今から20年以上前のこと。初めてのアメリカ旅行で訪ねたカリフォルニア州パロアルト。この街にあるスタンフォード大学のキャンパスはスペイン風の校舎と芝生が印象的だった。こんな大学で勉強できたらなと心から思った。鳩山首相が大学院を卒業した大学でもある。
それ以来、いつの日か大学院で勉強したいなと思っている。もちろん、できればアメリカの大学院で学びたいが、現在の仕事と私の英語力を考えればアメリカの大学院は残念ながら無理だろう。
では日本の大学院で学ぶか。何を勉強しようか。大学院で勉強したいという思いは強いが、これを是非勉強したいという分野はすぐには思い浮かばない。アメリカの大学院でならジャーナリズムについて学び直したいが、日本でジャーナリズムを学ぼうとはあまり思わない。自分が実際にこの分野で働いているからだろうか。
では日本で何を学ぶか。国際関係や政治について学んでみたいという思いはある。あるいは、自分自身があまり得意でない経済や経営、それとも最も遠いところにある哲学などについて勉学に励むのも面白いかも知れない。
いずれにしても、20代の学生たちと一緒に大学院で学ぶという生活に憧れる。今年も大学での非常勤講師の仕事が始まった。学生に教えるのも楽しいが、自ら学ぶという経験ももう一度してみたい。教室で猛勉強した後にクラスメイトと一緒に芝生の上でコーヒーでも飲みながら色々な話をしてみたいものだ。
アメリカでは大学を卒業して社会に出て何年か働いた後で、キャリアアップを目指してもう一度大学院に入って勉強し直して再び仕事に戻るということが特別なことではない。日本では大学院というと、就職せずに研究者や学者への道を目指す人が勉強するところというイメージがまだまだ強いが、大学院で学び直す社会人がもっともっと増えるようになればいいなと思う。
こんな風に50歳を前にしてもう一度勉強したいと思う理由は、若い頃にしっかりと勉強してこなかったからだろう。解説委員になって、いかに自分が世の中のことを知らなかったのかと思い知らされているからでもあるだろう。
ある日のこと、自分が勉強してみたいと思う大学院がないかなとネットで調べていたところ、妻が以前から興味を示していた分野の大学院を見つけた。「これ面白そうちゃう?」と勧めたところ、妻も興味を示したようだ。
そして今日、妻の受験番号が、張り出された合格者のリストの中にあった。妻と2人で合格発表を見に行ったのだ。志望動機を書いた小論文や、英語での面接の内容、妻のこれまでのキャリアを考えると合格間違いないと思っていたが、妻自身は合格出来るかどうか心配で仕方がなかったようだ。おめでとう、本当によかったね。先を越されてしまった。
確かに似てきた。人の心をぐっと掴む演説、何をどのタイミングで言えば効果的かを知り尽くしたメディア対応、常に反対勢力をはっきりさせて過激なまでに追い詰めていく手法、時には開き直りともとれる覚悟と勝負勘。大阪府の橋下知事を見ていると、小泉元首相の姿と重なり合うことが多くなってきた。
橋下知事は、耐震性に問題がある府庁を大阪の湾岸部に位置するWTC(ワールド・トレード・センター)に移転させる案を再び府議会に提案している。今年春に同じ移転案を府議会に提案し否決されたにもかかわらず、あらためて提案しているのだ。
WTCは大阪市が中心となって開発したが、多くの借金を抱えて破綻したという経緯がある。そのWTCに大阪府庁が入って、大阪府と大阪市、それに関西財界が一体となってWTCを中心とした湾岸エリアを関西州の中心とするという壮大な計画だ。湾岸部から関西空港までリニアで繋ぐと共に、WTCの周辺にコンベンションセンターやカジノを建設するという構想を橋下知事がぶち上げている。
防災面での懸案事項をクリアすれば基本的にはWTC移転には賛成ではあるが、大阪府庁がWTCに移転すれば全てがうまく行くと思わせるかのような橋下知事のやり方を見ていて思い起こすことがあった。小泉元首相の郵政民営化だ。郵政民営化についても基本的には賛成だが、郵政民営化が実現すれば政治も経済も外交も全てうまくいくと言い切った当時の首相の主張には首を傾げざるを得なかった。
先日行われた堺市長選では、橋下知事が全面的に支援した知事の元部下が、自公民が相乗りで支援し3選を目指した現職を大差で破った。先の衆院選で橋下知事が民主党の政策を支持したことも重なって、知事選で橋下氏を応援し今回の市長選で現職候補を支持した自民党の橋下知事への怒りは相当なものだ。自分の選挙で応援してくれた自公を敵に回すこともいとわない知事の政治家としての立ち回りもたいしたものである。
橋下、小泉という2人の政治手法を見ていて最も共通点を感じるのはその"覚悟"だ。郵政民営化に命をかけると言い放ち衆議院を解散した首相。WTC移転が再度議会に否決されたら辞職して移転の是非を府民に問うために出直し選挙に出ることも視野に入れている知事。なぜそこまで拘るのかという周りの声などに耳を貸すことなく、自分が正しいと信じる道を貫き通すためには自分の役職をかけてでも勝負するという覚悟がひしひしと伝わってくる。
今の政治家に最も欠けているのは、この覚悟ではないかと常々思っている。2人とも国民や府民からの圧倒的な支持を得ている大きな理由は、この覚悟が感じられるからではないかと思う。
メディアを巧みに利用するのも2人の大きな共通点だ。それを理解した上で、メディアがいかに政策をチェックして、どのようにして是々非々で対応していくのかが問われていると思う。メディアの覚悟も問われているような気がする。
09年9月27日(日)「#819 事故調査委員会」
なんという事をするのだろうか。あまりの自覚の無さに怒りさえ覚える。最終報告書が事故の背景には企業体質があると指摘したのを思い出す。安全を何よりも第一に考えるべき公共交通機関を運営する組織とは思えない。開いた口が塞がらない。
乗客106人の命を奪ったJR福知山線の列車脱線衝突事故に関して、事故調査報告書をまとめた国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の委員に対してJR西日本の山崎社長(当時)が調査中に何度か接触し、国鉄OBでもある委員が最終報告書案の情報を漏らしていたことが明らかになった。
山崎前社長は、調査委員会の報告書の中に「ATS(自動列車停止装置)があれば事故が防げた」という文言があることを問題視し、報告書からその表現を削除することを求め、委員はその要望に沿った発言を委員会でしたが意見は反映されなかったという。
さらにJR西日本の別の幹部が、国鉄OBである別の委員と接触を繰り返し、調査委員会の動向を探っていたことも明らかになった。会社ぐるみの働きかけであり、企業としてのJR西日本のモラルのなさにはあきれるばかりだ。
JR西日本もJR西日本だが、事故調査委員会の委員の自覚のなさも大問題である。調査の対象者と個人的に接触して情報を漏らしたばかりでなく、調査対象者の意向を受けて調査報告書の内容を書き換えようとするとは言語道断である。委員は特別職の国家公務員で守秘義務はあるが情報を漏らした場合の罰則がないため、国土交通省が罰則を設けることを検討し始めたのは当然である。
山崎前社長は事故の原因究明や再発防止策の策定に向けての真摯な態度などで遺族からの信頼もあったが、遺族や関係者は裏切られたとの思いも強いだろう。山崎前社長には、私が報道部長の時に事故に関する特番にも出席してもらい、その人間性にも触れたことがあるだけに、今回の問題はとても残念だ。信頼できると思っていた会社幹部がこういう行動をとっていたとは、JR西日本の企業体質の問題の根深さを痛感させられる。
運輸安全委員会そのものへの信頼も傷ついた。いま導入に向けて作業が進められている医療安全調査委員会に関する議論にも影響があるだろう。事態は深刻である。
久しぶりの隅田川は潮の香りがした。東京湾に近い河口付近だからだろうか。昼間に見るのとは違って、ゆったりとした流れだ。川沿いの歩道を歩く人の姿もほとんどなく、辺りは静まりかえっている。芝生に寝転がって見る隅田川はなんとも言えぬ風情があった。
東京に単身赴任している時に住んでいた月島の街。地下鉄の駅の周辺には高層マンションが立ち並んでいるが、少し離れると昔ながらの下町の風景が残っている。狭い路地を入ると縁台があって植木鉢が並び、テレビで観る東京の下町のイメージ通りの町並みがそこにあるのだ。
この街に2年間も暮らしたのに、ゆっくりと街歩きをしたことがなかった。月島に引っ越してきた当初は、自転車でも買ってあちこち探索しようと思っていたが、そんな余裕もないまま毎日が過ぎ去っていった。
先日、久しぶりに月島で食事をする機会があり、おいしい魚と日本酒を楽しんだ後、1人で隅田川を見に行ったのだ。店の前で一緒に食事した人に「ちょっと隅田川歩いてきます」と告げて別れたのだが、その人も突然私が消えたので驚いたかもしれない。
昔から、お酒を飲んで気分が良くなると1人で街に消えることがよくあった。何をするでもなく、1人で街をブラブラするのだ。ロサンゼルスに住んでいる頃も、お酒を飲んでいて酔っ払った後で1人だけ席を外して外に歩きに行って、何度か親友に心配と迷惑をかけたものだ。
そんな時は、だったいベンチや芝生の上に寝転がって歌でも歌いながら空を眺めている。周りの人から見たら単なる酔っ払いだろう。東京や大阪の街でやっている分にはまだ大丈夫だが、あまり治安の良くないロサンゼルスのダウンタウンでは周りも心配しただろう。あの頃が懐かしい。
09年9月25日(金)「#817 鳩山外交スタート」
新しい政権がスタートして1週間ほどで鳩山首相が早くも外交デビューを飾った。国内では連日鳩山内閣の閣僚が自民党時代から続いた政策の変更に取り組んでいるが、鳩山首相自身は所信表明演説もまだで、国内デビューよりも海外でのお披露目が先になるという珍しい展開だ。
それにしても鳩山首相は幸運だ。選挙前から日程が決まっていたことではあるが、首相に就任してすぐにニューヨークで国連総会があり、各国の首脳を前にして演説する機会も三度もあった。日米、日中、日ロ、日韓といった外交上重要な国々のトップとの首脳会談も次々とこなすことができた。
国連気候変動首脳級会合での演説で鳩山首相は「2020年までに温室効果ガスを1990年比で25%削減する」というとても思い切った日本の新たな中期目標を表明した。アメリカや中国、インドといった現在は削減交渉の枠組みに参加していない主要排出国が参加するという条件付の中期目標とはいえ、国内では産業界を中心に反対の声が上がっている。しかし、これまで地球温暖化問題で前向きなヨーロッパ諸国と後ろ向きなアメリカの間でなかなか存在感を示せなかった日本が、世界的に見ても先進的な目標を掲げたことは評価できるのではないか。
そして、国連安全保障理事会の核不拡散と核軍縮に関する首脳級会合ではオバマ大統領が主導して核兵器なき世界を目指すという歴史的な決議が採択された。鳩山首相も世界で唯一の被爆国の首相として各国首脳に広島と長崎を訪問することを求めた上で、核廃絶に向けて日本は先頭に立たねばならないとの演説を行った。
また、国連総会での一般討論演説でも鳩山首相は英語で演説し、東洋や西洋、先進国や途上国など多様な文明の間で日本が世界の架け橋となるべく全力を尽くすことを宣言した。アメリカの大学院を卒業しているだけあって、鳩山首相の英語の発音はきれいだ。少し原稿を見過ぎだとは思うが、できるだけ自分の言葉で話したいという思いは伝わってきた。
国連での一連の日程を終えて、鳩山首相はピッツバーグに移動し藤井財務相と共にG-20による金融サミットに出席した。重要な外交日程が続いているが、帰国してもダム問題、JAL問題、予算編成と重要問題が次々と待っている。各国首脳や外国メディアに対しても存在感を示す事ができた鳩山外交は順調なスタートを切ったのではないか。
今日は父の命日である。阪神大震災が起きた年のきょう、父はこの世を去った。あれから14年になる。時が経つのは早いものだ。父は退職してこれから余生を楽しむという時に67歳で亡くなった。長男の顔を見せてやれなかったことが心残りである。
きょうで伯父の日記も最終回。最後までお付き合いください。
9月2日(月)「晴、待望の兵科決定す。『騎兵第一番』なり。騎兵とは予期せぬ事、応召の暁には愛馬と共に活躍せねばならない」。このページには馬のイラストが描かれ、「馬よぐっすり眠れたか、明日の戦は手強いぞ」と書かれている。ところで、私がアメリカに住んでいた頃、アメリカ人の占い師に馬に乗った武者が守護神として付いていると言われたことがある。私は馬と関係が深いと言われたのだが、伯父が私の事を見守っていてくれるのかも知れない。
9月28日(土)「晴、『日独伊三国同盟成立』、大詔を渙発あらせらる、昨日ベルリンで条約調印。
9月31日(日)「曇、今後友達は追々別れる様に成るだろうが、以前通りの交際をして互いに助け合わねば成らない。やがては御奉公せねばならず、一日も早く応召の時至るを待つ次第。
10月5日(土)「晴、放送局前で空襲警報に会い暫く待機す」
10月11日(金)「晴、きょう横浜沖にて特別観艦式。一日も早く栄ある応召の時来るを待つ」
10月22日(火)「晴、一日も早く栄ある召集令状の大命あるを祈る次第である」
10月23日(水)「晴」、この日の日記にも軍服を着た自画像のイラストが描かれている。陸軍騎兵二等兵・名前が記されている。
10月28日(月)「晴、家にて量る。体重13貫150匁なり。食べよ増せよ肥えよ御国の為に」
10月31日(木)「晴、第一補充兵役に編入され証書も拝与されて只拾二月一日以降の晴の日を待つのみとなった。之は我が日本男子のみの持つ心で、米国では兵役に服する事に決すると母親も泣き恋人も泣く様なダラシの無い国である。友人達は最早入営日も決定した。各入営友人の武運長久を祈る次第である」。この日の最後に『運命』と題された一文が書かれている。「富豪の家の子に生れる、貧乏な家の子に生れる、身体の立派な子に生れる、弱い不遇な子に生れる、如何する事の出来ない運命なのである。だが、金持に生れたとて幸福ではなく、又貧乏な家に生れたとて決して不幸ではない。今の今迄幸福な日を過ごしていても一寸先は如何なるか判らない闇である。現在の幸福な健康を仕事を幸福な生活を感謝しつつ日々を過ごさねばならない。人間一生の間には必ず一度以上の不幸がある。その不幸に対しての心構が必要である。貯蓄其他色々の方法がある。我々人類の最大の目的は幸福を得る為なのである」
11月5日(火)「晴、『オギアーオギアー』小生二拾一年前の産声である。今日は僕の誕生日だ。これ迄の両親に対しての並々ならぬ苦労に対して感謝の外は無い」
11月17日(日)「晴、秋晴れのもと我等若人大活躍すべき青年団体育大会は開かれた。我が団は他の団を斥けて競技に応援に群を抜いた。第一回体育大会の栄冠を得たのだ」
11月28日(木)「晴、親友○○君の武運長久を祈る。見送りの為大阪駅迄送る。三々拍子、詩吟、一同の『勝って来るぞと』の軍歌に送られて拾時前明石行省線の人と成る。何時迄も窓より手を振った○○君の最後の姿、一汐寂しさの感がある」
11月30日(土)「雨後曇、来月からは何時大命降下の栄に浴するやも判らず、何卒一日も早く召集あるを祈る次第。既に覚悟は出来た。友は次々に分れて行くが夫々皆将来に於て幸福でありたい」
12月31日(火)「晴、『光陰は矢の如し』よく云ったものである。今年の正月が昨日の様に思われる。自分の身辺にも待望の召集令状が近づいている様だ。最後に我家の隆昌を祈り意義有る皇紀二千六百年は終る」
母から電話があった。この正治おじさんの日記がもう一冊見つかったということだ。また機会があればご紹介したいと思う。
09年9月23日(水・祝)「#815 伯父の日記②」
昨日に続いて戦争で亡くなった母の兄の日記を紹介する。伯父が21歳となる昭和15年の日記で、心待ちにしていた徴兵検査に合格し、戦争へ行く日を待っている伯父の生活や心情が綴られている。
5月27日(月)「晴、突然、大阪工廠より出火、直ちに駆けつける。女工員避難し大混雑を呈す。時局下に於て軍工場の出火は遺憾なり」
6月7日(金)「晴、映画『病院船』を観る。今更乍ら白衣の天使の努力に感謝し一層深い感銘を与えられた」
6月28日(金)「小雨」。この日の日記の欄外に、布団に寝ていている伯父と、国旗に見送られて歩く伯父のイラストが書かれている。その横には「出征の夢を見ている」と書かれている。一日も早い出征を望んでいる伯父さんの気持ちを思うと胸がつまる思いがする。21歳という若さで国に身を捧げることを願っているのだ。
6月30日(日)この日の日記には、ちょうど1年前の昭和14年6月30日から親友4人と淡路島の洲本へキャンプへ行ったことが書かれている。心から楽しんでいる様子がみてとれる。「既に一人は遠く中支(中国)の戦線で活躍している。考えれば一年間は長く又短いものだ。明日から我々若人待望の七月に入る」。
7月6日(土)「晴、五人で阪急沿線仁川へキャンプに行く。真っ直ぐな川を住宅地街に沿って行く。天幕設営終了は二時に成る。深い谷間で水の音を聞きつつ就寝す」
7月16日(火)「雨のち晴、米内内閣総辞職」
7月22日(月)「晴、近衛新内閣成る」。新内閣の閣僚の名前が記されている。
7月28日(日)「晴、一日中閑である」
8月22日(木)「晴、本日より防空訓練なり」
8月31日(土)「雨、我々若人大活躍の夏も終わって秋に入る。キャンプも数回行ったし楽しい事が数々有った。近衛内閣も新体制に入り国民は益々緊張の道をたどる。何か種々の事情で商売が不振なのは致し方がない。もうコオロギも鳴き始めて秋らしく成った」
伯父さんの日記を読んでいると、21歳という若者が書いた文章とは思えないほどしっかりした内容に感心する。時代背景もあるのだろうが、自分という存在と国家との関係を直視している。振り返って、いまの自分はしっかりと地に足をつけて日々生きているのだろうか。考えさせられることが多い。
09年9月22日(火・祝)「#814 伯父の日記①」
母は11人兄弟の上から5番目。長男は生後すぐに亡くなった。二男は太平洋戦争に騎馬兵として出征し中国で戦死した。戦争で亡くなった伯父の名前は正治(まさはる)。もちろん写真でしかその姿を見たことがない。母は正治おじさんにとても可愛がられていたようで、小さい頃に母からおじさんの話をよく聞かされていた。
その正治おじさんの日記がいま私の手元にある。昭和15年、伯父が21歳になる年に毎日綴っていた日記である。母が大好きだった伯父の日記を手元に大切に持っていて、今までも何度か見せてもらったことは覚えている。先日、母の家に行った際に「ゆっくり読んでみて」と手渡されたのだ。
日記は新聞社が発行する1日1ページ形式の書籍の大きさだ。70年ほど前のものなので紙は茶色に変色していて古本の匂いがする。日記には1枚の写真がはさんであった。正治おじさんの写真だ。白い長袖シャツを着て軍帽をかぶっている。顔は祖母によく似ていて母方の顔をしている。20歳前後の頃の写真だろう。私が子供だった時は、まさに年上の伯父さんというように見えたが、自分が大人になってから見ると、こんなに幼くしてお国の為に命を捧げたのかと考えさせられてしまう。
1年間の日記は毎日欠かさず万年筆で書かれている。毎日、その日の天気と就寝した時間が書かれてあり几帳面さがうかがえる。欄外には「受信」と「発信」という記述も数多く見られるが、電報のやり取りだろうか。この日記を通じて、戦争に行く直前の若者の素直な気持ちや当時の生活が手に取るように分かる。何回かに分けてこのブログで紹介していこうと思う。
1月1日(月)「曇、小雪、皇紀二千六百年を迎える橿原神宮よりの太鼓の音を聞きつつ就寝す」
1月2日(火)「晴、甲子園へ職業野球見物、熱のない試合に一同不平タラタラ」
1月7日(日)「晴、(出征する親友の送別会で)互いに打ち解けた同士の事とてスキヤキに一同喰えや飲めよの大騒ぎ、酒の廻るにつれてかくし芸が飛び出す、一同大酩酊」
1月11日(木)「晴、今日は○○(親友の名前)の入営日。挨拶あり、中々の出来『皇紀二千六百年に当り入営する光栄を云々』等の名調子。一同別れの挨拶を交わす。之で自分の親しき親友を一人失った」
1月26日(金)「晴、夕刊に記載さる『入営範囲拡大さる、徴兵検査規則一部改正で明日公布』」。この日のページの欄外に軍服を着た自分のイラストが書かれてあり、その横に陸軍二等兵と自分の名前が記されている。
2月22日(木)「晴、三時過に黒を取りに行くも未だ来て居らず五時ごろより機械掃除す。父が油の配合間違い」。母の実家は印刷のインキを取り扱う商売をしていて伯父さんも実家の仕事を手伝っていた。
3月17日(日)「晴、久方振りに一同野球をする」。日記によると伯父のポジションは投手と三塁手。伯父も野球をやっていたのだ。初めて知った。
4月22日(月)「曇、本日は晴の徴兵検査なり。先づ学科試験が始まり終わって講堂で式を挙げ九時頃より身体検査実施。司令官殿より「合格」と決定された」
4月30日(火)「晴、四月になると気象の関係で街々は活気づき何となく野や山に足が向く(伯父は時々ハイキングに出掛けていた)。陽気の加減かだらしない男女の散歩姿が目につく。無事に徴兵検査も済み合格と決定して栄の召集令状を待つ身と成った。検査が済むとある一つの重荷が降りた様な気がして何となくのんびりする。煙草を堂々と吸える様になる。世は春だ!花の四月も過ぎて早や五月に入る」
09年9月21日(月・祝)「#813 連休モード」
解説委員になってから祝日があまり好きでなくなった。世間は休みなのに働かなければならないからだ。番組によっては祝日になるとお休みになるものもあるが、「ミヤネ屋」も「ten」も祝日でも基本的に放送があるのだ。
世間は五連休だというのに今日も仕事だった。祝日で子供たちも学校が休みなので家の中にも朝からのんびりとした空気が流れている。この中で仕事に向かうのはつらい。いつもと同じ時間ぐらいに電車に乗ったが、お休みにも関わらず車内は混んでいる。家族でお出かけする人達だろう。
会社に着くと玄関は閉まっている。報道局以外の社員はほとんど出社していないだろう。報道局も幹部や管理部門はお休みだ。報道フロアはいつもに比べて静かだ。社内も、よし仕事をするぞという空気ではない。のんびりしている。
「ミヤネ屋」は祝日バージョンの1時間だけの放送だ。いつもは2時間放送しているので、1時間はあっという間に終わった。以前は3時間放送していたこともあったが、その頃が懐かしい。
「ten」はいつもの通りの2時間の放送だが、休日ということでいつもよりコメンテーターの数が多い。今日はあまり話さずに済むかなと思っていたが、司会者や共演者に何度かいじられた。「ミヤネ屋」では司会者にいじられるのに慣れているが、「ten」ではこれまでまじめな解説委員で通してきた。今後、どの方向に行くのだろうか。
世の中はシルバーウィークだと盛り上がっているが、来年も5連休になるわけではないということだ。カレンダーを操作してでも毎年恒例で5連休にすればいいと思うのだが。
明日もまたお休みで番組出演だ。祝日に出演すると、サラリーマンや公務員など普段は昼間働いていて番組を観ることのない人達が観るので反響がある。いつもは音声を上げずに画面だけを観ていることの多い社内の人達も自宅で音を上げて観ていることが多い。祝日の番組出演は心してかからなければならないのだ。
最近、二男の少年野球のコーチをさぼってばかりだ。監督さんからも、もっとユニフォームを着てくださいと言われている。もちろん野球は大好きだしユニフォームも着たいのだが、自分自身の体の疲れをとることをどうしても優先してしまうのだ。
長男が小学校低学年の頃は土曜日の生番組を担当していて日曜日と月曜日が休みだったので、日曜日に朝から晩まで野球のコーチをしても月曜日にゆっくりできれば問題なかった。しかし、今は土日が原則休みなので、日曜日にフルに活動すると月曜日にフラフラになるのだ。それに休みの日も仕事や東京と大阪の移動などで忙しいことも多い。
このシルバーウィークの五連休も休みは二日だけ。どうしても少年野球のコーチより番組出演に備えて自分の体調を整えることを優先しがちである。体調を整えて、もう少し涼しくなってきたらもっとユニフォームを着ようと思っている。
毎週の練習や試合などで子供の世話をしていただいているお父さんコーチには本当に頭が下がる。みなさん平日は仕事でお忙しいのに、せっかくの休みを子供たちのためにボランティアで頑張って下さっているのだ。
練習に参加せずたまに試合の観戦にだけ行く私は偉そうに言える立場ではないことは重々承知しているが、息子の試合を見に行って気になることがあった。息子のチームのことではなく相手チームのことだ。以前にもこのブログに書いた内容と重なるところもあるが少しだけ書く。
まず、息子のチームがエラーをしたりフォアボールを出したりすると相手チームの子供たちが一斉に声を揃えて「もうけ、もうけ、もうけ」と大きな声を出すことだ。相手がミスをしたことが"儲け"なのか?なぜ、コーチや監督は止めさせないのだろうか。
次に、執拗なまでのスクイズ。点差が開いていても、満塁のチャンスでもスクイズばかり。スクイズのサインを出す監督さんの満足そうな顔を見て、少年野球の主役は誰なのかと思った。私が選手なら打ちたい。因みに息子のチームはチームの方針としてスクイズをしない。勝利に拘るよりも子供たちに野球の楽しさを教えることを大切にするというチームの方針に大賛成だ。
そして、監督やコーチが子供たちを感情的に叱りつける様子は見ていられない。子供たちのためを思って間違いを正すというより、自分の思い通りに動かない子供たちにいらだっているとしか思えない。双方のチームの仲間や父兄が数多く見守っている中で、皆がシーンとするほど叱責された子供がどんな気持ちだろうかと思うと、相手チームのことでも注意したくなるほどだ。
繰り返しになるが、ユニフォームも着ずに都合のいい時に応援にだけ行く私が口を挟む資格はないが、小学生の子供たちには野球の楽しさ、素晴らしさを知ってほしい。野球が大好きになってほしいのだ。
と、ここまで書いていてあることに気付いた。息子のチームより、監督やコーチに怒られてスクイズばかりさせられる相手チームの子供の方がのびのびとプレーしているのはなぜなのだろうか。というより、子供のことを第一に考えてのびのびとプレーさせようとしている息子のチームの選手のほうが、どちらかといえばみな緊張してプレッシャーの中でやっているように見える。なぜなのか、理屈では理解できない。監督やコーチの駒として動かされるほうが楽なのか。小学生には自分たちで考えてプレーすることは難しいのだろうか。色々なことを考えさせられる。野球っていうのは奥が深いスポーツだ。
最近、凄い勢いで名刺が無くなっていく。元々人付き合いはいいほうだが、このところ周りの人がその人の知り合いを紹介して下さる機会が増え、ありがたいことにどんどんと人の輪が広がっていくのだ。東京でも大阪でも知り合いが増えていく。
週に何度かテレビに出させてもらっているからか、相手の方が私のことを知っていてくださることも多くなってきた。テレビに出ているといっても、「どこかで見たことがある。どこかでお会いしましたか」といったレベルであるが。こういう番組に時々出ていますと言うと、「あー」と分かっていただける場合が多い。ありがたいことだ。
ある人を紹介されて、今度御飯でも食べに行きましょうということになる場合も多い。お互い連絡先を交換するのだが、仕事柄、東京と大阪を頻繁に行き来しているのでなかなかスケジュールが決まらないことも多い。しかし、新しく出逢った方々とは出来る限り早いうちに再びご一緒したいと思っている。
また行きましょうねと具体的な日を決めずにいると、いつの間にかその機会を逃してしまうこともある。行こうと思ったときにできるだけ早く日程を決めてしまうように心がけている。
最近では、会合やパーティーなどに誘っていただいたりする機会も増えてきた。またそこで新しい方々と知り合うのだ。好き嫌いがないことはないのだが、初対面の方とでも色々なお話をするのが好きだ。特に、自分のあまり詳しくない業界で働いている方々とお話するのは興味深い。
たとえプライベートな集まりであっても、新しい方と出会い、色々な情報に接し、様々な考え方やものの見方を知ることは報道で働く者にとってこれ以上ない勉強の機会なのだ。特ダネをとってくる訳でもなく、気のきいたコメントができる訳でもない私が何とかこの業界で働くことができているのは、周りの方々に恵まれているからだと思う。今後もどんな出逢いが待っているのかと思うとワクワクしてくる。
ロサンゼルス特派員から帰国してはや8年。英語を話したり聞いたりする機会があまりないので英語力は下がる一方だ。最近はテレビで英語の映画やドラマを観ることもない。子供達がやっているインターネットでの英会話レッスンでも受けてみようか。
特派員としての4年間の赴任期間の後半では英語にも慣れ、頭で英語で考えて英語を話すことができるようになっていた。時々は英語で夢もみていた程だから今では考えられないぐらいの英語頭になっていだのだろう。
日本に帰ってきてからは、たまに英語で話す機会があってもまず日本語で考えてからそれを頭の中で訳して喋るので疲れる。速い会話になると着いて行くのが精一杯だ。英語を話しながら食事をする、いわゆる英語飯は特に疲れるのだ。
先日ある所で紹介されたファンド関係の仕事をしているアメリカ人と英語がペラペラの日本人の友人と3人で食事をする機会があった。久しぶりの英語飯だ。相手のファーストネームを事前に確認してから食事に備える。先日紹介してもらってこの日が二度目な上、今回は食事を共にするのでお互いをファーストネームで呼び合うのが普通である。案の定、相手は私のことをいきなり"マサさん"と呼んできた。思っていた通りだ。
相手も若い時に日本に住んでいたことがあるということで、片言というか、かなりの日本語を話すことが分かった。アルコールが入るにしたがって、3人の会話は日本語と英語が入り乱れていった。日本人同士で英語で話すのは少々照れるのだが、日本人とだけ日本語というように頭を切り替えるのも混乱する。
そのアメリカ人が友達を紹介してくれるということで、店のオープンを間近に控えたあるカフェに向かった。そこで知り合ったその店のシェフや音楽プロデューサたちとも英語と日本語を交えて話した。日本人もいればアメリカ人もいる。アルコールが入るに連れて英語が自然と口から出るようになってきた。たまには英語を話すのもいいものだ。
被告人の保釈がこれほど注目されたことがかつてあっただろうか。覚せい剤取締法違反(所持と使用)の罪で起訴された酒井法子被告がきょう夕方、拘置されていた東京湾岸署から保釈された。逮捕されてから40日ぶりに公の場に姿を現した。
警察署の玄関から出てきた酒井被告は、多くのメディアのカメラが待ち構えている方向に歩み寄り、謝罪の言葉を述べた上で頭を下げ、迎えの車に乗り込んだ。長い取調べが続いていたのでもっとやつれているかと想像していたが、思ったよりは顔はふっくらしていた。黒いパンツスーツを着て薄化粧していた。
その後、午後6時半から都内のホテルで記者会見したのだが、ちょうどtenの放送中だったので番組でも会見の模様を生放送で伝え、スタジオでその様子を見た。会見には解雇されたた元所属プロダクションと元所属レコード会社の幹部、弁護士が同席した。酒井被告は警察署から出てきた時とは衣装を代え、目元もしっかりと化粧していた。
プロダクションとレコード会社の幹部がコメントを述べている時には、酒井被告の目からは大粒の涙が流れた。2人の関係者がコメントしている時には少し晒し者のような感じだった。
酒井被告は謝罪の言葉を述べたが、裁判を控えているので事件についての詳しい内容については話さなかった。最後のほうは手元のメモに時折目を落として話していたが、前半部分はメモの内容を暗記していたのだろう。裁判に影響するので、報道陣との質疑応答はなかった。
酒井被告の会見を見ていて思ったのは、ドラマを見ているようでまるで現実味がなかったということだ。裁判員裁判の啓発ビデオに出演して台詞を話している酒井被告の姿とだぶって見えた。芸能人だから仕方がないかもしれないが、酒井さん個人として謝罪しているというよりも、謝罪する芸能人・酒井法子を演じているというように感じた。
今回の事件では夫と共に覚醒剤で逮捕されたのだが、最も気がかりなのは10歳になる長男だ。自宅や旅行先でも吸っていたということだから、長男も両親が何か悪いものに手を出しているということは分かっていただろう。子供への影響がとても気になるが、会見で酒井被告が子供について一言も触れなかったのも意外だった。母親よりも芸能人という意識が強いのだろうか。
人気芸能人が覚醒剤に手を染めたことで、若者たちに与えた影響は計り知れない。裁判で、どうして手を出してしまい、なぜ止められなかったのかなど、本当のことを正直に明らかにして欲しいと思う。
09年9月16日(水)「#808 鳩山政権スタート」
日本の政治にとって歴史的な日だ。特別国会が召集され衆参両院の本会議で行われた首相指名選挙で民主党の鳩山代表が第93代首相に選ばれた。衆議院本会議の傍聴席は最上段まで立ち見でいっぱいだ。その中には鳩山幸夫人の姿も見られた。新たに衆議院議長に選ばれた横路議長が、鳩山代表が内閣総理大臣に選ばれたことを宣言すると議場の3分の2近くを占める民主党議員からウォーツという地鳴りのような歓声が上がった。取材をしている時にあまりそういうことを感じることは少ないのだが、その瞬間は胸の高鳴りのようなものを感じた。新たな政治が始まるという高揚感があった。
本会議が終了して議員が議場から退場する際に鳩山代表に駆け寄り次々と握手を求めていく。ほとんどの議員が議場を去っても鳩山代表は議場に残り握手を続け、新人議員の1人1人と最後の1人まで握手していた。鳩山代表の人柄を表すような光景だった。
本会議が始まる前に民主党は自民党から奪い取った議事堂2階の正面玄関側の大きな控え室で代議士会を開いたが、控え室の中は300人を超える議員で埋め尽くされ、会場に入りきれないメディアが廊下にまで溢れていた。これに対し控え室が3階となった自民党は議員の数もメディアの数も少なく、権力が移ったことがはっきりと見て取れた。
衆議院本会議終了後に参議院の本会議場へ急いだが、参議院での首相指名選挙は既に終わっていて本会議は散会していた。その足で衆議院の議員会館へ行き知り合いの議員の事務所を訪ねたが、多くの議員が入れ替わり部屋の配置が大きく変わっているのを見て、ここでも政権交代を感じさせられた。
今日は番組をお休みして東京に取材に来ているのだが、首相指名選挙の様子や新たに選ばれた閣僚の人選や政策について「ten」に電話で生リポートをした。なかなか楽をさせてくれないが、それだけ頼りにされているということだろう。仕事を与えてくれて有難いと思っている。
夜の8時からは首相官邸で鳩山首相の記者会見があり出席した。記者席の一部には英語で「予約席」との表示がある上、同時通訳の準備もあるので外国メディアが来た場合に備えているのだろう。自民党政権ではなかったことだ。席を確保しようと開始30分前に行ったのだが既に席はなかった。
鳩山首相が記者会見場に入ってきて話し出した。メモも何も見ることなく、自分の言葉で政権を担う素直な気持ちを述べていたのが良かった。最初は会見している鳩山首相を見ていてもまるで映画を観ているようで現実のようには思えなかった。マニフェストについて質問しようと思い手を上げ続けたが、残念ながら指名されることはなかった。
皇居での鳩山首相の親任式と閣僚の認証式を終えて初閣議が開かれた後、予定より約1時間遅れの午後11時からおよそ3時間に亘って行われた新閣僚の記者会見を全て聞いた。以下に各閣僚の記者会見の内容と感想を会見順に少しずつ記す。
(平野博文・官房長官)
冒頭で初閣議の内容はお手元の紙どおりと説明したが、肝心の紙が事前に配られていない。記者の指摘で会見の最後になって資料が配られた。各省の事務次官など公務員の記者会見は禁止。取材と会見は別。大臣がしっかりと会見する。それが政治主導。言葉が少し聞き取りにくい。政府のスポークスマンとしてはもう少し明るくてもいいのでは。誠実さは伝わってくる。
(菅直人・副総理、国家戦略相)
官僚主導の政治を根本から変えることが日本を再生する上で最も大事。予算の骨格について取り組むよう総理から指示。既に財務大臣、行政刷新相と話をしている。さすがに落ち着いている。存在感がある。
(福島瑞穂・消費者、少子化相)
政治を変えて欲しいという国民の声に応える。新しくできた消費者庁を大きく育てる。全くメモを見ずに各政策について自分のやりたい事をスラスラと語る。その決意の程が伝わってくる。
(亀井静香・金融・郵政問題相)
郵政の見直し。昔のままの郵政に戻すのではない。中小零細企業は日本経済の基なので貸付について3年ぐらいは返済を猶予すべきだ。昔に比べて少し迫力がないのが気になる。金融や郵政で暴走しなければいいが。
(原口一博・総務相)
国民と力を合わせてこの国を変えたい。郵政の分社化ありきの民営化を見直す。郵政については亀井大臣と線引きするというより協力関係。この(政治)改革は革命にも等しいので国民の皆様の協力が必要。国と地方の協議の場を作ってイコールパートナーとしてやる。テレビ番組同様、語り口がはっきりしていて分かりやすい。
(千葉景子・法務相)
多くの国民が作った政権。皆さんの思いを実現させたい。国民に身近な充実した司法の確立。人権救済機関の設置を実現したい。内閣府の外局として設置したい。取調べの可視化を進めて行きたい。死刑の問題は慎重に考えていきたい。法務大臣が検察に指揮権を持っているのは理解している。国民の観点に立って指揮権を考えていくべきだ。弁舌爽やかで明るい。
(岡田克也・外務相)
外交は国民の理解と信頼に基づくもの。密約に関しては大臣命令で徹底的に調べる。米軍再編、沖縄基地問題、アフガニスタン問題、地球温暖化問題に特に力を入れたい。現場に行き自分の目で見ていきたい。日米安保、北朝鮮の拉致問題、核の問題、アフリカの貧困問題にもしっかり取り組みたい。信念の人、意志の人というイメージどおり。日本の外交が根本的に変わるかもという予感がする。
(藤井裕久・財務相)
二大政党が実現して国民に感謝したい。マニフェストを忠実に実行していきたい。租税、経済、財政は結局皆さんが稼いだお金をどう配分するかということ。22年度予算ではマニフェストを実現していく。国民生活を犠牲にして財政の健全化はあり得ない。経済をよくすることで財政を立て直す。行政官は政治に関与してはならない。政策についてたいへん詳しく、はっきりした信念を持っている。
(川端達夫・文部科学相)
学力低下、いじめや不登校、教員の不祥事など多くの問題を抱えている。マニフェストの実現に全力で取り組んでいく。最初の挨拶は紋切り型。質疑応答は分かりやすい。
(長妻昭・厚生労働相)
最大の任務はマニフェストと連立合意の実現。まずは厚生労働省の膿を出して国民に奉仕する組織に生まれ変わらせる。議論の途中過程を含めて国民に正直に示して理解を得る意思決定をしたい。社会保障に正解はない。皆さんの意見を聞いて常に対応していく。2年間で年金の信頼を回復したい。国会での追及時と同じく論旨明快。国会答弁が楽しみ。
(赤松広隆・農林水産相)
マニフェストに従って直ちにやるもの、1年以内にやるもの、4年間でやるものを分けてきっちりやっていきたい。落ち着いていて、やり取りが誠実で人柄の良さも出ている。
(直嶋正行・経済産業相)
マニフェストで約束したことを誠実に着実に実行していきたい。総理から指示された4点についての説明を読み上げる。これは自民党政権時代に多くの大臣が行っていたやり方。ずっとペーパーを読んでいる。大丈夫だろうか。少々心配。質疑応答はそつなくまとめた。日米のFTAについては研究段階。
(前原誠司・国土交通相)
社会資本の整備、交通政策の推進。そうした政策を通じて国際競争力をどう付けていくか。これまた鳩山総理の6つの指示を読み上げる。もう少し自分の思いを自分の言葉で語るのかと思ったが意外だった。どこか元気がない様な気がするが、どうしたのだろうか。
(小沢鋭仁・環境相)
鳩山総理からは目玉の分野なのでしっかり頑張って欲しいと言われた。排出取引制度はまだこれから制度設計。地球温暖化問題は主要排出国をどう巻き込んでいくかが重要。ペーパーを読む質疑応答には不安を感じる。大丈夫だろうか。
(北沢俊美・防衛相)
自民党を離党して17年。民主党を支えて下さった国民に感謝。鳩山総理からの2つの指示を読み上げる。普天間の問題は県外移設、国外移設は地元の人にはいい選択肢だが、現実を直視する対応が必要なのでできるだけ早い時期に沖縄へ行きたい。インド洋の給油問題はさらに延長はしない。とても地味な印象の人である。
(中井洽・国家公安委員長)
総理からの指示を読み上げる。だんだんと自民党時代の大臣会見に戻ってきたような気がする。国家公安委員長と拉致担当という変わった組み合わせだと自ら述べる。話し方に迫力があり、じっくり会見すれば面白いかも。
(仙谷由人・行政刷新相)
120年前、明治22年からの官僚主導国家、行政肥大国家の日本という国のシステムを全面的に大きく変える。国民主導内閣に変えていく。不透明さと税金の無駄遣い。政治家もマネージメントなかった。行政刷新会議は縦割り、補助金、天下りを徹底的に見直す。国民目線でメスを入れていく。国家戦略局と重なりあう部分も多くコインの表と裏。内閣官房、国家戦略局と3本の矢でやっていく。あらゆる分野、政策全般に詳しいので適任ではないか。平野官房長官、菅国家戦略相といかにうまく連携していくかが鍵となる。
記者会見全体の感想としては、自民党政権の時と比べて格段に良くなったと思う。各大臣がそれぞれ所管する省庁の政策についてたいへん詳しいので質疑応答でも深い専門的なやり取りが出来る。ほとんどの大臣はペーパーを見ずに自分の言葉で記者とやり取りしている。こういう当たり前のことが、当選回数や派閥の論理などで大臣が決まっていた自民党政権では出来ていなかった。この政権にも古いタイプとも思われる大臣がちらほらいるのが少々心配ではあるが、全体的には政権交代したんだなと実感させる閣僚記者会見だった。午前1時45分終了。
09年9月15日(火)「#807 ベルのストレス」
久しぶりに愛犬ベルのお話。チョコレート(茶色)のラブラドール・レトリバーのメスでもうすぐ7歳になる。人間の年齢にすればほとんど私と同じである。体重25キロほどとラブにしては小柄である。抜け毛でたいへんだが、室内で飼っている。
ラブは盲導犬としても知られているので温厚で大人しいと思われているが、子犬の頃はとてもやんちゃである。目に付いたものは何でも噛むし、動くものは何でも追いかける。子犬のうちに訓練をいれないと手に負えなくなるのだ。
ベルも子犬のうちに訓練をしてもらったのだが、いまだにやんちゃ姫である。ラブは5歳を過ぎると落ち着いておとなしくなるし、7歳になったら家の中でどこにいるか分からないほどずっと寝そべっていて癒されると、子犬の頃に聞かされていたが、まだまだ活発である。
生後1ヶ月過ぎの時に我が家に来たのだが、ラブを見に行った時に何匹か一緒にいた兄弟の仲で、私を見てとばかりに1匹だけ常に前に出てきたのを娘が気に入って選んだのがベルである。私が私が、という性格は今でも変わっていない。
大型犬なので理想的には毎朝毎晩、日に二度はしっかりと散歩しなければならないのだが、さぼってばかりでベルに悪いことをしている。そのせいで相当ストレスが溜まっているようだ。先日は、本当に久しぶりに家の中のカーペットの上で粗相をした。トイレ訓練はしっかりできているので、ストレスが溜まっている事を家族に知らせるためにやったのだと思う。
私が仕事から帰って来て自宅のドアを開けると、ダダダダと走ってきて私にまとわりつく。ちぎれてしまうのではないかという勢いで尻尾を振りながら、私の目をじっと見て「ねえ、いつ散歩連れていってくれるの?」と催促する。散歩に出れば至る所でクンクンと臭いをかいでいる。訓練が入っているので、止めなさいと言うとすぐに止めて私の傍らにすっと寄り添う。可愛いやつだ。
普段は娘の部屋で寝るのだが、最近は私の寝室の前の廊下がお気に入りのポジションのようで、そこで寝ることが多くなってきた。散歩の回数が減っているので、これも散歩へ連れて行けというアピールなのだろう。
私とほぼ同じ年齢になってベルは何を思っているのだろうか。ベルは我が家に来て幸せだと思っているのだろうか。いつまで私の目をじっと見つめ続けるのだろうか。ベルちゃん、散歩行こうね。
09年9月14日(月)「#806 9年連続200本」
またまたイチローである。先日もこのコラムでイチローのアメリカ通算2000本安打について書いたばかりだが、またまた大記録を打ち立てた。108年ぶりに記録を更新し連続シーズン200本安打を9年連続まで延ばしたのだ。これでクーパーズタウン(アメリカ野球殿堂)入りを決めたと思う。日本の野球殿堂にも文句なしに入るだろうから、日米双方で野球殿堂に入ることになる。
こんな歴史的な大記録を打ち立てたのに、残念ながら読売テレビでは他局に比べてニュースの扱いが小さい。日本テレビがメジャーと試合映像を自由に放送できる契約を結んでいないため、系列局でも試合映像を使うことが難しいのだ。ミヤネ屋では全く放送しなかった。tenでは通信社の写真を使って放送したが、私が超のつくメジャーファンであることがあまり知られていないからか、番組でコメントすることはなかった。ミヤネ屋なら司会者も大のメジャーファンなので盛り上がったのに。
イチローがいかに凄い選手であるかは2000本安打の際に書いたので、今日は私とイチローについて書くことにする。私とイチローといっても個人的に知り合いではない。今までイチローを二度取材したことがある。最初は99年にイチローがシアトル・マリナーズのスプリング・トレーニング(日本でいうキャンプ)に体験参加した時だ。
現地の空港の到着口で多くの取材陣と共にイチローの到着を待っていた。各社とも一言イチローのコメントを撮影したかったのだがイチローは立ち止まらない。そこで私はイチローと一緒にエレベーターに乗り込んで私の目の前に立っているイチローに名刺を渡して混乱しない様にするから取材に応じてくれるよう頼んだ。あのイチローが目の前に立っていた。
アリゾナ州ピオリアの球場には日本から付いてきた多くのスポーツ記者がいた。報道で取材に来ていたのはたぶん当時特派員だった私だけだろう。そこにマリナーズのユニフォームに身を包んだ満面笑みのイチローが出てきた。私も含めた多くの記者が一斉にイチローを囲む。しかし誰も質問の口火を切らない。遠慮しているのだろうか。1人だけ報道で来ていた私は質問するのを遠慮していたが、誰も聞かないので私がイチローに質問した。「憧れのユニフォームに袖を通してどんな気持ちですか」と。イチローはにっこり笑いながら珍しく饒舌に喜びを語った。二度目のイチローの取材はマリナーズに入団する直前のシアトルだった。これもいい思い出だ。
イチローから直接サインを貰ったのもこれまで二度だけ。最初はイチローがマリナーズに入団した01年の地元シアトルでのオールスター戦の試合前。一塁側のベンチ横で待っていた私の目の前で突然イチローがサインを始めた。オールスターの公式球と試合のチケットに本人からサインを貰った。二度目は今年3月のWBCの時。ロサンゼルス郊外でジャパンが練習していた時に、イチローがベンチ横で突然サインを始めた。この時はWBCの公式球とメジャーの日本人選手のサインを集めている公式球にサインを貰った。
イチローのグッズも自宅にたくさんある。ルーキーイヤーの01年にプレーオフに出場した時にイチローが試合で実際に着用したビジターのユニフォーム。同じく01年に試合で使ったバット。03年に試合ではいたスパイク。入団前の99年にマリナーズのスプリングトレーニングに体験参加した時に実際に着ていたユニフォームなどなど。これ以上書くのはやめよう。イチローの偉大な記録について書こうと思っていたのに、いつの間にか自慢話のようになってしまった。お許しください。それだけ今夜は嬉しいのだ。今度またイチローから直接サインを貰えるのはいつだろうか。今から楽しみだ。
09年9月13日(日)「#805 ダブルヘッダー」
今日は我が家にとってある意味記念すべき日になった。中学の長男と小学校の二男が2人揃って野球の公式戦に先発出場したのだ。長男にとっては中学で初めての公式戦。二男は公式戦で久し振りの先発出場だった。
きのうブログに書いた背番号8を付けた長男は試合前から少し緊張気味だった。中学の市内大会の初戦の相手は、1回戦で有名校を破った強豪チームだ。9番センターでの先発出場だった。長男の野球の試合を観るのは久し振りだ。カメラのファインダー越しに見たユニフォームを着た長男は、自分で言うのもなんだが私のユニフォーム姿にそっくりで驚いた。試合がはじまったら緊張しているようには見えなかった。
長男が打席に入ると私はカメラで写真を撮り、妻がビデオカメラを回した。選手の父兄は何人か来ていたが、そんなことをしているのは私たちだけだった。第一打席は振り遅れ気味のファースト・ファールフライだった。相手の左腕ピッチャーは柔らかいフォームから切れのいい球を投げる。ヒットを打つのはなかなか難しそうだ。
今日はセンターにたくさん打球が飛んだ。守備は得意なので無難にこなしていたが、1本だけ目測を誤って後ろにそらした。日差しが強く打球がほとんど見えなかったので勘でフライを捕っていたようだ。
第二打席もセカンドフライ。体がスエーしてバットが下から出る悪い癖が出ている。試合もチーム本来の力を出せずに0対7のコールド負けだった。ほろ苦い中学公式戦デビュー試合となった。それにしても、長男は中学になって体も大きくなり野球少年らしくなってきた。
妻とランチを食べた後、その足で二男の試合会場の小学校へと向かった。今年は夏休みの1ヶ月をサマーキャンプに参加するためアメリカで過ごしたこともあり、二男はこのところ試合に先発出場することがほとんどなくなった。今日も試合に出ないのかなと思っていたら、妻がこそっと私に「今日は先発で出るみたいよ」と耳元で囁いた。背番号40の二男は7番レフトで先発出場。嬉しかった。二男はいつもと違ってあまり嬉しそうな素振りを見せない。家に帰ってから二男に聞くと、いつものポジションであるサードで出たかったということだ。生意気な。
ベンチはサード側だったので、ベンチの後ろ側に陣取った私と妻はレフトで守っている二男の写真とビデオを撮った。またまた撮影しているのは私たちだけだった。私は写真を撮るだけでは満足せず、レフトの近くまで行き、「カバーに走れ」や「体を常に動かせ」などとついつい声を掛けてしまった。止めようと思いながらもアドバイスしたい気持ちを抑えられなかった。
二男の打席が回ってきた。打席で構える二男の姿をパチパチ撮った。1球目はフルスイングで空振り。今まで試合で一度も見せたことがない様な力強いスイング。これは初ヒットが出るかもしれないと思った2球目。なんと体に当たりデッドボール。本当に残念だった。一塁からすぐに盗塁したが、間一髪でアウト。足は速いのだがスタートが悪かったようだ。
レフトの守備では一度もボールが飛んで来なかった。二打席目が回って来た時に、残念ながら代打を出された。少年野球なので出来るだけ多くの選手を出そうという配慮だろうから仕方がない。でも、もう一打席観たかった。試合は1対7で負けた。
ということで、今日は我が家の2人の息子が同じ日に公式戦に先発出場した日になった。家に帰って2人に「お疲れさん、頑張ったな」と声を掛けたが反応は悪かった。夕食の際に、2人のことをノーヒット1号、2号と呼ぶとさすがに怒られた。このところ休みがちだった2人との庭での早朝ティーバッティングを明日から再開することにしよう。
野球選手にとって背番号はとても大切なものだ。イチローなら51、松井なら55。番号が代名詞になっており、有名選手の場合にはチームが変わった時はもちろん、日本からメジャーに移籍しても、移籍先のチームはその選手に敬意を表して同じ番号を用意する。移籍先のチームにその番号を既に付けている選手がいた場合には、わざわざ番号を変更するのだ。
プロ野球の有名選手だけでなく、野球をやっている者にとって背番号は重要なのだ。何番をつけるかということも大事だが、そもそも背番号をもらえるかどうかが重要なのだ。先日、自宅に帰ってきたら中学の野球部に籍をおく長男の試合用ユニフォームがリビングにおいてあった。その背中に8番という背番号が縫い付けてあった。中学に入学して初めて背番号を貰ったのだ。長男におめでとうと言うと満面の笑みで「うん」と返事した。長男も嬉しいだろうが、私も本当に嬉しい。長年野球をやってきて、背番号を貰うということの意味を知っているからだ。
二男が所属している地元の少年野球では、入団してユニフォームを着るようになると入団した順番に皆に背番号が与えられ、学年が上がっていくにつれて背番号が若くなっていく。これに対し、中学や高校、大学ではレギュラーの9人に加えて全部で18人とか25人といったベンチ入りのメンバーにのみ背番号が与えられる。中学と高校ではレギュラー・ポジションごとに背番号が決まっていてピッチャーの1番から始まって9番のライトまでがレギュラーで10番以降が補欠である。長男はセンターのレギュラー・ポジションを得たのだ。野球部の仲間との競争を勝ち抜き、その背番号を勝ち取るためにどれだけ頑張ったかを知っているだけに喜びも大きいのだ。
私の場合、高校では野球部員も少なく1年の時から当たり前のように背番号を貰っていたが、大学ではその道のりは遠かった。甲子園出場経験者など強豪校出身者も含めて部員が100人以上いる上、一浪して体力も落ちていた公立校出身の私には公式戦に出るチャンスはなかなか巡って来なかった。2回生の時には、2回生以下が出場する新人戦の先発メンバーに幸運にも選ばれたが、その後はチャンスを与えてもらいながらも怪我に悩まされ、公式戦であるリーグ戦には3回生の秋のリーグ戦まで出場できなかった。
大学の野球部では25人のベンチ入りメンバーに背番号付の試合用ユニフォームが手渡される。リーグ戦の開幕戦にベンチ入りできなくても、対戦校が変わる時にメンバーの入れ替わりがあり背番号をもらえるチャンスがある。3回生になって自分ではベンチ入りできるのではと思っていたが、なかなか背番号がもらえない。ある時、今回はメンバーに入れるだろうと思っていたが、同級生が選ばれて自分の名前は呼ばれなかった。その時は本当にショックで落ち込み、自宅まで2時間ほどかけて1人でとぼとぼと歩いて帰ったのを思い出す。
大学のリーグ戦では試合の前の日にマネージャーがベンチ入りするメンバーを発表するのだが、初めて名前を呼ばれて背番号付の試合用のグレーのユニフォームを貰った時は本当に嬉しかった。4回生になって自分の好きな背番号を選べるようになった時には、高校3年の時に付けていた6番を選んだ。高校3年の夏の大会ではショートを守っていたのだ。
その6番が付いた大学のユニフォームは今も私の手元にある。大学の試合用ユニフォームはチームのものなので通常は卒業する時に貰えないのだが、マネージャーに無理を言って自分で費用を負担して6番のユニフォームを新調してもらいチームに寄付して、その代わり自分が着ていたユニフォームを譲り受けたのだ。
野球をやっている者にとって、背番号を貰うということは本当に重い意味を持つのだ。長男にとって背番号8番は自分の力で勝ち取った初めての背番号だ。8番を付けてどんなプレーをするのだろうか。公式戦を見に行くのが楽しみである。
いま東京支社のデスクで缶入りの野菜ジュースを飲みながらこのブログを書いている。スケジュールが詰まっていてランチを食べる時間がなかった。この野菜ジュースがきょうの昼御飯だ。
東京に来る時はほとんど勉強会の予定が入っているのだが、せっかく東京なのだからと色々な人に連絡してアポイントメントを入れようとする。様々なジャンルの最前線で活躍されている方々にお会いして、最新情報を得て意見交換することが楽しみだ。
貧乏性なので時間がもったいないと思い次々とアポを入れフラフラになることも多い。今日もそんな感じだ。朝一番の飛行機で東京に到着してその足でメディア関係の方々とミーティング。同じメディアの世界でも知らない事が多く勉強になる。
ミーティングが終わってすぐに別の勉強会。基本的に毎週参加させてもらっている勉強会だが毎回学ぶことばかりだ。本来ならこの勉強会終わりでランチを食べるのだが、今日は時間がないので、そのまま次の講演会へ。少し遅れて到着したが、いま話題の方の講演会なので会場は人でいっぱいだ。様々な情報と共に、物の見方を勉強させてもらった。
その後、汐留の日本テレビ報道局へ。報道局は扱うニュースによって社会、経済、外報、政治、番組などのセクションに分かれているが、ここに顔を出した時は出来るだけ各セクションの部長やデスクとお話することにしている。
そして日本テレビのすぐ近くにある読売テレビの東京支社に到着。急いで返事をしなければならないメールがないかどうかをチェックした後でこのブログを書いている。最近は時間に追われ自宅でブログを書く事が多くなった。できるだけ家では仕事をしたくないので、少しでも時間がある時はこうしてブログを書くことにしている。
この後は、霞ヶ関の人に会ってお茶でも飲みながら情報交換。そして夕方にはある企業の記者会見に出席するつもりだ。夜は政治関係やメディアの人と会食。深夜にはまた別の政治関係の人とお酒を飲むことになるかも知れない。
今日は頑張って予定を入れ過ぎた。外に取材に出た時にどんな動きをしているかを明らかにするのはあまり好きではないが、たまには取材活動の裏側をお見せするのもいいかなと思い書いてみた。誰に会ってどんな話をし、どんな勉強会に出て何を聞いたかを具体的に書ければいいのだが、残念ながら明らかには出来ない。相手のプライバシーということもあるし、ネタ元は明かせないのだ。では、次の取材へ行ってきます。
民主党、社民党、国民新党の3党が連立政権を組むことで合意し、鳩山代表、福島党首、亀井代表が合意書に署名した。これを受けて福島党首と亀井代表が入閣することが確実となった。福島党首は雇用担当の大臣、亀井代表は郵政民営化を所管する総務相のポストを求めているといわれる。
3党による政権合意に向けて、政策担当者による協議や幹事長レベルでの協議が重ねられたがなかなかすぐに合意とはいかなかった。インド洋沖での海上自衛隊による給油活動の即時撤退と、沖縄の米軍普天間飛行場の県外移設を強く求める社民党の安全保障政策がネックになっていたのだ。しかし、結果的には「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起。在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という民主党のマニフェストの表現に沿った形で決着した。
308議席と大勝した民主党に対して、社民党、国民新党は埋没せずに存在感を示したいという気持ちは分かるが、民主党に多くの議席を与え、社民党は現状維持、国民新党は議席を減らしたという結果が民意なのだ。参議院で単独過半数を確保しておらず、安定した政権運営のためには社民党と国民新党の協力が不可欠だということは分かるが、圧倒的な民意を得て政権を任せられた政党が、小さな政党の原理原則に基づいた政策に振り回されることがあってはならない。理想を追求することも大事ではあるが、政治とは落としどころを探りながらより良い政策を確実に実行していくことである。国民の為にまずやらなければならないことは何かという政策の優先順位を考えて、現実に即した政権運営をして欲しい。
民主党内での閣僚人事も今週中か遅くとも週明けには決まるだろう。鳩山代表に近い人や代表選挙に尽力した人ばかりを集めるお友達論功行賞内閣を絶対に作ってはならない。実力本位、実行力重視の民主党オールスター内閣を目指すべきである。その際には、前原氏や野田氏といった小沢次期幹事長と最も遠いとされる実力者たちが入閣するかどうかがポイントだろう。また、参議院で主導権を握って多くの議員立法を重ねてきた民主党の実力のある参議院議員から何人入閣するかにも注目している。新政権はスタートダッシュが大事である。まずは新内閣の顔ぶれが楽しみだ。
09年9月9日(水)「#801 裁判員裁判傍聴記(2)」
さて、裁判員裁判の2日目。今日は論告、求刑と最終弁論が行われ、裁判官と裁判員による評議を経て夕方には判決が言い渡される予定だ。
まず検察官による論告が行われた。論告とは法廷で調べられた証拠に基づき、検察官が事実や適用される法律について意見を述べることだ。利益を得るために覚せい剤を輸入したり製造したりした場合の最高刑は無期懲役と罰金1000万円であり、いかに重大な犯罪であるかを説明した。検察官はモニターに資料を映しながら手元の資料を読んでいく。その内容から、覚せい剤の1回の平均使用量は0.03gで末端価格は1グラム6万円であることなどが分かる。今回の法廷でも取り上げられたが、酒井法子被告の覚せい剤事件で我々も覚せい剤について詳しくなった。
そして、検察官が相当と考える刑罰を示す求刑が行われ、検察は懲役10年、罰金500万円、覚せい剤の没収を求めた。想像していたよりも少し重い求刑だが、覚せい剤の押収量などを考え過去の判例に照らし合わせるとこうなるのだろう。
これに対して弁護側は、検察の論告・求刑を受けて弁護側が最終的な意見を述べる最終弁論を行った。担当弁護士はモニターに映し出された論点を見ながら、刑を決める時に考慮すべき点について説明した。被告人が反省していることや、報酬は受け取っていないこと、押収されたことで覚せい剤は社会に出ていないことなどを強調した。そして最も力を入れたのは過去の裁判例との関係についてだ。
法律上は今回の犯罪に対して懲役3年から無期懲役まで選択できるが、被告人に特別酌むべき事情がある場合は「酌量減刑」として懲役1年6ヶ月から懲役3年までの刑も選択できると弁護人は訴えた。懲役3年以下であれば執行猶予を付けることもできるので、弁護人は執行猶予付きの判決を裁判官と裁判員に求めたのだ。最終弁論の最後の部分では、弁護士は証言台を離れて被告人の傍まで歩み寄るなどしながらメモも見ずに力強く訴えた。裁判員の何人かはモニターを見ずにずっと弁護士の方を見ていた。裁判員裁判では、今まで以上に弁護士が法廷で何をどの様に訴えるかという能力が問われることになる。
最後に被告人が「たいへん申し訳なく思っている」と反省の弁を述べ今日の審理は30分ほどで終了した。裁判官や裁判員が退廷する際に、年配の男性裁判員が法廷に向かって一礼して出て行ったのが印象的だった。
有罪か無罪かを決め、量刑をどうするのかという判決内容を裁判官と裁判員で話し合う評議は密室で行われるため取材は出来ないし、守秘義務の関係で評議の内容も明らかにされない。評議の中では、裁判官が過去の同じような事件の判決内容のデータ(いわゆる相場表)を参考までに裁判員に示すものと見られている。さて、どういう判断が出されるのか。
審理は午前10時前に終了し、判決の言い渡しは午後4時半から。昼食を挟んで十分な時間がある。ここで判決の予想を書くのはどうかとも思うが、従来の裁判官だけによる判決だと懲役7~8年といったところだろう。裁判員が入って懲役6年から7年の実刑ではないかと思っていた。
そして判決言い渡し。裁判員の皆さんも審理の時よりも幾分緊張しているように見えた。これまで裁判長の後ろに座っていた補充裁判員の2人は裁判長の前の書記官の横に座った。
注目された判決は懲役5年で罰金350万円だった。執行猶予はつかなかったが、予想以上に軽い判決だった。言い渡しの瞬間はほとんどの裁判員は被告人の方を見ることなく下を向いたままだった。
主文を言い渡した後、裁判長が量刑や判断の理由を説明した。起訴状では共謀により合計で約1800グラムを密輸入したとなっていたが、被告人の量刑を判断する上では被告人自身が密輸入した約980グラムだけを基準にしたということだった。これまでの覚せい剤密輸入の裁判では量刑を決める際に押収量が大きな決め手となっていたが、過去の判例に縛られることなく、裁判員が色々な事情を考慮して判断したということだろう。
最後に裁判長が、裁判官と裁判員の総意として、被告人に告げておきたいこと、いわゆる説諭を行った。1つは甘い話には気をつけろということ。そして、親孝行は金品だけではなく、人に迷惑をかけず親を泣かせないことが最高の親孝行だと。そして最後に、頑張って仮釈放されれば母親が90歳までに健康なうちに帰られると被告人に言い聞かせた。一般の裁判員が参加したことで、このような心温かい説諭になったと思われる。
裁判が終わって、取材に協力していただける裁判員の記者会見に出席した。最初にご本人の意向で名前も顔も出して取材を受ける裁判員1人と補充裁判員2人のみの記者会見が始まった。冒頭部分だけ新聞社とテレビ局の代表カメラが撮影したが、音声は録音されない。次に、名前も顔も出したくないが取材には応じる裁判員4人も加わって、カメラなしの会見が行われた。
記者会見では裁判員から、裁判長の分かりやすい説明と気遣いで自分の考えを述べることができたという声が多く聞かれた。また人を裁くことの難しさ、量刑を決める難しさといった率直な感想もあった。「前例がこうだからこうしようという事ではなくて、(裁判員の)年齢も環境も違う中で自分の経験上、様々な意見を言えた」という裁判員の感想が印象的だった。これこそが、裁判員制度を導入した狙いなのだろう。
守秘義務の関係で、裁判が終わってからも評議の内容については裁判員は一生誰にも話してはいけないことになっている。このため、裁判員が言い過ぎたときにストップをかけられるように記者会見には裁判所の職員が同席している。私が「裁判員の思いが判決にどの程度反映できたと思うか」と質問した時に、ある職員が反応して発言しそうになったが、横の職員が制止し何も口を挟まなかった。しかし、他の記者が量刑の判断基準について質問した時には、裁判所の職員がストップをかけた。質問の段階で制止するのはやり過ぎではないかと思う。
今回の裁判員裁判を傍聴してみて、一般の人が加わったことで法廷のやりとりが分かりやすくなり、判決にも専門家でない一般の人の感覚が反映され裁判が身近なものになったと感じた。裁判官、検察官、弁護士という法曹三者が分かりやすい裁判を目指そうという意気込みも感じられた。
ただ、裁判員の選任手続きや、裁判の進行を決める公判前整理手続き、判決を決める評議という裁判員制度の肝心な手続きが全て非公開でメディアが検証する手段が事実上ない点は改良の必要があるのではないか。また罰則付きの守秘義務は重過ぎると思う。死刑まで裁判員に判断を求めることについても様々な意見がある。
今のところ、裁判員裁判は順調なスタートをきったと思うが、裁判員裁判は3年後に問題点を見直すことになっている。そのためにも今後も出来る限りの情報を公開して欲しい。
09年9月8日(火)「#800 裁判員裁判傍聴記(1)」
イチローの通算安打記録にはまだまだ及ばないが、このブログもきょうで800回を迎えた。解説委員になってから一日も休まず書き続けてきたことが800回につながっている。昨日もイチローのことで書いたように、まさに「静かな一歩の積み重ねでしか、遠くへはいけない」だ。100回ごとの節目の回にはその感想や思いを書くのを常としてきたが、今日、明日と初めて裁判員裁判を傍聴する機会を得たので、その報告を書くことにする。
大阪地裁で最も大きい201号法廷。全国での初の裁判員裁判は東京、関西地区では神戸が初となったが、大阪で初めての裁判員裁判が今日始まった。裁判の内容は覚せい剤の営利目的の密輸入事件だ。覚せい剤の所持や使用は裁判員裁判で裁かれないが、営利目的の覚せい剤の密輸入は最高刑が無期懲役で裁判員裁判の対象となっている。できれば被害者のいる、殺人などの複雑な裁判を傍聴したかったが仕方がない。
きょうの裁判のための裁判員候補49人に呼び出し状が出されたが、事前に辞退が認められたり呼び出し状が届かなかったりした17人を除いて29人が裁判員選任手続きに出席した。無断欠席は3人だった。裁判員の選任手続きをメディアが取材することはできない。
午後1時すぎに開廷。裁判官や裁判員が入ってくる前に被告人の手錠と腰縄は外されている。被告人の服装は白いカッターにスラックスをはき足元はゴム草履ではなく革靴に見える黒のサンダルだ。また、これまでは検察側と弁護側の中間で裁判長の正面に座っていた被告人は、弁護側席で弁護人と並んで座っている。いずれも、裁判員に被告人が犯罪者であるという予断や先入観を持たせないようにとの配慮だ。
裁判長に続いて6人の裁判員と2人の補充裁判員が入廷してきた。裁判員は向かって左から座る順番に1番から6番までと番号で呼ばれる。1~3番はいずれも年配の男性。4番は中年の女性、5番と6番は20代と思われる若い女性だ。補充裁判員は2人とも男性だ。
裁判の冒頭で検察官が、どういう事実が犯罪になるのかを記した起訴状を朗読したが、裁判長が「起訴状を読み上げるだけでは分かりにくいので、もう少し分かりやすく説明してください」と検察官に意見を述べた。検察官が分かりやすく説明すると、裁判長はさらに「(起訴状の)文章が長いので、今度からは読むだけで分かるようにしてください」とさらに注文した。パフォーマンスが好きで目立ちたがり屋という評判もある裁判長なので、裁判員を意識した訴訟指揮をアピールしているようにも見える。
ついで検察側、弁護側の双方が裁判で何を主張するのかを示す冒頭陳述が行われた。検察側の冒頭陳述の内容は法廷の大型モニターにも映し出され、私たち傍聴人にも理解しやすくなった。法律の素人にも分かりやすい説明だったが、所々にまだ法律の専門用語が残っていた。一方、弁護側の冒頭陳述では、弁護士は証言台に立ってまず裁判官と裁判員に対し「どうぞ、よろしくお願いします」と深々と頭を下げ、その後の8分間ほどの陳述はメモも見ずに、時には被告人の傍にも歩み寄るなど法廷の中を歩き回ったりしながら行った。まるで、アメリカの陪審員裁判での弁護士のようだ。
双方の冒頭陳述が終わると裁判長が今後のスケジュールを説明して開廷から30分ほどで最初の15分ほどの休憩に入った。この日は4時間ちょっとの審理だったが、4回休憩が入った。裁判員への配慮だろう。休憩に入って裁判員が退廷すると被告人に手錠と腰縄がはめられ、また休憩が終わる直前に裁判員が入廷する前に手錠と腰縄が外されるのだ。
休憩後は証拠調べが始まったが、ここでも裁判長は「なるべく業界用語は使わないように」と検察側に注意した。起訴状によると、被告はもう1人と共謀し覚せい剤約1.8キロを関西空港から密輸入したというものだが、裁判長の指示で裁判員1人1人に押収された覚せい剤の包みを実際に持たせて重さや量を実感させる場面もあった。
これまでは法廷で読みあげられることがあまりなかった、被告や関係者の捜査段階での供述調書の詳細が読みあげられるので、覚せい剤の密輸入の生々しい実態が明らかにされる。一方、被告の詳しい出身地や出身学校名などはプライバシーに配慮されて法廷では明らかにされない。供述調書が朗読されている間は、若い女性裁判員は時々目をつむって少し退屈そうにも見えた。
弁護側の証人として被告人の年老いた母親が出てくると、若い女性裁判員は、一転して悲しそうな表情で見つめていた。裁判員裁判になると、被告人の酌むべき事情を訴えるために出てくる身内の証人や、被害者本人や遺族など、裁判員の心情に訴えるような証人が今まで以上に大きな影響力を持つのではと感じた。この裁判で初めて質問した裁判員は、証人として出廷した被告人の母親に質問した男性裁判員だったが、体に気をつけてくださいといった内容で、質問というより裁判員の心情や思いを述べたものだった。
弁護側、検察側双方からの被告人質問が行われた後で休憩がとられた。それまで裁判員からの質問は一度だけだったが、この休憩の後に、補充裁判員も含めて多くの裁判員が被告に質問した。休憩中に裁判長が裁判員に対して質問を促したと思われるが、今の制度では裁判官と裁判員のやり取りには守秘義務が課せられていて取材することができず検証のしようがない。
裁判員の質問は、私からみれば時には的外れではと思われるものもあったが、それこそが裁判に一般の人の感覚を導入しようということなのだろう。若い女性裁判員が法廷で質問をしているのを聴いていて、あー裁判員裁判が本当に始まったんだなあと実感した。
久し振りのメジャー話。電話会社の宣伝にイチローが出演している。駅に張ってあるポスターには、「静かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない。」との文字が書かれている。なかなか深イイ話である。これこそがイチローの凄さなのだ。
来る日も来る日も試合が始まる何時間も前に誰よりも早く球場入りして1人で入念にストレッチやトレーニングをしてから試合に臨む。ベンチを出てウェーティング・サークルでの動作、仕草、バッターボックスに入ってからの動作、仕草も毎回ぴたりと同じである。試合が終わってから自分でグローブを磨く習慣も欠かさない。
01年にシアトル・マリナーズに入団してから毎年毎年200本安打を打ち続けて、前人未到の9年連続200本安打も目前だ。入団以来、毎年200本安打を打ち続けているのだから驚くばかりだ。メジャーという世界最高峰のレベルで、同じ結果を出し続けるということがいかに難しいか。怪我や故障で試合を休まないところが凄い。いかに普段から体の手入れをしているかということだ。
そのイチローが日本人として初めて、メジャーで打ったヒットが通算2000本に達した。2000本という数字はプロの野球選手にとっては特別な数字だ。日本では打者は2000本安打、投手は200勝すれば名球会という選ばれた者しか入会を許されないクラブの一員になることができる。それは超一流選手の証だ。その2000本をアメリカに来てからの成績だけで達成した。日本時代の安打を加えれば日米通算の安打数は3278本となっている。3000本といえば、メジャーの世界では文句なしに殿堂入りする数字なのだ。
イチローは間違いなく日本人で初めてクーパーズ・タウン(野球殿堂がある街)に入ることになるだろう。筋肉増強剤によるホームラン量産の野球に酔っていたファンに、巧打とスピードと攻守という古き良き時代の野球の楽しさを思い出させた功績は、これまで残してきた輝かしい成績と同じくらい賞賛されるべきものである。
毎日毎日の積み重ねこそが、大きな結果を残す唯一の道であることをイチローは教えてくれている。今の日本人が、いや今のアメリカ人も忘れてしまっていることに気付かせてくれた。そういう意味ではイチローは単なる野球選手ではないのかも知れない。野球の神様がファンに与えてくれた最高の贈り物である。イチローと同じ時代に生きてイチローの生のプレーをこの目で見ることができる幸せを噛み締めたい。
誰でも自分が一番可愛いものである。自分より年下の後輩を何とか育てようと思いながらも、残念ながら本心では自分自身が大切なのだ。いや待てよ、自分のことよりも下の者のことを常に考え、育てるということを一番に考えている人も私の周りに実際いる。やはり心の持ち方なのだろうか。
その歳になって何を言っているのだと笑われるかも知れないが、いまでも自分のことを若手だと思っている。世代的に若手というより、自分の未熟さ、至らなさを痛感するのでそう思っているのかも知れない。
そのせいかも知れないが、今でも自分よりずっと年下の本当の若手と一緒に仕事をする時も、面倒を見てやりたいとか、温かく見守ってやりたいといった感情よりも、それぞれの立場で真剣勝負だという感じで張り合ってしまう。私には人を育てるという感覚があまりないのかも知れない。
何年も昔の話で恐縮だが、私が初めて記者クラブのキャップになった時、一緒に働くことになった後輩に対して次のように宣言したのを覚えている。「これからキャップという立場になるので、お前の失敗も俺が全て責任をとるしお前が仕事をしやすいように環境を整えるしサポートもする。しかし、お互い記者としてはライバルなので取材や放送では譲らずに勝負する」と。今から思えば恥ずかしくなるような言い方だ。
そんな私でも報道部長という管理職になった時には、まさに人を育てるということが最も求められた仕事の一つだった。報道方針を決めることや何か問題が生じた時の危機管理なども重要な仕事だったが、3年間の在職中に最も力を入れたことは後輩や部下を育てるということだった。
同じ社内で働くもの同士とはいえ、相手の事を一生面倒みてやれる訳ではないが、その人の今のポジションと次のポジションを考えるだけでなく、もっと長い期間に亘ってその人がどういう育ち方をしていけば良いのかまで自分なりに考えていたつもりだ。
しかしながら、自分の未熟さもあり、その人の持ち味、良さを十分に引き出してやることが出来なかった場合もあった。
解説委員というテレビに出る側に来てしまったこともあり、いまは直接的に人を育てるという仕事からは離れている。解説委員としてアドバイスするなどして若いスタッフを育てることも出来るかもしれないが、それは結果的であり、正直言っていつも人を育てることを第一に考えている余裕は今の私にはない。残念ながら。
しかし、若い人のチャンスを摘み取って自分だけ良ければいいという生き方はしたくない。これまでたくさんの尊敬する先輩方、同輩、後輩の皆さんに支えられて育てられてきたのだから、そのご恩返しはしたいと思っている。
いまテレビでは懐かしいアニメを放送している。子供の頃に大好きだった手塚治虫の名作のリニューアル版だ。私が熱心に観ていると子供たちが不思議そうに聞いてくる。「なんで観てんの?面白い?」と。どうやら私が幼かった頃によく観ていたアニメだということを知らないようだ。主人公の小さなホワイトライオンの声のイメージが少々違うが、なかなか面白そうだ。
ところで、きのう民主党の鳩山代表が幹事長と官房長官の人事を内定したのに続き、きょうも主要人事を決めた。菅代表代行を国家戦略局の担当相と副総理、政調会長兼任の重要ポストに、岡田幹事長を外相に内定すると共に、輿石参院会長の留任を決めたようだ。新聞報道によると、財務相には藤井最高顧問の就任が有力ということだ。
菅氏の国家戦略局担当相は、きのうのこのブログでも書いたが相応しい人選ではないか。民主党政権が、一票を投じた国民の期待通りにこの国の形を変えられるかどうかは国家戦略局が機能するかどうかにかかっていると思う。その責任者には、厚生大臣としてエイズ問題に取り組み官僚機構のやり方にも精通しケンカの仕方も知っている菅氏がいいのではと思っていた。
一方、岡田氏も幹事長に留任しないなら外相が最適ではと思っていた。世界における日本のあるべき姿というものをしっかり持って、アメリカに対しても言うべきことは言うという対等外交を目指す民主党にとっては、外相は最重要のポジションの一つだ。今までのようにコロコロ交代するのではなく、民主党が政権を持ち続ける可能性が高い今後4年間は外相は交代せずに1人の政治家が務めたほうがいいと思う。岡田次期外相にも、是非長くその任にあたって欲しい。
鳩山代表は、民主党幹部と相談した上で来週早々には他の主要閣僚の人事も決めていくようだ。閣僚候補者の身体検査など色々と難しい問題はあるだろうが、16日の特別国会初日に鳩山首相が誕生するより前に閣僚を決めて政権移行に取り掛かったほうがいいのではないか。
自民党政権の時のように首相官邸から呼び出されるまで何を担当する大臣になるか分からず、就任記者会見直前に大臣秘書官が決まりブリーフィングを受けて担当分野に対して十分な知識も経験もない人が大臣になるようなことは止めるべきだ。
ところで、このブログを書きながら観ていたジャングルのアニメに段々と引き込まれてきた。昔のアニメとは全く違うストーリーだが、現代に舞台を置き換えたその発想は面白い。当時のアニメも久し振りに観たくなった。
9月16日の特別国会招集日に首相に指名される鳩山代表がその日のうちに人事を行うと見られていたが、幹事長と官房長官という最も重要な人事を決めた。小沢代表代行が幹事長に、平野役員室長が官房長官に内定した。
顔ぶれからみて、鳩山代表は誰にも相談せずに自分1人でこの人事を決めたのではないだろうか。自分自身が最も信頼し信用している2人を内閣と党のそれぞれの要に持って来たのだろう。今回の人事のポイントは、先の参院選と今回の衆院選を大勝利に導いた政権交代実現の大功労者である小沢代表代行の処遇と、首相の女房役である官房長官を誰にするかという点だ。そのポイント人事を巡る憶測、噂が流れて党内に混乱が広がる前に先手を打ったのではないか。
小沢代表代行については、当初から本人が幹事長を望んでいるという情報が流れていた。しかし、選挙や金、人事など強大な権限を握る幹事長に小沢代表代行が就任すると、鳩山首相との二重権力になるのではとの懸念が広がり、岡田幹事長が留任し小沢氏も選挙担当の代表代行に留まるのではと見られていた。私もそれがいいのではと思っていた。
小沢幹事長というニュースを聞いた時は、私も小沢氏が力を持ちすぎて大丈夫かと思ったが、よく考えてみると、なかなか良い人事かもしれない。鳩山代表が強力なリーダーシップを発揮するという覚悟があるのなら、という条件付きだが。幹事長という立場は頻繁に会見したり常に報道陣に囲まれたりする表の仕事なので、独断専行しがちな小沢氏の透明性を高め説明責任を求めるには良いポジションではないか。
官僚主権から政治主導を目指す政権の命運をある意味握る官房長官には菅代表代行が最も適任ではないかと考えていた。しかし、新しくできる国家戦略局の担当相に菅氏をもってくるのも面白い。菅氏自身は官房長官になりたいのだろうなと思っていた。国家戦略局ができるので、官房長官の役目は今まで以上に首相と内閣のスポークスマンという役割が大きくなる可能性がある。そういった意味では、鳩山代表が最も信頼する側近である平野氏が適任であるとも言える。
いずれにしても、人事は首相の専権事項である。組織が動くか動かないかは全て人事で決まるといっても過言ではない。小沢氏との二重権力を心配する声も大きいが、小沢氏1人をコントロール出来ないようでは、世の中は変えられないだろう。鳩山内閣の閣僚人事で、改革にかける本気度が計れる。
今年の4月に1年9ヶ月に亘った東京での単身赴任生活を終え大阪に戻った。大阪であらたにニュース番組に出演することになり、大阪にいる機会が増えたための引越しだった。しかし、番組出演がない日は取材したり勉強会に出たりするために東京へ来続けている。
衆院選があって政権交代が起き、政治の世界だけでなく、霞ヶ関の官僚の世界、経済界も大きく変わろうとしている。この歴史的な転換点をこの目で見て取材するために、今月からは今まで以上に東京へ来る機会を増やそうと思っている。番組に出演する機会は若干減ることになるが、それよりも取材を優先しようと思っている。
東京へ来る機会が増えると、東京に住んでいて番組出演の度に大阪へ出張していた頃と生活サイクルがほとんど同じになってきた。週に2度ほど大阪と東京を往復する生活で、自宅が大阪にあるのか東京にあるのかという違いだけになってきた。
東阪の移動は時間短縮のためにほとんど飛行機を利用しているのだが、頻繁に乗っているので、先日はついにフライトアテンダントの方から「先日もご一緒でしたね」と声をかけられて驚いた。機内での過ごし方もだいたい決まってきた。新聞各紙に目を通して機内のテレビでニュースを観る。それでも時間がある時には本を読んでいる事が多い。相当疲れている時以外は機内で寝ることはほとんどない。
宿泊するホテルはわざと毎回変えている。定宿というものを決めると何かと便利なのかもしれないが、ホテルに泊まるということが好きなので、出来るだけ色々なホテルに泊まってみたいのだ。思いがけなく快適なホテルに出会うと、何だか嬉しくなってしまう。
ランチは時間がないので、移動の間に1人でさっと済ますことが多いが、夕食はほとんどの場合、取材や情報交換を兼ねて色々な方とご一緒している。ほとんどの場合は一軒で終わるが、相手によってはもう一軒ということもある。
東京でいつも行く店というものはないが、時々行きたくなる店は何軒かある。人に連れて行ってもらい、美味しくて雰囲気も良かったのでその後何度かお世話になるというパターンが多い。
これだけ頻繁に東京へ行くことになると、飛行機やホテルの予約、勉強会や人に会うスケジュールの調節がなかなかたいへんになって来た。番組に出演する曜日はだいたい決まっているのだが、完全に固定されている訳ではなく、毎月終盤に翌月の出演日が決まる。それに合わせて東京へ行く日が決まり、東京での予定を入れていくのだ。面白いもので、何かの予定が入る日は、その同じ日に次々と予定が舞い込んでくるものなのだ。
たまには東京でボーッとゆっくりしたいと思うこともあるが、そんな時間はない。せっかく東京に頻繁に来るのだから、たまには街角の喫茶店でのんびりと過ごし、街行く人の人間観察でもしたいと思うのだがなかなか実現しない。
衆院選で民主党が大勝し政権交代が実現することになった。93年に非自民の細川政権ができたことはあるが、この時は政権交代を争った選挙ではなく、選挙の結果を受けて8つの野党が連立して予想外の政権ができたこともあり、準備不足も重なってわずか8ヶ月で終わった。
今回は選挙前から堂々と政権選択を争った結果、民主党が自民党を下し本格的な政権交代が実現する。今月16日に特別国会が召集され首班指名選挙で鳩山代表が第93代首相に選ばれる見通しだ。当初は官房長官や財務相、外相などの重要ポストの人事を直ちに行ってそのメンバーらで政権移行チームを作り、ほかの閣僚人事も進めると見られていたが、鳩山代表は予定を変更して首相に指名された直後に一気に人事を行う意向を示している。
自民党が出来た55年以来、ほとんどの期間、自民党が政権を担い続けてきた結果、民主主義国では当然起きる政権交代というものが日本ではほとんど起きた事がない。このため、日本には政権移行をどう行うかという経験もルールもないのだ。
アメリカでは11月の大統領選挙で次期大統領が選ばれたらすぐに政権移行チームが発足し、翌年1月の就任式までの2ヶ月余りの間に、国が費用を負担して政権移行の作業が行われる。オバマ大統領の場合も、当選したらすぐに安全保障や外交などの最高機密も含めてCIA(中央情報局)など情報機関の担当者からのブリーフィング(状況説明)が毎日行われて、現職のブッシュ大統領と同じ情報を共有して政権移行をスムーズにするのだ。
イギリスでは、政治家と官僚の役割がはっきりと別れており、日本と違って普段は官僚は自分が所属する省庁の大臣以外の政治家と接触する事が禁じられている。しかし、議会の任期満了(=選挙)の16ヶ月前からは野党と官僚の接触が解禁されて政策について協議できるようになり、野党が政権交代に備えて官僚の持つ情報を共有できることになるのだ。
このように政権交代が当たり前のように頻繁に行われる欧米では政権移行のルールがしっかりと決められているのだが、恥ずかしながら日本にはない。きょう民主党の岡田幹事長が首相官邸を訪れて河村官房長官に政権移行に向けて政府の情報を共有できるように要請した。
これを受けて河村官房長官は協力することを約束し、各大臣、省庁に対して民主党への政権移行に協力するよう指示を出していきたいと語った。また麻生首相も政権移行に協力するよう指示を出したということだ。
自民党が解党的出直しの覚悟を持って再生すれば、いずれまた政権交代が起きるだろう。この機会に国の費用で政権移行をきっちり行える法律を整えるべきではないか。
09年9月1日(火)「#793 下町のチューハイ」
前から気になっていることがある。最近、周りからご飯行きましょうよとか、飲みに行きましょうよとか、あまり誘ってもらえないのだ。管理職になった時は、後輩たちも誘いにくくなったのかなと思い、実際お誘いも激減したのだが、解説委員になってからも状況は変わらない。
原因はいくつか考えられる。まず、お酒を飲むときぐらいは気の置けない仲間たちと楽しみたいと思っているので、仕事上の付き合いだけで飲みに行くことはあまりないという点だ。仕事関係で飲みにいく場合でも、出演者やスタッフなど社外の人と行くことが多く、社員同士で行くことはあまりない。
次に、社内ではたぶん不機嫌な顔をしていることが多く、"誘うなよオーラ"が出ているのかも知れない。つい最近も、ある人がこれからお酒を飲みに行く話をしてきたのだが、直接誘ってくれる訳でもなく、自分から行こうかと言う訳でもなく、何となくまたねという話になった。すると、しばらくしてその人からメールで合流しませんかというお誘いがあった。やはり、"誘うなよオーラ"が出ていたのだろう。もう少しにこやかに愛想良くしようかと少し反省している。
そしてもう一つ。歳のせいか、仕事が忙しすぎるせいか、最近体力が落ちてきたせいか、いつでもどこでもお酒を飲もうという気持ちが弱まってきた。最近は飲みに行っても、二軒目のお誘いを断る事が多くなってきた。楽しくなかったのだろうかと思われるのが嫌で、出来るだけ最後までお付き合いすることにしていたのだが、最近は体調が良くて元気な時以外は一軒で終わることも多い。これも、一緒に行った人に悪いなと反省している。
仕事仲間と4人で大阪の下町に飲みに行った時のことだ。久しぶりの下町の居酒屋で居心地もよく会話も弾んだ。お酒の勢いで余計なこともペラペラ喋ってしまった。ビールからチューハイに変えたときに、一緒に飲んでいたこの店に詳しい仲間から忠告された。「この店のチューハイはかなり酔っ払うから、気をつけてくださいよ」と。そんな訳ないやろと立て続けに2杯飲んだのだが、残りが少なくなると味が微妙に変わるのだ。底のほうに焼酎が溜まっているのだろう。忠告どおり、あっと言う間に酔っ払った。3人からもう一軒行きましょうと誘われて、私も楽しかったので行きたかったのだが、急速な酔いを感じ、残念ながら1人帰ることにした。下町のチューハイ恐るべし。
春川正明
はるかわ まさあき
1961年5月5日生まれ
讀賣テレビ放送
報道局解説副委員長
ロサンゼルス特派員、
チーフプロデューサー、
報道部長を経て07年より現職。
関西学院大学非常勤講師
大阪市出身