12年2月3日(金)「#1678 ゲスト・ティーチャー」

  たいへん楽しい体験だったが、15分という時間はやはり短すぎた。でも子供たちの目はキラキラしていてこちらも大いに刺激を受けることができた。
  二男が通っている小学校でゲスト・ティーチャーをやらせていただく機会があった。これまでも何度か小学校で授業を担当した経験があるが、大学、高校、中学校と比べると小学校で教える機会が最も少なかったと思う。
  子供が3人もお世話になった学校なので、お手伝いできることがあればいつでもやりますと学校側には伝えていたのだが、今まで残念ながらその機会がなかったのだ。
  今回は幼稚園の先生や鉄道関係、ディスプレーなど様々な職種の方々と一緒にゲスト・ティチャーとして子供たちに自分がやっている仕事についての授業を行った。
  それぞれの先生が決められた教室に入って、子供たちが色々な教室を回ってくるのだ。1回の授業は、仕事についての説明が10分に質問時間が5分の合わせて15分という短い時間だった。それを4回繰り返した。
  私がやらせていただいた部屋はコンピュータ教室。公立の小学校だが机の上にはノートパソコンがずらりと並び、大型の液晶テレビにDVDと大抵の機器は揃っていた。授業では、私も普段出演させてもらっている番組がちょうど生放送中だったのでテレビでそれを観たり、海外特派員の時のリポートをまとめたDVDを観せたりしながら、テレビの仕事がいかに楽しいかという話をした。
  大学や高校で教える時には厳しいことや辛いことなども話すのだが、今回は小学生が相手だし時間がなかったこともあり楽しいことだけを伝えるようにした。
  さて、この中から将来テレビの世界で働く子供たちが何人出てくるか楽しみである。因みにわが二男は私の授業を選択しなかった。照れくさかったのだろうが残念だった。

12年2月2日(木)「#1677 プロデューサー」

  いまの仕事である解説委員は楽しいし、かつて4年間やらせていただいた海外特派員は最高の仕事だった。面白くないだろうなあと思っていた報道部長という管理職も楽しかった。そして、何をやるのか当初は全く分からなかったプロデューサーという仕事もやりがいのあるポジションだった。
  プロデューサーというのは番組の最高責任者である。どんな内容の番組にするのか、出演者は、制作スタッフは、予算は、と全ての権限を握っているのだ。簡単に言えば、自分の好きなようにやれる立場なのだが、それと引き換えに最終的な結果責任は負うことになっている。
  会社に入って以来、ニュースVTRの編集マンから記者になり、そして念願だった海外特派員にもなれてとても幸せだった。海外から帰国するにあたり私に告げられた次のポジションがプロデューサーだった。
  当初は何をする仕事なのかよく分からなかったが、やっているうちに自分なりのやり方が何となく分かってきた。どの仕事もそうであるが、肝心なのはコミュニケーションである。番組スタッフと、外部プロダクションと、出演者と、社内の関係各所と、常にコミュニケーションを密にして皆が気持ちよく番組に携われるような環境を作ることに最も力を入れた。
  プロデューサーという仕事もとても向いていると自分では思っていたのだが、周りの評価は分からない。もう一度やることあるかなあ。いい仕事出来ると思うけどなあ。

12年2月1日(水)「#1676 東京」

  毎週、東京で政治や国際関係などの勉強会や食事会に参加しているが、3日続きとなったのは久しぶりである。そのため、今週は間に番組出演のため大阪にとんぼ返りで一度戻ったものの東京に3連泊する日程となった。
  東京は遊びに行くには楽しい所だが、住むにはなかなかたいへんな場所だと思う(東京の皆さん、ごめんなさい)。仕事の関係でこれまで二度、東京に単身赴任したが、二度とも寂しかった。人と人との距離感が大阪とは違うような気がする。
  今回も含めて毎週のように東京に行く目的はもちろん遊びではなく仕事だ。残念ながら東京でしか会えない人たちも多いし、東京でしか開かれていない勉強会も多い。だからこそ東京へ通うのだが、東京へ行くと疲れる。
  旅行も大好きだし、飛行機もホテルも全く苦にならないどころか大好きだったが、このところ少々気持ちが離れてきた。飛行機は移動手段、ホテルは寝るところと感じることが多くなってきたような気がする。
  東京といっても、東京支社や日本テレビ周辺、国会のある永田町、省庁が並ぶ霞ヶ関、いくつかの勉強会が開かれる場所など狭い範囲をぐるぐる回っているだけである。たまには週末にでも東京に残ってゆっくり街歩きでも出来ればと思ったりもするが、住んでいる時でさえ結局そんな機会はほとんどなかった。
  東京。またそこに住むことはあるのだろうか。

12年1月31日(火)「#1675 観劇日誌」

  何年ぶりのバウホールだろうか。宝塚大劇場の横にある宝塚バウホールという座席数500ちょっとの小劇場で先日観劇してきた。バウホールでは若手有望株の公演やスターのリサイタルなども開かれる。こじんまりとしているが、大劇場とまた違って雰囲気のあるいい劇場である。
  今回観たのは宙組の二番手で次期トップスターと思われる凰稀かなめ主演のミュージカル「ロバート・キャパ 魂の記録」である。20世紀最高の報道写真家といわれるロバート・キャパの半生を描いた物語である。
  それにしても難しい地味な題材を選んだものである。ジャーナリズムで働く者にとっては有名なジャーナリストだが、そうでない人にとってはどこまで興味があるのかなと思ったが、それなりに良く出来た舞台だった。
  凰稀かなめは、先日見た大劇場公演では輝いていたが、バウホールということもあるのか、抑え目の演技だった。ストーリーを考えると難しいかもしれないが、もう少し笑顔を見たかったし、心の葛藤がもう少し描かれていても良かったのでは。
  今回の舞台は凰稀かなめだけでなく、相手役に抜擢された伶美うららを見ることが楽しみだった。大劇場で見た時にその美しさが目立った将来有望な娘役である。
  舞台に登場したときにはパッと周りが明るくなったが、芝居が続くうちにあまり輝かなくなったのが少々残念だった。舞台に立った時に、少し足を広げて立っていることが気になった。立ち方や脚の見せ方を勉強すればもっと良くなる。
  ベレー帽をかぶっていた影響もあるかも知れないが、凰稀かなめとのラブシーンでは、凰稀かなめの顔の小ささが目立っていた。
  色々と課題も書いたが、歌劇団がしっかりと育てていけばトップ娘役になる人である。今後も楽しみである。

12年1月30日(月)「#1674 議事録」

  これもまた誤った政治主導の結果と言えるのではないだろうか。東日本大震災を受けて何度も開かれた原子力災害対策本部や緊急災害対策本部などの政府の重要な会議で議事録が作成されていないことが明らかになった。
  国難ともいえる危機に際して、国の行く末を左右する重大な決定がどのような経緯でなされたのかを事後に検証することも出来ない。野党時代からずっと情報公開の重要性を訴えてきた民主党の信頼性を揺るがす重大な問題である。
  官僚を排除して政治家だけで話し合った際なら記録が残されていないこともあるだろうが、官僚が出席した会議や会合で誰もメモを取っていないことなど考えられない。官僚はそれぞれの出身省庁に対して報告する必要があるため必ず記録を取っているものだと思う。
  ここまで議事録がなければ、何か不都合なことを隠していると思われても仕方がないだろう。岡田副総理は、関係者から聞き取り調査を行うなどして議事概要を作るよう指示したが当然のことである。議事録がなければ政府や国会に設置された調査委員会による調べにも支障が出るだろう。
  政治主導というなら、官僚が大いに力を発揮できる環境を作った上で大きな方向性を示して適切な指示を出すのが政治家の責任だろう。今回の問題を民主党はどこまで深刻に捉えているのだろうか。

12年1月29日(日)「#1673 長嶋カード」

  40年ほど前のものにしては、どれも保存程度がそこそこいいのである。同年代の男の人なら誰もが知っているカルビーのプロ野球スナック。えびせんべいの付録としてプロ野球選手のカードが付いていたのだ。
  アメリカに住んでいた頃に、メジャーリーガーの野球カードに一時期はまり、野茂を中心に集めていた。今思えば子供の頃から同じことをやっていたのである。
  カルビーのプロ野球スナックが初めて発売されたのは1973年。記念すべきカード番号1番は、もちろん長嶋茂雄である。そのカードも持っているのは言うまでもない。
  73年といえば、ちょうど二男と同じ小学校6年生の頃である。親から貰った小遣いを握り締めて駄菓子屋に行き、プロ野球スナックを買っていた。40年経っても、子供たちのやっていることはそう変わらない。
  あの頃のカードが残っているはずだと大人になってから実家を探すと、10枚以上の長嶋カードの他に、タイガースの江夏に田淵、ホークスの野村など懐かしいカードが出てきた。もっといっぱいのカードを持っていたが、何枚かのカードと人気の長嶋カードを交換しているうちに枚数が減ったという記憶がある。
  そして最近、オークションで当時の懐かしい長嶋カードが出品されているのを見つけたのだ。自分がいま手元に持っている長嶋カードを全部出してきて入念にチェックした後で、手に入れたいカードに入札していった。
  その結果、長嶋カードはかなり増えたが、まだまだ欲しいカードが残っている。希少価値のあるカードはお値段もそれなりにするのである。
  新しい長嶋カードが手に入る度に。これまたショップで買ったカードホルダーに大切に保存していくのである。この作業をしているときが至福の時間である

12年1月28日(土)「#1672 観劇日誌」

  長年、宝塚歌劇を観ているが、生徒さん(宝塚では団員のことをこう呼ぶ)が舞台で実際に涙を流しているのを初めて見た。今までもあったのかも知れないが、目にしたことはなかった。
  雪組公演の「Samourai(サムライ)」は、小説「巴里の侍」を舞台化した歴史ミュージカルで、実在の人物である薩摩藩の武士・前田正名(まさな)が主人公である。
  トップスターの音月桂が演じる前田は坂本龍馬を師と仰いでフランスへと留学する。そこでフランスとプロセインとの戦争が起き、日本の侍として志願して戦いに参加するという物語である。
  最初、この公演のポスターを見た時に、「面白くなさそうだなあ」と思いこみ積極的に観に行く気がしなかった。凱旋門と三色旗の前に侍が描かれタイトルはローマ字で「Samourai」。いかにも宝塚っぽい荒唐無稽(失礼!)なストーリーだと勝手に思い込んでいたのである。
  人との出逢いでもそうだが、へたな先入観は持つべきではない。この芝居、本当に良く出来ていて面白かった。あまりに面白かったので、上演時間はあっという間に終わったほどだ。
  音月桂はいつもながらに立ち姿が美しく歌も聴かせる。異国に舞い降りた日本武士という役柄は、音月のために書かれたかのように感じるほどぴったりだった。これこそ座付き作者の仕事である。
  二番手男役の早霧せいなも、なかなかの役者ぶりだった。若手では大湖せしるがよかった。小柄ながら、最初に亀山社中の若い武士たちの一人として登場してきた時に輝いていた。その時は誰か知らなかったが、あとでプログラムで名前を確認したのだ。
  物語のクライマックスで市民兵の仲間が敵の銃弾に倒れた時に、その市民兵役の生徒の目から涙が流れたのを見てびっくりした。そして主人公の音月も感極まって、下を向いた彼女の顔から涙がポタポタと流れ落ちたのがはっきり見えたのだ。公演中の全ての舞台で本当に泣いているのだろうか。見ているこちらも感激した。
  いいものを観せてもらったと満足した、素晴らしい舞台だった。なぜ、大劇場にかけなかったのだろうか。

12年1月27日(金)「#1671 痩せたね」

  ここ2~3年、久しぶりに会う人ごとに言われる言葉がある。「痩せたね」である。以前と比べて痩せたということだろうから、前から私のことを知っている人たちである。
  体重は会社に入ってから27年、ほとんど変わっていない。若干の増減があっても2~3キロ程度である。ここ最近も、体重が大幅に減った訳ではない。
  私と実際に初めて会った人からは「テレビで見るより大柄だけど顔は小さいんですね」ともよく言われる。テレビはふっくらと映る傾向があるからなのか、顔が小さいと言われることも多い。
  この「痩せたね」と言われる言葉の裏には、「体がどこか悪いのちゃうの?」という意味が読み取れる。そのことを裏付けるかのように、心配そうな顔をしながら言う人が多いのだ。
  自分でも心配になって鏡を覗くと、確かに疲れた顔はしている。首を中心に年相応に皮膚も弛んで張りが無くなってきている。目の周りの皺も増えた。
  顔全体に元気がないので痩せたように見えるのかも知れない。こんな事書くのは嫌だが、会った時に覇気がないのだろうか。
  あ~嫌になってきた。ネガティブな文章を書いていたら、気分まで暗くなり、いい運が逃げて行くような気がする。
  「最近、元気やねえ~」と言われるようにしよう。元気出すぞ。元気やけど。

12年1月26日(木)「#1670 エアーK」

  80年ぶりの快挙にただただ拍手である。日本テニス界の男子トッププレーヤーである錦織圭(にしこり・けい)が全豪オープンでベスト8まで残った。準々決勝では世界ランク4位のマリーに残念ながら負けてしまったが、4大大会での快進撃に日本中が盛り上がった。
  それにしても22歳とは思えぬ落ち着き振りである。世界のトップレベルの大舞台でも堂々としていた。さすがに中学2年で世界中から有望選手が集まるアメリカのテニススクールに留学していただけのことはある。どんなスポーツでも素質があって将来有望な選手は早くから海外に出て武者修行することが重要なのだとあらためて感じた。
  エアーKと呼ばれるジャンプしながらボールを打つ技は、世界レベルでは身長が低いので打点を高くするために考えたのだという。これがまたかっこいい。人気が出るはずである。
  圭という名前は、将来息子が海外で活躍する際に発音しやすいようにと名づけられたということである。そこまで考えていたご両親もすごい。
  因みに、ロサンゼルス生まれの我が家の二男も、発音しやすい"ケン"という音を名前に入れて、ご丁寧にもミドルネームをグリフィーとした。将来メジャーで活躍した際に話題になるように、90年代最高の選手といわれたケン・グリフィー・ジュニアから名前を頂いたのである。そんなことはどうでもいい、話がそれた。
  錦織圭を見ていると、どんなジャンルであっても親が子供の素質や可能性を幼い時から見出してそれを伸ばしていく大切さをあらためて感じた。
  今回の活躍ぶりを見ていると、数年のうちに4大大会でタイトルを獲る日が来るのではないかと思う。それにしても、20年以上前に全豪オープンの中継スタッフの編集マンとしてメルボルンに行ったのが懐かしい。その全豪オープンのセンターコートで日本人が活躍したかと思うと、感慨もひとしおである。

12年1月25日(水)「#1669 控訴断念」

  遺族の方々の気持ちを考えると残念ではあるが、控訴断念は仕方がないと思う。乗客106人と運転士が亡くなった2005年のJR福知山線列車脱線事故に関して、JR西日本の山崎前社長が業務上過失致死傷罪に問われた裁判の一審で無罪判決が出されたことを受けて検察は控訴を断念すると発表した。無罪判決が確定する。
  事故の直接原因は運転士が制限速度を大幅に超過して事故現場のカーブに侵入したことだったが、検察はカーブの付け替え工事の際に安全運行の責任者だった前社長は事故を予見することが可能で、事故を回避する責任があったとして、この事故についてただ一人起訴したのだった。
  当初から前社長の刑事責任を問うのは無理があるのではないかという見方もあったが、会社幹部の責任を誰も問わないのは納得できないという遺族感情に配慮した面もあったと思われる。
  この事故については検察が不起訴としたJR西日本の歴代の3人の社長が検察審査会の起訴議決を受けて強制起訴されて裁判が行われるが、今回の控訴断念は3人の裁判にも大きく影響するだろう。
  業務上過失致死傷罪では法人の刑事責任は問えないのだが、事故原因の究明と再発防止を考えれば、罰金刑など企業としての責任を問えるように法律を改正すべきだという考え方もある。
  今回の控訴断念は、法の適切な運用と遺族感情という両者のバランスをどう取るのかという難しい課題を考えさせられる結果となった。

春川正明

はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西学院大学非常勤講師
大阪市出身