4回目の離党である。鳩山邦夫・元総務相はこれまで自民党、新進党、民主党を離党してきたが、今回また自民党を離党することになった。政権交代によって新しく出来た民主党政権は社会主義的な色彩の強い政権だとし、自民党では食い止めることが出来ないというのが自民党を離れる理由である。
自らはトップになるつもりはなく、共に自民党の谷垣総裁を批判し離党も視野に入れている与謝野元財務相と舛添元厚生労働相の2人を平成の坂本龍馬としてひっつける接着剤の役割を果たそうという考えである。今のところ2人は話は聞くという態度を示しているが、行動を共にするかどうかは分からない。金持ちの道楽だとかパフォーマンスだと批判する声もあるが、鳩山邦夫氏は記者を前に「道楽で政治はできない」と声を荒げた。
現時点では共に自民党を離党する議員はおらず、政党助成金を得ることができる政党要件を満たす5人を集めることができるかどうかは不明である。参議院選挙を考えれば4月末の連休前までに新党を作ると見られている。
消費税増税を主張する財政再建派の与謝野元財務相と、改革を続行して成長路線を目指す舛添元厚生労働相では、経済政策に対する考え方があまりに違いすぎる。また、郵政民営化に対する考え方では鳩山邦夫氏と舛添氏では違いが大きい。
政治は妥協の世界であるから、目指す政策が全く同じでなくても共に力を合わせて新党でやっていくことは可能ではあるが、新党を立ち上げる限りは、ここだけは譲れないという理念が必須である。どういう政策の旗を掲げて新党を作るのかをはっきりさせなければ、議員も集まらないだろうし国民の支持を得るのも難しいだろう。政治は数だとはいうものの、政治には大義がなくてはならない。今回の離党には残念ながら、それが感じられないのは私だけだろうか。
これまで離党を繰り返しても、何度も大臣を経験している鳩山邦夫氏は、機を見るに敏な独特の政治的嗅覚を備えたやり手の政治家だと思う。今回も、このタイミングでの離党が本人にとってはもとより、政界再編を目指すという政局的にも絶好のタイミングだと思ったのだろうか。それにしては周りの空気が少し冷めていないだろうか。
離党を受けて、民主党政権の閣僚は冷ややかな厳しい見方を示しているが、内心では自民党にまたゴタゴタが起きて喜んでいるのかもしれない。
舛添氏は離党することなく次の自民党総裁を目指すのではないかと思う。鳩山氏の離党が政界の大きなうねりになるかどうかは与謝野氏の動向にかかっているように思うが、離党の理念がはっきりしない限り与謝野氏も行動を共にするのは難しいのではないか。
政治は志である。どういう国のあり方を目指すのか、近いうちに出来るであろう新党はもちろん、民主も自民も他の野党も、もう一度原点に立ち返ってその志を国民に示してほしい。
10年3月15日(月)「#988 ハート・ロッカー」
アメリカのアカデミー賞で作品賞や監督賞など最多の6部門で受賞した「ハート・ロッカー」は思っていたとおりの映画だった。イラク戦争でのアメリカ軍の爆弾処理班の過酷な現状を描いた映画である。
アカデミー賞では史上最高の興行成績を更新中の娯楽大作「アバター」と、この「ハート・ロッカー」が作品賞や監督賞を争った。両映画の監督が元夫婦なだけによけいに注目を集めていたのだ。
「ハート・ロッカー」はアメリカ軍の兵士の活躍や苦悩などをドキュメンタリー・タッチで描いた意欲作だ。人と人が殺しあうという戦争の過酷な現実を扱っているが、女性監督だけにこれでもかという過剰なまでの暴力シーンは見られない。とは言っても、戦争の悲惨さは充分伝わってくる内容で、なぜアメリカ軍はここまでイラクに介入してイラク国民に嫌われているのかと考えさせられる内容ではある。
手持ちのカメラでの撮影が多く、画面が常に揺れているのが気になり少し疲れるが、2時間ちょっとの上映時間はあっという間に感じた。飽きさせることのないストーリー展開だ。
日本人にはなかなか実感できないことだが、アメリカでは国のために命を捧げる兵士という存在に対する尊敬がとても大きいのだ。そういった意味では、この映画がアカデミー賞で大きな評価を得たことは理解できるが、作品としてアカデミー賞の作品賞に相応しいかどうかは意見の分かれるところではないだろうか。
アカデミー賞では娯楽大作が軽く見られ、メッセージ性の強い社会派の作品が評価される傾向があるが、今回はまさにその典型だと思う。監督賞も作品賞も個人的には「アバター」にあげたかったと思う。
日本人である私はこの「ハート・ロッカー」を見て、イラク戦争に突入し泥沼にはまったアメリカの苦悩を読み取ったが、アメリカ人は国の為に最前線で働く兵士たちの勇気を讃えるのではないのだろうか。その意味では、アカデミー賞はやはりアメリカの映画賞なのだとあらためて実感させられた映画である。
きのうに続いてまたまた野球の話だ。今日は週末恒例?の息子たちの野球話である。中学生の長男の野球も春の大会に向けて毎週のように練習試合をやっているし、小学生の二男の少年野球も毎週日曜日に練習、試合をやっているので週末は2人の野球で忙しくしている。それにしても息子2人が野球に熱中してくれて父は幸せだ。
今日は朝から長男の練習試合を見に行った。それにしても長男も二男も朝起こすのがたいへんである。前の晩には「絶対起こしてな」とお願いするにもかかわらず、いざ起こす時にはさんざん抵抗するのだ。それでも野球の時にはまだましな方かもしれない。
以前にもブログに書いたことがあるが、野球に関しては長男と二男は対照的である。長男は小さい時から野球の素質には恵まれているが、あまり努力をしない。グラブやスパイクなど用具の手入れも苦手だ。これに対し二男は長男に比べると野球のセンスがいまひとつだが、コツコツと努力をする。グラブもよく手入れをしていて長男のグラブとは色合いが違っている。
長男は小学生の時の少年野球で試合に出してもらうようになってから、基本的には先発出場から外れることはなかった。いつも試合に出るのが当たり前だった。一方、二男は同級生に野球がうまい子が揃っていることもあり、なかなか試合に出る機会に恵まれずベンチを温めることが多かったのだ。
その長男が、私の知る限り初めてスターティング・ラインナップから外れたのだ。今日の試合は監督がお休みで、先発する予定だった投手が投げられなくなり急遽ショートに回ったためにショートの長男が外れたという理由はあるようだが、とにかく先発出来なかったのだ。試合を見に行っていて、長男が出ていないのを知り驚いた。途中から出場して唯一の打席では送りバントをしっかりと決め、守っていても嬉しそうだった。
事情があったにせよ、どうしても外せないメンバーではなかったということだろう。先日の試合ではトップバッターに抜擢されたが期待に応えられず、長い間ヒットも打てていないので仕方がない。長男もショックを受けているだろうなと思いつつ、帰宅した時に長男に外されたことを指摘したら嫌な顔をされた。これを機会に努力の大切さを知って欲しいと思うが、どこまで先発で外された意味を理解しているのだろうか。
一方、二男は今日も活躍した。午後から見に行った公式戦では8番ライトで先発でフル出場したが1打席しか回ってこなかった。その1打席はランナー3塁でキャッチャーゴロ。アウトになったが打点がついた。守備ではライトライナーをさばき、ライトゴロで打者を1塁でアウトにした。打撃が良くなるにつれて守備でも自信がついてきたようだ。
夕方に行われた練習試合でも8番ライトで先発出場した。2試合とも先発で使ってもらえるとは思っていなかった。最近、打撃の調子が良いのでチャンスを与えてもらっているのかもしれない。
1打席目はピッチャーゴロだったが、ランナー2塁で回ってきた2打席目では見事に左中間を破る2塁打を放って打点をあげた。今まで私が見た中では最高のバッティングだったし2塁打も初めてだった。このところタイムリーヒットをよく打っており勝負強さも身に付けてきたようだ。
そして3打席目。4対4の同点で迎えた最終回。ノーアウト満塁で一打サヨナラという絶好の場面で打席が回ってきた。調子のいいバッターには得てして美味しい場面が回ってくるものだ。打席の二男はそんなに緊張しているようにも見えないし構えも決まっている。打ちそうな予感がした。
しかし、打てそうにもないボール球が4球続き、押し出しの四球を選んでサヨナラ勝ちとなった。サヨナラヒットの絶好のチャンスだったが、打ち気に走らずしっかりとボール球を見送ったことには成長の跡がうかがえる。
自宅に帰ってお風呂に入りながら二男に「思ってたより野球センスあるかもしれんなあ」と言うと、「今まで野球センスないと思ってたん?」と返されてしまった。
さて、毎朝コツコツと私と一緒にティーバッティングをして結果を残している二男を見て、結果が出ない長男はどう感じているのだろうか。長男が努力することを覚えればまだまだ伸びると思うのだが。勉強に家の手伝いにと、このところ長男のやる気が出てきたのだが、野球に対する更なるやる気にも期待したい。毎朝、待ってるよ。
このところ、母校の大学野球部に何かと関わることが多くなってきた。母校で非常勤講師をやることになって年の半分は毎週のように母校に行くことになったのが大きな要因だ。それともうひとつ、母校の野球部で残念ながら不祥事が起き昨年の秋季リーグ戦を出場辞退したことから選手達の前で話をしたりOB会に出たりするようになった。
大学を卒業してからはや25年(四半世紀!)になるが、その間、野球部のOB会というものにほとんど出席したことがなかった。先輩方がたくさんいらっしゃるので、自分たちが出なければいけないとの自覚があまりなかったのだ。
何年か前に野球部が創部90周年を迎え、ひょんなことからその記念式典の司会を担当させていただいたことがあった。創部90年を記念して野球部史も作られOBにも配られた。たいした選手でなかった私についてはもちろん特別な記述はないのだが、海外特派員としてペルーの日本大使公邸人質事件を取材した際に、命を落とすかもしれないと現役時代の監督が心配していただいたという話が野球部史に載っている。伝統ある野球部の歴史に載せていただいて恐縮する。
大学で講義を担当するようになって、教え子の中に野球部の学生もいる。また、野球部の先輩や後輩らが大学の職員として働いているので、講義のために大学に行って時間がある際には、食事をしたりお茶を飲んだりして野球部のことについて話をすることもある。
20代や30代の頃は学生時代にお世話になった野球部の現状について考えることはほとんどなかったが、この歳になってお世話になった野球部に何か恩返しが出来たらと考えるようになった。
思えば、1991年に母校の野球部が19年ぶりにリーグ戦で優勝した際に西宮球場に取材に行き、私の大学時代の監督で当時も監督だった大先輩に優勝インタビューしたのがいい思い出だ。不祥事を乗り越えて優勝を遂げた際には、また取材に行って新監督にインタビューが出来たらなと思っている。
私のいまの会社での肩書きは報道局解説委員である。社内的にいうと部長待遇という管理職だが、報道部長や編成部長といったいわゆるライン管理職ではないので部下はいない。上司は報道局長である。
管理職といっても番組出演や取材が優先なので社内の会議に出ることもなく、部下の人事管理もないので自分では管理職だと実感することはない。
しかし管理職の一員だということで社内の管理職研修というものを受けた。たしか報道部長の時に研修を受けたことがあるが、管理職研修というものは久しぶりであった。会議の冒頭で、管理職としてどういうことを大切にしているかとの質問を受けたのだが、部下もおらず誰かを管理している訳でもないので答えに窮してしまった。
今回の研修の内容はコンプライアンスについてである。コンプライアンスというのは法令順守と日本語に訳されているが、最近では単に法律を守るということではなく、優良な組織を作り上げて社会から信頼される存在であることも求められている。
そういう意味では解説委員として生番組で社会のあらゆる事象についてコメントすることもコンプライアンスであると言える。また、他の出演者の方々が極端な意見を言った際には局の代表としてバランスをとることもコンプライアンスだろう。コンプライアンスを守るということでは重要なポジションである。
このままずっと解説委員を続けていくのか、それとも将来また部下を持って管理職として働くことがあるのか分からないが、解説委員としてのキャリアを積んでいくと共にこの仕事の面白さがますます分かっていくのだろうなと思っている。
解説委員になってからは社内の会議に出ることもなくなっているので、終日会議室に座って研修を受けるのはなかなかきつかった。毎週、大阪と東京を往復して番組に取材にと飛びまわっているのだが、久しぶりに自分も会社員なのだと実感した一日であった。多くの部下の人たちに支えられて報道部長をやっていた頃が懐かしい。
おととい、このブログで面白くない、スランプだと書いたが、早くも少々元気が出てきた。なんとも軽い性格である。もしもおとといのブログを読んで心配して下さった読者の方がいたとしたら申し訳ありません。自分でも言うのもなんだが、切り替えの速い性格である。
ブログで自分の苦しい胸のうちを明らかにしたので楽になったということもあるのかも知れない。しかし、一番大きかったのは、おとといのブログの最後にも書いたとおり、外に出て、人にあって、話を聴いたからだと思う。
昨日、今日と東京に来ているのだが、いつもながらに知り合いの方々にお声を掛けていただき今回も多くの出会いがあった。どなたにお会いしてどんなお話をしたかを書くことができればいいのだが、残念ながら具体的な事を書くことは出来ない。
きのうのお昼は、信頼している人にある政治家を紹介していただきランチをご一緒した。初対面にもかかわらず、その政治家の方に対して言いたいことを言い過ぎてしまった。相手の方は驚かれたかもしれないが、色々な政策について意見交換させていただいてたいへん有意義なランチであった。
夜は、ある企業の集まりに顔を出したが、そこでたいへんお世話になっている2人の方に偶然、お会いした。1人の方は私が尊敬する人生の大先輩で、私が解説委員になった際に、このブログのタイトルにもあるとおり「無難でなくやりたい様にやってはどうですか」と励ましてくださった方である。久しぶりにお会いして、色々とお話を伺うことが出来てよかった。力をいただいた。
もう1人の方は、知り合いの方からある勉強会で紹介していただいた方である。この方にも本当にお世話になっている。あらゆる機会を通じて私に様々な業界の方々を紹介して下さるのだ。今まで私がお知り合いになる機会が少なかった業界の方々が多いこともあって本当に勉強になる。
その方に久しぶりにお会いしたのだが、またきのうも何人かのお知り合いの方をご紹介していただいた。その中の一人の方は、10年以上前の海外特派員時代にロサンゼルスで開かれた知人の結婚式でお会いした方だった。失礼ながら、私はお会いしたことを忘れていたのだが、その方は何度かテレビを見てくださっていたようだ。
次から次と人の輪が広がって、お会いする人ごとに力をいただくような気がする。たいした取材力もなく、原稿もうまくない私がこの世界で何とかやっていられるのも、こうした方々に支えられているおかげである。ありがとうございます。
具体的なお名前はもちろん、その方々のお仕事も書けないので読者の方々は何のことやら分からないと思うがお許しください。
という訳で、だいぶ元気になりました。
久しぶりに(事業仕分け以来か?)、政権交代を実感させる出来事だった。日本への核の持込などを巡って日本政府とアメリカ政府との間で密約があったかどうかを調べていた外務省の有識者委員会が、3件の密約があったとする報告書を岡田外相に提出した。
長年に亘って歴代の首相や外相がないとしてきた密約があるとされたことで、政府がこれまでの政府見解を変えることになる異例の事態だ。政権が交代しなければ決して実現することのなかった画期的な出来事である。
今回、委員会が調べていた密約の可能性があるケースは4つあった。このうち、朝鮮半島で有事があった際に米軍が日本政府との事前協議なしに在日米軍の基地から出撃するという件では、それを示す日米政府の合意文書が確認され密約があったと認定された。
また、核を搭載した米軍艦船が日本の領海を通過したり日本に寄港したりした場合は事前協議の対象にせず黙認するという件ではそれを裏付ける文書は発見されなかったものの日米政府の間で暗黙の合意があったとして、また、沖縄返還の際に米軍基地の原状回復に必要な費用を日本政府が肩代わりしたという件では日本が肩代わりした事実を認定し、いずれの場合も広い意味での密約があったと判断された。
一方、核抜きとされた沖縄返還後も有事の際に米軍が核兵器を沖縄に持ち込めるという件では、当時の佐藤首相とニクソン大統領の署名入りの合意文書が佐藤元首相の自宅から見つかり本物と判断されたが、この合意は以後の首相には引き継がれておらず密約にはあたらないと認定された。いくらその後の首相に引き継がれていないといっても時の首相が署名した文書があるのだからこれこそ密約ではないかと思うし委員会の判断には疑問が残る。
日本政府は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則をずっと守り続けてきたが、このうち「持ち込ませず」が守られていないにもかかわらず代々の政権が国民に対して嘘をつき通してきたという可能性が高い。これについて岡田外相は「核持込がなかったと言い切ることはできない」と述べたが、今後も非核三原則は堅持することを明らかにした。
冷戦構造の真っ只中で、核兵器を拒絶する国民感情に配慮しつつアメリカの核の傘の下で日本の安全を守るという難しい判断を迫られた当時のリーダーたちの決断は理解できるし、外交には明らかにすべきでない事柄もあるので密約を結んだことも分かる。しかし、どこかの時点で判断を修正して、国民に対して真実を明らかにする必要があったのではないだろうか。
今回の調査の過程で、あるべき文書がいくつか発見されなかったが外務省によって廃棄された可能性が高い。これは重大な問題である。極秘情報が含まれる外交文書も30年後には原則公開されることが決まっているのだから、後世の歴史の検証に耐えうるように外交文書をしっかりと保存することは当然である。
非核三原則についても、核兵器を持たず、作らずというのは守るべきだと思うが、日本の領土に持ち込んで配備するというのではなく領海の通過や寄港については認める方向で検討しても良いのではないか。せっかく歴史的な検証を行ったのだから、今回の検証を日本の安全保障を考えるきっかけにして将来に向けて正すべきところは正すべきではないだろうか。
「ミヤネ屋」でツイッターに関する特集をやった際に、ポロッと言ってしまった。ツイッターもそうだしブログもそうかもしれないが、本来は何かを表現するという目的を実現するためのツール(道具)であるのに、それをやり続けること自体が目的になっている場合もあるのではないかというコメントをした。自分自身についてである。
このところブログを毎日更新することに苦しんでいる。あまり弱音は吐きたくないのだが、本当のことだから仕方がない。客観的に見て、書いている内容が面白くない。書いている本人が言うのだから間違いない。ニュースの解説も、家族ネタも、個人の趣味ネタも、どれもキレがない。
解説委員になって会社の担当者からホームページに文章(当初はブログではなかった)を書きませんかと言われて、いい機会だと思ってやらせてもらうことにした。書くかぎりは毎日書こうと思い、週末も含めて一日も欠かさず更新することにした。友人からは、長く書き続ける秘訣として毎日更新することに拘らない方がいいとアドバイスされたが、書き始めた以上は意地でも毎日書こうと決め今日まで続いている。
お蔭様でもうすぐ1000回を迎えるが、ここにきてスランプである。野球と一緒で、そろそろスランプかなという自覚はあった。書いている内容もそうだが、書いている自分の気持ちも楽しくないのだ。ここが問題なのだ。
冒頭で書いた話に戻るが、何かを表現したいという気持ちがあるからこそブログを書くのである。表現したいことがなければ書くのが辛くなるのは当然である。表現したいことがない訳ではないのだが、何かを書きたいという気持ちよりも、とにかく一日も欠かさず書き続けるという気持ちのほうが強くなっている様な気がする。まさに、手段が目的化しているのではないか。
うだうだと理屈を書き連ねているが、要するに書いていて面白くないのだ。書いている本人が面白くないものをブログにアップしていいのか。そんなものを読者の方々に読んでいただくのか。思考がだんだんと後ろ向きになってきた。いかん、いかん。
自宅で書くことが多くなったのも原因の一つかもしれない。自宅に出来るだけ仕事を持ち込まない主義なのだが、自宅で書かなければ毎日の更新はほぼ不可能である。家で書くことがだんだんと重荷になってきているのも事実だ。
もうひとつの考えられる原因。書いているともっと面白いもの、もっと読者の方々に喜んで貰えるものをという欲が出てくるが、それに応えるだけの筆力が残念ながらない。もっと過激なことを思い切って書けば気持ちも晴れてスカッとするかもしれないが、立場を考えると無理だし、そもそもそんな事を書くつもりもない。
あ~、どうするかな。大学の野球部で打てなくなった時は、とにかく走って汗かいてバットを振り込んだ。もっともっと外に出て、人に会って、話を聴いて、議論して、知識や情報を蓄えたい。やるぞ~。無難でなく。
自分も出演している番組で放送しながら言うのもなんだが、そっとしておいてあげたほうがいいような気もする。こんなことをブログに書くと番組のスタッフに怒られそうだが。
皇太子ご一家のお世話をする宮内庁の東宮大夫が、皇太子ご夫妻の長女である愛子さまが腹痛や学校生活の強い不安感を訴えて学習院初等科を欠席されていると記者会見で発表した。その理由について、同じ2年の違うクラスの複数の男の子が乱暴なことをしていると明らかにしたからメディアが大きく報じることになった。皇族が通う学校内でのトラブルについて記者会見で明らかにされるのは異例ではないか。
東宮大夫の会見によると、愛子さまも含む他の児童に乱暴なことをしているということだ。しかし、学習院によると、愛子さまが直接いじめや暴力の対象になったことはないという。昨年の7月から11月にかけて別のクラスの男児数人が授業中や休み時間にものを投げる、廊下をすごい勢いで走る、大声をだすなどしたが今は落ち着いているということだ。宮内庁の言い分と学習院の説明が食い違っている。
東宮大夫が独断で会見で明らかにすることはないだろうから事前に皇太子ご夫妻の了解は得ているはずである。会見で発表することについては、事前に学習院側の了解も得ていたということだ。
学校で何か問題があって子供が登校したがらない場合、両親が心配になって学校側に問い合わせるなどして問題を解決しようと思うのは当然である。私でもそうする。
ただ、愛子さまが皇族という公人であるということを考えても、この段階で宮内庁が会見で明らかにするのは少し早過ぎたのではないだろうか。子供同士のことで基本的には学校内で解決する問題だと思うが、事が明らかになってしまえば騒ぎが大きくなり過ぎる可能性がある。宮内庁と学習院が事実関係をすり合わせる間もなくバタバタと会見してしまったという印象を拭えない。
授業中に走り回ったり、大きな声で騒いだりという問題は公立の小学校ではよくあることだが、名門私立で、しかも皇族が通う学習院で起きているということを知って正直驚いている。少子化になって学習院にもこれまでいなかった様な様々なタイプの子供たちが入学しているということなのだろうか。
天皇ご一家では、子供たちに対して一般の子供たちと一緒に普通の教育を受けさせたいというご意向をお持ちであるということだ。子供の学校生活については色々なことが起きる。学校側や父兄たちとも力を合わせて子供たちのことを第一に考えて問題を乗り越えていくことができればと願う。
海外赴任が終わって日本に帰って来てから、我が家のリビングでは英語が流れていることが多かった。妻や私はもちろん、子供たちもアメリカ生活で身に付けた英語力を何とか維持できないかと英語のニュースを聞いたり二ヶ国語放送の映画やアニメを英語で聞いたりするように努めていたのだ。
ところが最近、我が家では韓国語があふれている。高校生の長女が韓国人女性アーティストの大ファンになり、自分の音楽再生機ではもちろん自宅のテレビでも録画したK-POP(韓国のポップス)ばかり聞いている。一緒に車に乗っても流れる音楽は韓国のものばかりだ。
妻は妻でテレビでやっている韓国の宮廷ドラマにはまり毎週欠かさずかじりつくように観ている。韓流ファンの友人に借りてきた韓国ドラマを長女と一緒に毎日のように熱心に観ているのだ。という訳で、我が家にいると最近では英語を耳にするよりも韓国語を聴くことのほうが多いのだ。
確かに韓国ドラマは面白い。私もかつては「冬のソナタ」にはまり、第一話から最終回まで全て観たが、韓国ドラマならではの、あり得ないだろうという展開に知らず知らずのうちにはまっていった。
韓国の女優さんも俳優も歌手も、顔立ちがすっきりとしていてとにかく綺麗なのだ。最近では日本ではあまり見られなくなった日本人が好みそうな端正な顔立ちが多い。その上、テレビに出てくる男性はとにかく女性に優しいので日本の女性が韓国ドラマにはまっていくのもよく理解できる。韓国では日本に比べてまだまだ男性優位な社会なので、ドラマの中では理想としての女性に優しい韓国人男性が描かれるのだろうか。
娘の部屋には韓国人の歌手やアイドルグループのポスターがたくさん貼られている。アメリカの小学校にも通っていたので英語が得意な長女は語学にたいへん興味があるようで、韓国語の学習も始めた。韓国語の音声テキストを音楽再生機に入れて聴いている。長女の世代では、肩肘張って外国語を習得しようという意識はないようだ。興味があるので音楽を聴くように耳から覚えようということのようだ。国や言葉の違いなんて簡単に越えるというか、そもそもあまり違いを意識していないような国際感覚には感心する。
少し前には妻と一緒に念願の韓国旅行を実現させて、ソウルの街を堪能してきた。音楽がきっかけとなって、ドラマ、言葉と韓国に対する興味がどんどん膨らんでいるようだ。妻との共通の興味なので、二人の楽しみは増すばかりである。
将来は大学で国際関係でも学んで、外交に関わるような仕事でもしてくれればと父は密かに思っているのだが、長女は自分の興味の赴くままに好きな世界を広げていくのだろう。それが一番いいのかも知れない。
春川正明
はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西大学社会学部非常勤講師
大阪市出身