にしてその偉業が伝えられることになったきっかけとは?

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日本を遠く離れ、時代に翻弄されながらも、ドイツの人々の命を救い続けた日本人医師・肥沼信次の生き様を伝え、現代を生きる日本人に勇気と誇り、そして感動を届ける。

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