また息子の野球の話かと思ったあなた、あなたは正しい。念願の公式戦初ヒットはブログのネタになっても二本目、ましてや三本目はブログに書かないと思ったあなた、あなたは甘い。先週、二男の初ヒットについてこのブログで大々的に取り上げて今週はもう書くこともないと思っていたが、今週も親バカにお付き合いください。
二男のチームは今週も遠征で2試合予定されていた。2試合なら先週と同じようにどちらか1試合には出してもらえるかもしれないと思っていた。
午前中の練習で外野ノックを打つことになったが、その外野手の中に二男も入っていた。先週は外野で先発した二男だが、このところずっとサードを守っていたので外野は久し振りだ。フライの捕り方もなっていないし、守備位置の後ろに飛んだフライを追う際のバックの仕方もできていない。外野からの送球も内野手のようだ。ノックを打ちながら、外野手として一から教えなければと思った。
バッティング練習では先週の初ヒットで自信をつけたようでよく振れていた。
車で遠征先まで移動した後で、試合会場となる小学校で試合前のキャッチボール。私のすぐ横でキャッチボールする二男が気になる。速いボールが体の正面に来ると、ボールを怖がるように体を横に避けてボールを捕球するのだ。ボールが怖かった幼い頃の捕り方が癖になっているようだ。直してやらなければと思いながら、直せないまま今に至っている。
小雨が降る中で試合が始まった。二男は7番ライトで先発出場。先週の試合で二打数二安打だったので打順が先週の9番から二つ上がったのだろうか。
第一打席はイニングの先頭打者。初球は空振り。二球目は引っ張ってファーストへファール。ツーナッシングと追い込まれた。三球目は技巧派のピッチャーのスローボールを待ちきれずに空振り三振だった。先週に続いて私は三塁塁審だったが、先週と違って今日は落ち着いて見られた。
守備では、ライト前に強烈なヒットが打たれた時に、二男の腰が高かったのでトンネルだと思った。しかしがっちりと捕った二男はファーストに投げてライトゴロ。その後も、ライトライナーをグラブからボールが出かかったものの何とかおさえた。守備ではノーエラーだった。
試合は両投手が力投し5回表を終わって0対2で負けていた。ここまでノーヒットに抑えられており、最終回も三者凡退で終われば二男まで打席が回らない。ここでチームが意地を見せ初ヒットも出てワンアウト二塁三塁のチャンスで二男の二打席目となった。一打出れば同点ということは忘れていた。二男に打席が回ってよかったとだけ思っていた。
その初球。先週の二本目のヒットと全く同じセンター前へライナーのヒットを放った。低目の球をきれいにすくった快心の一撃だった。三塁ランナーに続いて二塁ランナーも三塁を蹴って猛然とホームへ向かう。ホームインすれば同点だ。しかし残念ながら本塁タッチアウトとなった。次のバッターも打ち取られゲームセット。試合は惜しくも1対2で負けてしまった。
それにしても、正直言って今日もヒットを打つとは思っていなかった。このブログにも書いたが、子どもがちょっとしたきっかけで身に付けた自信の力には驚かされる。ここ二試合で四打数三安打。うちタイムリーヒット二本で二打点。ここ一番の勝負どころでヒットが出ている。昨年春から10ヶ月、ヒットが出ずに苦しんでいたのがウソのようだ。
試合が終わって自宅に戻り一緒にお風呂に入った時に聞いたところ、二男は「なんか打てるような気がしてた」ということだった。「三本もヒットが打てて夢のようや」ともポツリと言った。自信をつけた二男はまだまだ打てるだろう、と父は思うし二男にもそう伝えた。
このブログを書いている時に内容をチラッと見た中学生の長男が一言、「お父さん、親バカやなあ」。今度は長男の野球の試合を観に行こう。
ついに、というか、ようやくやって来た。スタジオでもうすぐ生放送が始まるというのに、どうしてもコメントが浮かんでこずに悪戦苦闘している。焦れば焦るほど言葉が出てこずに、もう駄目だ、生放送に間に合わないと思った瞬間目が覚めた。夢の話である。
実際の放送では、放送前に項目表や原稿などに目を通して、きょうの放送ではどんなコメントを話そうかと大まかな事を考えることはあっても、放送前に具体的なコメントを考えたり、ましてやそれを文章にしたりすることはない。しかし、夢の中では放送前にどうしても気の利いたコメントが書けず冷や汗を流していた。「春川さん、おはようございます」という司会者の挨拶の言葉までいつものままで、とてもリアルな夢だったのだ。
解説委員になって2年半。初めて解説委員として仕事がうまく行かず放送に間に合わないという夢をみた。夢の中では、これでようやく解説委員として一人前になったということだろうか。
最近ではみなくなったが、会社に入ってから最初の職だったVTR編集の夢は本当によくみた。放送時間が迫っているのに編集機を操る手が思うように動かずどうしてもうまく編集ができない。焦れば焦るほど絵が繋がらず、最後には放送に間に合わないといういつも同じ内容の夢である。
記者になってからは、もちろん放送に原稿が間に合わないという内容に変わった。アナウンサーやデスクが今か今かと原稿の仕上がりを待っているのにどうしても筆が進まない。そうこうしているうちに放送時間がやってくるというお決まりの夢である。
特派員になってからは、海外からの中継が迫っているのに原稿を書き上げることができずにイライラが極限に達するという夢に変わった。その時その時の仕事に応じて夢の内容は微妙に変わるのだが、放送時間に間に合わないというパターンだけは不思議なことにいつも同じなのだ。
チーフ・プロデューサーや報道部長の時にはどんな夢をみたのだろうかと思い出そうとするのだが、その2つの役職に限っては思い出せない。それらの役職では一人前になることはなかった、むいていなかったということなのだろうか。
今後はスタジオで突然質問をふられて絶句するような夢をみるのだろうか。
「いのちを守りたい」という冒頭の一言を聞いた時、「やっぱりそう来たか」と思った。鳩山首相の施政方針演説をテレビで聴いた。
首相に就任して初めての特別国会で行った所信表明演説を国会で聴いた時も、政権交代を実感させる様な、これまでの自民党政権とは違った異例の演説だった。自民党政権では、各省庁がそれぞれの省の個別政策について書いた短冊と呼ばれる文章を首相官邸で繋ぎ合わせた上に首相の政治理念を足すというやり方が一般的だった。鳩山政権では、腹心である松井官房副長官がライターとなって鳩山首相の思いを汲み取って書き上げるというアメリカ的なやり方である。
「コンクリートから人へ」という政権の礎となる考え方に基づき、来年度の予算を「いのちを守る予算」と名付けた。内政では、地方主権の実現は鳩山内閣の改革の一丁目一番地と位置づけた。外交では、アジアにおいて「いのちと文化」の共同体を築きあげたいと決意を語った。
所信表明演説や施政方針演説というものは、細かな政策を羅列するよりもその政権が、首相自身がどういう国づくりを目指したいかというビジョンを示すものだと私は思う。それだけに、自民党政権の時の演説よりも鳩山首相の演説のほうが本来あるべき姿に近いとは思う。しかし、就任直後の所信表明演説の時には高揚感もあり心に響くものがあったが、残念ながら今回は盛り上がらなかった。
その理由は、就任以来4ヶ月以上過ぎているのに新政権がこれといった目覚しい成果をあげていないからだろう。成果どころか、首相と幹事長という最高実力者2人が政治とカネを巡る事件に関わり国民の政治不信を増大させている。また、日本外交の基軸である日米同盟も普天間移転問題で大きく揺れている。
鳩山首相が目指している、人の心を大事にする政治には大いに共感するものがあるが、日々の国民の生活を支える政権を担当している以上は、理想は理想として現実問題にもシビアに対応して欲しい。
7月の参院選まで鳩山政権が続くのかという声すら聞こえてくる現状だが、安倍、福田、麻生と短期間で交代したことを厳しく批判された自民党政権でも1年間続いたのだ。これでまた鳩山政権が1年未満で交代するようなことになれば、国民の政治不信は取り返しのつかないレベルにまで達するだろう。
鳩山首相の本会議での演説をあと何度聴けるのだろうか。
有権者名簿からくじ引きで選ばれた11人からなる検察審査会。1948(昭和23)年にできた検察審査会は現在では全国各地に165ある。検察が不起訴とした事件について審査会独自で審査し、「不起訴相当」、「不起訴不当」、「起訴相当」のいずれかの判断を下す。
「不起訴不当」、「起訴相当」の議決が出ると検察は再捜査することになるが、これまでは検察審査会の決定に法的拘束力はなく、検察が再捜査して再び不起訴とすることが多かった。しかし検察審査会法が改正され去年5月からは「起訴すべき」という議決が二度出されると検察官に代わって裁判所が選任した弁護士が起訴しなければならないことになった。これまで検察が独占していた起訴(刑事責任追及のために刑事裁判にかけること)する権利が検察以外にも与えられるという画期的な改革である。
この改革の背景には、検察の不起訴決定が市民感情からかけ離れていることが多いという司法に対する不満があった。裁判員裁判と同じように司法に市民感覚を導入しようということだ。
今回、検察審査会の二度にわたる起訴すべきという議決を受けて初めて起訴される事件となったのが01年に兵庫県明石市で起きた歩道橋事故である。夏祭りに詰めかけた観客が歩道橋に殺到して11人が死亡、247人が怪我をした大事故で、当時の現場で指揮した警察官や警備会社の幹部、市役所幹部らが責任を問われ有罪判決を受けた。しかし、当時の明石署副署長についてはこれまで検察審査会が三度にわたって起訴相当の議決を出してきたにもかかわらず検察は最初の捜査とあわせて四度不起訴としてきたのだ。
今回、二度目の起訴議決となった議決書には「被疑者が有罪か無罪かという検察官と同様の立場ではなく、市民感覚の視点から、公開の裁判で本件の事実関係及び責任の所在を明らかにして、本件の様な重大事故の再発防止を望む」と書かれている。これまでの検察の判断基準とは違って、まさに市民感情をくみ取った妥当な判断だと思う。
但し、忘れてはいけないのは市民感情に基づいて検察審査会が起訴に持ち込んだといっても刑事裁判の大原則は「推定無罪」ということだ。検察審査会がいつも正しいとは限らない。冤罪事件となった甲山事件では、検察審査会の決定を受けて再逮捕されるということもあったのだ。
また、検察官に代わって起訴し公判を担当することになる弁護士が膨大な証拠を吟味しつつ、警察や検察の協力を得て再捜査を指揮して的確に有罪に導ける体制が整っているかという課題もある。
いずれにしても、市民から選ばれた検察審査会が刑事裁判のプロである検察が起訴できないと判断した事件について検察の判断を覆す道が開けた訳である。起訴するにしても不起訴にするにしても、検察には今まで以上に国民に対する説明責任が求められることになる。
鳩山首相の献金問題に小沢幹事長の政治資金規正法違反容疑事件と、与党である民主党に逆風が吹き続けている。政権交代で大きく跳ね上がった民主党への支持率も内閣支持率も下がり続けている。
そうした敵失が続いているにも関わらず野党に転落した自民党の支持率がなかなか上がってこない。民主党に対する批判、不満、不審の声の受け皿になっていないのが現状である。
政権交代が起きてからほぼ5ヶ月が経ったので、そろそろ放心状態から抜け出して自民党再生のために本腰を入れなければならないと思うがなかなかエンジンがかからないようだ。
自民党の議員と話していて感じるのは、自分たちが置かれた立場についての自覚が足らないのではないかということだ。長く与党にいて野党を経験したことがない議員がほとんどなので仕方がないかも知れないが、野党としてどうあるべきかという覚悟が伝わってこない。
まずは、なぜ選挙で負けたのかという反省が必要だし、功罪あった小泉政権の総括も欠かせない。どちらも党内で行われているのだろうが、国民に伝わるというレベルにまでは達していないように思う。
健全な民主主義のためには力強い野党の存在が欠かせない。総理と幹事長というトップ2人のお金の問題が起きているのに党内から健全な批判の声が聞こえない民主党の現状は深刻だと思うが、やっぱり自民党が良かったという声も全く聞こえて来ないのも心配だ。
そんな中、東京で開かれた自民党の谷垣総裁の記者会見に出席した。自分なら何を質問するかなと思っていた時に、ある方が私が思ったのと全く同じ質問をした。「鳩山、小沢と民主党の敵失が続いているのに自民党の支持率が上がらないのはなぜか、また支持率を上げるために今後何をしようと思うか」という問いを谷垣総裁に投げかけたのだ。
これに対して谷垣総裁は、自民党の支持率が上がらない理由については明確に答えずに「野党になることもあるということで、ドカーンとしていること」が大事だと答えたのだ。自民党は立ち直るのだろうか。
一昨日、このブログで二男の初ヒットについて書いたところ、知り合いからもコメントやメールをもらった。二男の野球に関しては今までも何度かブログに書いていたので心配してくれている人がいたのだ。ありがとう。
二男のことを心配しているというよりも、私のことを気にかけてくれていたのではないか。たかが息子の野球に相当な思い入れを持っている父親の姿を見て、大丈夫かと心配してくれていたのだろう。
その二男だが、初ヒットを打ってからコロッと変わった。朝のティーバッティングについてである。初ヒットを打った次の日が大事だと思い、私自身眠くて仕方がなかったが何とか早朝に起きていつもどおりに庭でティーバッティングをやった。
ようやく初ヒットを打つことができた二男はご機嫌なのだが、ティーバッティングに臨む態度もそのスゥイングもヒットを打つ前と明らかに変わっていたのだ。いらいらしたところがなく、余裕を持って私のあげるボールを叩いていく。一振り一振りが鋭くなって、以前より的確に力強くボールを捉えるようになった。
二男は口には出さなかったが、彼は彼なりにプレッシャーを感じて何とかヒットを打ちたいと思い続けていたのだろう。努力が実ってヒットを打てたので、重圧から解き放たれて無意識のうちにノビノビとスゥイングできるようになったのだろう。
二男の態度を見ていて思いついたことがある。毎朝一緒に練習する私の態度にも余裕がなかったのではないか。「そんなんやからヒットを打てないんや」と心無い言葉を発したこともあった。知らず知らずのうちに私が二男にプレッシャーをかけていたのだろう。
それにしても自信というものは何と大きいものなのだろうか。初ヒットを打ったことで彼は明らかに野球に対して自信を得たようだ。それも2本打てたことが大きかったのではないか。子供にとって自信を持つことがいかに大切かということを教えられた。
今後はバッティングだけでなく守備や走塁など野球全般に関しても、二男のプレーが一皮むけるような気がする。がんばれ、まだまだ伸びるぞ。
若いころ、あまり京都に興味がなかった。京都といえばお寺や神社というイメージが強く、女性やお年寄りに人気の街だと思っていた。
亡くなった父は晩年はずっと京都で勤めていた。元々京都が大好きな人だったが、京都で長年働くようになって京都にますます詳しくなり京都が大のお気に入りだった。母や姉を連れてよく京都に遊びに行っていたが、私はついて行った記憶があまりないのだ。
会社の帰りによく甘いものなどお土産を買ってきて家族に食べさせてくれた。それがどれも老舗の有名なお菓子だったようで、美味しいものばかりだった。
父親と京都というと、年末の錦市場のことをよく思い出す。家族で新年に向けての買い物に出かけるのだが、どの店の何が美味しいかが全て頭に入っているかのような父は、色々な店を回りながらおせち料理の食材を一つ一つ自分の気に入った店で買い求めていくのだ。
また、観光や買い物に出かけた際に食事で立ち寄る店もどこも美味しかった。今となっては、それらがガイドブックに載っているような有名な店だったかどうかは分からないが、味だけでなく雰囲気も良かったことを覚えている。
そういえば、妻を初めて両親に紹介した時も、その場所は京都にあるお店だった。今となってはどこの店かは分からないが、有名なお寺の近くにある店だった。食事の後にきれいな寺の庭で4人で撮った写真が残っている。息子の将来の嫁さんになるかも知れない人と初めて会うことになって、とっておきの店に連れて行ってくれたのだろう。
その父が亡くなってからもう15年になるが、元気なうちに父から京都について色々と教えて貰っておけば良かったと後悔することが多くなってきた。20代、30代の頃は神戸が好きでよく行っていたが、40歳を超えるころから京都が好きになってきた。
食べるものも美味しいし、ゆったりとした空気の流れが何とも言えず好きなのである。京都を訪れる度に、父から"とっておきのモノや場所"を学んでおけばよかったと思ってしまう。
野球の神様は居た。周りの人たちに本当に感謝したい。このブログに二男が少年野球の公式戦でこの1年まだヒットが出ていないことを何度か書いてきたので、二男が今日初ヒットを打ったことをチームのコーチの方々が自分の事のように喜んで下さったのだ。ありがとうございます。
今日は公式戦のリーグ戦がダブルヘッダーで行われることになっていたので、密かに今日はチャンスだと思っていた。なかなか試合に出る機会がない二男だが、ダブルヘッダーなら二試合目に試合に出してもらえるチャンスがあるのではと思ったのだ。毎朝庭でティーバッティングを続けているからか、最近振りが少し鋭くなってきていたので期待していた。
その一方で、このままヒットを1本も打てることなくもうすぐシーズンが終わるのかなとも心配していた。この1年の打撃成績表の打率欄には今年も0が並ぶのか。来年になれば1学年上と同じチームになりますます出場機会が減るだろうから、いつまでもヒットが打てないという最悪のケースのことまで考えることもあった。
今日のダブルヘッダーでは出場するとしても二試合目だと思っていたので、一試合目は三塁塁審をすることにした。試合開始前に三塁のライン上に立っていると、二男が嬉しそうな顔をしてレフトの守備位置に走って行くではないか。いきなりの先発出場に驚いた。9番レフトだった。
第一打席はツーアウト・ランナー二塁で回ってきた。公平な立場であるべき三塁の塁審でありながら、「しっかり打てよ」と願うような気持ちで打席の二男を見守る。思わず、「神様、打たしてやって下さい」と心の中でお願いしてしまった。
初球はボール。二球目は空振り。肩を上下させて大きく深呼吸している。緊張しているのだろう。三球目はバックネットにファールチップ。これで2ストライク1ボールと追い込まれた。三球目は空振りでキャッチャーが後ろに逸らしたので振り逃げと思った瞬間、主審はファールチップとの判定。助かった。そして5球目。打球はセカンドの左へ。あ~セカンドゴロと思った瞬間、打球はセンターへ抜けた。2塁ランナーは三塁を回ってホームイン。二男の公式戦初ヒットは打点1のおまけが付くタイムリーヒットとなった。
その瞬間、飛び上がって叫び声をあげたいほど嬉しかったが審判だからリアクションをぐっと抑えた。1塁の塁上の二男の表情を見る余裕はなかった。サングラスをかけていたので、周りの人から涙が出そうになったのを悟られなくてよかったと思った。ベンチを見ると、お父さんコーチが私の方を見て大喜びしている。これを見てまたグッときた。
チェンジになってレフトの守備に着く二男に「ナイスバッティング」と小声で言ったら、「さっきのヒットかな」と聞いてきた。あまりに夢中で、相手チームのセカンドがはじいたとでも思ったようだ。「ヒットやろ」と返すと、「ほんだらなんか買って」と一言。初ヒットを打ったら何か買ってやるとだいぶ前に約束したのをしっかり覚えていたようだ。親がこんなに感激しているのに子どもは子どもだ。
第二打席はイニングの先頭バッターだった。何と驚くことに、ここでもセンター前にライナーでクリーンヒットを放った。初ヒットを打ったことでリラックスして打席に入ったのだろう。まさかの2打数2安打だった。
試合後、いつもブログを読んで下さっているお父さんコーチの方々が「良かったですね」と握手をしてくださった。本当に嬉しかった。するとチームメイトの男の子が二男に話しかけた。「春川、お前幸せやなあ。ヒット打って泣いてくれるお父さんいてへんぞ」と。え~っ、サングラスしてたのに初ヒットの感激で涙ぐみそうになったのが分かったのか。子どもの感性は恐るべし。
実は、今日の練習の合間に昼ごはんを食べに自宅に戻った際に、妻に「○○(二男の名前)あかんかもしれん」と思わず言ってしまった。午前中の練習での二男の不甲斐無いプレー振りを見ていて、私自身、心が折れそうになっていたのだ。いつも子ども達の可能性を信じるべきだと思っている私自身が、自分の子どもの可能性を否定しそうになっていたのだ。その直後のヒットだけに何よりも嬉しかった。何事もあきらめてはいけない、努力すれば必ず報われるということを二男から教えられたような気がした。
練習が終わって二男と二人で帰るときにコーチがわざわざ車の窓を開けて「ナイスヒット」と声をかけて下さった。そして、いつも二男のことを気にかけてくださっている別のコーチは帰り際に「きょうのブログが楽しみですね」と言ってくださった。いいチームに入ってよかった。二男もきょうのヒットで何かをつかんだだろう。
事情聴取の日程が事前に明らかになっただけでなく、事情聴取を受けた後にその場所となったホテルで記者会見が開かれる。異例尽くしの事情聴取となった。
政治資金管理団体が土地を購入した問題を巡る政治資金規正法違反事件で、民主党の小沢幹事長が東京地検特捜部の事情聴取を受けた。この事件では現職の国会議員を含む小沢幹事長の秘書や元秘書3人が既に逮捕されていて小沢幹事長が事件に関与しているかどうかが焦点となっている。
今月初めに特捜部から事情聴取の要請を受けたが応じる姿勢を示さなかったため関係先を捜索すると共に3人を逮捕する強制捜査へと事態は進展した。小沢幹事長が事情聴取に応じないことに対して世論が厳しく批判したこともあって小沢幹事長は事情聴取に応じることになった。
事情聴取後の記者会見で小沢幹事長が明らかにしたところによると、事情聴取は特捜部から黙秘権を告げられた上で4時間半に亘って行われ、調書2通に署名したという。
事情聴取のポイントは、土地購入代金にあてた4億円が政治資金収支報告書に不記載になっているという容疑について小沢幹事長が関与しているかどうかという点と、土地購入代金の原資が何処から来て、その原資の一部にゼネコンからのお金が含まれていないかどうかという点である。
小沢幹事長は不記載への関与については全面的に否定すると共に、お金の出所については個人的に蓄えていたお金であり、不正な金は一切受け取っていないと説明した。その上で幹事長の職を辞めるつもりはないことを明らかにした。
先日、あるテレビ番組で元特捜部の弁護士が解説していたが、小沢幹事長が事情聴取を受ける際に黙秘権が告げられるかどうかが一つのポイントであるということだった。純粋に参考人として事情を聞く場合は、自分に不利な供述を強要されない権利である黙秘権を告げる必要がないが、被疑者として取り調べる場合には黙秘権があることを告げなければならない。要するに、黙秘権が告げられる場合は被疑者として調べられている要素があるということだ。
今回は事情聴取の前に市民団体が小沢幹事長を東京地検に告発したので、被告発人としての事情聴取となり黙秘権が告げられたとみられているが、東京地検が事情を聴く限りは小沢幹事長を最終的に立件することも視野に入っていると思う。因みに告発というのは、ある者が犯罪に関わっているという疑いを被害者ではない第三者が捜査当局に告げで捜査を求めることである。申告者が被害者の場合は告訴という。
小沢幹事長は関与を全否定したが、これまでお金の出所についての説明が変遷しているとの指摘がある。当初は政治献金による購入だと説明し、それが定期預金を担保にした金融機関からの融資となり、今回は自ら貯めた自己資金に変わったという訳だ。この点について記者会見で質問された小沢幹事長は、説明をそんなに変えたつもりはないと否定した。
これまでの自民党政権なら、秘書が1人逮捕された時点で、ましてや3人も秘書が逮捕されれば幹事長を辞職していただろうし、議員辞職を求める声も高まっていただろう。現時点では小沢幹事長自身が関与を全面的に否定しているが、逮捕された秘書や元秘書が起訴された時点や有罪が確定した場合、または今後の捜査で小沢幹事長の関与が深まった場合には幹事長職や議員を辞職することを求める声が高まり民主党政権を揺るがして政局に大きな影響を与える。東京地検の今後の捜査から目が離せない。
民主党政権大丈夫か、と思わず言ってしまいそうなぐらいこのところ総理大臣に始まって大臣ら政権中枢の人たちの言葉の軽さにあきれるばかりだ。
まずは鳩山首相の「闘ってください」発言。小沢幹事長の資金管理団体による土地購入を巡る政治資金規正法違反容疑事件を受けて、小沢幹事長が首相と会談し幹事長職を続け検察と闘うことを伝えた際に首相が小沢幹事長を激励した言葉である。
検察も行政機関の一つであり、その行政のトップである首相が自ら率いる組織と闘うことを励ますとはどういうことなのだろうか。この発言が批判されると、検察批判の意味ではないと釈明したが、検察のトップである検事総長の任命権者でもある自らの立場が全く分かっていないのではないか。
そしてもう一つ、「(逮捕された石川衆院議員が)起訴されないことを望みたい」と鳩山首相が記者団に述べた。首相が個別の事件処理に言及することだけでも異例であるが、ましてや東京地検特捜部が逮捕した衆院議員についてである。翌日の予算委員会で発言の問題点を追及された首相は発言を撤回したが、ここまで言葉が軽いと首相としての資質を問う声も出てくるだろう。
発言の内容は少し違うが、閣僚からも見過ごせない発言が出ている。原口総務相が小沢幹事長を巡る事件についてのテレビ報道について「関係者」を情報源とした報道の仕方は「電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」と発言したのだ。
テレビ局の放送免許に関する権限を持ち電波行政を所管する大臣の発言とは思えない。総務大臣がテレビ報道の個別のケースに対して論評することの意味が分かっていないのではないか。報道を萎縮させる危険性があり、報道の自由にとって懸念すべき発言である。
裁判員に予断を持たせないためにも、メディアではこれまで以上に情報ソースをできるだけ明らかにする取組みが続いているが、報道機関にとって重要な職業倫理でもある情報源の秘匿(情報提供者に迷惑や圧力がかからないよう守るため情報の出所を明らかにしないこと)のため、ぎりぎりの判断として「関係者によると」という表現をつかうこともあるのだ。
これで終わりかと思っていたら、中井国家公安委員長が足利事件に関連して「今の自白中心の捜査と捜査当局から一方的にリークされる記事しか書かないマスコミという中ではえん罪被害はこれからも出る」と発言した。警察庁を管理する大臣自らが、捜査機関がリークしていることを認める発言をするなんて信じられない。これだけ首相の発言の軽さが問題になっているのに、閣僚は自らの発言の重みに対する自覚が全くないのか。
私の警察や検察に対する取材経験からいうと、捜査機関が自分たちに都合の良い捜査情報だけを流すことはあり得るが、捜査機関からの一方的なリークだけを垂れ流す報道などあり得ない。
首相や大臣の一連の発言に共通するのは、自分たちが権力のど真ん中にいるという自覚が欠如しているということである。政権交代が起きて本当に良かったという実感がなかなか持てない現状の中で、この政権に任せていて本当に大丈夫かと不安になる気持ちばかりが増すとしたら、国民にとってこれほど不幸なことはない。
最近、このブログの更新が遅くなっている。解説委員になってから2年半。「毎日更新して感心する」と言っていただくことが増えたが、書き続けることが正直言って少々つらくなってきた。
最初の頃はほとんど会社で書いていたが、最近では自宅で書くことが多くなった。出張中には出先で書くことも多く、東京で支局に寄ってちょっとした時間を利用してパソコンに向かうこともある。
年末年始は仕事が終わった後に飲む機会が多かったことも、原稿更新が遅くなっている理由の一つである。飲んで遅くに自宅に戻ってからパソコンに向かいブログを更新することはなかなかつらいものだ。身の回りのプライベートのことを書く場合はそうでもないのだが、本来の主旨であるニュースに関してのブログを書く場合には事実関係の確認が必要なので時間もかかりお酒を飲んでの更新は不可能である。
このところ、小沢幹事長のお金の問題、日本航空の再建問題などビッグニュースが続いているので原稿を書くのに要する時間が長くなるのだ。原稿を書く際には解説委員としてどこまで書くかという悩みもあるので余計に時間がかかるのだ。
この原稿もいま出張に来ている東京で書いている。支局でパソコンを借りて更新しているのだが、せっかく東京に来ているのだから人にも会いたいし取材もしたい。もう少し書こうかとも思ったが、人に会うアポイントメントの時間が迫ってきたので今日はこの辺にしようと思う。
恥ずかしながら珍しくブログについての愚痴を書いてしまったが、今後も毎日書き続けるのでご心配なきようお願いします。
これまでメディアは企業が会社更生法の適用を裁判所に申請した場合には「倒産」という表現を使ってきた。赤字が膨らみ自主再建できなくなって倒産し経営破たんしたということだ。しかし、今回の日本航空(JAL)の会社更生法申請のニュースでは、「経営破たん」とは書かれているものの「倒産」の文字はあまり見られない。公共交通機関を担う公的要素の強い企業の経営破たんは世間に与える影響があまりに大きいため、民間企業にもかかわらず政府が介入して公的支援を行うことに対する配慮が感じられる。
会社更生法の適用申請を受けて東京地裁は更生手続きの開始を決めた。負債総額は2兆3000億円を超え金融会社を除いて史上最大の経営破たんである。JALは今後、官民共同出資の企業再生ファンドである企業再生支援機構の支援を受けながら再建を目指すことになる。経営が破たんしたといっても国際、国内を含めて飛行機はこれまでどおり飛び続ける。経営陣がすべて入れ替わり、事業再生計画に基づいて生まれ変わるのだ。
それにしても、ここまでになる前に自らの力での再建は不可能だったのだろうか。経営者はもちろん、社員1人1人にも決して会社がつぶれることがないとの「親方日の丸」体質が染み込んでいたのだろう。JALには日本の空を担ってきたという強烈なプライドがあっただろうが、そこに驕りはなかったのか。
JALの再生と共にぜひ日本の航空行政の抜本的な見直しをおこなってもらいたい。JALの経営破たんの一因でもある長期ビジョンのない航空行政を改めなければ、JALが完全に生まれ変わることは難しいだろう。政治家と運輸官僚、地方が結託して全国に98もの空港を作り採算のとれる見込みのない飛行機を飛ばし続けてきた。今回、国が介入してJALの再生を手助けすることになったが、その責任の一端は国にもあることを自覚すべきである。
アメリカでは航空会社の経営破たんは日常の光景である。世界の翼として憧れでもあったパン・アメリカンはとっくに無くなったし、アメリカを代表する航空会社であるユナイテッドも、デルタもノースウエストもすべて経営破たんを経験している。日本では冒頭にも書いたように倒産というイメージが強いのに対して、アメリカではGM再建にも見られるように法的整理を企業再生の手段と割り切っているという違いはあるのだが。
安全で安心な運行が最も大切であることは言うまでもないが、サービスも含めて乗客に対して"JALは変わったなあ"と実感させることが重要ではないか。巨大企業の社員1人1人の意識を変えることはたいへんだと思うが、再生に向けての取り組みに注目していきたい。
10年1月19日(火)「#933 日米安保50年」
日米安全保障条約が改定されて50年となる節目の日を迎えた。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」である。1951年にサンフランシスコで平和条約が結ばれ日本は独立国としての主権を回復した。このとき同時に日米安保条約が結ばれた。自らの国の安全保障をアメリカに委ねることで経済発展に力を集中し奇跡の戦後復興を遂げるという考えのもとで締結された。そしてその条約が1960年に改定されたのである。
日米安保体制は軍事同盟である。日本が他国から攻撃された場合にアメリカは日本を守る義務がある一方で、日本はアメリカに対して米軍が国内に駐留することを認めるというものだ。アメリカ本国が他国から攻撃された場合に、日本がアメリカを守ることは義務付けられていない片務的な条約である。
日米安保体制は時代の移り変わりに応じて進化してきた。96年に橋本首相とクリントン大統領の間で日米安保再定義のための日米安保共同宣言が出されて、平和と安全維持の目的が極東からアジア太平洋地域へと広がった。それを受けて97年には「新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」が締結されて周辺事態での日米共同防衛が規定された。さらに99年には日本で周辺事態法が成立したことで、有事の際に自衛隊が米軍の後方支援をする法的根拠ができた。
沖縄に駐留する米軍の普天間基地をめぐる移転問題をきっかけにして日米安全保障体制、ひいては日米関係をあらためて考えさせられる機会が多くなった。日米関係は言うまでもなく日本にとって最も重要な二国間関係である。民主党政権にかわって日本の外交がアメリカ一辺倒からアジアをこれまで以上に重視する方向に舵をきりつつあるように思える。アジアの国として近隣諸国と一層の交流をはかることも大切ではあるが、長年の友人であるアメリカの重要性は変わることがない。
対等な関係を求めることは簡単だが、本当に対等になるためには、日本側にもその覚悟が求められる。米軍の国内駐留を認めずに米軍基地の国外移転を本気で求めるなら、日本が自らの力で独自の安全保障体制を築かなければならない。そのためには、莫大な費用と共に、徴兵制など人的貢献も求められるかもしれない。日本にそれだけの覚悟があるかどうかということだ。
5月という政府が決めた期限に拘らずにできるだけ早く普天間問題を解決して、将来に向けて日米同盟をさらに深化させることが求められている。
検察はどこまで行くのだろうか。小沢幹事長の政治資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反容疑事件で関係先の捜索を行った東京地検特捜部は、事件のキーマンの1人である小沢氏の元秘書の石川衆院議員に加えて小沢氏の元私設秘書、それに西松事件で公判中の公設第一秘書の大久保容疑者の3人を逮捕した。
政権与党のナンバー2である幹事長の秘書が3人も逮捕されるという異例の事態となった。捜査の手が小沢氏本人まで及ぶかどうかが今後の焦点である。
きのう東京で開かれた民主党の党大会で、小沢幹事長はあらためて疑惑を否定し幹事長職にとどまることを明らかにした。党大会で小沢幹事長の辞任を求める声はもちろん、説明責任を問う声もほとんど聞かれなかったのは残念でならない。金も人事も、強大な権限を握る大幹事長に対して誰も意見さえ言えないということなのか。透明性と説明責任がキャッチフレーズで開かれた党を標榜する民主党の名前が泣く。旧態依然とした体質に国民からノーを突きつけられた自民党でも、党内の実力者に対して中堅、若手が批判の声を上げてきた。小沢幹事長に対する民主党議員の反応を見てがっかりしている有権者も多いのではないか。
それにしても、「どうぞ戦ってください」はないだろう。鳩山首相に幹事長を続投する意向を伝えた会談で小沢幹事長は「検察と断固戦う」と宣言したが、首相はそれを受けて「どうぞ戦ってください」と励ましたことを記者団に自ら明らかにしたのだ。検察は捜査機関であると共に、法務相が所管する行政組織でもある。行政組織のトップたる総理大臣が、その行政組織と戦うと言っている人を励ますとはどういうことだろうか。総理大臣としての自覚に欠ける軽率な発言だ。どうしてこう発言が軽いのだろうか。
通常国会はきょう開幕したが、この時期に強制捜査に打って出た検察に対して民主党内などから批判する声も出ている。しかし、たとえ政権党の大実力者であっても捜査の必要があればためらわずに捜査するという現状は、民主主義が健全に機能している結果だともいえるのではないか。検察と小沢幹事長との長年の闘いはどういう結末を迎えるのだろうか。
15年前のこの日、巨大地震が淡路島から阪神間を襲い6434人もの命を奪った。毎年この日を迎えると、震災報道に携わった当時のことを思い出す。
その日、私は本社で輪番の泊まりデスクだった。地震の瞬間は、もうすぐ始まる朝ニュースのローカル枠の放送に備えてデスクで原稿をチェックしていたと思う。「思う」というのは、正確な記憶がないのだ。その瞬間のみならず、その後延々と何ヶ月も続いた震災報道において、自分が何をなしたのかについて詳細はあまり覚えていないのだ。よって、これから書くことは完全に正確ではないかもしれない。あくまでも私の記憶に基づいたものである。
揺れた瞬間は、それまで経験したことの無い身の危険を感じるほどの激しい揺れだった。その時はまだ一緒に輪番だったカメラマンや記者は仮眠室で寝ていたので、揺れがおさまる前に社内の様子を撮影しようとカメラ機材庫に走った。しかし、カメラをまわす前に揺れが止まったので撮影はしなかった。
デスクに戻って震度計を確認すると大阪の震度は確か4か5だった。その時は気づかなかったが、神戸では震度計が壊れて表示が出ていなかったのだ。大阪には地震は来ないと恥ずかしながら信じていた私は咄嗟に、東海地震が起きて関西も揺れたという認識しかなかった。
揺れに驚いて起きてきた記者に電話で状況を調べさせると共に、カメラマンには近くのJR京橋駅で電車が止まっているのを撮影に行くよう指示した。その時に何よりも先にヘリコプターによる取材を思いつかなかったことが後々たいへんな後悔となる。その日、読売テレビでは幸運なことに早朝のヘリコプター取材がもともと予定されていて、早い段階で機体もパイロットもスタンバイできていた。しかし、私のヘリコプター取材の指示が遅く、ヘリコプターから撮影した決定的な被害の様子が放送されたのは、テレビ局の中で読売テレビが一番遅かったのである。悔やんでも悔やみきれない私の失敗である。
朝から始まった特番に次ぐ特番という放送は三日三晩続いたような気がする。いつ自宅に戻ったのかも覚えていないのだ。先日、妻に改めて聞いたら、私が自宅に戻ったのは三日後だったそうだ。
実は、地震が起きた直後に自宅の妻から電話が入った。自宅の電話が繋がらなかったので外に出て公衆電話に走り会社の私に電話をかけたのだ。その電話の妻の第一声は「私たち(妻と幼児だった娘)は生きてるから、安心して」という悲痛なものだった。しかし、取材指揮と緊急放送に追いまくられていた私は「ごめん、忙しいから」と電話をすぐに切ったのだ。
それから徹夜を重ねて三日目に自宅に帰って玄関のドアを開けると、食器などが割れて床一面にガラス片が飛び散り真っ暗な部屋の中で妻と娘が手をつないで靴をはいて立っていたのだ。どれだけ不安な三日間を過ごしたのだろうか。仕事とはいえ、家族には本当につらい思いをさせた。徹夜続きでくたくただったが、朝までかかって自宅の中を片付けた。
それからのことはほとんど記憶が途切れている。来る日も来る日も本社でデスクをやった。何日目か覚えていないが、初めて神戸に入った時に見た光景は忘れられない。道路や鉄道が寸断されていたので船で神戸に向かったのだが、到着したメリケン波止場はぐちゃぐちゃに壊れ神戸の街から煙が上がっていた。その光景を見て涙が止まらなかった。その日から、全壊した神戸支局の代わりにお借りした事務所でデスクを続けたが詳細は覚えていない。
震災報道については、何が起こったのかを速く正確に伝え切れなかったという後悔ばかりが残っている。その悔しさを何とか晴らそうという気持ちが、今でもこの仕事を続けている原動力になっているような気がする。
自分も中学生の頃はあんなに食べたのかなと思う。最近、中学生の長男の食欲が凄いのだ。ご飯は大盛りで何杯も食べる。それも凄い勢いでかき込むという感じだ。大好きな焼肉や寿司になるとあっという間に平らげてしまう。
施設でリハビリ中の母を誘って長男と二男との4人で夕食に出かけた。長男に何が食べたいかと聞くと、「焼肉」という答えがすぐに返ってきた。しかも、長男がお気に入りの焼肉店をご指名だ。母も歳に似合わず、焼肉が大好きなのだ。いつもこちらが心配になるほどモリモリ食べる。小学生の二男も焼肉が大好き。4人だけで焼肉を食べに来たのは初めてかもしれない。
長男のいつもの食べっぷりを見て母は「正明もこれぐらいの歳の時には、びっくりするぐらい食べていたのを思い出す」とポツリと言った。そんなに食べてたかなあ。私も野球をしていたので、周囲が驚くくらいの量を食べていたのだろう。
二男は長男ほどの量は食べないが、成長するにつれて少し食べる量が増えてきた。長男は少し好き嫌いがあるのに対して二男は基本的に何でも食べる。しかし、二男のほうが美味しいものにこだわりがあるようだ。これは美味しいと思うものは驚くほどの量を食べるのに対して、お気に入りでない食事には箸が進まない。
私はというと、最近めっきりと食べる量が減ってきたような気がする。少し食べ過ぎたかなと思うと、途端に胃の辺りが重くなってくる。ご飯も茶碗に2杯しか食べなくなった。以前のように、残すともったいないからといって無理して全部食べることもしなくなった。間食をするとすぐに胃の調子が悪くなる。もっともっと食べたいという食欲はあるのだが、体がストップをかけることを覚えたようだ。
我が家で最も食欲があるのは愛犬ベルである。基本的には、一日に朝晩2回しか餌をやらず、ジャーキーなどのおやつもほとんど与えない。餌も計量カップに1杯のドッグフードが基本だ。おかげで7歳という年齢(人間でいえば50歳まえという私と同じぐらい)にもかかわらず、太ることもなく引き締まった体を維持している。
あまり餌をやらないからか、彼女は常に何かを食べたがっている。室内で飼っているので、家族が食卓を囲む時にはいつも私の横に来て行儀良くちょこんと座っている。時々私が家族に隠れておかずの端くれをやっているのを覚えているのだ。
我が家は母も私も子供たちも、少々の病気では食欲が落ちない。食べているうちは大丈夫なのだ。食べられないようになると体を心配する。食欲は元気の源である。
あれから15年。早いものだ。阪神大震災が起きてからあさって17日で丸15年である。震災報道という言葉には特別な思い入れがある。
読売テレビでは毎年1月17日の阪神大震災の日に、夕方のニュース番組で神戸からの生中継を交えて震災について大きく取り上げている。今年は1月17日が日曜日ということもあって、きょう1月15日に夕方ニュースの「ten」で震災特集を放送したのだ。
大阪のスタジオにもコメンテーターの方々に来ていただく一方で、両キャスターが震災で大きな被害を受けた神戸の長田から生中継で番組を進行した。震災の現場から番組を放送したいという番組スタッフの拘りだろう。
その現場からの中継に私も参加させてもらった。私が震災が起きた瞬間に泊まりデスクをしていたということもあって声をかけて貰ったようだが、正直嬉しかった。現場に出られるという事も嬉しいが、それよりも自分自身が今でも最も思い入れがある震災報道の現場からの中継に私も加えようと思ってくれたスタッフや現場記者の思いが何よりも有難かった。
今日は「ミヤネ屋」にも出演していたが、神戸までの移動時間の関係で番組の終了直前にスタジオを飛び出して電車で長田へと向かった。現場に到着するのは放送開始の直前なので、電車の中で番組の構成表や台本、VTRの原稿などに目を通しながら、番組の中で何を話そうかと考えた。
実は今まで震災報道で現場からリポートしたことも生中継したことも一度もない。震災の発生当時も、それから毎年この時期に続けられてきた震災報道の際にもずっとデスクやプロデューサーなどの立場だったのだ。15年目にして初めて現場から話すことになったのだが、震災当時に何が起きたのかを充分伝えきれなかった後悔ばかりが思い出された。
この15年間、読売テレビでは特別な思いを持って他局のどこよりも震災報道に力を入れてきた。私たちの思いを後輩たちも確実に受け継いでくれていることを誇らしく思うとともに、有難いことだと感謝している。長田からの中継に参加できて良かった。ありがとう。
このところ不調である。不調だと言えば好調な時があるのかと突っ込まれそうだが、とにかく不調である。解説委員として、コメンテーターとして、番組の中で自分自身が納得できるようなコメントができない。
こういう事を言いたいなと事前に考えていた内容も満足に話せないし、思ってもいないタイミングで思ってもいない内容の質問を突然された時に咄嗟に返すコメントもいけていない。反射神経もどうも鈍っているようである。
解説委員になりテレビに出させてもらうようになってはや2年半が過ぎた。生放送にも慣れて、知らないこと、詳しくないことを聞かれた時でも何とか答える術も覚えた。生放送だから、もちろん適度に緊張感は持っているが、共演者の方々にも恵まれ毎回リラックスして番組に臨むことができている。経験を重ねるにつれてコメントする内容も充実したものになるはずであるが、なかなかそううまくは行かない。
番組にも慣れ、共演者にも慣れて自分の中でマンネリ感が出てきたのだろうか。2年半ぐらいで何を生意気なと思われても仕方がないが、ワクワクドキドキすることが減ってきているようにも感じる。
同じようにスタジオでコメントする毎日でも、対象となるニュースは日々異なる内容だ。毎日毎日新しいことが起きて、同じニュースというものは全くない。無学無教養な私は毎日勉強するしかなく、そういった意味では毎日刺激的ではある。
記者や特派員の頃に比べて外に飛び出して行って現場で取材するという機会は確実に少なくなっているので、番組出演がない日は東京へ行って、出来るだけ現場に出向いて色々な人に会って直接話を聞き、現場の空気、雰囲気といったものを肌で感じるように心がけている。
自分のコメントに納得できない原因は分かっている。喋っている内容が、自ら当事者や関係者にあって話を聞いた一次情報ではなく、新聞やテレビ、雑誌などで得た二次情報を基に自分ならではの見方、考え方を加えたものだからであろう。ずっと一次情報の世界で生きてきた者にとっては、"自分で見てもいないものを、さも見てきたように話す"のはなかなかつらいものがあるのだ。
現場の空気を吸う時間が足りないのだろう。外に出よう。
そのニュース速報が入ってきたのは今日夕方、「ten」の放送中だった。民主党の小沢幹事長の政治資金管理団体である陸山会の土地購入疑惑で、東京地検特捜部が陸山会の事務所や大手ゼネコンの鹿島本社などの一斉捜索に入ったのだ。その速報を見て、特捜部の疑惑解明にあたっての本気度というか決意の強さを感じた。
捜査のポイントになっているのは、04年10月に陸山会が小沢氏の秘書の寮にするため世田谷区の土地を3億4千万円で購入した際に、その資金となった4億円の出所だ。当初は4億円の定期預金を担保に金融機関から4億円の融資を受け土地購入の原資としたと小沢幹事長側は説明していた。しかし特捜部の事情聴取に対して、当時、小沢氏の私設秘書で陸山会の事務担当者だった石川衆議院議員は、小沢氏から現金4億円を紙袋で受け取り土地購入の代金にしたと説明した。その4億円のやり取りが政治資金収支報告書に記載されておらず、政治資金規正法違反(不記載)の疑いを持たれているのだ。また、その4億円がどこから来たのかも明らかになっていない。この4億円については、土地購入時期と同じ時期に工事が落札された小沢氏の地元である岩手県の胆沢ダムを巡って、工事を落札したゼネコン側から小沢氏側にお金が流れた可能性もあるとみて、今回特捜部は鹿島にも強制捜査をして資料を押収した。このダム工事を下請け受注した中堅ゼネコンの水谷建設の幹部が石川議員に現金5000万円を渡したと特捜部に供述している。
検察の特捜部が動くということは、政治家に関する犯罪を立件するということが最終目標である。押収した証拠の分析や関係者の証言如何によっては、石川議員のみならず小沢幹事長自身の立件も当然視野に入っているだろう。
今月5日に小沢幹事長に対して参考人としての事情聴取を要請した検察としては、今月18日から通常国会が始まる政治日程を考えて出来るだけ政治情勢に影響を与えないように、国会が始まる前に石川議員を在宅起訴とすることを目指していたようだ。しかし、疑惑の解明のために欠かすことの出来ない小沢幹事長に対する聴取を拒否されている上に、石川議員の説明も納得できないものであることから、このタイミングでの強制捜査に踏み切ったとみられる。
小沢幹事長は、昨日の定例記者会見でこの問題についての記者からの相次ぐ質問に対して、1社1問に限定した上で一括して答えるからと質問を受け付けたが、意図的に法律に反するような行為はしておらず、捜査中なので個別のことは答えられないとして疑惑についてしっかりと説明することはなかった。
政権与党の幹事長であり、鳩山政権の最高実力者といわれる小沢幹事長の関連団体の事務所に政治とお金を巡る疑惑で去年に続いて二度目の強制捜査が入ったことで、政権に与える影響は計り知れない。18日に始まる通常国会では自民党は徹底的にこの問題を追及するだろう。そうなれば、一刻も早い対応が求められている景気対策や来年度予算に関する審議がなかなか進まず、国民に対しても大きな影響が出る。
小沢幹事長は、自身に降りかかっている疑惑について国民が納得できるしっかりとした説明をするべきである。たとえ刑事責任が問われない結果になったとしても、政権交代で政治に期待を持ち始めている国民に政治と金に対する不信感を思い起こさせ政治離れを加速させるという政治責任が極めて大きい。国民1人当たり250円を負担して政党助成金を与えているのに、昔ながらの公共事業に絡むゼネコンからの裏献金という疑惑を持たれている責任を自覚すべきである。
久し振りの宝塚大劇場。星組の「ハプスブルクの宝剣」と「BOLERO」というお芝居とショーの二本立てを観劇した。星組のトップスターが交代して柚希礼音(ゆずき・れおん)になってから星組公演を観る機会がなかったが、今回ようやく実現した。
「ハプスブルクの宝剣」は、宝塚にしては珍しく民族差別という重いテーマを中心に据えた意欲的な作品である。物語の結末はいったいどうなるのかと途中からとても気になったが、ある意味とても宝塚らしいエンディングだった。
「BOLERO」では、タイトルにもなっているボレロの群舞がとても良かった。宝塚らしいストーリー性のあるショーだったが、もう少しはじける様な情熱的な場面があっても良かったのではとも感じた。
主演の柚希礼音は評判どおりのスケールの大きい男役で歌もうまく存在感もあった。人気があるのが分かる。お芝居もなかなかうまいが、ダンスにもう少しキレがあってもよいのではないか。若くしてトップになった割には突き抜けるような躍動感があまり感じられなかった。ちょっと、厳しすぎるかな。
相手役でトップ娘役の夢咲ねねは美しい立ち姿で歌も良かった。最近のトップ娘役の中では将来性を感じる。トップ2人が今後コンビで舞台を重ねる度にますます良くなっていく可能性を感じさせる舞台だった。
ところで、宝塚歌劇の今後の公演スケジュールを見て嬉しいニュースを知った。初演で大好評だった「スカーレット・ピンパーネル」の再演が決まったのだ。おととし6月に大劇場で上演されたこの作品は、ブロードウェイで人気を博したミュージカルを初めて日本に持ってきたものだ。宝塚の舞台でも大ヒットし演劇大賞も受賞した。
初演でたいへん評判になり私も是非観たかったのだが、スケジュールが合わず見逃してしまったのを後悔していた。大評判だったのでまた再演されるだろうと思っていたが、こんなに早く再演されるとは思ってもいなかった。
今年4月の再演は、月組の新トップスターである霧矢大夢と新トップ娘役の蒼乃夕妃のお披露目公演でもあるので今からたいへん楽しみである。
10年1月11日(月)「#925 お気に入りの音楽」
先日、このブログにも書いたが長男の音楽再生プレーヤーがお下がりとして私の手元にやって来た。愛犬ベルとの散歩の時に音楽を聴くようになったし、通勤の際にも電車の乗り換え時などに楽しんでいる。因みに電車の中では本を読むことにしている。
さて、その音楽プレーヤーの中にどんな曲が入っているのか少しご紹介しよう。どんな音楽を聴いているのか明らかにするのは自宅の自分の部屋を見られるようで少々気恥ずかしいが、たまにはいいだろう。
まず、私の一番のお気に入りはウィリー・ネルソンである。アメリカのカントリーソングの大御所だ。アメリカ人の友人から「音楽は何を聞いているの?」と聞かれて「ウィリー・ネルソンやゴスペル」と答えたところ、とても驚かれたのを覚えている。日本に住む外国人に同じことを聞いて「北島三郎と浪曲」との答えが返ってきたような驚きなのかも知れない。
ウィリー・ネルソンの曲では特に「ジョージア・オン・マイ・マインド」と「ユア・オールウェイズ・オン・マイ・マインド」が大好きである。その理由についてはあえて書かないことにしよう。
B.B.キングも大好きだ。ウィリー・ネルソンもB・B・キングも、ロサンゼルスに住んでいる時にコンサートに行った。生で歌声を聴くことができて最高だった。そういえば、今は亡きレイ・チャールズのライブも良かった。エリック・クラプトンにも酔いしれた。ロサンゼルスでは、一流アーティストのコンサートやライブを手軽に楽しむことができた。ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブのコンサートを聞き逃したのは残念だったが。
洋楽でいうと、音楽プレーヤーにはこのほかにもキューバのバンドであるアフロ・キューバン・オールスターズや、ジャズのディー・ディー・ブリッジ・ウォーター、エタ・ジェームズ、ゴスペルのラシャン・ペースなども入っている。少しマニアックかな。
聴いている音楽のことを書くのは思ったより恥ずかしいが続けることにする。邦楽ではお気に入りの河島英五。以前は車でよく聴いていたが、音楽プレーヤーで久し振りに聞くと涙が出そうになる。私にとって心の唄である。柳ジョージ&レイニーウッドやダウン・タウン・ブギウギ・バンドも懐かしい。上田正樹も渋いなあ。
そして、やっぱりサザンオールスターズだ。アメリカに赴任してそろそろ日本の曲が恋しくなってきた頃に、日本から親友がサザンのアルバムのCDを送ってきてくれた。このプレゼントは本当に嬉しかった。毎日のように車の中で聴いていたのを昨日のことのように思い出す。音楽というのは、その曲を聴いていた頃の情景が蘇るから不思議である。
他にも大好きな歌手がたくさんいるので、少しずつ音楽プレーヤーに入れていこうと思っている。自分のお気に入りの曲を聴きながらだと、この寒い時期のベルとの散歩も楽しみになる。大音量で聴きながら思わず口走っている時もあるので、近所の人たちから不審がられていないか心配である。
今日は二男がお世話になっている地元の少年野球チームにとって歴史的な日となった。チームができて20年近く経つということだが、メインとなる6年生のリーグ戦でついに悲願の初優勝を遂げたのだ。やったー。
リーグ戦全勝で迎えた昨年末の試合では、勝てば優勝という意識が強くなり過ぎたのか、残念ながら負けてしまった。そして今日、勝てば優勝、負ければ2位という大一番を迎えたのだ。
小学生の野球にもかかわらず、あくまでも勝ちを求めてスクイズを多用するチームが多い中、わがチームは勝ち負けよりも野球の楽しさやチームワーク、礼儀などを重んじ、スクイズはしないという方針だったこともありなかなか優勝という結果が巡って来なかったのだ。それだけに、今回の優勝は本当に嬉しい。長年、チームを引っ張って来られた総監督や監督、ヘッドーコーチの夢が現実となった。亡くなられたチームの会長がご存命だったら、さぞや喜ばれたことだろう。会長に優勝を見せてあげたかった。
これまでも一日大会での優勝などはあったが、メインのリーグ戦の、しかも最高学年の6年生のチームの優勝は初めてなのだ。私は、二男が所属している下の学年のチームのコーチをしているので、今回優勝した6年生のチームのメンバーのことはあまり知らない。しかし、今年のチームのキャプテンと副キャプテンが毎週の練習で子どもたちが朝、学校に集まってくる際に門の所に立ってチームメイト1人1人に挨拶して出迎えているのを見て、このチームは強くなるだろうなと思っていた。礼儀やチームワークを大切にするこのチームの良さを体現したような学年だ。
優勝おめでとう。中学や高校に行っても野球を続けようね。
我が家には男の子が2人いるので、長男の洋服など持ち物が二男にお下がりになることが多い。二男は時々、長男が必要なくなった服やズボンを押し付けてくると不満を言っているが、お下がりだけでなく新しい服も買ってもらえるので文句を言うのは贅沢だと思うが。
これに対して長女は、一番上なので上の子からのお下がりはない。私たち夫婦にとって初めての子どもであったので、服や靴などの持ち物も多いし、生れてからの写真も圧倒的に多い。
最初の子どもで、しかも娘ということもあり、少々甘やかせてきたこともあるかも知れない。本人が欲しいというものは、すぐに買ってあげる訳ではないが結果的には与えてきたことが多いし、したいということは基本的には何でもさせてきた。礼儀や生活態度については厳しく育ててきたつもりだ。
その長女がクリスマスのプレゼントとして新しい音楽再生プレーヤーを手に入れた。それまで持っていたものより曲や映像がたくさん入る容量が大きい最新型のものだ。
長女が新しいプレーヤーを手に入れるとすぐに、長男がそれまで長女が使っていたプレーヤーを譲ってくれるように言い出した。長男がそれを自分のものにすると、それまで長男が使っていた容量の小さいプレーヤーの行き場がなくなった。
その長男がこれまで使っていたプレーヤーは当然、二男のもとにお下がりになるのかと思われるかもしれないが、小学生の二男はまだ音楽再生プレーヤーには興味がないようだ。そこに目を付けたのは私だ。
これまでも愛犬ベルの散歩に行く時には、時々長女や長男のプレーヤーを借りていたが、自分のものが欲しかった。長女や長男のプレーヤーの中には、当然それぞれのお気に入りの曲が入っているので、今時の若者の流行の曲を聴くのも楽しかったが、自分自身の好きな曲が入ったプレーヤーでも楽しみたかったのだ。しかし、わざわざ買うほどでもなかった。
結局、長男がこれまで使っていたプレーヤーが私のところにやってきて、私のお気に入りの曲をダウンロードした。ベルとの散歩がより楽しくなった。
でも、ちょっと待てよ。長女のお下がりが長男へ。長男のお下がりが私へ。我が家での序列は、娘→息子→私なのか。まあいいか。音楽再生プレーヤーを使いこなしている順番か。子どもたちに教えてもらうことも多くなってきたし。
このところ、また新たな出会いが続いている。仕事柄、相手のことや話した内容について具体的に書けないことが誠に残念ではあるが、実際にお会いして色々なお話を伺ったり意見を交換したりすることができてとても勉強になる。この歳になっても日々たくさんの方と出会える喜びを感じている。
先日はある国会議員と夕食を共にする機会を得た。以前からその人には興味があり、秘書の方に食事でもご一緒したいとお願いしていて実現したのだ。秘書の方と3人で食事をしたのだが、とても充実した楽しいひと時だった。
実際に会ってじっくり話をすると、それまでその人に対して持っていたイメージと違うことがよくある。以前に大臣経験者と食事する機会があったが、その人の人となりや話の内容にガッカリしたこともあった。
今回ご一緒した方は、もっと個性が強くて押し出しの強い人かと思っていたが、会って色々なお話をしてみると、とても語り口が柔らかで落ち着いた感じでありその人に対してこれまで持っていたイメージとは少々違っていた。
その人の政策に関する知識の豊富さにも驚かされた。以前に勉強会でその人の話を聞いた時にも感じたことだが、その政策や目指すビジョンには素晴らしいものが多くとても勉強になる。国会議員が皆、これ程政策に関する知識や意識の高さを身に付けていれば国会での論戦ももっと活発になり国も変わるのにな、と思わせるものがある。
その人とご一緒して一番感じたのは、少しおこがましいかも知れないが、物事に対しての嗅覚が似ているかもしれないと思ったことだ。個々の事柄については意見が違うこともあるが、根本の大切な価値観は似ているような気がしたのだ。この出会いを大切にしたいと素直に思った。
また別の日には、昨年知り合った官僚の方が、また新しいお知り合いの方々を紹介して下さった。その官僚の方には、出会って以降、様々な職種の方々を紹介していただき本当に感謝している。今回も、企業の経営者の方々との個人的な食事の席に誘っていただき色々なお話を聞かせていただいた。
私が仕事柄、様々な業界の色々な方々から話を聞いて知識や情報を吸収しなければならないということをたいへん理解していただいていて、いつも私のことを気にかけて下さっている。機会がある度に連絡をいただく。会合や食事会などに誘ってくださり、その場で各界で活躍されている方々をわざわざ私に紹介してくださるのだ。
この官僚の方といい、先に書いた議員の秘書の方といい、私が知り合ってお話を伺うことで私の仕事に大いにプラスになると思われる方々を紹介してくださるのだ。いつも本当にありがとうございます。心から感謝しています。この方々のご期待に沿えるようにもっともっと勉強することでジャーナリストとして人間として成長し、その結果少しでも社会のお役に立てることでご恩返しが出来ればと思っている。
藤井財務相が辞意を表明し鳩山首相は強く慰留したが、公務を続けることが難しいという医者の診断書が出されたことを受けてその日のうちに菅副総理兼国家戦略相を後任に決めた。素早い後任決定は危機管理としては良かったのではないか。人選についても妥当ではないかと思う。
藤井大臣の辞任の理由は健康状態ということである。77歳という高齢で、激務である財務相の職に耐えられるのかと心配する声もあがっていた。9月に鳩山政権が出来て以来、短期間で来年度予算を編成しなければならないという重圧で心身ともに疲れ果てたということだろう。
藤井氏は先の衆院選前には引退を表明していたが、当時の鳩山代表の強い意向を受けて比例で立候補し当選した。閣僚経験者が少ない鳩山政権の重しとして財務大臣という要職についた。
辞任の理由については、健康問題に加えて小沢幹事長との確執も一因であるといわれている。藤井氏は自民党を離党以来、小沢幹事長とずっと行動を共にしてきたが、昨年、小沢氏の西松建設の献金問題が明らかになった時に小沢氏の代表辞任を促したあたりから小沢氏と距離を置いてきたとみられている。そして、藤井氏が中心的な役割を果たしてきた来年度の予算編成に対して小沢幹事長が「政治主導になっていない」と注文をつけ民主党からの重点要望を内閣に突きつけたことで藤井氏がやる気を無くしたのではないかとの見方が出ている。
これが事実だとすれば、また小沢氏と長年行動を共にしてきた盟友が小沢氏から離れたことになる。通常国会での最重要課題である予算審議の答弁の要になる財務大臣のこの時期での辞任は内閣にとって痛手であるが、健康問題が理由ならば仕方がないだろう。
菅副総理が横滑りで後任となったが、経済や財政が専門ではない菅氏にとっては、この重職をうまく乗り切れば次期総理の声も高まるのではないか。予算審議での答弁力も後任選びの決め手になったと思われる。官僚の中の官僚と言われる財務官僚をうまく使いこなして目に見える政治主導の実現が求められている。
今年初めての東京。今朝、伊丹空港から日本航空の羽田行きに乗りこみ座席に付いて朝刊を読もうとフライトアテンダントに新聞を頼んだ。しかしフライトアテンダントから予想外の答えが返ってきた。驚いたことに今年に入って機内の新聞サービスを止めたというのだ。やっぱり。公的管理下で経営再建中のJALは生まれ変わりに本気なのだ。飲み物サービスも無くなったのだろうと思って聞くと、飲み物は今後もあるという。東京・大阪間のような短時間のフライトでは飲み物もなくてよいと思うがどうだろうか。
7000億円とも言われる債務超過を抱えて苦しむJAL。半官半民のナショナルフラッグとして世界の空を飛び続けてきたJALは、民営化後も経営が苦しくなる度に国に支援を求めるなど親方日の丸体質が抜けない上、8つもの労働組合が乱立する労使問題も抱えるなど様々な要因が重なって経営が悪化した。
いよいよ経営が行き詰ったJALは官民共同出資の企業再生支援機構に支援を求めた。公共性の強い飛行機が飛ばなくなる事態を避けるべく、政府はJALのメインバンクでもある政府系金融機関の日本政策投資銀行に要請し、経営資金のつなぎ融資枠を2000億円に倍増することを決めさせると共に、支援機構に早期の支援決定を求めている。
JALをどう再建するかで意見が分かれている。裁判所が介在する法的整理か、債権者が話し合い債権債務を調整する私的整理かである。支援機構は、より透明性が高く抜本的な再建を行うため会社更生法と公的支援を併用する事前調整型の法的整理策を検討しており財務省も支持している。
これに対し金融機関側は、現金の流出や顧客離れを抑える私的整理を主張している。イメージが悪化しての顧客離れを心配するJALや、運行に影響が出ることを懸念する国交省は法的整理に反対している。
たいへん難しい問題ではあるが、国民の税金を使って再建を支援する限りは、職員やOBも含めた企業年金の減額はもちろん、透明性を持った再建策を国民にしっかりと説明して欲しい。またJALの経営再建だけにとどまらず、ハブ空港や地方空港のあり方も含めた国のこれまでの航空行政を全面的に見直すべきである。
10年1月5日(火)「#919 知事とのやり取り」
さすがに厳しい選挙を勝ち抜いた政治家である。番組が始まる前に橋下知事の楽屋にご挨拶に伺った際に、知事は満面の笑みで挨拶を返してきた。「今日は番組が橋下劇場にならないように会社を代表して頑張りますからよろしく」と挨拶したが、知事の余裕に比べて自らの気負い過ぎを感じた。
昨日のブログの続きである。「ten」に大阪府の橋下知事が出演して番組第一部のほぼ1時間全部が知事に関連するニュースで埋まった。
番組の内容は、橋下知事が描く大阪の未来についてコメンテーターを交えて討論するというものだった。大阪府庁のWTCへの移転問題や、エキスポランド跡地への映画テーマパークの招致、JR大阪駅北側のコンテナヤードへのサッカー場誘致などの話が次々に出てくる。
そして、話題は関西空港と大阪の中心・梅田を7分で繋ぐ関空リニアに移った。実はこの話になった時に、私は橋下知事が考えていた2035年の開業目標をもっと早めるべきではないかとコメントしようと思っていたのだが、橋下知事は直前の記者会見で関空リニアの開通とも関係する伊丹空港の廃港をもっと早めて2020~25年に前倒しすべきだと考えを変えたことを明らかにしたのだ。さすがに世論の流れを読むことに長けている知事である。25年先では遅すぎるのではと指摘しようとした直前に先に前倒しを言われてしまった。
知事からもらった手紙について番組の中で触れることには少しためらいもあったが、そのやり方に納得できなかったので、知事にその疑問を投げかけた。「知事にぜひお願いしたいのは、権力者だから弱者にも配慮してほしい。番組でリニアの話をした時に府庁からいきなり何の連絡もなしに手紙や資料を送りつけてくるやり方はどうかと思う。府庁の内外で知事は強権的なやり方だと一部の人が言う気持が分かった」との趣旨のコメントを知事に投げかけた。
これに対して橋下知事は「メディアと有識者にしか手紙は出さない。メディアは第四の権力で権力側と対等な関係で非難する立場ですから。春川さんも僕に対してコメントする時に一報いただけるかですよね」との趣旨のコメントを返してきた。メディアが知事を批判する時に事前に知事に連絡するってどういうこと? 生放送中の私の頭の中に?マークがたくさん飛んだ。私への反論になっているようでなっていない言い方でうまく論点を外すあたりはさすがに元・人気コメンテーターである。
私は橋下知事が出演した番組コーナーの終わりに障害者雇用の話題になった際にも「知事は力を持っているのだから、弱者に配慮してください」との趣旨のコメントを繰り返したのだが、少ししつこかったかも知れない。
番組の流れを断ち切るような突然の知事への問いかけについては賛否両論あった。何とか番組の自然な流れの中で知事の手法について疑問を投げ掛けたかったのだが、私の力不足で個人的な怒りをぶつけた様に取られたことは仕方がない。一にも二にも私の力不足である。
帰宅してから一緒に番組の録画を観た中学生の長男に、知事とのやり取りについての感想を聞いた。事情を全然知らずに突然録画を見せられた長男は「わざわざ番組の中で取りあげることとちゃうんちゃう」とポツリ。子供はよく見ている。
今日から「かんさい情報ネット ten!」の放送が始まる。今年の仕事始めである。今年最初の放送ということに加えて、今日は番組に橋下徹・大阪府知事をお迎えするので楽しみであり気合も入っている。
というのも、昨年末に私の「ten」での発言について橋下知事からお手紙をいただいたからだ。手紙の差出人は大阪府の報道担当となっているが、番組を観ていてこの手紙を出すように指示したのは橋下知事だということである。
事の発端は、橋下知事が提唱している関空リニアについて私が「ten」の中で、「リニアが関空まで通っても、大阪の人はリニアで関空まで行って関空から羽田まで行かないのでは。新幹線やリニアで東京に行くのでは」という趣旨の発言だった。
この発言に対して大阪府からの手紙には「関空リニアとリニア中央新幹線が開通した場合、東京・大阪間の移動は、通常は、リニア中央新幹線が選ばれるでしょう」とした上で「関空リニアは、関空アクセス改善のためのものであり、大阪・東京間移動のためのものではありません」ということを私に「ご説明申し上げたい」と書かれていた。
差出人の大阪府の報道担当から何の事前の連絡もなくこの手紙が私のもとに届けられた。私の発言に番組中で同意した出演者にも同じ趣旨の手紙が届いたのには驚いた。手紙には、橋下知事の名で書かれた11ページにわたる「関空・伊丹プロジェクト」などに関する参考資料も添えられていた。これでしっかり勉強してくださいということだろう。
知事からのメッセージはこれだけではなかった。その後、橋下知事が「ten」に出演した時に、私は出演していなかったのだが、直接私の名前を出していただいて、「春川さんは勘違いをしている。手紙を出したから読んで欲しい」との趣旨のコメントをしたのだ。そして今日の出演である。
知事からの手紙を受け取った後、私の番組での発言、知事の番組での発言を録画でチェックすると共に、知事からいただいたお手紙、参考資料を読んで勉強した。大阪の梅田と関空を7分で結ぶ関空リニアについては、知事のご指摘を受けるまでも無く、大阪・東京間の移動のためではなく、国際空港としての関空へのアクセスを改善するためであることは私でも分かる。私が言いたかったことは、伊丹空港を廃止して関空リニアを通しても、伊丹空港の総旅客数の4割近くを占めるドル箱路線の大阪・東京間の客をみすみすJRに奪われてしまうのではないかという疑問だったのだ。しかし、府からいただいた手紙によると「リニア中央新幹線で東京・大阪間が約1時間で結ばれれば、その段階で伊丹・羽田便の利用者はほぼそちらにシフト」し、「利用者が激減する伊丹空港そのものが自然消滅的に廃止されるべきであります」ということだ。要するに、関空リニアとリニア中央新幹線はセットでの開通を目指し、しかもJRの予定より早めて2035年に前倒しすべきだと府は考えているのだ。関空リニアとリニア中央新幹線の開通、そして伊丹廃港がセットとして考えられていることについては不勉強でそこまで知らなかった。
知事は「ten」に出演された時に、「春川さんは関空リニアは必要ないんじゃないかと言っている」との趣旨の発言をしたが、これは事実ではない。建設費用をどうするかという大きなハードルはあるが、関空リニアについては賛成である。いずれにしても、事前の連絡もなしにいきなり手紙や資料を送りつけてくる大阪府のやり方には少し怖いものを感じる。府庁の内外の一部の人たちから、知事の強権的なやり方に疑問の声があがっているのも分かるような気がした。
あと少しで今日の「ten」の放送である。知事とのやり取りがどうなるか楽しみである。
このブログで家族のことを書くことが多いがほとんど息子についてである。特に、少年野球で頑張っている二男について取り上げることが多いので、「息子さんの初ヒット楽しみですね」と声をかけていただくこともある。
その一方で、「春川さん、いつも息子さんのことばかりで娘さんのこと書かないですね」という感想もいただく。息子たちについては野球の話題が多いので書きやすいのだが、お年頃である娘については書きにくいというか、書けるネタが少ないという事情もある。
世のお父さんと思春期の娘さんとの関係がどうであるかは分からないが、我が家ではそこそこうまくいっているのではないか。年頃ならではの反発もあるが、妻がしっかりと厳しく育ててくれているので安心している。
最近では家の手伝いをすすんですることも多くなってきた。勉強に関しては、持ち前の集中力を発揮して試験の直前などやる時はすごい勢いで集中して頑張っている。この集中力を2人の息子も身に付けることができたら、もっと野球でも活躍できるのにと思う。
特派員としてロサンゼルスに赴任していた時に、現地の小学校に通っていたこともあり娘は英語が得意である。帰国後も英語力を保つことが出来たのは妻のおかげである。帰国後の生活で忙しい中、毎週のように英語学校に連れて行きせっかく身に付けた英語力が落ちないように勉強する環境を作り続けてきたのだ。
そのおかげで英語検定の準1級に合格することができた。本人の努力の賜物ではあるが、その陰に妻の支えがあったことを娘には忘れないでいてほしい。最近では大好きな韓国ミュージックに親しむために韓国語の勉強も始めたようだ。その積極性は母親譲りのようである。頼もしい。
息子たちもそうであるが、小学校の時から自宅でも学校でもコンピューターに慣れ親しんでいるため、その知識と操作の速さはたいしたものである。今日も、自宅のコンピューターの設定がよく分からないときに、娘が色々と試して何とかしてくれた。今後はコンピューターに関しては全て娘に任せようと思っている。
怪我をしてリハビリ中の私の母親の面倒もよくみてくれる。娘が日々順調に育っているのをみて妻への感謝が深まるばかりだ。時には母として、時には女友達として娘の成長を見守ってくれている。私もしっかりと息子たちを育て上げなければならないと思う。
我が家の子どもたちは3人とも寝起きがとても悪いが、子どもたちを朝起こすときに最も手ごわいのが娘である。その態度の悪さはビデオに撮って後で本人に見せてやりたいと思うほどである。寝起きの悪さはまだ子どものままである。あの寝起きの悪さで結婚したらどうなるのだろうかといらぬ心配をしてしまう。余計なお世話か。
久し振りに毎回見逃したくないドラマに出逢った。某公共放送の「坂の上の雲」である。毎回必ず観たいと思いながら、年末は忙しかったので録画してこれまで一度も観ていなかった。昨日と今日の二日間で1話95分のドラマを5話分まとめて一気に観た。
「坂の上の雲」に興味を持ったのは、昨年秋に仕事で松山に行ったことがきっかけだった。地元の政治家とこのドラマの話をした後で、市内にある「坂の上の雲」ミュージアムに行ったのだ。そこの売店で司馬遼太郎の「坂の上の雲」の文庫本の一冊目を買って読み出した。
司馬遼太郎の本にはまったのは「竜馬がゆく」以来だ。日本人なら誰もが興味がある明治時代という激動期の若者たちの熱い心を描いた作品だ。主人公は伊予・松山出身の三人だ。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦で作戦を担当した日本帝国海軍連合艦隊参謀の秋山真之(さねゆき)。その実兄で、日本陸軍で騎兵の基礎を築き日露戦争で世界最強のロシアのコザック騎兵を破った秋山好古(よしふる)。真之の親友で俳人の正岡子規。三人が関わりあいながらそれぞれの道で一時代を築いていく物語だ。
真之を本木雅弘、好古を阿部寛、子規を香川照之、子規の妹の律を菅野美穂が演じる。本木雅弘もなかなかいいが、香川照之と菅野美穂の演技が秀逸である。特に菅野美穂の真之を慕う演技が最高で涙を誘う。うちの妻は菅野美穂が出てくる度にウルウルしている。私もドラマを観ながら何度か涙が出た。軍人同士の友情にグッとくる。
文庫本はまだ二冊目なのでドラマが先を行くのを心配していたが、第一部は今回の五話で終了で、第二部はなんと今年暮れの放送だ。続きを1年後まで観られないのか。あまりに先過ぎないか。第三部にいたっては2011年の放送予定だ。どこまで引っ張るんだ。
時代は「坂の上の雲」である。昨年末に発表された鳩山政権の「新成長戦略~輝きのある日本へ~」の中にこういう一文がある。「戦後、日本は奇跡の経済成長を成し遂げた。(中略)一人当たりGDPでアメリカを追い越した80年代、バブルを迎え、そしてバブルは崩壊した。「坂の上の雲」を夢見て山を登り、その頂きに立った途端、この国は目標を失った。」と。
国民の多くがこの国の将来に不安を抱き、国の進むべき方向が見えにくい時代だけに、この国の基礎を築く大転換期であった明治時代を駆け抜けた若者たちの夢が観るものの心を揺さぶるのではないだろうか。このドラマを観ていて、明治に生れてみたかったと思う。人々の少年の様な純粋な心が輝き、社会をつき動かした時代。早くドラマの続きが観たい。
いつもこのブログをお読みいただいている皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年中は拙い文章にお付き合いいただきまして有難うございました。本年もご愛読のほど、何卒宜しくお願い致します。
年も改まり、自宅の新しいパソコンで書く初めての原稿でもあり、いつになく少々張りつめた気持である。新しいパソコンの画面は大きくとても明るい。この輝きのように今年も明るい前向きなブログにしていきたいと新年に思う。
年内に退院した母親は日常生活に戻るためのリハビリ施設に入所し日々リハビリ訓練に励んでいる。お正月を我が家の家族と過ごすために昨日から泊まりに来ている。まだ1人では満足に歩けないのでトイレに行く時は誰かが必ず付き添っている。何カ月かかるか分からないが、1人で歩けるようになるために毎日努力している。2カ月入院していて毎日基本的にはベッドに寝ていて足腰が弱っているので、元の筋肉に戻るまでには相当な時間がかかりそうだ。老人用のリハビリ施設も老人ホームなどと同様に入所まで数カ月から半年待ちが普通であるが、幸運なことに退院してすぐに入所することができたのだ。
今年は我が家にとって踏ん張りどころの一年になるような気がする。長女と長男はそれぞれ大学受験、高校受験に向けて本腰を入れる年になる。長女の受験に関しては妻に任せて、私は長男の受験に力を入れようと思っている。高校選びの際に、野球が大きな要素になるからだ。
二男は小学校高学年になるので、子供から少年に変わる大事な時期を迎える。勉強にも野球にもそろそろ本気で取り組むことになるだろう。
妻は春から大学院に進学する。大学で非常勤講師として引き続き教壇に立つとともに自らも学生になって学び直すのだ。やる限りはとことん究めるつもりのようだ。
さて私はといえば、今年は一言で言うと"攻める姿勢"を貫きたいと思っている。今年の5月で49歳となり40代最後との一年となる。いよいよ50歳目前だ。中堅からベテラン(既にベテランという声も聞こえるが)の域に入ってくるので、余計に守りに入らず、いい意味で"やんちゃ"になりたいと思っている。このブログのタイトルでもある"無難でなく"やっていきたい。今年は面白い年になりそうだ。
春川正明
はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西学院大学非常勤講師
大阪市出身