10年4月29日(木)「#1033 観劇日記」

  先日、宝塚歌劇の月組公演「スカーレット・ピンパーネル」を観に行ってきた。今回の宝塚はいつにも増して楽しみにしていた。「スカーレット・ピンパーネル」はブロードウェイ・ミュージカルの宝塚版で初演の際にたいへん好評ですぐに今回の再演となったのだが、初演を見逃したので是非とも観たい舞台だったのだ。
  そして、もうひとつ特別な意味があった。小学生の二男の宝塚デビューだったのだ。私の両親が宝塚歌劇の大ファンで私も両親に連れられ物心つく前から大劇場に通いだした。妻も宝塚が好きで、子供たちにも宝塚のファンになって欲しいとずっと思っていたのだ。
  長女は小学校にあがる前から大劇場に連れて行った。ここだけの話だが、できれば長女には音楽学校に入ってタカラジェンヌを目指して欲しいと内心思っていたが、残念ながら私のささやかな夢は実現しなかった。息子2人への野球への思いの刷り込みには成功したが、娘への宝塚刷り込みはうまく行かなかった。演目によっては観に行くという程度で宝塚ファンというほどではない。
  長男も小さい時に劇場に何度か連れて行ったが、今では野球、野球で歌劇には全く興味がないようである。そこで二男である。美術や芸術には興味があるようだ。先日も家族でブロードウェイ・ミュージカルの話になった時に興味を示していた。そこで、宝塚でブロードウェイ・ミュージカルをやるから観に行かへんかと誘ったところ、「行く」との返事。これはいけるかもしれないと、心が躍った。
  「スカーレット・ピンパーネル」はたいへん評判になった舞台だけによく出来ていた。舞踏会の華麗なシーンも、勧善懲悪のストーリーも、宝塚らしくうまくまとめられている。今や宝塚歌劇の名作の一つになった「エリザベート」を手がけた演出家の小池修一郎さんの演出である。宝塚歌劇団を代表する人気演出家なのだ。ただ、少し残念なこともあった。私のお気に入りの1人である明日海(あすみ)りおが悪役を演じているのだが、まだ若いこともあって背伸びしているようで物足りなかった。フィナーレのショーでの彼女の立ち姿はとても魅力的だっただけに残念だった。
  舞台を観ながら隣の妻の向こう側の席で観ている二男の様子が気になる。寝ずに舞台をじっと観ている。観客が拍手する場面では一緒に拍手している。その様子を見て内心で叫んだ、「やったあ」。舞台が気に入っている様子だ。舞台を観終わった後で二男に恐る恐る聞いてみた、「どうやった?」。二男はポツリと言った、「楽しかった」。「また来る?」と聞くと「ウン」とうなずいた。よしよし、二男の宝塚デビューは大成功だった。また行こうね。

10年4月28日(水)「#1032 事業仕分け」

  昨年秋に続いて二度目となる事業仕分けを取材してきた。前回は国立印刷局の体育館が会場だったが、今回は東京駅にほど近い民間の貸し会議室で行われた。前回は広い体育館を3つに仕切って3つのワーキンググループが同じフロアで同時に仕分けをやったため傍聴する人はイヤホンでそれぞれの音声を聞くという体制だった。しかし、今回は2つのワーキンググループがフロアの違う会議室で開かれたため音声も聞き取りやすく会場全体が快適になった。前回と違って一般傍聴の人とメディアの席がきっちりと分けられたので取材もしやすかった。
  肝心の中身であるが、上から目線でぶった切るという印象もあった前回に比べて、仕分け人の言動も幾分ソフトになった。仕分け人の中に知り合いがいたので、そのことを伝えると「手加減している訳ではないですよ」との言葉が返ってきた。
  今回の仕分け対象は独立行政法人、略して独法(どっぽう)である。独法とは、公共性が高く国民にとって必要な事業ではあるが、国が直接やる必要がなく民間がやるには収益性などの点で難しい事業を担当する公的な法人である。法律で設置が定められている、省庁から独立した法人で、行政の一端を担っている。現在104の独法があるが、多くの官僚や官僚OBの天下り先となっていて、その下に多くの公益法人などのファミリー法人を抱え非効率な運営となっているなどの批判の声がある。
  今回、実際に事業仕分けを取材してみて、独法がどういう仕組みでどういうことをやっているのか知らなかったことが多くとても興味深い内容だった。仕分け人から数多く聞かれた質問は「その事業をなぜ独法でやる必要があるのか、民間でなぜできないのか」というものだった。前回と比べて仕分けられる側も事前に十分な準備をしてきているなとは感じたが、なぜ独法でやるのかという質問には的確に答えられない担当者が目立った。
  民主党のマニフェストでは独法は全廃を含めて抜本的な見直しを進めるということになっているが、事業の縮減を求める決定が多く少し甘いのではないかという気がする。もう少し切り込んでもいいのではないか。
  いずれにしても、一時のパフォーマンスに終わることなく、この事業仕分けを今後も定期的に続けていったほうが良いのではないか。継続的にやることで行政の無駄がますます炙り出されるだろう。しかし、よくよく考えてみるとこの様な行政に対するチェックは本来は国会の場でやるべきだろう。そのために国会には決算委員会もあるのだから。また、行政だけでなく、国会議員の定数削減など立法機関である国会に対しても仕分けをしてもいいのではないだろうか。

10年4月27日(火)「#1031 起訴相当」

  連日の大ニュースである。しかも、正反対の判断が出た。きょう出演していた「ミヤネ屋」の生放送中にニュース速報が流れた。小沢幹事長の資金管理団体による土地取引を巡る政治資金規正法違反事件で、検察審査会は検察が不起訴とした小沢幹事長を起訴すべきであるという起訴相当の議決をした。きのうは、検察審査会が鳩山首相についての検察の不起訴の判断は正しかったという不起訴相当の判断を出したばかりだ。
  小沢幹事長に対する検察審査会の判断もそう遠くないうちに出るだろうとは思っていたが、まさか昨日の首相に続いて今日だとは思わなかった。しかも、予想されたとは言え、市民感覚に基づく判断は法律のプロである検察とは逆の判断となったのだ。
  議決の要旨には厳しい言葉が並んだ。問題とされた収支報告書について「(小沢氏は)その提出前に確認することなく、担当者において収入も支出も全て真実ありのまま記載していると信じて、了承していた旨の供述をしているが、きわめて不合理・不自然で信用できない」とした上で、「絶対権力者である小沢氏に無断で、秘書らが本件のような資金の流れの隠蔽工作等をする必要も理由もない」と指摘した。
  さらに議決書は「「秘書に任せていた」と言えば、政治家本人の責任を問わなくて良いのか」、「「政治家とカネ」にまつわる政治不信が高まっている状況下にもあり、市民目線からは許し難い」と厳しく断罪した。そして最後に「小沢氏を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。これこそが善良な市民としての感覚である」とまで言い切ったのである。
  特に最後のあたりで少し興奮気味とも思える表現が使われていることが少し気になるが、今回の検察審査会の判断は妥当ではないかと思う。
  起訴相当の判断を受けて検察は小沢幹事長に対する再捜査をすることになる。再捜査の結果、検察が再び不起訴の判断をするか3ヶ月以内に結論を出さない場合は再び検察審査会にかけられる。そこで二度目の起訴議決が出されれば小沢幹事長は強制的に起訴されることになるのだ。検察は再捜査の結果、自ら起訴する可能性もあるのだ。
  今回の起訴相当の意味は、ツーストライクで三振となるところの初球ストライクというところである。
  起訴相当を受けて小沢幹事長は記者団に対し「意外な結果で驚いている。私自身なにもやましいことはないので与えられた職務を淡々と全力で行う」と述べ、幹事長職を続ける考えを示した。野党はもちろん与党の一部からも辞職を求める厳しい声が出ている。小沢幹事長に対してだけでなく民主党にとっても逆風となるだろう。参議院選挙に向けての影響も出るだろう。検察の再捜査に注目が集まり、政界のバタバタも当分の間続くだろう

10年4月26日(月)「#1030 不起訴相当」

  まさにドンピシャのタイミングに驚いた。今朝の大学の講義で、検察審査会が二度にわたって起訴議決をしたら強制的に起訴されるという時事問題を教えたばかりだった。その講義の中で、いま注目されているのは政治資金規正法違反事件で不起訴となった鳩山首相と小沢幹事長に対して検察審査会がどの様な判断を下すかということだと説明した。
  講義を終えて本社に出勤したら昼のニュースで検察審査会は鳩山首相に関して、不起訴相当の判断をしたとのニュースが流れていた。
  小沢幹事長に関しては不起訴不当か起訴相当の判断が出る可能性がかなりあるのではと思っている。鳩山首相についても、小沢幹事長に比べると可能性は下がるものの同じような判断になるのではと思っていた。しかし、鳩山首相については、検察が不起訴にした判断は間違っていないというものだった。
  法律が改正されて検察審査会の判断によって強制起訴されることが可能になったが、"一般感覚"という伝家の宝刀によって今までなら刑事責任を問われなかった事案が次々と起訴されるのではないかと、少しばかり心配していた。しかし、"一般感覚"は冷静だった。鳩山首相に関して不起訴相当と判断したことで、少しホッとしている。一般の人々が下した今回の判断は評価できるのではないだろうか。
  検察審査会は不起訴不当と判断したものの、異例の付言をそえた。「鳩山首相の一方的な言い分に過ぎない上申書の内容に疑問を投げかける声が少なからずあった」とした上で、母親からの資金提供を首相が全く知らなかったと説明していることについて「素朴な国民感情としてこのようなことは考えがたい」と指摘したのだ。この付言こそ、まさに"一般感覚"ではないだろうか。
  今回、検察審査会が不起訴相当としたことで検察は再捜査を迫られることもなく、鳩山首相に対する捜査は事実上終わることになる。しかし、鳩山首相には、母親などから得た多額の資金を何に使ったのか、国民に説明する政治的責任がある。国民の政治不信を和らげるためにも出来るだけ速やかに説明すべきである。
  検察審査会は今後、小沢幹事長に対してどのような判断をするのだろうか。その結果次第では、政局に大きな影響を及ぼすことになる。

10年4月25日(日)「#1029 惜敗」

  連日の長男の野球の試合。いい試合だった。みんな精一杯やった。でも負けた。春の大会は2試合で終わってしまった。しかし中学の野球はまだ夏の大会がある。あと数ヶ月しか残っていない中学野球で完全燃焼してほしい。
  きょうも7番ショートで先発出場。きのう3三振だったので、センター返しをすることだけを考えるようにアドバイスした。
  1打席目はピッチャーゴロ。どうも腰が据わっていない。打席での構えを見ていると、残念ながら打てそうな気がしない。長年野球をやってきたので、プロでもアマチュアでも打席での構えを見れば何となく打ちそうかどうか分かる。打席でもマウンドでもそうだが、ユニフォーム姿を見れば活躍する雰囲気を醸し出している場合は何か感じるのである。今の、というかこの春の大会でのグラウンドに立つ長男からは残念ながら"力"が感じられない。体調も悪く、気持ちが空回りしているように感じる。
  2打席目はサードゴロ・エラー。ランナーに出てもリードが小さく、二塁をうかがおうという気持ちが感じられない。学校の運動会では小学校の時からずっとリレーの選手で脚は速いのに野球になると走塁に積極性が感じられない。
  3打席目はファーストへのファールフライ。長男のバッティングの調子が最も悪い時の打ち方だ。重心が高く、打ちに行く時にバットが下から出て伸び上がるようにして打つ。この形では鋭い打球は打てない。
  試合は両投手が踏ん張り7回を終わっても0対0で延長戦に突入した。相手チームには失礼な言い方だが、試合に出ている1人1人の技量でいうと勝てるだろうと思っていた。相手チームの決定的なエラーを得点に結びつけることができない。ここ一番でヒットが出ない。相手チームは選手の数が少なく、ベンチ入りの人数を満たせないほどだ。しかしベンチの声は相手チームが勝っていた。試合に出ている選手の技量では勝っているかもしれないが、チーム全体の勝ちたいという気持ちでは負けていたような気がする。
  中学野球の延長戦は早く決着がつくように延長戦のイニングはノーアウト満塁という設定で始まる。2点取って当たり前というような展開になる。
  8回表の相手の攻撃では不運な打球もあったが4点とられた。その裏、先頭打者がヒットを打ってまず1点。そしてもう1点入って2対4。2点差で負けているワンアウト満塁のチャンスで長男に打席が回ってきた。一打同点。スタンドから「気持ちや!気持ちで行け!」と思わず叫んでしまった。結果はサードゴロ。次の打者も倒れてゲームセット。
  試合後、バッテリーは泣き崩れた。長男も泣いている。球場から出てきた選手達に「ナイスゲーム」と声をかけるのが精一杯だった。
  春の大会は終わったが、最後の夏の大会への戦いは既に始まっている。明日から早朝練習をやるらしい。よし、行ける。負けた時に何を感じるかが選手たちの成長に繋がる。顔を上げて前を向け。悔しかったら練習しろ。グローブを磨け、バットを振れ。野球の神様は必ず見ている。

10年4月24日(土)「#1028 春の大会」

  長男にとっては待ちに待った春の大会である。中学生にとってもようやく野球シーズンが始まった。昨年秋の新人大会では惜しくも1回戦で負けただけに何としても勝ち進みたい大事な公式戦なのだ。
  練習試合では、内心は観に来て欲しくてもあまり観に来て欲しくない素ぶりをする長男だが、今回の春の大会は珍しく両親に観に来てほしいという気持ちを隠さなかった。私の東京出張中も妻に「お父さんは試合の日、どうするんやろ」と何度も聞いていたようだ。一方、東京出張中の私はといえば、忙しい合間をぬって長男から頼まれたアンダーシャツを買うためにお気に入りの野球用品店を訪ねた親バカぶりである。
  試合開始の少し前に球場に着いて長男やチームメイトの子供たちに声をかけたが、みな試合を前にしてとても緊張していると話していた。今時の中学生でも試合前には緊張するんだと少し意外な気もした。生意気なようでもやはり中学生なのである。可愛いものだ。
  長男が着ている試合用のユニフォームの背中には6番の背番号が貼り付けられている。ショートのレギュラーの座は守ったようである。そういえば私も高校3年生の時の最後の夏の大会ではショートを守り背番号は6番だった。大学でも4回生の春と秋のシーズンでは背番号6だった。今でも6という背番号に思い入れがあるだけに、長男が同じ番号を付けているのを見て嬉しかった。
  試合開始直前に先発メンバーの打順と守備位置が発表されたが、長男は7番ショートだった。先日の練習試合では3番ショートだったが、あまり打てなかったのか打順を下げられたようである。
  試合が始まり長男の中学が1回裏に相手のエラーも絡んで先取点を挙げた。なおも二死満塁の絶好のチャンスで長男に打順が回ってきた。美味しい場面である。チャンスに打順が回ってくるというのも運の強さである。デジカメのファインダー越しに見る打席の長男はやはり緊張しているようでどこかソワソワしている。案の定、緩いカーブを待ち切れずに空振り三振である。ここでヒットを打っておけば勝利をぐっと引き寄せると共に、本人の自信にも繋がっていたのに。
 ショートの守備は相変わらず軽快である。グラブさばきもスローイングも私よりも安定している。守備が下手だった私と比べても仕方がないが、守備が安定していれば先発で出場できる機会がぐっと増えるのだ。
  長男は2打席目も3打席目もいずれも空振り三振だった。今日は3打席3三振でノーヒット。二男に比べて自宅でのティーバッティングも素振りもあまりしない上に、直前に体調を崩すコンディション管理では仕方がない結果だろう。
  試合は投手戦で6回まで1対0のリードだったが最終回7回の土壇場にミスもあり同点に追いつかれた。しかし、その裏にチャンスで4番バッターがレフトオーバーを打ちサヨナラ勝ちだった。さすが4番という打球だった。気合いが違う。それに比べて長男は、と言うのはよそう。明日がある。私のアドバイスどおりにセンター返しを心がければ明日はヒットを打てるだろう。長男が打てばチームも連勝できると思う。

10年4月23日(金)「#1027 舛添新党」

  世論調査で常に総理大臣に相応しい人のトップにランクされ国民的人気がある舛添前厚労相が作る"舛添新党"には期待するところも大きかったが、ふたを開けてみればがっかりするところが多かったのが残念である。
  民主党政権が迷走を続け鳩山内閣の支持率が落ち続けても、野党となった自民党は国民の期待に応えて民主党政権に不満を持つ人たちの受け皿になることができず、自民党内からも谷垣総裁に対する批判の声が高まっていた。その先頭に立っていたのが舛添氏である。執行部批判を続けると共に離党して新党を立ち上げることも匂わせていたが、自民党に残り総裁の座を勝ち取っていずれは総理大臣を目指すと思っていた。
  しかし、ついに離党を決断し新党を立ち上げることを決心したのだ。自民党内で小泉改革を進め経済成長を目指す人たちを集めて勉強会を行っていたので、当然その人たちの中から新党に何人かが加わると思っていたが、新党のメンバーを見て正直がっかりした。
  いちから新党を立ち上げる訳ではなく、形式的には舛添氏が改革クラブに入党して党名を新党改革に変更したのだ。そんなややこしいことをした理由は政党助成金狙いだとみられている。政党助成金は1月1日時点で政党である団体に対して支払われる仕組みで、改革クラブに対して2010年は1億2000万円が4回に分けて支払われる。もしも、舛添氏がいちから新党を立ち上げれば今年は政党助成金は出ないという訳だ。
  新党のメンバー6人は全て参議院議員で、舛添氏以外の5人は全員がこの夏の参院選で改選を迎えるのだ。しかもそのうちの2人は自民党の現職であったにも関わらず党から公認を貰えなかったのだ。自分たちの改選に向けて知名度の高い舛添氏を必要とした改革クラブと、お金を必要とした舛添氏の両者の思惑が一致したとみられても仕方がないだろう。
  結党の記者会見では、ようやく新党に踏み切った舛添氏の決意は感じられたものの、これまで政策が重要だと言ってきた割には、その中身はどこかで聞いたような政策ばかりであり新鮮味はなかった。政策よりも数合わせ、選挙目当てとの批判は避けられそうにない。参院選後の政界再編で野党勢力が結集する際のトップに担ぎあげられることが舛添氏にとっては理想だろうが、そこまでの道のりは遠くて険しい。次の世論調査では、総理大臣に相応しい人への舛添氏の支持率が下がるのではないだろうか。

10年4月22日(木)「#1026 音声認識」

  音声認識の技術については知っていたが、ここまでその技術が進んでいるとは知らなかった。本当に驚いた。知り合いに紹介されて音声認識技術を取り扱っている会社のデモに参加してきた。
  音声認識と言えば、人が話した音をコンピュータが聞き取り文字に変換していくシステムだ。その変換に時間がかかり変換ミスもまだまだ多いというイメージだったが、今では技術が進歩し変換も瞬時で変換ミスもほとんどない。
  その技術は既に色々な分野で活用されている。まずは議会の議事録作成だ。今までなら速記者が速記で議員らが話したことを書きとり、その後でワープロで文字に起こしていくのだが、音声認識を使えば瞬時に文字化され少しだけ発生する変換ミスは担当者によって修正されていくのだ。議事録の完成が飛躍的に速くなる。その変換ミスをオンラインで結んだ所で同時に修正していく人を雇うことで新たな雇用も生み出すことができるのだ。
  本当に便利だと思うのは医学の分野だ。医師が膨大な時間をとられるカルテの書き込みが簡単になり、その分の時間でより多くの患者を診察したり、医師の過酷な長時間勤務が解消されたりするのだ。医師は電子カルテを作成する際にキーボードを叩く代わりにマイクに向かって患者の所見を述べていく。するとそれが自動的にカルテに書きこまれていくのだ。医療に関する膨大な量の専門用語に関する辞書がコンピュータに蓄積されているのに加えて、新たな単語や間違った単語の修正によって辞書が常にアップデートされていき変換の精度が上がっていくのである。
  その技術は携帯電話にも既に導入されている。お年寄りが使う携帯電話では、マイクに向かってメッセージを言えば、それがすぐに文字に変換されて画面上に映し出され、メールで送ることができるのだ。
  小さな端末に向けて日本語でメッセージを言えば、瞬時に英語や中国語などの外国語に翻訳されて文字になって表示されるものもあり、教育の分野でも大いに活用できそうだ。
  最新の音声認識技術では、不特定多数の人の色々な話し方や方言なども認識できる。日本語に多い同音異義語ももちろん認識できる。デモを行ってくださった方が端末に向かって「キシャのキシャがキシャでキシャしました」と言うと、一瞬のうちに画面に「貴社の記者が汽車で帰社しました」と表示されたのには驚いた。
  今回のデモにはお役所関係や鉄道、エネルギー、コンピュータなど色々な分野の企業の方々が参加していたが、これだけ進んだ音声認識の技術は様々な分野で応用できるだろう。国もこういう将来性豊かで日本が強みを持つ技術にもっと支援していくべきではないだろうか。技術というものが凄いスピードで進化しているのを目の当たりにして、自分の知識も情報も日々もっともっとアップデートしなければと痛感した。

10年4月21日(水)「#1025 党首討論」

  「私は愚かな総理かもしれません」。鳩山首相のこの発言は衝撃的だった。何を言っているんだとわが耳を疑った。本当に驚いた。鳩山首相と谷垣総裁の党首討論は今回が三度目で三度とも国会で傍聴したが、今回の党首討論はこれまでの二回の討論と比べてとても印象的だった。
  普天間移設問題に政治とカネ、経済・財政と問題山積の鳩山政権を責める絶好の機会だと気合の入る谷垣総裁が参議院の委員会室に入ってきたのは開始までまだ10分もある時だった。少し遅れて入ってきた鳩山首相の様子がいつもと違うように見えた。顔色が青白く精気がない。討論のために立ち上がった鳩山首相の着ているスーツが少しダボダボに見えた。痩せたのではないだろうか。自民党議員の野次の声の大きさもあったが。鳩山首相の声が聞こえないことが度々だった。顔色といい、立ち姿といい、弱々しい声といい、発言の内容といい、鳩山首相は大丈夫なのかと見ているほうがハラハラさせられるような党首討論だった。
  核セキュリティーサミット出席のため訪米した時に正式な日米会談もできずオバマ大統領に袖にされた鳩山首相をワシントンポスト紙は酷評した。これを受けて鳩山首相は党首討論の冒頭で「たしかにワシントンポストが言われるように私は愚かな総理かもしれません」と発言したのだ。これを受けて谷垣総裁は「なんですか、それは。私はあなたにもっと使命感を持っていただきたい」と切り込んだが、当然の反応だろう。
  谷垣総裁は35分間の持ち時間のほとんどを普天間問題に費やし、5月末までに解決しなければ辞職するのかと迫った。これに対し鳩山首相はこれまでどおり、必ず5月末までに移転先を決めると何度も明言した。沖縄も反対、徳之島も反対、アメリカ側とは実務者協議にすら入れないという八方ふさがりの現状では、首相の言葉が虚しく聞こえる。
  党首討論ではもちろんこの国の行く末に関するビジョンや、それを実現するための具体的な政策についての丁々発止の議論が期待されるのだが、それと同じぐらい、いやそれよりもっと重要かもしれないことは一国のリーダーとして国を導いていく覚悟や志や気迫を言葉や表情、態度で国民に示すことではないだろうか。鳩山首相、大丈夫だろうか。

10年4月20日(火)「#1024 強制起訴」

  これまで検察官が独占していた起訴という重要な国家権力の行使が、一般の人の判断で初めて行われた。起訴というのは、法律に違反したとされる人の刑事責任を問うために刑事裁判にかけることである。選挙人名簿から抽選で選ばれた一般の人で構成される検察審査会が、検察が不起訴とした件について二度にわたって起訴が相当であると議決した場合に、弁護士が検察官役をして強制的に起訴するように法律が変わったのだ。
  01年に起きた明石の歩道橋事故で4度にわたって検察が不起訴と判断した明石警察署の元副署長が業務上過失致死傷罪で起訴された。検察審査会の起訴相当の議決を受けて強制起訴された初めてのケースである。
  元副署長は事故が起きる危険性を事前に予見できず刑事責任を問うのは無理だとして法律のプロの検察は不起訴とした。しかし法律に素人の検察審査会は、有罪か無罪かではなく、公開の裁判で事実関係と責任の所在を明らかにするという考えで起訴すべきとの判断を示したのだ。
  長年にわたって元副署長の責任を追及し再発防止につなげたいという遺族の思いがようやく実現することになる。裁判員制度がスタートして、判決という刑事裁判の出口に一般の人の考えが反映するようになったことに加えて、刑事責任を問うため裁判にかける起訴という刑事裁判の入り口でも一般感情が重要な役割を果たすことになった。司法の世界を変える画期的な出来事である。
  ただ、一般の人によって起訴が決められても、今回の場合は裁判員裁判の対象ではなく、裁かれる舞台となる刑事裁判で判断するのはプロの裁判官である。検察官が4度にわたって刑事責任を問えないと判断したケースで、同じ法律のプロである裁判官が有罪の判断を簡単に示すことは難しいだろう。
  今までも裁判になったからといって、事件や事故の真相が必ずしも明らかになってきた訳ではない。捜査上の証拠をできるだけ開示して、真相の解明にどこまで迫ることができるか検察官役の弁護士の責任は重い。今回、初めて起訴されたことは大きなニュースであるが、通常の刑事裁判と同じで有罪が確定するまでは推定無罪であることは言うまでもない。我々メディアもその点に配慮した冷静な報道が求められている。

10年4月19日(月)「#1023 大阪維新」

  "大阪維新"とはなかなかいいネーミングだと思う。事実上の橋下新党である地域政党「大阪維新の会」がきょう旗揚げした。最近相次いで立ち上がった新党の名前だが「たちあがれ日本」も「日本創新党」もどちらもいまひとつだなという感じがする。
  大阪府議会の会派では既に同じ名前の「大阪維新の会」が結成されており、それが母体となって大阪市議、堺市議も加わって橋下大阪府知事が代表となって地域政党となったのだ。国会議員がいないので政党要件を満たしておらず法律上は政治団体である。
  メディアが"事実上の"と言っているのは、法律上は政党でないことと、橋下知事を支持する府議や市議が集まって結成したということについて配慮しているのだろう。中身的には完全な橋下新党である。
  大阪維新の会が目指すところは、一言で言うと大阪の復権、活性化である。大阪府と大阪市の二重行政を排除するために府と市を統合して"ワン大阪"となる大阪都を作る。関西空港を羽田空港と並ぶ日本の二大ハブ空港にするため伊丹空港を将来的に廃港にする。これらの政策を実現するために来年春の統一地方選挙で大阪府議会、大阪市議会に候補者をたて議会での過半数を目指すということだ。
  橋下知事が統一地方選挙で有権者にノーを突きつけられれば辞任する覚悟であるのに比べて、府議会議員がいまだに自民党に籍を残しているのはどうも納得できない。自分たちの選挙での当選を考えた選挙互助会という批判もここらあたりから来ているのではないだろうか。
  当初、水道事業の統合や水都大阪の復活などで平松大阪市長と協調路線を歩んでいた橋下知事は、平松市長は行政の長で政治家ではないと批判し政治的には関係を絶つとまで言い切った。これに対し平松市長は、自分の考えに反対する人を敵として排除するやり方を批判し大阪都は時代錯誤だと批判を強めている。
  橋下知事も平松市長も、地盤沈下が深刻な大阪を復権させるという最終目標は同じなのだが、それを実現する道筋で決定的に分裂してしまったということだろう。いや待てよ、橋下知事の最終ゴールは大阪の復権ではないのではないか。おそらく日本の再生であろう。まだ年齢的にも若いし、その政治的野心の強烈さからすれば、いずれ国政に出てこの国を何とかしようという思いがあると思う。
  橋下新党が掲げる府市統合も、東京と大阪間、大阪梅田と関西空港間がリニアで結ばれた際の伊丹空港の廃港という政策にも私はいずれも理解を示してきた。しかし、大阪都については具体的な姿が見えないこともあって少々疑問が残る。最終的には道州制を導入して関西州を目指すべきだと思うので、その過程でわざわざ大阪都を作る必要があるのだろうか。
  いずれにしても橋下知事はたいした政治家である。知事選挙で有権者は大阪府知事という行政の長として橋下さんを選んだと思われるが、ご本人はその地位では満足できずに政治家・橋下という存在がますます大きくなっている。
  橋下知事は「ten」に出演した際に、「(メディアでチェックされるまで)暴走して行きますんで」とコメントした。確信犯である。メディアとしては、今後も是々非々の立場で権力を監視していきたい。

10年4月18日(日)「#1022 介護」

  お年寄りを介護してくださる方々には本当に頭が下がる。特別養護老人ホーム、老人保健施設、在宅介護と色々な介護サービスの現場の方々とお話して現状を知る機会を得て、つくづく介護の仕事はたいへんだなと思う。
  母が実家に戻って2日目。まだまだ不安そうである。今日は親戚が老人ホームに入居することになったので、その立会いに姉と共に行った。これまでは民生委員の方をはじめ地元の方々に何から何までお世話になった。本当にありがとうございました。
特養では女性の入居者の方が圧倒的に多い。やはり女性は長生きなのだと実感した。スタッフの方々が皆さんとても親切で安心した。
  ホームでの手続きが終わるとすぐに実家に戻って部屋の片付け。姉と2人で今日も頑張ったのでかなり片付いた。母が暮らしやすいようにと要らない物をたくさん捨てたのだが、母は任せると言いながら不安そうである。母のためにと思ってやっているのだが、本当に母のためになっているのだろうか。自己満足になっていないのだろうか。片づけをしていて時々そう思う。
  夜になって姉が帰った後で母と2人で夕食を済ませ、明日から来てくださるヘルパーさんへお手紙を書いた。そろそろ帰ろうかと思ったが、母は1人になるのが寂しそうである。早めに帰って自宅でブログを書くと共に明日の大学の講義の準備をしようと思っていたが、もう少し実家にいて、ここでブログを書き講義の準備の勉強をすることにした。自宅に帰るのは遅くなるが、自宅でやっても実家でやっても結局、寝る時間は同じだ。少しでも母と一緒にいてやりたい。
  明日から、母1人の生活が始まる。姉も私もそれぞれの生活があるので毎日母の世話をすることが出来ない。介護サービスにお願いして母の生活をサポートしてもらう。自分の母が介護保険のお世話になることになって高齢化社会を実感している。

10年4月17日(土)「#1021 退所」

  母の涙を見たのはいつ以来だろうか。車椅子に乗ったお友達に囲まれて母の目から涙がこぼれた。昨年の10月に私の家に泊まりに来ていた時に廊下で転んで骨折してから半年という月日が経った。2ヶ月病院で治療を受けた後、老人保健施設という自宅に戻るためのリハビリ施設に4ヶ月ほどいて今日、ようやく退所することになった。
  姉と共に部屋の荷物の片づけを終わっていよいよ施設を出発することになった時、仲良くしてもらった施設のお友達の方々がエレベーターの前に集まって来て下さった。母は一人一人と手を握り合いながら「お元気でね」と声を掛け合ったが、堪え切れずに泣き出してしまった。皆さんわざわざ集まって来てくださって本当にありがたいことである。施設の職員の方々やお友達の方々に見送られて施設を後にした。
  母がお世話になるまで、介護の現場を目の当たりにすることはなかったので、その実情を知ることができて色々と勉強になった。想像していた以上に介護の現場の状況は厳しいものであった。施設の方々には本当にお世話になった。
それにしても、介護保険を利用している間は医療保険を使うことが出来ないというルールがあるのを初めて知った。利用者側からするととても不便である。高齢者の実情にあっていないのではないかと思う。これを機会に高齢者医療や介護の現状や問題点について自分なりに勉強してみたいと思う。
途中で二男も合流して4人でランチを食べた後、実家に戻った。夕方にはケア・マネージャーの方と在宅サービスでお世話になるヘルパーさんの会社の方が来て下さり今後の在宅での介護サービスについて打ち合わせをした。
姉と二人で今日まで何度も実家に通い荷物の片づけをしたのだが、まだまだ終わらない。今日も夜までかかって母の衣類を整理したのだが、結局終わらなかった。いつまで経っても片付かない荷物にイライラしてしまい、今日も母と口論になった。優しくしてあげなければと思いながらも、ついつい厳しい口調になってしまう。まだまだ修行が足りないようである。実家で荷物に囲まれてブログを書きながら、溜息が出てしまう。明日も朝から荷物の片付けである。明日こそ母に優しくしよう。

10年4月16日(金)「#1020 間食」

  大学院の講義で忙しいのに晩御飯を作ってくれる妻には申し訳ないと思いながらも、夕食が終わるとすぐにもぞもぞとお菓子類に手がいってしまう。体に良くないと分かっていながらも止められないのだ。
  口が寂しいのだ。お腹が一杯になってもついつい口に運んでしまう。食事が終わって満腹感を感じるまでに少し時間がかかるので、その間に食べてしまうのだ。間食が終わる頃には夕食の満腹感もやってくるので、お腹に張りを感じ胃の辺りが重くなってくる。毎回同じ苦しみを味わっても、次の日になるとまた間食をしてしまう。まるで子供のようだ。
  なぜ晩御飯が終わってすぐにお菓子に手が伸びるのだろうか。甘いものが好きだということもあるが、ストレスではないかと思う。煙草を吸わないので、口が寂しいというのもある。いずれにしても体には良くないだろう。
  間食の際のお気に入りはトルティーヤ・チップスである。トルティーヤというのは、すり潰したとうもろこしで作った生地を薄く延ばして焼いたもののことで、これを三角形などに小さく切って油で揚げたものがトルティーヤ・チップスである。ポテトチップスのとうもろこし版だ。そのトルティーヤ・チップスに溶けたチーズをかけ、サルサ(中南米などで料理に使われるソース)、ハラペーニョ(メキシコの青唐辛子)の輪切り、ひき肉、サワークリームなどをトッピングすると、私の大好物であるナチョスという料理になる。因みに、トルティーヤを手のひら大に丸く切って色々なものを入れて二つ折りにしたものがタコスである。
  ナチョスを作るのは手間なので、家ではチーズ味などがついた市販のトルティーヤ・チップスに、これまた市販のトマトのサルサをつけて食べている。アメリカに住んでいる時に覚えたのだが、食べだすと美味しくて止まらない。アメリカのスーパーマーケットでは安い値段で大きな袋のチップスが手に入るのだが、日本ではたまに売っていても袋が小さくて値段も高いのが残念だ。
  右手に生ビール、左手にナチョスを持ってアメリカのボールパークでメジャーの野球を見ているというのが私にとって至福の時である。ナチョスもボールパークによって味が違うので、新しい球場を訪れる時は楽しみである。ボールパークといえば、一時期は全米30ヶ所のメジャーの本拠地球場のうち半分以上は訪れたと思っていたが、その後各地で新球場が次々とオープンした。新しいボールパークを訪ねてナチョスを食べたいものだ。
  今夜もまた夕食のすぐ後にチップスを食べてしまった。とっても美味しかったが胃の辺りが張っている。

10年4月15日(木)「#1019 感謝」

  本当にありがとうございます。感謝しています。一昨日のブログで"反応"について書いたところ、読者の皆様から早速コメントを寄せていただいた。心に響く内容ばかりで、ブログを書き続けてきて良かったと心から思う。
  一昨日の内容を読み返してみたら、コメントを寄せてくださいとお願いしているかのような内容だ。冷静になってみたら恥ずかしい限りである。でもすぐに反応をいただいて嬉しかった。今後も書き続けようとあらためて思った。
  出来ることなら、一つ一つのコメントに対して個別にお返事を書きたいぐらいだ。ブログの内容もそうだが、番組でのコメントについても本当によく聞いて下さっているのだなと感じる。自分自身でも、ここはいつも以上に思い入れがあってコメントしたというところについて反応していただくと本当に嬉しい。この仕事をやっていて良かったと思う。
  毎日ちゃんと読んでくださる読者の方々がいるのに、弱音を吐いて愚痴を言った自分が少々恥ずかしい。にもかかわらず、温かい励ましのコメントを寄せていただき、自分は幸せものだなと思う。
  このところ自分自身についてのことばかりで、ニュースに関するブログを書いていない。以前なら気になって無理やりにでもニュースについて書いていたところだが、無理してニュースに拘らないことにした。心に引っかかって、これについて書きたいというニュースが少ないのだ。こんな時は無理しないでおこうと思う。自然体で行こう。
  皆さんから寄せていただく反応がなによりも励みになる。読んでくださった方々が思わずコメントしたくなるような内容を今後も書き続けることが出来たらなと思う。
  このブログをいま東京支社で書いているのだが、たった今、また読者の方からのコメントが届いた。ありがとうございます。これからも肩の力を抜いて"無難でなく"書き続けていきたい。

10年4月14日(水)「#1018 勉強会」

  ちょっとスケジュールを入れ過ぎたかも知れない。いつも書いているように、番組出演などのアウトプットばかりが続くと、勉強会や会合などでの情報や知識のインプットをしなければとの思いが強くなりついつい頑張ってしまう。
  番組出演のスケジュールが優先なので、番組に出ない日に東京へ行くことになる。勉強会や会合相手のスケジュールに合わせて東京行きを決められないから日程調整が難しい。そのため、東京に行く際には出来るだけ日程を入れようと思ってしまうのだ。
  きょうは朝一番の飛行機で羽田に飛んで、その足でメディアの勉強会へ。いつもながらに最新の情報に触れられる上、ものの見方に関する勉強にもなるのでとても有意義な勉強会である。
  勉強会が終わるとランチを食べる間もなく経済界のシンポジウムに出席した。原子力、電力などと並んで海外でのビッグビジネスが話題となっている水に関する会合である。UAE(アラブ首長国連邦)における原子力発電所建設の受注競争で韓国勢に負けたことで俄然注目された途上国に対する国をあげての国際ビジネスであるが、水に関しても政官民が力を合わせてのオールジャパンでの取り組みが求められている。それにしても、日本の商社の外国での頑張りには感心させられる。
  シンポジウムでの講演を聞いた後で近くのコンビニでおにぎりとお茶を買ってタクシーに乗り込んだ。日本プレスセンターに到着すると、河村たかし名古屋市長の記者会見は既に始まっていた。市長選での公約だった市民税10%減税を巡っての市議会との対決については知っていたが、投票で選ばれたボランティアの住民が委員となり地区に関する予算の一部の使い方を自分たちで決めるという地域委員会という取り組みについては不勉強で知らなかった。東京と大阪ばかりに目が行きがちだが、他の地域でも様々な改革の動きが進んでいるのだ。
  記者会見の後はメディアの勉強会。政治家の声を生で聴ける貴重な機会である。勉強会の後で東京支社に立ち寄りメールをチェックし大慌てでホテルにチェックイン。タクシーに飛び乗って、本日最後となる夜の勉強会に顔を出した。ものづくりの現場に関するたいへん貴重なお話を聴くことができてたいへん勉強になった。
  それにしても、一日で5件は少し頑張りすぎたかもしれない。どれもたいへん貴重な話ばかりだったので、しっかりと吸収して今後の番組でのコメントなどに生かしていきたい。

10年4月13日(火)「#1017 反応」

  こんなことを書いていいものかどうか迷ったが、このブログのタイトルに"無難でなく"と掲げているので思い切って書くことにする。
  最近少しずつ読者の方々から寄せられるコメントの数が減ってきたのである。ブログの内容が面白くないからだ、と言われたら返す言葉はない。解説委員のブログなのに、ニュースに関する内容が乏しく自分自身のことや家族のことなどプライベートばかりだと言われれば、その通りである。
  皆さんからいただくコメントには全て目を通している。読者の方々から寄せられるご意見やご感想はたいへん参考になるし、私にとっては何にも勝る励ましである。褒められて伸びるタイプなのだ。もちろん、厳しいご意見もたくさん頂戴するが、そういう考えや見方もあるなと勉強させられることばかりである。
  会社のホームページの担当者に聞いた事がないので分からないが、いったいこのブログを何人ぐらいの方が読んでくださっているのだろうか。読者の方々の反応を考えた上で書く内容を決めることはほとんどないのだが、書いている者としては反応がないというのはなかなか辛いものである。
  社内の同僚など仕事仲間でも、ブログについて感想を寄せてくれる人は限られている。昔からの友人などに会った際には「ブログ、読んでるよ」と言われることも多いが、その内容にまで踏み込んで感想を伝えてくれることはあまりない。
  ここまで書いて、やっぱり書かなければよかったと後悔してきた。なんか、後ろ向きである。仕事で書いている以上、読んでもらうことを前提としているのだが、その内容があまりに個人的なものに偏っているのだろうか。
  そろそろ「ミヤネ屋」の生放送に備えてメイク室に行く時間である。気持ちを切り替えて番組に集中しよう。

10年4月12日(月)「#1016 新学期」

  担任の先生は誰かな、同じクラスに仲のいい友達は何人いるかな。学年が一つ上がって新学期が始まると学校での生活が大きく変わる。楽しみでもあるし、ちょっぴり不安もあったりする時期である。
  子供たちもそれぞれの学校で新学期が始まった。担任は、同じクラスの友達は、と親は詳しく聞きたがるものだが、子供たちはそっけない。何から何まで説明するのが邪魔くさそうである。
  妻の大学院生活も始まった。講義での学生数は多くても10人ほどという少人数。なかには教授に学生が2人というクラスもあるようだ。さすが大学院である。通ったことがないから分からないが、大学の大教室での講義とは違うようだ。毎日のように大学の図書館に行って精力的に勉強している。
  そして、私にとっても新学期が始まったのだ。学ぶ方ではなく教える立場である。大学で非常勤講師をやるのも3年目に入ったが、今年は春学期の担当である。月曜日の1限目という学生にとってはつらい時間帯。
  教える内容は「時事問題研究」で、毎週その時々の注目されている時事問題について教えるのである。番組で解説するニュースと多くの場合重なっているので、自分自身にとっても勉強になる。
  1年目は毎回100人ほどの学生が受講していたが、2年目には130人ほどに増えた。さて、今年はどうなるかと思っていたが、初日の教室には今までより多い学生が来てくれた。数えたら160人ほどだった。有難いことに、毎年受講する学生が増えている。
  期末に試験をせずに、毎回の講義の中で学生にリポートを書かせて評価するので、160人ともなると毎回学生のリポートを読むだけでたいへんである。
  これまでと同じ大教室なのだが、人数が増えたので空席がほとんどなくなった。教壇に近い所に座っていた女子学生が講義が始まってもお喋りしていたので、「前で喋ったら目立つで」と言いながら軽く目線を送るとすぐに教室内が静かになった。緊張感の漂う講義にしたいと思っている。
  第一回目の時事問題は「新党」についてである。テレビ報道や番組出演の裏話もして脱線しながら、何とか無事に新学期最初の講義を終えることができた。大人数なので学生とのやり取りはなかなか難しいが、一方的な講義ではなく出来るだけ学生の反応を見ながら充実した講義にしていきたいと思っている。

10年4月11日(日)「#1015 監督交代」

  外泊2日目は昼までゆっくり寝ようかと思ったが、朝には母が起きている気配がしたので、眠いところを頑張って起きて2人でパンの朝食をとった。母は時間になるときっちりお腹の空く人なので食事は時間通りにとらなければならない。
  朝食が終わったら、ゆっくりする間もなく部屋の片づけを始めた。早く整理整頓を終えないと母が自宅に戻ってくるまでに終わらない。
  母に「あんた、気短かなったなあ」と言われた。忙しく片付けている最中に、母があれやって、これやってと言ってくるので、ついつい返事がぞんざいになるのだ。いけないと分かっていながらも、いつも優しく接することがなかなか出来ない。まだまだ修行が足りないようだ。
  ところで話は変わるが、長男が所属する中学の野球部の監督が交代した。新学期を迎えて今まで監督を務めて下さった先生が学校をかわることになり、新しい先生が監督になったのだ。さっそく、練習をのぞきがてらご挨拶に行ってきた。
  春の大会を前にして監督が替わったことで長男は少々戸惑いがあるようだ。指導者が替われば練習方法も選手起用も試合での采配も変わる。
  これまでショートとセンターを守っていた長男は、なんとピッチャーもやってみるように言われたそうだ。戸惑いながらも、ちょっぴり嬉しそうである。
  先日、二男を連れて長男の練習試合をのぞきにいったら、打順が1番から3番になっていた。中学になってからクリーンアップを打つのは初めてだろう。この日はヒット1本だった。それにしても、打席で落ち着きなくバットを揺らしてタイミングをとる仕草が私の学生時代の打ち方にそっくりで笑ってしまう。
  この試合では、途中からピッチャーもやった。投球練習を見ていると、テイクバックが小さい野手投げである。ストライクが入るのかと心配したが、試合になるととてもコントロールが良かった。ストレートがスライドしたり、シュートして落ちたりしている。握りを少しずらして意識してボールを揺らしているならたいしたものだが、そんなはずはない。腕の振りが一定していないので、自然とボールが揺れるのだろう。思っていたよりいいピッチングだったので正直驚いた。ちゃんと指導を受ければピッチャーも出来るかも知れない。
  監督が替わって、今までとメンバーもだいぶ替わった。主力組は今までどおりである。本当に実力のある選手は、誰が監督になろうとも試合で使われるということだろう。
  マウンドで、打席で、楽しそうにプレーをしている長男の姿を観て嬉しくなった。野球は楽しむのが一番である。

10年4月10日(土)「#1014 外泊」

  外泊という言葉には、どこかドキドキした響きがある。いけないことをしているような秘密の匂いがしないでもない。今夜は外泊である。
  私が生まれ育ったのは大阪市内の田舎町。市内に田舎があるのかと思われるかも知れないが、小学生の頃には家の近くに田んぼや畑や池が広がり、セイタカアワダチソウを刀にしてのチャンバラや池に発泡スチロールの船を浮かべての探検、基地作りにレンゲソウ摘みと、大阪市内でも田舎の遊びを満喫することが出来るのどかなところだった。
  実家は平屋建ての府営住宅。4軒長屋だった。自宅にお風呂はない。狭いながらも庭には桜の木があった。夏には玄関で行水したのもいい思い出だ。会社に入ってから、府営住宅の建て替えで団地に引っ越したのだが、30歳で結婚するまで一度も実家を出たことがなかった。
  その思い出深い実家での外泊である。隣の部屋では母が寝息をたてている。骨折した後、リハビリ施設で自宅に帰るための療養生活をしていた母がようやく自宅に戻ることになったので、その準備のため外泊許可をとって2人で実家に泊まりにきたのだ。
  母が1人でも快適に過ごせるために家の中を色々と改造しているのだが、久し振りに自分の家に戻ってきた母は、その変わり様に少し戸惑っているようだ。畳での生活から椅子での生活に変えるために部屋の模様替えをしているのだが、これがなかなか大変なのだ。ベッドからトイレに行く廊下や玄関には手すりを設置する工事もしなければならない。
  姉と相談しながら協力して母が住みやすいようにと色々と考えている。年老いた親の面倒をみるのはたいへんなことも多いが、こういう時に兄弟が居てよかったなと本当に思う。しかも姉だから面倒見がいいのだ。子供の頃は弟や妹も欲しいなと思ったが、この歳になると姉でよかったとつくづく思う。なにかと頼りになるのである。
  母との2人きりの一泊二日であるが、とにかく忙しい。実家の片付けに加えて、ブログも書かなければいけないし、来週から始まる大学の講義の準備にもとりかからなければならない。いまだに実家に置きっぱなしの私の物も片付けなければと思いながらも、今回もその余裕はなさそうである。今は母の生活を立ち上げることが第一である。

10年4月9日(金)「#1013 緊張感」

  テレビ番組のコメンテーターという仕事をしていて何が一番難しいか。人それぞれだろうが、私の場合は自分自身があまりよく知らない話題について、予想もしなかったタイミングで予想もしなかった内容の質問をされた時に瞬時にどう答えるかということだ。ほとんど反射神経の世界だが、これがなかなか難しいというか、ぜんぜんうまく出来ない。
  こう書くと、番組中の質問は通常はほとんど事前に分かっているのかと思われるだろうが、事前に司会者と打ち合わせることはないのでどのタイミングで何を聞かれるのかは事前には分からない。とは言っても、私がいま出演している二つの番組ともベテランの司会者の方々に優しく接してもらっているので、だいたい何を聞いてくるのかはある程度分かるようにはなってきた。
  自分がそこそこ詳しいニュースや話題については事前にこんなことを話そうとすぐに思いつくのだが、あまり知らないことについては番組が始まる前に自分で調べることにしている。専属の調べるスタッフが何人かついているのですかと聞かれることがあるが、私の場合は全くの1人である。その話題について何がポイントなのかを自分で判断して自分自身で調べるのだ。必ずしも自分が調べたことについて司会者が聞いてくれるとは限らないが、ここだけの話、違う事を聞かれても何となく自分が話したいことに持って行くという技も何とか身につけつつあるのだ。
  番組中にいつ何時なにを聞かれても無難に答えることができたらなと思うが、実力不足でそうは簡単にはいかない。また性格上、当たり障りのないことを無難に言うことがなかなかできないので苦労するのだ。これは生き方だから仕方がない。
  番組で共演しているコメンテーターの方々を見ていると、話し始めてから、話しながら、どんな話の展開にするかを考えながら、コメントしている人がいる。横に座っていてさすがだなと思う事が多い。あんな風に喋れたらなと思う事もあるが私には無理だろう。
番組に出ていて楽しいなとようやく思えるようになってきたが、この仕事は体に悪いだろうなと思う。生放送中の緊張感は大好きだが、終わったらぐったり疲れるのだ。取材現場からの生中継の際には、放送時間が近づいてくるにつれてテンションが上がってくるのだが、長時間の生番組の際にはずっとある程度の緊張感が続くのだ。生放送のスタジオも楽しいが、原稿も出来ていないのに放送時間が刻々と迫ってくる時の現場からの中継での緊張感がたまらない。震えるような緊張感の中で、現場からの生中継を久しぶりにやってみたいものだ。もっともっと現場に出よう。

10年4月8日(木)「#1012 中南米」

  久しぶりに食べたブラジルの肉料理はとても美味しかった。度数の高いブラジルのカクテルに気分良く酔った。美味しいお酒と食事を気の置けない人たちと共にするのは楽しい。会話も弾むというものである。
  中南米には思い入れが強い。ロサンゼルス特派員をやっていた時の取材担当エリアがアメリカの西半分だけでなく中南米にも及んでいたことから取材でよく訪れた。特派員として最初に赴任したのがロサンゼルスではなく、当時まだ続いていた日本大使公邸人質事件を取材するためのペルーであったことから、最も多く訪ねたのはペルーである。特派員時代に通算10度ほど行ったのではないだろうか。
  アルゼンチンにはサッカーのワールドカップの取材で行った。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは南米のパリと言われるだけあって魅力的な街である。男性は男前、女性は美人、食べるものもワインも美味である。中南米の中でも最も好きな国である。
  取材で行った国はこのほかにブラジル、チリ、メキシコ、エクアドル、グアテマラ、ホンジュラス、コロンビア、エルサルバドルといったところか。プライベートではカリブ海のバハマやキューバにも行ったが、キューバの首都ハバナは最高だった。
  南米好きが高じて特派員時代のバケーションとして家族も連れてブラジルとアルゼンチンを巡った。まだ二男は赤ちゃんだったが、ロサンゼルスからサンパウロ行きの飛行機の中でなかなか寝付かない二男をずっと抱いてうろうろしていたのが懐かしい。今から考えると妻や子供を連れてよくも南米まで行ったものだ。日本に帰国したら家族みんなで地球の裏側まで行くこともなかなかないだろうということで頑張ったのだ。大好きな南米の国々を家族にも見せてあげたいという気持ちも強かった。
  中南米ではみんな親切で人懐っこいし、食事もお酒も本当に美味しい。前世は中南米に住んでいたのではないかと思うほど、中南米の国々に行くとリラックスできるのだ。今度は大阪でペルーやメキシコの料理を食べに行くのもいいかな。現地にも行きたいなあ

10年4月7日(水)「#1011 携帯の電池」

  携帯電話をふと見たら電池の残量を示すマークが赤くなっている。電池がもうほとんどないというサインである。昨夜、ホテルで見た時は電池残量が減っているのが分かったが、きょう昼には赤くなっていた。それほど電話をかけたりメールをしたりしている訳ではないのだが、このところ携帯電話の電池の減り具合が速いのが気になる。
  仕事柄、携帯電話の電池がなくなると困るので充電コードと共に予備の電池も鞄に入れて持ち歩いている。充電池は途中で中途半端に充電すると減りが速くなると聞いたので、できるだけ使い切るまで充電しないようにしている。
  今使っている携帯電話に換えてから何年経つだろうか。そんなに長く使っているとは思わないが、充電池が古くなるほどの時は経っているような気もする。そろそろ充電池を新しくする時期なのだろうか。
  電池残量の赤いサインを見ていてふと思ったことがある。これって何かに似ていないか。あんまり言いたくないが、私の頭の容量である。たいしたものが入っていないのに、少し吐き出すとすぐに残量が減ってしまう。つい最近、充電したばかりなのに、少しコメントするとアウトプットのレベルが下がる。
  年を重ねて頭の中が古くなったと思いたくないが、最近、人の名前がすぐに出てこないことが多くなった。顔は浮かんでいるのに名前がすぐに出てこずに、携帯電話のアドレス帳で調べようと思うのだが、名前が分からないので簡単に検索しようもない。
  いま東京支社でこのブログを書いているのだが、頭がボーッとしてきた。昨夜泊まったホテルの枕が柔らかすぎたのでなかなか寝付けず寝不足なのかもしれない。こんな後ろ向きなことを書くのは良くないからこれぐらいにしよう。それにしても携帯電話の充電池のように買い換える訳にはいかんしなあ。リフレッシュが必要かな。

10年4月6日(火)「#1010 メジャー開幕」

  今年もいよいよこの季節がやってきた。アメリカのメジャーリーグが開幕した。あれはたしか2001年の春だった。ロサンゼルス特派員の任期が終わって日本に帰国する直前に、当時まだ小学校に入学前だった長男を連れてドジャースタジアムで開幕戦を観戦した。プレイボール直前にはお決まりの戦闘機がボールパークの上空に轟音を轟かせた。いつかこの息子がメジャーリーガーになって開幕戦に招待してくれるかなと思ったのを昨日のことのように覚えている。
  日本人にとって今年のメジャーの注目はなんと言っても松井だろう。東海岸のヤンキースから西海岸のエンゼルスに移籍して、ジャージも縦じまから真っ赤に変わった。似合うかなと少々心配だったが、見慣れてくるとさまになっている。
  ロサンゼルスにはドジャースという人気球団があるので、エンゼルスはずっと地味な存在だった。ディズニーが買収してからジャージも球団ロゴも変わり生まれ変わった。そして大金持ちのヒスパニックのオーナーが買収して球団経営にも力を入れ、実力と人気を兼ね備える有力球団に成長した。
  地元で開幕を迎えた松井は四番DHで先発出場。今年は膝の具合もよくレフトを守ることも増えると思うが、まずは無難なDHでのスタートとなった。強打者がずらりと並ぶヤンキースでは打点を稼ぐ渋い存在だったが、若手主体のエンゼルスではホームランを期待される堂々の主軸打者である。その期待に応えて、開幕戦では勝ち越しのタイムリーヒットに加えてホームランも飛び出した。新天地で最高のスタートである。
  西海岸には日本人も多いし、同じアメリカンリーグ西地区にはイチローもいるし、今年のロサンゼルスは例年以上に熱くなりそうだ。
  今年はメジャーのオールスターゲームがエンゼルスの本拠地で開かれる。松井は持っている力を発揮すれば地元の人気選手としてオールスターに選ばれるだろう。メジャーファンとして、ロサンゼルスをこよなく愛する私としては何としても駆けつけなければならないところだが、その日程がなんと参議院選挙の予定日とほぼ重なっているのだ。松井の活躍も日本の政局も気になる日々が続きそうだ。

10年4月5日(月)「#1009 新党」

  かねてから自民党の谷垣総裁に対して批判的だった与謝野元財務相が園田元官房副長官と共に自民党を離党して平沼元経産相らと合流して新党を立ち上げることになった。ビッグネームが揃ったのにいまひとつスッキリしないのはなぜなのだろうか。
  ひとつは新党に参集すると見られている人たちの年齢が高く、いわゆる若手と言われる議員が今のところ合流する予定がないことだ。年齢層が高いのは良くないとは言わないが、世代交代を求めたのに実現せず自民党から離れた結果の新党の年齢層が高いというのはどうなのだろうか。
  次に、自民党に対するスタンスがはっきりしない。自民党を飛び出した結果、谷垣執行部は除名処分も検討していると言われているのに、与謝野、園田両氏の口からは自民党と敵対するのではなくあくまでも反民主党だとの声が聞こえてくる。両氏とも自民党の幹部として屋台骨を支えてきたのだから、自民党のどこが駄目でなぜ離党しなければならないかの総括を聞いてみたい。
  そして新党を立ち上げて何を目指すかという政策である。与謝野、園田両氏は財政再建論者で消費税の増税を訴えている。一方、平沼氏は自主憲法の制定などタカ派のリーダーとして保守の再建を目指している。郵政民営化に関しては、政権内で民営化を調整した与謝野氏と、民営化にあくまで反対を貫いて自民党を離党した平沼氏では全く正反対である。新党に集う人たちの政策が全て一致するとは思えないが、最も重要視すべき政治理念を共有することができるのだろうか。
  政界再編が起きるという声もよく聞かれるが、ひとつはっきりしていることは与党である民主党が分裂しない限り、いくら野党内で組み合わせを変えて新党を立ち上げても政界再編は起きないのである。政局話としての新党は刺激的ではあるが、どういう政策を掲げどういう国づくりを目指すのかという政治理念が最も大切であるのは言うまでもない。

10年4月4日(日)「#1008 桜咲く」

  お天気が良くてよかった。ほとんど満開に近い桜の花びらが青空に映えて美しい。この季節を迎えるたびに、日本人に生れて良かった~と心から思う。そんな春が大好きだ。
  前々から桜を観たいと言っていた母を迎えに行って自宅近くの桜の名所を車で走った。走ったというより、もの凄い人出で道路も渋滞しているので、とろとろ走れたおかげで車の中から桜の花をゆっくり観賞することができた。それにしても日本人は桜が大好きである。満開の桜の下のいたる所にブルーシートが敷かれたくさんの人がお弁当を広げている。夜にはこれが宴会に変わるのだろう。
  母と家族4人のあわせて5人で自宅近くのレストランに行きランチを楽しんだ。家族5人のうち二男は少年野球である。コーチでもある私は母の願いを叶えるために今日は練習を休ませてもらった。
  ランチを済ませて自宅近くの桜並木を皆で歩こうかと思っていたが、二男の野球の試合も気になった。母にそのことを話すと野球の試合を観に行ってやりたいという。母が孫の野球の試合に来るのは何年ぶりだろうか。
  試合が始まって少し経った頃にグラウンドに到着した。私たちが観戦しに来たのを目ざとく見つけた二男は「いつから見に来てたん?」と聞いてきた。長女も長男もクラブの試合を見に来られるのを嫌がるのだが、二男は見に来てもらうのが大好きなのである。
  サードで先発出場していた二男はこのところバッティングの調子がいいので、おばあちゃんの前でいいところを見せることができたらいいのになと思っていた。今日は母に加えて妻も長女も私も見守っている。舞台は揃ったのである。
  さてお待ちかねの二男の打席が回ってきた。せっかくだから持っていたデジカメで写真を撮ることにした。動画も撮れるのだが、まずは写真を1枚おさえてからとパチリ。2球目も打席の構えで1枚写真を撮って動画モードに切り替えた瞬間にファインダーの中の二男が鋭い打球を放った。カメラ越しに一塁ベースを蹴る二男を追いかけると、どこまでも走り続ける。三塁も回ってホームイン。なんと初めてのランニング・ホームランだった。家族一同が見守る大舞台での一撃に、嬉しいというより、ほんまかいなと唖然とした。
  何年ぶりかに観に来たおばあちゃんの前で打つなんて凄いなと我が子ながらに感心していたら、なんと次の打席でも快心の二塁打を打った。二塁のベース上に立った二男は「もっと喜べ!」というコーチの言葉を受けて遠慮気味に小さくガッツポーズをした。可愛い奴や。
  その試合での活躍が認められたのか、次の1学年上の試合でもサードで先発出場した。さすがにヒットは打てずエラーもしたようだが(長男を迎えに行かねばならず残念ながら最後まで観戦できなかった)、サードを守っている時には観ている私の方が緊張した。強いサードゴロをはじいたのだが、すぐさまファーストに投げてアウトにした時には、親バカながら、なかなかやるなと思った。1学年上の試合に最後まで出してもらって二男はとても緊張しているように見えたが貴重な経験をさせてもらった。これでまた一回り大きくなるだろう。
  子供たちの成長を目の当たりにした母は、なによりも喜んでいた。我が家の桜たちも順調に花を咲かせつつあるようだ。

10年4月3日(土)「#1007 都をどり」

  久し振りに妻と二人で京都にお出かけするので、少し早い目に京都に入って桜でも観に行くかと思ったが、結局いつもの通り時間ギリギリになった。それもそのはずである。妻は早くから家を出る準備をしていたのに、私はノンビリして愛犬ベルの体をシャワーで洗っていたのだ。ベルをきれいにしなきゃと思ったら、いてもたってもいられなくなったのだ。
  祇園の都をどりは何年ぶりだろうか。前回は何年か前に母と一緒に観に来た後、祇園街で食事をしてとても楽しかったのを覚えている。
  子供の頃には父によく先斗町の歌舞練場で行われる鴨川をどりに連れて行ってもらった。一方、都をどりは祇園にある歌舞練場がその舞台である。
  京都には五花街とよばれる5つの花街がある。一般的には祇園とよばれる祇園甲部に上七軒、宮川町、先斗町、祇園東の5つである。それぞれの街が春の京都でそれぞれの舞踊会を開いて華やかさを競うのである。
  祇園甲部の「都をどり」、上七軒の「北野をどり」、宮川町の「京おどり」、先斗町の「鴨川をどり」、祇園東の「祇園をどり」である。「祇園をどり」だけが秋に催される。また五花街が一堂に会する舞踊会も開かれるのだ。
  都をどりの開演時間の1時間ほど前に歌舞練場に到着して、舞台の前にお庭を散策したり、お茶席を楽しんだりするのである。お茶席では芸妓さんがお点前としてお茶をたててくれて舞妓さんが運んでくれてお団子と共にいただくのだ。そのお団子のお皿はお土産としていただけるのである。
  都をどりが開かれる祇園甲部の歌舞練場の客席は2階もありかなりの広さである。舞台も奥行きがあって、せり上がりなどの舞台装置もある。客席には外国人観光客の姿も多い。
  たくさんの芸妓さんと舞妓さんが舞台を彩る都をどりというと、華やかという印象があるが、今年の舞台は落ち着いた場面が多く例年に比べて少し地味な印象があった。そんなに何度も都をどりを観ている訳ではないが。
  舞台の後はお待ちかねの祇園街である。大勢での宴会の後は、妻と二人きりで久し振りにゆっくりと杯を傾けた。やはり祇園の夜は奥深い。詳しく書けないのは残念だが。

10年4月2日(金)「#1006 政務と公務」

  こんな言い方をしたら失礼かもしれないが、何か論争のレベルが下がってきているような気がしないでもない。大阪の府市統合をめぐる大阪府の橋下知事と大阪市の平松市長のぶつかり合いである。
  橋下知事と平松市長は代々の知事と市長に比べると仲が良いのではと思っていたが、知事が府市統合を言い出してから関係がギクシャクしてきた。知事は市長のことを「平松市長は政治家というより役所の一員になってしまったのかな」と批判し、一方の市長は府市統合を目指すなどの知事の一連の動きについて大阪府知事のやることかと疑問を呈し、双方の溝は深まるばかりである。
  大阪府議会に橋下新党につながる新会派「大阪維新の会」を立ち上げた知事側の構想はこうだ。大阪市を事実上解体し周辺の10の市とあわせて再編した20の区を中核とする「大阪都」を目指すというものだ。
  知事は新会派をもとに地域政党となるいわゆる橋下新党を立ち上げて府市統合を旗頭に来年の統一地方選挙を戦う意向だ。
  知事や市長という地方自治体のトップは、首長という「行政のトップ」であると共に、やりたい政策を掲げて選挙で選ばれた「政治家」でもある。二つの顔があるのだ。そういう意味では知事と市長、相手を批判するどちらの言い分もある意味理解できる。
  政治家として活動する時は「政務」、行政トップとして動く時は「公務」と使い分けながら活動するのが公職に付いている政治家の動き方である。
  20年先、30年先のビジョンを語る政治家・橋下の言い分も、足元の市民の生活に目を向ける行政トップ・平松の言い分も分かるだけに、双方の違う立場に対する交わることの難しい批判合戦は残念である。
  大阪府と大阪市の争いから一歩進んで、関西州に向けて力を合わせる姿も見てみたいものである。

10年4月1日(木)「#1005 入学式」

  この季節になると桜が咲き誇り新たな門出を祝う。日本の四季は本当によくできている。入学式の立看板のところで記念写真を撮ったが、その辺りの桜も七分から八分咲きだった。
  入学式に出席したのは久しぶりだ。と思ったが、そうでもないか。長男の中学の入学式はそんな前ではない。二男の小学校の入学式も懐かしい。長女の中学の入学式はだいぶ前のことだ。
  きょうの入学式の主役は子供たちではなく、我が家の奥様だ。以前にもこのブログで紹介したが、この春から大学院で学ぶことになったのだ。妻は大学で教えている実績もあるので大学院の入試には合格すると思っていたが、返済しなくていい奨学金を得るとまでは思っていなかった。
  長女も連れて3人で出席した入学式は大きな講堂で開かれ、500人以上の学生が出席していた。30代以上の人も多くいたが、学生本人なのか家族なのかは分からない。
  大学院の入学式は、小学校や中学校の入学式のような緊張感はないが、これから専門的な学問を究めるのだという決意のようなものが会場に漂っているような気がした。「何のために学ぶのか」ということを問う学長の祝辞が印象に残った。国際交流に力を入れている大学だけあって、挨拶の1人は外国人で英語でのスピーチだった。
  入学式の最後は大学の校歌の斉唱。隣にいる妻は、その校歌をなぜ私が歌えるのか不思議そうだった。学生時代に野球の試合でレフトを守っている時に相手校のスタンドからよく聞こえて来たので覚えてしまったのだ。
  入学式が終わると妻は研究科のオリエンテーションに向かった。こうして妻は大学の先生をやりながら学生になった。うらやましい。私も出来ればもう一度学生としてキャンパスに戻りたい。

春川正明

はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西学院大学非常勤講師
大阪市出身